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1975年04月30日(水)

最終更新日:2001.08.14

http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/earlyears.htm

3.Mahikari's Crumbling Foundations
  崩壊しつつある真光の基礎


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このセクションは、岡田良一氏が人類の救済者であるという真光の主張についての調査である。

真光が主張するには、1959年(昭和34年)2月27日午前5時、岡田良一氏は5日間の高熱を伴う昏睡状態から覚めたという。この意識の混濁状態の間、彼が言うには神が彼のもとに来て人類の救済者としての使命を与えたという。彼は宗教活動とは無縁であったので、この経験をあまり深刻に受け止めなかったという。しかし、手をかざして光を与えはじめたところ、手足の不自由な人が歩き始めたり、目の見えなかった人が見えるようになったという。彼は手をかざしつづけ、たくさんの「奇跡」が起こった。そして、神から彼に与えられたメッセージに従って、彼は人類の救済者としての道を歩み始めたという。

その当時の日本では、色々なカルト教団や宗派が現れるための機が熟していた。日本は、第二次世界大戦後の焦土から立ち直る過程にあった。それまで日本を支配してきた国家神道と呼ばれる国教は、違法とされた。つまり、生きた神としての中心的存在であった天皇は、単なる人間としての存在に追いやられた。岡田氏はその当時の、その精神的空白を埋めるために神から役割を与えられたと考える多くの宗派の指導者の一人であった。そして、1959年2月に一つの宗教が産声をあげ、それは世界中にひろがり、巨額の資金を動かすことのできる教団へと成長していった。

岡田氏の主張に信憑性を与えるために、外部の組織が引き合いに出されていることは明らかである。

最初の例として真光が言うには、日本の神道の神官が、「天杖」(Tenjo, 天の杖、神託の一種)とよばれる方法を使って、岡田氏が「ヨニマスオオアマツカミサマ」とよばれる日本の神の生まれ変わり、あるいはその神の現れ、であることを認めたという。その天杖とは、自動書記の一種であり、神官がトランス状態(神がかり状態)にあるときにペンか筆を持って書くというもので、それは神が書いているとされる。自動筆記とは、指導霊あるいは神に、その人の手と腕を使って何かを書いてもらうものであり、その間のその人の意識は変性状態にあり、質問に対する答えが書かれるという。

この、岡田氏が日本の神であるとの承認は、オカルト的あるいはシャーマニズム的な儀式に基づいている。興味深いことは、もしこの方法で与えられた「神の啓示」が賞賛されるべきものだったなら、なぜ岡田氏はその時その場所でその神道教団によって受け入れられ、日本の神の生まれ変わりとしてあがめられなかったのだろうか?確かにこれは神道の歴史における偉大な出来事になったはずである。また、どの神道教団が関わっていたのであろうか?神道は、古代日本の宗教である。紀元前500年(かそれ以前)に起源をもち、最初は自然への崇拝、繁殖に対する崇拝、占いの方法、英雄への崇拝、そしてシャーマニズムがまざりあった無定形なものであった。その名前は8世紀の中国語の「シン タオ」(神の道)からとられている。


(注:この神道教団というのは、「Mの道」であることが判明しています。実は、真光立教前後の岡田氏は、真光の前身にあたる会を主催しつつ、「Mの道」の「ヨ宮真光呂」という一つのセクションの長であったようです。そして、ヨ宮における大祭、月並祭において、「Mの道」のその当時の教祖(教え主)様を通してたくさんの天杖神示を受けていたらしいという過去の事実があります。つまり、「ヨのみ役」とか「真光」という言葉は「Mの道」時代に使っていた言葉を流用したものらしいです。)

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----------資料----------

〜○○真光での研修会のテキストでの記述〜
−救い主様の御神命の概要−
 救い主様の御神命については、御神示をいただかれた救い主様ご自身が驚かれたほどですから、いわば正当性を任じている、神道界の方々が驚嘆したのも、無理のないことでした。そして救い主様の「み魂」に疑いをもったのも当然のことと言えましょう。昭和35年6月から数回にわたって当時L.H陽光子乃友とは特別関係のなかった神道界の一部の方々により、「救い主様の『み魂』や『み役』」について神伺いしても良いかとの提議がなされ、救い主様は「いいですよ、どうぞ」と自信たっぷりに了承されたのです。そのみ魂調べに対しての御神示は、救い主様に直接、天降った御神示と、全く同じ意味を有するものでありました。そのため大変なみ役の方であったことに、神道界は非常な驚きを持ったのです。救い主様の御神示が、関係のない、しかも疑いを持った団体の御神示によって裏付けられたのは、宗教界でも希有のことです。そのため、これが第三者に対しての客観的な、好資料とさえなったのです。救い主様の御神命について、「天杖」の御神示の一部を基にして、概要だけを記させていただきます。
 み魂伺いによってまずお示しされたのは、「崇盟五道」、「ヨスカ従道」の御神示です。さらに、これを説明する御神示が出されております。それによりますと「崇盟五道」とは五大宗教(仏・基・回・儒・道の各教)を総合帰一する、大本の教えをなすみ役であるということです。
(以下略)
〜S界真光文明教団の二代教え主関口S氏による
 『日本よ、霊的先進国たれ』(現代書林)の中での記述〜
−天杖が示すメシアとしての使命−
<魁のメシア>というような重大なお役を神様から頂くような方は、やはり誕生の時点から普通の人との違いを感じさせられますが、しかしそういう大きなみ魂というのは、とかく同じ分野の人たちから疑いの眼差しで見られ勝ちでもあります。(中略)神から与えられたお役目を<天杖>という方法で調べてくれる<Mの道>というところがあり、師はそこへ案内を受けてお出かけになりました。昭和35年6月のことでした。<天杖>というのは神前で横にした一本の棒の両端を二人の人がそれぞれ軽く支え、棒の中央に吊した筆が神霊によって操られて、自動的に文字が書き出される方法のことです。<審神者(さにわ)>といって、神様に対して来場者がどのようなお役目の方かを神伺いする人がいます。天杖の筆がひとりでに動き、下の紙に文字を書き出しますと、これを読みとりその意味を来場者に伝えてくれます。(中略)この<Mの道>の天杖のときは私も師のお供をして参加させていただきましたが、<Mの道>の方々は師が<ヨのみ役>と知って大いにおどろき、深い敬意を表されたのを覚えています。<Mの道>でずっと以前行われた天杖によって、いずれ<ヨのみ役>の方が現れると予告されており、ヨのみ役とは「世の立てかえ、立てなおす大いなる使命の方」と神から教えられていたのです。
(以下略)
〜昭和37年3月25日付「Mの道協会」発行の機関誌「聖和」第2面〜
大見出し
「Mの道指導神霊団に捧げる感謝の祈り 施真道場で行う」

本文
 昭和二十三年”Mの道”−(前身千鳥会)−が創立されてから、十有余年に亘り、世の立て替え建て直しの大神業を実現するため、高き神々の御旨を享けられ、霊界より降神ユニハ(交霊会)、天杖(扶乱)、神筆(自動書記)、神言葉(霊言)等々の方法に依って”Mの道”を、断えず親切に導かれて来た大峰老仙様を始め指導神霊団の御神霊に対し感謝の真心を捧げる「感謝祭」が、藤沢市大鋸一0八Mの道施真道場に於いて執り行なはれた。又当日は”Mの道”が創立されてより指導神霊団から御神示をお受けする天津ヒモロギとして大きな霊能力を発現なし”Mの道”の基礎かためをして組手の向上を図られて来た教主荻原先生をお迎えし、指導霊団の諸神霊に対する感謝の祭典と共に、組手の有志が心から萩原先生に敬謝の意を表し、今後大神業のため益々精進努力される事を祈念且つ激励する日であった。当日の祭典は、ニ宮斎主 顕正導師の主催であり、主として二宮関係の組手有志が集り、ささやかな会合であったが、東京からわざわざ深川富岡八幡宮の宮司T先生、ヨ宮真光呂斎主 岡田光玉先生、タ宮斎主 U先生夫妻、鎌倉大和証券信託社長のS先生夫妻も見えられ参列者は二十数名であった。先づ二宮斎主から参列者一同に対して挨拶をかねて感謝祭を行なうまでの経過を述べてより式典に移り、左記の如き「祭文」を奏上し、厳粛に祭式が執り行なわれた当日の御祭りに対し大峰老仙様から「行真和基」の御啓示を賜った。(後略)

(注:3つ目の「Mの道」の資料に、「ヨ宮真光呂斎主、岡田光玉先生」という記述があります。この当時、岡田氏は「Mの道」に所属する傍ら、L・H陽光子乃友を主催していたと言われています。真光教団の資料によると、神伺いが初めて行われたのが昭和35年6月です。「Mの道」の資料に光玉氏がでてくるのが昭和37年3月です。(真光立教の神示は昭和34年2月。)

ちなみに「Mの道」では、信者一人一人に48音のうちの一つの音が「Mの道」の神示によって割り当てられ、その音で表される「働き」を持っているとされます。それは「霊系」と呼ばれ、特定の人だけが持っているというものではないそうです。岡田光玉氏の場合、それが「ヨ」だったようです。「真光呂」というグループ名も神示によって授けられたといいます。

○○真光の研修テキストでは、関係のない神道教団が神伺いを行ったとしています。関口氏の記述でも、岡田氏は関口氏に案内されて「Mの道」を初めて訪れ、そこで天杖神示をもらった、というような書き方をしています。「Mの道」と岡田光玉氏の関係について、それ以上のことは真光教団は何も教えていません。

「Mの道」においても、岡田光玉氏に関する確かな資料は上のもの以外にはないらしいです。つまり、真光教団の言うような経緯を記録した資料は存在しないようです。

また「Mの道」には、手を当てる「真手(まなて)」、呼吸や言霊による「真息吹(まいぶき)」、祈りによる「真光(まひかり)」、という癒しの方法があります。真光教団の教えとは、言葉の使い方に違いが見られます。)
http://www.makoto.or.jp 真手(まなて)の項、参照

