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2001年04月29日(日) 温泉

昨日の日記に「温泉にでも行こうかな」と記して早速有言実行。
高校時代の友達「ふみっぺ」と男2人気ままな日帰り温泉旅行。

今日の彼との待ち合わせ直前「温泉行きたくないか?」と
水を向けたところ、向こうも乗ってきたので即決。

一路西武池袋線の終点秩父へ。
15時半頃秩父到着。
連休だというのに駅前は閑散。
小雨がぱらつくあいにくの天気。

バスの本数も少なそうだったから、レンタカーを借り秩父市街を出て、
国道299号を小鹿野方面へ。ちなみに車はトヨタのヴィッツ。
レンタカーではヴィッツかスターレットを借りることが多い。
小回りも利いて運転しやすいし。ただ、家の車がマニュアルだから、
オートマ車は運転に慣れるのに少し時間がかかる。

20分ほどで「クアハウス小鹿野」に到着。
温水プール(クアゾーン)と温泉の複合施設。
水着をレンタルしていざ入浴。

まずは水着着用のクアゾーンへ。
打たせ湯、歩行浴、寝浴、ジャグジー、サウナを周る。
サウナは5分弱でギブアップ。
おじさん達は平気な顔して居座っている。
これが年の差か・・・?

サウナ後の水風呂もあまりの冷たさに断念。
「最近の若者は根性なしだ」とかおじさん達に
言われているんだろうな。

クアゾーンを出て、温泉へ。
ありました、露天風呂。
残念ながら(?)混浴ではありません。
小雨の降る中の露天風呂もいいものだ。

そんなこんなでいい気分で風呂を上がる。
締めはもちろん風呂上りのビール…
と行きたいところだが、生憎下戸なもので、
おとなしくフルーツジュースをチューチューと。
ふと見れば、隣の子供も同じくチューチュー。
秩父の夜はふけてゆく。



2001年04月28日(土) まとまりの無い日記

待ちに待った連休がやってきた。
せっかくだし、どこかへ旅しようかとも思ったけど、
「先立つもの」が無く断念。まあ、日本中が混んでいる時に
あえて出かけなくてもいいかな、と。
近場の温泉にでも日帰りで行ってこようか。

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先週末は内定先の拘束で千葉のホテルに連れて行かれた。
ただ、僕はあまり素直に受け入れられ無かった。
もちろん個々のスタッフの人は優秀だし、人間的魅力もある
素晴らしい人たちばかり。ただ、学生である自分と
社会人である行員の人との間に壁を感じたのも事実だ。
自分もいつしか「社会人」に染まっていくのだろうか。

最終日の昼、他の内定者とその「壁」が内定者に
共通のものであると確認できたので少し安堵した。
組織に入っても自分の信念だけは持ちつづけなくては。

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興味半分でとった女子大の講義がなんと中国語史料の
読解を行うらしい。そんなの講義要綱に書いて無かった。
担当の先生は僕のゼミの先生の知り合いでもあり、
先生に名前を覚えられてしまった手前、下手に休むわけにも行かず、
やむなく4年になって第3外国語の勉強開始。

というわけで、
「はじめての中国語(楽しいCD付き)」。
「30日完成中国語トレニーングペーパー」。
を生協で購入。
CD全然楽しくない。

女子大では男の手洗いを探すのにも一苦労。
周りが女ばかりというのもやりにくいものだ。

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金曜には「タネ」ほか3人と渋谷で夕食を食べた。
「anan」の好きな男嫌いな男特集の記事を見る。

納得出来ない。
ランキングに入っている男どもはしわなど一本も入っていない
ちんけな若造じゃないか。高倉健とか渡哲也のほうがよっぽどかっこいい。

なんか今日は書けない。
この辺で。


2001年04月18日(水) いつもどおりの光景

普段どおりの日々が始まった。
まだ就職活動を終えて1週間も経たないのに
スーツを着て都内をうろうろしていたのがなんだか
ずいぶん昔のことのように感じる。

長いブランクを経て戻ったキャンパスは
いつもどおりの光景だった。
人で溢れ返る大学内、まだ不安そうな顔つきで講義の
教室を探す新入生、おびただしい数の貼りビラ。
いつもの春先に目にした光景だ。
この喧騒も5月になればまたひっそりとしてしまうのだけれど。

月曜は協定先の某女子大の講義を受講。
女子大に入るのは就職面接よりも緊張した。
「東洋史演習」という授業。僕のゼミの指導教授と
縁のある先生が担当されていて、講義内容はとても刺激的。
もちろん「環境」も相当に刺激的だったけど。

