Dailyみぅこむ
私は本とCDとゲームに関しては、なるべく借りて済ます主義であります。誰も持っていないけどどうしても読みたい、欲しい、やりたいというときにだけ、買うことにしている(わけでもないのだがいつのまにかそうなっていた)ので、必然的に私が所持している本とCDとゲームは、マイナーなものがほとんどです。誰も知らないものばかりなので、誰も興味を示さず、借りてくれません。あ、別にいいかそれは。 本は自分で買ったものといえば、封神演義の日本語訳版全3巻や、藤沢周平の長篇大作「蝉しぐれ」、名作と名高い大内美予子作「沖田総司」など、振り返れば渋いものばかり…。あと恐ろしくマイナーなところで「ソロモンの鍵」という黒魔術のスペルブック(呪文本)。付録に「特製魔法陣」が付いてきました。何十体という魔物を召喚するためのスペルが記載されていて、なんとお守りも自作できます。けど、うっかり失敗すると自分が呪われるので気を付けてと書いてあったのでまだやったことはありません。(この本は子供だましのようなチャチい本ではなくて、かなりマジな内容なのでコワイです)こんど、この本を題材にした記事でも書いてみよっと。 マンガはほとんど買わないので、手元にあるのは「るろうに剣心」の15巻と16巻(どうしてこう中途半端なのか)、「少女革命ウテナ」5巻全て、あとは「北京伶人抄」と「黄土の旗幟のもと」という中国を舞台にした作品で、ぜんぜん節操がないというか、支離滅裂に買っている状態です。マンガをこれしかもっていないことからも、どれだけ人から借りて済ましているかわかることでしょう。 CDは、中学校まではどこに金があったのかいろんなものを持っていました。しかし調子にのりすぎたのかお金がなくなったので、中学校の終わりにはほとんど売っ払い、手元には何もありません。それでも私の魔の手を逃れ残されたCDと、高校から加わったCDは、皆不思議なものばかり。まずSPICE GIRLSのデビューアルバム。え?マトモじゃないかって?いやこれがさあ、ブックレットがなんか変なんだよ〜。普通はブックレットが入ってるのに、私のは開くとでかい一枚の紙でさぁ…なんなんだろう…ブツブツ…。あとは「屋久島」。これは文字どおり屋久島の波音が1時間収録されている逸品です。ビバ海。あとジャミロクワイの(お、これはマトモですか)、ボーカルJAYが選んだ(ベスト版か?)、自分以外の歌手で好きな曲が収録されているCDとか(…?)。ジャミロクワイのCD買ったつもりだったのに…ブツブツ…。そうそう、Beethoven's Last Nightは日本で売ってなくてアメリカから取り寄せてもらったんだった。これはロックオペラなんだけど、ストーリーがさっぱり分からないんだ、けど、いい曲だからいいや…うんうん…。 ゲームなんて、少ない所持数にもかかわらず、ほとんどが「クソゲー名鑑」の上位に載っていたっていう、ある意味すごい私のクソゲーを見抜いて買う勘!(買うな!)ブシドーブレード面白いじゃん、がんばれ森川君だって面白くない上むかつくけどいいじゃん、ときメモはもらいものだから買ったんじゃないしいいじゃん、マスターオブモンスターズは確かに騙された気がするけどいいじゃん、双界儀は本当にこれクソゲーじゃないって!ほっといてくれっ!ぷりぷり。 おや、こうしてみると、どれも大昔に買ったものばっかり…。それって、今はお金がないからさっぱり買えないってこと? ピンポーン!
えっ、今日はこれでシメなの?!
