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2006年01月31日(火) ごはん

今日も1日取材。
疲れた〜〜〜。

でも、おいしい「ごはん屋」さんを見つけたので、大満足です。
また行こう♪


2006年01月30日(月) ぼう

1日取材。
あちこち歩き回りました。
夕方には、足が棒のよう。
ハイキングで歩くのとは、また違います。

ちょっと、疲れたかな。

おやすみ。


2006年01月29日(日) 貴船から鞍馬まで

京都の左京区、貴船から鞍馬までを歩きました。
のんびりハイキングを想像していたのですが、思った以上に雪があって、山の中は凍っていて、けっこうスリルのあるハイキングになりました。

とはいえ、やっぱりのんびりハイキング。
貴船を散策し、鞍馬山を越えて、鞍馬温泉。
そして、最後は先斗町で「反省会」。

楽しい楽しい1日になりました。
ただひとつ、心残りなのは、鞍馬山で有名な木の根道が雪で覆われていてほとんど見えなかったこと。

今度は雪のない時期に歩いてみたいです。

おやすみ。


2006年01月28日(土) いい。

いい天気。
いい1日。

おやすみ。


2006年01月27日(金) 開放

「ヒーリング」とは「心身に働きかけて生命力・自己治癒力を引き出し、治癒・回復を促す活動。癒し。」とのことらしいです。

このヒーリングを、今日、取材先でしてもらいました。
いえ、正確に言えば「いきなりされた!」のほうが近いかもしれません。

効果はあえて書きませんが、たぶん、私には「ヒーリング」は無用のものだな、とあらためて感じたのでした。
というより、初対面の人に「心身に働きかけて」もらいたくないし……。

でも、効果がある人にはかなり喜ばれているとのこと。

私ももっと開放的になればいいのでしょうか。

おやすみ。


2006年01月26日(木) ゴム飛び

小学校のころ、女子の間で「ゴム飛び」という遊びがありました。
地域によって、遊び方やルールはさまざまですが、私の通っていた小学校では、1本のゴムをいろんな技を使って飛ぶ方法です。
「まる」「おとめ」「二段飛び」などなど、もうほかには思い出せませんが、今から思えば、「よく覚えたな〜」というくらいの技を使って、飛んでいました。

走り高跳びのように、ゴムの高さがどんどん高くなるため、当然、背が高い人が有利になります。
小学校のころは、背が高いチームに属していた私は、ゴム飛びが得意でした。

ほかの小学校では、ゴム飛びの歌に合わせて2本のゴムを飛んでいく方法が主流だったけれど、なぜか私の小学校だけは、1本のゴムでした。

今日、久々にゴム飛びの話題で盛り上がりました。
聞けば、沖縄も1本のゴムで飛んでいたとか。

そんな懐かしい話題で、おおいに盛り上がった夜でした。

おやすみ。


2006年01月25日(水) こんな日

最近、日記ネタがない……というよりも、書く気力が最近ありません。
とはいうものの、毎日、書いていますが……。

そんなこんなで(どんなで?)、今日は何の日カレンダーで、今日は何の日か調べてみました。

今日は……。

●左遷の日
901年、菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷された日とのこと。

●日本最低気温の日
明治35年、北海道の旭川地方気象台で-41.0℃という日本の最低気温を記録したとのこと。

なんか知っていても知らなくてもどうでもいいような日ですが、歴史の勉強にはなりました。

おやすみ。


2006年01月24日(火) 取り戻せない、時間

とんとん。
とんとん。

近所で、新しい家が建たられています。
最近のあっという間にできる組み立て式の家ではなく、マンションでもなく、木造の一軒家。
最近はもう壁まで塗られていますが、少し前までは、ぷーん、と木の香りがしました。
懐かしい。

大工の父をもつ私は、生まれてからずっと、木の香りのする職人さんたちに囲まれて育ちました。
もの心ついた時から、木屑が兄と私のおもちゃ。
母は、その木屑に、目や鼻を描いて人形にしてくれました。

