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2001年01月31日(水) 試験終了

気がつけば1月も終わり。
試験は昨日で終了。けれど、それは就職活動の開始でもある。
いや、就職活動と言うよりは進路選択という方が適切だろう。

「あなたは何をやりたいの?」というよく耳にする質問に
答えることが出来るのであれば、進路決定は終わったも同然だ。
目標さえ定まれば、それを達成するのは案外容易なことだ。
目標を定めることの方が格段難しい。日頃、何かとうまくいかない事が
多いように感じるのは、自分の経験に照らせば、目的、目標がしっかり
と定まっていなからであることが多い。

進路候補はいくつもある。
まずは大学院進学。
その場合専攻をどうするか?経済学?経済史?
就職の場合、シンクタンク、コンサルタント、銀行、保険、運輸、旅行・・

家で悶々と考えていても埒が開かないので、とりあえず
いろいろ話を聞いたり情報を集めてみることにした。
今日は安田火災・日産火災・大成火災の合同説明会へ。
初めての会社説明会。正直言って、特に興味があったわけでは
無いけれど、時間も空いていたし、様子見も兼ねて。
あ、ちなみに、この欄では支障の無い限り会社名公開していきます。
そのほうが現実味があるし、面白いでしょうから・・。

安田火災のビルは新宿西口に聳える裾広がりの建物。
ただ入って中を見るとそんなに新しい建物でもない。
東京在住者ならば誰もが一度くらいは目にしたことがあるはず。
まだ1月だと言うのに、会場はほぼ満席。色もデザインもほとんど
均一のリクルートスーツを着た男女がずらりと座っているのは
光景はちょっと異様。入って一瞬、圧倒された。

担当者の話を皆真剣に書き留める。
普段の大学の講義でもこれくらいやっているのかな?
まあ、今回は損保業界のおおまかな基礎知識を伝える程度で
あまり突っ込んだ話は聞けなかったが、後半に見たビデオは
仕事内容が良く伝わるなかなか面白いものだった。

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いつもの事ながら、この日記の更新が少し遅れてしまった。
試験中だったという理由ももちろんあるが、そんなものはあってない
ようなもので、僕のようにマンツーマンで先生に嬲られるゼミを
取っていると、案外試験中のほうが楽だったりする。

前回の日記を記してから、今日までの間には日記の題材となりそうな
大きな出来事があった。けれど、それをどのように表現していいのか
わからず、書くのをためらっていた。言い訳ではなくて。

かつての日記で「出会いと別れ」について井伏鱒二の翻訳を交えながら
記したことがある。今、書こうとしている内容もその事に関連している。

それは「物事の終わり」について。何かを始めることはたやすいし、
ふとしたきっかけで意図せず始まることもある。
けれど、何かを意識して終わらせるということは、意外に難しい。
というかそういう経験をしたことがなかった。

身近な人間の終わらせ方について話をする機会があった。
こう書くとちょっと恐い。要は、末期がんの人の過ごし方について。
医者がその話をあまりにも淡々と進めて行くことに、正直あまり
抵抗を感じない自分がいた。けれど、時間をかけて考えて見れば、
その重大性が理解できる。その話し合いには当人は呼ばれなかった。
しかし、ある人間の残り少ない人生の過ごし方を、他人があたかも
夏の休暇の過ごし方を決めるかの如く、話し進めて良いのだろうか。
無論、末期がんの人に直接にその事を伝えるかどうかは微妙な問題だ。
「けれど・・・」とやはり思わずにいられない。

眠いので今日はここまで。


2001年01月24日(水) アサヅケ

一つ目の試験終了。アサヅケだった。
「朝漬け」であり、「浅漬け」。
先生の態度、講義内容に失望し、気まぐれに出席した時は
一番前に座り外を眺めていたような講義だった。
ふと窓の外を見れば、空の鉛色が寒さを物語り、
この教室から見える木の枝からすっかり葉が
落ちているのを見て、月日の経過を実感する。

試験ではヤマが見事に的中!
試験におけるヤマの的中率は、「今も昔も私大受験の王者」とか
威勢の良い「W予備校」の入試予想問題の的中率や
(ちなみにWは覇者。王者は三田のK大)、
「夢を買います」なんて嘯きつつ大晦日には当選番号発表を
食い入るようにチェックする人(含、わが父親)がわんさといる
JR有楽町駅前売り場で買う「年末ジャンボ」の当選確率よりも
相当に高いはずだ。この調子であと4つヤマ張ろう。
・・・じゃなかった勉強しよう。

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駅と自宅の間は自転車で15分ほど。
この時期は身が切り裂かれるような寒さだ。
住んでいるところは田舎なので、11時も過ぎれば全く静かだ。
艶かしい視線を送り、落ち着いたそぶりの端々に
無言の色気を漂わせ、服の下の肢体をさりげなくアピールして
通行人に媚を売る情婦のようなネオン(この表現・・・へたくそ)や、
背の高さを競う無邪気な子供達のように、狭い土地に立ち並ぶビル
などあるはずも無く、夜空を見上げれば星がきれいに瞬いている。
駅からの帰り道は西から東に向かう。この時期は南の空に
オリオン座がはっきりと確認できる。
寒い冬の帰り道の唯一の楽しみだ。

この頃、なんだか地に足がついていない気がする。


2001年01月21日(日) 週記

週記って言うのはこの欄のこと。
日記とか言っているくせに更新が週1ペースなもので・・。
ごめんちゃい。

大学院か就職か、進路に悩みつつもとりあえず就職活動
をしてみることとする。迷っているだけでは何も進まないし、
触れることで初めて見えてくることもあるはずだから。

それにしても、少し戸惑う表現がある。
それは大学を卒業して勤めることを「社会に出る」と
言うことだ。そうなると大学院は社会ではないことになる。
さらには、大学までの学校制度も社会では無いことを
示唆している言い回しでもある。この表現を借りれば、
僕の所属サークルの会員は過半が「社会に出ない」
ことになる。そのまま大学の教員になれば、一生社会に
出ないということなのだろうか?確かに、大学人
(広く大学に関わる人と言う意味で)というのは
世間知らずという「イメージ」が流布されていることは事実だ。
けれど、そういう場合の「世間」とは何だろう?
「社会」とは何だろう?一方で、一番小さい社会として
家族が挙げられることもある。学校の主要な目的に
「社会生活を学ぶ」ということがあるのではないのか?