火曜日には母親の実家まで車で往復。
たびたびこの日記にも記してきた祖父の御見舞い。
祖父はもう寝たきりになってしまった。
就職の報告をするとベッドに横になっている祖父は
「大したもんだな」とお祝いの言葉をかけてくれた。
今まで様々な人からもらった祝福の言葉の中で
一番心に響く言葉だった。
帰り際部屋をのぞくと、祖父はもうすでに寝ていた。
やりきれなさだけが残った。

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今週になっていろいろな人からお祝いの言葉を掛けられた。
ありがたいことだ。
ついでに「おごって」なんて言われる。初任給は一年先のこと・・。
日記を読んでくれた人も結構いて、一部からはあの日の日記は
「やりすぎ」じゃないかなんて指摘も受けた。
確かに「お涙ちょうだい」的な文章かもしれない。
けれど、実際にそうだったから、僕自身心を相当動かされたのだし、
ありのままを僕なりに記したつもり。

あの日々を通して僕が思ったのはまさに
「事実は小説よりも奇なり」。

終わった直後はその結果に傲慢不遜になってしまっていた
ふしもあったけれど、今にして思うのは「運」と「相性」
が良かったなということ。
そして様々な人の有形無形の支えのおかげ。

就職活動中、時間のありがたみを痛感した。
残された一年足らずの大学生活を悔いなく過ごすつもりだ。


2001年04月13日(金) スーツを脱ぐにあたって

第一志望から内定の連絡。
思わず部屋の床にへたり込んでしまった。
最後にドラマが待っていた。

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以前記した通り1週間前、某金融機関から内定がでた。
しかし、正直に言って自分としてはそこは妥協できなかった。
金融機関の選考は今週が山場、しんどい日々だった。
けれど、それほど苦痛にも感じずそこそこのペースで
選考が進んでいた。

就職活動を始めるに当たって、目標としていたのが
某政府系金融機関A社と某鉄道会社B社の2つだった。

今週始め、B社の選考が一気に進み、6次の選考プロセス
で5次面接まで行ったが、突然連絡がなくなった。
まあ次の日にでもきっと連絡があるだろうと楽観していた。
それが一昨日のこと。

ところが、昨日A社の準決勝の面接に出かける直前、
バイトの友達からメールが入る。B社に内定したとのこと。
ほとんど同時進行の進み具合だったのに…。
要は僕がB社に落ちたということだ。持ち駒はすでに実質A社1つ。
途端に不安に襲われた。もうだめなんじゃないか。
なんという弱い精神力・・。

そのとき出発まで時間的に余裕があったから、部屋の片隅から
中学高校時代の吹奏楽部で必死に応援していた母校の野球部の
新聞記事を引っ張り出した。甲子園の予選の模様が記されている。
4試合連続逆転勝利、2年越しの宿敵にコールド勝ち、
等々熱かった日々がよみがえってきた。


「行かなくちゃ」


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威圧感満点の面接だった。
なかなか思う通り話せない。
何かを話しても面接官がにやけている(気がする)。
あっという間に面接は終了。

失意を覚えながら部屋を出ると、これまで親身に世話を
してくれた人事担当者がいて別室へと連れて行かれた。

「どうでした?」
「いや、緊張してうまく話せませんでした…」
「そうか、でもね…」

とその人はこう続けた。

「私は君と初めて話したときからウチでやっていく人
なんじゃないかと思っていたよ。私は君なら今日の面接も
大丈夫だと思うし、私は君のような人と仕事がしたい」

就職活動で出会った人でここまで言ってくれた人は初めてだった。
迷いはあるけど、この人をそしてこの会社を信じてみよう、
このとき心からそう思った。

今日、最終面接。
やるだけのことはやった。
人事の人は帰り際、
「夜にはいいお知らせの電話ができると思う」
そう言ってくれた。
ただ、それでも一抹の不安はあった。

帰り道、お札を刷っている某銀行から不合格の連絡。
これでまた、家に帰りたくなくなった。
意味もなくCD屋によって長時間試聴したりして時間を潰す。

思い足どりで帰宅。

電話はなかなか鳴らない。
そしてそれは突然だった。

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2ヶ月余りに渡る就職活動も今日でひとまず終了。
この間、たくさんの人に励まされ、頑張って来れた。
このHPに来てくれた人々からもたくさんの励ましの言葉と
アドバイスをもらった。
自分だけじゃ絶対に出来なかった。

今は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうもありがとうございました。

そして就職活動は業種によってはまだまだこれから。
今活動している人も、頑張ればきっと願いは叶うと思う。
頑張って。そして早くまた皆でバカやろう。

「念ずれば花開く」


2001年04月07日(土) 1つの内定

朝一番で初めての最終面接。
前回人事面接でめった打ちを喰らった某政府系金融機関。
それなりに自信を持って臨んだ面接だったから
ボロボロにされた直後は動揺して、その後の同じ日にあった
他社の選考に影響が出てしまった。
けれど、なぜか面接を通過し今日の最終へと進んだ。

