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2002年08月31日(土) 小樽港発舞鶴行きフェリー

10時の小樽発舞鶴行きに乗り込みました。
甲板に出て、見慣れた景色を見送りました。
6月に同じ船に乗りましたが、あのときとは、やはり気持ちが違います。

いろんな儀式を繰り返して、ようやく、ホントに旅が終わりそうです。
いえ、ホントに必要だった儀式は、一つだけだったのでしょう。
それでも逃げることなく最後にその儀式を終えることができました。
ありがとう。

想像はしていなかったけれど、納得のできる話に、いまだに心がざわざわしているけれど、きっと今だけのこと。
強い心を持っているから大丈夫。
こぼれ出てしまった宝物を、ようやくまた元の宝箱に片づけられそうです。
今度は、しっかりと封印しなきゃ。

むせぶ心にやりきれなくなったとき、
「こんなところにいたんですか」
と声をかけられました。
宿でいっしょだったライダーです。

その彼女といっしょに小一時間ほど話をして、眠りにつきました。

台風がきている日本海。
揺れませんように。


2002年08月30日(金) とんだハプニング

少し早起きをして、小樽の知人に会いに行きました。
フェリーの時間まで、1時間ほどしかないけれど、ぽつりぽつりといろんな話をしました。
それでも、話し足りないまま時間が来て、出発。
「また、メールしてもいいですか」
との問いかけに、
「待ってます」
と答えてくれました。
バックミラーに消えてゆく彼女に、2カ月前の風景が重なります。

銀行でお金をおろして、いざ、フェリーターミナルへ!
カチカチカチ……。
なんと、バッテリーが上がってしまいました。
フェリーの時間まであと40分。かなり動揺して、知人に電話してしまいましたが、「そうだ、ジャフを呼べばいいんだ」ということに気づき、連絡。
30分後に着いたジャフのお兄さんが神さまのように見えました。
もちろんフェリーはキャンセルです。

オートバックスに行って、バッテリーをまるまる交換。
ついでにオイルも交換。
動揺したためか、貧血でその場にへたり込んでしまいましたが、なんとか復活。
ふぅ。車のメンテはきちんとしよう。

そのあと、昼は毛無山で知人とビールとおしゃべり。
そして、夜は、また別の知人と小樽でビールとおしゃべり。
それから、深夜は、昨日の宿で旅人とハードな大宴会。

今度こそ、最後の旅の夜。
になりますように。


2002年08月29日(木) 小樽へ

朝ごはんのお手伝いもしました。
古い建物のその宿は、小樽の宿のお勝手と似ていました。
忘れていたせつなさが、ときどき胸を締め付けるけれど、朝はやはり忙しい。
バタバタと朝食を作って、みんなで「いただきます」。

それから荷造りをして9時ころに出発です。
明日のフェリーに乗るために、小樽を目指します。
当初は、苫小牧からの予定だったけれど、体調とやりたいことと相談をしているうちに、小樽からの船になりました。

銭函にある宿の大宴会に、少し度肝を抜かれたけれど、楽しい楽しい旅のオワリの夜でした。

明日は少し、早起きです。


2002年08月28日(水) ウナベツでパラグライダー

ホントは、斜里岳登山が今回の旅の目的。
でも、単独登頂を反対されたことと、体調不良のため、早くも断念。
それでも思いっきり斜里を楽しんでいます。

ということで、今日はパラグライダーに初挑戦。
ウナベツのスキー場の斜面を飛びます。

最初に簡単な練習を兼ねての講習をして、いざ本番へ。
スキー場の斜面をパラグライダーを背負って登ります。
おかげで登山気分を味わえました。

そのあと、パラグライダーを着けて、かなり見晴らしのいい斜面を駆け下ります。
一回目は、足下ばかりを見てしまい、転んでしまいました。
足下を見ると怖いのです。
二回目は、遠くのほうばかり見ていて思いっきり走りました。
いつしか足が地上から離れて、目線がどんどん高くなります。
後ろから、旅仲間の歓声が聞こえて、「あ、飛んだんだ」と思いました。

