痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2000年12月31日(日) 不思議な自然な愛しいチカラ

それは異常な飲み方で、無理やり「もうおしまい」したらやっぱりほとんど吐いてしまったけど、もういいんだよ、いつもの寝床の母のベッドの脇に連れていって寝かそうとしたら、くるりヨロヨロとわたしの部屋に入っていきました。そうして見上げる目はみなれた、「おねえちゃんのベッドでねるから、上に乗せて」光線でした。
もちろん元気な頃は勝手に飛び乗ってきたのだけれど、ここ3年くらいはこうしてヒトを使って犬バリヤフリーを実現してきたのでした。
乗せてやると、ヨロヨロくにゃくにゃ、ずっと寝床を作ってきたように3回くらい回って、ベッドのど真ん中まくらに軽く頭を乗せて丸くなりました。
こんなことは、二度寝したくて朝が遅いわたしの部屋に入ってくるのは毎日のことでしたが、夜はいつだって母の脇で寝ていたのに。彼は本当にいろいろなコトがわかっていて、なによりわたしのさよならの覚悟をわかっていてその夜一緒に寝てくれたのでしょう。わたしはやること、やりたいことがあってこのあと3日は家に帰れません。それではもう遅くて間に合わないことを彼もわたしもわかっていました。
たくさんたくさんタロウの好きな耳の後ろや尻尾の付け根を撫でて、おまえが大好きで可愛くておまえは賢くて自尊心があって男らしく縄張りを守って他の犬たちよりも長生きして、なによりもわたしの家に喜びと笑いとみんなが話せる話題をもたらしてくれたコトにありがとうを言って、思うように人間とうまくつきあえなかったわたしに、正直にストレートにそれしかできないおまえがどんなにどんなに大切だったか15年ものおまえの生がどんなにわたしの心を変えてきたかを、ほんとうにほんとうにありがとうかわいいかわいい、と耳の傍でささやきました。
聞こえていたのか、いないのか、なんでもわかっているタロウはウトウトと明け方までわたしのベッドで付き合ってくれていました。

昨日、家を出るときに「さよなら」と「またね」を言ってきたけど、もう目線を上げもしなかったタロウに、寿命をまっとうする、わたしも、言わずもがなの人生の覚悟を改めてして、21世紀になるのはどうでもいい。



2000年12月30日(土) なんでもわかっているタロウ

昨晩、実家に帰ったのはK子(実母)が泣きながら、もうタロウがなにも食べない飲まない、と電話してきたからで。1週間前に帰った時、異常に水を飲むのでもう永くはないとは思っていたけど、ああ今日帰らないと、小さくて深い後悔をずっと心に残すかもしれないことがわかったから。
このての予感、シンパシィはたいへんたいへんたいへん間違いなくよく当たるので、治りかけの風邪を抱えてタクシーで帰りました。
1週間前に首は上げなくても小さく尻尾をふって「おかえり」してくれたのが、もうにぶく目をあけて「みているよ」と知らせてくれただけでした。
そして、死にかけた生き物の匂いがしました。生きるために最小限な心臓や肺は動いているけれど、ほかの内臓や末端の細胞が腐敗してきているような匂い。とてもよくしっている匂い。
吐き戻して体力を失うので、もう口から食べ物飲み物をあたえていないと言いました。

いっぱい撫でて、大好きだと言って、覚悟をきめて寝ました。そして31日の新曲の譜面をみながら夜中にガサゴソいう音がするので寝室のドアをあけると、ヨロヨロフニャフニャ、タロウが歩いていていつもの水のみ場にお皿がないと、階段の下を覗きこんでいました。それはわたしの勝手なエゴからかもしれないけど、1日寿命がのびたって、今こんなに水を飲みたがっているのにワケも教えず水をあげないことになんの意味があるのか、隠してあった水皿に水とせめてもの強心剤に赤ワインを少し垂らしてあげたのは、酒のみだから。



2000年12月29日(金) さよならの予感

モロッコにいった時、それは2月でしたが、夏までに大切なものを失うと占われました。その時あたまに浮かんだのはふたつで、そのうちのひとつは本当に夏が来る前に手の届かないものになってしまいました。それ以来わたしは占いを見たり聞いたりするのをやめました。
もうひとつも遠くないうちにそうなるのはわかっていました。