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そこで思ったのが、面接では知識を問うているのではないな、と。
難しい経済学の理論を「即興で解説しろ」と言われて
満足いく説明が出来る学生はわずかであろう。
おそらく人事が見ているのは、そういった状況に立ったときに
どういう思考をする人間なのか、ということなのだろう。
最終で同席した人も同じく人事面接を圧迫気味に感じたらしい。
当たり前のことなのだろうけど、改めて実感。

それから企業によって「求める人材」や「聞きたいこと」
も面接を重ねるとわかってくる。

例えば、お札を発行する某銀行(?)はその機関の
「独立性」についてどう思うかを必ず聞いてくる。
あるいは新幹線を走らせている某鉄道会社は組織の運営方法、
組織のまとめ方を聞いてくる。大卒総合職が多くの数の
現業職員をまとめる立場の職種であるからだろう。
これじゃ、会社名がもう匿名じゃないな・・。

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あえて書けば僕の志望する企業の採用活動は来週いっぱいが
山場だと思う。いづれにせよ結果がわかると言うこと。
明日も3社、いづれも選考は佳境に入ってきた。
面接後1〜2日で連絡がこなければ、もうそこまで。
夜、家で待つ時間が長く感じる。

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今日の企業からは今、内定の連絡が入った。
それなりに満足しているし、自信にもつながる。
自分を必要としてくれる企業が1つはあったわけだから。
ただ、「他も見たい」という正直な今の気持ちを人事担当者に
伝えておいた。別にいい子ぶるわけじゃなくて、自分がその会社で仕事を
する姿がうまくイメージできないから。

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少し冗長になってしまった。
最後に1つ最近気になった事を。

家から最寄駅までの道すがらで小学生の作った標語のポスターが
目に付いた。「みんなで守ろう交通ルール」とかそういう類のもの。
気になったのはそこにあった以下のような言葉だ。


「友達が失敗しても笑わず励まそう」


一見、どこにでもある標語のようだけど、僕は少し違和感を感じた。
というのはこの標語は暗に失敗を恐れずトライすることを肯定的に
捉えており、非常にうがった見方をすれば競争社会を
是とする価値判断を含んでいないだろうか?

ここではその価値判断の是非を問題にしているのではない。
僕が思ったのは、これまで「学校」は良くも悪くも「平等」に
重きが置かれていると言った批判がなされ、僕もその批判に
多少なりとも傾聴すべき点があるように思っていたのだが、
ともかくその「学校」でこれまでとは少し違った(と僕は思う)
毛色の標語が選ばれたということである。
もっと素直に取ればいいのかな。

子供が考えたのか、親や教師が入れ知恵したのかは不明だけど、
こんな標語を思いついた小学生には一度会ってみたい。


2001年04月06日(金) 日比谷公園

予定の合間、西日の差し込む日比谷公園のベンチで休息。
面接は時間にして一時間足らずだけど、
集中して真剣に相手の話に耳を傾け、自分の意見を述べることは
意外に疲れるものだ。もはや必携となったCDプレーヤーで音楽を
聴きながらしばしボーっとする。
ふと周りを見回せばスーツがまだ少し似合っていない
就職活動中の学生がたくさんいる。

空いていた両隣のベンチにカップルが座る。
音楽を聴いているから声は聞こえない。
けれど、その横顔には屈託のない笑顔が浮かんでいる。
思わず目をつぶる。少し…。

正直、体力的にそしてなにより精神的にしんどい日々。
面談のあった日の夜に連絡がなければ、事実上の不合格。
家で電話の音がする度、胸が高鳴る。

今週末は新聞業界の試験が集中している。
この業界は受ける友達も多い。
自分もこの週末は選考が詰まっている。
お互い頑張るしかない。

頑張る友達と早く祝杯をあげられるように。


2001年04月03日(火) 地下鉄の「車窓」

地下鉄丸の内線は四ッ谷駅の付近で地上に出る。
突然視界が開けて、目の前の切り通しに咲く満開の桜が
目に飛び込んでくる。空いた車内の人々は外に一瞥もくれない。
コートではテニスに興じる学生。

4月に入って選考が一気に本格化。
昨日も今日も明日も3社の面接。
体力的にも精神的にもきつくなってきた。
10社足らずしか受けない僕がこんな状態だから
普通にいろいろ回っている学生はもっと大変なんだろう。

今日の3回の面接のうち2つは出来がよくなかった。
けれど、逆に問題点が明確になって得るものはあった。
「愚者」だから経験からしか学べないけれど、
せめて経験からだけでも学ばなければ。

明日は初の人事面接。
早くから声を掛けてくれていた企業。
3人会ったリクルーターの人も皆、良い人で好感を持てた。
頑張るしかない。


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