----------- 資料おわり------------------


1975年04月29日(火)

約100年前、神道は次のように分かれた。

神社(神社神道):これは最も大きな神道の派閥である。それは、宗教の起源でもあった。つまり、その根本は有史以前にさかのぼる。第二次世界大戦の終わりまで、神社神道は国家神道と密接な連携をとっていた。日本の天皇は、生きた神として崇拝されていた。ほとんどの神社は、神社本庁という、神道神社連合に属している。
教派神道:これは、13の教派からなり、それらは19世紀始めから個人個人によって創設されたものである。
民間神道:これは神道の宗派の一つではない。それは中心的な組織や教義をもたない。それは、地方の行事や儀式の中に見られるものである。例えば、道端の小さな像とか、個々の家族によって催される農耕における儀式などである。
間違いなく、真光は神道文化に深く根ざしており、神道における多くの実践を取り入れ、神道の宗派の一つに対して、真光の存在の是認を頼っている。

岡田氏が自分についている(自分そのものである)と主張するところの神は、仏教、キリスト教、イスラム教、儒教、道教など、実質上すべての宗教の教えを一つに統一する役割を持っているとされている。この主張を基礎とし、真光はこれらの宗教の教えの中から色々な部分を抜き出して、岡田の主張を支持するような解釈を与えている。真光のテキストブックの全ページにおいて、聖書や仏典からの引用を利用し、岡田良一氏とその救世主しての役割と、人類の霊的復活(ルネッサンス)における日本の極めて重要な役割について焦点を合わせている。実際真光は、岡田氏をイエスやブッダと比べることは神に対して無礼だと遠慮なく言っている。岡田氏はイエスやブッダよりも偉大な役割を与えられている最初の救世主なのだというのである。

宗教がその創始者の神格性について主張するときの難しい点の一つは、その主張をある程度の客観性を持って評価できるかどうかということである。信者たちにそれ(創始者の神格性)を信じさせることは、必然的に「信仰の力」が作るシナリオの中に落ちこむことである。そのシナリオとは、「私は信じる、だから正しい。」というものである。


(注:「信仰の力」が作るシナリオ→信じる力とは不思議なもので、どんなものでも信じ込めば信仰の対象になりうるということ、つまり、「鰯の頭も信心から」と同じような意味か?)
宗教やカルト教団の生き残りとその発展にとって、継続的にこの「信仰の力」を繰り返し強め、彼らがいうところの「真実」に基づいた明らかな「証拠」を提供することが重要である。信者たちがその「信仰(の力)」を持ちつづけているかぎり、綿密な調査によってその証拠が覆されてもされなくても、そんなことは重要でなくなるのである。

真光も例外なく上のプロセスの中にある。数年をかけた調査によって、岡田良一氏が神であるという信念に基礎を置く「信仰の力」が激しく揺さぶられているにも関わらず、である。この調査は、真光の信者たちに、真光がいうところの「真実」に対する信念を、新鮮な目で見つめなおさせるものである。教団への関与は教団の外での生活を困難にする病をもたらすだけであることを発見して、多くの人は裏切られていたと感じ、幻想から覚め、真光から去っていった。その他の人々はこの調査を見て、これは「霊の邪魔」であるとかうそだとか決めつけ、そういう否定がもたらす心地よい繭(まゆ)に包まれつづけることを選んでいる。反対に、真光が確かだと認められ名誉を回復すること対して不安を感じるならば、もはや真光の信者でなくなることによって幸せになれるのである。

真光がその霊的正当性の証拠として掲げる中心的支柱の一つは、ブッダの予言と言われる次の言葉にある。「正しい教えを説く者が、私の死後3000年たってから在家の中から(宗教に対する素人の中から)現れる。」 この予言は真光の研修の中で紹介されており、岡田氏がまさにその人物であり、宗教的経験を持たずして神から使命を与えられた人、とされている。言い換えればブッダは、この人物は宗教を専門とする階層の人々から選ばれるのではなく、ごく普通の人々の中から選ばれると予言している。真光はまた、イエスは次のように言って、岡田がその救世主であるという予言に信憑性を与えているという。「真理のみ霊が地に現れ、汝らに真実を述べん。(←注:聖書の言葉らしいです。訳に自信がありません。)」 これらの主張は、真光の信仰における要諦である。

岡田氏が1959年(昭和34年)(※)に彼自身の教団を設立する以前に、彼は10年ほどの間宗教家だったことを知ることは、真光の信者に大きなショックをもたらした。中心的支柱が崩れはじめ、すべての領域において岡田氏の信頼性に疑問が投げかけられた。彼は、ブッダの予言にあるような素人ではありえず、そしてそのことが真光に関する基本的なことがらをも信じられなくさせてしまうのである。


(※)原文では1957年となっているが1959年の間違いではないかと思われる。
1993年に○○真光によって発行された「大聖主」(Ketaro Shibata著)によれば、岡田氏は40才代の初めに胸部脊椎カリエスと呼ばれる状態のために深刻な健康問題を抱えており、また、慢性的な消化不良とストレスによる神経衰弱に苦しんでいたという。彼は、九州大学の外科の長であるNakamura?医師に、あと3年の命と宣告されたという。

彼の日記にはこう書かれている。「私は、骨(背骨?)が3年のうちにだめになると言われました。しかし、医者の言うこととは程遠く、病院へ再び検査に行ったときには、すべてが自然に治癒していることがわかったのです。」 彼の伝記には、彼が長い間「浄霊組織」とか「S界救S教」と呼ばれる日本の教団に属していたことが、全く述べられていない。1950年代の岡田氏を知る、S界救S教の幹部であるT氏(尊師)によれば、岡田氏は、そのカリエスをS界救S教における実践、つまり手から放射されるエネルギーによって癒したという。岡田氏は、T氏(尊師)が信者の一人であったS界救S教の教会の幹部だったという。

T氏の供述を裏付けることが、S界救S教の教義部(?)にいるもう一人の幹部であるA氏から得られている。彼は岡田氏を知っており、1949年(昭和24年)ごろ岡田氏と一緒にS界救S教の幹部たちとともに写真を撮ったという。また、岡田氏のような人は聖人と呼べるかもしれない、と言って面白がっていた。S界救S教の幹部たちは、他の宗教を批判することを禁じられているという。しかし、岡田氏が救世教の信者であったという事実は変えようがない。

岡田氏は、1947年(昭和22年)ごろ名古屋地方でS界救S教に入信し、熱心な信者となった。1949年(昭和24年)、彼は東京の西荻窪にある分派教会の博愛教会に割り当てられた専従の(給与も支払われる)幹部となった。A氏は、一年間西荻窪で、岡田氏を補佐する幹部であった。岡田氏は、岡田仲道(Chudo)として知られていたが、後に自分自身を光玉先生と呼ばせ始めた。(※)写真の中にいるH女史は、岡田氏の上司であった。岡田氏はたびたび、S界救S教の創始者であり明主(盟主)様と呼ばれる岡田茂吉氏の教えについて、いくつかの部分において違う見解を述べるようになっていった。(岡田良一氏と岡田茂吉氏は、同じ岡田姓だが縁戚関係は無い)


(※ 「光玉」という名前は、「御聖言」によれば1959年(昭和34年)2月27日に神示によって神から授けられた名前のはずであるが、それ以前に使われていたらしい。「御聖言」自体の信憑性が疑われる。)
岡田氏はたびたび、彼の霊への興味を注意され、将来問題を起こすだろうと警告されていた。1953年(昭和28年)に、彼は問題行動(性的不品行)よってS界救S教の幹部を罷免された。1957年(昭和32年)までは、S界救S教に所属して密接な関係を保っていたが。この頃、彼は妻と離婚している。S界救S教の熱心な信者であり、岡田氏に付き従ってS界救S教を去ったある一つのファミリーに所属し、後に岡田氏の養女となった、井上甲子という若い女性は、後に○○真光の指導者である岡田恵珠女史として知られるようになった。現在彼女は70歳に達しようとしている。

(注:井上甲子女史の素性については、「新興宗教の正体」という書物に記述がある。)
(注:額の手かざしの前に祈言を奏上すると浮霊しやすくなる、ということは救世教内で知られ、禁じられていたようです。そのことや霊査などに興味を持って続けたのが岡田光玉氏と言われています。結果として、これが罷免の一つの理由となりました。)

(注) 岡田光玉氏の罷免事件に関する証言(2ちゃんねる http://www.2ch.net/ −心と宗教−真光関係者集合!!(8)−547、548 2002年8月8日)
「私は救世教関係の者ですが、岡田光玉氏の救世教時代について私が直接、間接的に関係者から聞いて知ったことをここでまとめてお伝えしておきたいと思います。岡田光玉氏が性的な問題を起こして救世教を破門されたという事に関して、これはおおよそ正しく、一部誤解があるようです。

世界救世教の浄霊では、始めは治療的に触診などをしていたのですが、昭和25年頃から体に手を触れないことが原則の浄霊に変わりました(昭和25年12月27日 「浄霊法変わる」) ところが岡田光玉氏は、手を触れない浄霊法の時代になった昭和二十八年のある日の浄霊中に、意図してか誤ってか、相手の女性の体に触ってしまったということがあったらしく、女性が悲鳴をあげ、布教所が騒然となったそうです。このトラブルと、それまでの浄霊中の霊的現象に非常に興味を持っていたことをあわせ、岡田氏はこの時点で、専従布教者を解雇された、すなわちクビになったということらしいのです。破門をされたのではなく、解雇されたのです。

