紫
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「タダ券があります」
という言葉に誘われて、映画に行ってきました。
どうもありがとう。
行くまで、何の映画か忘れていましたが、映画館の前に行ってびっくり。
観たいなぁ、と思っていた映画でした。
「半落ち」
寺尾聡さん主演の映画です。
半落ち、とは警察用語で、「容疑者が容疑を一部自供しているが、完全には自供していない状態」とのこと。
最愛の妻を殺害し、自首するまでの空白の2日間を追う警察や検事、判事、記者、弁護士。
2日間の行動について、かたくなに口を閉ざす容疑者。
ちょっともやもやの残る内容でしたが、観てよかったな、と思います。
なんといっても役者陣が、最高でした。
脇役の警官までもが、いい演技をしていました。
原作は、直木賞候補になった作品とのこと。
300ページもある大作です。
読もうとは思わないけれど、原作では私の「もやもや」が解消されるようです。
久々の映画。
久々の邦画。
いいですね。
二十歳のとき、初めて1人で北海道を旅しました。
2月の雪のいちばん多い季節。
道路に、ヒーターが入って雪をとかしているということも、夜もストーブを消さずに寝るということも、家の前に、高床式の灯油タンクがあることも、玄関を開けるとまた玄関があるということも、すべてが新鮮でした。
友のすすめで、小樽の小さな宿に泊まりました。
一人旅で、初めて泊まる宿でした。
宿の玄関が雪ですっぽりと隠れていたり、すきま風が入らないように、窓にビニールがかぶせてあったり。
宿主が急に歌いだしたり、その宿から毎日仕事に通う人がいたり。
「宿」とか「人」に対する私の常識が、崩れるほど新鮮でした。
いちばん驚いたのが、湯たんぽ。
夜、お風呂から上がったころに手渡されます。
「布団のなかに入れて、布団をあたためてください」
その言葉のとおりに、布団のなかに入れておきました。
ちょうど寝るころには、布団はぽかぽか。
湯たんぽを使うのは、初めてではなかったけれど、こんなに布団をあたためてくれることに、驚きました。
朝になっても、まだ湯たんぽはぽかぽか。
「朝は、水が出ないので、その湯たんぽのお湯で、顔を洗ってください」
湯たんぽのお湯を、大事に洗面器にこぼすと、ほんのり湯気がたちました。
「あたたかい…」
顔を洗うのにちょうどいいくらいの温度。
寒い国の人は、いろんな知恵をしぼって暮らしているんだなぁ、と感心したのを覚えています。
今日、部屋に入ると、ひんやりと冷たい空気が、頬をかすめました。
妙に湯たんぽが懐かしくなったけれど、ここには湯たんぽは必要ありません。
湯たんぽのお湯で、顔を洗うこともありません。
そういえば、冬の北海道。
しばらく行っていません。
イジメのようなものに、何度かあったことがあります。
何度かというよりも、3度。
イジメというか、「無視」というか。
小学校のときに2度、中学校のときに1度、あります。
きっかけはどうでもいいことです。
小学校のときは、ガキ大将の言うことに従わなかっただけ。
それでも、幼稚園からの友がガキ大将をやっつけて、私へのいじめは一瞬で終わりました。
後から聞けば、私をいじめていた彼女は、私といっしょに遊んでみたかった、とのこと。
人騒がせな話です。
中学校のときは、部活の遅刻はバツ。
校正5周。
バツです。
友である彼女は、それを1周でごまかそうとしました。
「校庭は、5周だ」と私が言ったその日から、私への「無視」が始まりました。
私としては、どうでもいい話だったのですが、理不尽な「無視」が許せず。
結局は、理詰めにしてしまい、彼女は、ぐぅのね、も出ませんでした。
そんなことはしたくなかったけれど、やっぱり校庭は、5週なんです。
5周、走った人が、満足を得るんです。
人に語れる話があるだけ、まし?