無線の指示のとおり、右や左に旋回して、風を楽しみました。
幼いころから、空を飛ぶことに憧れた私は、今だに空を飛ぶ夢をみます。
今日のパラグライダーは、その感覚とほぼ似ていました。
とん、とんとんとん、と着地をして、パラ終了。
一本しか飛べなかったけれど、大満足です。

午後からは、春和楼というラーメン屋で、トマト玉子ラーメン850円を食べ、それから斜里の図書館に向かいました。
古い木と紙の匂いのするその建物は、きっと私のお気に入りの場所になることでしょう。
とても静かな静かな空間でした。

今日までいた旅仲間はすべて次の地へ旅立ち、また新しい旅人がやってきました。
ライダーの女性です。
今日1日は、宿のスタッフになり、夕飯のお手伝いをしました。
外でジンギスカンとサバやイカの刺身を食べ、部屋で宴会。
そして、深夜になってから、山奥の温泉へ。

斜里での最後の夜はこうして更けていきました。
ホントは、今日が移動日のはずだったのですが。

旅は道連れ、ということで。


2002年08月27日(火) 知床巡りとカムイワッカ

チャリダーと原チャリライダーとJRの旅人といっしょに知床巡りをしました。
今日は、宿の人たちは、観光船に乗るとのことで、客同士で出かけました。
足は、私の車です。

まずはオシンコシンの滝。
意外と壮大な滝にかなり感動。デジカメの電池を宿に忘れてきていたので、写真は撮れず。残念。
気を取り直して、乙女の涙を見に行きました。鹿にも遭遇。
う〜ん、やはりここは北海道です。

それから、今日のメインイベント。
カムイワッカの湯の滝に行きました。
河が温泉になっていて、上のほうに登れば登るほどいい湯になります。
河のなかを登ります。
スニーカーで登った私は、つるつると滑ってかなり危険。
それでも、いちばん近い滝壺までは行き着くことができました。
酸の湯なので、傷口がぴりりとしましたが、気持ちがいい。
小一時間ほど入ってから、また河のなかを下りました。
滑って怖い。
もう二度と行くもんか、と、誓ったカムイワッカの湯の滝。
ぜひ、チャレンジしてください。

そのあと、知床峠まで行ってから帰宿。
女性のお客さんが一人、増えていました。

そして、今日の夕飯は外で焼き肉。
ワイワイと盛り上がった1日でした。


2002年08月26日(月) 斜里・釧路川のカヌー下り

釧路川をカヌーで下りました。
3人乗りです。
前回、四万十川でチンの経験のある私ですが、3人乗りなら大丈夫、と安心して乗り込みました。

摩周湖から下ります。
四万十川と比べてかなり狭い釧路川。
台風の影響か流れも速く、倒木もそこら中にあります。
それでも、指示通りにパドルを操作して、なんとか難を逃れました。
後ろのほうでは、仲間の船が早くもチンした様子。
よかった、こっちの船で。
ふぅ。

と、安心したのもつかの間。
目の前に倒木が現れました。身を低くしてくぐり抜けようとしたところで、カヌーがくるり。
…、チンしてしまいました。

流されたカヌーを追って、舵を取っていた宿の人が流れに身を任せました。
原チャリライダーと私も後を追いました。
その流れの速いこと。四万十川とは大違いです。
ようやく足の着く場所に追いつき、カヌーと合流。
流されている間は、生きた心地がしませんでした。

反省を活かして、そのあとは倒木にうろたえることもなく、目的地に到着。
あ〜、怖かった!
もう二度とカヌーはするものか。と再び決心したのでした。

夜は、JRの旅人が一人増えて、またまた宴会。
今日は、チャンチャン焼きです。

やはり話題は、今日のカヌーのこと。
今日もまたなんとも楽しい1日でした。


2002年08月25日(日) 斜里・パークゴルフと宿の宴

朝、9時に宿を出ました。
旅人を一人、旭川駅まで送りました。
そのあと、斜里へ向かいます。何度か通った道なので、地図をあまり見ることなくたどり着きました。

斜里は、私がこの春の旅で魅せられた街の一つです。
北海道で、小樽の次に好きな街です。
何にもないけど、何かが見つかりそうな街です。
午後3時ころに宿に到着。どこか懐かしい雰囲気をもつその宿に、すぐに馴染んでしまいました。