だからでしょうか。

とんとん。
という音といっしょに流れてくるあの木の香りが、やたらと胸を締め付けるのは。

なくしてしまった時間は、もう取り戻せません。
ただ、ただ、これからの時間(とき)を、一生懸命に生きていくことが、私には必要なのでしょう。

おやすみ。


2006年01月23日(月) 薄い雪

最近、朝起きると、地面や車の上などに、うっすらと雪が降り積もっています。
これを「帷子雪(かたびらゆき)」ということを、最近、知りました。

「帷子(かたびら)」とは、平安時代に用いられていた夏用の薄い麻の着物のこと。
江戸時代には、お風呂に入るときに着る「湯帷子(ゆかたびら)」と言われ、これが後の「浴衣(ゆかた)」になったそうです。

そんな「帷子」のように薄く降り積もった雪。
今年、これだけたくさんの雪が降らなければ、私はこの言葉に出会わなかったでしょう。


  霰(あられ)まじる帷子雪は小紋(こもん)かな
                        芭蕉


昔から受け継がれてきた言葉のステキな響きが耳に心地よく、私の好きな俳人「松尾芭蕉」が眺めただろう「帷子雪」をじっと眺めてしまうのが、最近の私の朝の日課です。

おやすみ。


2006年01月22日(日) 手助け

脳性まひの障害をもつ人を取材しました。
最近、身体障害者の作業所や施設、ボランティアをしている人を取材することはありますが、障害をもつ人をメインに取材をするのは初めて。

ちょっと緊張した取材。
でも、やはり「人」の話を聞くのは、いつもいつも心打たれます。

重度の言語障害をもつ人もいました。
でも、知的障害はまったくありません。

一生懸命にしゃべってくれました。
一生懸命に聞きました。
みんなが私に笑いかけてくれました。
車いすを押すと、「ありがとう」と喜んでくれました。

何をしたらいいのかわからない。
余計な手助けをすると怒られそう。
なんて思っていた私。

私にでも、できることはあるんだってことを、今日、発見しました。
小さなことから、ひとつずつ。

おやすみ。


2006年01月21日(土) 軍歌

「同期の桜」という軍歌があります。
おそらくいちばん知られている歌ではないかと思います。

「貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため」

なぜかゆうべ、この歌を思い出しました。
でも、私が知っているのは、最初の1行目だけ。
なんとなく気になり、歌詞を調べてみたところ、意外な内容。

死んでお国を守りましょうという内容ばかりだと思っていましたが、還らぬ仲間を思う部分や、なぜ死んでしまったのかと嘆く一文もありました。

軍歌。
勇ましい歌もありますが、それでもどこか悲壮感があるのは「敗戦」の歴史だけではないように思いました。

今、日本には軍隊ではなく、自衛隊がありますが、日本以外のメディアは、自衛隊のことを「Japan Self-Defense Forces」ではなく「Japanese Army」と称することが多いとのこと。

この先の時代、それが正式名称になる時がくるのでしょうか。
どちらがいいのか、私には難しすぎてわかりません。

おやすみ。







2006年01月20日(金) 寒ぶりのしゃぶしゃぶ

「寒ぶりのしゃぶしゃぶを食べて感動したわ〜」

そんな話を年末に聞きました。
しゃぶしゃぶって牛肉だけだとばかり思っていた私。
肉嫌いの私には縁のないものでした。

が、そんな私にも食べられるしゃぶしゃぶがある!

ということで、さっそく寒ぶりのしゃぶしゃぶパーティーが企画されました。
みんなで数日前から綿密に計画を練り、主役の寒ぶりはデパートの鮮魚コーナーで購入。
準主役の野菜たちは、寒ぶりしゃぶしゃぶ企画者の家庭菜園から入手。
この野菜高騰の時期に、たっぷり野菜を入れた豪華しゃぶしゃぶ鍋が出来上がりました。

みんなでわいわい、わいわいと鍋をつつき、しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶと薄く切られたぶりをしゃぶしゃぶ。

