2020年の令和2年の2月2日に、 大切な友人が結婚することになった。
いつも花模様のシャツを 着ている彼。
彼が連れてきたのは 結構年下で、 清楚な美しさの中にも どこか独特のおもしろさのある女性だった。
彼女に彼の第一印象を聞いたら、 めちゃ派手な服着てんなあって思った、、、 という。
式で、乾杯の音頭を 歌でやってほしい、とのこと。
年末からから 曲をあたためてきて やっと完成した!
なかなか いいんじゃないかい。
インドのサリーを着て、 ウクレレを弾き語って 乾杯してこようと思う。
曲名は 「ふふふのふーふ」
222で2がいっぱいだしね。
*
「ふふふのふーふ」
手をつないだら 空がひらいた いつかみた夢 未来の景色
何気ない日々 キラリとひかる宝石みたい ひとつぶ ひとつぶ ふたりで抱きしめて
T とM(新郎新婦の名)が 旅にでる
弱さと強さ 一緒に持って クールに笑って 花模様の冒険のはじまり
ふーふ ふふふ ふふふのふーふ
ふーふ ふふふ ふふふのふーふ
ふーふ ふふふ ふふふのふーふ
花模様の冒険のはじまり きょうは良き日だ 乾杯しましょう!
かんぱーーーい!!
オットとケンカした。
ケンカは疲れるけど 嫌いじゃない。
表面では無難でも 不満があるのに 言えていない関係の方が 嘘っぽくて嫌いだ。
本当に自分が感じていること 本当に相手が感じていることを ぶつけ合うと
お互いの元々の真ん中の カタチの違いが見えて来る。
モノの見方だったり 感じ方、 価値観、、、。
自分の気持ち 相手の気持ち 腹が立ったのはどこか どんなことで不快になったのか どうしたかったのか
ここはわかるけど ここはわからない
カタチが違うから わからないけど そのカタチの違うまんま お互いが一緒に 心地よくいるには どう在ればいいんだろう。
お互い どこで歩み寄れるのか どこは譲れないのか。
とても壮大な作業だ。
その作業のためには 自分のカタチを ちゃんとわかっていたい。
無駄に相手を責めて 傷つけないように。
ちゃんと この作業に 辿り着けるように。
そんな価値観を もっているのが わたしです。
映像のための曲を作るお仕事。
一昨日録音の予定が 大雨のため、録音できず。
トタン屋根の我が家は 屋根に雨が当たる音が うるさすぎて 雨の日は音に関してはダメなのだ。
録音は昨夜に持ち越し。
オットと2人で 夜中の3時まで録音し 今朝ミックスを完成させて ようやく納品。
先ほど かんぺきーーーーー! という返答が来たので ホッとして日本酒を飲む。
日本酒を飲みながらききかえしても なかなかええ曲ができたではないか。
自分がつくった曲が 喜ばれて お金になる。
なかなか うれしいもんだ。
仕事で 小学生の女の子と 折り紙をする時間があった。
わたしがカニが好きだというと、
「カニ作ってみよう!」
と、赤い折り紙で、 カニの甲羅っぽいものを 折りはじめる。
足とハサミはもう一枚の 折り紙を切って貼り付ける。
目玉がキョロンとした とっても愛おしいカニが できた。
わあ!うれしい! こういう時は、 カニガトウって言うんだよ!
わたしが教えてあげると 彼女は、
ドウイカニマシテ!