宿の人といっしょにパークゴルフを2回。けっこう楽しい。
夕飯の前に近所の温泉200円に入り、夕飯は宿でジンギスカンです。
お客さんは、チャリダーと原チャリライダーと私の3人。それから宿の人3人。
みんなでつつく鍋がこれまた楽しい。

飲んで騒いで楽しい夜になりました。


2002年08月24日(土) 美瑛・ラーメンと喫茶店と写真展

午前4時に小樽港到着。
そのまま、友の待つ美瑛に向かいました。
旅先に待っている人がいるのは、なんともいえず幸せです。

途中、富良野に「ただいま」を言って、いつもの丘に登って、それから美瑛です。
少し休憩したあと、友といっしょに上富良野の温泉、カミホロ荘へ。
不思議とここの温泉は、内湯と露天の温質が違います。
どちらも気持ちがいい。

そのあと、旭川のラーメン屋「ふるき」へ。
人気店らしく、待つこと30分。塩ラーメン550円は絶品でした。
地元ナンバーの車が多く、昔から「うまい」と定評のある店らしい。
また行きたいです。
美瑛の小さな写真館を観たり、旭川の雰囲気のいい喫茶店に連れていってもらったりと、今日は充実した1日。
どうもありがとう。

少し調子が悪いのが気になるけれど、きっとこの空と大地が癒してくれるでしょう。

おやすみ。


2002年08月23日(金) 日本海の上で

8時に起きました。
正確には、2時間ごとに目が覚めて、8時に起きあがりました。
基本的に枕が変わっても眠ることはできますが、フェリーだけは別のようです。
私はどうにもこの「フェリーのなかの時間」が苦手です。
とくに今回のフェリーは、くつろぐ場所があまりありません。

午前中は、一度観たことのある映画を観たり、甲板に出て読書をしたりして過ごしました。
午後からは、部屋に戻って読書の続き。途中、ようやく眠くなって少し眠りました。
前回は、寝ることができたのですが、今回はまったく眠気を感じません。
ホントに退屈極まりない。

でも、海を眺めているのは飽きません。
私は、フェリーのいちばん後ろで流れゆく波を見つめるのが大好きです。
船の通り道に白い泡と小刻みな波が、だんだんと遠く細くなっていきます。
空に「飛行機雲」があるように、海にも船の足跡があります。
この足跡、空から見れば、どこまで続いているのでしょう。どういう名前で呼ばれているのでしょう。

明日は小樽港に朝の4時に着きます。
そのあと、友が待っている地に向かいます。
それは、小樽、ではありません。

午後、8時。少し船が揺れてきました。
今日は、早めに。
おやすみなさい。


2002年08月22日(木) 旅立ち・いざ舞鶴へ

三日ほど前から始めていた荷造りに、冷凍のお茶とカップ麺を詰め込んでパッキング完了。
舞鶴に向かいます。
来週には退院する知人のお見舞いにまず行って、そのあと、先日、家族を亡くした知人の店に行って旅立ちの挨拶。なんとお弁当を作ってもらいました。
どうもありがとう。

いろんな人に道を聞いたため、いろんな人に心配されながら、無事に前島埠頭に到着しました。
18時半出発で21時半に到着。
夏休みなので道路がもっと混むかと思っていたけれど、ほぼ順調にたどり着きました。
同じ道を四カ月前にも通りました。同じ道だけど、あのときの気持ちと今の気持ちとでは、明らかに違います。
求めているものも違います。
違うけれど、なぜいつも「北」を目指してしまうのでしょう。

22時45分から乗用車の乗船が始まりました。
かなり旧型のフェリーですが、夏の終わりのためか、乗客は少なく4人部屋の二等寝台は独り占め。
ザックを置いてベッドを作って、さて約30時間の船旅開始です。
揺れませんように。

おやすみ。


2002年08月21日(水) そして、一歩

私の「日常」だった人たちと、いつもの飲み会でした。
この会にしては珍しく欠席者が多数いたけれど、新しい顔ぶれに会えてまた新鮮な気持ちで飲めました。
飲むと結局同じなのですが。

