四月、終わる

【四月鑑賞映画】

・『ひとまず走れ!』(チェ・ウィソク監督/2001年韓)
・『真夜中の弥次さん喜多さん』(宮藤官九郎/2005日)
・『アビエイター』(マーティン・スコセッシ/2004米)
・『英語完全征服』(キム・ソンス/2003韓)
・『Shall we Dance?』(ピーター・チェルソム/2004米)
・『バッド・エデュケーション』(ペドロ・アルモドバル/2004西)×2
・『甘い人生』(キム・ジウン/2005韓)

 ご存知のとおり、『バッド・エデュケーション』は暫し憑きました。
 今日はチネ・ラヴィータにてもう一度観て参りました。
 嗚呼、悔しいな。私はこの映画を二度と「初めて」観ることは叶わないのだ。この映画を「一度も観ていない私」には二度と戻ることができないのだ。そして今日二度目を観たから、「一度観た私」にも戻れない。もう一度観たら、「二度観た私」にも戻れないのだと思うのだろう。或る一本の映画を観るということの妙を考えてしまう。
 改めて観るとガエル・ガルシア・ベルナルもいいけれど、フェレ・マルティネスがいい。
 二度観て少し憑き物は少しはがれました。消化されたのか昇華されたのか。
 否、恐らくミルフィーユの一層になったのでしょう。
 だといい。



【四月乱読覚書】

・「顔に降りかかる雨」桐野夏生/講談社文庫
・「一億三千万人のための小説教室」高橋源一郎/岩波新書
・「在日 ふたつの『祖国』への思い」姜尚中/講談社+α新書
・「バッド・エデュケーション」ペドロ・アルモドバル/ソニーマガジンズ
・「限りなく透明に近いブルー」村上龍/講談社文庫


 あと数冊あるような気がするけれど、もう面倒くさくなってきた…。
 活字を読むペースも徐々に戻ってきた、と思う。
 けれど、有り余る暇とは比例していないような気がする。
 しかし教習所に通いはじめるまで、だな。映画も活字も。
 四月が終わりました。
2005年04月30日(土)

憑かれる

 チネ・ラヴィータにて『甘い人生』(キム・ジウン/2005韓)を母上と。
 もう一度『バッド・エデュケーション』観ようと思ったのにな。「韓流ブーム」に見事に溺れている母上の選択。
 「ビョン様」はすてきでした。以上。

 うそ。
 雰囲気づくりもよくできていたし、アクションも見ごたえがあって楽しめました。
 欲を云えば主人公の人生を狂わすヒロインに華というか、オーラがないのが残念かな。ないならないなりの何かが必要かと。
 プロローグとエピローグがよかったな。


 エピローグといえば『バッド・エデュケーション』のエピローグも忘れがたい。
 最後に大きくクローズアップされる文字。様々な意味を持つその単語がすごく印象的だった。
 やっぱりもう一度観たいなあ。
 嗚呼、少し取り憑かれている…。
 時々斯様にスルリと忍び込んできては暫し居座る映画があるのです。タイミングの所為なのか映画の(製作者の)為せる業なのか、或いはその両方か。憑かれている方はまるで判断できないのですが。困った困った。いつまで居座る気なのでせうか。
 ともかく「ビョン様」目当ての母上に付き合うタイミングではなかったようです、いまは。否、悪い映画では決してないのですが。

 文庫版「バッド・エデュケーション」(ソニーマガジンズ)を読みましたが、脚本を元にしたというコレは確かに映画そのままではあるのですが、うーむ、どこまでアルモドバルの意図が組み込まれているものやら。訳者の解釈に因るところも大きいような気がします。
 そんなわけで少し疲れました。憑かれていると疲れます。
2005年04月29日(金)

映画はいつもそうだ

 火曜はレディースデー。というわけで映画館へ。
 チネ・ラヴィータにて『バッド・エデュケーション』(ペドロ・アルモドバル/2004西)を。
 いやはや、これはまたえらいもんを観てしまった。
 勢いでフォーラム会員になってしまったくらいに。
 たぶんもう一度くらい観に行く勢いなくらいに。
 帰りに小説版(ノベライズ?)を買ってしまったくらいに。
 ガエル・ガルシア・ベルナルもフェレ・マルティネスもセクシーでイイオトコじゃのう…。うひー。
 「半自伝的」ってどこまでなんだろうなあ…。

 例えるならですネ、湯船に入るじゃないデスカ。
 「熱ッ!」と思いきや、入ってしまうと底がすごく冷たかったりするじゃないデスカ。撹拌したりせずにそれを楽しんだりするじゃないデスカ(しません?してみてくださいヨ)。
 そんな感じ。
 ああ、ネタバレになってしまうのであまり多くを語れない。とほほ。