みなさ〜ん、オヨヨしてますか〜? 私ですか、私はしてますヨ。毎日オヨヨ!だってカリスマオヨヨ師ですから、実践しなくては説得力がないでしょう。え?オヨヨって何?Oh、そんな君はアララですヨ。オヨヨというのは、つまり失敗しちゃった「オヨヨ〜ッ!!」、ドジった「オヨヨ〜」、もうどうにもならんぜ「オ…ヨヨ…」ってことですよ。簡単でしょ。 そんな私がカリスマオヨヨ師であることに気がつきはじめたのは、ん〜…昨日かな。 毎日の生活を振り返ると、もうそのオヨヨぶりに驚いちゃうんだから。自分なのに。自分に驚く。スバラシイ。 前回のコラム「波瀾バンジョーを鳴らして♪」なんて、オヨヨの代表。このあいだは、近頃Macの調子が悪いから、メールデータのバックアップを取ろうと、MOに保管されてた昔のデータの方に上書きしたんです。そして、メーラを開いてみると、なんかおかしい。受信の日付けがみんな去年の8月。う〜ん、こりゃ時間が化けてるのかと、気にすることなく使うこと1日。 「はっ!これはもしやバックアップしておいたデータ?!」 そう、MOのデータをPCのデータに上書きしてたんだよ、オヨヨ〜!! おかげで何人かのメールアドレスが分からなくなり、いくつかの重要なメールが消え、いまさらながらとても不便な思いをしているけど、さほど気にしないのもカリスマオヨヨ師には必要な資質。 ついこのあいだ請け負った看板製作の仕事でもオヨヨを2連発。「a」という文字のロゴの試作品が、あまりよくなかったので作り直し、決定版を作ったのに、印刷の時うっかり試作品の方を印刷してしまって、一枚126円もするフィルムを無駄にした。これが1発目。その後ロゴを切り抜いて、看板に貼って行く時、裏にテープをつけるのにうっかり表につけて、4ケ所付け終わってから「ハッ!!」。ハイ2発目。無駄にしたフィルム2枚、占めて252円で〜す。 この仕事ではオヨヨはしないと決めていたのに。 でもオヨヨは世の中に、笑いとなごみを与えてるはずだ。私はなごみ系カリスマオヨヨ師なのだ。だからこれでいいのである。
2001年05月10日(木) |
波瀾バンジョーを鳴らして♪ |
今日のは長いです。でもここに書かずにはいられない! でもバカ長いので、オフラインで読むことをお薦めします…
今日は、某社の入社試験で、グループディスカッションと適性試験をすることになっていました。9:00開始で、8:30に某駅からシャトルバスが発車すると言われていたので、8:00には駅に到着したアタクシ。ちょうどいいからとお紅茶なんぞをゆったりいただき、8:20にはシャトルバスが来るという場所(普通の道路で、表示もない)に立っていました。シャトルバスは説明会の時にも乗っていて、普通のバスほどの大きさがあって、一面に某社の名前がでかでかと書かれていたので、来たら普通、すぐに分かりますな。 それにしても、同じような学生がいてもいいもんだが…いないんだこれが。バスもなかなかこないし。おかしいなあ。 しかし、シャトルバスが来るはずの場所からちょっと離れたところで、列を作っている集団がある。みんな、普段着で、男なんてちょっと汚い恰好で、バッグもなんだかよたっとした感じで、みんなよれよれって感じで、1列に並んでいる。なんの集団だろう?まさかあれがシャトルバスを待ってる人たちじゃないだろう。だって、スーツの学生がいないばかりか、某社の社員とは思えないほどよれよれだもの〜!! それにしても30分になったのに。まだ来ない。どうしちゃったんだろ?ちょっと心配になったので、角の方まで見に行ってみる。するとちょうど、本当に小さなマイクロバスが一台やってきた。あ、これはきっと、あの意味不明の列の人たちを乗せるんだわ。と振り返ると、やっぱりそうだった。マイクロバスには○○交通と表記されている。やっぱり違った。どうしちゃったのかしら、あたしのバスは…。あのマイクロバスは、エンジン音軽やかに走り去っていった。
勘のいい方ならもうお気付きでしょうが、そうです、これが某社の『シャトルバス』でした…。