だが、単に教団からの雇用を解かれただけで信者をやめさせられたわけではないので、岡田氏はしばらく一般信者として参拝などを続けていたようです。というのは、教祖が亡くなったのが昭和30年で、その後二代教主様が就任されましたが、昭和32年頃まで、岡田光玉氏が聖地参拝に来て二代様のご講話を聞いていたという目撃証言があるからです。私は真光の教義を詳しく知っているわけではありませんが、時々掲示板に掲載される用語などを見ると、教祖の影響とは別に、救世教二代教主様の影響があることもうかがえます。岡田氏は、霊がかりに興味を持ったことと、そして女性の体に触ってしまったことで解雇されたことから、霊と自由に話をすることが出来、相手の体を触れることが出来る真光をおこしたのでしょう。

(追記)世界救世教には、腎臓部分や肩、首などを触られても悲鳴を上げるような文化があるわけではありません。これは当然、女性が悲鳴を上げるような場所を光玉氏が触ったという意味です。」


1975年04月28日(月)

S界救S教の幹部の集合写真が、1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)の間に撮られており、彼らは東京のS界救S教の博愛教会の信者たちであった。


「1」岡田仲道(良一)氏、「2」A氏、「3」A氏、「4」S氏、「5」H女史
(プライバシー保護のため、岡田氏以外にはぼかしをかけています。)


真ん中の写真は、上の集合写真中の「1」の人物の拡大写真。

上の写真を見れば、耳の形から明らかである。岡田良一氏を撮ったこれら3枚の写真は、違う年齢の時の写真だが、明らかにS界救S教の集合写真の中の人物が岡田氏であることを示している。

上の情報が明らかとなったとき、日本の真光の秘書官に、教義の中のこの明白な矛盾について説明を求めた。秘書官からの回答は、岡田氏のS界救S教への関与を全面否定するものであった。岡田恵珠女史は、秘書課長であるK.T.氏を通して(下のK.T.氏からの手紙、参照)、岡田氏が10年ほどの間S界救S教の幹部であった事実を否定したが、なぜ否定するのであろうか?

以上の証拠から明らかなように、岡田氏がブッダの予言、「正しい教えを説く者が、私の死後3000年の後、在家の中から現れる」、のなかのその人であるという真光のはかない主張は崩れ去った。明らかに、岡田氏は在家(宗教の素人)ではないのである。

(注:「在家」とは、ブッダの弟子以外、すなわち仏教徒以外のことである、という解釈もあります。しかしながら、真光では(初級)研修において、「在家」とは宗教の素人という意味であり、岡田光玉氏はその素人であった、だから岡田氏はブッダの予言した救世主だ、と教えています。つまり、「在家」という言葉の正確な意味はともかく、明らかに真光(岡田氏)は自分の理解した「ブッダの予言」に沿うよう岡田氏の過去を隠蔽し、岡田氏を救世主にしたてあげようとしています。)
1959年(昭和34年)2月27日には、ユニークな新しい宗教が生まれたのではなく、岡田氏の色々な過去の経験が、試され証明されてきたカルトのテクニックの中に織り込まれ、一つの宗教運動が形成されたのである。それは、シャーマニズムとオカルト的実践に深く影響されていた。しかしながら、どのように複雑化しようとも、真光のあやふやな基礎は消し去ることができない。

真光とS界救S教の教えを比較すると、岡田氏はその基本的な教えの構築に当たっては、S界救S教と神道の実践に依存していることは明らかである。証拠が必要なところでそれを与えることに岡田氏は非常にうまく成功した。つまり、日本の伝統的な宗教である神道という、強力な支持者を得ているように見せたに違いない。不幸にも真光に魅了された人々の経験を聞くと、非常にたくさんの人々の人生が、岡田氏の「成功」によって破壊させられたことがわかるのである。(注:この段落は、あまり英語に忠実ではなく、かなり意訳してます。)

岡田氏が打ち立てた彼自身の霊的帝国の基礎は、このようにして非常に不安定なものとなった。

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資料: S界救S教の文献; 岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。 

(岡田茂吉全集著述篇第五巻付録8頁19行〜9頁7行)

私(※1)は天国会(※2)移籍後、西萩窪の支部で助手をしておりましたが、そこに名古屋の知多方面で布教をしていた岡田仲道氏(※3)が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は一つの風格を持っており、その指導に多くの人が集まりましたが、岡田氏は霊的現象に段々と傾倒してゆきました。明主様(※4)は霊的現象の取扱には注意をされておられましたので、私は岡田氏に忠言をしましたが、逆に岡田氏は私を避けるようになり、私は遂に意を決して中島先生(※5)に指導を求めました。先生は「岡田にやらしときなさい」、小生「このままにしておいたら信者が迷う」と申しましたが「やらしておけばよい。貴男は本部に来なさい」と言われ、私は天国会本部に入ることとなりました。後に岡田氏は国分寺に移転しましたが、後に教会から罷免されました。数年後彼がS界真光文明教団の教主になったのには大変驚いたものです。

※1 この文章はこの方の布教体験を綴られたものである。
※2 天国会: S界救S教での二大勢力の一派。もう一派は「五六七会(みろくかい)」と呼び、信者数は圧倒的に五六七会の方が多かったが、教団運営に関しては天国会が牛耳っていた。光玉氏は天国会の博愛教会所属であった。
※3 岡田仲道(おかだちゅうどう)氏: 岡田光玉氏のこと。
※4 明主様(めいしゅさま): 岡田茂吉氏のこと。光玉氏と茂吉氏は血筋関係ではない。
※5 中島先生: 天国会の会長。岡田茂吉氏が大本在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。


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秘書課長 K.T.氏からの手紙

岡田氏は救S教の信者だったのではないかというGreenwood氏の質問に対する、K.T.氏(教え主様の秘書課長)からの回答

原文はこちら http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/letter.htm

1994年5月10日
親愛なるグリーンウッド様
  1993年12月14日に、お手紙をいただいたこと、どうもありがとうございました。私は教え主様に代わってあなたの質問にお答えしたいと思います。
  救い主様は、第二次世界大戦後に霊的なトレーニングを積んでいる最中に、いくつかの新しい宗教と同じように、伝統的な宗教に対しても研究をされておりました。それには、ゾロアスター教、仏教、キリスト教、イスラム教、道教、大本教などが含まれます。救い主様がおっしゃるには、ある神官から特別なトレーニングを受けていたといいます。
  あなたの質問にある浄霊教団についてですが、それは戦前にS界救S教として設立されたものです。それは大本教に端を発しており、多くの宗派に分かれました。救い主様は、浄霊教団も研究なさっていたようですが、救い主様がその信者であったというのは間違いです。
  簡単に申し上げますと、○○真光の使命は基本的にその他の組織とは異なります。「手をかざして」光をあたえることは、多くの人々によってなされてきました。例えば古代におけるゾロアスターとか、ブッダとか、イエスとか、また現代においては、出口王仁三郎(わにさぶろう)氏、岡田茂吉氏、福田くら氏などです。これらの人々にとっては、霊による障害を解決することは、いくつかの場合は部分的にはできても、かなり難しいことだったのです。
  私たちの組織の目的は、神の偉大な計画、すなわち霊主立体文明の実現への参画を、すべての人々に対して提供することです。
  救い主様がスの神様から頂いた聖なる使命とは、5大宗教とその他の宗教の共通の起源を明らかにし、それらをその起源へと立ち返らせることにあります。これは、ヨニマスオオアマツカミサマの地上代行者の聖なる使命であります。これは、ヨのみ役、ともよばれております。このヨのみ役とともに進んでいくのが神組み手であり、これはその他のどの宗教にもない使命なのです。
  これらの目的を達成するため、真光の業と想念転換によって、人類の霊的障害を解消することが大切なことなのです。
  光を与えるプロセス、霊の現れ(霊動?)、霊の清浄化、霊的障害を解消するための「おしずまり(※)」、これらは他の宗教とは完全に異なったものです。ここが大変重要な点であり、特筆されるべきことです。
  重ねて申し上げますが、お手紙どうもありがとうございました。

誠意をこめて、
K.T.(署名つき)
秘書課長


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(※)「おしずまり」について、K.T.氏からの手紙では、真光独自の方法のように書かれていますが、それは正しくないようです。救S教の岡田茂吉氏がすでに用いていた方法であることが、下の資料から窺われます。

岡田茂吉全集講話篇第二巻四〇三頁

岡田茂吉氏と信者の質疑応答、昭和二四年八月一三日

(信者)
−最近ご浄霊中に患者が意識を失い、霊が浮かび出てくることがときどきございますが、これにつき御教示をお願い申し上げます。

(岡田茂吉氏の答え)
−これは霊界の浄化が激しくなってきたので、霊がどうしても落ち着けないもんだから、早く救ってもらおうとして出てくるんです。だから、これからはこんなのが増えてきますよ。こういうのは前頭部を一番よくやってあげるんですね。
 そしてあまり出る場合には、「お鎮まりお鎮まり」って言って手で抑える格好をすると、その言葉の働きで割合に効果のあるもんですよ。当人が半意識で、霊が出そうでなかなか出ない場合も「鎮まって鎮まって」とか「お鎮まり」とかやると、元へ戻るのがありますよ。