ひとりで生きていると、自分で自分にいろんなことを言い聞かせなくては前に進めなくなるけど、なかには「しかたない」とか、こんな考え方はほんとうには好きではない、こともあるけど、これだけはずっと子供の頃からそうなのだ、とくっきりと自分に向かっていってきたことがあります。

たとえ明日さよならを言う日がきても、今日はまだその日ではない。だからその日その時がくるまでは昨日と同じように笑っていよう。
愛さなけば失う悲しみもなかった、なんていう人間にだけは自分はなってはいけない。

わたしのはっきりと自覚したさみしさは、きれいだ、とむかしchamiは言ってくれました。最後にのろけておわり。



2000年12月28日(木) 勝利宣言と残務処理

さて、わたくしはとうとう風邪に打ち勝ちました。ビタミンCよありがとう、ローヤルゼリーもありがとう、ライフパートナーよ、きみは良きパートナーであった。杏露酒もルゴールうがい薬も浅田飴スプレーもみんなみんなよく援護してくれた。
戦いにはいって5日目にして我が身体、頭ともにすっきりとこう告げている。われウイルスを撃退せり、と。

というわけで、ただ今残務処理に追われている。なにかって、鼻水と痰だよ。
わたくし理論だとこれらは兵士の亡骸なのね。鼻粘膜、喉粘膜で壮絶に戦ったわたくしの細胞と最前線にいた粘液たちの遺体なの。はやくこれらを身体から出してしまわなくては戦争は終わったことにはならないんだけど、これほどまでに!?ってくらい次からつぎからでてくるんだよね。

あとは事務的に洗濯して布団干してお風呂はいって、だけです。もういいや寝ます。



2000年12月27日(水) せきをしてもひとり、ちゅーか屈辱

こんなにひどい風邪は3年ぶりですだ。あと4日でなおるじゃろうか。わたくしは楽器奏者ではないので、今だにわりと晴れ舞台感とかもっているのでしゅが、ちょっと、21世紀カウントダウンは晴れ舞台でしょう。なのに風邪。ただ今鼻の下真っ赤。いやいや、ありがたいことに喉は腫れなかったので痛くないし、鼻声と咳さえなんとかなりゃあ声はでるんですけど。ぎゃあああああああああ、口惜しい。
自分に。

さすがにお酒を飲もうとは思いません。タバコは吸っております。とにかくうつらうつら眠ったり、おきると暇なので、3年前によんだまんが読んだり。お正月用のものすごく分厚い4コマまんが雑誌よんだり。だって頭がばかでほかのことできないんだもーん。あああ、いつか自分の4コマまんが中毒もひとつ解決したいと思っているんじゃが。10のうち9.8くらいはくっだらな〜い、古!いまだに!なのに、たぶんわたし月に8冊くらい買ってるよ。いやもっとかも。ばかだ。

食欲もないのだがなんか食ってる。さてとうとうわたしはラーピーに飽きました。3日前に買ったひと袋がまだ食べ残してあります。きゅうり1本食いはまだ飽きてません。スパゲティトンノは飽きました!チーズハーブオムレツは飽きてませんけど卵買い忘れました。ああ今思い出した。喉のために買った杏露酒が結局甘くて持て余していたのを。今日はこれを飲んで寝ます。頭が痛いです。



2000年12月26日(火) 風邪ひきクリスマス。トイレ一万回

というのはこのところお気にいりの風邪対処方がニアウォーターをがぶがぶ飲んで頭から布団に入って15時間くらい寝る、というやつだからです。

ああもうこんなん書いてないで寝よう。しかしミナサンそろって大風邪ひいていましたが、当然わたしもそれをもらったんだけど、本番終わるまで抑えろ。といいたい。わたしをみろ!とエバリくさりたい。

そんなしんしんとさみしい布団の中。

しかもあたま金髪。



2000年12月25日(月) お芝居おわった。さみしいクリスマスイブ

いや打ち上げで飲みすぎて最後は覚えてないや。悦子姐さんに連れて帰ってもらったんだろう。起きると4時でした。しかも風邪ひいていました。30日までにはなおす!
いやいや、役者さんはその時特殊な人間になるね。自分もか。

