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2002年06月30日(日) リニューアルの1日

今日は、ホームページをリニューアルしていました。
マイナーチェンジですね。
うまく表示されていないページもありますが、また直していきます。

作業に1日かかったので、今日はずっとパソコンの前に座りっぱなし。
あまり肩がこらない私ですが、久々に肩こりを経験しました。

リニューアルをしていると、前の会社の同僚から電話がかかってきました。
久しぶりに彼女と話しができてうれしい。
彼女は、私が今住む町で生まれ育ち、私がこの町を好きになるきっかけをくれた人です。
他愛もないことを話して電話を切りました。

これでおおいにリフレッシュ。
私に今、足りないのは、人と声を出して会話することなのかもしれません。

と言いつつ、なかなか電話には出られないのが現状ですが。

おやすみ。


2002年06月29日(土) スポーツクラブ

今日は日頃の運動不足を解消しようと、スポーツクラブに行ってきました。
3時間ほどいて、いい汗かきました。
6年ほど前に、新宿のスポーツクラブに通ったことがあるのですが、そのころと比べてはるかにメニューが多くなっていて、楽しかったです。

私は、バレエのメニューが受けたくて、そのクラブを探したのですが、とても楽しかった。技術もなんにもいらず、ただ、簡単なパをふんでいるだけなのですが、それが楽しかったです。
ジョギングマシンにもチャレンジ。
ちょっと不安はあったけれど、20分間走ることができました。

思った以上に長居をしてしまい、帰ってから疲れ切ってぐっすりと昼寝ならぬ夕寝をしてしまいました。
仕事をする予定だったのに…。

でも、明日、1日がんばるから大丈夫…かな?

おやすみ。


2002年06月28日(金) きっかけ

今日は、午前中はまたまた街まで買い物に行きました。
そして午後から、仕事。
やっぱり仕事をしていると楽しい。
というか、気が晴れます。

先日、古い友が「君は会社勤めのほうが合っているよ」と助言してくれました。
私は、会社勤めを辞める前からそれは自覚しています。
今も思います。

それでも、不思議と前の会社を辞めたことは後悔していません。
辞めるまでに、いろんな「きっかけ」がありました。
そのきっかけのすべてを大事にしたい。
マイナスではなく、プラスにしていきたいと思っています。


2002年06月27日(木) 判明

ようやく判明。
私の最近の「うつ」は、家にこもって仕事をしていること。
今日は、打ち合わせに行って思いました。
しばらくはあまり人と接したくなくて、自宅でできる仕事を…と思っていたけれど、それが私には向いていなかったのかもしれません。
そろそろオモテに出て行こうかな。
でもそう簡単にはいかないのですが。

今日は久々に「気になるわだかまり」を忘れて、仕事に熱中できました。
今週と来週は、しばらく忙しくなります。
忙しいといっても、たいしたことはありませんが、心地よい忙しさが続きます。
本格的に仕事をしだすと、この地を離れられなくなることがわかっていて、いくつか断った仕事もあるけれど、本当はここにずっといたほうがいいのでしょうか。

少なくとも今日は、そんな悩みも忘れられていた1日でした。

おやすみ。


2002年06月26日(水) 懐かしさ

写真家の友人のスライドショーに行きました。
友人のトークを交えての楽しいショーになりました。
一度、自宅で写真を見せてもらったことがあるのですが、こうしてスライドショーになると、またいちだんと美しさが違います。
プロなんだな、とあらためて思いました。

私は、今、前にも後ろにも行くことができません。
どちらかに一歩、踏み出せばいいのだけれど、何かがひっかかってそれもままなりません。
私ってこんなに弱かったっけ?
こういう状態を作り出したのは、自分自身。
自分でなんとかしなきゃ。
そう言い聞かせている毎日です。

スライドショーは、前の会社のすぐ近所でありました。
街自体は懐かしくもなんともなかったけれど、あの会社の「人」や「空間」が懐かしい。
弱っていたときに、すぐそばにいて支えてくれていたのは、あそこにいる人たちだったんだなあ、と、今日はじめて会社にいたころを懐かしく思いました。

おやすみ。


2002年06月25日(火) そろそろ更新したい

そろそろホームページを更新しないと…と思い、ついでにリニューアルを始めました。
でもなかなか作業が進まず。
目標となるホームページを探してネットサーフィンしてしまいました。
ネットサーフィンって最近、耳にしないけど、もしかしたら死語?

