紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
「スソトッテカタツメ」
こおろぎの鳴きかた。
母が教えてくれました。
大事にしよう。
この鳴きかた。
おやすみ。
怖れていた筋肉痛は、いつもよりはゆるやかでした。
それでも痛いのは痛い。
初めて湿布薬を貼りました。
それの効果か?
今日はすっかり疲れました。
なぜ疲れたかは、知っている人は知っている。
なんか日記もツカレギミなので、こんなところで。
おやすみでごじゃる〜。
あぁ、疲れている……。
「山は逃げません」
こういうセリフをよく聞きます。
実際に私も言ったことがあるし、自分にも思いこませています。
あせって登らないように。
点だけしか目指さないピークハンターにならないように。
でも、今回の槍ヶ岳登山で少し考えが変わりました。
槍の道中で何度かいっしょになった男性二人組み。
おそらく60代でしょう。
帰り道で彼らを追い越したときに尋ねました。
「山頂へは、行きましたか」
なんとふたりは、行っていないと言います。
以前、登ったことがあるからとか。
「僕らは、もう無理はしないんだ。君たちの歳では、まだまだ山は逃げない。でも、僕らの歳になると、山は逃げていくものなんだよ」
そう。
山は物理的にも動くわけではありません。
でも、体力的に山頂は少しずつ遠くなっていくのです。
「山は逃げません」
軽々しく使ってはいけない言葉。
山に逃げられないように、体力作りをしっかりしていこうと決意した槍ヶ岳からの帰り道でした。
おやすみ。
2008年08月28日(木) |
槍ヶ岳、二度目の山頂 |
朝4時に起きました。
起きた、というより、周囲の登山客がどんどん起きていく音に、目が覚めたというほうがしっくりきます。
朝食は、朝5時から。
そのまえに、決めないといけません。
もう一度、登るか、それとも、下りるか。
外はガスで真っ白。
どう考えても、山頂からの絶景は期待できません。
体はけっして元気とはいえず、一晩の眠りで疲れが抜けたわけではありません。
言い出しっぺさんは「大丈夫」と言うけれど、おそらく疲労はかなり激しいと思われます。
ほかのみんなはどうなんだろう。
昨日、登ってもう満足しているのだろうか。
言い出しっぺさんは、おそらくみんなに遠慮していたのでしょう。
はっきりと自分の希望を言いません。
私も自分の体力に自信がなく、どうも口ごもってしまいます。
でも、ふと思い出しました。
今回の槍ヶ岳登山の意味を……。
「登りましょう」
5人そろって到着した山頂は、昨日にも増してガスで周囲はまったく見えなかったけれど、そんなことは問題ではありません。
まるで空に向かっているかのようにそびえたつ鋭い頂きから叫んだ名前は、きっときっと「彼」に聴こえているはず。
「槍ヶ岳に登りたい」
そんなひとりのわがままな夢を現実に変えてくれた山の師匠、そして今回の山行をしっかりサポートしてくれた山の精鋭たちに。
そして最後までわがままを通した人に。
私もいっしょに連れてきてくれて、どうもありがとう。
いい山行を、どうもありがとう。
おやすみ。
2008年08月27日(水) |
横尾から槍ヶ岳山荘、そして山頂へ |
朝、4時に起床。
適当に朝食をすませて、5時半に横尾キャンプ場を出発しました。
テント撤収に時間がかかり、予定より30分遅れましたが、ま、誤差の範囲です。
よしとしましょう。
今日は、槍ヶ岳山荘を目指します。
山小屋泊なので、荷物も最小限に減らしました。
減らしたといっても、適度な重さが肩にくいこみます。
しばらくはあまり起伏の激しくない山道を歩きます。
起伏は激しくないけれと、昨日の上高地から横尾までの足の疲れが残っているのがわかります。
明らかにトレーニング不足。
今さら反省しても仕方がないので、自分の足を信じて一生懸命に歩きます。
途中、槍見河原から見えた槍ヶ岳の山容にも力をつけられ、また歩きます。
少し道が登ってきたところにある槍沢ロッヂで食べたきゅうりと、そこから見える槍の姿にも元気をつけられ、また歩きます。
そう、歩くしかないのです。
歩かないと、頂上には着きません。
ババ平のキャンプ場を過ぎ、大曲を越したあたりから、槍ヶ岳への別ルートである東鎌尾根の西岳がひょっこりと顔を出しました。
いつか、あのルートから槍ヶ岳を目指したい。
今回の槍ヶ岳登山の言い出しっぺは、途中からどんどん、どんどんとペースが落ちてきました。
ペースはどんなに遅くなってもいいから、山荘まではがんばってほしい。
そして、それはどの時点だったのでしょう。
水場を少し過ぎたところで、槍ヶ岳の山頂がひょっこりと顔を出しました。
その姿に再び元気をつけられて、昼休憩。
言いだしっぺさんは、どうも体調がすぐれない様子。
やっぱり、いきなり「槍」は無理があったのかも……。
ふと思ったけれど、今となっては仕方がありません。
ここまでくれば、山頂をめざすのみ、です。
さっきまで晴れていた山頂には、うっすらとガスが上がってきます。
そして、私の歩調も遅くなります。
最後のつづら折りの道をふらふらになりながらも、なんとか山荘にたどり着きました。
ふぅ。よかった。
ここまで来ることができただけでも、満足です。
言い出しっぺさんは、どうやら高山病にかかっていた様子。
今日の登頂はあきらめて、山小屋で寝ていてもらうことになりました。
まあ、明日がある!