おやすみ。
190円のカレーか、210円のラーメンか。
真剣に悩んだことがあります。
もちろん、最近の話ではありません。
学生時代、学食の食券売り場の前で、です。
カレーがきらいだった私。
でも、おなかがいっぱいになるのは、カレーでしょう。
ラーメン好きな私。
納豆ごはんにも飽きて、久々に汁につかった麺が食べたい。
う〜ん。
う〜んう〜ん。
……。
納豆ごはんにしよー。
結局は、空腹は水でごまかして授業に出て、家に帰って納豆ごはんになりました。
「自炊していて、偉いね」
友からみれば、納豆ごはんも自炊になるのでしょう。
卵を買うにもためらった学生時代。
今はホントにぜいたく三昧、です。
【余談】
実は、その日は電車の定期券が期限切れで、現金で帰らなければいけませんでした。
片道150円。
財布のなかは、300円。
カレーを食べていても、ラーメンを食べていても、私は家まで帰れなかったことでしょう。
やはり、自炊に、限ります。
見栄っ張りの父は、私が最初に就職した会社の名前を、親戚に言えませんでした。
マイナーな食品メーカーだけど、ある食品にかけては「最大手」だったのに。
私も、よく人に笑われました。
「なんでまた」
と言う人もたくさんいました。
私が答えるセリフは決まっています。
「社員の顔をすべて知っている会社に入りたかったから」
もちろん、これだけがすべてではありません。
でも、会社に入ってしばらくしたときに、この会社に入ってよかった、と思いました。
大きすぎる大学の、卒業も危ういぽつり、とした存在だった私が、その会社では、スパルタにそれでも見捨てられることなく育てられ、いつも誰かに見守られ、突き放されても、どこかで安心感をもてるような、そんな、会社。
辞めて十年近く経ちますが、今も、私はその会社に、その支店にいたこと、「彼ら」に育てられたことを、誇りに思っています。
今もまだ、私のことを呼び捨てにする先輩たち。
いつまでたっても「仲間」扱いしてくれる彼らの存在もまた、「小さなシアワセ」のひとつです。
「東京駅の丸ビルで昼ごはんを食べよう」
昨夜、泊めてくれた友が言いました。
丸ビルといえば、私が週に1度、営業に行っていたビルです。
丸の内ビルディングで「丸ビル」。
大阪の丸ビルのように丸いわけではありません。
東京駅のまん前にある丸ビル。
ずいぶんとキレイになっていました。
キレイになったというよりも、以前の姿はもうとどめていません。
丸ビルだけではなく、東京駅の周辺はずいぶんと様変わりしていました。
以前のように、都会だけど、古ぼけたビル群にどことなく『田舎くささ』のあった東京駅とはもうまったく違います。
十年ほど前、この丸ビルに、週に1度、配達にきていました。
あちこちへこんだボロボロのハイエースを路上駐車して、20キロ前後の商品をせっせと搬入していた私の姿は、もうどこにもありません。
この大都会・東京に、戻りたくて仕方がない時期もあったけれど、今は、そんなことはまったく思わなくなりました。
ただ、いまだに大阪より東京の道のほうをよく知っているのは、きっといろんなことを吸収しやすい時期に、あちこち歩き回ったからでしょう。
新幹線を新大阪で降りて、在来線に乗りました。
「うん、帰ってきた帰ってきた」
大阪弁の飛び交う電車のなかで思ったこと。
いくらビルが新しくなっても、どんなに街が変わっても、私の軌跡は「そこ」にあって、私がその「軌跡」を見たいときにはいつでも見られるんだ。
この大阪にも、私の「軌跡」はたくさんたくさんあって、だから「ほっ」とするんだろうな。
今、住んでいる街が、私の「ほっ」とする街になったのは、ホントに最近。
私の「軌跡」に気づかせてくれた、数多くの友のおかげです。
今日、丸ビル6階で食べた「銀たら定食」1400円。
かなりおいしかったけれど、700円で半分の量のほうが、うれしかったな、と食べ終わってから思いました。
おいしさと安さのバランスを考えると、食べ物は、やっぱり「大阪」に軍配が上がりますね。
おやすみ。
朝食に入った店で、顔を洗い身支度を整えて、いざ出発。
え? どこに出発するのかって?
もちろん、「東京ディズニー・シー」へ!