そうこうしているうちに、仕事の電話が入りました。
この仕事のおかげで、私は5月の旅をうち切って帰ってきたのに、ようやく始動です。
が、文句は言っていられません。
でも、この仕事が終わったら、また旅に出ようと思います。

だから、がんばって早く終わらせよう。

おやすみ。


2002年06月24日(月) 隔離された1日

さすがに車の運転に疲れ、今日は珍しくお昼近くまで寝ていました。
起きて仕事をして、気が付いたら夕方。
夕方からは、少し絵はがきを書いて1日が終わりました。

世間から隔離されているような1日。
この生活に飽きたら、また何かを始めようかな。
飽きる前にきっと貯金が底をつくでしょう。

といいつつ、また旅の計画を立てているのでした。

おやすみ。


2002年06月23日(日) 悶々としつつも

今日は、帰る日。
河原でごろごろしたり、芝生でごろごろしたりして過ごしました。
彼と出会う前と後では、明らかに考え方や感じ方が変わった彼女。お互いに強く影響しあっているように思えます。
今回の旅は、彼女の話をたくさん聞けました。会いに行ってよかった。

彼女には、昔から本当に精神的に助けられてばかり。
当時の私の弱り切っている姿を知っている彼女。
多くは語らずとも、いろんなことを察してくれていました。
今、「ホンネ」の部分で話しができる友って、もしかしたら彼女だけかもしれない。
そういう思いもあって彼女に会いに行ったけれど、結局は何も語れず。
語って傷つけてしまうもの、語って喪失してしまうもののことを、私は考えずにはいられません。
きっと、彼女は私がこんなことを考えて何も語らないことを怒るでしょう。

そんなこんなで、15時ころ帰るつもりだったけれど、悶々としながら17時に愛媛を出発。
またまたほとんど一般道を使ったので家に着いたのが、明け方の3時。

彼女の家が道路になる前に、また必ず会いに行こうと思いながら、眠りました。

おやすみ。


2002年06月22日(土) ベランダ

午前中は、仕事をさせてもらいました。
〆切間近の仕事を片づけてから、3人で昼ごはんに出かけました。
それから河原で少しのんびりしました。
それまでは、初対面の彼と少し距離を置いていた私でしたが、川の水に足をつけて嬉しそうに笑う彼を見て、距離が縮まりました。

午後から彼は帰って、友と久々に二人。友の運転でドライブに連れていってもらいました。
友が生まれ育った街やお気に入りの景色。私の知らない彼女が、どんどん入り込んできました。
途中、温泉に入って帰宅。夜は、彼女のお兄さんと3人で宴会。
その後、彼女のベランダに出て、毛布にくるまりながら二人で月を見ながら、語り合いました。

夜風がとても気持ちがよく、ぜいたくな時間を彼女と過ごすことができて、私のなかの「特別」がまた増えました。


2002年06月21日(金) 二人の友と再会

仕事を一本、受け取って小さな旅に出ました。
まずは尾道へ向かいます。
下道も使っていったので、10時に家を出たけれど尾道には15時到着。
夫婦でイタメシ屋を経営している友が首を長くして待っていてくれました。
彼女とは、十数年前に富良野で知り合って以来の友です。
ちょうど一年前に十数年ぶりに再会したけれど、二人っきりで会うのは久しぶり。
昔の話は今の話、これからの話、2時間弱しかいられなかったけれど、たくさん話ができました。
楽しかった。
十年会わなくても、昨日までいっしょにいたかのように自然に話せる彼女が私は大好きです。

パスタをごちそうになって、今度は愛媛に出発。
少し運転を休もうと竹原港からフェリーで波方まで渡りました。
そのあと、松山を通って大洲到着が21時半。
友とその彼が迎えにきてくれました。ありがとう。

来年は道路になってしまう友の家で、3人で乾杯。
無事に大洲に着いたこと、友の彼に会えたこと、そして何よりも友とこうしてまたお酒を飲んでいられることが嬉しくて楽しくて、たくさん飲んでたくさん話をしました。

どんどんと夜は更けて、寝たのは3時。
あっという間に眠りにつきましたとさ。






2002年06月20日(木) 小さな旅

久々に毎日仕事をしていたら、なんと親しらずが痛み出しました。
疲れたりストレスがたまったりすると、最近は必ずといっていいほど痛みだしていた親しらず。
もう仕事のできない体?
なんて言ってはいられないので、今日もせっせと仕事していました。

夕方から旅支度。
尾道の友の店に寄って、愛媛の友の家に泊まります。
小さな旅だけどけっこう遠出。
鳥取に住む旅の友に道をいろいろと聞いたり、泊まる友に連絡したりと、あわただしく今日が過ぎていきました。

