2005年11月16日(水) |
『名前にまつわるエトセトラ』3(今度こそラスト!…かな) |
「緒方 史哉」
自分にしては上手く読めたと思ったのだが、目の前の少女のふくれっ面からして、違うらしい。ヒカルは首をかしげた。 …しかしまるっきり想像がつかないので、やはり本人に聞くのが一番無難だろう、と和の父親を見上げると、ふ、と視線を逸らされる。 そして隣にいる精良も、視線をトサ迷わせた。
「?」
訳が分からないので、こうなったら目の前の少女に確認する事にする。まさか、自分の父親の名前を言えない、なんて事はないだろう。さっきあれだけ、「読み方が違う!」とかみついてきたのだから。
「なぁ、和ちゃ……」
「おー、ダイクン兄妹がお揃いじゃないか!久しぶりだなぁ、シャア」
ヒカルが訊ねかけたところで、それを陽気に遮ったのはまんまるい体格にぐるん、とした目が愛敬を添える、倉田 厚七段だった。
「あー、トトロのおじちゃん〜♪」 「おー、和も来てたか。元気だったか〜?」 「うん♪」
和は顔見知りなのか、真っ直ぐに駆け寄り、倉田の足にまつわりついていた。 ヒカルは言い得て妙な「倉田=トトロ」の和の認識に吹き出してしまう。まったく、子供は正直だ。
「倉田…」 「倉田くん…」
そんな和気藹々とした雰囲気とは裏腹に、どことなくどんよりとした雰囲気を背負うのが緒方兄妹。
「お?どうしたダイクン兄妹」
悪びれない倉田は目をぎょろつかせる。いち早く立ち直ったのは、精良の方だった。
「だから倉田、私たちをその名前で呼ぶなと前から言っているだろう!」 「なんで?シャアとセイラの兄妹だったらそうなるだろ?セイラの兄貴だったら、シャアじゃなくて「エドワウ」の方が完璧だったけどな〜」
まぁ兄貴に名前がつけられた頃はそんな設定も出回ってなかったしな、と倉田は訳知り顔でうんうん、と頷いてみせる。 …そうなのだ。緒方兄妹の名前の由来がここにある。兄が生まれた時に初回放送を迎えた某ロボットアニメの敵役にハマりまくった両親は迷わずその名前をつけ、その後妹が生まれると、両親は当然のように「セイラ」と名付けたのだ。 救いといえば、兄の名前が、丁度良い漢字が見つからなかった、という理由で、ぱっと見には普通の名前に読める、という点だろうか。 しかし、倉田のように、分かる人には分かってしまう。おかげで、同級生から呼ばれるあだ名は小学生の頃からずっとひとつきりだ。
「しゃあ?」
ヒカルが不思議そうに首をかしげる。
「お前知らないの?シャアだよ、シャア!ガンダムの赤い彗星!!」
連呼するな。
緒方兄弟は心の中でツッコんだ。精良に至っては裏拳も添えて。 ヒカルは相変わらずけげんそうに顔をしかめる。
「ガンダムって……俺、SEEDくらいしか知らないんだけど?」
やった!とばかりにガッツポーズを取るのは緒方兄妹。ジェネレーションギャップがこれほど嬉しく感じた事はない。 なんてことだ!と青ざめて頭を抱えるのは倉田の方だった。あの名作を知らないとは、何て不幸な世代なんだ!!とおいおい嘆いている。
「おい、進藤」 「…な、なに」
がし、と倉田はヒカルの両肩を掴む。
「お前、今度ウチに来い」 「…へ」 「真のガンダムが何たるか、俺が教えてやる。だから来い。いいな」
あまりの真剣なまなざし(対局中にも匹敵するかもしれない)と雰囲気に押され、ヒカルは呆然とするしかなかった。 しかしこのまま諾と返事をするのはなんとなく怖い。 ……そう、倉田の後ろには「行くな!見るな!」というオーラをどろどろと発していた緒方兄妹がいたのだ。
どうにかしてこの場を切り抜けなくてはいけない。 それにはやはり元凶に退場していただくしかないだろう。
「倉田さん!時間!!」 「なに?」 「そうだよ、時間だよ、寿楽ラーメンの木曜日限定ランチサービス特製ラーメン!あれ、売り切れ御免なんだよ?!早く行かないと!!」 「おお、そうだった!じゃあな、進藤、必ず来いよ〜!」 「そのうちね〜〜」
のんびりと手を振ったヒカルは、倉田の姿が見えなくなると、はぁ、とため息をついて肩を落とした。 「おにいちゃん、どしたの?」 脱力したヒカルの様子に、和が心配そうに見上げてくる。ヒカルは苦笑した。 「ん〜、ちょっとな。くたびれたかも」
しかし、倉田さんからの誘いもごまかせたし、緒方さんからの恨みも買わずに済んだみたいだし、まぁいいか、とヒカルは頭をかいた。
「済まなかったね、進藤君」 「あ…いえ、別に……」
慌てて振り向けば、精良の兄が苦笑していた。
