少し涼しくなり 草刈りが 楽しくなってきた。
刈りたての草を 燃やそうと 小一時間がんばったが うまくいかない。
ダンボールや薪を使ってみたものの ついたー!と思っても すぐに火は消えてしまう。
もうあかん! と悔しい思いをしつつ 向こうの草刈りを終えたオトコビトに 駆り立ての草を燃やす方法を 教わった。
太めの薪で 下から空気が入るように 薪を組む。
そうしてまずは 強い火を起こす。
組んだ木の上 ボオボオ火が燃えているところに 草を入れていく。
太い薪に火がついて 青白い火が見えたら そこは高温なので 湿ったままの草も燃やす力があるという。
さっきまで全然 火がつかなかった草が 気持ちよいほどに 燃えてゆく。
すごい!
オトコビトは 集落の火使いのねえさんに 教わったのだという。
何度もやっているうちに 燃やしたいものの質や量によって どれくらいの薪が必要かなど わかってくるという。
これは 身体で覚えるしかない。
この秋から冬は 火と仲良くなるぞ!
庭の畑で 火が燃やせる環境に 大感謝だ。
2016年09月21日(水) |
毛の生えた温かいもの |
オトコビトと なんとなくケンカ風。
めんどくせえけど こういうのも 味があってええなあと思う。
わたしは 猫氏のお腹や背中に 顔を埋めてばかりいる。
文鳥のちょんすけと 暮らしていた頃も 相棒と気まずくなった時は 特に
こうして よくちょんすけの背中に 顔を(実際は唇だけしか背中に入りきらないんだけど) 埋めていたっけ。
毛の生えた温かいものは 心のやすらぎに 欠かせない気がする。
徳之島に来ている。
朝から2時間運転して 飛行機で30分 そこからバスで1時間。
月に1回 仕事に来る。
奄美大島とは また違った ごつごつした印象の島。
女性2000 男性3000 飲み放題 みたいなスナックが そこらじゅうにある。
前回は 居酒屋に飲みに行って お隣だった方々に連れられ そのまま アジアの香水の匂いムンムンのスナックに 行ってとても面白かったのだが。
きょうは 身体が疲れていたので お好み焼き屋に入ってみた。
瓶ビールと豚玉。
おばあちゃんは お好み焼きを出し終わると テレビの前にすわってリモコンでチャンネルを ぷちぷち変える。
歌番組を探しているようで 何周もぷちぷちしていた。
お好み焼きは 美味しかったが お腹がひどくふくらんだ。
遠くの大切な人たちのことを 思った。
みんな 虹色の蜘蛛の糸で 繋がっているんだとおもった。
おへその下を ふるわせて 虹色がぷるぷると 波になって 広がってゆくの 想像すると ロマンがあるな。
それにしても お腹がいっぱいだ。
お尻から虹色の糸が出そう。
やっと 湯湾岳にご挨拶にいけた。
湯湾岳は奄美での最高峰。 アマミコとシニレクという 男女の神様がおりたった山と 言われている。
移住したからには ご挨拶に行かねばと思いつつ 一年以上経っていた。
昨日ふと 思いついて オトコビトと共に 唐突に 出かけることにした。
遠くに台風の気配があるものの ぴかぴかの澄んだ陽光。
登り口で l兄にばったりであった。
l兄は、 あっちの集落からずっと離れたこっちの集落まで 信じられないくらいの距離を よく歩いている。
以前会ったのは 加計呂麻島だったが、 まさかまたこんなところで 出会うとは!