そんなこと考えもしなかったあさはかな女は、7分過ぎた時点で、会社に確認の電話を入れることにしました。ところが… (げっ、電話番号控えるの忘れてた。しかも書類の封筒に電話番号書いてない…あ、ずいぶん昔に送られてきた会社案内には書いてあったかもっ!それ持ってきてないよ〜っ) 早速自宅に電話して、電話番号を聞く。急げ、会社に電話だ! みぅこむ「すみません、バスが来ないんですが…」 来るはずがない。だって行っちゃったんだから。 受付嬢「遅れたという連絡は入っていないので、20分と30分に発車したはずですが…」 みぅこむ「20分から立って待っていたのですが、来ないんです」 受付嬢「おかしいですね…30分には小さなバスで向かっているはずなんですが」 みぅこむ「???!?!!!?!??!!?!?」 あさはかな女は言葉を失った。 みぅこむ「それって、○○交通と書いてあった車でしょうかっ?!」 受付嬢「ハイ、そうです」 みぅこむ(うそ〜〜〜〜ん!オイオイ悪夢なら覚めてくれ〜〜〜!!!) 夢じゃないので間違ったことをお伝えし、誤り、タクシーで伺うと言って、電話を切る。が、ふと、我に帰る。 すでに15分前。どう考えても間に合わない。 さらに、今日は個人面接じゃない。グループディスカッションだ。 グループ、だ。 ひとり遅れれば、それだけ迷惑を掛けてしまう。だったら、スケジュールをずらしてもらったほうがいい。第一志望でない会社だけに、そこらへん、決断が早い。もし駄目なら、あきらめちゃっても、いいし…。 もう一度電話をして、ずらしてくれないか聞いてみたが、空きはもうないと言う。私がやめると言うか言うまいか迷っていると、受付嬢。 「今からタクシーに乗っていただければ、さほど遅れずに着きますから、本日いらしていただけませんか?」 そんなにへりくだってもらっては、こっちの立場がない。 「ご迷惑をお掛けしますが、今すぐ伺います!!」と言って、電話を切っていた。 ダッシュだ、ダッシュだ、ダッシュだ〜〜〜!タクシーに乗り、おっちゃんに事情を説明する。タクシーの運ちゃんはいい人で、かなり飛ばしてくれた(交通規則的にはよくないんだろうが…)。 タクシーのおじさま「おっ、これなら9時に着くかもしれないよっ?!」 みぅこむ「えっ!ホントに?!よかったああ!」
おじさまの予測通り、9時に会社玄関に着いた。猛ダッシュで受付へ。 しかし…受付嬢は全く焦った様子もなく、「こちらにどうぞ〜」と御案内。仕切られたブースには2人の女の子が座っている。 とりあえず、おはようございますと言ってみたものの、返事はなかった。ちょっと悲しい…みんな、運命共同体(by 『就○力』)なんだから仲良くしようよ…。 しかし、なぜ3人…?予定では「6人一組で」じゃなかったか?二組に分かれてるのかしら? そして、9時がすぎても誰も来ない。皆沈黙。10分沈黙、20分沈黙、さすがに30分してやっと担当者が現れた。 「それではこちらへどうぞ。今日のディスカッションは、都合で3人となりました」 …もしもし。3人はグループディスカッションと呼べるんですか?! ディスカッションの前に、与えられたテーマを個人個人考える時間が5分。その時、上司が総務に漏らした言葉を、私は聞き逃さなかった! 「この子が、遅刻してきた子?」 (厳密には遅刻してな〜〜〜いっ!!ムキ〜〜〜〜ッ!)
ディスカッションでは みぅこむ「3人ですが進行役は決めた方がいいですよね?」 2人「そうですね」 みぅこむ「どなたか、やりたい方はいらっしゃいませんか?」 2人「…」(あなたがやって視線) みぅこむ「…で、では、わたくしが」(汗) 成りゆきで司会になった上、書記を決め忘れ、また名乗り出てももらえず、ひとり進行書記。(嗚呼、不幸)、ディスカッションは25分、不慣れな司会者が嫌な汗をかきかき進行して行く。 あ、あたしは何をやっているんだ?! ディスカッションを終え、自己PRへ。そしてテストがみっちり70分と、性格テスト。以上は省きます。 気が付けば、すでに13時!この長丁場はなかなか大変だった。 帰りはしっかり、シャトルバスで送ってもらった。駅に着いたのは14時。今日はまだまだやることがあったので、その後自転車で大学へ行って出来上がった書類を受け取り、また駅に戻り、100円ショップで封筒を買い、郵便局で書類と手紙を買ったばかりの封筒に同封し、速達で出し、郵便貯金に振り込み、やっとここでお昼。その後頼まれていた振り込みをコンビニで済ませ、やることは全部やった!やった〜!
