a thirst for...

 母曰く「アンタは昔から欲のない子だった」とのこと。



 母にはそう見えていたのか、と些か驚いた。
 欲がないわけでも薄いわけでもない。
 ただ、4、5歳の頃からワタシはうちがそれほど裕福ではないことを知っており、欲しいものを欲しいと我を通し駄々をこねることに罪悪感を覚えていただけのことだ(ヤな子だなあ…)。

 その為か、諦めることに慣れた覇気のない人間に育ってしまった。
 ここでワタシのように諦めてしまう人間と、諦めずに努力する人間とは、どこで違えてしまうンだろうなァ。単に誰がなんと云っても譲れない、というものが、ワタシにはなかっただけなのかも知れない。


 ただ、大学への進学を諦めることには、多少時間を要したかな。
 それでもやっぱりあの頃のうちはそういう状況じゃなかったし。
 知りたいことを知るには、別に「大学生」にならなくなっていい筈だし。
 中にはどうしようもないこともあると、今は納得しているけど。

 独学の問題は、その知識がアカデミックなものなのか、そうでないのかがイマイチよくわからないというところにある(おいらだけか?)。やっぱりそういうのって、同分野の人間とのコミュニケーションの中で知ってゆくニュアンスだと思うンだがね。どうなんでがしょ?よくわからない世界だな。


 やっぱりね、羨ましい。
 本当に大学生が羨ましい。
 好きなこと、知りたいことを一日中知ることができる環境が羨ましい。
 いいなぁ…。






 と、他人の境遇を羨んでばかりもいられませんし。
 知りたい。知りたいことを、知っておきたい。
 何かを探したいわけではない。
 見つけ出したいわけではなく、ただ先人の知識を追うのみで。
 何かに活かそうという気概も目的もなく、何の生産性もない、単なる自己満足に過ぎないのだけど。

 でも、そうだなあ。これが一番の欲なのかな。
 大抵のことは諦められるし、譲れるけど。

 取り敢えずまだまだゼンッゼン、自己「満足」にすら達していないので。
 早く余裕のある状態に戻って、自分の時間を持ちたいなァ。
2002年12月21日(土)

なじょすっぺ

 最近は映画館にも足が遠のき、自宅では自前のDVDばかり見ています。
 観たかった映画は冬休みに入ったら観よう、と思いつつ。
 しかしずっと観たいと思っていたオゾンの「まぼろし」が今週終了。
 うーむ…どう転んでも無理だ。
 仙台フォーラムで上映する映画は、タイミングを逃すとダメだなあ。


 朝青の忘年会はキャンセルした。
 正式名称は在日本朝鮮人青年同盟。
 つってもオールドカマーばっかり。ていうかハッキョの先輩後輩しかいないので、ほぼOB会のノリだろうな。

 すまんな、Z子。この埋め合わせはまたいずれ。
 しかしそのおかげで、自宅療養中の上司の分の仕事は漸く一段落つきました。
 今回マジやばいかも、と思ってたけど、割となんとかなるもんだナー。
 ワタシが優秀だからということにしてもいいけどな、フッ(←すぐ調子に乗る)。

 あとは通常の仕事。
 これがまた山積みなんだ…なじょすっぺ…(仕事しろ)。
2002年12月17日(火)

NO MUSIC NO LIFE?

 音楽がないとつまらんだろうな、と思う。


 それはワタシが音と音楽のある世界を知っているからそう思うのであって。
 音がなくても、生命の維持には支障はない。
 ワタシは耳が弱く、髪洗うときちょっと油断して水が入ったらすぐ中耳炎になるし、ひどければ内耳炎を併発するし、物心つく前から耳鼻科とはお友達さっ!とほー(日常生活には支障はないし、聴覚テストでは寧ろ標準値より高かったらしいけど)。

 中耳炎を患っている間は、音がぽや〜〜と聞こえて(脱脂綿をつめているから)、方向感覚がなくなって、眠くなって、なんだか物事を深く考えられなくなってしまう。耳はじんじん痛いンだけどね。
 最近は中耳炎も、抗生物質を飲めば一日で治っちゃうし、耳が弱いといってもこんな程度ですから、音を失うということが、とりわけ身に差し迫っているわけではないのだけど。



 耳鼻科の待合室ではよく、自分の中に流れるベルリオーズの幻想交響曲なんぞに耳を澄ませていた(なぜかいつもベルリオーズだった)。
 あのとき、弦がどう動いていたか、ティンパニーはどう響いていたか。
 よく聴き取れなくて、いつも苛々していた。

 音のある世界から、もしいま音のない世界に行ったとしたら、もっと自分のなかに流れる音がよく聴きとれるかも知れない。
 それが、どういうことなのか。どういう生活なのか。
 現実味を帯びたものとして具体的に想像することはできないけれど。