「おいしい〜」

と自然と笑みがこぼれます。

ひとりが差し入れに持ってきてくれた「真澄」の梅酒も今日の人気者のひとつ。
みんなでつつく鍋って、ホントに楽しくておいしい。
いえ、鍋だけでなく「みんなで作って食べる」って、おいしいさが増します。

次回は、何パーティーが催されるのでしょう。
決まらぬうちから、楽しみです。

おやすみ。


2006年01月19日(木) ブロッコリー

ブロッコリーが日本の食卓に並び始めたのは、1970年代になってからとのことです。
カリフラワーなどとともに、明治の初めに輸入され始めたそうですが、なかなか浸透しなかったとのこと。
おそらく、いろんな輸入野菜の調理法を、テレビなどを通じてアピールしだしたのがそのころなのでしょう。

私の母は、こうした目新しい野菜にはあまり興味を示さず、当時、どんどん市場に出てきていたブロッコリーやアスパラガス、カリフラワーなどの野菜がのぼることはありませんでした。

だから、私が初めてブロッコリーを食べたのは、23歳の時。
会社帰りに八百屋さんに寄ってレタスを買ったら、八百屋のおばさんが「ブロッコリーもどう? おいしいよ」とすすめてくれたのです。

母の影響か、私もあまり気乗りはしませんでしたが、いつもよくおまけしてくれる八百屋のおばさんがすすめてくれるのだから……、と思い切って1つ、買うことにしました。

「これは、どうやって食べるんですか」

「湯がいてマヨネーズをつけて食べるとおいしいよ」

その日以来、ブロッコリーは私のお弁当の友。
こんなにおいしい野菜に出会えてうれしい♪と、しばらくシアワセ気分な毎日が続きました。

今、台所には大きなブロッコリーがひとつ。
明日、食べるのが楽しみです。

おやすみ。


2006年01月18日(水) 1行日記よ

ごろごろ。


2006年01月17日(火) 元気で

正月明けから、父の体調が悪くなりました。
腸の調子が悪いらしく、朝から晩までうんうんとうなされています。
母が、会社の知人に相談したところ「それは、大腸がんの症状だ!」と言われたそうです。

父の家系は、がんで亡くなった人が多く、父も「ワシはがんで死ぬんや」と常日頃、酔っ払ったときに口走っていました。
私も母も冗談半ばに聞いていましたが、まさか……。

話は、まったく変わりますが、母はお昼の番組は「笑っていいとも」派で、昼に家にいるときは、ほぼフジテレビをつけています。
「笑っていいとも」が始まったときも、「おもしろい番組が始まってん」と自慢げに私に言っていました。

その母は、先日、なぜか「思いっきりテレビ」を観ていました。
もしや、紅白歌合戦でみのもんたファンになったのか?!
こっそりと、テレビ欄をみると……、

「この時期寒さで弱った大腸を元気にするコツ」

………。
なんと父は、この正月の暴飲暴食がたたって、大腸が弱っていた様子。
がんでもなんでもありません。

いや、父の正月の暴飲暴食は毎年のことなのですが、やはり年なのでしょう。
表面に出てくるようになったのです。

なんだか安堵しながらも、人騒がせな父と、私と同じ心配性すぎるの母。
ふたりとも、元気でいてね。

おやすみ。


2006年01月16日(月) 雲の上に太陽

子どものころ、初めて飛行機に乗ったときのこと。
地上は大雨だったのに、雲を抜けて上空に出ると、いきなり太陽がこうこうと輝いていました。

「あれ? 雨がやんだ……」

思わずつぶやいた私に、母は「雨雲の上だから」と一言。

「!!!」

雨の日の太陽さんは、いったいどこでどうしているのだろうと、普段からフシギに感じていた私には、衝撃的な事実でした。

「そっか。雨の日は雲の上にいるのか」

でも、ここでまた疑問。

太陽にこんなに照らされている雨雲は、蒸発しないのかな……?