ああ、さみしい。あんなにお稽古してももうおわり。特に今回は1回こっきり公演だから。どうして生もの消えものが好きなんでしょう。終わると記憶のなかにしかない、ってのがいいのかも。かたちはいろいろウザイ。写真とかも興味ない。スナップなんか、高校でてからほとんどないよ。

このトコロわたくしの人柄についての評価をいくつか頂きました。
親切である。
冷静である。
怒るとこわい人である。

自分でプラスすると、
正しさを追う人である。
でしょうか。



2000年12月23日(土) 12月27日いまさらながらの狂人日記

これを逃すともう書かないのがわかっているので、風邪ひきの腐った脳みそでおもいだす。狂人日記。ゴーゴリなんて文学史のなかの名前だけ、当然ちゃんと読んだことなんかない。ドストエフスキー(これも読みとおしたことない。)の言ったという「我々はみんなゴーゴリの外套からでてきた」 外套てのは比喩じゃなくて一番有名な彼の小説なんだけど、フーン。でした。

狂人日記はまあアイデンティティとペルソナの話なのかなあ?ただこれは喜劇なので笑ってもらわないと話になんない。それも役者を笑うんじゃなくて、台詞、筋書き、飛躍、ゴーゴリが意識的に創った仕掛けを笑ってもらわんと失敗だと思っていたのですじゃ。
まあ、前半はなんとか。後半は飯田巨匠の力というか肉体に笑っていただいてなんとか形になったのでしょうか?1回だからね。数日やったら巨匠の身体ももたんし、なにかか崩れちゃったと思うけど。

さて役者のエネルギーや肉体を観にきているのであり、小賢しい筋や芝居はどうでもいいとおっしゃる方々よ。沢山いるんだよね。
わたしも最終的に舞台に立ちあがってくるのはそれだと思うし、ひき付けられるものが目の前に立っていればつじつまがあってなかろうが、棒立ちだろうがちゃんとエンディングにもっていけるとおもいます。
けど、ならばあんなに稽古したり、台詞を覚えるのに脳みそかきむしったり衣装を揃えたりするするのはなぜ?圧倒的なエネルギーがあっても街角で叫ぶヒトを面白いと思えないのは?いや面白いと思うヒトはどうせ友人になれないから置いておく。お芝居がお芝居だとわかっていてお金をだして観るのは?
お芝居は遊びだと思うのです。ものすごく高度で、頭もお金もつかう。時間を一番つかう。たとえ知り合いがでていたとしても今はこのヒトはそのヒトではなくて、そんな自分を騙しているうちに瞬間騙されたりする。役者たちが放つパワーとかいうもんは、自己主張の「みてみて」かもしんないけど、約束ごととしてそこにいるのは日常の自分ではない。決められた言葉を話し、好みでもない服を着て、そうしてそこで主張するものは役柄の人物の主張であるというお約束がある。まあ、だからわりとみんな安心しちゃうんだけど。
なまのお芝居はそんなルールをみんな分かったうえでの遊戯で、お客さんも参加しているわけです。ただ舞台の上にいる方が親だからさ。親の采配がよくなきゃゲームは面白くなんない。だから稽古して腕を磨くんじゃあ。



2000年12月19日(火) お芝居の稽古ややまったり

いえ、稽古してませんよ。なんか昔からセリフがすぐ覚えられるので、つらくはないのですが、結局本番までは楽しくなくて、いろいろ自分を騙しだましして。いいの。本番悔いがなくて観にきた人たちが喜んでくれたら。

ほんとにクリエイターじゃないんだね。創っていく作業が好きじゃなくもないんだね。戦うのがいやなんだの?腰のひけた、が一番近いかな。

生半可な自信もあるのでしょう。芝居や音楽でズタズタになったことないし。

でも若人じゃないのでそんな内省ちっくなことはヤメにします。明日死んじゃうかもしれないんだぜ。すみません。いきなりでした。



2000年12月13日(水) また、飲んじゃった。暴言か、

わたし田舎者って嫌いだ。あ〜、説明むつかしい。精神的に?いや、単純に?
地方出身者をいいたいの?
以前、chamiとタクシーの中で、この話をしていたら、運転手さんが怒ってしまって結構大変だった。
なんだろ。自己顕示欲?比較論?破れかぶれな図々しさ?自由ってハキチガエテルとこ?
どうにもこうにもスッキリしないけど、「慣れ」 かな?慣れろ!っての。東京に、でも、都市の暮し方に、てか、浮き上がったカンジが腹たつのかも。