突然に決まったこのツアー。
誘ってくれた友と、行かせてくれた人たちに感謝です。
どうもありがとう。
さて、この「おとなの遊園地」と言われているディズニー・シー。
オープン当初は、かなりの混雑だったようですが、今は時期的なものもあって、私たちの最高の待ち時間は30分弱のアトラクションが1つ。
そのほかは、15分とか20分待ちがほとんど。
待ち時間3分というアトラクションもありました。
ということで、人気アトラクションはほぼ制覇。
一番人気の「インディー・ジョーンズ」がお休みだったのは、唯一の心残りと言えるでしょう。
食事の時間もゆっくりとれたし、おみやげ屋さんもじっくりと見て楽しめたし、大・大満足の1日でした。
仕事から離れて丸1日遊んだのは、かなり久々。
やはり、パソコンを持たずに遠くに行くのも、いいものですね。
ときおり、ちらりちらりと仕事の段取りが脳裏をかすめていたことは、気づかないように気づかないように、ミッキーちゃんに手を振っていましたとさ。
ディズニー・シー。
一度は行くべし!
学生時代に住んでいた部屋は、北向きの寒い部屋でした。
朝、目が覚めて、前の住人が残していった温度計を見ると、4度、というときがありました。
まだ、太陽のあたっている外のほうが暖かかったような気がします。
冬の初めに、母が送ってくれたこたつと、父が買ってくれた電気ストーブをいっしょにつけると、電気のブレーカーが落ちてしまいます。
だから、カセットコンロをこたつの上において、つねにお湯を沸かしつづけながら、部屋を温めました。
部屋にカーテンもなく、すきま風がすーすーと入ってきたその部屋は、どうがんばってもそのときは12度くらいまでしか温まりませんでした。
それでも私は、その寒さを楽しんでいました。
大学に入りたてのころ、ある先輩が教えてくれました。
「夏の暑さはどうにもならないけれど、冬の寒さはいくらでも『暖』はとれる。たくさん着込めばいいんだよ」
その言葉のとおり、私は冬になったらたくさんたくさん着込んで、電気代やガス代を節約。
体内からも温めようと、沸いたお湯でお茶を入れて飲んでいました。
今から考えたら、電気・ガス・水道代だけで1月2000円にも満たなかったのですが。
つい先日、ふと温度計を見ると、6度。
すぐにガスファンヒーターをつけて、10分もすると13度まで上がりました。
たまには、昔を思い出して、着込み戦法で暖をとろうかな。
なーんてことは、微塵だに思いません。
私にとって暖かさは、ちょっと大きめの「小さなシアワセ」のひとつ、です。
高校のころ、制服が好きでした。
コバルトブルーのブレザーにエンジ色のネクタイ。
短くしても長くしても不恰好なスカート。
入学する前から評判の悪かったこの制服。
それでも、私はこの制服が大好きでした。
学校帰り、制服のまま、よく街まで買い物に行きました。
制服のまま、学校をサボって遊びに行ったり、映画を観に行ったりしました。
修学旅行生の多い土地がらのため、補導されることもなく、制服を着て遊びに行っているので、祖母に心配されることもありません。
なんといっても、自分自身が制服を着ていることを、いちばん安心していました。
私にとって、「お守り」のような存在だったのかもしれません。
制服を脱いで何年か後、母校に教育実習に行きました。
私が着ていたのと同じ制服を、がんばってかわいく着こなそうとしている生徒たちに、
「なんにもしなくても、今のままで十分にかわいいよ」
と言っても、通じないでしょう。
最後の授業のときに言った言葉は、
「卒業して何年か経ったときに、母校の制服を見て『あの子たちは私の後輩なんだ』って、胸をはって誰かに言えるような制服の着方をしてください」
先輩の影響を、もろに受ける後輩のために、そしてゆくゆくは自分のために、きちんとしていてほしい。
そんなことを伝えました。
「今は、わからなくてもいいから。きっとあとでわかるから」
そんなことを付け加えて、授業を終えた気がします。
どんどん自分が成長し、良くも悪くも変わっていくなかで、変わらぬ何かを見つけることのたいせつさを、5つ年下だった彼らはもう感じていることでしょう。
私の大好きだった制服は、限りなくきちんと着てくれそうな後輩に譲りましたとさ。
ディズニーランドに、初めて行ったのは、大学1年生のとき。