この疑問は、数年後に解決されることになりましたが、子どものころのフシギ、ふとした瞬間に思い出されます。

今日は飛行機の中から、雪雲を眺めました。
太陽にこうこうと照らされている厚い雪雲。

「雪は、とけないかな?」

………なーんて思うわけ、ありませんね。
もうすっかりおとなです。

おやすみ。


2006年01月15日(日) 1行日記

今日の話は、ないしょ。


2006年01月14日(土) ワカンでさくさく

昨晩、のんだ風邪薬が効きすぎたのか、朝はゆっくりめに目が覚めました。
友の作ってくれた朝ごはんを食べ、のんびりとしたあと、さっそく雪の中に出かけます。

ホントは、近所の山をつぼ足(スキー板などをつけず、雪にずぼずぼと穴を空けながら歩くこと)でトレッキングの予定だったけれど、ちょっと天候が悪かったため、周辺の野原をざくざく散策。
おみやげのワカン(登山用のかんじき)とおみやげの長靴をさっそく私が履かせてもらい、雪の中に出かけました。

雪が軽いのでしょうか。
ワカンやスノーシューを履いていても、雪の中に沈みます。
少し歩くと汗びっしょり。
小さな谷をずるずる滑りながら下り、得体の知れない何かの足跡に思いをめぐらせ、つぼ足で歩いてきた友が雪に埋もれるのを見守り、小さな登りのはずなのに、危うく遭難しそうになって。

大笑いしながら、雪の原を散策。
たった小一時間だったけれど、とてもとても楽しい時間でした。

昼ごはんを食べに出て、馬術関係で有名な店に行き、それから帰ってきて、みんなで夕飯づくり。
といっても、もうごはんは炊いていてくれたので、差し入れでいただいた「ハヤシライス」を温めただけ。
おいしいおいしいと言いながらみんなで食べました。

楽しい夜は、今日もどんどん更けていき。
ほどよく酔っ払ったところで、今日もおやすみ。


2006年01月13日(金) お菓子の家とぽかぽか鍋

3泊4日の旅の始まりは、飛行機です。
新千歳空港に着き、一路、小樽を目指します。
飛行機の出発が40分ほど遅れたため、予定していた時間より2時間近く遅れて小樽に到着。
お昼ごはんを小樽で……と思っていたけれど、もう16時でした。

いつもの店「魚真(うおまさ)」でお寿司を食べるのが精一杯。
運河までは、悪天候もありたどりつきませんでした。

札幌で友と合流してから、今回の旅の目的地に向かいます。
年末から北海道で暮らし始めた友の家です。

駅まで迎えに来てもらって、途中、いろいろと買い物をして、まるでお菓子の家のようなステキな家にお邪魔しました。

外は氷点下。
でも、家の中は半そででも大丈夫なくらい、ぽかぽか、ぽかぽか。
北海道に来たんだな。

夜は、用意してくれていた鍋をつつき、みんなでわいわいとおしゃべり。
私は、予防に飲んだ風邪薬が効きすぎて、早めにお休み。

でも、楽しい楽しい北の大地の初日でした。

おやすみ。


2006年01月12日(木) 小さなザック

初めて北海道をひとりでまわったときは、ちょうど雪祭りの時期。
2月のいちばん雪が多いころ。
私は、二十歳でした。

そのころの北海道がどのくらい寒いのかも検討がつかず、バイト先にたくさんいた北海道出身の人たちに、寒さ対策を聞いて荷造りしました。
できる限り荷物は小さくしようと、15リットルほどのザックに少しの着替えやカメラを詰め込み、2週間のJR周遊券で道北をのぞいた北海道をほぼ1周。

雪の深さと人のあたたかさ、旅人とのふれあいがとてもとても新鮮だったのを、とてもとてもよく覚えています。
ひとり旅って、孤独じゃないんだなって。

今日、17リットルのザックに、荷物を詰め込みました。
あれもこれも、と入れていくうちに、ザックに入りきらなくなりました。
少しずつ、減らしていったけど、それでもパンパン。

二十歳のころ、必要ではなかったものが、今は必要になっているのでしょうか。
いや、そんなことはないはず。
「あれもいるかも。これも使うかも」の荷造りがいつの間にか身についてしまったようです。
「快適な旅」に慣れてしまった私自身に、一抹の寂しさを覚えながら、入れていたTシャツを1枚、減らしました。

