痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2005年11月28日(月)  暗いはしけ

いただきものの招待券で、ポルトガル語でファドやサンバを唄う日本女性のデビューコンサートに行ってきました。

いただきもの人生。

J−WAVE主催の新星ディーバのライブと聞いていたので、オンナコドモがほとんどの客層かしら、
と思っていたらものすごく年齢層が高かった。
6割は銀髪。
オネエチャン度1割。
あれかしらね、アマリア・ロドリゲス世代なのかしら。
それとも特別ゲストの(CDプロデューサーでもある) ショーロバンド ”エポカ・ヂ・オウロ” の 
ホジェリオ・ソウザ(七弦ギター) とホナウド・ド・バンドリン(バンドリン) のソウザ兄弟のためかしら。
この二人のインスツルメンタルは、息をあわせるため何度も何度も、
顔をつきあわせ目をのぞきこんで、インコのようでとっても可愛らしいかった。
もちろん演奏は軽やかでやんちゃで、とても楽しみました。
おじさん客たち大喜びよ。
わたしの隣の席のおじさんはよくいるラティーナオタクさんで、いちいちポルトガル語に、
「ンーフ ンーフ。」
と相槌を入れ、ソロ後もスタンディング拍手でちょっとうっとうしい人でした。
いやそのかわいいともいえる行動よりも、彼がやや体臭の強い人だったことがわたくしの評価を厳しくしました。
罪はないよね。ごめん。

歌手のかたも、ハスキーで伸びやかないい声で素直な発声で、しかもデビューとはいえ、
海外でかなり場数を踏んでいる堂々とした表現で予想よりずっと楽しみました。
お芝居で 典型的な素人歌(これもいいときはいいのですが)を延々と毎日聞いていたので、
よい声で上手い歌を聴くのはほんとうにいいものだ、と思いました。
ただポルトガル語なので、ほんの少し退屈してしまった。
だから最後に日本の歌を一度ポルトガル語で歌って、それから日本語で歌った時は、
歌はやっぱりメロディーとリズムとそして歌詞だよな、と思いました。
野口雨情はすばらしい。

チケットをくれたGOTOさん ありがとう!



2005年11月26日(土)  石

先日あるお祝い返しで、図書カードをもらいました。
図書券はもう廃止だそうですよ。
5000円分もあったので、まんがではなく、時間つぶしの文庫本でもないものを買おう、
と思って数ヶ月使いそびれていました。

で、今日ついふらふらと購入してしまったのが、
幸せになるための スピリチュアルカウンセリングブック・・・

高かったよ。
すごく大きい字なのに、そしてあたりまえのことしか書いていないのに3000円もしたよ。
疲れていたのだな。
しかしフラフラとレジに持っていってしまった最たる理由は、その本に
筆者の念入りの、パワーストーンがついていたからなのだ。
ローズのクウォーツ 水晶なのだ。
そんなのどこにでも売っているのに。
つまり オマケ につられたのだ。

あいかわらずな自分。

でもやはりなんともいえず恥ずかしかったので、もう1冊まんがを買って、
しかもレジで、
「別々な袋に入れてください。」
と悪あがきしてみた。
まんがは自分のために、幸せブックは誰かのために、
と演出してみました。
書店員さんにはあの表情からすると、バレバレだったようです。



2005年11月25日(金)  旨いなー

一人酒は。
大勢の飲み会(5人以上)はいつまでたっても苦手なので、
先週まではずっとあまり旨くない酒を飲みこんでいたため、腎臓は痛くなるしで
もう酒なんか全然美味しくないし やめちゃおうかな、なんて考えていたのですが
やっぱりお家でひとり飲む酒はうまい!
話が通じる相手と、グダグダ飲む酒も旨い。
なんといっても2週間ぶりに燃えるゴミを出した部屋の中で飲む酒はうまーい。

今日こんなにご機嫌なのは、マウスを買い換えたから。
もう何度内部を掃除してもネジを締めなおしても、縦方向にスクロールしなくなっていたのを、
忙しさにかまけ横移動+キー操作で、ごまかしごまかし使っていたのです。
でもとうとう買ってしまった。
雑貨屋で。
カエル型マウス。
3000円。

もちろん左右の目ん玉をクリックします。
前のは反応しなくなってしまっていた、なんていうの?
ローリングスクロールクリクリも付いている。
カエルちゃんマウスパッドもね。
形は全然身体に優しくない握る手の形や人間工学を無視したカエル型ですが、
なにごとも慣れだもんね。
ねーカエルちゃん。

あービールが旨い。焼酎もね!