そして、残りの4人で山頂へ。
岩のニガテな私は、まさに手取り足取りで山頂への道を進んで行きました。
そして、3180メートル。
すっかりガスが上がってきてしまい、あまりいい景色とは言えなかったけれど、でも、ここは山頂。
槍ヶ岳の山頂です。
その夜は、山の夜らしく、早々に寝ました。
心配なのは、高山病の様子。
一晩寝たら、すっかりよくなっていますように。
おやすみ。
上高地に昼過ぎに着きました。
昼ごはんに作ってもらった大きなおにぎりを食べて、重いザックを担ぎました。
これから3時間。
今宵の寝床「横尾キャンプ場」まで、てくてく歩きます。
予報に反して天気は晴れに近い曇り。
自然と足取りが軽くなります。
河童橋からは見事に穂高連峰が惜しげもなくその姿を現せています。
あした、登る予定の山はまだ見えません。
見えないだけにますます憧憬の念が増していきます。
まだ、歩き慣れたとはいえない道ですが、2年ぶりに歩く横尾までの道のりを楽しみながら、帰りのことをなるべく考えないようにして、梓川をさかのぼります。
明神岳のふもとの明神池を過ぎ、小説「氷壁」に登場する徳沢で休憩。
それから横尾。
ふぅ、疲れた。
テントを立てて、とりあえずビールで乾杯。
夕飯に作った鍋をつつき、明日の山について語り合います。
あした、私たちは槍ヶ岳に登ります。
山に登る者なら誰もが憧れる山。
その「穂先」と呼ばれるとんがった山のてっぺんに何があるのか。
槍ヶ岳から見える穂高はいったいどんな形をしているのか。
期待に胸を膨らませながら、明日、晴れますように。
おやすみ。
きのうの話には続きがあります。
小さな黒い「家族」が外に出て行ったあと、母がふらりと私の部屋にやってきました。
「10年ほど昔になるけど……」
どうやら昔話が始まる様子。
いきなり、いったい、なに?
「ある日、夕飯をひとりで食べていたら、テーブルの上を小さなクモがてくてくとやってきてん」
クモなんて、もう見ただけでも足がすくみます。
「で、そのクモ、テーブルの上にこぼれていた水を飲みだしてん」
ま、クモも喉が乾くだろうし。
「次の日も来て、テーブルの上を歩いててん。でもなんにもなかったから、わざと水滴を落としてみたん。そしたら、すすすっと寄ってきて、水を飲んでたん」
へぇ。
「それから毎日来るから毎日水をあげてたら、だんだんとなついてきてね」
……。
んなアホな。
「ホント、ホント。3ヶ月くらい毎日水とかおかずのかけらをあげてたら、クモもけっこう落ち着いて食べるようになって、いっしょに毎日クモと夕飯を食べててん」
クモと晩餐する母。
やはり、おそるべし!
