痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2012年07月28日(土)  骨密度とスプラッシュ

今日はレントゲンを撮ったのですが、
(また放射線を大量にあびてしまったぜェー ワイルドだろ〜)
スギちゃんの賞味期限が切れかけているので積極的につかっていきたい。

なぜか(ってセンセイがオーダーを間違えたんだよ)一緒に骨密度の検査もついてきて
(これも放射線ぽいねー ワイルド×2だろ〜)
しかもレントゲンの結果がなぜか検査室からセンセイの手元にとんでこなくて、電話で至急を促してもこなくて、仕方なく結果は来週。
そんでもっていらない骨密度の結果はすぐ出てきて、
結果わたくしは同年代にくらべ115% 若年層に比べても109%
つまり三十代のやつらよりみっちり中身のつまった骨をしているということです。
よく長く癌を病んだひとの骨はスカスカで、焼き場で骨を箸でつかめなかった、なんてエピソードを聞いたものですが、わたくしはまだ大丈夫みたい。

それにしても牛乳も小魚も大嫌い、給食では小中あわせて1回しか牛乳を飲んだことがない。
その一回で盛大に吐いたので、以降飲まなくてもよくなったのです。
それ以降もコーヒーに入れるときしか牛乳を口にしたことがない。
煮干の出汁も好きでないので、味噌汁もカツオと昆布。
小魚は春先のイカナゴの釘煮と正月のゴマメくらいしか食べない。

つまり動物性カルシウムなんていらんかったんやー。

喰わず嫌いはもったいないと思うけど、わたくしの場合はたいてい子供の頃に食べられなかった → 長じて 周りの人々に 味覚は大人になると変わる まあ騙されたと思って と毎回拒否できないくらいにキラキラした目で促され → やっぱり騙された もう口を動かせないし、飲み込むこともできない 涙目でちょっと失礼してご不浄へ → 徹底的に嫌いだと自覚する

というコースを辿ってきたわけですが、寿司屋ではかっぱ巻きとかんぴょう巻きを卵焼きを食べてればいいのですし、なんにも困ることはありません。
焼肉屋も自分の肉を徹底的に火を通せばOKですし、ぜったいに望んだほどウェルダンに焼いてくれないステーキ屋には行かなければいいのです。

なんでも美味しく食べられた方がいいような気もしますが、え〜こんなに美味しいものが食べられないなんてもったいない という外野の声に耳を傾けなければ、好き嫌いがいっぱいあっても全然平気よ。

ただし、病気になって母にご飯をつくってもらうような立場になると、
それ嫌い これ食べられない の結果
 母「なんにも作るものがない!」
と非常に親子関係が面倒なことになりますよ。

眠い 何を書いているんだろう。でもあと2時間で倫敦の開会式が始まるので、
ここで寝ると起きられないと思うのでおきています。
あれはダイジェストで見てもダメなのです。たとえショーのところで寝オチしても選手入場は生で見ないと。


子供の頃にもどりたい、と欠片も思ったことはないのですが、
今日びょういんに行く途中、汗をかかないようにゆっくり自転車を走らせておりました。
保育園の側を通りかかると、子供たちのキャーという歓声と、パッシャーンという水飛沫の音、たぶん先生がホースでお水をかけているチャバチャバという水音。
今日もほんとうに暑かった。
心の底から ああいいなあ こんな炎天下の日には屋外のプールにポチャーンと浸かりたいなあ 外でなくちゃだめなんだよね 30℃以上ある外気と、25℃くらいのお水 その日はじめて水に足を入れた時の ひゃあ冷た
あ からエイっと水の中に入ったときの全身ゾクゾクっとしてやがて頭から体が冷えていくあの気持ちよさ。

水泳にいたる前の水遊びをしている頃は純粋に気持ちよかったですね。
懸命に泳いだりタイムを計ったりだんだん楽しくなくなっていった。

家の前にビニールプールをおいて午前中に水をはって、ゆっくりお日様の熱で水温を高めて一番熱い2時頃に水遊びをする。そして3時過ぎにあがってスイカとかトウモロコシとかカルピスでおやつを食べて、タオルケットをお腹にかけてお昼ねをする。

こんなに気持ちがいいことってないよ。

それからひと夏に何回か行った大きな屋外プール スライダーがあって流れるプールと波のプールと 大きなプールと幼児用プール。
合間におでんとか焼きそばとかカキ氷を食べて、
小さい頃は親に連れていってもらって、小学校の高学年の頃にはもう友達同士で行ったかな。

