八月、終わる

 明日は父の命日、なので今夜は祭祀でした。
 17年目。もう面影が遠い。
 父の亡くなるときに立ち会えなかった。
 深夜、預けられていた母方の祖母の家で亡くなったことを聞かされた。
 妹とタクシーで実家に戻り、両親が帰るのを待っていた。
 「覚悟」というか、近いうちにこうなることは予想していた。
 その数年前「もう長くないから」と母に言われていたし、洗面器いっぱいに吐血していた姿もよく見ていたから。
 父を喪うことより、父を襲う苦痛が恐ろしかった。
 一ヶ月前の誕生日、母が代筆した手紙をもらった。内容より、もう自分で筆を持つこともできないという現実が「覚悟」を一層強いものにさせた。
 通夜でも火葬場でも葬式でも、涙を流さなかった。
 なぜだか泣いてはいけないのだと思っていた。まあ、なんとなく。
 深夜飲み騒ぐ弔問客の声を聞きながら、喪主席の隣でずっと正座をしていた。
 今日みたいに暑い日だった。


 今夜母は出かけていて、妹は嫁に。
 家にはおいらひとり。
 そのせいか、あの夜を思い出してしまう。
 日付が変わる前に誰もいない仏間でひとり、煙草に火をつけた。
 二本。
 一本は火立に、一本は自分に。
 もう煙草は喫まない。これが最後の一本。
 特に深い意味があって決めた期日ではない。まあ、なんとなく。
 遺影の父は入院する数年前。確か妹の入学式の記念写真。
 怒っているような、笑っているような表情。少し恐くなる。
 後ろめたいことがあったかな。
 とりあえず煙草に関しては怒られそうだ。
 父がいたら、一緒にお酒を飲めたかも知れない。
 それとも「女は飲むな」と言っただろうか。
 数年前の南北首脳会談を父が生きていたら、どんな心地で見ただろうか。
 栓のないことを考えてみる。
 長生きしよう、おいらは。
 いろいろ見て、いろいろ考えよう。


 八月が終わりました。



【八月鑑賞映画】
・『アイランド』(マイケル・ベイ/2005米)
・『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ/2003米)

 煙草をやめてみたものの、いつか『コーヒー&シガレッツ』のイギー・ポップとトム・ウェイツみたいなことを言いそうだ。
 そうならないよう心がけます。


【八月乱読覚書】
・「ブルース」(花村萬月/角川書店)
・「聖殺人者イグナシオ」(花村萬月/廣済堂)
・「ざ・ちぇんじ!」前後編(氷室冴子/集英社)
・「ジュリエットの悲鳴」(有栖川有栖/実業之日本社)
・「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(D.J.サリンジャー/白水社)

 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は村上春樹訳。するすると。
 高校時代に読んだ野崎孝訳はどうだったかな。
 サリンジャーは吉田秋生の「BANANA FISH」の影響で読んだんだと思う。
2005年08月31日(水)

夜と夢と映画と

 女子高生に囲まれて「うわーコイツ、白黒なんですけどー!超ださー!」とか云われて小突かれて、泣きながら自分の姿を見てみると、確かに自分のところだけモノトーンなんですよ。この間観たジャームッシュの映画の影響かなあ、単純だなあ。
 という夢をみてにやにや笑いながら眼が覚めた。
 他人の夢の話ほど退屈なものはないですね、やめます、ハイ。
 女子高生の群れはコワイけど、現実で囲まれて小突かれたら怒るな、おばちゃん。
 お説教しちゃうよ。
 なんだよ、そのスカートの下のジャージはよ、ってな。
 こっちの女子高生だけですかネ、あんな奇天烈な恰好しているのは。


 この頃夢見が悪くて朝がしんどいです。
 浅い眠りのなか見る夢はゴチャゴチャしていて、もう正確な現実がよくわからない。元職場の夢をみたときは、昼過ぎまでひきずる。
 昼間が暇すぎるんだな…。よし、もう少しなんとかしよう。
 陽が落ちたら落ち着く。
 こっちが現実だ、と自信を持って云える。
 夜だけは本物だ。
 夜はスペシャルだ。ワタシの時間が始まった。イエーイ。
 でも映画DVD以外はすぐ飽きる。
 飽きっぽい。
 働いていた頃は忙しいなかでも新作ゲームを追っていた。大してゲームが好きなわけじゃなかった。単に熱中する数時間が欲しかっただけ。仕事から抜け出せる時間。仕事にカテゴライズされない時間。でもあまりうまくいかなかったな。
 いまなら少し楽しめるかも知れないとやってみるけれど、今度はうまく進まなくて放り投げる。
 飽きっぽい…。