そして、この話には後日談がありました。
ある日、父がいつもより早めに帰ってきたそうです。
父のごはんをよそいに母が席を立ったとき。
「お!こんなところにクモがいる。(バシッ)」
最後の音がなんだったかあえて語らず。
しばらく母は父と口をきかなかったとのことでした。
今さらですが、クモよ。
成仏しておくれ。
ちーん。
部屋の灯りを求めて、窓のほんのちょっとのすき間から、黒くて小さな虫が飛んで入ってきました。
正直に白状すれば、私は虫が大嫌いです。
虫というより、虫を殺すことが、どうもニガテです。
そのため、入ってきた虫の運命は、母にたくすことにしました。
まず、私の部屋の電気をすべて消して真っ暗にしました。
こうすると、灯りを求めて台所に飛んで行ってくれるはず……。
でも、もうずいぶんと体が弱っている虫は、なかなか光の方向に気付いてくれません。
そのため、洗面所の電気をつけました。
洗面所の灯りでおびき寄せ、ひとまず私の部屋から出て行ってもらう作戦です。
5分ほど待ったすえ、虫はひょこひょこと灯りのほうに歩き出しました。
やった!
さらに洗面所の電気も消して、母のいる台所の灯りだけが目立つようにしました。
……。
ひょこひょこ……。
やった!
作戦どおり、台所に向かって虫が歩き出しました。
ひと安心して部屋に戻り、電気をつけましたが、今度はどうも虫の行く末が気になります。
せっかく灯りを求めてやってきた虫。
残り少ない命のなか、やっと安心したところなのかもしれない。
などなど、いろいろ虫の気持ちを考えると、いてもたってもいられません。
こっそり台所に様子を見に行くと、ちょうど母の足元を虫がひょこひょこ。
あぁ、このままだと、踏まれてしまうかも……!
「虫、いるよ」と思わず私。
「どこ?」と母。
「足元」と私。
「あ……」と母。
「ど、どうするの?」とおそるおそる母に尋ねました。
「なんにも。せっかく入ってきた虫なんだから、家族と思っとき」
……。
……………。
母は、偉大だ……(汗)。
もうすぐ、終わるよ〜。
ザックのパッキングをしました。
来週登る山に向けて。
足りないものがいくつか出てきました。
月曜日に買い足します。
山頂の気温は2度だそうです。
防寒具ももっと持っていかないと。
今回は、山小屋にも泊まります。
ピークを目指すために。
最近、気づきました。
私って、ピークハンターだな、って。
6年前、白山のピークに登れなかったあの時から、私はピークハンターだったんだな、って。
でも、単に点であるピークを目指しているわけではありません。
ピークを目指す間の「登山」という線の過程があるからこそ、ピークに到達したときの感動を味わえます。
ピークに到達するために、いろんな努力をします。
体力づくりだったり健康管理だったり。
それでも、どうにもならないことがひとつ。
天気です。
今年2度目のお願いです。
どうか神さま、来週、晴れますように。
どうしても、晴れますように……。
おやすみ。
学生時代。
電車賃がなくて学校に行けないこともしばしば。
そんなときに、真剣に思ったことがあります。
あぁ、今も売血制度があればなぁ………。
もちろん、今はそんな制度は廃止されて当然だと思っています。
でも、アメリカではいまだに血液銀行がFDAの許認可のもとに運営されているとか。
………。
そっか、アメリカに行けばよかったのか………。
なんて、ことも思いません。
というよりも、当時の私は、学校の健康診断の血液検査を拒否していたくらい体に針を刺すことが大の苦手でした。
今も好きではありませんが。
ということで、今日の暦。
「献血記念日」。
昭和39年、売血制度をなくして献血の推進が決定された日。
みなさ〜ん。
献血に行きましょう。
おやすみ。
今日の昼ごはんはそうめんでした。
子どものころは、そうめんはイマイチ好きになれない麺類でしたが、おとなになってからは、夏はそうめんばっかり作っていました。
野菜をたっぷり入れてサラダ風そうめんにするのが定番。
ときどき納豆そうめんにしたり、そうめんチャンプルにしたり。
冬場はにゅうめんにしたり、鍋に入れてみたり。
カレーそうめんもおすすめの一品です。
今日のそうめん。
食べやすいように一口サイズにまとめられていました。
グッドアイデア。
今度から、大人数でそうめんをつつくときはこうしよう!と決断したのでした。
って、そんなに大人数で食べるって、滅多にないのですが。
ま、覚えていたら、そうしよう。
おやすみ。
兵庫県の明石と淡路島を結ぶ船「たこフェリー」に初めて乗りました。
明石大橋ができるまでは、このフェリーや高速船が交通の手段でした。