と呟いた。
今日の感動した話でした。
年賀状を印刷する。 やっとだ。
なんとか旧暦元旦には 間に合わせようと思っていたが。 2日も過ぎてしまった。
ゆっくりでも 心をこめて 書いてゆこう。
年賀状のデザインは、 薫に筆で描いてもらった。
ギターを抱えたねずみと おおらかな雰囲気の蟹。
蟹の足毛の具合も美しく描けいていて とても気に入った。
そういえば、 今日から大雨。
数日前から 屋根裏に ねずみの気配がする と思っていたのだ。
まとまった雨が降る前には、 ねずみが家にはいってくる。 今回もねずみ予報的中だ。
干支のねずみなので、 めでたい気もするのだが、 いやいや、 やはり家には 来ないで欲しい。
仕事で小学校にいく。
今年に入って ここの学校は3回目。
ここでは、 「自分も他人も大切にする」というテーマの心の授業で わたしは、アートワークをやっている。
学校に一歩足を踏み入れると 子どもたちが話しかけてくる。
きょうは 自然の石ころや貝殻など お気に入りのものを拾ってくることを 頼んでいた。
みんな、わたしの顔をみると 近づいてきて
「先生!シーグラス拾ったよ」 「石と珊瑚拾ったの。どっちがいいかな」 「ぼくはまつぼっくり!」 「わたしね、富士山みたいなかたちの貝にした!」 だまったまま自慢げにニヤッと笑って ピカピカに磨き上げた大きな貝を、見せに来る子もいる。
みんなのわくわくや 好きな気持ちが伝わってきて うれしくなる。
たまらなくかわいい。
日常生活では こんなにたくさんの人間に、 あふれるうれしい気持ちと共に 話しかけてもらえることなんて 普段なかなかない。
ましてや わたしみたいに 人見知りな上に 小さな集落に引きこもったような 生活をしている人間にとっては 歌えや踊れやお祭り騒ぎだ。
頭の中では ピーヒョロトントン トコトントン! お囃子がなっている。
素直でまっすぐな あふれる気持ちに わたしの穢れた心と身体が 清められていくよう。 まさに神事だ。
こんな こんな まっすぐでシンプルで あたたかなエネルギーで 世界がいっぱいになったらいいのにな。
大人も子どももみんな まずはわたしが
空気を読むとか よく見られるようにとか 浮かないようにとか 傷つかないようにとか 怖い目に合わないようにとか 目標に向かって1番効率的にとか そんなこと考えないで
ただただ今 安心して 身体が思うように うごくことができたら 戦争はなくなるんじゃないかな。
もともと 人間は みんなでしあわせでありたいという 祈りの塊のようなものを 持って生まれているのだと わたしは信じている。
*
輪になって みんな違うかたちのまんま みんなそれぞれのリズムで 歌い踊りました。
心地のよい不協和音が ひとつの美しい波になって 星空の向こうへ ずっとずっと向こうまで 繋がってゆきました。
*
明日は旧暦元旦だ。
2020年01月23日(木) |
猫フクロウとおじいちゃん |
夕暮れ時に 集落を歩いていたら ご近所のおじいちゃんにあった。
90近いおじいちゃんは 五右衛門風呂小屋の前で 畑の道具を触っていた。
星の点り始めた空に 風呂焚きの煙が 溶けゆく。
どこからともなく ミャー、、、ミャー、、と 鳴き声がする。
よく耳にするけど 何の鳴き声かわからない 猫のような鳥のような カエルのような声だ。
これは ミャーティクフだ。
おじいちゃんの頭の上で チカチカと星が瞬いている。
ミャーは猫 ティクフはフクロウ。 猫フクロウだよ。
風呂焚き小屋で パチンと音がして 煙に混じって火の粉が瞬いた。
なんて美しい情景なのだろうか。 わたしが画家だったら このおじいちゃんのいる 夕暮れの空気をそのまま 額の中に閉じ込めたい。
ずっと昔から知っていた 夢の中の懐かしい場所のよう。
うっとりしているうちに おじいちゃんに 大きな大根を2本いただいて お家に帰る。
調べてみると ミャーティクフというのは リュウキュウコノハズクの雌のことだそうな。
よく耳にする コホーコホーと鳴いてるのは 雄の鳴き声なのだそうだ。
今夜は家の横のガジュマルでも ミャーティクフが鳴いている。
ミャーミャーと。
夢の中に迷い込んでしまったからか わたしの心がさだまらない。
何も手につかず 時間も守れず
現実の中に 存在するということが 上手にできない。
時々こんな日がある。
ひとりで ここにいなくてよかった。
こんな日は あたたかい手が わたしと現実を つないでくれる。
ぬくもりが命綱。
あたり前が きらいだ。
あたり前ってのは その人それぞれの思い込みであって 全世界のあたり前なんてない。
その人の属する集団 会社や地域や国や そこでのあたり前なのかもしれないが。
それが 全てのあたり前だという前提で 話をされるのが きらいだ。
だって そんな みんなあたり前が違うのなんて あたり前だろう!
