へそおもい

2016年11月30日(水) 新月の贈りもの

普段から
すてきなご夫婦だとおもっていたご夫婦と
連れ合うわたしたちふたりと
おいしいワインとご飯をご一緒した。

ゆっくり話したのは
初めてだったのに
初めてとは思えないくらい
ふんわりと安心した時間になった。

ビックリしたのは
わたしがやっていることを
深い部分から
わかってもらえていたこと。

わたしは、
うたをうたったり
おどったり
言葉を書いたり
ワークショップをしてみたり

なにをやっているのか
まわりからはわかりにくく
誤解されることや
人を不快にしてしまうこともある。

それでも
わたしの内側には
1本のはっきりとした
ゆるぎない
流れがあるのだ。

その流れのことを
すでにわかっていて
それがあたりまえのように
話してもらえたことが
とてもうれしかった。

島に来てから
表現する場がとても少なく
わかりにくいわたしが
わかってもらえると感じる
関係が少なかったので

胸にあたたかいものが
流れるようだった。

そう。
島だからこそ。

きっと島だからこそ
難しい面もあるのだが

島だからこそ
わたしは
わたしがやりたいことを
やっていきたいのだ。

島にきて
1年8ヶ月。

カラダはここに存在していても
魂が、まだ、完全には
島に存在できていなかった。

あと2割ほどかな。

贈りもののような
新月の夜だった。

ありがたや
ありがたや



2016年11月29日(火) 1000年たてば

仕事に行く道すがら
中村佳穂ちゃんの歌を聴く。

大音量で聴きたくなって
大音量で聴く。



1000年経てばみんな死ぬ
怒り悲しみみんな死ぬ

1000年経てばみんな死ぬ
残ったものは
海と川
山と空
歌だけ



祈りが
たくさん
つまってる。

泣けてきた。



2016年11月28日(月) 自信

仕事で学校に行くことがある。

いろいろな
子どもたちにまみれる。

みんな
それぞれの世界があり
それぞれが一生懸命
もがきすすみゆこうとしている力を
感じる。

おとなも子どもも
みんな同じだと思う。

心は
常に変わり続けるし
ゆれるものだ。

でも
わたしが大人であることと
わたしの役割的に
先生と同じように
ゆらがずに
みんなの前に立って
ある目標に向かって先導する人のように
誤解されてしまう。

わたしは
ちがうのに。

学校は、
評価や良し悪し、分析が、
横行する場所なので
元々苦手なのだが。

いまこうして
がっつりと仕事でかかわる
ことになろうとは。

きっと意味があるのだろう。

ゆれたり
葛藤したり
自信を失ったり
不安になったり
さみしくなったりすることに

もっと胸をはって
自信を持ちたいと思う。

こういう方向性で
考えてしまう自分は
なんか
よくわからん傾向があるのうと
しみじみ思うが。

これとも
つきあっていくのが
わたしの人生。

生きる旅は
ハードだがおもしろいね。



2016年11月22日(火) 鳥のようにピュルピュルしたい

昨日は
朝から晩まで

強い感情に
翻弄されることが
多すぎて

今朝起きたら
腑抜けになっていた。

わたしは
怒った。

胸が縦に裂けるような
怒り方だった。

怒るときは
大抵
さみしいのが
セットになっている。

さみしいのは
奥に潜んでいるので
さみしいことを
大切にしたいと思った。

さみしいのと一緒に
ヘンテコなものや
うきうきしたもの
いろんなものが
身体の中で
踊ってる。

しあわせ一色では無く
こういうカラフルなのが
けっこう好きだと思った。

とにかく
内容はどうあれ

いかに
自分の内側に
正直でいられるか
だなあ。



2016年11月10日(木) 猫まくら

毎日が過ぎてゆく。

月ネコのツアーが
ひとつ終わり

自分のリズムを
おもいだした。

わたしは
あまり日本語を話さない人だったと
おもいだした。

カラダと歌で
表現するのだ。

わたしは
それをし続けたいんだと
思いだしたら

いつもの道に
戻ってきた。

あしたから
みっち。さんと石川さんが
島にやってくる。

表現の人と
遊べることが
なによりも幸せ。

型にはまりたくない。
型をこわし続けたい。

きょうは
心理の仕事
あしたはうたうたい。

今は
猫まくら。

喉が痛いので
玄米珈琲と半身浴しようとしているのだが

猫まくらが
ゴロゴロなって

気持ちよすぎて
動けない。


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はたさとみ [MAIL]

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