普通車1台と運転手1名で2050円、所要時間は20分。
高速道路だと2300円で所要時間は10分ほど。
どちらがお得かというと微妙な感じですが、ガソリン代などを考えて「たこフェリー」を選択。
休憩もできたし、景色も楽しめたし、おおいに満足です。
それにしても、久々にフェリーに乗りました。
そして、またしても、旅に出たくなりました。
いやいや、今年は我慢。
我慢の年なんです。
おやすみ。
豊臣秀吉と、北政所(きたのまんどころ)のねねは、当時では珍しく恋愛結婚だったそうです。
秀吉が26歳。なんとねねはまだ14歳だったそうです。
ふたりともまだ身分が低く貧乏生活。
それでも、幸せだったのでしょう。
ねねは、大坂城落城後も生き、76歳まで長生きしたそうです。
1624年。
徳川幕府はもう2代目の将軍になっていました。
戦国時代を武士の妻として生き抜いた女性は数多くいます。
でも、ねねのように時代を見据えて自分の居場所を築き上げていった女性は数えるほどしかいないのでしょう。
今日は、そんなねねの夫、豊臣秀吉の忌日です。
1598年。
秀吉のいない約30年間の人生。
子どもはいなかったけれど、だからこそ、生き延びることができたのかもしれませんね。
そんな歴史の「もしも」を考えながら、おやすみ。
友と飲み会。
1軒目は、私と友にしてみれば、かなり高めの店だったため、ビール2杯で出てきました。
2軒目は、よくわからない店に行きましたが、1軒目より安かったので、そこに居座ることにしました。
最初は友とふたりのはずだったのですが、途中でひとり来て、ひとり帰り、そしてまた途中でひとり来て、最後は3人で帰り。
のべ人数で4人で飲んだけど、そこにいる人数はつねに3人。
そして、それぞれに笑いがたえない飲み会になりました。
お酒を飲んで笑いあえる仲間がいるって、いいね。
おやすみ。
母の携帯代は、私が払っています。
といっても、たいした額ではありません。
ポイントも貯まるので、かえってお得感があります。
そして、母の安否の所在も、わかります。
母が、1日に何歩、歩いたか。
翌朝に、私の携帯メールに届くようになっています。
だいたい3000歩。
よく歩いて5000歩。
それで、いいじゃないですか。
私としたら、何歩歩いたか、というより、母がきょう、一歩でも携帯をもって移動したんだな、ということのほうが大事です。
だって、それは、生きている証だから。
でも、ときどき、母は携帯を忘れて歩くときがあります。
そういうときは、0歩。
かなり心配です。
きょう、母は0歩でした。
家に帰って、さりげなく、でも必要にかられて母の寝所をのぞきました。
………。……。
あっ! うごいた!
生きている母に安心しながら、私は、もう、おやすみ。
「よく学びよく遊べ」
個人的には後者のほうを必死になってやってきたように思います。
前者もがんばりましたが、比としてはやっぱり「遊」。
しかし、もともとはこの「遊」という漢字は、勉学のために他国に行くという意味があるそうです。
となると「よく学びよく遊べ」は「よく学び、他国に行ってさらにその道を極めてきなさい」ということなのでしょうか。
「遊びとは、自分の道を探す手段。遊び惚けてばかりではいけない」
手元の本に書いてありました。
ずしっと、その言葉を受け止めて、さて、明日から「遊び」にテーマをつけていくことにしましょうか。
おやすみ。
「最近の蝉は、人が通っても逃げないなぁ」
蝉取り名人の母が言いました。
「昔の蝉は、少しでも近づいたら、ぴゅっとおしっこをかけて飛んでったのになぁ」
母が子どものころは、虫取り網なんてありませんでした。
いえ、あったのでしょうが、母の住んでいたところは、山のてっぺんの小さな村だったので、すぐには買いにいけません。
子どもは自分たちの遊び道具を自分たちで作っていました。
「家にある針金でまーるいわっかを作ってね。それを細い竹の先に結びつけるねん」
なるほど。
わっかのところに網をくくりつけて虫取り網にするのかな?
「そのわっかのところに、大きなクモの巣を見つけてきて、くっつけるねん」
!!
クモの巣が網代わり?!
その手作り網で、母は蝉取り名人になったそうです。
壊された巣の主(あるじ)も、自分の吐いた糸を本来の目的どおりに使ってもらって本望だったことでしょう。
現代の蝉は、そんな小道具を使わなくても、すぐにつかまりそうですね。
おやすみ。
槍ヶ岳のビデオを何度か観ています。
残念ながら、私が登るコースはビデオには収録されていません。
でも、イメージができます。
白山以来、まったくトレーニングをしていません。
しかも最近はぐうたらと生活しています。
大丈夫か?