ちょうど今ごろ、高校時代の親友2人が、東京の私の部屋に遊びにきました。
「お金がないから行かない」と渋る私を連れ出してくれた2人。
なんと、そのときから東京を離れるまで、ほぼ毎年、ディズニーランドに行くようになりました。
年に2回も3回も行ったこともあります。
ディズニーのキャラクターを見ても、かわいいとは思えなかった私。
今もそんなに好きではありません。
でも、あのディズニーランドのなかにいると、ディズニーワールドの住人になったような気分になりました。
何年か前に「ディズニーシー」ができたようですが、これにはまだ行っていません。
なんとなく、行きたいような気もしますが、「ランド」にもまた行きたい。
いったい、どっちが楽しいのでしょう。
これが私の今の悩みごと、です。
あぁ、眠れぬ夜が続く…。
今日は毎年恒例の「カニパーティー」。
今年で3回目です。
いつも、友が小樽からカニを取り寄せてくれます。
どうもありがとう。
大きくて、身が詰まっていて、見るからに「おいしそうーっ」と叫んでしまえるカニ。
おそらく来年は、この会はお休み、です。
この友夫婦の家に通い始めて何年経つのでしょう。
そんなに長い年月は経過していないはずなのに、彼らは、私のことを何もかも知っているような気がします。
来年は、こうして「息抜き」をできる場がなくなるんだな。
そう思うとちょっとしょんぼり。
でも、まだ来月は、彼らと「パンの会」が待っています。
それから、「屋根に降りつむ」雪の会♪
楽しい思い出をたくさん作りましょう。
おやすみ。
昔は、「病院嫌い」でした。
たいして意味はないのですが、ただ病院に行くと「お金がかかる」という理由でした。
学生時代は、保険証がなくても大学側が払ってくれるので、医療費はタダでした。
といってもあまり病院に通うことはなかったけれど、親知らずは2本、抜きました。
会社員になってからは、医療費は当時は1割負担。
それでも、薄給だった私は、あまり病院に行かなくなりました。
薬も会社にあるもの以外は、服用しなくなりました。
「風邪をひいたら、自力で治す」
そんなどこかの宗教のようなことを考えていました。
いえ、どれもこれもお金がないから、だけの話です。
あるとき、薬剤師の知り合いがたくさんできました。
そのなかの一人(同僚・友)が、教えてくれました。
「風邪をひきかけたら、すぐに病院で抗生物質をもらったほうがいい」
薬局でもらう薬は、炎症を抑えるだけで、根本的な治療にはならないそうです。
しかも強い。
病院でもらう抗生物質は、風邪の菌をやっつけてくれて、患者さんの体に合わせて処方してくれるから、治りがはやい。
そんな説明を受けました。
なるほど!
年度版の本を作っていたため、毎年1〜3月は、風邪なんてひいていられなかった私は、ちょっと喉が痛いと思ったらすぐに診療所に通うようになりました。
お金がもったいない、なんて言ってられません。
今もなるべく早めに病院に行くようにしています。
人にも病院に行くことを進めます。
医者嫌い、抗生物質嫌いの人が増えてきても当然のような世の中ですが、少なくとも人に迷惑をかけないくらいの健康管理は、していきたい、と思います。
といいつつ、今年も私は風邪をひくんだろうな。
やな予感。
南極に人が住んでいると知ったのは、小学生5年生のころ。
『復活の日』という小説が、南極を舞台にしていたからです。
小松左京さんの原作で、映画化もされています。
なぜ、この本を読もうとしたのかはもう忘れましたが、読み終えると、どうしても映画が観たくなって、母に頼んで映画に連れて行ってもらいました。
原作も映画も、とても衝撃的で、細菌兵器で人がどんどん死んでいき、南極にいる人たちだけが生き残る…という内容でした。
動物園の象が風邪で倒れたり、大相撲が中止になったり、道端にバタバタと人が倒れて死んでいったり。
そのときの影響で、今も得体の知れない風邪がはやったときは、「細菌兵器?」とつい考えてしまいます。
一昔前までは、「んな、バカな」と思い直していましたが、今は、あってもおかしくない世の中なんだろうな、と思います。
「風邪をひいたら、南極に行こう」
当時は、そんなことを考えていた私。
その小説を読んだ私は、すでに南極で越冬を経験した気分になっていました。
南極越冬隊員、今もテレビの特集を観ると、「おー、懐かしいなあ」と思ってしまうのは、入り込みすぎ?