 でも映画はスペシャル。
 埋没して融合する二時間前後の世界。
 しかもそれで完成している。
 手の届かない世界。
 常に傍観者で、でもその世界に融けて漂っている。
 そこの空気に酔う。酔わせるのは映画、酔うのはワタシ。
 シークエンスの隙間に挟まって、ずっと融けて漂っていたい。
 もったいない世界。
 もったいなくて、冷蔵庫の奥にしまった大吟醸みたいな世界。
 いいコンディションのときに、と心に決めてみるけれど、たぶんいつ飲んでも、口に含めばすぐにその味に夢中になるんだ。
 映画はスペシャル。お酒もスペシャル。

 高清水の大吟醸、スペシャルサンクス。
 いいコンディションのときに。


 夜はスペシャル。
 眠らなきゃいけないのがたまにきず。
2005年08月22日(月)

混乱しっぱなし

 「ファザコンでマザコンでシスコンで犬コン。だから他人が苦手なんだ」
 と評されたことがあった。
 もう携帯から番号を削除したひと。
 そうかもね。
 でも父親も母親も妹も犬も、どれもみんな比較対象だ。
 劣等感が発動する。
 つまり、この世界には、やっぱり「自分」か「その他」しかなくて、父親も母親も妹も犬も、「その他」なんじゃないかって、そう思っていたけど。
 苦手といえば、父親も母親も妹も犬も苦手だ。
 劣等感を刺激されるから。
 ただそれでもなんとなく、「家族だから」と許されるような気がしていて、甘えている。「友達」もそう。言わないことも多いけれど、それはそれでいいんだろうけれど、「家族だから」「友達だから」って許されるのって甘えるのって、なんかイヤ。でも楽。でもなんかイヤ。
 「家族だから」「家族じゃない」「家族でしょ」
 母親がよく使う。
 だからなんだ。
 昔はよくそう言い返した。
 自分で歩けよ、甘えるなよ、自立しなよ。
 自分に言い聞かせていたことばを、彼女にぶつけた。
 自分がそうありたいと思うことばを、吐きつけた。
 そのかわり、自分で歩くよ、甘えないよ、自立するよ、寄りかからないから寄りかからないで、ってことだ。
 育ててもらった恩返しをしなきゃいけないのかって。
 ばかなガキだ。
 価値観を押し付けていたのはこっちだ。「恩返し」の責任を持ちたくなかっただけ。
 自己嫌悪してやめた。
 やめたけど、わかったわけじゃない。
 「家族だから」…「家族」ってなんだ。
 自分のかたちすらもよくわからないのに、「家族」ってなんだよ。
 自分も家族もわからないのに、それ以外のひとのことがわかるわけないんだ。
 ばかで鈍感で無神経なまま、暗闇のなかを手探りだ、いつも。



 妹が帰省。
 妹はやっぱり劣等感を刺激する。
 それでも「家族だから」じゃない空気が流れているような気がする。彼女は自分で歩いて、甘えながら甘えてなくて、自分で選んだ、自分のために。
 以前とは違う。妹であることに変わりはないけれど。
 「家族だから」じゃない。
 がんばろうと思った。
 自分で歩いて、甘えないで、自分で選んで、自分のために。
 まあ、まだその「自分」がよくわからないンですが。
 正解はないのかも知れないけど、突っ走るには自信か勇気が必要。
 切り捨てられる覚悟も多少。
 つまりそんな自信も勇気も覚悟もないってことだ。
 嫌われるの恐いし、怒られるの恐いし。
 向く方向が違っても、歩幅が違っても、自分の足だけで立って歩いて、自分の姿を見て、景色を見て、ときどき視線を合わせて、ときどき寄り添いたい、だけなのに。うまくいかないな。
 成長しないな。
 てゆーか暇だな。


 混乱したいちにち。
 や、いつもしてるか、混乱しっぱなしか、アハハ。
2005年08月21日(日)