岡田茂吉ご光話録(第七号七頁参照) S24.8.23

(質問)
最近御浄霊中に患者が意識を失い、霊が浮かび出て来る事が時々ございますが、之につき御教示を御願い申し上げます。

(御垂示)
これは霊界の浄化が劇しくなって来たので、霊がどうしても落ちつけないもんだから、早く救って貰おうとして出て来るんです。だから、これからはこんなのが殖えて来ますよ。こういうのは前頭部を一番よくやって上げるんですね。そして余り出る場合には、「御鎮(おしづ)まり御鎮まり」って言って手で抑える格好をすると、その言葉の働きで割合に効果のあるもんですよ。当人が半意識で、霊が出そうでなかなか出ない場合も「鎮まって鎮まって」とか「御鎮まり」とかやると、元へ戻るのがありますよ。それから合掌した手を上下に振るのは狐ですね。鳥の霊だとこうやってて、それからこうなって、こうなるんです。(最初の合掌から拍手を打つ姿勢になり、それを続けると共に次第に大きく動かし、遂に鳥が飛ぶ如く両腕を左右に伸ばし上下に振る格好を御示し下さる)そして飛び上がりますね。一尺でも三尺でも平気で飛び上がりますよ。ひどいのになると天井を突き抜いたのがありましたがね。それでですね、霊が浮いて出た時に口をきかせるのはよくないんですよ。口をきかせるのは邪道なんです。何故かって言えば、あれは醜態ですからね。醜態を見せて恥をかく様な事はいけない事なんです。神様は愛ですからね。だから口はきかせない様にしなくちゃいけないんです。然し、之は人によっていろいろあってね、意識を失うとすぐ口をきくのがありますが、こんなのはそうしろっていう神様の御意志だし、或いは正守護神がさせるんですから、之は口をきかせていい事もあります。口をきき始めたら「あなたは誰方ですか」とか「何者だ」とか聞くんですよ。そうするといろんな事を言いますがね、中には嘘を言うのもあるんです。然し、最初から言う事を疑ってかかっちゃいけないんで、言う事をそのまま信じていいんです。で、誰だって事が判ったら「何の為に出て来られたんですか?」とその目的を聞くんです。そうすると、祀って貰いたいとか、こうして貰いたいとかいろんな事を言いますから、その要求が無理がないと思ったらその通りにしてやるんです。そうしてやると喜びますからね。然し、中にはこっちをたぶらかそうとするのもありますが、これはその言う通りに聞いていていいんで「わしは何代前の祖先で武士であつたがどこの戦いで戦死をとげた」とか言ったら、「御生まれになったのは何時ですか?」なんて訊くんです。そうすると「二百年前」とか答えるでしょう。そしたら、「その時代は何将軍でした?」とかいう風にだんだん訊いてゆくんですよ。その霊が本物だとチャンと答えますが、ニセだと答えられなくなって狐だとか何だとか本音を吐きますよ。だから、初めッから疑ってかからない方がいいですね。(御光話録・第七号七頁参照)


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「真理を伝える手紙」菊川義仁著(たま出版)より。

出口王仁三郎(わにさぶろう): 大本教 第2代教祖
岡田茂吉: S界救S教 初代教祖
福田くら: 「真手(まなて−手を当てる治療法)」に関する著書があるらしい。
p.129から

日本における手かざしは、もともとは幕末黒住教(くろずみきょう)の黒住宗只氏から始まり、それが大本教の幹部の一人だった岡田茂吉氏によって再発見された。その頃、大本教が政府の弾圧によって分解したのをきっかけに、岡田茂吉氏によってS界救S教が独立した。S界救S教では、手かざしは「浄霊(じょうれい)」と呼ばれた。

この本はまた、霊動は危険なものであるという、一つの見解を述べている。(この本の著者の見解)
p.131-136から部分的に引用。

...女性は、男性よりも遥かにそういう魔界の生物に憑依されやすく、自由にされやすいものです。実際に、多くの道場が魔界の生物の巣窟になっているという現象があちこちに起こっています。私はそういう実例を一つならず知っています。神霊方からもお聞きしています。...

...霊動ほど恐ろしいものは無いのです。...

...この霊動に興味を持つくらい危険なことはありません。霊動に興味を持ったら、すでにその人は、魔界の生物に狙われていると考えて差し支えありません。私にさえ、神々は、霊動への興味は持ってはならぬ、と折にふれて戒められます。

大本教でも、教祖や聖師は立派な人々であるのにもかかわらず、昔、幹部の先走りがあって、霊動(鎮魂帰神)現象で、多くの人が発狂したということです。手が動いても、何が動いても、何にもなりません。霊動などはあっても無くてもよろしいのです。むしろ、霊動は危険なものなのです。喜ぶべきことではなく、恐れるべきものなのです。

もっと違うところに、信仰の最も大事なものがあるということに、私達は気がつかなければなりません。それは、愛や美です。...

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1975年04月27日(日)

最終更新日: 2001.08.08

http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/origins.htm

4.Mahikari, Mu and the Emperor of Japan 
  真光、ムー大陸、そして天皇崇拝
   By Steve Allerton
   スティーブ・アラートン


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現在○○真光を去って3年になろうとしているが、未だに真光の(オーストラリアの)指導者は真光と日本の天皇とのつながりを否定しており、それを見ると滑稽に思う。最近、私はブライアン・マクベイ氏によって書かれた本「Spirits, Selves and Subjectivity in a Japanese New Religion(日本の新宗教における霊、自我、主観性)」を送ってもらった。その本は、真光が否定するものに対する私の興味をかきたてるものであった。

1997年3月7日(金)のキャンベラタイムズの記事、「よりより世界の構築を求めて」、において、オーストラリアの○○真光の指導者であるアンドリス・テベシス氏は次のように言っている。「○○真光は、日本の天皇が世界の統治者であるという考えに基礎を置いたりはしていません。」

私は彼に同意できない。

私の議論を組み立てるため、真光の一般的な教義をもう一度見てみよう。

「地球は元一つ、世界は元一つ、万教の基また元一つ。」これはアンドリス・テベシス氏が1999年7月18日のキャンベラタイムズの記事の中で引用している言葉である。

1989年の真光の上級研修テキストの第一章は、宇宙の創造と日本の歴史、という名前がつけられ、世界の本当の歴史が信者に紹介されている。その歴史は、神道における天地創造の神話と酷似している。

神道:天地創造の神話と人類の起源:天と地の始まりにおいて、陰と陽は離れておらず、混沌とした卵のような形をした塊を造っていた。ついに天と地は別れ、葦芽(あしかび)のようなものが成長し、それらは一つになった。葦芽(あしかび)は、国常立尊(くにとこたちのみこと)という神に変わり、その神は永遠の大地を造った。6代後に最初の男性であるイザナギが、そして最初の女性であるイザナミが自然に生まれた。彼等は地に降りて日本列島や神々を生んだ。イザナミは火を生む過程で死んだ。イザナギは彼女の後をついていき、暗黒と死と腐敗の国へと入っていった。彼は思った。「恐ろしくて汚らしい場所に入ってしまった。これらの穢れを取り除かなければならない。」彼が脱ぎ捨てた服や、洗い流した体の一部から、まったく新しい世代の神々が現れた。その中には、イザナギの左の目から生まれた天照(あまてらす)、右の目から生まれた月の神があり、それらの神はまた新たな神々を生み出した。結果として、日本の最初の天皇である神武天皇の父である、ニニギ(天照の孫)が生まれた。

実際の人類の先祖やその創造については、完全に謎につつまれている。日本列島(地球の中心に位置する)の民がその他の人類よりも、神とより直接の関係を持っているという確信を除いては。

中級と上級の研修において、真光の信者は神の真理、世界の正しい歴史を教わる。

デイビス氏(1980、p.67-69)とマクベイ氏(1997, p73-74)は、その著作のなかで教えについて概要を記しているが、それは私のノートとテキストの内容とに一致している。デイビス氏は真光の神の教えに対して「み教え」という言葉を使い、Saviour(救済者)という言葉で真光の創設者である岡田良一氏を指している。

み教えによると、日本はかつてムー大陸の一部であり、その大陸は太平洋の下に横たわっているという。そして、日本は世界の中で最も古い国であり、再び人類の霊的中心になるのだという。

古代日本では、恐竜が歩き回り、F4戦闘機と同じぐらいの大きさの翼竜が空を暗くしていたという。(これらの翼を持った恐竜は、次の章で述べる龍神の現れなのだという。)「古代の文献」によると、一億年から一億五千年前の日本において大規模な地殻変動がおき、そのときに筑波山のふもとで何千もの恐竜が死んだのだという。その時、溶岩流がそれらの死骸を覆い尽くし、そのために日本では博物館に飾るような恐竜の骨格が発見されないのだという。その当時、日本にはヒマラヤやアルプスより高い山々があったという。ムーの時代から後の氷河期には、象やその他の動物が、人間を含めて、寒さの厳しくない南に向かって移動したという。南の島々の人々はこれらの移住した人々の子孫だという。救済者(岡田良一氏)は、日本人がこれら南方の人々の子孫であるという学説は、真っ赤な嘘であるという。

岡田良一氏の調査と神示によれば、ムー大陸は日本から南方のイースター島や東のハワイまで広がる大きな大陸だったという。東から西まで5000マイル(1マイル〜1.6km)あり、北から南までは3000マイルあったという。ス神が人類の創造のために使った霊的ひながたを最初に作り上げた場所は、ムー大陸であり古代の日本であったという。色々な役割を満たさせるために、最初の人類は5種類の色に分けて造られた。すなわち黄、赤、白、青緑、紫、である。すべての祭典で掲げられる真光の垂れ幕にある五色の縞は、五つの起源である人種すなわち黄色を主とする五色人(ごしきじん)を思い出させるものである。より正確には、日本人が主なのであり、中国人や韓国人などの黄色人種は、その他の人種ほど低くはないが、黄色人種の中でも劣っている部類に属するという。

古代日本は、全地球を支配する高度な文明を持った場所だったという。人類と通信をするために、ス神はその子孫であるスメラミコトを、日本人全体を統治する皇帝あるいは聖職者として派遣したのだという。彼の統治下で、ムー大陸の人々が使う2400種類の文字が開発されたという。これらの「神代文字(かみよもじ、しんだいもじ)」は、今日使われているあらゆる表意文字、音節文字、アルファベットの起源になったという。こうして、人類のすべての言語は日本に起源があるという。

スメラミコトは、広範囲にわたる彼の帝国を統治するため、日本の15人の皇子と1人の皇女を世界の色々な場所に派遣したという。その中でも最も優れた者たちには、メソポタミア、エジプト、インド、インカおよびカナダの帝国の古代文明が託されたという。これら神の皇族は−ブッダの16人の弟子と混同するが−狩猟や漁業、造船、機織、紙の製造などを人類に初めて教えたのだという。