おやすみ。
高校3年生のとき、大学受験のため、始発の新幹線に乗りました。
旅好きな家庭だったため、遠くに行くこととか特急電車に乗ることには慣れていた私。
指定の席を探して、荷物を棚に上げて、とりあえず参考書だけは手元に置いて、窓の外を見ました。
送りにきてくれた母がゆっくりと離れていくと同時に、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。
「1人なんだから」
そう思って、高校時代を過ごしました。
どこかに行くのも、何かをするのも、できることは1人でしようとしてきました。
心の迷いも不安も何かを決定しなきゃいけないときも、誰に相談するでもなく、全部1人で解決してきたつもりでした。
無理やりに「1人」にこだわっていたような気がします。
たぶん、「頼っていたもの」から、突然引き離されたときのとてつもない「不安」を、二度と経験したくなかったからかもしれません。
膝の上に数学の参考書を置きながら、窓の外をずっと見つめていました。
たった1泊2日の「大学受験の旅」。
もう、頼ることのないと思っていた「親」が、ホントはすぐそばにいたことを感じた朝。
いくら遠くに離れていても、「親」はいつまでも心のどこかで頼っている存在なんだろうな。
そんなことを考えながら、名古屋に着くちょっと前から、ぐっすりと眠りに入りました。
そんなこんなで、そのときの大学入試は、大失敗の巻。
今日は、久々に。
ちょっと、さびしんぼ。
「何か」にあせっている自分がわかります。
それが「何か」もわかっています。
わかっているだけ「マシ」なのでしょう。
でも、わかっているのに、何も動こうとしない私。
そろそろ、またがんばるとしますか。
今年(毎年)の目標に向けて。
つつがなく終わった今日1日。
「可もなく不可もなく」がいちばんいいのかも。
…ん?
可もなく不可もなく、だと、「秀」「優」「良」だけってこと?
う〜ん。
となると、もうひとがんばり、しますか。
まずは、おやすみ。
今年の目標を達成するために、計画を立てよう。
成人式か…。
ふぅ…。
もう十年も前の話。
長い長い入院生活を終えて、住んでいたアパートに帰りました。
荷物を置いて、郵便物を確認したあとに、私が最初にしたことは、バイクのエンジンをかけることでした。
きゅるるるるるっ、きゅるるるる…、きゅるっ。
ぶおんっ!
1年近く放ったらかしだったバイクのエンジンがかかったときは、ホッとしました。ひととおりの点検を済ませて、少し走らせると、あんまり調子がよくありません。
すぐに、友のいるバイク屋に点検に出しました。
そのときは、バイクにもう乗らなくなるとは思っていませんでした。
その後、しばらくしてからバイクを売りました。
「もう乗らない」と決めたからです。
そう決めた理由は、いろいろ。
言葉にすると簡単ですが、いろんな思いをこめて、「もう乗らない」と決めました。
バイクを売った土曜日。
ごくごく普通に、過ごしました。
ごくごく普通に過ごしすぎて、私はもう「ライダー」ではないって、確信するのに時間はかかりませんでした。
バイク。
今も乗ろうとは思いませんが、乗っている人を見ると、うれしく感じます。
免許を取ろうとしている人は、心から応援します。
バイク乗りのみなさま、無茶だけはしないように。
おやすみ。
朝、4時半に岐阜に到着。
睡眠のあと、圓鏡寺をちらりと見て、かっぱ寿司で満腹。
炭酸温泉の銭湯に入り、ホームセンターに立ち寄り、友の友を訪ねてお茶をごちそうになる。
ガソリンを入れて、車に荷物を積み込んで、14時半ころにいざ出発。
17時半に大阪についてバタバタと忙しくして、むしゃむしゃとごはんを食べて、23時50分に別の友と待ち合わせをして、車でもう18時くらいから始まっている新年会会場へ。
それからまた朝の4時半まで、わいわいとお話。
なーーーんか、長い1日だったなぁ。
真夜中になってから岐阜に出発。
乗ったとたんにぐっすり。
どうもありがとう。
今日のことは忘れました。