 食欲はないけれど、がんばって食べている。
 眠りたくないけれど、薬を飲んで眠っている。
 でも映画は違う。観たいと欲し、選択して観ている。
 私自身から生まれ出る希望と意思と衝動を以ってダイヴする。
 映画はいつもそうだ。
2005年04月26日(火)

少し、焦る。

 本日は弱ヒキコモラーである身にはハードな一日でした。
 朝にはハローワーク仙台に行って雇用保険の認定日。
 就職活動歴をでっちあげるのもひと苦労。一応認定されました。雇用保険が入らないことにはのんべんだらりもできませぬ。
 午後はドトールで本を読みながら時間をつぶしてから教習所→免許センター。免許を取る資格があるか否かの面談。予想どおり、やはり診断書が必要になりました。可能な限りオサレして明るく振舞った所為か、「多分大丈夫だと思うけどね」と云われました。
 その足でクリニックへ。診断書を書いてもらって郵送。痛い出費です。
 「大丈夫」だといいンですけどね。
 それにしても疲れた…。
 これだけで疲労困憊になるのだから、社会復帰はやはり少し遠いかも知れません。教習所に通いはじめたら少し変わるかな。変われるといいのだけれども。
 いつまでものんべんだらりもしていられません。


 私の時間は退職日に電池を抜いた目覚まし時計の如く横たわって止まったまま。
 それでも確実に、着実に時間は過ぎ、季節は巡る。
 免許センターの葉桜を見て、少し焦りを自覚してみたりして。
 四月も今週で終わりですね。
 いつまでものんべんだらりとしていられません。
2005年04月25日(月)

歳かのう…。

 私はWEB上は日記もメッセも(一部を除いて)「ですます」調でダラダラと書きなぐったりしております。しかし実際お会いした一部の方はご存知かも知れませんが、実はちと口汚かったりします。何しろ仙台弁と在日朝鮮語がちゃんぽんです。そして命令形が多いです。図体と比例して態度がでかいです。目上のひとの前でも平気で酒を飲むし煙草も喫みます(但し、日本人に限るし、日本人でもずっと年上のひとの前では抵抗がある)。
 自らのジェンダーを疑ったことはありませんが、女性性を持つことにずっとコンプレックスがあったので、このようになったのだと勝手に推察しております。父親の不在、世帯主であることも原因の一端を担っているかも知れません。妙なところで「フェミニスト」なのです。


 ま、それはいいのです。
 今日だって我慢したのです。
 昼間のペデストリアンデッキで妙な外人に(おいらだって「外人」なのだが)「五万でどうだ?」と誘われて、本当は放送禁止用語で罵倒しようと思ったのをぐっと堪えてテケトーにかわしました。外人男はしつこく付きまとい「30分1万でどうだ?」(どういう内容だ?)とか抜かしやがりました。いわゆる「マジギレ寸前」状態に陥りましたが、昨晩よく眠れなかった上に久々に来た週末の仙台駅で疲れていたので罵倒する元気もなく、テケトーにやりすごしました。
 なぜか斯様な輩につかまりやすいのです。
 怒る元気もない頃を見計らって奴らはやってくるのでしょうか。
 女の身体を持つってことは、ナカナカ疲れることなのですヨ。男性諸氏もそれなりに大変だろうけどねえ。
 ちなみに本日私は古着のジーンズに差し支えのない程度に多少胸元が開いたキャミソールとカシュクールを着ておりましたが、定評のある目付きの悪さはサングラスで緩和されていたのかも知れません。いつもならガントバシで一掃のはずなのですが、ワシの眼力も落ちたものじゃのう…。歳かのう…。
 ちなみに私は女子からバレンタインデーにチョコレートをもらってキスを迫られたことがあります(額にしときました)。ついでに暴露すれば、昔の男にベッドで「殴って」と云われたこともあります(とりあえずパーで臀部を叩いておきました)。
 そんなわけで疲労困憊を自覚する帰宅直後。歳かのう…。
 眠れたら寝ます。おやすみなさい。
2005年04月23日(土)