旅に出る前は、遠足の前の日のような気分です。

おやすみ。


2002年06月19日(水) 私が知った大阪

少し、忙しく毎日が過ぎていきます。
それでも、今までと比較してかなり「人間的」な生活を送っています。

旅に出ていてもずっと忘れることのなかった「仕事」が、今はこんなにうまく受け入れられているのが不思議。
けっして会社や仕事がイヤだったわけではないけれど、スケジュール帳に書き込む内容が変わりました。

今、言葉があふれてきていて。
こんな衝動も久しぶり。
少なくとも、大阪を知ってからは初めてです。
私が独自で知った大阪は、とても楽しい町だったのでした。


2002年06月18日(火) 昼も夜もウレシイ日

今日は、昼間はずっと机に向かって仕事をしていました。
ってこのほうが当たり前なのでしょう。
久々にゲラに触るとやっぱりウレシイ。
気分もよかったので、思ったより早く仕事を終わらせることができました。

夕方から市内まで出ていきました。
なんとバレエの体験レッスンを受けてきました。5年振りです。
案の定、パ(ステップ)についていくだけで精一杯だったけれど、とても楽しかったです。
そして今日は、比較して弱い右足をほとんど気遣うことなく踊れました。
きっと、ここ数年の山歩きで鍛えられたのでしょう。

今日は、昼も夜もウレシイことがたくさんあった1日でした。

おやすみ。


2002年06月17日(月) 愛媛の友に

今週末は、愛媛の友を訪ねます。
8年前に小樽で知り合い、その後、杉並にあった私の家に居候したり、いっしょに新聞も出したり、引っ越しを手伝い合ったり、困ったときには相談したりしていた友です。

私がひどく落ち込んでいた時期、私を元気づけようといろんな企画を考えてくれました。
三社祭にいっしょに行ったり、小石川植物園に行ったり、はたまたミステリーツアーと称して行き先をぜったい明かさず目的地まで行くという遊びを考えたり。
このミステリーツアーが意外とおもしろい。
それから私もときどきいろんな友だちにしていたのだけど、大阪に来てからは断られてばかりいます。地域性なのかな?

いつも私は彼女に会うときは、何かを相談しに行くときが多かったような気がします。勘のいい彼女は、さりげなく私の悩みを引き出してくれます。
ときどき説教もします。

でも今回は、彼女のパートナーに会いに行くつもり。
私のことよりも、今は彼女のシアワセな話を聞いてあげたい、と思います。
待っててね。


2002年06月16日(日) 幼なじみの彼女

あまりにも暑かったので、畑行きは中止。
駅前のスーパーまで買い物に行きました。
私の住む街には、偶然ですが幼稚園のときからの親友が住んでいます。
だから、街に出ると彼女の姿を探してしまいます。
今日も探したけれど、会いませんでした。
当たり前なのかな。

そんな偶然に期待しなくとも、ちゃんと約束して会えばいい。
そうは思うのだけれど、約束することほど面倒なものはない、とも思います。
「そのうちまたいつか会える日まで」がいちばん楽なスタイルなのでしょう。

なんて言っていると、彼女とは当分会えなさそうなので、今度、連絡してみます。
会いたい人とは、無理やりにでも約束しないと、あとで後悔することになるかもしれない。

今日は1日のオワリにそんなことを考えました。
おやすみ。


2002年06月15日(土) 母の自然

母と高槻の花しょうぶ園に行ってきました。
6月から開園でしたが、けっこう咲きそろっていてキレイでした。
本当は近所のスーパーのなかの本屋に行くだけのはずだったけれど、なぜか隣りの隣りの山まで行ってしまいました。
でも、楽しいドライブになりました。

母と歩くといろんなものを目にすることができます。
見逃してしまいそうなくらい小さなおたまじゃくし、対岸にひっそりと咲いている山百合、母からは「カッポ」と呼ばれている白くて小さいすずらんのような花、もう葉だけになったカタクリ、水芭蕉の葉の上にある大きな大きな蛙の卵たち。

母は昔から目を輝かせて、私に自然を教えてくれました。
それも、母の、母とその幼いころからの仲間にしか通じない言葉で。
最近では、それは私の自慢の一つになってきました。

もちろん、私が花や野菜を育てるのが好きになったのも、母の影響です。
同居するようになってからも、私がずっと育ててきたシクラメンや金のなる木やカランコエ、アロエを枯らさず大事に育て続けてくれています。