蝉時雨、扇風機、腕枕

 お盆を過ぎれば急に涼しくなる。
 だから寝苦しいということはないはずなのだけれど。
 このところなかなか眠れない。
 睡眠薬を服用すると、しばらくして口が苦くなる。
 効き始めの兆候。それを合図にお布団にもぐり、電気を消し、眼を閉じる。或いはベッドサイドのライトだけ点けて本を読んで睡魔を待つ。

 ワタシの宵っ張りは物心つく前からのこと。
 母上から聞かされた。夜鳴きもしない代わり、眠らない子だったと。
 保育所でお昼寝できなかった罰として、みんながおやつの時間にひとりお布団で取り残された古い記憶がある。アレ、イジメだと思う…。お昼寝できなかったからってなんだっつーんだ。
 夜は夜で眠らない子だった。
 父と母の会話を聞いていた。
 かーちゃんはとーちゃんを「タンシン」(あなた)と呼んでいた。
 おいらたちの前では「アボジ」(お父さん)と呼ぶのに。おいらたちも「アボジ」と呼ぶのに。
 時々尋ねてくるとーちゃんの生徒や同僚たちは「ソンセンニン」(先生)と呼んでいた。
 とーちゃんにはたくさん名前がある。それが不思議だった。
 長屋みたいなおうちの、子供用二段ベッドの上。
 昼の間隠しておいた絵本が数冊、頬に触れる。
 暗闇のなか、こっそり開く。見えないけど、字も読めないけれど、全部覚えている。
 見つかったら怒られるから、本を閉じて頭のなかで諳んじる。
 それが一番古い記憶。
 3歳か4歳、だったと思う。

 睡眠薬を処方されて半年。耐性ができてきたのか、徐々に強くなってきた。
 いま飲んでいる薬も結構強い、らしい。ほんとうは二週間を越える処方は禁止されている薬らしいけれど、医者にムリを言って四週間分出してもらっている。副作用も強いらしく、急に服用をやめると眩暈と吐き気と不安が強くなる。とても恐い。
 五時になると空が明るい。この頃は明るくなるのがだんだん遅くなってきた。
 眠くない。瞼も重くない。
 口の中は苦いけれど、やっぱり眠れず、次の本を探すかPCの電源を入れる。
 明るい。すぐに飽きてお布団を頭からかぶる。
 そこまでして眠らないといけないのか。
 一日のうち数時間も眠っているなんて少しモッタイナイような気がする。
 睡眠が足りないと思考は定まらないし、集中力に欠けるけれど、そこは頑張ってカバーするとして。
 もう少し起きていたい。
 でも眠りたい。ぐっすり。なにも考えないで。


 蝉時雨、扇風機、腕枕。
 あのうとうとを思い出す。きもちよかったな。
 ああいう風に眠りたい。


 お布団から顔を出して頁を繰る。活字の世界に滑り込む。
 その延長のような浅い夢をみて、ハッとして眼が覚める。おなかの上の夢にでてきた世界を閉じる。腕時計を見ると3時間経っていた。
 眼鏡、かけっぱなしだった。フレームが少し歪んでいる。
 重力で縫いとめられているような身体をむりやりに起こす。
 強い、眩暈。
 それが去るのを待って、犬の散歩に出かける。
 平日の朝、駅に向かうきちんとした身なりのサラリーマンや学生たちの群れを逆流して、スッピンTシャツスウェット姿のおいらが犬を連れて歩く。
 半年前までワタシもあの群れのひとりだった。眠れないのが恐かったはずだった。
 少しの優越感と、それを上回る焦燥感。
 なにひとつ成長していないような気がする。
 おやつ抜きでひとり広い部屋に取り残された頃から、なにひとつ。
2005年08月19日(金)

珈琲と煙草

 上映一時間前。思ったより早く着いてしまった。
 映画館の前で新しい煙草の箱の封を切った。
 劇場前に設置された灰皿の前で、紙コップコーヒーと煙草と本。
 時が経つのが早い。
 奇しくも映画はジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』(2003米)。
 ひたすらコーヒーを飲み、煙草を喫む。11本のショートストーリー。
 ときには話題として、ときには気まずい間を埋めるアイテムとして。
 イギー・ポップとトム・ウェイツの会話が面白かった。
 「禁煙したんだ。だから心置きなく吸える」
 そう言い合って、二人は煙草に火をつけた。
 コーヒー&シガレッツ、最高の組み合わせ。異議なし。