明日から久々に雪の北海道。
実に4年ぶり、です。


2006年01月11日(水) 1行日記

先行き不安だわ。


2006年01月10日(火) 先の先

先日、「将棋」の話を日記に書きました。
思いがけず、いろんなところから反応が届きました。
それだけわが家の遊びが珍しかったのか、今の子どもたちは「将棋」では遊ばないのか。
とはいえ、残念ながら、私は将棋のさしかたを知っているだけで、勝負はできません。
オセロ同様、先の先のそのまた先の手を読む、ということができないのです。
子どものころから私は刹那主義だったようす。

もうひとつ言えば、実は碁(ご)も打つことができます。
こちらも、兄と私がいっしょにできる「遊び」のひとつでした。
ふたりだけのルールを作って、ときどき勝たせてくれました。
もちろん、碁の場合も、私はその場しのぎの手を打っていくだけで、兄にしてみれば、禁じ手だらけの奇想天外な碁譜になったことでしょう。

囲碁・将棋。
もう少し、真剣にしておけばよかったかな。
今なら、先の先くらいまでは読んでいけることでしょう。

おやすみ。


2006年01月09日(月) 内容のある三行日記

う〜ん。
今日は、朝から晩まで忙しかった!
おつかれ!


2006年01月08日(日) どうにもならない

世間は三連休。
私は……、仕事三昧。

きゃーーーっ。

と叫んでもどうにもなりません。
がんばって、ハタラコー!


2006年01月07日(土) どちら?

仕事で出かけていましたが、忘れ物をしてふと家に戻りました。
ちょうど、七草粥がおいしそうにできあがったばかり。
それと、おでんと。

「ちょっと、食べるか?」と母。
「う……、うん!」と私。

ちょうど食べやすいくらいの温かさと、それからおでんのゴボテン。

ん、まーい!

おでんはニガテな私だけど、最近は、母の作るおでんだけはおいしくお代わりまでして食べられるようになりました。
母の腕が上がったのか、私の味覚が変わったのか?

孝行として、前者にしておきますか。

おやすみ。


2006年01月06日(金) 年賀状

年賀状もそろそろオワリ。
遅くても7日までに届くように……と言われている年賀状。
大晦日に出した私の年賀状は、4日くらいに届くかなと思っていたけれど、どうやら最近、届き始めたようです。
どうして?

2年前は、大晦日に出した賀状が、3日には届いていたりしたのに……、と疑問はたくさんありますが、ま、そういうこともこれから減っていくのでしょう。
きっと。

そんなこんなで、わけもわからず。
おやすみ。



2006年01月05日(木) 将棋

小学校4年生のとき、兄に「入門」したことがあります。
何の入門かというと「将棋」です。
将棋のめっぽう強かった兄は、おとな顔負けの子ども棋士でした。
町内会のお父さんたちを次から次へと負かせ、市の将棋大会でもおとなたちと混ざって、けっこう上位まで勝ち進んでいました。

きっかけを与えたのは、もちろん父。
それでも、兄は持ち前の天才的頭脳と執拗なくらいの好奇心で、どんどん、どんどん、詰め方を覚えていったのでした。

そんな兄に入門。
理由は、従兄弟に勝ちたいから。
正月に、従兄弟と将棋をさし、大敗。

「おまえ、それでも妹か?」

とバカにした従兄弟にどうしても勝ちたかったから。

駒の動かし方や囲いのしかたは知っていましたが、攻めの将棋ができなかった私。
「王」を守ることだけでせいいっぱいでした。

そんな私に、兄は根気よくそして厳しく、攻めの詰め方を教えてくれました。

結局。
私はまったく何も覚えることがないまま破門となり、兄は中学校に入ると将棋をやめてしまいました。

でも。
あのとき、兄に入門してよかったな、と思います。
囲いの将棋しかできなかった私に、攻めの将棋を教えてくれた兄に、今は、ちょっと感謝しています。

おやすみ。


2006年01月04日(水) 今年初の1行日記

正月休憩。


2006年01月03日(火) 今年2度目の登山。

京都市の北西に、愛宕(あたご)神社があります。
防火、鎮火の神様として、とくに京都の人に昔から親しまれているとか。
親しまれているとはいってもこの神社のあるところは、実は標高924メートルの山頂で、気軽に行くにはちょっと高いところにあります。
昔は、ケーブルがあったようですが、今は廃止。
アクセスはもちろん徒歩。

