もう1度観てきた。 |
シャマラン監督の『サイン』に対する、周囲の反応があまり宜しくないので驚いた。 何度も意見が違うことが多いと、考え直してしまう。 もう1度観てきた。
『シックス・センス』も『アンブレイカブル』もそうなのだけど、とにかくその手法、計算され尽くしたサスペンスを描くテクにはグゥの音が出ないほど感服させられる。 シャマランさんのストーリーを語る手腕は、もう疑いの余地はない。
ワタシは映画にあまり先入観を持たない。 持たないように事前に必要以上の知識を入れないようにしているのもあるし、実際その映画を見る段になると、その先入観はスッカリ消え失せ、スクリーンに没頭してしまう。 その所為か、「思ってたのと違う」と感じてガックリした経験が皆無だ。
というか。 先入観との差異を、映画を語る際に持ち出すべきではないと思うのだ。 これは自戒として、ワタシが気をつけていることでもある。 まぁでも、映画の感想を書く上で、自己を完全に排除した、絶対的な客観性を以っては書けないのと同じで、ナカナカ難しいことなのかも知れない。
さて、問題は『サイン』のストーリーなのだけど。
(申し訳ない。以下ネタバレかも知れない。)
「神は存在ではなく、働きである」
とは遠藤周作さんの言葉。 偶然とも片付けられることの数々に、主人公グラハムは「神の働き」を見出し、失った信仰を取り戻した。 グラハムは、「サイン」だと感じた。そして信じた。
それこそが、この物語の最も大事な部分であり、すべてはその為に費やされている。 そしてその手腕の見事なこと。
それで十分だ。 やはり素晴らしいと思う。
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2002年10月25日(金)
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