ついでに、帰ってきてから『五行運勢鑑定』してみました。 『波乱万丈で忙しい1日となるでしょう。仕事では重責を課されて苦労します』 …… 一方、新聞の今日の運勢。 『長をかって出るのはかえってよくないことになるので、今日はやめましょう』 もうおそ〜〜〜いっ!!!
このあいだ予告した通り、今日は「実際にあった怖いのかなんなのかよく分かんないから怖い話」をお送りします。 私の母と、祖母は結構そういう体験をしているのです。私も子どもの頃にひとつだけとんでもない体験をしました。こりゃ家系か血筋か、迷惑な話です。
祖母編 「虫の知らせ」 うちの母がまだ小さな頃、祖母(母の母ですね)は風呂場で、戸を閉めて洗濯か何かしていたんだそうです。お風呂場の引き戸は重くて、立て付けが悪く、子どもなら「よいしょお〜っ」とやって開けるくらいの力が必要だったとか。祖母はその戸に背を向けて洗濯していました。すると… ガラガラガラピシャッ! 戸がすごい勢いで開いた音がして、祖母は驚いて振り返りました。 しかし、誰もいない。 祖母には3人の幼い娘がいたので、だれかが悪戯したんだろうと思いましたが、それでもこの重い戸をこれだけ力強く開けられるのも変な感じがして風呂場から出ました。 廊下にも、誰もいない。 祖母は娘たちにだれがお風呂場の戸を開けたのか、聞きました。 「みんなで外で遊んでいたから、だれもお風呂場には行ってない」 祖母は背筋に寒いものを感じました。 次の日、一本の電話がかかってきました。懇意にしていた親戚が亡くなったという訃報でした。 「14時に息を引き取った」 祖母はどきりとしました。14時は、戸が勢いよく開いた頃と合致するのです。 虫の知らせは本当にあるものなのだ、と祖母は思ったそうです。
母編 「遺恨の影」 母が高校生だった頃の話です。姉の2人はすでに独立し、母は広い部屋を一人で使っていました。母は押し入れの上の段に入り、そこでキャンドルを灯して日記を書くのが好きでした。母が押し入れにこもって日記を書いている時、もちろんキャンドルをつけているのでふすまは少し開けています。その隙間から、母は何度か黒い影を見ていました。黒い影は気付くとすぅっと横切って消えてゆく。気味悪く思ったものの、目の錯覚か何かだと思い、あまり気にはしていませんでした。また、ふすまの間からだけでなく、窓の外に見ることもありました。母は直感的に、男性の影だ、と思っていました。 母はその部屋に布団を敷いて寝ていました。足下には衣類の入ったタンスが置いてあり、まくらもとは入り口側を向いています。 ある夜、いつも通りに布団に入り、目を閉じていると、入り口のふすまが開いた音がしました。光も差し込んできているので、母親が衣類を取りに来たのだろうと思い、驚かそうと寝たフリをしていました。 気配が足下に来た時、母は勢いよく起き上がろうとしました。 ところが、その瞬間、ものすごい力で押さえ付けられました。 暗闇の中で視界が悪く、自分にのしかかるのがなんなのかもよく分かりません。しかし間違いなく男だという気がして、しかも何度もそれが見たあの黒い影と思えてなりませんでした。 呼吸ができないほどの締め付けを、どれくらい耐えていたのか。気が付くと、影は消えていました。 恐ろしくなって、母親に今起きたことをすべて話しました。母親も気味が悪がって、それからしばらく茶の間で一緒に眠ることにしました。 それ以後、あの黒い影が現れることは二度とありませんでした。しかし、母親が近所の人にその話題をちょっと漏らすと、近所の女性は顔をしかめてこう言ったそうです。 「ここらへんって、昔は落とした首をさらしておく場所だったそうよ…」 あの影は無惨に首を落とされた男の遺恨だったのでしょうか…??
