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たまのひとりごと
たま
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2003年06月02日(月)
植物の芽

去年に買ったハーブの種が残っていて、蒔いても生えるかな〜?と思いつつ、ダメモトで、セージとマーシュとイタリアンパセリの種を古い土を活性化したプランターにばら撒いたのが、今や強い生命力でめきめきと成長している。
最初、双葉ぐらいのときはハッキリ言って「雑草」なのかハーブなのかわからなかったが、本葉が出てくるころにはマーシュを除いてはすぐわかった。
イタリアンパセリはあのギザギザの葉っぱの特徴がすぐに本葉のときにわかるし、セージもちびっこながらもセージの葉っぱの形の本葉が出てきたからだ。
ただし、マーシュだけはわさわさ出て来るのだが、いかにも「雑草」という感じの葉っぱでしたがな。
美味しいらしいけどどうなんだろう?
名前は知っているけどマーシュって食べたことが無い。
週末には大きめのプランターで、本格的にルッコラの種を蒔こうと思っているのだけど、上手くいくかな。
本来は種まき用の「ゴールデンピートバン」という圧縮ピートモスの苗床に種を蒔いて、間引きしてから植え替えるのだけど、案外これが邪魔くさいのと、ちょっとでも植え替え時期を間違うと根を傷めてしまって前に失敗。
それでずぼらなわたしとしては今年は直植えしたわけ。
普段は週末しかちゃんと苗床のチェックなんて出来ないからあっという間にチビ苗のジャングルになってしまってピンセットでの間引きが大変なのだ。
スーパーでルッコラを買うと、たまに育ちすぎのがあって、チョット癖のあるルッコラが固くなってると不味いから育てたいんだけど。

ところで小さな芽ばかり見ていると、他のプランター(宿根草の)の表面を見ているとこぼれ種で小さな芽が出ているのが多い。
それはノースポールだったり、ペチュニアだったり色々なのだけど、雑草かな?いや何かの花かな?と思って観察していると面白い。

それにしても肝心の玄関前のプランターの花がよれよれで困った。(泣




2003年06月01日(日)
仏壇は重い

重量のことじゃないです。
仏壇が重いのは当たり前でっす。
冗談はさておき。
最近仏壇が結構ストレスです。
何がストレスかっていうと話は長くなる。

まずうちの家系から説明せねばならぬ。
亡き母は3人兄弟の長女。
そして次に生まれたのが亡き叔父の長男。
そして次女として生まれた3人目が結婚後東京に住んでいる叔母。
母はヨメに行かずに養子をもらって兄と私が誕生。
そして両親は離婚。(その頃ではまだ離婚というのは事件だった)
その後兄は幼少の頃死亡。(それもちょっとした事件だった)
なんでヨメに行かなかったかというと祖父の溺愛の娘だったからである。
子供のころから祖父が母を溺愛しているのはよくわかっていた。
また母も父親が世界中で一番だと崇めていた。
(まあ、それはよい)
その後母は両親と一緒に住み、わたしも勿論祖父母の家に同居。
というか、物心ついた頃からそういう家族構成だったので、他の子供もそうだと思っていたぐらいだ。
(まあ、それはよい)
年月が過ぎ、祖父が92歳で亡くなり、祖母もその数年後88だか89で亡くなった。
つまり母と二人になったわけである。
母はずっと両親と同居しているので、両親の世話から家事から仏壇のこと、つまり法事も全部やっていたわけである。
世間一般ならそういう仏壇事は長男の家族がするわけであるが、うちの場合はたまたま母が嫁に行っていないのと、ずっと親と一緒にいたので仏壇のことも引き続きやっていたわけだ。

叔父が阪神大震災のあと亡くなったときに、伯母が「位牌と仏壇を下さい」ということで、仏壇と叔父の位牌だけが伯母の家に引っ越した。
母は新しい仏壇を購入し、自分の両親や先祖や息子の位牌をその新しい仏壇に移した。
そのへんが不自然かもしれないが、まあ家を出ていない母としては跡継ぎの権限を持っているという意識があったのであろう。
(実際父と離婚していなければ家督を継いでいただろうから)

そして、母が亡くなった。
さて仏壇は宙に浮いた存在。
一周忌の前に伯母が仏壇のことをチラッと話していた。
確かにわたしは仕事をしているし、法事はともかく、月参りや命日(各先祖のである)の法要は出来ない。
たまたま母の法事は新仏なのでうちでやっているけれど、これも3回忌を過ぎると、あとはお盆のタンビに伯母がウチに来るのも不自然ではある。
(実際わたしも準備が大変なのだ。)

今月の末には祖父の十七回忌である。
それは伯母の家のほうで執り行う。
正直いってやれやれである。
お坊さんと親戚数人が来るというだけでも、土曜日に法要があるとなると前日の仕事帰りにお供えの御花や和菓子も用意せねばならず、帰ってから仏間の掃除、仏壇の吹き掃除、座布団を並べたり、仏間だけじゃなく家中の掃除になるので夜中の2時ぐらいまで掛ることもあった。
家にいたらそうでもないことでも翌朝のために仕事から帰ってから夜準備をするというのは結構大変だった。

そういうことで仏壇は重荷ではある。
だけど無くなると寂しい。
年寄りと住んでいたせいで、幼少のころから仏壇に慣れ親しんで来たからかもしれない。
しかし、それもちゃんとお世話が出来ないのなら来年の母の三回忌を境に伯母に委ねるのが一番なのだろうな。

ちょっと暗いけど。。。。