 帰り道、車のなかで煙草に火をつけた。
 深く吸い込み、窓の外に吐き出す。母親が煙草の匂いを嫌うから。
 ワタシが煙草を喫むことを彼女は知っているけれど、彼女の前で吸うことには抵抗がある。仕方ない、そういう育ちだ。
 内科と皮膚科で同時期に「喉に異変は?」と聞かれたことを思い出した。
 内科はわかるけれど、なぜ皮膚科でも?
 喫煙者であることは言っていなかったのに。
 よくわからないけれど、因果関係があるのかも知れない。
 確かに時々鋭く痛むことがある。
 たくさん吸う方じゃないけれど、身体に悪いんだろうな。
 身体に悪いことはそろそろ辞めようと思っていたところだった。
 父親の命日に辞めようと決めていた。
 名残を惜しもうと思ってなんとなく決めた期日だ。
 簡単に辞められそうな気がしている。ただ辞めたくなかっただけで。
 スクリーンに出るひとたちがあまりにも旨そうにコーヒーを飲み、煙草を喫むので、やはり辞めたくなくなった。
 また深く吸い込み窓の外に吐き出す。缶コーヒーを流し込む。
 コーヒー&シガレッツ、最高の組み合わせだ。やはり異議はない。
 会話か本か音楽があれば言うことなし。なくても充分満ち足りる。
 うーん。
 父親の命日に辞めたとしてもトム・ウェイツみたいなことを言い出しそうだ。
2005年08月17日(水)

仙台バイパスは空いているか

 元職場ではよく、深夜にひとりトイレの個室にこもって壁を殴っていた。
 それとは違う気分で、なんだか悔しくて、壁を叩きたい気分だ。
 そう、このモヤモヤに名前をつけるなら、「悔しい」が相応しい。
 そっか、悔しいのか、ワタシは。
 自己嫌悪からくる悔しさはお馴染みだけれど、今回は理不尽な仕打ちへの悔しさ。
 こんな感情がまだ残っている。少し驚いた。
 ワタシより怒ってくれて、慰めてくれて、それでなんとなく気が晴れた気になるから、また愚痴ってしまった。
 でもほんとうは、自分で処理しないといけないことなんだろうな。
 いつも甘えてしまう。ゴメン。ありがとう。
 怒ってくれて、慰めてくれて、少し楽になったよ。
 あとは自分で処理しよう。
 手は治療中だから、違う処理方法で行こう。
 車をぶっとばしてGを感じたい。
 気を失ってしまうくらい。
 生きてるって感じたい。
 Blankeyの歌みたいに。


 仙台バイパスは空いているだろうか。
2005年08月11日(木)

初出勤

 初出勤。
 久々に働きました。
 前の職場と同じ業種だから少し甘く見ていた部分もあったけれど、する仕事も社風も全然違う。顧客をとても大事にする厳しい職場で、性に合っているかも知れないな、などと思いつつ、とにかくいまは覚えることがたくさんあって緊張する。
 早く仕事を覚えて使える存在になりたい。



 私の世界にはいつも自分ひとりしかいなくて、私はずっと自分のそんな利己的なものの見方が大嫌いだった。
 鈍感で利己的で、はずれているんじゃないかって恐怖して、それを自認するがユエに八方美人に振舞って。
 それも自分ひとりのための八方美人ダ。
 嫌われるのがイヤだからじゃなくて、他人を傷つけるのがイヤだからじゃなくて、もしはずれているのなら、そういう自分をも認めて欲しいという欲求からくる八方美人。
 顧客をとても大事にする今回の職場がとても好ましく思えるのは、そうでなかった元職場での自分の居心地が悪かったからだ。
 顧客を思って辞めたんじゃない。
 自分の居心地が悪かったからだ。
 自分のためだ。
 ずっと改めたいと思ってきて、これまでのうのうと28年も生きてけれど、相変わらず私は鈍感で利己的なこどもで、すごくイヤになる。28年もこのままだったんだ、死ぬまでこのままなのかなって諦めそうになる。
 物心ついたときに自覚した短所をいまだ改められずにいるんだもん。
 違う価値観を突きつけられると、感心したり慌てふためいたりする。
 短所を指摘されるのは、息苦しいししんどいし怖いけれど反面どこか心地よくもある。
 自分が正しいなんて思ったことがない。
 いつだって宙ぶらりんで、迷って、卑屈になって。
 自分がイヤなら、自分を変えないと。
 自分だけは一生付き合っていくんだもの。
 自分だけは死ぬまで、或いは死んでも、とにかくずっと付き合っていかなきゃいけないただひとりの存在だから。
 ああ、やっぱり私の世界には私しかいないのかも知れない。
 でもまずは自分の足で、自分ひとりの力で立ちたいと思う。
 自分ひとりの世界はイヤだけれど、自分の足で立ちたい。
 あのわけのわからん略語、アレをまず覚えないと…。
 がんばる。
 他の誰のためでもない、自分のために。
 なんとか自分を改善させたい。せめて自分が納得できる方向へ。
 利己的な自分が嫌いだけれど、それでもちゃんと立たないと。
 自分ひとりの力で立って歩いて、初めて他人の隣を歩けるような気がするんだ。
2005年08月10日(水)