みぅこむ編 「会いたい」 この体験は、みぅこむは全く覚えていません。なので、小学校にあがってから母から聞いた話です。 私が3歳の時、上杉の八幡神社の近くに住んでいました。借家でしたが、私達の住む前は父の姉夫婦が住んでいた家です。 8畳ほどの畳部屋と、居間は通しで、ふすまを取り払って一続きの部屋にして使用していました。畳部屋の方に、家族3人は川の時で眠っていました。 ある夜、母は私が寝返りを激しく打っているのに気が付いて目を覚ましました。午前二時。やがて私はぐずりはじめます。夢見でも悪いのかと思って見ていると、突然私が身体を起こしました。 そして一点を見つめ、泣き出したのです。 「おじさんが立ってる」 母はぞっとして私をなだめます。しかし泣き止まない。「おじさんが立ってる」と繰り返して、泣いている。やがてふっとおさまり、私はまた何ごともなかったように眠ってしまいました。 次の日の夜。やはり私は何かが触れるのを嫌がるような動きをして、しきりに寝返りを打ちます。母がもしかしてと、凝視していると、やはり私は起き上がりました。 「おじさんが、立ってる」 恐がりながら、一点を指差し、私はただ泣く。 母はこういったものにとっても弱いので、心底恐ろしかったらしいのですが、泣き止まない私に意を決して訊ねました。 「どこに?どこに立ってるの?」 私はぐずりながら答えます。 「ママの後ろに、おじさんが立ってる!」 元来怖がりの母は、どれほど恐怖を味わったことでしょう…可哀想に…。 次の日、母はこのことを父に話して、だったらカメラで撮ってみようということに。カメラで撮ってみようなんて発想、やはりうちの親父です…。なんとかしろって。 午前二時、やはりぴったり、私は寝返りを打ち始め、いつも通り起き上がって泣き出しました。私が指差す方向を、暗闇の中、父は必死でシャッターを切り続けました。 私が寝静まってから、父ははっと気がつきました。 「なんで、シャッター切れたんだ?」 昔のうちのカメラはいわゆる「バカチョン」と言って、ズーム無し、ピント一定のカメラです。暗いところだと、手動でフラッシュボタンを押さないと、シャッターが切れない仕組みになっていました。しかし、暗闇の中、バシャバシャと撮っていたことに、父は青くなりました。 現像した写真には、別になにも映っていなかったそうです。 父は実家に電話をして、わたしが最近変なことで悩まされていると話したところ、不審がった祖母は昔この家に住んでいた姉に電話をしました。姉の旦那さんだった男性は、すでに亡くなっています。ところが仏壇にお線香もあげず、ホコリも払わず放ったらかしにしていたことを祖母は知り、すぐに掃除をしてお線香をあげるようにと言いました。 父と母は、こうなったら神頼みだ、というわけで早速、八幡神社の神主さんに相談に行きました。事情を聞いて神主さんも不思議がり、私をお払いして、「幼子に憑いてくれるなうんぬん」という内容のお経を書き、お守り袋に入れて渡してくれました。 母はお守りを私のパジャマのポケットに縫い付け、寝かせると、これがぴったり、何ごとも起こらなくなったのです。 これが神主さんのお払いパワーのおかげなのかは分かりませんが、私の見た「おじさん」が姉夫婦の今は亡き旦那さんだったとすると、謎が解けます。 この家に住んでいた頃、夫婦には3歳ほどの娘が一人いたのです。私よりも4、5歳上ですから、その頃すでに7歳か8歳でした。天国から娘に会いたくてやってきたおじさんは、きっと娘と過ごしたこの家に帰ってきたのでしょう。そこにはもう、妻と子どもは住んではいません。けれどたしかに娘と同じ年頃の女の子(つまり私)が住んでいた。だから夜な夜な現れては、懐かしんでいたのではないでしょうか。 そう思うと、泣いて申し訳なかったわ。 でも不思議なことに、私はこの一部始終を覚えていません。