心地のよい空気を纏った方が うちにいらして カラダのワーク。
3人で寝転んで みえないカラダを眺めた。
それは 子どもの頃の 遊びに夢中になったときの あの懐かしい感覚。
そうそう みえないものを みていた頃の。
あの、感覚。
みえないもの みえないけど感じるもの それをちゃんと大切にするのが わたしにとって 本当の世界なのかもしれない。
そうすると わたしの心が とても落ち着くから。 生きた心地がするから。
わたしは 本当の世界で 生きていきたい。
それができれば ちゃんと死ねる気がする。
*
今朝は早起きして 緋寒桜のシャワーと 小鳥たちの歌声を 浴びることができた。
明日はもっと早起きして 船に乗るのだ。
2020年01月20日(月) |
鯨はどこにいるのかな |
きょうは忙しくて 君に会えなかった。
与路島というところを 日帰りしたんだ。
移動が長いから ついた先では 息つく暇もない。
与路島まで行く船の船長さんが 偉くかっこいいんだよ。
船長さんは、 今年に入ってから 鯨を全然みていないという。 今の時期は 北から鯨夫婦がくだって来る時期なのだそう。
今年は海水温が高いから まだおりてきてないもかもしれないって。
鯨夫婦は沖縄で子どもを産んで 今度は3月ごろ 子連れで北に上がってくるそうな。
大人鯨は用心深いけど 子ども鯨は警戒心がなくて ちゃぷちゃぷ遊んでいるから 3月の方が鯨をみやすいのだって。
鯨に会いに行きたいね。 会いに行くなら3月かな。
今年の冬はあたたかくって 地球は変わってきているようだよ。
そうは言っても 夜は寒くって 湯たんぽした布団の中で こうして 君にお手紙をかいているんだよ。
鯨はどこにいるのかな。
明日は早起きして 緋寒桜をみにいくんだ。
早く起きられるかな。
やりたい時にやりたいことをする。
そうすればいろいろうまくいく。 ということを、信じることにしている。
そうでもしないと 生きていけない。
わたしの小さい脳味噌では 全てのやるべきこと やりたいことを把握して 優先順位をつけて 時間配分して こなしていくことは 到底無理だ。
だから、 先のビジョンだけ わくわくと思い描いて もうあとは もう感覚に任せて やりたい時に やりたいことをするしかない。
今自分がどこにいるか わからなくなることもあるが めちゃくちゃ不安にもなるが。
これであっている ということを信じるしかないのだ。
きょうは やたら家事をしたい日だったので
ごはんがやたら豪勢だったし 台所がピカピカになったし 畑の雑草も減ってすっきりした。
家事なんて全然やりたくない日もあるのに おもしろいもんだね。
胸がうきうきしている。
はぁみちゃの 仲間たちに会えたから。
一緒にごはんを食べて ゆるゆるおしゃべりしながら 音楽を創るために 時間を使えたから。
信頼できる仲間と 音楽をつくる時間が わたしのうきうきの チカラになるんだな。
わたしが子どもで みんなとお家が近かったら またあした続きをやろうね〜って いってるだろうな。
大人だから、 次に会うスケジュールをあわせて、 みんな車で2時間の道のりを 帰って行った。
身体は大人だけど なるべく 子どもの心でいられることを たくさんしよう。
それができるように 大人のわたしが がんばってあげよう。
2020年01月17日(金) |
センチメンタル洗濯機 |
新しい洗濯機がやってきた。 二層式の安い洗濯機。
古い先輩洗濯機は 4年と9ヶ月。 使い倒して動かなくなった。
先輩洗濯機を外に出して 声をかけた。
一緒に島に来たね。 おつかれさま。
たくさん洗濯したね。 楽(猫)のうんこのついた服も洗ったね。 海の潮の服もいっぱい洗ったしね。
よくがんばったね。 ありがとう。
きょうは 降ったり止んだりのくらいお天気。 びゅう〜っと風が吹いて 雨粒がぴちゃぴちゃ飛んできた。
4年と9ヶ月 わたしもがんばってきたよ。 わたしも少し疲れちゃったな。 一緒にがんばってきたよね。
弱音を吐きたいな。 きみに聴いてもらいたいな。
なにをがんばってきたのか もういまとなっては わからないくらい 手探りでがんばって ここまできたけれど。
ここがどこなのかも ぜんぜんわからない。
さみしいな。 こわいな。
どこにいきたいのかも ぜんぜんわからない。
ただ風が吹いていて 僕の心の形を 浮きあがらせる。
ときどき 風にまじって とおくのうたがきこえるよ。
弱音を吐きたいな。 一緒に寄り添って眠りたいな。
先輩洗濯機。 別れるのが辛くなっちゃったな。
きみのために うたをうたうよ。
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