彼らが築き上げた古代文明の遺物は、み教えが言うには、母なる大陸ムーの人々の生活をしのばせる重要なものであるという。例えばエジプトにおいては、日本の皇子であるツタンカーメンのシンボルである(そして日本の皇室のシンボルでもある)菊のマークが、ピラミッドの中に置かれたその他のたくさんの日本の遺物とともに発見されているという。これらのピラミッドは、ツタンカーメンが日本の「直系の子孫」であることを称えるために建てられたモニュメントだというのが事実だという。救済者である岡田良一氏は、ピラミッドは最初は日本に建てられたという。その理由として彼が言うには、語源学の立場からはピラミッドは「日来霊堂(ピラミドウ)」と書くことが出来るからだという。み教えによれば、日本の古代における名前は「ヤマト」であり、それは「ピラミッドの頂点の国」という意味なのだという。

概要(ノートより)

1.日本は地球上で最も古い国である。
2.日本はかつて人類の霊的中心であり、将来再び中心になる。
3.最初の人類は、5種類の色−黄、赤、白、青緑、紫−に分けて古代日本において創造された。
4.古代日本は、全世界を支配する高度な文明を持った場所であった。
5.ス神は、彼の子孫であるスメラミコトを、皇帝かつ最高位の聖職者としてこの地上を統治させるために派遣した。
6.人類のすべての言語と文字は日本に起源をもつ。「古代日本に文字が無かったというのは誤りです。日本には表意文字がなかったというのも誤りです。応神(おうじん)天皇の時代に表意文字が初めて日本にもたらされたというのも誤りです。」−岡田光玉(真光上級研修テキストブック、1989、P.3)
7.スメラミコトは、日本の15人の皇子と1人の皇女を世界各地へ派遣した。各国の名前はかれらにちなんでつけられている。
8.古代における日本の名前は「ヤマト」であり、「ピラミッドの頂点の国」という意味である。また、「ニホン」という名前の意味は「霊の元つ国(ひのもとつくに)/太陽の起源の国/陽霊の起源の国/霊の起源の国」という意味である。
9.ツタンカーメンは日本の皇子であり、エジプトのピラミッドは日本の皇室を称えるために建てられたという。
注) 6.の応神天皇の時代:西暦270年−310年
ムー大陸の住人は、最初は天国の王と呼ばれる一人の神を崇拝していたが、その本当の名前を使わなくなり、単に神(かみ)とかゴッドとか言うようになった。石でできた天井のない寺院がこの神とそのシンボルである太陽を崇拝するために建てられた。菊の紋、ピラミッド、太陽に加えて、古代日本の公式なシンボルとして十字架、蛇、スワスチカ(宇宙の秩序をあらわす)、3つの角のある王冠が使われた。海外に移住した人々によって世界中に運ばれたムー大陸の文献は、ポリネシアの伝説、中国の文献、プラトンの著作に現れた。旧約聖書は、ゾロアスター教の経典であるゼンド−アベスタを、日本の皇子であるモーゼがヘブライ語に翻訳したものである。

み教えによれば、イスラエルと日本は常に近い関係を持っているという。日本に保存されている記録によれば、モーゼはかつて日本の第94代天皇(※1)の命を受け、ユダヤの王としての立場で日本を訪れたという。茨城県にある皇祖皇太(こうそこうたい)神宮は、モーゼが十戒を刻んだ石が保存されているという。ヘブライ語は日本の天皇からユダヤ人への贈り物だという。この神社が所有する文献(竹内文献)によると、イエスキリストは18歳の時に日本へ来て苦行を行ったという。23歳の時、垂仁(すいにん)天皇(※2)から王の印をもらい、自分の国へ帰っていったという。その神社にある絵には、3つの菊の御紋が正面に刺繍されたローブを身にまとうイエスが描かれている。一旦イスラエルに戻り、イエスはトラブルに巻き込まれ、磔にあうところをかろうじて逃れた。彼の弟が代わりに処刑された。このきわどい逃避行の後、イエスは日本に帰り、118歳で死んだ。マリアとヨセフの骨からイエスが作った像が、その神社に今でも保管されているという。

(※1) 竹内文献は、戦前の日本政府が持っていた皇国史観とは部分的に異なる歴史観を持っている。皇祖皇太神宮のHPによると、モーゼが日本に来たのは不合朝六十九代 神足別豊(かんたるわけとよすき)天皇の御代だと言う。
(※2) 垂仁天皇の在位期間:紀元前29年−西暦70年
(注:皇祖皇太(こうそこうたい)神宮 http://www.kousokoutaijingu.or.jp/ モーゼの十戒石などの遺物があるとされている神社。かの有名な贋書「竹内文献」の公開者である竹内巨麿(きょまろ)によって立教された天津教の中心的神社。竹内氏は、何人ものオカルティスト、神秘主義者の妄想を取り入れつつ、竹内文献を創作していったとみられている。さらに、モーセの十戒石や、青森県戸来村のイエスキリストの墓などをも偽造していったと見られる。岡田良一氏もこの『竹内文献』を真光の教義に取り入れた。竹内文献による天皇家の歴史は、戦前の日本政府が持つ皇国史観と矛盾する点があったため、政府の弾圧を受け(天津教事件)、竹内文献は特高警察に押収され、東京大空襲で焼失した。)
------------- 「竹内文献」に関する資料 ----- 
竹内文献が語るSF的創世神話 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text3.htm
近代日本における「偽史」の系譜 http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/gishi.html
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1975年04月26日(土)

岡田光玉氏はまた、もともとのヘブライ人は枝(えだ)と呼ばれる人々であり、その言葉からユダヤという言葉ができたのだという。イスラエルという言葉は、五十鈴(いすず)のなまったものだという。五十鈴とは、日本の三重県にある伊勢神宮の中を通って流れている神聖な川の名前である。かつて、何人かのユダヤ人が日本に戻ってきたとき、日本の指導者たちは彼等がその地方の居住者と結婚するのを禁じたという。特に徳川家は、もしユダヤ帝国が日本で力を持ち始めたら、将軍家の権威が揺さぶられると恐れた。この政治的な差別が、日本の差別を受ける人々、●●の起源であるという。
(注:●●は差別用語なので伏せてあります。)

古代日本による統治の下で、ムー帝国は栄えた。神社の記録によれば、モーゼやイエス、またモハメッド、孔子、孟子、老子、そしてブッダなどあらゆる人物が日本を訪れたという。例えばブッダは、52歳で日本を訪れ、ス神に教え導かれたという。ブッダの教えを理解するためには、それ故、最初に日本のかんながらの道(すなわち神道)をマスターしなければならないという。(注: 同じようなことが、皇祖皇太神宮のHPに詳しく書いてあります。)

概略(ノートより)

10.旧約聖書はゾロアスター教の経典ゼンド−アベスタを日本の皇子であるモーゼがヘブライ語に翻訳したものである。
11.モーゼは、日本の第94代天皇によってユダヤの王に命ぜられた。
12.十戒は日本に起源をもつ。
13.ヘブライ語は日本の天皇からユダヤ人への贈り物である。
14.日本の垂仁(すいにん)天皇は、イエス・キリストをユダヤの王とした。
15.イエスは十字架の上で死んだのではない。彼は十字架の上で死んだ兄弟をいつも賛美していた。イエスは日本へ帰り、118歳で死んだ。
16.ユダヤという名前は日本語の枝(えだ)に起源をもつ。イスラエルという名前も「五十鈴(いすず)」という、日本の三重県にある伊勢神宮内を流れる聖なる川の名に由来する。
17.●●という、日本で差別を受けている人々は、もともとは日本へ移住してきたユダヤ人である。
18.モハメッド、孔子、孟子、老子、そしてブッダも日本を訪れた。
19.(ヌケ)
20.すべてのアメリカインディアンは、日本人を祖先に持つ。
21.エデンの園は日本で発見された。
22.中国は仏教を広めるために日本の多くの宝物を破壊したので、将来罰を受ける。
マクベイ氏の著作(1997-p74-75)から: 
ムー大陸の住人は傲慢になり物質主義に陥った。そして、存在の欲や物質の面を司る月の神が優勢となった。核戦争がムー大陸とアトランティス大陸の間に起こった。ス神から警告として送られるいろいろな激変を無視したことにより、すばらしい大陸だったムー大陸は一連の天変地異によって破壊された。これは約1万5千年前に起こった。それにもかかわらず、人類は教訓を得なかった。そこでス神は我々人類が改心しない限り、火の洗礼を引き起こし、人類を完全に滅ぼすという警告を発した。5つの人種を統一し、ス神の地上代行者としての正しい地位へと日本の天皇をもとがえりさせるのが、日本人の使命である。真光が、1989年2月の大喪の礼に「教え主様」が参加したことを真光誌で熱心に報道するのは、このためである。その歴史的なイベントに彼女が参加することは、天皇と同じく彼女もス神の地上代行者と考えられていることからして、極めて当然のことなのである。

以下の文章は、天皇に関する岡田恵珠女史の教えから採ったものである。現在、日本では西暦に加えて元号が用いられている。現在、色々な国の中で自然な形で元号を使用しているのは日本だけであり、世界の人々はあまりこのことになじみがない。

それ故、私は以下のように説明を加える。この国の元号は奈良(710-784)時代から1300年の歴史をもっている。明治時代における帝国主義の復活[1868-1887]の後、万世一系の新しいスメラミコト(*)が現れるたびに、時代に新しい名前(元号)が付けられる。言い換えれば、それぞれの天皇の時代に対して新しい時代の名前が付けられるのである。
(*)日本の皇帝すなわち天皇をさす言葉、詳細は上級研修で教わる。
(上記ノート参照)(真光オーストラリアジャーナルvol.7,no.5,May 1989-p2)

「私の最も熱烈な願いは、神の計画を達成するために、世界中の陽光子(真光信者)が一丸となって、神の真理(真光の教え)を広めること、愛と調和の力を伴う正しい道を進むことです。今月12日には、天皇陛下、スメラミコトの即位の礼が日本で執り行われます。」
(真光オーストラリアジャーナルVol.8 No.12, May 1990-p8)