書いてて自分で怖くなってきた(‐▽‐)いやん。 でもホラ、みんな理由があって出てきたものばっかだし、いろいろあるのよ、きっと… でもあんまり関わりたくないっすね。
・付け足し ここで掲載している写真は内容と全く関係ありません。みぅこむが加工しているだけです。でもこれ気味悪いね。
2001年05月02日(水) |
カナシバラーみぅこむ |
みなさんはみぅこむが頻繁に金縛りにあうことを御存じかと思いますが、今日の話は「金縛り」です。飽きたとか言わせません。「おらの話を聞けぇ」という意気込みですので、途中退出も認めません。じっくり腰を据えて下さい。トイレは今のうちに行っておきましょう。携帯電話は切るかマナーモードにしましょう。カメラでのフラッシュ撮影は禁止です。準備はよろしいでしょうか? 私が初めて金縛りにあったのは中学校の頃でしたが、その後しばらくありませんでした。高校の頃は部活から帰宅すると泥のように眠り再び部活にでかける生活だったせいか、金縛りの出る余地がありませんでした。第1次金縛りラッシュが起きたのは大学生になってから。最近落ち着いて来たと思っていたのに、近頃第2次金縛りラッシュです。ひどい迷惑です。なぜ迷惑なのか。恐いとか、苦しいとか、それ以上に迷惑な理由はなんといってもこれです。 うとうとと眠りに入る時に起きる→したがって眠れない! 眠くなって来た…眠る眠る…うとうと…金縛り!…やっと解けた、ふぅ…うとうと…金縛り!…解けた…今度こそ寝るぞうとうと…金縛り! 「ぐあ〜〜〜〜〜!」(起きる) 金縛りは生理的な現象と知っていても、かなり苦痛であることに変わりはないので、眠るのが恐くなります。しかたないのでベッドライトをつけてしばしぼんやりします。すると眠くなって来るので、眠ります。朝、目覚めるとベッドライトがつきっぱなし。ああもったいない、というのが過去3回以上あります。 どうです、どうしたらいいんですか…だれか教えてほしいです。金縛りにあったときは筋肉が弛緩しているため、肺の筋肉も自分の意図では動かせないそうです(恐ろしいですねぇ)。そのため、恐怖で息をすぅはぁしようとしても思うように吸えず、だから苦しくなるとも分かっています。だから「金縛りにあったら息を止めろ」と書いてあったのでそうしているのですが、一向に直りません。金縛りが終わる前にこれでは窒息してしまいます。 他のカナシバラー(金縛りに頻繁にあう人。みぅこむ語辞典より)はどうか知りませんが、私の場合金縛りに対して従順に、「身体動かないんだしぐったりしてりゃいいや」なんてやってるとどんどん苦しくなり、身体もジワジワ押さえ付けられ、抵抗せずにはいられない状況になってしまうのです。夢(イメージ)を見ているだけだと分かっていて、早く目を開こうと思うのですが、なんせイメージの中では目を開いて「見ている」わけですから、これもなかなかできず、早く覚めろ〜コンチクショー!っと抵抗するのです。しかも、重い時は幻想を見ます。これが金縛りで一番苦痛です。誰かがベッドの横に立って私に一生懸命話し掛けているのが分かっているのに、そっちを向けなかったり。 余談ですが。その日は亡くなった同級生にお線香をあげに行った夜だったので、その影響だと思われます。金縛りにあって、苦しんでいると、誰かベッドの横に立っている。女性だと分かる。何か話しているのも分かる。絶えまなく、ずっと一生懸命私に話し掛けている。金縛りが解けて、我に帰った時、彼女が言っていた言葉は全く思い出せず、最後に言った「忘れないで、忘れないで…」の一言しか思い出せませんでした。これは恐い思い出ではありません。夢まくらに立ってくれたのだとしたら、むしろ光栄です。それだけ私に話し掛けてくれたのだから、嬉しいことです。