「名前の由来が由来なのでね…未だに、名乗る時には躊躇してしまうんだよ。改めて、緒方 史哉です。よろしく」 「「しや」…あ、だから「シャア」……」 「それについては、あまり追求しないように」
精良がすかさず入れたツッコミと、その早さに、ヒカルは吹き出した。
「了解しました。緒方センセイ」 「分かればよろしい」
(でもこの2人がこんだけ気にするなんて…どんなキャラなんだろ?) …こっそり倉田宅を訪ねてみようかと思ったヒカルだった。
「ヒカルおにいちゃん」 「ん?」
そろそろ帰ろう、と父に抱かれた和が、ヒカルに声をかけた。
「どうして、せいらちゃんを「おがたせんせい」っていうの?」 「へ」 「だって、「せんせい」は、おとうさんのことだもん」
ねぇ、と和は父親をふりかえる。確かに、史哉は能楽師で、若手や素人の弟子たちからは「先生」と呼ばれている。稽古は自宅で行なわれているので、和はそれを見て知っているのだ。まだ幼稚園に行っていない和にとっては、「先生」とは能楽師の事を指す。だって、それ以外の「先生」の存在を知らないのだ。 まして、大好きな「せいらちゃん」が、囲碁の世界においてはトップクラスの「先生」と呼ばれる存在であることも。
「え〜と……いつもは、「緒方さん」って呼んでるケド」 「「おがた」は、あいも、おとうさんも、ママも、せいらちゃんも、じいじもばぁばもだよ?みんなそうよ?」
――お説ごもっとも。
しかし、それではどう呼べというのだろうか。
「せいらちゃんは、「せいらちゃん」なのvv」
――いやそれはコワイから。
ヒカルが内心で冷や汗をダラダラ流す気配を察してか、精良がくすりと笑った。
「そうだな、和の言う通りだ」 「―――え゛」
ずい、と精良はヒカルの前に進み出ると、それはそれは楽しそうににっこりとヒカルを見下ろした。精良の目線はヒカルよりもまだまだ高い。
「呼んでみろ、―――ヒカル」
艶やかな唇が、笑みの形に綺麗に上がる。
(…どうしよう)
ヒカルの頭の中はまさにその言葉でいっぱいになる。なんとなく、呼ばなきゃいけないような雰囲気なのは分かる。…しかし、あっさり呼んでしまって良いものだろうか? ちらり、とヒカルは精良を見上げる。 ぴしりと決めたロングタイトの白のスーツ。常々それを「戦闘服」と称しているだけあって、降りかかる何程の色をも跳ね返してしまうような雰囲気がある。 ――白が、何ものにも染まる色だなんて言うけれど、それが嘘だと思えるくらい。 この存在は、凛として、勝負の世界に立ち、タイトルを勝ち得ている。 「囲碁界の女傑」とか、「氷白の女剣士」とか、寄るな触るな怒らせるな「囲碁界の美しきリーサルウェポン」とか、「北国の活火山」とか、様々な異名で呼ばれるその気概と誇り高さと実力は……まさしく超一級なのだ。
そんな存在を…名前で……呼ぶ?
…ごくり、と喉が鳴った。 気がつけば握り締めていた掌にはじっとりと汗。 ひょっとしたら、さっきまでの対局よりも余程緊張しているかもしれない。
「ヒカルおにーちゃん、がんばれー♪」
和の無邪気な応援に、ちょっと泣きたくなる。 唯一助けてくれそうな緒方兄を見るも、彼は娘を抱いたまま、にこにこと、それはそれは楽しそうに状況を眺めていた。 なんだかんだと言っても、やはり精良の兄である。…助け舟は期待できそうになかった。
ヒカルはぐい、と精良を見上げた。 ――覚悟を、決めよう。(コワイけど)
「……せ………」
いつのまにか、口の中が渇いていた。
しかし、言わないと。
呼ばないと。彼女の、名前を。
キレイで、鮮やかで、イジワルな………
「せ…せー、ら、さん?」
――つい、舌っ足らずになったのはご愛嬌、という事で。
おかしいな…だいたい、秋は多少の行事はあれど、比較的のんびりしたスケジュールだったはずなのに。
…ええい、誰だ、こんな時に「お稽古会」設定したのは!(ああああ…)
贅沢ダイスキな金食い虫の客は来るし!(アンタのおかげでどれだけ時間が割かれると思ってるんだーっ!)
大祭はともかくとして、 …え?!今回の会議、研修会と一緒?! …てことは夜まで拘束されんのか?!
や〜め〜て〜く〜れ〜。
あれよあれよと言ってる間に会議もくるし。
…こういうのって、「その時」だけじゃなくて準備と段取りで前の時間がツブれるのが、痛いんだよなぁ……
一番痛かったのは、例の「お作品」の運び出し作業だったけど……
……そんなこんなです。 更新は、11月の20日以降……と考えた方が良さそうです…とほほ……
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