ボクサーの週末

 水曜にできた怪我が腫れて痛いのである。
 唇の端が切れて血がにじみ、左拳に包帯を巻いたおいらは、さながらボクサーのようである。
 フード付きのトレーナーを着て鏡の前でファイティングポーズをとってみるのである。
 …なかなかサマになっているのである、ふふん。
 背後から聞こえた失笑は妹のものなのである。
 無視するのである。


 木曜はSちゃんと待ち合わせて県民会館で「兵士の物語」を観たのである。
 Sちゃんに「どーしたのその怪我!」と驚かれたのである。
 ボクサーは酔っ払って自転車で転んだ、とは云えないのである…。

 西本智実さんはカッコイーのである。
 オネエサマと呼びたい感じなのである。
 西島千博さんのジュテはすごかったのである。

 それにしてもあんなに空いてる県民会館を見たのは初めてなのである。
 一階席後方ガラガラなのである。


 金曜土曜日曜は風邪をひいて寝こんだのである。
 仕事がワンサカ溜まっているのである。
 月曜はワックスがけが入るので仕事ができないのである。
 思わぬ四連休なのである。
 が、寝こんでいる間の記憶がないので損した気分なのである。
 更に火曜はゴトウ日なのである。
 ボクサーは週明けが怖いのである。
2003年11月23日(日)

私信

 私の日記は、自己表現、自己発現よりも、自分は何者かと、どういう人間なのか、ということを考え、分析することを、文字表現という手段を以って試みようと考えたことからはじめたものです。

 私は自分が何者なのかがわからない。
 如何なる人間だったのか。
 また如何なる人間になろうとしているのか。
 如何に生きるべきか。如何に生きようと望むか。
 なにを望み、どうするか。どう動くか。
 恐らく私自身の出自にも深く関わっているであろう、そんなことを整理するために始めました。
 が、以前にも書いたとおり、自分の感情を成文化するという作業を久しくせずにきたので、リハビリテーションも兼ね、日常的なことを書くことから始めるつもりで、「日記」という形式を選んだのです。

 そんなところから始まった独善的な日記はけれど、恐らくいままで書いてきたどんな文章よりも、偽りのないものだと思いますし、またそうありたいと思うのです。


 実は、公開することの是非は、未だに迷い悩むところではあります。
 公開する以上は無論、誰かが読むことを想定とはしていますが、その「誰か」は人格のある個人、ではなかったように思います。単に(恐らくのちに読み返すであろう未来の私自身をも含めた)客観性が欲しかったのかも知れません。

 けれど最近では読者の方から色々な意見やアドバイスを頂くことも増え、ときには励まされ、驚き、影響を受け、そしてそんな出会いの妙に感謝しながら、書いています。
 公開する以上はこれもまた自己発現に繋がるのだとは思います。
 が、自己発現、より、自己投企、でありたいと思います。
 もっともっと、影響されたいと思います。
 ひとりでうだうだと考えていても堂々巡りに陥るだけですものね。



 とはいえ「偽らざる自己」というのもナカナカ難しく、私の場合、まず一人称からして迷います。
 普段話すときは朝鮮語の一人称である「ナ」もしくは「チョ」なのですが、ただこれをカタカナで表記すると、どうも違和感がある。
 日本人と話すときは気をつけて「私」。
 けれどこれは普段使い慣れないせいかどうにも気恥ずかしく、文字にするときにはまた先生に提出する「作文」にならないためにも、あまり形式ばらずに書きたいと考え、そこで「ワタシ」とか「おいら」とか。

 そんな小さなことですが、書きつづけることによって自分自身が影響を受けることはあります。
 まぁ、それ以外はおおむね正直に書いています。
 「内面が文にひきずられる」とまでは思いませんが、正直でありつづけるためには、ことばにするときには気をつけたいと思っています。
 嘘から出た真、も悪くはないけれど、当初の目的からは外れていますしね。


 ……混乱してきました。
 あまりアタマがいい方ではないので、書いてるうちに時々何を書こうとしていたのか忘れます。
 スミマセン。
 それではまた、機会があれば。


 追伸:アンケートには回答させていただきます。
2003年11月15日(土)

ブックマーク

 玄侑宗久さんの「私だけの仏教」(講談社+α新書)を読み返しています。
 要は仏教各宗派の要素をヴァイキング形式で美味しいとこ取りして、自分だけの仏教を構築しようというもの。


 タイトルだけ読んですぐにレジに持っていったのだけれど、あとから玄侑宗久さんが書いたのだと知り、驚くと共に妙に得心してしまいました。
 玄侑宗久さんは、芥川賞を受賞した「中陰の花」を文藝春秋誌初出で読んで以来よく読みます。
 サスガ現役僧侶作家が書いただけあり、学者サンの書いたものよりとてもわかり易く読み易い。仏教の入門書として最適ではないだろうか。
 なにより大らかなスタンスが気に入っています。面白い。



 どうでもいいことだけれど、高校を卒業してから、如何にあそこで習った知識にデタラメが多かったかがよくわかるようになりました。
 まぁ10年前のことだし、こまごまとしたことばかりだけれど。
 結構覚えているものなンですよね。
 特に私の場合、社会科と日本語しか得意科目がなかっのだから尚更。


 10年経って尚、時折、あの学校に帰る自分に気付きます。
 あの頃に帰りたいとは思うわけではない。
 懐かしむ、というよりは、回帰する、という感じ。
 あの時間が同年代の人間と(完全にではないにしろ)同条件でいられた最後の時間だったわけです。だから時折振り返り、その頃から幾分変わったであろう自分を見る。これまでの時間を振り返る。
 変わっただろうか。
 どう変わっただろうか。
 変えたものは何だったろうか。
 そんなことを考えます。

 バロメーター、というかブックマーク、みたいなものかな。
 うーむ、なんか年寄りクサイなァ。
2003年11月10日(月)

生きよ堕ちよ

 満員電車のなかで、ふと前に立つ男性の本が目に入る。
 日焼けした文庫本には、アンダーラインが引かれていていた。
 「ブンガクしてるなぁ」などとぼんやり思いながら、興味をそそられて何とはなしに活字を追うと、記憶にあるフレーズが目に飛び込んできた。


 
 戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。
 人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。




 坂口安吾だ、とすぐに確信した。
 あまりにも有名な安吾の「堕落論」の一節だ。
 記憶とは不思議なもので、これを読んだ時間や場所までが鮮やかによみがえる。
 10年も前のことだ。
 けれどすぐに諳んじることができる。
 それほどに高校生のおいらには衝撃的だった。
 以下続く。


 
 だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。
 なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではあり得ない。
 人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。




 誰よりも人間の脆弱さを知りながら尚、安吾の生の意志は苛烈だった。
 安吾のその強靭な精神力と意志は、それゆえに高校生の私には辛かった。憧憬と羨望、諦観と共に封印した本にいま、こんなところで。
 不思議だ。


 帰宅後、ダンボールの山から文庫本を探し出した。
 私の本も相当に日に焼け、表紙が破れていた。
 いまは、10年前とは違う思いで読むことができる。


 
 生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救いうる便利な近道がありうるだろうか
2003年11月08日(土)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