会社の話はやはり楽しいです。
懐かしい名前がたくさん出てきます。
以前より落ち着いて聞かれるのは、「社外」の人だからかも。
それでもまだこの人たちの「仲間」でいられてかったと思います。
態度のでかいだけの私を「姐(ねえ)さん」と呼んでくれる彼らとこの雰囲気が、ただただ懐かしい。

「もったいない」といううれしい言葉をもらいました。
退職のきっかけなんて、もうあんまり覚えていません。
それでも、今まで誰にも聞かれたことも話したこともない最大の理由をズバリとついてくれたその人に感謝。
心のなかにわだかまっていたものが、少しとけたような気がしました。

そしてまた一歩、前進、です。





2002年08月20日(火) 求めてやまないもの

泣きたくなるほどにこの場所が、私の大好きな場所だったんだと。
そして、私の選択は間違っていなかったんだと。
いつのころからか私の求めてやまない「ただいまを言える場所」は、ここにもあったんだと。



いろんな人にありがとう。
明日もまた、私の「居心地のいい人たち」に会える日です。

おやすみ。


2002年08月19日(月) 友の父

今日も友人のお見舞いに行ってきました。
座位まで可能になっていました。
元気そうでよかった。

またまたなんでもない話をうだうだとして、いっしょにハイジを見て、わいわい笑って帰ってきました。
いえ、その前に友のお父さんにお寿司をごちそうになりました。
ありがとう。

昔の話をたくさんしてくれました。
仕事の話や地元の話。
友のお父さんとゆっくり話したのは初めてで、とても楽しかったです。
仕事がら、いろんな年代の人と話す機会はあるけれど、戦争時代に中学生・高校生だった人の話が、けっこう興味深いです。
自分との比較や世の中の比較がしやすいからでしょうか。

今日は、友のお父さんの話をたくさん聞いて、「こういう親子っていいな」と思いました。
どういう親子かは、またいずれ(笑)

おやすみ。


2002年08月18日(日) ひぐらし

ひぐらしが鳴き始めています。
もう秋の気配ですね。


2002年08月17日(土) 途中

久々に書き物をしていました。
旅の日記やふだんの体験をこまめにメモしている私は、いつもあとでイッキに文章にします。
言葉のアルバムとして残します。

今日は、数年前にニューヨーク一人旅をしたときのノートが出てきたので、それをまとめました。
楽しい時間が過ごせました。
記憶をたどっていろんなことを思い出しましたが、機内食に何を食べたかだけは思い出せません。バドワイザーを飲んだのは覚えています。
整理した旅のノートは、押入の段ボールの奥のほうに入ります。
たぶん、もう開けることはないでしょう。

思い出の整理の仕方を知っているつもりなのに、整理できていない旅日記があるのは、まだ、旅の途中だからでしょうか。


2002年08月16日(金) インターネット

先日、インターネットの通信販売で、コンタクトレンズを購入しました。
かなり安かったです。
今まで、きちんと眼科医に診てもらって購入するようにしていましたが、今回は通販を利用してみました。

その荷物が今日、届きました。
けっこう便利ですね。ネット通販。
航空券と本以外をネットで購入したのは初めて。
ちょっと不安だったけれど、無事に商品が着いて安心しました。

私がインターネットを始めたのは25歳のとき。ニフティのパソコン通信からつなげました。
ネット通販なんてまだ普及していませんでした。でもその構想はあったように思います。

これから先、もっともっといろんなことができるようになるのでしょう。
まったく家から出なくても仕事も買い物もできるようになるのでしょう。
そのうち、デートも結婚もインターネットのなかで済ませられるようになったりして。
それはちょっと「人」としてサビシイ。


2002年08月15日(木) 二行日記

調子悪し!
もう寝る。


2002年08月14日(水) 書けない日記

今日は、いろんなことを考えて、いろんなことを日記に書きかけたけど、すべて消してしまいました。

それは、この31度の暑い部屋や峠をせめるバイク音、CNNの副音声、ひっきりなしに携帯メールをくれる彼女、そして、隣りの部屋から聞こえる父と母の会話のせいでしょう。

今日の日記は、書けなくてよかった。
ありがとう。
異常気象と世界中のみなさん。

明日は、お盆で終戦記念日です。


2002年08月13日(火) お見舞い

友のお見舞いに行きました。
点滴が取れて、少しは自由がきいてはいたのですが、まだまだ寝たきりでした。
友を見ていると自分自身の入院を思い出します。
入院期間がはっきりしているだけ、まだ先が見えていいのかな。
それでも退屈には変わりありません。

友の退屈しのぎになれば…と思ってお見舞いに行ったのですが、私の愚痴のような話をたくさん聞いてもらいました。
5時間も!