驚いたり、嫌悪したりしながらでいいから、もっとふむふむなるほどな気持ちで観察している方がまだいいよ。外国に遊びにいって、貧乏旅行だ、とかその国に何ヶ月もお世話になってて、うんざりとか、悪口ばかりいってる奴っていっぱいいるけど、あんなカンジに近いかな?

なぜでしょう。地方人が東京についてああこう言ったのに、東京人がそうこう言い返したりするのって、かっこわるかったり、アンタッチャブルだったりするのは?
思い込み?優越感?????? 10年くらい考えててまだスッキリしないのよね。やっぱり、典型的でいて、本当はすごーく個人的なことだからかしら?



2000年12月11日(月) テレビって面白い?というか歯が痛い恐怖の予感

白状すると、誰に?5分以上同じチャンネルをひとりで見るってできません。もう10年くらいドラマってみてません。ほんというと、ビデオももう5年くらい見てません。1時間以上の芝居も全然集中して見れません。
単純な人間なのか?わたしは駆け引きが嫌いだ。いや自分でするのは好きだ。恋愛も人間関係も綱引きしてタイミングを計ってGO! でないとゾクゾクしない。退屈だぜとか傲慢にも決めつけちゃうんだけんども、その対象にされるのはいやだ。
うう〜ん。一対一ならいいのさ。

え〜なにが言いたいの?だってテレビとか映画とかお約束も期待してるけど、やっぱり驚きたいわけじゃないかあ。ただで、一歩譲っても安く。
なんかすごく甘い範囲の計算でいじられてるのがいやっていうより、おもしろくないぜ。時間の無駄だぜ。気が散るぜ。

みないから批判もできないいつものわたしだが、ここ2日、模様替えしてみてみようなんて思ってみてみました。つまんね〜。金魚でも眺めてる方が楽しいよ。
3分と5分の差は大きい。

いいんだ、どうでも。歯が痛いんだ。経験上、これはデカイやまだってわかる。
世の中で一番から十番に入る嫌いなもの「牛乳」を子供の頃から飲まなかったのも、でもどっちをとるか、でしょ?人生って。わたしは歯医者を選んだ。ただそれだけだよ〜ん。



2000年12月10日(日) 日常とは自分で自分の食べるものを用意すること

でした。わたしは役立たずで、好き嫌いが多く、そのため自分では絶対飲まない緑茶の入れ方も知りませんでした。実は生肉や生魚を素手で触ることもできません。
かつてこれなら大丈夫!と思い八宝菜を作る際、自ら「わたしイカ係!」とかってでたのに、胴体部分をむぎゅとつかんだとたん、ゥギャ〜、と叫んで天井にむかって投げつけ激しいものすごい顰蹙をかいました。

それでヨソではわたしはほとんどなんにもしないで、寝たり起きたり好きなものだけ食べたり人にやってもらってありがとう。と究極のお客様、招かれ上手(これはいくらなんでも図々しい)。

日常は3食自分の食べるものをなんとかしなければならない。のですが、だいたいちゃんと食べるのは1食で、あとは果物を食べたり、お酒とともに銀杏くったり、しています。枝豆もソラマメもとうもろこしもくうぞ。そして一日中なんか飲んでます。冷蔵庫にはつねに5種類くらいのソフトドリンクとお酒。

炊飯器もってないし。今最高に凝っているのは冷凍食品だね。冬でもとうもろこし食べれるし。あと、きゅうり。夏にブームになればよかった。1本まるごとはじっこを2cmくらい落としてボリボリたべるのです。あのね、砕けるかんじが好きだ。歯で粉砕する。あしたからはにんじんも仲間にしよう。
あのね、そのままが好きだから楽チンです。