ホント。
おやすみおやすみおやすみ。
「あれれ?」
自転車にまたがったとたん、前輪がぺしゃんこになりました。
こぐと、がっくんがっくん。
「パンクしてる…」
幸い後輪は大丈夫。
昨日の夜までは元気にしていたのに、きっと夜のあいだにイタズラされたのでしょう。
なんだかショック…。
それでもがんばって乗って、用事をすませたあと、近所の自転車屋さんに行きました。
この自転車を買った自転車屋さんです。
「あらら、2つも貫通しとるで」
「はぁ……」
パンクを修理してくれる自転車のおじさんの職人技、なんとなくしょんぼりモードも解消。
子どものころもよくこうして近所の自転車で、パンク修理をじっと見つめていたっけ。
そういえば、私が見つめていた職人技は、パンク修理だけではありませんでした。
3軒隣のクリーニング屋さんが、てきぱきとシャツをたたむところや、3分ほど歩いて行ったところのラーメン屋さんが、あつあつの手際よくゆでた麺を鉢にうつす瞬間。
ラーメン屋のとなりの新聞屋さんが折り込み広告をパサパサとはさんでいくところ。
家の裏手にあったお茶屋さんが、お茶をていねいに量ってぼそぼそっと袋に入れていく様子。
父親が口に小さなクギを加えて、トントンと私のおもちゃを作ってくれているところ。
母が、洗濯物をパンパンと叩いてしわを伸ばす技。
何もかもが目新しくて面白くて、じっとじっと見つめていました。
「はい、できあがり」
自転車職人さんが、5分もかからずに、パンクを直してくれました。
どうもありがとう。
パンク修理1000円。
1日に自転車は何台売れるのかな。
そんなことを考えながら、軽くなった自転車に乗って帰りましたとさ。
忙しい1日だったなぁ。
2004年01月04日(日) |
あたたかいあたたかい |
今日は、こじんまりと誕生パーティーがありました。
たまたまそこにいた人たちだけで、今日、生まれた人の誕生日をお祝いします。
お祝いといっても、みんなで「おめでとう」って言って、プレゼントを渡して、ケーキを食べて、お酒を呑んで。
去年までしていた「お誕生会」とは違うけれど、やっぱりあたたかいあたたかい夜になりました。
贈るものが何もない私は、やはり歌を歌いました。
去年の今日、歌った歌と同じ歌です。
アルコールがかなり入っていたため、ギターも歌もいつも以上にめちゃくちゃだったけれど、ふだんは伝えられない気持ちを歌いました。
今日、生まれた人も、ギターを弾いてくれました。
あたたかいギターに、あたたかい人たち。
あたたかいあたたかい、あたたかい場所に、ありがとう。
今日は新年会……を欠席する予定だったけれど、ちらりと顔だけだしました。
蕎麦と豆腐を一口ずつ食べて、わいわいとお話をして、小一時間ほどして帰ってきました。
ただそれだけで楽しい1日。
おやすみ。
いつのころからか、「神頼み」をしなくなりました。
いつのころからか…ではなく、理由ははっきりしています。
それでも、去年のお正月から、年に一度、「手を合わせる」ことをしています。
お願いごとはなーんにもしません。
なーんにもしないけど、手を合わせます。
ただそれだけの初詣。
今年もいい一年、になりますね。
おやすみ。
一年の計は元旦にあり
と言いますように、毎年、一年の目標を元旦、もしくは三が日のあいだに立ててしまう私。
目標を達成できるできないにかかわらず、やはり目指すものはつねにもっておいたほうがいい。
そんなことから、毎年、何かを心に決めています。
今年も三が日でゆっくり決めよう。
そんなふうに思っていました。
元旦の朝、パソコンをつけると、トップページのハーボット「線」が、たたたっと走ってきました。
「何か、目標、ある」
そんなふうに聞かれて、「ない」とは言えず、20字以内で答えました。
あっという間に、今年の目標が決まった私。
さて、今年も忙しくなりますね。
そんな私を、今年もよろしく。
です。
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