明日は、山の畑に行く日。
久々に、ちょっと着いて行こうかな、と思えた土曜日でした。


2002年06月14日(金) 時間

「待つ」という時間が、たとえ5分であっても長いということは知っています。
知っているから、待てるのかもしれません。
そして、その時間がいずれ解決してくれることも。

今日は、そんなことをずっと考えていた1日でした。

おやすみ。


2002年06月13日(木) 来月には

今日は、母と街まで買い物に出かけました。
ただそれだけの1日。

帰ってきたばかりなのに、私はまた旅に出たがっています。
それでも今ある仕事を終わらせてから。
早く来月になればいいのにな。
少しは、落ち着いているでしょう。
それとも…。


2002年06月12日(水) オワリました

ひたすら寝続けて、舞鶴に到着。
19時ころ家にたどり着きました。
長い長い私の旅はこれでオワリ。
行方不明にしていたみなさん、ごめんなさい。
明日から、また日常生活を始めます。

この日常生活のほうが現実逃避にならないように、しっかりとした気持ちをもっていこうと思います。

まずは、お金を貯めないと。


2002年06月11日(火) 何かを

10時発の舞鶴便に乗りました。
旅はもうオワリです。
見慣れた街を船から見ると、また違う街にサヨナラするようで、かえって寂しさは感じません。
私は人より心が強くできているのかも。
そう思いながら、小樽を眺めました。
1時間ほど甲板にいたあと、部屋に戻って眠りました。

旅のオワリはいつも、何かを決心しようとしている自分がいます。

おやすみ。


2002年06月10日(月) 浅はか

始発のフェリーで島を出ました。
見送りの人たちがとてもあたたかく、どこかの景色と重なって見えました。

船は大揺れに揺れて、沈没するんじゃないかと思ったくらいだったけれど、無事に稚内に到着。
同じフェリーに乗っていた3人で中頓別のまるや食堂でラーメンを食べて、一路、札幌に向かいました。

3人でたくさんたくさん話をして、たくさんたくさん笑って、1日が過ぎました。

明日はいよいよ、舞鶴便です。

今日は、自分の行動の浅はかさを後悔しながら、眠りにつきました。


2002年06月09日(日) もう大丈夫

今日も花祭り。
昨日とは違う場所での祭りです。
目当てのウニ雑炊を食べて、発泡酒を飲んで旅仲間でわいわいとおしゃべりして、楽しい時間を過ごしました。

午後からは、旅の友と3人で、スコトン岬まで行きました。
迎えに来てくれた旅の友が車を持ってきているので、ラクチンです。
それでもどんどん気分がふさぎ込んでいって、だんだんと無口になります。
そんな私を心配したのか、旅の友が音楽をかけてくれました。
その曲と旅の友の気持ちに、思わず泣いてしまいました。
いえ、ようやく泣けた、というほうが正しいのでしょう。

もう大丈夫です。きっと。


2002年06月08日(土) 泣きたい気持ち

花祭り、だけど、今日は行きませんでした。
港に旅人を見送りに行って、その後はハイジの谷に向かいました。
途中で、元地の海岸を見てとある有名なユースホステルを見て、ハイジに行って、そのあと、おいしいと評判のソフトクリーム屋さんに行きました。私は食べませんでしたが。

ハイジの谷でたくさん歩いたのですが、まったく疲れていません。
ほかの旅仲間に誘われて、宿の近所のスコトン小学校前で小宴会。それでもまったく酔えません。

なんとなく無気力な自分を感じながら、夜は宿主さんが歌を歌ってくれました。
まだみんなが集まる前の数分間に、ブルーハーツの「青空」を歌ってくれました。
旅のオワリにここを選んでよかった。
泣きたい、と思ったけれど、それでもまだまだ泣くわけには行きません。


2002年06月07日(金) 久々に声を出す

7時に目が覚めました。
1時間ほどの仮眠のあと、ガソリンを満タンに入れて稚内を目指します。
礼文へのフェリーは最終15時10分発に乗ればいいので、のんびりと国道を走りました。
もう太陽もすっかり顔を出して、走りやすくなりました。

まっすぐ行くと、時間がかなり余るので、浜頓別のほうを回って宗谷岬で休憩しました。それでもまだまだ時間が余るので、サロベツまで行きました。初めて利尻岳を眺めた場所です。
利尻はまったく見えなかったし、風が強くて車からは降りなかったけれど、サロベツから見る海が、私に元気をくれたように思えました。