寝ているとはいえ、お見舞い客に疲れてしまうことは十分知っているつもりだったけど、ついつい長居してしまいました。
昔からこの友には、普段の生活や仕事の話などいろんな話を聞いてもらっています。
そして率直な意見をもらいます。
今日は、最近ふと疑問に思ったことをついつい話してしまいました。

そして、話してみてよかった、と思いました。

どうもありがとう。
早く元気になって、秋にはキャンプに行きましょう。


2002年08月12日(月) 上司と星空

前の会社の上司を食事に誘いました。
今日は、夏期休暇にもかかわらず出勤していたそうです。
4カ月ぶりに会う上司は、噂では少しやつれた、と聞いていたのですが、今日は元気そうでした。
私が辞めた後のいろんな話や、辞める直前直後の話をたくさんしました。

辞める前、私はその上司を飲みに誘ったことがあります。今日と同じように。
そして、同じように赤裸々に自分の思いを語ってくれました。
私はもしかしたら、元上司である彼女に「甘え」たかったのかもしれません。
今日、話を聞きながら気づきました。
でも、それはできません。

4時間ほど話をして、帰りました。

パーキングに行くまでに、空を眺めました。
今日は流れ星がたくさん見える日。
この少し曇った、それでも星空をプレゼントにしたくて、この間、誕生日を迎えた後輩に電話をしたけれど、彼女はテレビと仲良くしていた様子。

仕方がないので、一人で空を眺めながら帰りました。
いえ、ホントは私が思い出を整理するために、星空を眺めたかっただけなのです。

おやすみ。


2002年08月11日(日) 猛暑

今日は、やはり調子が芳しくないので、1日家にいました。
気分的に弱っているところに猛暑が訪れたので、体力的にも参ってしまったのでしょう。

なので、今日はもうおやすみ。
ふぅ。


2002年08月10日(土) 母の誕生日

今日は、母の誕生日。
おめでとう。


2002年08月09日(金) 見守る。

中学校からの友と昼ころ京都で待ち合わせ。
ランチだけの予定だったけど、帰宅したのは午前になったところでした。
彼女の話をたくさん聞いたのだけれど、私の話もたくさんしました。

まだ、「悲しみ」のなかにいる彼女。でも、私は彼女は自力で悲しみを乗り越えられると確信していました。今も確信しています。
それは、温かく強く、限りなく優しい人たちが彼女の周りにいるからです。

彼女が今のすべてを受け入れられるのは、まだまだ時間がかかるかもしれない。
でも、時間が解決してくれるのを待つ彼女を、私はいつまでも見守り続けていきたい。彼女の周りにいる人と同様に。

今日は、そう思いました。

いつまでも、親友として。


2002年08月08日(木) 花火と祭りのある町

今日は、市の花火大会。
見に行かなかったけれど、音だけがよく聞こえました。

幼いころから花火が大好きだった私は、よく夏になると庭や近所の中学校で幼なじみたちと花火をしていました。
とくに線香花火には、飽きることがありません。

私の住んでいた町には、市の花火大会がありました。
今は規模が大きくなって、ほかの町からもかなりの人数が訪れるようになったそうですが、以前は川べりや空き地に寝ころんで、落ちてくる花火を眺めていました。
自宅のベランダからも見えました。
花火大会と祭りのある町が当たり前だと思っていたあのころ。

3年ほど前から、また花火と祭りのある町に住み始めました。
だからでしょうか。
私がこの町を大好きになったのは。

おやすみ。


2002年08月07日(水) 見舞い

旅の友のお見舞いに行ってきました。
病院には行き慣れているけれど、仕事で行くのとは少し印象が違います。
仕事では、どんなことでも見逃さないようにあちこち見回すのですが、今日は視点が違います。