アマミコに引き合わせてもらったんだよと I兄が笑う。
湯湾岳にお参りした後 マテリアの滝にも 行ってみた。
みんなが行く道ではない 蜘蛛の巣が張った山道を抜けて 滝にたどり着いた。
滝にのびる川に足をつけて 蝶やトンボや 空の映る水面を眺めて しばらくぼんやりした。
わたしは やっぱり 山が好きだと思った。
奄美に来てから 大好きな山が 崩され傷つけられている現場によく出会う。
刻々と山の形が変わり 土砂が海に流れて 海が濁ってゆくのを 風の流れが変わってゆくのを 目の当たりにする。
心の奥で 泣き叫びたくなるほど いたい気持ちになる。
だけど それをやっている人に その思いをぶつけたとしても なにもならないと感じる。
そこには 例えて言えば 地球の空気の中にうっすらと撒かれた なにか判断力を失わせる 薬のようなものがあるように思う。
直接 関わっている人だけが わるいわけではない。
それは なにか人の心の 恐れのようなものを刺激する。 なにも感じないように させてしまう。 自信を失わせたり 卑屈にさせたり それを紛らわせるための 逃避するためだけの 快楽を提供するような。
なにかなにか そんな みえない エネルギーが あるように思う。
それは わたしの心の中にも あると思う。
まず わたしにできることは それに 向き合うこと
そうして 恐れからではない 行動を 選択していくこと。
わたしは それをしたいんだと
水の流れを ぼーっと眺めながら いっぱいいっぱいの 気持ちで 思っていた。
地球は 美しいけど 生きづらい。
弱いわたしは すぐに心折れそうになるけれど
もう少し 内側に近くなって 自分の真ん中のリズムで 歩けるようになれば
いまの人生の課題も 楽しくなってくるのではないかと そんな風に 思った。
実際 ある視点から見れば 自分の人生は 相当たのしいなあとも 思っている。
毎瞬毎瞬が 冒険と創作だ。
とにかく 奄美の山を うろうろして ゆわんゆわんと いろんな気持ちになって なんだかぽっかりともなって 夜には腹がすわって 元気が出てきたのだった。
山に ありがとうって 思った。
山はいいな。 山をもっと 歩きたいな。
もっと 歩くよ。
この数日 月がすごい。
まるいし ピカピカしている。
ただならぬピカピカ具合だ。
眠る前には 月を浴びずにはいられなくなる。
堤防にごろんと横になり カラダの表面全部を 月の光にあてる。
台風の影響で 流れる雲がはやい。
その雲も 月の光にあたって 立体的な おおきな生き物や大陸のよう。
不思議な映画を 大画面で見ているよう。
いくらみていても飽きない。
こういうものが 日常的に上映される 自分の暮らしが 不思議でならない。
外側の刺激を受けて 自分の内側に起こること すべてを そのまんま みられる静けさがほしい。
2016年09月09日(金) |
虹のわがつなげてくれたもの |
先日虹をみた日。
友にしてもらったタロットで もらったメッセージが とてもよかった。
してもらったあと 時間が経つごとに じわじわと効いてくるような そんな不思議な感覚。
この春ごろから 抱えていた 重たいものが ポトリポトリと 落とされている。
何があろうとも 自分のへそで感じることを 大切にしようと あらためて おもいだす。
それがしにくい時 自分がおそれているものが なにか? 探っていく。
毎瞬毎瞬 発見と冒険の旅だ。
ただただ シンプルだ。
半年後に動きだす。 いまは準備の時間。
自分の内側と じっくりむきあって 土台を作っていく時間。
なんだか わくわくしている。
ただただ シンプルだ。
早起きして 集落の浜のごみ拾い。 ピカピカの穏やかなお天気。
昼間の太陽の光は強烈だが 朝晩は随分と涼しくなった。
このところ 仕事やら 集落のことやら いろいろで 不特定多数の あまり知らない方に 会う日々が 続いているからか。
日常から するりと抜けだして 旅に出たくなっている。
自分のペースで 自分の気持ちの赴くままに ふらりふらりと あるきたい。
そんな気持ちを抱えながら きょうも日常が ふくふくとすぎてゆく。
集落作業の後に たっぷりといただいた ばんしろうを煮込んで ジャムを作り
妹から送られてきた 故郷の大きな梨で コンポートを作り
猫氏が 留守の間にしていた ふたつの畳うんこを コロンコロンと 掃除し
変な格好で すこしだけ 昼寝をして 右手がしびれた。
大阪にいた頃は 生の言葉で話して 生の気持ちを感じながら 一緒にいる仲間が 多かったので
島の人の あたりさわりのない つきあい方に すこし慣れないところがある。
慣れなくてもいいかと思うが ときどき淋しなあと 思うこともある。
自分は変えられないので 仕方がない。
すこしずつ すこしずつでも
生の言葉で 生の感覚で 一緒にいる関係を むすびむすび してゆきたいな。
2016年09月01日(木) |
街はきらめくパッション |
カラオケの音だけ流して 何か聞いたことのある曲の歌詞を 数人で 歌いながら思い出している。
わたしが思い出せたのは 『街はきらめくパッション…』 という部分。
他の人たちは 他の歌詞を覚えてて 歌ってる。
オトコビトがそれを聴きながら
『この曲の、 三宅洋平バージョンが いいんだよー』
と言いながら 三宅洋平バージョンの音源を 探し始めたところで 真夜中に目が覚めた。
まだうたを覚えてて 夢うつつで オトコビトを起こして 咄嗟に歌って 聴かせて
何の曲だっけ?
渡辺美里? 永井真理子?
とか言いながら いつの間にか また眠りにつく。
朝起きても まだ覚えていた。
街はきらめくパッション…の部分
何の曲だっけ?
思い出せないながらも 朝ごはん食べたり 仕事したり しているうちに
とうとう 思い出した!
これは、 キャッツアイの主題歌だ!!
オトコビトも そうだそうだと 喜びながら サビの部分をうたう。
現実では思い出さない記憶も しっかりと どこかに記憶されているもので なかなかおもしろいものだなあ。
それにしても キャッツアイの曲の 三宅洋平バージョン
きいてみたいものである。
*
島は台風が近づいているとは 思えない静けさ。
横で猫氏が まるまっている。
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