あれもほんとうに楽しかった。

熱い風が吹く真夏の外気の中で冷たい水に入るからあんなに気持ちいいんだと思う。大人になってからは泳ぐというと屋内プールや温水プールばかりそして一方通行の競泳プールばかりになってしまって、
プールでの水遊びの楽しさや、最初に水の中に体を浸ける ああ とか ひゃあ とかの単純な快感がなくなっちゃった。

保育園の園児たちのキャアキャアいう声とバシャバシャという水音に、
あっという間に色んなことを思い出して、子供にもどってあの中に混ざりたいと思いました。

いつか胸の傷がふさがったら、プールに行こう。
バリのわたしのホテルのわたしの部屋の真下にある小さな野外プールがいいな。

眠い があと1時間半を切ったぜ。



2012年07月27日(金)  引き分けでいい なんて言ってすみませんでした

明日びょういんなのに〜
開幕式もあしたなのに〜

でも勝ったからいいや。
別にずるいことしたわけじゃなし、実際マグレじゃないし、
あと3点くらいとれたかも  なんて西班牙あいてにそんな贅沢なこといえるような奴はキックオフの時点で一人もいなかったハズだ。

もう一回やったら負けるかもだけど、今回は勝った。
それが勝負だぜ。

やったー。



2012年07月23日(月)  忙しい日々

気温の変動の著しい昨今、みなさま体調いかがでしょうか。
我が家のインコさんが病気になり、何度も吐いたり寒がって膨れて眠ってばかりでも、どうしてやることもできず一日ヤキモキしたあげく、翌日にはすっかり元気な噛み噛み甘えっこインコにもどりましたが、
今度はわたくしが喉をやられ、気管に入った異物を出そうと一晩咳をしていたら声帯がいかれたのか声がでなくなってしまいました。

声がでない、時々気管になにか入るのか咳き込む、それ以外は結構元気です。

ここ数日、相撲とかサッカーとか全英ゴルフとかスポーツ観戦で忙しく、
ひとつ終わると別なものが始まるので感想を日記に書くひまもなかった。

お相撲はお気に入りの二人の力士が三賞をとったのでよかったです。
丸いお相撲さんが好きなので、舛ノ山が大好き。顔もかわいい。
とにかく鞠のように丸くて弾力がありそうな体です。
来場所もがんばれ〜。
妙義龍はとにかくこのままいい相撲をとって上を目指せ。

サッカーは復興マッチ 0-4で東北チームに花をもたせましたが、
J選抜わくわくしました。
五輪テストマッチ メヒコ応援団はやっぱり、オレオレ叫ぶことに感心しました。そうだスペイン語圏だった。

ゴルフは久しぶりにじっくり予選からみました。
全英はいつもコースが面白い。
実況もたくさんいる解説陣もゲストも皆RYOちゃんの保護者みたいでおかしかった。あとコース上ではみなコソコソ小声で話すのがマナー、ショット直前は黙るのがお約束なんだけど、元テニス選手が小声でも煩くてしまいにちょっと怒られていた。
まあ、RYOちゃんは残念だったね。次こそ予選に残りたいよね。
スコットはもう絶対に優勝だと思ったらまさかの4連続ボギー。
まるで先場所の稀勢の里。
ほんとわからんもんですね。

来週からの五輪はどこまでおっかけようかな。
副作用次第ですが、うまく乗っかって乗り切りたいものです。




2012年07月17日(火)  きたか熱帯夜

前回のつづき

で、何が言いたいかと言うと、副作用のことなんです。
すぐ慣れちゃう すぐ排出しちゃう。

今までも、吐き気 眠気 倦怠感 口内炎 味覚障害
だいたいひととおり出ましたが、どれも不快レベルで乗り越えられないほどではない。
そして投与のたびに副作用も弱くなっていく。
白血球・血小板・腎肝機能・貧血 尿蛋白 の値もやや変化はすれどもやばいレベルにはいかず、やはり数回の後に平常値に近くなっていく。
前回つかっていた高〜い薬。これは強い薬で、
抹消神経の麻痺、末端の血流量不足、鼻血など普通に生活するにはかなりの障害になり、症状の緩和も漢方しかなかったんだけど、この薬をやめて2ヶ月でほぼ治まってきました。
一時は手足すべての指の先がシビシビに痺れていたし、
爪の先に血が通わず、小指の爪などはいわゆるヒョウソウ状態で爪は緑色に変色し、少し引っ掛けたらはがれてしまいそうでずっとバンドエイドを貼っていたのだけれど、
やはり薬をやめてたら付け根からじょじょにピンクになり、今は緑の部分は5ミリくらいです。