オモテ

 ま、イロイロありまして、スーパー短期15日でAT限定運転免許を取れる予定が、昨年秋に診断された「鬱病」でひっかかり、日程変更を余儀なくされたわけです。普通は正直に申告しないらしいけれど、性分なので仕方がないです、ハイ。「ま、いっか」です、ハイ。
 今後の予定としては25日午前中にハローワーク、雇用保険認定日。
 午後に教習所→免許センターで「鬱病」の面談。
 面談次第で教習所に通えるか否かが決まります。…がんばろう。
 五月上旬に上京。シティボーイズライブと飲み会が2件(内1件は師匠)。
 福岡と名古屋とソウルで悩んでいたけれど、我慢してお金を貯める方向で。
 何しろ人生いまだかつてないほどの暇に直面しています。
 毎日眠っているか、映画館に行くか、インターネットでCDかDVDか本を注文してニヘラニヘラしているばかりなので、あまり書くことがありません。
 映画館に行くペースは十代後半〜二十代前半に戻ってきました。
 多分いい傾向なのだろうと思うことにしています。
 あまり自分を病人だと思わないことにしました。
 なので、未読だった本をどんどん読んでみようと思います。
 オススメ図書募集中、ていうか、薦められた本も積ん読状態なのですが。
 がんばります。
 人生いまだかつてないほどの暇を謳歌してみます。
 夜中にメッセンジャーに上がるものの、誰もいなくて寂しいです。
 みんな忙しいンですね。暇人の相手をしてられないンですね。
 仕方ないですね。「ま、いっか」です、ハイ。
 私も私でがんばります。
 眠いです。
 寝ます。おやすみなさい。
2005年04月21日(木)

上滑りする酩酊、アゲイン

 世の中は夢かうつつかうつつとも
 夢とも知らずありてなければ




 酩酊。
 上滑りする酩酊、アゲイン。
 ゴーストに触れられなくて楽しめた。触れられなくても楽しめた。
 酒は大人と飲むに限るな。ガキたちと馬鹿をやるのも楽しいけれどね。
 6年来のネット師匠が急遽来仙。
 PC購入もPDA機購入も身に余る困ったちゃんな携帯電話も、すべて彼に相談した。映画もお芝居も音楽もお笑いも、多くを彼から学んだ。
 榴ヶ岡公園で桜と酩酊するひとびとを眺めてから、暖かいお店でロックグラス片手に大いに話した。酩酊した。
 時間が過ぎるのが早くて、終電を過ごしてアイリッシュパブに繰り出した。
 夢かうつつか。
 うつつとも、夢とも知らず、カテゴライズはよそう、もう。
 どうでもいい。いまあるまま、過ぎゆく時間と彼を見送った。


 また五月、天王洲でお会いしましょう。
2005年04月16日(土)

上滑りする酩酊

 願はくは花の下にて春死なむ
 そのきさらぎの望月の頃



 酩酊。
 上滑りする酩酊。
 楽しいような、楽しくないような、ゴーストに触れない酩酊。
 それにしても集合場所が東仙台ってイッタイ…。
 ヒキコモラーに無茶云うなあ…。
 久々に元職場のメンツが集まった。
 辞めた5人と現職1人。
 それぞれに歩み始める。
 私は私で歩み始める。
 それでいーのだ。
 バームクーヘンをくるくると巻こう。巻き続けよう。



 WEB上で確認したら退職金が入っていた。
 急遽教習所の予約をスーパー短期コースに変更。
 そういうわけで来週から通いはじめます。
 多分シティボーイズライブに間に合う、と思う。あくまで予定。
2005年04月15日(金)

どうでしょう。

 六時四十五分を指したまま、私の目覚まし時計は止まっています。
 2月15日の朝以来、電池は抜きっぱなし、一日に1分だけ正確な時間を指すのです。
 酔えない五合酒と処方の倍の量を飲んだ睡眠薬に因るやはり少し覚束ない足取りで朝陽と共に放り投げたのです。一日の始まりに苛立ち恐怖し、秒針の音に我慢ならず。
 しかしどうでしょう。
 2月15日よりは、私は遠くに来たような気がしませんか。
 時間も日付も曜日も関係ない生活を送っていますが、遠くに来ることができたと思いませんか。


 一生懸命働いている同年代の女性の日記を読んでいます。
 以前の自分を思い出して、2月15日以前の私を思い出して、少々心配げに見守っています。やり甲斐があるなら、怒る余裕があるなら、実現したい理想があるなら少し元気なのかな、と少し安心しつつ。食欲がなくなったりアルコホル摂取量が増えるのは危険信号。気をつけて欲しい、心から。
 ちなみに残業時間が決まった就労時間を月40時間超えていると、鬱病になりやすい半面、雇用保険の給付も早まります。なんとかなるさ、ケ・セラ・セラ。
 ついでに私は残業手当といういうものを、就職以来一円たりとももらったことがないので羨ましい。まじめに査察が入って欲しい、後輩たちのためにも。
 上層部は少し慌てるといいのだ、フフン。
 でもま、いまの私にはどうでもいいけどな。