そんななか、礼文で私を迎えにきてくれる旅の友から電話がありました。
久しぶりにちゃんとした声を出して、ようやく我に返った気がします。

フェリーに乗って約2時間。
香深の港で手を振っているその友に、大感謝。
ここは、まだ「ただいま」と言える場所ではないけれど、それでも待っていてくれる人がいるのは、とても心強く思いました。

明日は礼文の花祭りです。


2002年06月06日(木) 真っ暗なオロロン街道

仕事を終えてから、関西空港に向かいました。
小樽に置いてきた車を取りに行くためです。もっともっと旅を続けようと思ったけれど、だんだんと続けられなくなってきました。
最初は、車を取りに行ってすぐに帰ってこようと思ったけれど、旅のオワリは旅で締めくくろうと、礼文まで渡ることにしました。

23時近くに小樽に着きました。
預けていた車を駅まで持ってきてもらって、さて出発です。
声を出すと、泣いてしまいそうなくらいのせつなさに耐えて、礼文に向かいました。

真っ暗なオロロン街道を進んでいると、このまま海に落ちても不思議じゃなくて、むしろそのほうが当たり前のような気になりました。
吸い込まれるような闇に呼ばれているような気にもなりました。
そんなことを考えている自分が怖くなり、途中から山道に入りました。
眠気はまったく感じず、今日一日のことが何度も何度も思い出されました。
なんでさっき泣いてしまわなかったのだろうと後悔するほど、気持ちがむせて仕方がないけれど、それでも、私はまだ泣くわけにはいきません。

3時半ころから空が白みはじめました。
夜明けがとてもうれしい。
稚内まで寝ずに行ってしまえそうだったけれど、音威子府でガソリンスタンドが開くまで仮眠をとりました。時間は6時。
6時間、休みなしに真っ暗闇のなかを走っての睡眠は、たくさんたくさん夢を見ました。

続きは明日。


2002年06月05日(水) 強がり

強がっていることを、たったひとつ減らすだけで、今日はとても気が楽になりました。
素直になるということは、生きる強さにつながるのでしょうか。

おやすみ。


2002年06月04日(火) あまりにもまずい中華

母の誘いで、千里にできたという中華街まで行ってきました。
オープンしてまだ一週間も経っていないため、平日ではあるけれど人でこみあっていました。
あまり、こういう場所には行きたくなかったのだけれど、家でいろんなことを考える時間が減ってよかったです。
ただ、あまりにもまずい中華を食べたため、気分は別の意味でどんよりと重くなってしまいました。
きっとほかの店ならおいしかったのでしょう。

本当は気になって気になって仕方がないことがあるのだけれど、私には何もできないのがはがゆい毎日です。

おやすみ


2002年06月03日(月) 準備中

一晩明けたら、すっかり元気になっていました。
理由はとくにありません。
まだ、旅の途中のはずだったけれど、少し本腰を入れて仕事を始めるため、旅を終わらせることにしました。
旅のオワリに向けて、準備中です。

準備の合間にとあるミュージシャンのライブチケットをインターネットで購入しました。
私は、本人の歌はあまり聞いたことがないのですが、知り合いがよく歌っていました。
8年ほど前にテープを送ってもらったのですが、ほとんど聴かずじまい。
聴かなかった理由は、いっしょに送ってもらったほかの歌を聴きたかったから。

旅のオワリは、いつももの悲しくなります。
旅が終わっても次の旅に向けて準備できるように、8年目にしてようやくライブに出向きます。

ライブは7月。
それまでに、いろんなことが終わっていればいいな。


2002年06月02日(日)

1日、家にいました。
十分に睡眠はとっているのに、強烈な眠気に襲われて午後から4時間ほど眠りました。
夢をたくさん見て、何度も目が覚めそうになるけれど、瞬く間に夢の世界に引き戻されます。まるで夢を見させられたような感じです。
はっきり言っていやな夢でした。

でも。
所詮、夢は夢。どうでもいいのです。
私の決心が揺らぐことは、ないでしょう。
多分……。


2002年06月01日(土) パワーを蓄えて

今日は旅の友の写真展に東京の友といっしょに行きました。
わいわいとお昼ごはんを食べて、それから写真展を開いた友の家に遊びに行きました。
ほぼいきなり押し掛けた状態なのに、快く迎えてくれました。
たくさん話してたくさん笑って、少し気が紛れました。
これから喪失するいろんなことのために、今日はパワーを蓄えたような気がします。
私よりもたくさん悲しく口惜しい思いをしている人に、私ができることは、ただひとつ。
それが何かは、今は言えません。

おやすみなさい。


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