今日は、その愛宕山に登りました。
メンバーは、夏に行っていたハイキングセミナーの有志です。
半分ほどがそのまま冬山セミナーも受講していますが、私は諸事情ありで泣く泣く断念。
だから、今日は久々にみんなに会えるのが、この山行のいちばんの楽しみでした。

楽しみとはいえ、もう冬山セミナーの実技も始まっていて、練習を積んでいる人たちといっしょに登るのは、ちょっと不安でしたが、なんとか着いていくことができました。

5合目を過ぎたあたりから少しずつ雪が増え、7合目でアイゼンを装着。
雪はどんどん、どんどん増え、山頂付近は積雪1メートルはあったでしょう。
途中、冷たい風が積もっていた雪を吹き上げ、全身に吹き付ける瞬間が、このうえなく寒い!

それでも、みんなでわいわい、わいわいと登る愛宕山。
六甲縦走路以来のこの団体登山がなんとも楽しい。

つながりは「山」しかないけれど、このつながりも強い強いつながりなんだな、って思いました。
そして、私の顔や名前を覚えていてくれた仲間がいたが、きょうのシアワセのひとつです。

おやすみ。


2006年01月02日(月) 共通認識

恒例の勝尾寺旧参道を登っての初詣。
いつもの年より、いっしょに歩いた人数が多いせいか、いつもの年より楽しいハイキングになりました。

毎年、境内のお寺の軒下を借りて昼ごはんを食べるのですが、今年は、最近はまっている「山で湯豆腐」をしようということで、隣の公園へ移動。
各自お湯を持参して、ガスで沸かして湯豆腐を作りました。

今年は雪がほぼ皆無でしたが、やはりじっとしていると寒さはこたえます。
冷たい冷たい空気のなかの湯豆腐。
なんともシアワセでした♪

しかも正月の食材が余っていたため、海老やホタテも入り、山で海の幸を食べるというぜいたく湯豆腐。

この仲間ならではだな、と思いました。

今日、登った仲間は、一応登山チームですが、山に登るだけが目的ではありません。
こうして、登ることも食べることも話すことも温泉につかることもすべてを楽しんでいます。
今日は、そういう「共通認識」が再確認されたような1日でした。

いい仲間。
ありがとう。

いい1年を!

おやすみ。


2006年01月01日(日) 1枚の年賀状

毎年、この日。
元旦の朝。
ポストを見に行くのが、お正月いちばんの楽しみです。

最近は、パソコンのおかげで個性あふれる年賀状が届くようになりました。
家族や子どもの写真つきの年賀状や、文字がたくさん書かれている年賀状、かわいいイラストの年賀状、とっておきの1枚の写真を使った年賀状などなど。
1年に1度、友との「つながり」を確認できる1枚のハガキに感謝しています。

その中で、シンプルなイラストに、達筆で新年の挨拶が書かれた年賀状が1枚。

「旅先のハガキなど、ステキな言葉がたくさん書き添えられた便りに、とても感激しています」

読んでくれているかどうか、手元に渡っているかどうかわからないけれど、定期的に出し続けていた絵はがき。
旅先のこと、仲間たちのこと、自分のこと、とにかくいろんなことを書き綴ってきました。

「けっして、あなたはひとりじゃないんだよ」

そんなメッセージを行間にこめて……。

そして今日。
ずっとずっと待っていた彼女からの便りに、思わず胸が詰まりました。
ありがとう。
思い出してくれて。
ホントは「ひとりじゃない」と自分に言い聞かせるために、彼女に絵はがきを送っていたのかもしれません。

でも。
今はよくわからない「ホントのこと」はどうでもいいのです。
彼女からの年賀状が届いたという現実が、うれしいのです。


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