だんだんピンクになっていく爪をみて、
ほかも戻るもどる、と自分を勇気づけているのです。
現在の薬の副作用は、投薬後の数日後の激しい眠気と倦怠感、食欲不振くらいです。これも抜けるのが早くなってきました。
一番心配された心臓機能の低下もおきていないよう。
白血球値は、ふつうの人より多いくらいです。
今年のはじめにくらべ、腫瘍マーカーの値も半分くらいになり数値上では結構薬は効いているのです。

するといま何が痛くてどう大変なのか。
前々回の薬の投薬中、左胸に再発した腫瘍の細胞が薬で死んで、
体内に排出してくれればよかったんだけど、どういうわけか外側に破れて排出されました。
最初は小さな傷だったけど、どんどんどんどん腫瘍を殺して傷は大きくなっていきました。
で、次の薬は、新しい細胞(血管)をつくりにくくするという特徴があり、
それもあって傷は塞がらず、どんどん癌細胞は死に、胸骨の上の患部に近付くにつれ深くなっていきました。
今ではこぶし大の大きさで深いところは1センチ以上もえぐれていて、
これが数ヶ月ずっと生傷なのです。
そりゃあ痛いよ。乳首の近くなんか鋭い神経のかたまりが走ってるもんね。

薬でもウィルスでも外からの刺激に強くてあまり影響されない。
自分で自分の細胞を殺し、とにかく外にだしてしまおうとする。

自分のことだからよく分かるのですがこんなところまでいかにもわたくしらしい。

で、毎日 朝昼晩 痛み止めを飲んでいるくらい痛いわけですが 癌という病的には、数ヶ月前より症状は上向いているのですね。
まあなにか奇跡的なことがあれば完治することもないわけではないだろうけど、
わたくしも年をとるし、いつかは体が薬にまけるかもだし、
いったん良くなってもまた悪くなることは予想できますでしょう。
少し前、倦怠感が非常に強かったときには、少しくらいよくなったって、
もう一度この過程をくりかえすくらいならもう終わりに向かってしまった方がいいにゃあ 
病院いくのやめようかにゃ と考えていました。
でもあのマイナス思考は薬のせいでもあるのでしょう。
今はその時より痛みは強いんだけど、
ひとは簡単にか死ねないし、だったら死ぬまで生きるしかない。
ジタバタしてもまだ痛み止めは効くし、ご飯も美味しく食べられる日もある。
なんだか髪と眉毛もまた少し生えてきたし、体が生きるというなら頭は従うしかないな、と。
がんばらない 思想は老人ではないわたくしには合わないし、
あえて意識的にがんばらない、ってすると本当になんにもすることがなくなっちゃう。
それにわたくしには治療拒否する理由がない。

そんなわけで頑張っている最近です。
実質は仕事とか家事とかほとんど何もできないんだけどね。
だから何を頑張っているかというと応援を頑張っている。
お相撲も、毎日すべての力士を応援している。
おばちゃんんのように、
「どっちもがんばんなさ〜い。」
「いい相撲をとりなさ〜い。」
「変化したり下がったり叩いたりしないで、正面からドーンとあたりなさい。」
「今日の勝ち星のためつまらない相撲をとるな!」
「惜しい、がよ〜しよし いい立会いだった。」
と応援しています。
以前と違うのは全部声にだして応援していること。
おお、ますますおばちゃんだ。

別に相撲に限りません。テレビやネットでいい歌を聴けば拍手して、
「よかったよお〜。」
と声をかける。
いい仕事、いますぐの役にたったり星に繋がらなくても、その先を考えた仕事をしている人を皆応援しています。


むかし熱血小学生だった頃、運動会ではなんといっても エールの交換が好きでした。
試合の途中で、あえて相手を称える。相手にフレーを送り、頑張れという。
今も、高校野球やJリーグの試合でそんな光景を見る。
いいよ〜。