「まず第一に、世界が別々の国々に分かれているという事実が正しくないのです。古代には、そのようなものはありませんでした。すべてが一つの国だったのです。日本という国を見るとき、その国の始まりや国としての確立は、そのようなものでした。つまり、かつてはひとつの「神の地」があり、そこで人類が創造され、世界に派遣されていったのです。それ以外のなにものでもありません。しかしながら、派遣されていった人々は神の計画を知らずに色々な国々を作り出し、互いに侵略につぐ侵略を重ねてきたのです。

事実、五種類の肌の色をもつ人類は、かつての神の時代の状態に戻っていくよりほかにありません。もしだれかがその平和運動のために働くのであれば、その人は国境をこえて働く必要があります。さらに、平和を達成する唯一の方法は、神の直接の子孫(すなわち日本の天皇)による偉大な、徳の高い政治を、彼がいる場所を中心として、かつての神の国がそうであったように、広めてゆかなくてはなりません。」
(真光オーストラリアジャーナル Vol.10 No.2 1992-p10)

概略(ノートより)

23.岡田恵珠女史は、神の名あるいはスメラミコトという名前を、新しい天皇(明仁)と平成という新しい元号を指すのに使用している。
24.彼女は、真光の信者に昔の世界にもとがえりするより道がないと教えている。ムー大陸がそうであったように、日本の天皇が世界の天皇であった時代へと。そうして初めて、世界が平和になるとしている。
経験の長い真光信者、特に上級研修まで受けた信者にとっては、真光の神の計画が成就する上で日本の天皇の役割が極めて重大であるということは、疑う余地のないことである。もしアンドリス・テベシス氏にとってそれが重要でないとしたら、日本にいる同僚の幹部やより上の幹部とその考え方を共有することなどできない。

マクベイ氏はこう書いている(1997,p.156):
以前、真光のコスモロジー(宇宙観)に関して述べたのと同じように、天皇は重大な役割を担っている。真光の指導者は、神組み手(真光の信者)に対し、天皇に対する献身の姿勢を公に表すよう教育しようと努力している。このことは、1990年11月12日に行われた平成天皇の即位の礼において明らかに見られた。何千人もの神組み手が、東京道場からパレードの沿道へと集まり、警備隊と連絡を取り合いながら協力する真光信者によって指示を受けながら、整然と所定の位置に並んでいた。信者たちはパレードの列が通るのを待つ間に、日の丸の小さな旗を与えられ、チェックを受け、真光信者のバッジ(御神紋)を身に付けるよう班のリーダーや関係者からしつこく言われた。神組み手の大集団を公的なイベントにおいて動員するこの明らかな試みの中で、関係者たちは、そこかしこで走り回りながら、信者たちに対してバッジ(御神紋)がよく見えるように確かめるよう繰り返し注意していた。

真光のバッジ(御神紋)は、これまでここで書かれてきたことを象徴するものである。そのマークは、真光の建物、記念館などに見ることができ、日本の真光のピラミッドの45メートルの高さにある頂点を装飾するものである。

黄金の中心は、神の世界の頂点にいる神を表し、小さな黄金の円に向かって伸びる16の線は、日本の天皇、スメラミコトが世界を統治するために派遣した15人の皇子と1人の皇女を表す。16の花びらを持つ菊の形もまた、日本の皇室のシンボルである。赤の縦線は陽、火の神、男性、天を表し、青の横線は、人間、水、女性、地を表す。白は幽界を表し、緑はこの世を表す。

ここで導かれ得る結論はたった一つしかない。真光は、日本の天皇が再び世界の統治者という正しい地位に立ち返るその日に向けて、努力を続けているのである。つまり、ある種の霊的な神政独裁政治、ということである。民主主義は、真光の中では否定されている。

1999年7月18日の、ジャーナリストのデビット・マクラナン氏によるキャンベラタイムズの記事の中で、アンドリス・テベシス氏は次のように述べている。「私たちの団体は、生活の質を改善することによってよりよい世界を構築しようとしており、政府からはある種の教育機関として認識されています。」 また、1997年3月7日(金)のキャンベラタイムズの記事の中では、次のように言う。「何人かの真光関係の教育者は、オーストラリアやニュージーランドのいくつもの学校(初等、高等)で、カリキュラムに高い価値を付加することに成功しています。」

さらに、1997年10月18日(土)のパースにおけるウエストオーストラリア紙の中で、アンドリス・テベシス氏は次のように述べている。
「私たちが達成しようと努力しつづけているものの一つは、首都キャンベラに国際的な本部を作ることです。この目的のために私たちは政府から一区画の土地を与えられました。そして、特定の宗派でない宗教組織として認識されました。私たちは教育機関であり、共同体組織なのです。カトリック、英国国教会の司祭、そしてユダヤ教会の主管者が、メルボルンにおいて我々の仲間となっています。私たちはまた、オーストラリアとニュージーランドにおけるいくつかの学校において、カリキュラムの変更を手助けいたしました。 ニュージーランドにおける我々の仲間の一人は、全国的に学校や大学のカリキュラムに霊的な側面を導入、あるいはその導入を助けることをしました。」

真光の教育は日本の天皇(崇拝)と直接関連している。
1991年、旧日本帝国の賛美歌である「君が代」と「旭日旗」が、左翼主義者や自由主義者の強い反対にも関わらず、日本国のシンボルであることが公式に宣言された。この決定は、法律の制定を通したものではなく、文部省(現在の文部科学省)によって発行されたガイドラインの形で決定された。それは、戦後初めて日本の軍事的英雄に関する好意的な文章を含む教科書を、容認する過程でなされた。また、少なくとも一つの学校、日大M江高校では、非公式にだが教育勅語が復活している。その学校の校長、O崎氏は、毎朝教育勅語を大声で読み上げるよう指示している。その理由は、教育勅語は真の日本人の魂を育てるのに最もよい教科書だからだ、というのである。
イアン・ブルマ氏が、「罪の報いWages of Guilt」(1994-p200)という著作の中で述べるには、O崎氏は真光の出版物の中でも目立った存在であり、彼は真光の信者だという。日本の国会の両院において、1947年と1948年に教育勅語は無効とされている。60年間、教育勅語は国家の美徳、例えば国家への自己犠牲、軍国主義、祖先への崇拝、などを生み出すために使われ、皇国の繁栄を護持し、軍事的英雄を見習うべき模範として復活させるために使われた。

以下は、教育勅語の全文である。


教育勅語の現代語訳
http://cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyouikutyokugo.htm
から転載 (リンク切れ)
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朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝(なんじ)臣民は、父母に孝をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以て交り、ヘりくだって気随(きずい−自分の思うまま)気侭(きまま−他人に気がねなく自分の思い通り)の振舞をせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)けて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(かぎ)りなき宝祚(あつまひつぎ)の御栄(天皇陛下の御運勢)をたすけ奉(たてまつ)れ。
かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。
この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。
朕は汝臣民と一緒にこの道を太切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
明治23年(1890年)10月30日
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真光のアジア地域から集められた若者は、キャンベラの真光センターに来て、日本の訓練部とよばれる教師(導士)養成学校へ行く前の準備をする。これらの若者は、一般的にはよく教育された人たちなのだが、日本語を学ばなければならない。真光の教育に入るためのオリエンテーションの一部には、日本語での教育勅語の朗唱を学ぶことが含まれる。

キャンベラでそのトレーニングを終えたあと、若者たちはアンドリス・テベシス氏の前で教育勅語を朗唱することを要求される。テベシス氏はそれを見て、その若者が日本へ行ってさらなるトレーニングを積むに値するかどうかを判断するのである。これらの若者たちがオーストラリア人、南アフリカ人、マレーシア人であるという事実は、彼等が真光の教育方針に従う限り関係のないことである。ひとたび日本に到着して教育を受け始めると、男性たちの頭は剃られ、すべての生徒は日本人でも外国人でも、夜明け前に起床して日の出とともに日本の国家を歌うよう要求される。

これらの日本人でない生徒やすべての日本人でない信者たちは、元の信仰(日本)へ元がえりすべき、4つの肌の色の種族に分類される。すべての宗教の起源、人類の起源、霊の起源の地にもとがえりすること、それはすなわち、黄金の種族、王の種族である日本と日本の天皇、スメラミコトにたちかえるということなのである。
真光の救い主岡田氏と、現在の指導者であり彼の養女である岡田恵珠女史、そしてアンドリス・テベシス氏は3人とも、世界の本当の歴史として、ムーと呼ばれる場所あるいは古代日本において、神の時代がかつて存在したと教える。ムーの別名はレムリアであり、レムリアが沈んだ時、日本列島の部分だけが海面上に残り、それが世界で最も古い国日本を形作っているのだという。


「5大文明とその発展の起源を示した地図」(真光上級研修テキストブック1989年第7章)
「5大文明と5大宗教はすべて霊の元つ国(ひのもとつくに、後の日本)に起源がある。このようにして、世界の歴史を正しく書き換えることが急務である。」−岡田(真光中級研修テキストブック、1989年p.29)

次は、ムー、レムリア、そして真光の言う古代日本に関する別の見方である。
(参考:ポール・V・ハインリッヒ http://oz.net/jz/sphinxcc.html   <- 現在リンクが切れている )



1975年04月25日(金)