壁に飾られている患者さんが撮った写真も観ないし、受付の工夫とかも気にならない。ただただ、悪いところばかりが目につきます。
患者さんは、病院のイヤなところがもっと気になるのかもしれない。

少し汚いエレベータに乗り、友の病室に到着。
けっこう元気そうで安心。
ときどき入ってくる無愛想なナースに、「これでいいのか」と疑問に思いました。

3時間ほど話をして帰りました。
帰り道では、6月に真夜中のオロロンラインを走っているときに聴いた曲を聴きながら帰りました。
あれから2カ月。
一つのこと以外は、何も変わらず。

今日の日記は、まとまりのないまま、おやすみ。


2002年08月06日(火) 回想

去年の今ごろは、夏期休暇がとてもとても楽しみでした。

今日は、これだけ。


2002年08月05日(月) どちらから治せばいいのか。そして誕生日のあなた。

東京から仕事で来ていた友だちと夕食。
久々といえば久々、最近会ったといえば最近…という微妙にときどき会う友だちです。
仕事の相談をよくしていましたが、あとは自分の問題なので最近はしなくなりました。

今日はなんの話をしたかわかりません。
わからないけど楽しかったです。
それでもなんとなくサビシイようなむしゃくしゃするような気分は残ります。
きっと今、体調が悪いからでしょう。
そして、この体調の悪さは「サビシイようなむしゃくしゃするような気分」が原因なのはわかっています。

さて、どちらからどうやって治せばいいのでしょう。

おやすみ。

追伸
今日、誕生日のあなた。
「果報は寝て待て」

おやすみ。


2002年08月04日(日) 宇宙よりも

先週からちょっと調子が悪い日が続いています。
医者に土日はしっかり休養するように、と言われましたが、昨日はいろいろバタバタと出かけていました。
なので、今日は1日ほとんどベッドのなか。
かえって疲れたような気がします。

久々に朝から晩までテレビをつけっぱなし。
ケーブルテレビのムービーチャンネルを1日観ていました。
SF特集のようで、朝から宇宙の映画ばっかり。
いつになったら、映画のような世界になるのでしょう。
いえ、私は映画のような宇宙国家よりも、ドラえもんさえいてくれればいいのです。
どこでもドアが欲しいなあ。

おやすみ。


2002年08月03日(土) 宿る

楽しいことと切ないことがいっぱいつまった土曜日でした。

大切な人を亡くした家族にかける言葉は、一週間経った今日でも何もなく。
それでも、私やそのほかの人が、いつもどおりにそこに座っていることが、気休めになればいいのだけど。

そして、いつもどおりに座っていて楽しい話をしていても、心のなかではどこかで逝ってしまった彼のことを考えていて。
「心に宿る」ってそんなことなのかも、と帰りの車のなかで思いました。

おやすみ。


2002年08月02日(金) いろんな人に。

今日は、ほぼ会社員時代と同じ生活のような気がしました。
会社の近所の病院に行って、会社の近所の美容室で髪を切り、会社の近所の飲み屋で飲みました。

飲み屋に入ったら、「おっ、今日は早いね。アンタの顔を見るともう九時過ぎてるんだと思ったよ」と言われました。
その飲み屋に入ったのは、四ヶ月ぶり。
でも覚えていてくれてうれしい。

よく泣く同僚と、見かけの割にはひょうきんすぎる同僚といっしょに、大笑いした夜でした。

なんでもないけど、ウレシイ1日でした。
ありがとう。

いろんな人にありがとう。
私は、一人じゃないんだな、って思いました。


2002年08月01日(木) 懸賞

最近、インターネットで、映画の試写会懸賞に応募しています。
まだ、応募しはじめたところなので、当たりはずれはわかりません。
ハガキで応募するのが好きだったけれど、インターネットの簡便性に慣れてしまったのと、お金がかからないのとで、最近はネットを通じて懸賞に応募しています。
当たっていればいいな。

当たったら、よく私を映画に誘いだしてくれる友だちと観に行こうと思います。
だから、当たるまで待っててねぇ。

おやすみ。


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