2012年07月15日(日)  つづきもの

我ながら、外部からの攻撃に強いというか、よせつけないというか。
あきれるくらいです。

以前に書いたかな。
子供の頃から流行り病にかかったことがない。
はしか は予防接種を打ったらしいのですが、
おたふくかぜ・水疱瘡・風疹 は未経験です。
三つ下の弟と同じ食卓でご飯を食べていてもうつりませんでした。
弟はすべて経験ずみです。
大人になって甥や姪からもらうこともなかった。
O157(数字あってる?)が猛威をふるった年も、家庭でも会社でもわたくしの水際まで奴はきていたのですが、かかりませんでした。
実は記憶にあるかぎり、インフルエンザも一度も罹患したことがない。
皮膚病も眼科系も、
とにかく ひとからうつる 菌が ウィルスが という病気になったことがない。

例外は普通の風邪だけです。

あ、薬がきいて眠くなってきちゃった。
つづく。 



2012年07月13日(金)  相撲と光彦

ああ、行司たちの夏の装束はいいですね。
青 緑 白銀 涼やかでいて目に鮮やかな組み合わせです。

大岡越前が終わっても、名古屋場所がはじまりましたよ。

今日はいい相撲を見ました。
いい立会い、ほんとうの力くらべは素人が見てもわかる電気が走るような瞬間があるのです。
エネルギーのぶつかりあいです。
そのまま真っ直ぐに押し出す。
あっという間の短い勝負ですが、それは美しい軌跡です。

アイボーのかわりの時間は、アサミミツヒコを見ていましたが、
いいかげん時間の無駄なので、
あやしいルポライター → 身元確認 → 刑事局長官の弟さま!!!
→ へへー 地方刑事さんたち平伏

の茶番を毎週やるのはやめろなの。
でも、あれが好きなひともいるみたい。

光彦さんシリーズはライト横溝なのね。
地方の名家・過去の因縁・血縁 etc・・・
いつも思うのですが、いろいろ恨んだり妬んだり殺したりで数十年後にまた殺したりの騒ぎですが、元々は異母兄弟姉妹をつくりまくってちゃんと財産わけをしなかった、大旦那さまがいけないのね。
あと過去の陵辱ね。強姦と望まれない子供がいないとこの手の話しはなりたたないのね。
先週わたくしは2回も過去のレイプの話をみたなり。
今どきのドラマではめずらしいなりね。

もうすぐ梅雨もあけましょうか。



2012年07月06日(金)  お友達

前回の日記からの空白期間、痛かったんだけど薬が抜けかけて頭はスッキリしてました。しかし明日からまたしばし廃人なので、予兆が出る前に少し書いておきましょう。

大岡越前終わっちゃった・・・
暴れん坊将軍さまは好きじゃないから見ない。
午前10時半からの時間が空いてしまった。
ついでに大好きだった金田さんの役名は、笹倉さまだった。
毎日みていたのに笹岡とか書いてる。
残念な脳だ。

大大大好きなCM
たぶんTOKYO MX だけでやってるご飯のCM
ごはん怪獣バッブ君は国中の飯の友をやっつけるためにスイハンキに乗って旅にでたのだった。
福岡ではメンタイーン 山口ではフグサシーン 大阪ではオコノミーン
ほかに金沢と仙台でもなにかと戦っていたけど今ちょっと思い出せない。
これが歌になってるの。こんなかんじ。

♪ バッバッバッバババップ ババッバババップ
   フグサシーンがやってきた あいつほんとに薄っすいわ
   でででで・ま・し・た コリコリブリザード
   バッバババップ メメメンタイ バッバババップ メタメタメンタイ
   バッバババップ %=?&!‘
    あーおいしい!

ブリザードのくだりは記憶怪しい、後半思い出せないので明太子にかえました。
フレーズの合間には子供のコーラスで合いの手が入っていてとっても楽しい歌なのでわたくしもまけじと毎日歌っています。
これから各地のご飯のお供(友じゃなくてこっちかな)が増えると思うので楽しみです。
番外でばっぶ君強化米もあります。
なぜか都内の住宅展示場の宣伝もします。

餡ぱんまんに出てくる ナガネギマンがかっこよすぎる。
まあ怪傑ゾロなんだけど、なぜナガネギがゾロでZなのか、初登場時を知らないので未だに分からない。変身前は背中の籠にネギを背負い、ずごくなまったネギおじさんなところもいいの。
でもマスクをつけてナガネギマンに変身した後は、カット割りも映像編集もなんかハリウッドなの。剣のさばきガッコイイよ。
出るたびにカッコイイ〜と叫んでいました。声はさすがの大塚明夫さん。