2000年12月09日(土) 仮またの名を覚書

この1週間を思い出そうとしても遠い国に行っていた。のでなんだかガツンと捕まえられるものがない。非日常のなかで、いつものメンバーと日常生活を送っていました。あとでいろいろ書き足すかもしれないし、でも近い過去って結構どうでもいいので、先にとばすかも。書き足したら分かりやすく、頭に「新」ってつけよう。

明日はお芝居 「泣いた赤鬼」 を観にいくの。泣くのやだ。きっと泣く。自己犠牲っていや。それがじゃなくて観るのが。



2000年12月07日(木) 仮 熱海と聖徳太子

おきました。温泉はいりました。裏山にのぼってなぞの聖徳太子の彫刻(彼が生まれてから死ぬまでの)を観てまたやま登ってちがう温泉はいって、熱海まできて寿司くってそばくって、しかしわたしは生ものがまったく食べられないので、昨日の宿でもそうだったが、天ぷらと酢の物のなかのきゅうりばかり食っておった。

そうしてひさしぶりにウーロンハイとか飲んだら美味しかった。熱海から新幹線で帰ってきたりして贅沢なのかなんなのか、早くうちに帰りたかったからなんだけど、30分で飲めるかなといいつつわたしはビール。悦子姐さんはこの旅を最後まで日本酒でしめくくるというのか、熱海でも熱燗あつあつお銚子2本。新幹線では看板娘をプシュっと温ったかくして横浜までにはもう空っぽでした。もう1個買えばよかったのに。

でもきっとうちで焼酎のむんだろうな。さすがだ。こういう鉄人と一緒に旅を終えすがすがしく明日は肝臓休みの日にしようと思い眠る。

この1週間での損失は買っても買ってもどこかにいってしまったタバコとライターです。



2000年12月06日(水) 仮 伊豆をふらふら

おきてぐずぐず支度して、お礼をいって悦子ねえさんとなにも考えずどこか温泉で1泊しようと伊豆半島をうろうろする。

この辺はまた今度。

夜、わたしはもう日本酒はいらない、とビールを2本。まずいワインの小ビンを1本。悦子ねえさんは「温泉で飲みなさい」ともらってきた日本酒の5合ビン?7合ビン?をひとりで飲む。翌朝ごはんの時用にコップ1杯ぶんくらい残してぶっ倒れるように寝る。時折起きてわたしが見ていたテレビの感想を言ったりする。



2000年12月05日(火) 仮 富士山とビール

起きると人は少しになっていました。朝からわたしは近年まれにみるハイテンションでした。ひとりでそしてふたりでしゃべりまくり気がつくと夕方ちかくなりビールを飲む時間になっていました。悦子ねえさんはそんなつもりはなかったのかもしれませんが、わたくしは計画的にお寺にもう1泊しようとことを進めていたようです。夜もしゃべりまくりました。
しかしわたくしは自分で重々わかっているのですが、ひとに自分のことを話すということができません。この年になってもまだこればかりは克服できないのです。
そんなわけで、わたしはしゃべりまくった内容は誰がどうしたこうしたなのです。
もちろん愛情を感じ、その誰さんのことをよーく観察しているからしゃべれるし、聞いてるひとたちも笑ってくれたりするのでしょうが、我にかえるとなんだか落ち込むのでした。

そうして明日は旅立とうとぼんやり考えながら眠る。3時くらい。?でもずっとビールを飲んでたわけないので、たぶんどっかで日本酒にかわりました。ここの切り替えがいつだったか覚えてない。けど夜食にみんなで(6人)水餃子を100個くらい食べたときやっぱり餃子にはビールがいい!とわがまま言った記憶があるので
その時は日本酒だったのでしょう。

あと、富士市からみる富士山はでかい。富士山大好き!これはわたしぐらいの年の東京っこはみんなすきなんじゃないかなあ。最高に天気がいいと、3階くらいの窓から富士山が見えたから。今日は富士山がみえるよ。ってみんな言っていた。
それはいいことで、日本晴れだね。と続くのでした。