だってきみは

 なんだかあまり巧く伝えられなかった。
 自分でも混乱して整理できてない所為だと思う。
 私は、もう少し、なんらかのかたちで、きみの力になれたらって思ったんだ。私自身のエゴだと自覚しているけれど。
 所詮、愚痴って他人が処理できるのは一割かそこらで。
 あとの九割から八割くらいは自分で解決するんだ。
 背中を押すのはきみだ。頑張るのはきみだ。
 後始末をするのも。自己嫌悪するのも。
 でもあとの一割、数パーセントでもいいや。
 きみが弛緩できる要素になれたら、って思ったんだ。
 少しでも、きみが少し弛緩できるような、そういう存在でありたいと思ったんだよね。
 私自身のエゴだって自覚しているけどサ。
 そう思ったなら、くちに出したのは失敗だったかも。
 整理のつかない単語の羅列で、逆に余計な心配をかけてしまったかも知れない。
 未熟者でゴメン。分不相応だ。けど。



 携帯電話に法螺貝のキーホルダー。
 ネックストラップにつけた携帯電話、身動ぎすると鈴がチリチリと鳴る。
 そのたびに思い出すんだ。
 耳障りのいいことばだけじゃだめだってわかってるけど。
 きみが弛緩できる要素になりたい。
 いつでもいる。ここにいる。うろちょろしてるよ。
 あまり余計なお世話はしないで、ここにいるだけでいいかな。
 ヘタレで微力な私でも、数パーセントが欠乏したらおいで。
 だってきみは、私の数パーセントを補ってくれるそういう存在なんだ。 
2005年08月08日(月)

28

 自分に自信がない。
 いつもだ…昔からだ。
 だから好意を向けられると困惑してしまう。嬉しいけどね。
 他人は嫌いじゃないし男女構わず触れてみたいけれど、いざ好意、或いは性的な視線を向けられると怖くなる。
 分不相応な気がして、申し訳なくなる。
 自分は他人の好意や性的な視線や衝動に値する人間だろうか。
 怖いより不思議。よりによってなんで?
 劣等感がある。
 ん?誰に…?比較対照は誰だろう?世を闊歩する「歳相応」なかわいこちゃんたちかな?

 昨日28歳になった。
 少し前まで、「自分は『歳相応』だろうか」、なんて考えていた。
 いまはどうでもいい。
 絶対評価も相対評価もいらない。どうでもいいや。
 ひとつわかったのは、歳をひとつ重ねてみたものの、相変わらず未熟でばかなこどもだということだ。とりあえず自分のものさしでね。
 これは年齢云々じゃなくて、一生治らない持って生まれた性質なのかも知れない。それともビビってばかりいるから経験値が足りないのかな。そうかな。
 先日、ここ数年の日記を読み返した。反吐が出そうだった。いっそのこと後腐れなく消そうかとも思った。踏みとどまったのは、3年前一度消してから後悔したからだ。当時考えていたことなんて、もうよくわからない。健忘気味だしな〜。
 状況はいつも変わる。実際半年前少々変わったし。主観ではよくわからないけど、あまり成長している気がしない。
 それでも見据えなきゃだめだ。これは成長の記録だ。焦らず緩やかでも成長したい。そう思って、たまには読み返そう。
 私は相変わらずばかなこどもで、自分の感情さえ捕まえられなくて。
 つかみかけたとたん、それがホンモノか、なんて疑って踏み留まる。
 怖くなって、逃げ腰になる。確信が持てるまで、なんて保留してみて。
 確信?確信なんてあるのかな?
 とりあえず、ギュワーってやつ、あれが生まれるか自分の細胞を探ってみるけれど。いろいろがんばってみるけれど。
 まあ、今年一年、精々日々精進するとしますか。
 走り出す細胞が見つかったら…、いや、見つけたいなあ。
 他人の力じゃなく、自分の力で自分のなかから。