 どうでしょう。私は2月15日から遠くに来たと思いませんか。
 怒る元気も食欲も。
 他人を心配できる程度には。
 朝陽を恐れぬ程度には。
 アルコホル摂取量は相変わらずですが。
2005年04月13日(水)

Shocking Encounter

 重要な案件を放っておいているような気がするのだけれど、切羽詰るまで放っておきます。
 すごく眠くて、すごく映画的な面白い夢を観て、私は映画脚本家に向いているのでは、などと夢のなかでニヤリとしてみたけれど、起きたらトリックの稚拙さに気付いてへこんだり。
 という無駄なことをしている。
 某氏曰く私は「映画オタク」なんだそう。
 自分ではそんな気はしていないのだけれど。私以上に詳しいひとはたくさんいるし、私以上に映画に執着するひとはいるし、「私ってオタクなのかな」としばし悩んだ。
 しかし彼曰く「他者の視線を欲望する人はオタクじゃないです。だけど、自分の中で欲望が充足するのはオタクです」とのことでしたので、私はオタクだと自認することにしました。
 最近「小説を書け」と云われることが多いので(なぜだ…)少しまじめに取り組んでみたところ、「映画オタク」な所為か、ビジュアルでしか「物語」が思い浮かばない。
 例えばパンしてこう撮るとか、カットとか。眠りながらそんなことで悩んだりしているくらいだから、そういう風にしか「物語」を考えられない人間に「小説」は無理だと感じる。
 早くも挫折。ま、どうでもいいけど。


 さて、私にとって、最近知り合った或る人との出会いは衝撃的で革命的革新的なことでした。
 根本から価値観を覆されたり、ふしぎなレトリックに酔ったりして、ワタシは惑わされているような、惑って酔っていたいような気がしています。
 なんとなく会話を重ねて、それが楽しいからいいけれど。
 時々ゴーストの部分に触れられて恐怖していたりもする。
 出会いって不思議。
2005年04月11日(月)

葉桜を待たずに

 「逃げないひと」と形容された。
 今日会ったひとには「逃げ出せていない」と云われた。
 いずれにせよ、私は「此処」にいるということだ。

 新しいスカートを着て出かけた。
 私は浮かれていて、少し煙草を吸いすぎた。
 楽しい時間だった。落ち着いた声と沈黙が心地よかった。
 彼もそう思ってくれたらいいと願った。
 会釈して車が遠ざかるのを見送った。
 冷たい風が花びらを運んできたから、ジャンパーの襟を立てて駅の階段を駆け上がった。やはり少し浮かれていた。

 葉桜まで待とうと思ったんだ、ほんとうは。
 誰にも話さずにやりすごそうと、誰と話してもやりすごそうと。
 少し浮かれながら、花びらを見て、楽しくその思いを新たにしたところだったんだ。


 深夜、また或るひとに「否定しなくていい」と云われた。
 なぜそんな話になったのか、途中からは泣き出しそうだった。
 この話はやめましょう、と何度も言いかけた。
 泣きそうだった。
 気付いていたけど忘れたかったのに。
 そうしているうちに風化することを願ったのに。
 葉桜を待ってやりすごそうと思ったのに。
 問題は、「私が」逃げ出したいのかということだった。
 可能か不可能か、ではなく、したいかしたくないか。
 わかんない。
 自ら望んで逃げ出したとしても、逃げ切れないような気はしています。
 いずれにせよ、私はまだ「此処」にいるということだ。
 でもそれすらも、もうどうでもいい。
 話しているうちにそう思えた。
 考えても考えなくても、望んでも望まずとも、そのうち風化するように思えた。
 或いはバームクーヘンの最下層になるように思えた。
 彼がそう云うなら。彼がいるなら。
 背の丈で春を臨めるように思えた。葉桜を待たずに。
2005年04月10日(日)

バームクーヘン

 髪を切った。
 色を明るく染めた。
 思ったように明るくならないのは、私同様に私の髪は少し強情なのだろうと思った。
 変革を試みながら、恐れるのだ。
 外面を変えてみても、中身は変わらない。
 ま、ゆるやかに。焦らず。



 爪が変形変色している。なにかの病気みたい。
 もうずっと前からだけど、放っておいていたらすごいことになっていた。
 病院に行く暇もなかったからな、と嘆息してみる。
 後戻りできるのかな。
 きれいに戻れるのかな。
 別にいいけどさ。
 動き出そうとしたけれど、少し恥かしいな。
 少しまえまでは、平気で電車に乗っていたのにな。