2005年11月24日(木)  紅葉狩り

いってきた。

無邪気な我ら母子は、
「日本人1000人に聞きました。秋本番、紅葉を見にでかけたい所は?」
アルアルアルアル・・・・・・・
ピンポンピンポン !!!

1位 京都 嵐山

へ出かけてしまいました。
しかも一年で一番人出が多いという 勤労感謝の日 に出かけてしまいました。
なにもしらず、出かけてしまいました。

そのうえ、京都で一番人気のお寺 「清水寺」 へもノコノコお参りに行ってしまいました。
そんな人気投票、知らなかったよー。

我ら母子は戦い抜きました。
紅葉はみた!
群集のあいまあいまに。

哲学の道、銀閣寺の近くから車にのって京都駅まで2時間と少しかかった、と言えば
わかるかたにはわかっていただけるでしょうか。



2005年11月22日(火)  夢

お芝居をやっている間中、
朝起きる→小屋にいく→お芝居する→かたづけて酒を飲む→帰って寝る→朝起きる
というスケジュールなので家では顔を洗う以外はなにもせず、ひたすら眠りました。
毎日毎日、一晩にいくつもいくつも夢をみました。
それは普段みるようなふわふわとしたストーリーがあるようなものではなく、
起きている時間におきたできごとや、最近の課題を、身体を休めている間に頭が脳を整理しておこう
としているとしか思えない、激しい思考の流出のようなものです。
使い方が違うけれど、ブレインストーミング といいたいようなもの。

起きているときには絶対にできないようなスラスラと流れ出す論理。
同じく起きているときには絶対に自分にむけて突きつけたりしない命題。
文字として頭にみえてくる時もあって、それはレーザープリンターで出力するよりも早く、
ズラズラズラズラと普段使わないようなことばを読まされるのです。
自分の有耶無耶にしていた考えや思いの断片を誰かまったくの他人が文章にしたような、
覚えのない文体。
比喩や飛躍。

朝も毎日目覚ましが鳴る前に目がさめました。
まるで布団から世界に出て行く前に整理しておけ、とでも言われているみたいに。

おかげで、3つのことがクリアになりました。
夢の中でのことですから、布団をでて立ち上がると明確なものはなにもなくなってしまうのだけれど、
最終日、目覚ましが鳴る前に『今回わかったことはこの3つだ』、
と心にしまったことだけははっきり覚えているのです。

わかったようなつもりでいて、でもこんなふうに限界ギリギリまであることをしたりすると、
この小さな意識は、その背後にある底知れぬ 無意識 というものにふいに無防備に触れるときがあって、
なんというかびっくりするんだけれど、
でも素直にありがたく思います。

では、明日は京都です。
紅葉がきれいだといいな。




2005年11月20日(日)  おわった

半死体のまま、京都へゆきます。
暖かいごはんが食べたい。



2005年11月15日(火)  接点

あるできごとがあって、
どちらが悪いのでもなく、
以来 目をあわせてくれることがなかったひとが、
今日 わたくしの頭に触れてくれました。

どんなに嬉しかったかすぐに伝えられなかった。



2005年11月12日(土)  喪失

まずお芝居の初日にわたくしの肝臓がフレッシュなピンク色である可能性は0になりました。
禁酒は6日間でおわり、7日目からは、稽古場のほこりと、声の使いすぎでガラガラの喉を
アルコール消毒するため、と毎晩ザブザブ消毒しています。