 メールやプレゼント、ありがとうございました。
 こういうのはいくつになっても嬉しいものです。
2005年08月04日(木)

だってなんだか充分なんだもん

 暑いですね。
 全身筋肉痛と戦いつつ、朝晩近所の雷神山古墳をわんこと散歩。
 体力強化を目指して続けたい。
 タレパイを防ぐには胸筋と背筋を鍛えなきゃいけないらしいですが、背筋はともかく胸筋はなじょしたらいんだすぺな。ツイストシットアップですかネ。まあ、がんばろ。




 あまり誰にも何も言わない、のは悪いことなのか、いいことなのか。
 悪いとしたら誰にとってなのか、いいとしたら誰にとってなのか。
 ただあまり希望がないからなんだけどな。
 あまり求めなくて物足りないと云われたことがあったなー。
 だってなんだか充分なんだもん。
 ものやことばなんていらない。そりゃもらったら嬉しいけど。
 いらないんじゃなくて、充足してるんだよねー。
 恵まれてるのかな。そりゃもらったら嬉しいけど。
 飛び跳ねるくらい、舞い上がっちゃうくらい嬉しいけど。
 いるだけで、あるだけで、充分嬉しいんだもん。
 これ以上のことは分不相応な気がするんだもん。
 怖くなるんだもん。
 なんかこう、ぐわーっと、ぎゅわーっと、執着やら執念やら欲望やら、そういうの、いつか芽生えることがあるのかな。
 いまのところ芽生えないんだけど、やっぱりもらったら嬉しいから、なにかして喜んでもらいたい。できることはしたい。
 やー、その前に、自分がまずちゃんとしなきゃ。
 がんばろ。
2005年08月02日(火)

このままじゃ女が廃る

 とにかくいまは全身が痛い。
 二階の自室まで辛うじて上がったけれど、降りれない有様。
 膝がガクガクする。身に覚えのありすぎるあざと擦り傷だらけ。額にタンコブ。
 土日に山に登ってきました。
 小中学生の頃、学校では毎年少年団キャンプで太白山に登っていたし、まだ母上も経済的にも時間的にも余裕があったので、休みのたびに富士山やら尾瀬やら出羽三山やら栗駒山やら奥入瀬などに色々連れていかれた。おいらは景色やら風情やらとやらにまるで興味がなくて、小休憩の度に本を読んだりしていた。妹と交代で母上を引っ張って歩いた。余裕があったんだよねー。子供ならではかな。
 しかし十数年の運動不足と引きこもりはダテではなく、こんな有様です。
 身体の痛み以上に、悔しくて申し訳なくて、なんだか痛い。
 そーだ。RPGの主人公だってダンジョンの前にレベルも装備も整えるじゃないか。ばかばか。うわーん。
 ことばにすると、なんだか軽くてうつろだ。やめよ。
 宿坊から御札が届いた。「除災招福、諸願成就」とある。
 体力と装備と整えよう。
 レベルはザコキャラを倒しつつ、こつこつ経験値を稼ぎながら上げるのダ。
 そんなわけで、お犬様には少し付き合ってもらうヨ。毎朝毎晩。
 このままじゃ女が廃る。胸も垂れる。
 来年リベンジ。


 帰宅したら、手のひらと足の裏の荒れがかなりよくなっていた。
 霊山の効果か、久々に汗をかいて新陳代謝がよくなったのか、日に当たったのがよかったのか。
 さて、涼しくなったことだし、夕方のノルマ、行って来まーす。
 帰ったらスーパー銭湯へ。全身筋肉痛をなんとかしなくては。


 
【七月の乱読覚書】
・「グレート・ギャツビー」(フランツ・スコット・フィッツジェラルド/新潮文庫)
・「パンク侍、斬られて候」(町田康/マガジンハウス)


 いずれも再読。
 あとは原田宗典や芥川龍之介やら短編をぼちぼちと。
 あまり読んでないなあ…。暇なんだけどなあ…。
 ダメ人間になる一方だなあ…。がんばろ。
2005年08月01日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
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