 元職場から碌でもない電話があったり、病院に行ったら先生がいなかったり、なんだかうまくいかない。薬だけもらって帰ってきた。
 薬。薬を飲むたびに過ぎた9年間のことを考える。
 なんて遠くに来てしまったのか。
 でも後悔はしない。
 いつだって自分でダイヴしてきた。
 9年間はミルフィーユの一層になるだろう。
 バームクーヘンでもいいや。年輪だ。
 ファッキンな電話も笑って対処した。
 9年間の賜物だ。
 私はスーツとスーツに合う靴と鞄を手に入れたと云われた。
 それならいい。それでいい。
 それらが年輪の一部分になっているのだろう。
 バームクーヘンはくるくる巻きながら作る。
 後戻りはできないのさ。それでいいのさ。
2005年04月07日(木)

そろそろ動き出すぜ

 平日は母上がパートに出ているので、私は明け方眠って昼頃もそもそ起き出して、冷蔵庫の余りものでテケトーな名無し料理を作ってもそもそ食べています。
 これが最近楽しい。
 ウマイのです!見た目はともかく、味はいい。テケトーに調味料ぶちこんだだけの料理がなぜこんなにも!もしや天才じゃないかと震える日々。
 母上曰く「最近の調味料はよくできてるからね…」だったけど、聡明な女は料理も巧いというじゃないか。フッフッフ。
 仕事をしていた頃は、自宅で口にする言葉は「飯、風呂、靴べら」な封建的家父長制度に於ける典型的な「父親」役だったので、炊事、洗濯、掃除などはソッポを向いていたけれど。
 案外やれるかも知れない。
 見た目は「男の手料理」みたいだけど、味がよけりゃいいじゃないの。



 東京ではもう桜が咲いているという。
 こっちはまだまだつぼみなのにね。
 春がくる。
 私は相変わらず、退職日に電池を抜いた目覚まし時計の如く転がっている。寝そべって過ぎゆく季節を傍観している。私を取り残して季節は巡る。春がくる。私の時間は転がった目覚まし時計の如く止まったまま。
 でもそろそろ動き出すぜ。
 桜は葉桜がいいな。
 今年は一升瓶片手に船岡に行こう。葉桜になる頃に。
 寝そべって薄紅と新緑を見上げて酩酊しよう。
 ぐるぐるまわってきっと愉しい。
 そろそろ動き出すぜ(予告)。
2005年04月05日(火)

突き抜けろ

 少し前までの私はふかわりょうの「レゲエの鬼太郎」で腹が破れるかと思えるほど笑えた。それこそ酸欠で死にそうなるほどだ。
 いまはひとつも笑えない。つまんない。
 年月ってつまんないね。
 或いはもっと若ければ、きみと一緒に悩むこともできたかも知れなかったけれど。
 でも私は戻れないし、戻りたいとも思わないし、いまの自分に満足するわけではないけれど、これからも動き続けるんだ。停滞してはいられない。いまはダラダラしているけど、これも積み重ねのひとつだと思ってるんだ。ミルフィーユの一層だと思うんだ。そうありたいと思うんだ。
 つまんないけどね。仕方ないんだよね。
 それに楽しみでもあるんだよね。
 楽しみで楽しみで、簡単には死ねないな。
 突き抜けたいんだよね。
 突き抜けろ。


 ハローワーク仙台に電話した。
 雇用保険は木曜に入金されるそうな。ちぇっ。
 早くしないと『サイドウェイ』が終わっちゃうよ。
2005年04月04日(月)

ケリをつけろ

 友人が煮詰まっていると、かける言葉を持たない自分を無力だなと思ったり、煮詰まる情熱も持たない自分を卑下してみたり。
 彼女のぐるぐるに、私は付き合えない。同化できない。リンクできない。私は酔っ払って忘れて、諦めてもう開き直ってしまったので。
 それは歳の所為なのか経験の所為なのか、性格の違いか性質の違いか、世代の違いか。少し羨ましくもあるよ。懐かしくもある。
 でもき彼女のぐるぐるに私はもう、シンクロする術を持たないんだ。
 だけれど、彼女のぐるぐるが少しでも軽減できればと、無力な言葉を吐き続けるよ。聞くことが彼女の慰めになるのなら、いくらでも聞くよ。
 だって決めるのはいつもきみ自身だもの。
 結論を出すのも決着つけるのも、いつもテメエなんだ。
 私もそうだった。きみもそうだ。
 テメエでケリをつけろ。
 書け。書くのだ。きみは書くしかない。
2005年04月03日(日)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
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