・・・と、疑問を「垂れ流して」みる。

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昨晩、2週間ぶりに雪が降る。どうやら今年は暖冬ではなさそうだ。
雪を見るなり、次の日の駅までの道のりの心配をした。
正直言うと、あまり降ってほしくない。
雪を無邪気に喜ぶことができたのも小学生の頃までだと思う。
年を重ねて、雪を喜べなくなったということはどういう意味が
あるのだろう?

けれど、朝、雪化粧している窓の外をみて、一瞬、
心が浮かれるのは、いつまでたっても変わることがないし、
ずっとそのままでいたいとも思う。






2001年01月14日(日) 進路

目下の考え事は進路について。
今まで決断を先延ばしにしてきたツケが
まわってきたようにも思う。
いや、正確に言うと「先延ばし」ではなかったと思う。
今までの学生生活ではそのときそのときで「やりたい」
と思うことをしっかりやってきた。それは闇雲に欲望に
忠実だったと言う意味ではなく、情熱を損なわない程度
の思考をしたうえで、その両者のバランスを取りつつ
行ってきたということだ。けれど今は、
「これまでやってきた」ことと「これからやる」こととの
接続に少し手間取っているのだと思う。

進路については、今までわりと一人で考えてきた。
余り人に頼ることは好きではないし、
もうすでに自分の事は自分で決めるべき年齢に
達しているのだから。

ただ最近、少し思考が前に進まなくなり、進路について
いたずらに不安感を抱くようになった。
やむなく、今夜、進路のことについて父親と少し話した。
僕は格別父親に好き嫌いといった感情を抱いてはいない。
少なくとも嫌いではない。けれど特別好きというわけでもない。
まあ、親子の間の感情なんてそんな程度なのだろうが。
けれど、自分にとって大切な選択を迫られた時には、
一応父親のコメントに耳を傾けるようにしている。
それは単純に、人生経験が自分よりも豊富である
と言う理由もあるし、それ以上の理由があるのかもしれない。

進路についてはっきりしているのは1つ。
「自分の知識や経験で他人や社会に役立ちたい」ということ。
まだまだ、漠然としているし、不安もある。
それでも、将来には「希望」もあるのだという
当たり前のことに、今夜気づかされた。平板な言い方だけれど、
一人で考えることで、知らず知らずのうちに自分の可能性
を狭めていたのかもしれない。



2001年01月06日(土) 明日の七草粥が楽しみ

新年初めての日記、
ということで、新年あけましておめでとうございます。
今年も日暮硯に向かひて心に浮かぶ由無きことを思うが
ままに書き綴ろうと思っております。
気長に御付き合いいただければ幸いです。
さて私おじゅんは2日に帰京し、4日よりバイト先の
冬季講習会に刈り出されております。朝6時半起床は
完全夜型人間にとっては非常に辛いのですが、毎日続けば
慣れるもので、今では駅へと向かう自転車を漕ぎながら
浴びる朝日の眩しさをかみしめる余裕も出てきました。

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そんなともすれば単調になりがちな日々の中、アクセントと
なる出来事があった。先日アルバイトの帰り道、久方ぶりに
母方の祖父母宅を訪れた。祖父母宅は自宅からも近く、
車で15分もあれば行くことが出来る。けれど、ここのところ
忙しさにかこつけてご無沙汰していた。
小学生の頃は、週末が来ると毎週のように行っていたのだが。
その頃の僕にとって祖父母の家はテレビやゲームなんかよりも
よっぽど面白い存在であった。近くの川原へ行って蓬を積み、
持ち帰って蓬団子を作ったり、庭になっている梅をもいで
梅酒を作ったり、寒い夜にはもう珍しくなった湯たんぽを
入れてもらったり・・・。

少し前の日記でも記した通り、祖父はここのところ
調子が良くない。母などは自分の父親なのにも関わらず
(逆に父親だからかもしれないが)、平気で
「今年いっぱい持たないかもねえ」などと言う。
久しぶりに会った祖父は以前よりも苦しそうだった。
一息ではしゃべることが出来ず、呼吸が苦しそうだった。
来週からは大病院に入院することが決まっている。
とりあえず1ヶ月、しかしそれも不確かだ。
もしかしたら、そうであってほしくはないが、
自宅で会う最後の機会かも知れない。

最近、祖父は会うたびに自分の身の回りのものを僕にくれる。
かばん、ネクタイピン、ハンカチ・・・。
その意図はなんとなく僕にもわかるし、祖父もそれを承知で
よこすのだろう。どれも今の流行とは程遠いものだけれど、
武骨でいてどこか暖かみを感じさせる物ばかり。
大切に使いたい。

・・・う〜ん、これ以上書くと年明け早々あまりに感傷的な文章に
なりすぎてしまうのでここらへんで切り上げることとしよう。


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