 音がなくても生きていける。
 生命の維持には何の支障もないけれど。
 でも音楽がないとつまらん。
 いつでもベルリオーズが、ストラヴィンスキーが、チャイコフスキーが、ブラームスが、自分のなかから聞こえるように、よく聴き取れるように
 いっぱいいっぱい聴いておきたいと思うのです。
2002年12月07日(土)

大晦日は紅白みながらチョンを焼く

 同じ在日コリアンでも、3世や4世まで行くと、祭祀を嫌うひとがいるのだけど。
 割と好きです。
 ごはんおいしーし。

 まぁ、そう思えてきたのは最近なんだけどね。


 ワタシも10代の頃は、んー、なんていうンでしょ。人間はどこからきてどこへいくのか、とか、なぜ生き続けるのか、どう生きるか、などかウダウダ考えた時期が人並みにあったンだけど(今でも落ち込むとこういうことをボヤくけど)。
 おベンキョ(日本語と音楽だけ)は、まーまー好きだし、友人とも概ねうまくいっている。部活は楽しい。けどハッキョ(学校)の教育方針などに疑問を感じ始めたりしていた頃でもあってですね。

 色々悩むことが多くて忙しいのに、なんで会ったこともないじじばば(本家は更にそのじじばばまで)の祭祀までやらにゃならんのだ、と不満に思っていたわけです。
 死の悼み方ひとつとっても、個人個人にプロセスというものがあり、余人に強要されたくないし、またできるものでもない。それを強要されるのでムカついていたンですな。
 特に我が家の場合は、「やらなくてはいけないものだからやる」という感じで、そのプロセスに何の疑問をもたずにやっていたキライがあり、そもそも儒教のシステム自体若いワタシにはテッテー的に共感しかねる部分があったので、それも気に入らなかった。

 そんで母とは衝突が耐えなかったわけですが、今考えると、アレだね。
 他人を思いやる余裕のない10代の潔癖さってのは、多感かも知れないが、鈍感だなあ。
 自分がゼッタイ正義だと信じてこそいないけど、なるべくパーフェクトであろうとし、他人の方法を否定するというのは、鈍感だ。
 今は少し恥じ入る。



 しかし未だに悩む、というか困る。

 人間の信仰や、それに伴うモラル、或いは伴わないモラル。
 その相違に、人間はどこまで寛容になるべきか。


 …いや、違うな。

 異なるモラルを持ちながら、どこまで相手を容認するか。
 すべきか。
 できるか。
 そしてその方法。

 容認できないとすれば、どうするのか。
 すべきか。
 できるか。
 そしてその方法。


 永遠の課題のような気がする。



 いま、朝鮮儒教式の祭祀を好きだと云えるようになったのは、死と死者の前に、個人の好き嫌いや、モラル、そしてプロセスの相違なんつーのはどうでもいいのではないか、と。
 それがイヤだと排除するのは、単なる我侭なのではないか、と。
 そう思うようになったからです。

 朝鮮儒教もそう悪いもんじゃない。
 年上の前でも酒飲むけどね、はっはっは。
2002年12月05日(木)

実はワタシもモーレツ行きたいんだが。

 吹奏楽部と民族器楽部の定期演奏会に、OB参加することになってしまい、先週はホントにハイパー忙しかった(参加することを承知したのはワタシなんだけど)。
 楽器を持つのなんて、何年振りだったろうか。

 さすがに自信がなかったので、1日休みをもらったり早退したりして、練習に参加した。
 そんで、日曜が本番だったんだけど。
 やばかった〜。いや、現役時代もヘタクソだったけどさ。
 出演した全8曲中、今回初めて演奏した曲が7曲だった。
 合奏練習の時は初見の楽譜にソロがあって、冷や汗タラタラ。
 練習に出てなかったらほんとうに危うかった。

 ワタシのパートはOBが3人、現役が2人(ふたりとも小学生)。
 おととし卒業した一番現役に近い後輩にトップを任せて、ワタシはセカンドを担当したけれど。
 キツかった。「トラジ」では途中で酸欠状態に。
 一番痛切にブランクを感じたのはスタミナ。
 後半はもぉアンブシュア(唇の形)がヘナヘナで、どうってことない音域にも四苦八苦した。

 でも楽しかった。
 最高に楽しかった!!
 また演りたいなぁ。楽器買おうかなぁ。高いんだけどねー。


 で、先週休んだ皺寄せで、今週またまた忙しいのだが。
 イイノダ。楽しかったから。
 打ち上げも最高に楽しかったから。
 今週も頑張るノダ。


 やっぱり後輩はみんなカワイイ。
 来週のシエナ・ウインドのチケットを手配することにした。
 仕事で行けないワタシのかわりに行ってもらおう。
 勉強になってくれるといい。
 楽しんでくれるといい。
 音楽をもっと好きになってくれるといい。
 頑張れ!
2002年12月02日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
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