「忘れないよ」と心に誓いました。 恐いのはだれか電話してる声がえんえんと聞こえていたり(恐いというより迷惑)、なんかわけわからないけど誰かいるような気配がしたりする時です。 といっても、みぅこむの金縛りなんてかわいいもんで、うちの母はもっととんでもない体験をしています。おばあちゃんなんて、白昼に心霊体験していますので、こりゃ家系でしょうか? 誰か金縛りの予防法を知っていたら教えて下さい。次回は「みぅこむ家心霊体験カメラは見た!」をお送りします。夜に読むと、トイレにいけないゾぉ。(期待させていいのか)
2001年05月01日(火) |
伝えるのと伝わるのと |
伝える、って難しい。 就職活動を始めてからずっと、そして身にしみて感じていることです。 言葉で伝える、文章で伝える、伝える手段はいろいろですが、とりわけ文章でそれを感じています。 私の志望職種の中には編集職もあります。当然、生業にしたいくらいですから文章を書くことには自信があったわけですが、どんどんそれが衰退していっています。このままじゃなくなっちゃいそうです。自分の文章はひとりよがりで、相手に「伝える」配慮が十分になされていないということに、昨年あたりから気付きはじめました。それは文章を書く上で一番大切なことなのにもかかわらず、自分だけが理解できるような難解な表現やまわりくどい表現を多用するようになっていたんです。 責任転嫁をしてもいいのならば(笑)、ひとえに(遠慮してもひとえに、かよ…)大学のせいです。つまりコムズカシイ論文や短い文章でも教授の目に止まるようにするため、ただそのことばかりに目がいってしまっていた結果です。もうひとつ付け加えるならば学識のある読み手に「なめられないように」、一生懸命背伸びしていたとも言えますね。こっちの方が強いかもしれない。 それが就職用の小論文ではまったく必要ない。必要なのは洗練された表現や読み手をうならせるような言い回しではなく、「一生懸命さが伝わる文章」。私は原稿いっぱいに文字を詰め込むタイプだが、それも「読みにくい」からマイナス採点。漢字を使い過ぎるのもマイナス、てわけで、去年の小論文模擬試験で私は自己最悪の評定をもらってしまったわけです。落ち込みましたよ…かなり。今だから笑って話せる話。 以来相手に伝わるかを一番に考えながら文章を書くようになったけれど、いまだに分からない。相手に伝えること、簡単そうなのに、文章の基本なのに、いまだに分からないのです。どこかの編集部の人も「わたしたちは文章を書くのが仕事ではない。伝えることが仕事だ」と言っていました。それを聞くにつけ、やっぱり自分にはできない仕事かもしれない、とさめざめ…。 私の文章が周囲に評価されていた頃(はるか昔…)は、そんなことも考えず、ただ自分の思う通りに文章を書いているだけでした。表現技法なんてよく知らなかったし、語彙数だって圧倒的に少なかった。でもいま思えば、そのほうがずっと素直で、読み手に身近で臨場感のある、「伝わる」文章だったのかもしれません。だから周囲も読んで面白い、と言ってくれたのかもしれないですね。 コムズカシイ文章が悪いということではないと、私は思います。つまり文章もTPOに応じて、ということなんでしょうね。今の私の文章は結婚式でも葬式でもアウトドアでも、いつも甲冑を全身装備で行くようなヤツですかね?「オイオイ」って。
でもDailyに文章を書くのはとても楽しいです。恰好付けずに、一目も気にせず好き放題やってますからー。このコーナーも、文章を書くことがまた楽しくなれるようにと思って始めたものだから、成功です。そしてやっぱり感じるのは文章を書くのが好きということ。 そしてやっぱり、せっかく書いた文章だからお蔵入りさせずにみんなに読んでもらいたい。 だからここまで読んでくれたあなたに、感謝です!
|