体力的な面でかなり不安はありますが、自分のペースをしっかりつかんで歩こうと思います。
それでも、足が前に進まなくなったときは……。
大丈夫。
いっしょに歩いてくれる仲間が力づけてくれるはず。
全幅(ぜんぷく)の信頼を彼らに寄せて。
さて、今日からトレーニング開始……か?
おやすみ。
「リベロ」。
なにそれ?って感じでした。
少なくとも、私がバレーボールをしていたころは、そんなポジションはありませんでした。
それとも、私が何も知らずに、ボールばかり追っていたせいでしょうか。
なーんて思いながら、今日、調べました。
最近、できたみたいですね。この「リベロ」。
守備専門のポジション。
いわゆる、レシーバー、なのでしょう。
リベロ。
そういうポジション名ができたこと。
いいのかな?
少し疑問に思いながら、おやすみ。
数カ月前、とある新聞に変更しました。
そうすると、毎月、映画の券が手に入るようになりました。
ひとつの劇場だけなのですが、それでもうれしいです。
でも、いい映画がきている月と、それほど興味のない映画がきている月と極端です。
そして、私自身が忙しすぎるか、それほど忙しくないかというのも重要です。
今月は、平日に休みが取りやすいため、母といっしょに映画を観に行きました。
「ダークナイト」。
例によって感想のニガテな私のため、やはり多くは語りませんが、ホラーやアクションの大キライな私には、どうもすっきりしない内容でした。
……。
……………。
ますます混乱を招くような感想で、やっぱりごめん。
さっさと寝よ。
おやす………、……。
「白山の写真を見せてほしい」
昨日、はちみつレモンの好きなギタリストさんに頼まれました。
CD-Rの写真でよければ、もらったものがあるので、きょう、それを見せてあげることにしました。
パソコンの画面で、画像をひとつひとつ進めていくけれど、どうも感情が入りません。
なぜかといえば、やっぱりそこにはその写真を撮ってくれた人の思いに満ち溢れているからです。
どうもちぐはぐで不親切な写真の説明をして、自己嫌悪。
やっぱりやめておけばよかった。
枚数は少なくても、たとえかなり下手なアングルでピンボケでも、私の撮ったものを数枚見せてもよかった。
そのほうが、まだうまく説明ができたかもしれません。
なんだかどうもいたたまれない気分になって、一足お先に失礼。
昔から、旅の感想や思い出を人に語るのは、ニガテだったなぁ……と、車の中で考えながら帰りました。
はぁ……。
やだやだ。
おやすみ。
2008年08月09日(土) |
思いやりより足りないもの。 |
数年前に知り合った18歳の女の子。
人の気持ちをあまり考えない爆弾発言が多くて、友もずいぶんと離れていっていました。
でも、ここ最近になってから、爆弾発言が減り、相手を思いやる言動がちらほら。
おとなになったんだな。
おのずと友も増えている様子。
近からず側にいて、ひと安心です。
人と人とのコミュニケーションって、思いやりから始まるんだということを、きっとどこかの時期に学んでいったのでしょう。
そして、たとえ初対面でも親友になっても、恋人や夫婦という関係になっても、相手を思いやるという気持ちが大切なんだということを、これから先、学び、実践していくのでしょう。
という私ですが、30代も後半になってから、この「思いやり」をどこかに忘れてきたみたいです。
ま、もともとこういう性格だったのですが。
でも、自己満足の優しさを撒き散らすよりは、わかりやすくていいかな、とも思っています。
とはいえ、たとえ時間は短くても毎日きちんと働いている人に向かって「あなたは暇だからいいね」とか、悩みや愚痴があってもあまり表に出さないようにしている人に向かって「あなたは悩みがなくてうらやましい」なんて、口が裂けても言えません。
「ひとの立場になって考える」
私が小学校1年生のときのクラスのスローガン。
………。
多くは語らず。
おやすみ。
その壱。
何がどうころんだのかまったくわかりませんが、大阪城に行きました。
なんと、カナダ人の女の子と。
ひとりでは心細かったので、山の友にも同行をお願いしました。
ふたりで必死に「英語」でコミュニケーション。
数年前までは、中学生英語でなんとかコミュニケーションがとれていたけれど、今はその中学生英語も思い出せず、四苦八苦。
「英語力」、落ちすぎました。
でも、山の友がいてくれたおかげで、楽しく過ごせました。
カナダ人の女の子もニコニコしていたし楽しかったのでしょう(たぶん)。
その弐。
白山登山の打ち上げパーティーでした。
予定では、夕方の早いうちからのんびり準備を始めよう……と思っていたのですが、突然の大阪観光が入ったため、朝のうちに適当に買い物をすませました。
大阪観光が長引いたのと、なんとなく段取りが悪かったのとで1時間ほど送れてスタート。
残念ながら、白山メンバー全員ではなかったけれど、でも、楽しい楽しい夜になりました。
総勢13人の宴会。
いいすね。
みんなでわいわい。
今日は、そんなこんなで、総じて楽しい楽しいがいっぱいいっぱい詰まった1日でした。
金曜の夜の宴会、最近、していなかったけど、いいすね。
考えることが多すぎて、大変!