レムリアの誕生

レムリアという概念が生まれたのは1860−70年代である。その当時イギリスの地質学者のあるグループが、インドと南アフリカにおいて見られる化石と堆積層が酷似していることを指摘した。インドのストウとブランフォード、アフリカのグリエスバッハなどの地質学者たちは、2億4500万年から2億8600万年前の二畳紀(ペルム紀)の堆積層が、インド、南アフリカ、南アメリカ、そしてオーストラリアにおいて、堆積岩、たとえば石炭層などのタイプの点で、ほとんど同じものであると指摘した。加えて、これら大陸の堆積層は、cordaitesやGlossopterisなどの地上植物の化石、Therapsidsなどの地上動物の化石など、同じ化石を含んでいた。そのような地上の植物や動物は大海を渡ることはできないし、大陸が動くわけはないと考えられていた。そこで、これらの地質学者はその同じ化石植物や動物がインド、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアに存在した理由を説明するために、陸の橋あるいはむしろ一つの大きな大陸がかつて存在し、それが海の底に沈んだのだという仮説を立てた。一つの例として、彼らはインドと南アフリカの間をつなぐ大きな陸の橋を仮定した。ネウメイアの「Erdegeschichte」(1887)という著作において、この仮想的な陸の橋は「インド−マダガスカル半島」と呼ばれた。(de Camp 1954)

トーマス・フックスレイと同じくダーウィン進化論の熱烈な信奉者であった、アーネスト・ハインリッヒ・ヘーケルは、この「インド−マダガスカル半島」仮説が動物の分布をよく説明することに気づいた。ヘーケルは、アフリカ、インド、マダガスカル、マラヤ半島に生息するキツネザル(lemur)の分布をこの仮説を用いて説明した。彼はこの陸橋が、キツネザルがそれを利用して広範囲に分布できるほど長い期間海上に存在したのではないか、という考えを提案した。イギリスの生物学者である、フィリップ・L・スケルターは、この陸橋のことを、上のキツネザルにちなんで「レムリア(Lemuria)」と名づけた。こうして、レムリアは先史時代の人々によって名づけられたわけでも確かめられたわけでもなく、1800年代の地質学者と生物学者によって作られたのである(de Camp 1954)。プレート・テクトニクス理論あるいはその他のより平凡な理論が、堆積層や化石、キツネザルの分布を明快に説明したとき、レムリア大陸やその他の失われた大陸、陸橋が存在しえないことが明らかになったのである。(Wicander & Monroe 1989)

(注:参考サイト レムリア大陸、ムー大陸、アトランティス大陸
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/dic/ )

レムリアの復活

レムリアは失われた大陸として、現代の最も有名なオカルティストであるブラバツスキー夫人によって再び世の中に現れてきた。ブラバツスキー夫人はその著作「The Secret Doctrine 秘密の教え」の中で、レムリアのアイデアをアトランティスや科学、オカルト、「リグ・ヴェーダ」を含むヒンズー教の経典と、滅茶苦茶な形で混ぜあわせている。その本によると、レムリアとはインド洋における失われた大陸であり、両性具有で卵を産む類人猿のような生き物が住んでいたという。後に、オカルト話や失われた大陸説を書いた人々、例えばアニー・ベサントやW.スコット−エリオットなどによって、彼ら独自の詳しい内容や脚色がレムリアの話につけ加えられ、恐竜の話や12−15フィート(1フィート〜30cm)の高さの青銅製の人間型ロボットの話などまでつけ加えられた。レムリアの復活に関する最後の出来事は、オカルト本の著者がレムリア大陸をインド洋から太平洋へ移してしまったことである。(de Camp 1954)。 それから、神秘主義者や超能力者たちがレムリアに関して無数の本を書き、また、霊的な要素をもった話や、最初から存在しないはずのはるか昔に死んだとされるレムリア人の魂との霊媒通信、などの話へと変容していった。

大陸移動説が現れてきたとき、それとその他のより平凡な理論が、動物や化石、植物の分布を「失われたレムリア大陸説」よりよく説明できることが知られるようになった。結果として、レムリア説は信用されなくなり、GEOSATやSEASATなどの人工衛星から得られたデータが、レムリア説が作り話だったことを証明するよりずっと以前に、より現実的な理論によって失墜させられていた。(参考文献: de Camp, S. L. "Lost Continents: The Atlantis Theme in History, Science, and Literature." New York: Gnome Press, Inc.,1954. Other references: Wicander, R. and Monroe, J. S. "Historical Geology: Evolution of the Earth and Life Through Time." New York: West Publishing Company, 1989.)

(注:大陸移動説の起源は1912年と古いが、プレート・テクトニクス理論として確立されたのは1960−70年代と言われており、一般に知られるようになったのはもっと後であろうと思われる。つまり、真光が立教された1959年頃には、大陸が移動することはあまり知られていなかったと思われる。)

1985年に私は日本で2回目の上級研修を受講した。そこには、壊れた陶器、浮き彫りの石像、真鍮製らしきもの、などの古い遺物が置かれてあった。講師は、これらは聖なる師(岡田光玉氏)によって発見されたものであり、ムー大陸のものであると主張していた。講義のとき私の隣に座っていたのはアンドリス・テベシス氏であった。私は彼に尋ねた。炭素年代測定法か何かの方法でそれらのものの年代を測定できるのではないか、と。彼の返事はこうだった。「それらは聖なる師が発見されたものだ。」私はそれ以上彼に質問する機会がなかった。彼は別の席に移動してしまった。私はこれ以上質問すべきでないとされているのだ、という強い印象をもった。もし聖なる師が、ス神の地上代行者が、それらをムー大陸の遺物だと言えば、誰が何と言おうとそれはムー大陸の遺物だということなのである。

【上級研修時の写真】

(受講者の前にムー大陸のものとされる遺物が並んでいる。)

長い年月の後、現在の私は安心のうちにある。1985年に私が見たものは、ムー大陸のものではありえない。もしそうなら、ハインリッヒ・シュリーマンによるトロイの遺跡の発見よりも世界から大きく注目されているだろう。真光教団は、岡田氏こそ本当の世界史についての最も信頼できる権威である、という証明を示す機会を拒んでいる。もし真光が、世界が一つであり地球が一つであり人類が一つであると主張するその証拠を提出するならば、最も熱心な懐疑論者でさえ受け入れる可能性があるだろう。

岡田氏が説明する真の世界史の情報源の一つは、ジェームズ・チャーチワード大佐によって書かれた著作の中に見られる。彼はムー大陸についていくつかの本を書いている。真光の上級研修のテキストブック(1989)の中の第四章において、岡田氏は「The Lost Continent of Mu 失われたムー大陸」(1950)からいくつかの文章を引用している。

真光青年隊は、神聖な4の数字のシンボルを表すバッジ(隊員章)を身につけている。それは、宇宙の運動と働きの鍵となるものである(第四章P.14)。彼等のユニフォームの袖とブレザーの胸のポケットの上には、ムーの聖なる紋章が貼り付けられている。ムーの聖なる紋章は、この地上のすべての人間がその支配のもとにあることを示している。(Ch4.p20)


左から、隊員の制服(夏用)、隊員が胸や腕につけているムーの紋章、隊員章、???

すでに述べたように、スの神は彼の子孫であるスメラミコト(天皇)をムーの皇帝として遣わしたという。そのムー帝国とのつながりが、再び真光青年隊との間に確立されているのである。真光青年隊は、いわば、スメラミコトの軍隊なのである。

デイビス氏は言う(1980, p80-p83);例えば、失われた(沈んだ)大陸の話をしてみよう。これは、バラ十字会員から神智学協会員に至るまでの西洋のオカルトグループの間で人気のあったテーマである。失われた大陸は、一般的にはエデンの園、ヘスペリデスの庭、エリシュオンの広場、などとして描かれた。これは原初の楽園、すべてのその後の文明、物質文化、精神文化、アルファベット、人種の起源とされた。

そのようにして−真光においても−それはいとも簡単に未来の天国文明のプロトタイプ(ひながた)となったようである。人類の歴史を、文明が生まれる以前の状態から文明化された状態への進展と見る科学的考古学に反して、失われた大陸に関する神智学の神話は、現在の人類の状態を過去の文明から堕落した状態と見る傾向がある。

救い主がこれらに関する第一の情報源としたのは、英国系米国人であり、歴史的フィクション(あるいは、架空の歴史)のライターである、ジェームズ・チャーチワード大佐である。チャーチワード氏が集めたムー大陸の証拠というのは、イースター島の書字板、インドやマヤの記録、ナーカル(naacal)の書字板、トラオラノ(traorano)の写本、そしてラサの記録などの古い記録によるものである。その他の証拠は、「要請により名前を伏せたインドやチベットのある修道院に保存されている」、ということである。チャーチワードが、それらすべての「古代の記録」を解読できた理由は、独特の言語学習法があるからだということになっている。だが、彼は単にそれらの言葉を長いことじっと見つめ、彼の内なる意識の中から彼独自の意味を引き出したに過ぎない。

ムー大陸に関するチャーチワードの説明の中に、岡田氏が織り込んでいった考え方の多くは、茨城県にある竹内(たけのうち、たけうち)一族が保管していたと言われている「記録」あるいは「古文書」からとったものである(竹内文献)。岡田氏が得たこの種の情報は、「日本に隠されていた真の世界史(The Authentic History of the World Secreted Away in Japan)」と呼ばれる本の中で、山根キクが最初に言い出したものである。救い主が古代史の真の姿と考えたものが、まさにこの本の中にある。−私たちは知りました。イエスは日本で死んでいます。それと同様にして、その他のあらゆる聖者、聖人が日本を訪れました。−

この本は、文字が日本で発見されたという岡田氏の考えの源の一つにもなっている。加えて言うと、「神代文字(しんだいもじ)」は、徳川時代の排他的神道主義者たちの間で人気のあった偽物の文字だった。例えば、平田篤胤(あつたね)の「神字日文伝(じんじにちぶんでん)」、落合直澄(なおずみ)の「日本古代文字考(にほんこだいもんじこう)」などに神代文字のことが出ている。