ふう、テレビについて言いたいことは書いた。

かつて元気でほかにやりたいこと、やれることが沢山あった頃は、まったくテレビを見なかった。コンセント自体を抜いていたくらい。
体の自由がきかなくなってしかたなくテレビをつけ、
一日中あっちこっちザッピングしながら流し見をしてみて、
今でも80 CMを含めると90%は無駄だなあ と思う。
そのうちの半分くらいは精神の健康に悪いと思う。
結果、慎重に番組を選んで、それでも一日の半分くらい流しっぱなしにしている(気分がわるくなるようなことが流れるとすぐチャンネルを変える)
のは、自分のことばっかり考えているよりは心の健康にいいのではないか、と思ったこからです。家族との会話の種にもできるしね。

具合が悪いときは、他のことは考えられない。
これも修行だ、と思い 痛みや疼きをなかったことにして精神を遠くなにか静かで美しいものに投影しようとかやってみたけど、5秒と続かないね。

いたいよー 気持ちわるいよー 薬もういっこのもうかなー ぐらぐらするよー あしたも痛いのかなー もうあきたよー もっといたくなってがまんできなくなるときがくるのかなー よくなってるのかなー 飽き飽き とにかく飽きた わたしは末期なのか いや肝腎に転移してないしちっとも痩せないからまだだろう ・・・・・

延々と自主的に考えているわけではなくても頭の中がこういうことだけになっちゃう。
集中できないし、字を読むのがだるくて書物の中に心を飛ばすこともできない。
想像力が薄れ自分のこと以外がどうでもよくなり優しさや寛容がなくなっていき、自分でもそのことが分かっているけれどどうにもできない。

その逃避先がテレビだったのです。ネットサーフと違って字を追わなくていいのでPCより目に優しい。
それからネットと違って自分で探したり選んだりの選択の幅がほとんどないに等しいところも、ああ世間だなあ。
勝手にメディアが用意した中のたまたま今日やっているものの中からしか選べない。
気にいらなければ諦めて消すしかない。
世間ですよ。

3日ほど前に嬉しいことがありました。
みなさん他のひとには話さない、心の中のお友達がいるでしょう。
わたくしは小さい頃から、本の中のひと 漫画の中のひと ドラマの中のひと などなど たとえば連載が終わってしまったとか、シリーズが完結してしまったとか、とにかく原作が終了してもう新しいエピソードは読んだり見たりできないのだ、と諦めた瞬間から一番のお気に入りのキャラクターを心のお友達にして自分の想像の中で新しい物語を作っていました。
このひとだけ!という譲れないオンリーワンがいれば、今でいう同人作家になったりしたかもしれません。
が、わたくしのお気に入りはどんどこ増えていき頭になかではどんどんコラボしていきます。
そしてそんなに大勢を複雑な筋のなかにおくような作家脳がなかったので、いきおい好みの劇的なエピソードの中でお友達を激しく翻弄させてゾクゾクしていました。
あくまでお友達が好きなので自分オリジナルな人物造形には興味がなく、
またこの楽しさを文章にするといった面倒なことは小学5年生に一度やってみて投げ出しました。
こうして何十年も、使い古してでも愛のなごりからいつのまにか殿堂入りしたお友達もあり、数年ごとに入替わって常時6〜7人のお友達が、
わたくしが暇なとき、なにか劇的な興奮を求めているとき、現実逃避したいとき、新しい情報や知識を得てそれを自分なりに消化したいとき、
頭の中でドラマを演じてくれていました。
ひとによると思いますが、わたくしは好みから自分は登場させませんでした。
まあ多分に投影させたお友達はつねにいたのでしょうが。

それがね、今年にはいって具合が悪くなるにつれ、お友達のことを考えることがなくなっていったのです。
新しい本や漫画を読むことも減り、ご新規さんの加入はむずかしいとしても昨年のメンバーで十分数年は楽しめたと思うのですが、
なにしろ自分の体のことしか考えられないのです。

それが3日ほど前に、今日はあんまり痛くないなあ、テレビはもう見るものはないし、眠くなるまで本でも読もうとスタンドの灯りだけにして布団に入ったところ、
来てくれたのです。
お友達たちが。
眠るまで数十分、久しぶりに楽しい時間でした。
起きたまま見る夢。


おお、とりとめのない日記。
誤字脱字はもうチェックしないぞ。
しばし又、副作用と免疫との力くらべだ。


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