くすん。
おやすみ。
アポロ11号は、月に着陸したのでしょうか。
疑惑が飛び交うなか、私は「した」と思っています。
そして、NASAは何かを隠しているのだと、何かを守ろうとしているのだと思っています。
たとえば、月で出会ったウサギであったり、そこに住む「人」たちであったり。
もしくは、宇宙人の存在を明らかにすると宇宙人から地球を爆破すると驚かされているとか、はたまた地球は銀河系ははるかかなたの宇宙人に作られた箱庭だったとか。
………。
こんな信じ方、あってもいいよね。
おやすみ。
法事でした。
お昼をうんと過ぎてから、お寺に行きました。
今年の3月、このお寺に父のお骨を預けました。
このお寺とは一生の付き合いになります。
だからかな。
なんとなく、親戚の家に行くような気分でした。
それでも、やっぱり。
ちょっぴり、寂しいね。
おやすみ。
二十歳の夏休みは、幼馴染の友と2人、東京から京都まで旅をしました。
私鉄やJR、路線バスを乗り継ぎ、東海道に沿って「下る」旅です。
当時、旅に慣れていなかった私ですが、分厚い時刻表とにらめっこしながら、私の旅の路線図を作っていきました。
そして、まだユースホステルを知らなかった私。
時刻表の後ろの頁に載っていた「ホテル情報」を頼りに、宿を選んでいきました。
1日目は、小田原まで小田急線の急行に乗り、そこからバスで箱根。箱根のユースホステル泊。
翌日は、またまたバスとJRを乗り継ぎ、天女で有名な三保の松原で行き、三保のユースホステル泊。
最終日は、やはりJRとバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、名古屋でビジネスホテル。
翌日は、急きょ名古屋で夕方まで遊ぼうということになったため、最後は高速バスで京都に到着。
ホテル情報にユースホステルまで載っているのが不思議ですが、当時は安い宿を探してユースホステルに宿泊。
それからユースホステルを常宿として使うようになるとは、夢にも思いませんでした。
行き当たりばったりの旅。
電車の本数が地方に行けば行くほど、1時間に1本もないことに驚き、下れば下るほどに、どんどんと方言が変わっていくことがおかしくて。
友とおおいに笑い、おおいに迷い、おおいに語った4日間でした。
今から思えば、もっと学割を活用すればよかった……とか、ユースホステルの会員になればもっと安く泊まれたのに……とかいろいろと反省点はありますが、それも、旅。
未熟な旅人がひとり、その年、その夏に誕生したことには変わりありません。
この夏、旅に出ようとしている二十歳の友がいます。
まだまだ不器用な旅人ですが、キラキラ光る瞳がたくましく感じます。
旅先で、あなたのもつ原石を磨いておいで。
旅人、万歳!
おやすみ。
命の灯火(ともしび)が消える瞬間を大切にしたい、と思います。
おやすみ。
いつから私は「居心地のよい場所」から逃げる癖ができたのでしょう。
なんて言いながら、いつからかは、だいたいわかっています。
逃げる……のではなく「居心地のよかった場所」に帰りたがっているのだということも。
その場所に帰ることは不可能なことも知っていて、だからこそ飄々(ひょうひょう)とした人生を送ってきたことも、十分に知っています。
来年、私の友たちが、東京に行こうとしています。
そんな友たちの影響を受けて、東京に帰りたがっている私もいます。
でも、私は今回はけっして逃げません。
だって、私には責任があるし、ひとつの場所にずっといるということの大切さも知っています。
でも、心がざわざわするのはなぜでしょう。
みんな、離れ離れになっちゃうからかな。
寂しいね。
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記