それから先日の日記には書かなかったけど、4日頃に財布をなくし、
(わたくしのことだから2つの家のどこかにある、いま見つからないだけと信じていた。お酒も飲んでない時期だったしさ。)
そのうち出てくると思って免許証不携帯のままムニャムニャしつづけ、
が、そろそろ真剣にさがしだしたのに見つからず、
皆におどされ、
紛失から5日後にすべてのカード会社や銀行に紛失届をだしおえたら、
その日の午後に警察からハガキがきて財布はみつかりました。
道におちていたらしい。
ひろってくれた方、ありがとう。
免許証がもどってきたので自信満々でバイクに乗れるようにはなりましたが、
すべてのカードをとめてしまったので、お金は一銭もおろせない。

そういえば言葉使いの中だけとはいえ、いまだに一銭という単位を使ってるのはおもしろいね。

キャッシュカードを再発行せねばならぬのだが、届印がみつからない。
昨日やっとハンコがみつかったと思ったら、家中さがしてもこんどは朱肉がみつからない。
で、さきほど文房具やさんで朱肉を買ってきました。

しかし届印が このハンコであっているのかそっちの自信がないのだ。



2005年11月07日(月)  死んだひとのはなし

お酒解禁。
酔いにまかせて。

誰も一人の人間の一生の時間につきあうことはない。
自分以外は誰もね。
たとえば、もういない 死んでしまったひとの話をするとき、それは自分がその人間と過ごした時間のなかでのことを話している。

生きていた時間のなかの最後のとき、
そのひとは 誰かの父母であったかもしれないし、誰かの夫か妻であったかもしれないし、
誰かの子供であったかもしれない。
けれども、そのずっと前は誰かの子供であって、そして両親にとってはずっと子供だったわけで、
兄弟姉妹にとってはたとえ結婚して家をでていこうが自分が別な家庭をもとうが、
自分の兄姉であり弟妹だ。
幼馴染には、いつまでもあだ名で呼び合った友達で、
昔の恋人にとっては、若い頃の(そうでないかもしれないけれど)情熱が向かった先の存在だ。
15歳で死のうが80歳で死のうが、
ひとは誰かの子供であり、またもしかするときょうだいで、そして連れあいであるかもしれないし、
親であったりもする。
そして、多いかも少ないかもしれないが、仲間であったり、友人でもある。

ひとりのひとがどんなひとだったのか、自分の知っている範囲でしか語ることはできない。
だから、もしもそれを問われたなら 自分との関りをもって話してくれればいい。
わたしが知り合った時、こういうことをしていて。
どういう縁があってこんなつきあいがあったのさ。
わたしはそのひとをこう思っていた。
でも、それ以外のところは知らない。
もっと知りたいのなら、別な人間にもきいてみてほしい。と。

そうでないととてもかなしい。



2005年11月06日(日)  かっぱっぱ

るんっぱっぱ
かっぱきざくらるんぱっぱ
とんぴりぴ のんじゃった ちょっといいきもち〜

挫折。
六日間。

いいわけ。
腰痛を少しでも忘れたかった。




少し前のいまふうでいうと、

切腹。



2005年11月02日(水)  二日目

タバコの量、ややおさまる。

夕べは4時までおきていた。
ずっとずっと夢をみて7時に起きた。
一日中元気だったが、タバコの煙が目に染みて痛い。

稽古は今日から立った。
立つといつも板の上は広くて上も下も前も後も右も左も、スカスカしていてびっくりする。
そしてひとはとても遠くにいる。




2005年11月01日(火)  断酒

おおもう11月ですよ。
ちょうどいいので断酒はじめました。
毎晩飲んだくれててチルチルミチルもないだろう、
と思ったのと、最近自分実験をしていないので 秋の娯楽として。
2週間後の芝居の初日には、ピンクのレバーの持ち主になっているはず。

そういうわけで1日目。
わたし以外の人々で焼酎のボトルを3本あけてましたが、辛くない。
ただタバコの数が増える。
そして無口なひとになる。


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