2000年12月04日(月) 仮 コントとデビット・マレイ

朝、起こされる。二日酔いはまったくなし。しかし眠くてなにも考えられん。2時半の本番までコントの稽古する。もう逃げて帰りたい。でもなんだかやれるような気もして、結構頭真っ白のまま始まったと思ったら終わってた。やったよ。逃げずにまたひとつ乗り越えられたよ。うんうん。そのまま本堂ステージはジャズに。親父吹きまくる。1曲だけボサっぽいのあり。やっぱりラテンが好き。

そのまま怒涛のうちあげ。ピアノの親父が心臓でちょっと倒れたり、カラオケでデビットとマーク(ドラム)が「こんな歌が下手でいいのか!」というくらい下手なのに、10曲くらい歌ったり、無理やりデュエットしたりもうなにを飲んだか覚えてないが、頭がわれるほど痛くなったり吐いたりまた飲んだり外人親父に連れ去られそうになったり。



2000年12月03日(日) 仮 結婚式と日本酒

朝、結婚式でした。弟のね。うちのお嫁ちゃんが一番かわいいでした。満足。
わたしは誰のであろうと結婚式=chamiと頭のなかではそうなっているので、幸せそうであればある程、涙がでて辛いのでもうこれっきりにしたいけど、あとはもう周りには自分以外しそうな人もいないので、よけいな心配でしょう。わたしは恋人はいないし、突然結婚したとしても付き添い人がいないので式はやりません。

式のあとはお食事会で、シャンパンから白赤とワインを飲んでちょっとクラクラしながらパーティ会場へ。あんなに楽しみにしていたビンゴは初回からリーチのままなにももらえず。わたしはビンゴが好きだ!ハンカチでもキーホルダーでもいいから当てたかった。ライブの方はまあお約束ですから。なんか弟くんもお嫁ちゃんもバンマスまで涙ぐんでてやばかった。けどぐっとこらえました。

そうしてあとかたずけもそのままに富士へ。新幹線。わたしは新幹線も好きだ!理由は早いから。
ついて、もうみんな日本酒3升くらい飲んでて、かけつけコップ酒。いきおいでわたしも普段飲まない日本酒を5杯くらい飲む。2時くらいに寝たのかなあ?
なに話したかなんて全然まったく覚えてない。

わたしと弟は子供の頃からナカヨシだったので、なんだか友達にいっぱい囲まれて楽しそうでよかったよかった。



2000年12月02日(土) 仮 コントの稽古と弟くん

昼頃目覚めました。足をひきずりながらコントの稽古へ。だってセリフなんか全然覚えてないし、自分が板の上でなにをするか全く考えてない。
そうして、ストレスなの?1年に1回くらいしか食べないコンビニの甘いもの、バナナオムレットとえびまん(マズイ)とチョコラBBドリンクと味噌煮こみ風うどん
(カップ、しかもお湯がぬるくて湯気がでない)をモノも言わずに稽古場で食し、吐きそうになって半分捨てる。罪悪感でまた落ち込む。
なんだか自分と共演者の皆様を騙しだまし、ズルズル稽古をして、弟くんの結婚式のため一足早くお疲れする。やーな気持ち。やああああああな気持ち。

弟くんと明日の準備。大渋滞に入りこみ、あせりたばこをブカブカ吸う。なんで目白駅から山手通りまで1時間もかかるの?
帰りは5分とかからなかった。はい、時間帯がわるかったのです。ますます、東京では原付以外運転すまい、と誓う。



2000年12月01日(金) 仮 ウクレレ団とサルサ団

終わりました。誉められていい気分。明日もいろいろあるので、めずらしく01:30AM頃帰ったの?車の中で死んだように眠ったので、(眠るように死んだの逆まわし状態)自分ちのある道灌山を道玄坂と思いこみ、ついたと言われてなぜ渋谷に連れてくる???でしたが、ちゃんと朝はお布団で寝てました。
ウクレレ無くさなくてよかった。
この日、創ってもらったスミレスペシャルというカクテルがたぶんスンゴカッタのでしょう。注文は「甘くて濃くてガツンときて後味スッキリ」だったのだが、味はよく覚えてない。バーテンさんは自信あります!と言っていた。わたしもウマイ!と喜んだけど。???ジンとビターとカンパリと、あとなんだろ?
たしかにガツンときました。しかもロンググラスになみなみたっぷり。

あとは、思い出したらまた書こう。


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