しかしながら、伴信友(ばん のぶとも)(1775-1846)は、これらの文字の信憑性について異議をとなえた。そして20世紀になってようやく、ほとんどの言語学者が神代文字の信憑性を信じることをやめた。だが、第二次世界大戦に先立つ極めて国粋主義的な時代には、神代文字は再び人気を取り戻し、それは特に陸軍士官学校などの愛国的かつ軍国主義的な集団の中で顕著だった。岡田光玉氏はそこで教育を受けていたのである。その文字の真の重要性などは観念上のものにすぎない。現代の言語学者は次のように確信している。神代文字は、隣の中国の言語と文字に対する日本人の劣等感を払拭するため、またナショナリストが古代日本を理想化するため、そういう理由で作られたものにすぎない、と。同じようにして、神代文字は真光の教義の中に流れる排他主義を表す材料となっていった。

デイビス氏が言うには、岡田氏は文献からたくさんの情報を集めたが、それらのほとんどは批判的な調査に耐えられない。彼は自分の研究を真光の研修テキスト、歌集(祈言集)、御聖言にまとめた後、それらが神に起源をもつとして、日本の神の印を押したのである。(注:つまり、神から授かったものだとした。) より広い一般社会に対して私が心配していることは、アンドリス・テベシス氏が岡田氏とその娘の教えこそが神の真理でありそれを普及させるのだと宣言した、まさにそのことだけである。オーストラリア州政府によってそれが認められたと彼が主張することはそれほど心配することではなく、それはまた別の問題である。


1975年04月24日(木)

オーストラリアで一つの宗教を立教しようとする人は誰でも、オーストラリア税務局による税に関する規則(TR92/17)を遵守しなければならない。

5.もし宗教的目的で団体が作られているのならば、それは宗教団体であり、周囲からもそのように認識されなければならない。
(a) その目的と活動は、その団体が設立された目的であるところのその宗教上の目的を推進するための特徴を、反映していなければならない。かつ、
(b) その団体の信者の信念と実践が、その宗教を構成していなければならない。
6.信念と実践が宗教を構成するかどうかを判断するための最も重要な二つの基準は、
(a) 超自然的な存在、物、原理を信じていること、かつ、(b) その信念を実行するにあたっての行為の規範を受け入れていること、しかし、その規範は通常の法律を犯すものでないこと。

真光はこの基準に当てはまる。オーストラリアの納税者はうっかり真光に財政的な援助をしてしまい、真光はそれによってオーストラリアの首都キャンベラに数百万ドルもの費用を費やした本部を建設する。そして将来には、数百万ドルをかけた学校や収容施設を建設するのにも協力してしまうだろう。そのお金は信者から集められても、信者にとっては寄付は税金の控除をうける。

私はここで一つの奇妙な矛盾に気が付いた。イギリスの歴史家デビッド・アービング氏はオーストラリアに入ることを禁止されている。彼のビザの発行は、彼のたちの悪い性質のために拒否されている。彼はユダヤ人に関する第二次世界大戦中の出来事に対して、過激な意見をもっている。

真光は未だに、学校を建設して世界の真の歴史を教えるという望みを持っている。もし彼らが救い主の教えに対して今もなお忠実であるならば、ユダヤ人の国の起源は日本であり、モーゼは日本の皇子であり、ヘブライ語は日本の天皇からの贈り物であり、ユダヤ人が歴史を通して迫害されるのは彼らのカルマのせいだ、ということになる。私はこれらの考え方はデビッド・アービング氏の考え方よりずっと危険だと思う。もう一つの心配なことは、アンドリス・テベシス氏の主張である:「何人かの真光信者の教育者は、オーストラリアやニュージーランドにあるたくさんの初等および高等教育の学校のカリキュラムの中に、高いレベルの価値を導入することができました。私が思うに、両国政府の教育省は、それがどのような高いレベルの価値なのかを尋ねるべきです。」

私は民主主義の権利としての言論の自由を持ち、またオーストラリアは世界で最も寛容な国であると信じているにも関わらず、自分がモラルのジレンマに陥っていることを感じる。ある宗教が我国の若者の考え方を真光のようなゆがんだ考え方に変えてしまうのを見ると、心が乱される。1982年に私が真光に入信したことについては、私は一人の大人として自分で決めたことに全責任をもつ。その反動で(?)、現在の私はひどく困惑している。しかしながら、私は真光というマシンの中に捕らえられてしまった子供たちはかつての私よりずっとずっと影響されやすいと感じている。

以前の私は確信していた。真光はすべてに対して答えを持ち、私は世界の終わりの淵に立っていると、そして私は手から霊的な力を放射する小イエスであると。ある意味で私は今、真光について書くことによって、自分の脳の一部を14年間も眠らせてしまった過ちについて述べようとしている。同時に、この教団に対する本当の知識から湧き出る声について述べようとしている。

真光に入った多くの若者は、28歳で真光に入った時の私が持っていたアドバンテージを持っていない。彼等は教えられた真光の教えを事実として吸収し、その「事実」を証明するための方法(手かざし?)が、もっともなこと、また信じるに足ることとして受け入れてしまう。真光青年隊は、真光の霊的指導者である岡田恵珠女史からの教えを絶対のものとして受け止め、彼女がそれを撤回しなければその他の情報は何も聞こうとも信じようともしない。大雑把に言って、もし真光に対して何か批判的なことが言われたら、それは唯一本当の宗教を破壊しようとする邪神、邪霊の働きと考えてしまう。

以下は、1985年6月6日、高山のス座における月始祭で、テープから流された真光の救い主の教えの一部を筆記したものである。

...アトランティス大陸とムー大陸はかつて、水爆をも用いた大規模で悲惨な戦争をしました。さらに、金星やその他の惑星の霊たちとこの世の肉身をもった人類との間の戦争が起こりました。こうして、その戦いに敗北した霊の系統の者たちは、霊的に非常に強い恨みを現在の人類に対して持つようになりました。本当のことを言えば、現在の人間に憑依している霊の多数は、そのような霊たちなのです。

神の力を以ってしても、憑依霊が人々の身体から長い間離れないこともあります。その理由を言いますと、ある程度までは、現実の人間の歴史の中で勝ったり負けたりしてきた霊の系統間の争いが、まさに今この現在まで続いているからなのです。
現在、強い憎しみと恨みを持った霊たちが、現在の人間が幸せな世界を建設するのを邪魔するために、一致団結しています。言い換えれば、そういう霊たちは組織的に行動を起こしているのです。

さらに、そのような霊たちは、また他の惑星からの霊たちまでもが、今日の人類の中に紛れ込み、人類の中に転生してきています。
例えば、ムー大陸によって破壊されたアトランティス文明の人々は、今日の人間に霊として憑依するだけでなく、実際に、この世界に人間として転生してきているのです。さらに加えて、憎しみを持った霊はそのような人間たちと一緒になって、憎しみに満ち溢れた恐ろしい世界を作り上げようとさえしているのです。これが、現在起こっていることなのです。

...私たちは新しい文明を作りあげるために立ち上がる必要があります。しかし、なにが起ころうともこれを達成するためには、まず始めに考え方を変え、基本に立ち返り、神の計画の下に一つになり、一体となるという考えに変わる必要があります。私はこれが、これからの陽光子(真光信者)の極めて重大な責務であると考えます。

(真光オーストラリアジャーナル, Vol.3 No.8 August 1985 p8-9の一部を、再度日本語に訳したものです。)

以上、真光の創設者からのこの教えは、ほんの概略でしかない。もし人々がこの教えを受け入れ、オーストラリア真光の代表であるアンドリス・テベシス氏が言う、「地球は元一つ、世界は元一つ、万教の基また元一つ」、を受け入れるならば、よい神のほうにつくことができるとされる。逆に真光に対して批判的ならば、アトランティスとムーの戦争で取り残された霊に、あるいは他の惑星のエイリアンに、憑依されていると見られてしまうのである。

私の次の記事では、真の光、霊の憑依、そして世界の問題に対する真光流の解決法、について議論する予定である。


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References;
参考文献
Dojo - Magic and Exorcism in Modern JapanWinston Davis 1992 edition ISBN 0-8047-1131-3
「道場−現代日本における魔術と悪魔払い」、ウインストン・デイビス
Wages of Guilt - Memories of War in Germany and JapanIan Buruma 1995 ISBN 0-09-947791-2
「罪の報い−ドイツと日本における戦争の記憶」、イアン・ブルマ
Spirit, Selves and Subjectivity in a Japanese New Religion: The Cultural Psychology of Belief in Shukyo Mahikari, Brian J. McVeigh 1997 ISBN 0-7734-8430-2
「日本の新宗教における霊、自我、そして主観性:○○真光における信念についての文化心理学」、ブライアン・J・マクベイ
Mahikari Advanced Kenshu Reference Textbooks.1984,1989,1990,Plus hand written notes of advanced Kenshu.
真光上級研修テキストブック、+上級研修ノート
Mahikari Secondary Kenshu Reference Textbooks.1983,1989,Plus hand written notes.
真光中級研修テキストブック + ノート
Mahikari Primary Kenshu Reference Textbooks.1979,1983,1989Plus hand written notes.
真光初級研修テキストブック + ノート
The Canberra Times - July 18th 1999, Friday March 7 1997
キャンベラタイムズ
The West Australian - Perth Saturday October 18 1997
ウエストオーストラリア
Mahikari Australia Journals and Japanese Mahikari Magazines from the 1970's to 1990's
真光オーストラリアジャーナル、日本の真光誌 1970−1990
The SPHINX Group -- Lemuria, A Scientific Frankenstein
スフィンクスグループ−レムリア、科学的フランケンシュタイン
http://oz.net/jz/sphinxcc.html
The Sunken Kingdom: The Atlantis Mystery Solved
沈んだ王国:解き明かされたアトランティスのミステリー
http://www.knowledge.co.uk/xxx/cat/james/> http://www.knowledge.co.uk/xxx/cat/james/
Goseimon  http://www.meijijingu.or.jp/english/intro/education/index1.htm
御誓文
Taxation Ruling::TR 92/17 - Income tax and fringe benefits tax: exemptions for'religious institutions' http://www.ato.gov.au/atolaw/getResult?basic=tax%20ruling%20t.r.%2092/17&&docid=TXR/TR9217/NAT/ATO/00001

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