東京出張の合間を縫って、三鷹の森ジブリ美術館を訪ねた。実は「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」の宮崎駿さんが念願の夢を実現したこの美術館へは半年以上前から行きたいと真剣に検討していた。入場前売り券には日時指定がありローソン・チケットで購入できる。しかし予定している日の1ヶ月前から購入しようとしても平日にもかかわらずいつも完売。今回こそはと気合を入れて3ヶ月前からチャレンジし、ようやく獲得できたのであった。この美術館のチケットをめぐっては、前売り券を100枚以上購入しYahoo!オークションを利用して高価で転売しようとした主婦が逮捕されるという事件まで発生しており、なかなか大変な騒ぎになっている。
美術館のある三鷹市までは新宿駅から快速で20分。駅からはネコバス(「となりのトトロ」に登場)のデザインをあしらった巡回バスが出ている。美術館は建物のデザインも宮崎さんが手がけていて非常に凝った作りになっており、内部にも迷子になるような仕掛けが施され、なかなか愉しい。
入り口で手渡される入場券はジブリ作品のフイルムの一部であり、どの作品が当たるかその場にならないと分からない。マスコミ向けの開館お披露目の日、ある女性が自分の入場券を透かして見て「あ、ハズレ!だって『となりの山田君』だもの。」と言っていて、その傍で高畑勲監督が固まっていたという笑い話があるのだが(^^;、僕にはその女性の気持ちが痛い程よく分かる。世間では「ジブリ作品」とひと括りに呼ぶが、宮崎駿作品と高畑勲作品では全然中身が違う。僕は宮崎さんは世界を見渡しても20世紀最高のアニメーターだと信じて疑わないが、高畑アニメには嫌悪感しか抱けない。ちなみに僕の入場券は高畑作品「おもひでぽろぽろ」のフィルムだった。大外れ(笑)。非常に落胆したのだが、思い直して近い将来リベンジ・マッチをすることを堅く誓ったのであった。次回こそ宮崎作品が当たりますように!(という訳で、このジブリ美術館の使用済み入場券をご希望の方があればメールにてご連絡下さい。送料のみ負担して頂ければ差し上げます。でも多分、誰からも申し込みはないだろうなぁ。)あ、ちなみに高畑勲さんは岡山県岡山市の出身で、実は僕の小学校の先輩だったりする。僕が小学校4年生のとき、創立百周年記念という行事があって、卒業生として高畑さんが来賓として来られた。そして「私が仲間の優秀なアニメーターと組んで創った作品です」と上映して下さったのが「パンダコパンダ(脚本・画面構成は宮崎駿さん)」であった。これは面白かった。
animationの接頭語animは「動く」という意味であり、動物のanimalも同様である。そしてアニミズム(animism)にも繋がっていく。ジブリ美術館にはこの、animへの憧れと悦びが濃縮されてぎゅうぎゅうに詰まっている。とくにゾーエトロープ(連続する絵を動かす装置)の部屋における創意工夫の面白さには興奮し、圧倒された。これは各自、ぜひご自分の目で確かめられたし。さらに別の部屋では過去の宮崎作品の生の絵コンテ、イメージ・ボード、原画、動画、背景画などが所狭しと陳列されていて、その眺めは壮観である。屋上には「天空の城ラピュタ」に登場した(実は宮崎さんが演出したテレビ作品「ルパン三世:さらば、愛しのルパンよ」にも登場する)ロボットの原寸大??のフィギュアがあって、これも見物であった。ただし、次々とその前で記念写真を撮る人が後を絶たないので、じっくりと鑑賞することは困難なのだが。ぼくはそのロボットを前にして思わずラピュタに登場する秘密の呪文「リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール(我を助けよ、光よ蘇れ!)」と呟いていた(笑)。美術館の喫茶店「麦わら帽子」で出る飲み物のストローに、天然の麦を使っているというところにもこだわりを感じた。
ただ、残念だったのは美術館では月代りでオリジナル短編アニメーションを上映しているのだが、現在上映中なのは「くじらとり」という作品で、この絵に余り宮崎さんらしさを感じなかったことである。現在「となりのトトロ」の番外編とでも言うべき「メイとこねこバス」という短編が製作中だそうで、完成披露は10月予定とか。ぜひその時は美術館を再訪したい。
そうそう、余談だが僕が一番好きな宮崎作品は断然「天空の城ラピュタ」である。これはアンナ・パキン(「ピアノ・レッスン」)他の豪華吹き替え陣で英語版が既に完成しており、音楽監督の久石譲さんは米国のオーケストラを起用してサウンド・トラックを録音し直しているのである。しかしこの英語版、未だに北米での劇場公開もビデオ・リリースも決っていない。是非今年、全米公開される「千と千尋の神隠し(英語題名:Spirited Away)」が大ヒットして、その波に乗ってラピュタの劇場公開も決りますように。
ところで僕は今年の夏のジブリの新作「猫の恩返し」を観に行く気は毛頭ない。だって理由は明白、宮崎さんの監督作品ではないから。予告編を観たが、大層退屈そうな作品であった。キャラクター・デザインにも全く魅力が感じられない。ジブリ作品=感動作・名作という図式は単なる幻覚に過ぎない。短絡的思考で騙されないよう気をつけましょう。
2002年06月15日(土) |
ピースを嗤う <模倣犯> |
もし日本に最低映画を選ぶゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)が存在するなら今年の作品賞、脚本賞、監督賞は「模倣犯」のぶっちぎり受賞は確実だな。ついでに藤井隆の助演男優賞も。そういう意味ではなかなかこれだけ酷い映画にお目にかかる機会も滅多ないだろうから、必見であると万人にお勧めしたい。
森田芳光監督作品の系譜のなかで出来の悪さとしては「メイン・テーマ」「そろばんずく」に匹敵する、いや、それ未満だろう。(残念ながら「悲しい色やねん」は未見)。あ、評判の芳しくない「愛と平成の色男」は、実は案外好きだったりする。名作ミステリイの改悪例としては今までは崔洋一監督の「マークスの山」が最低だと想っていたが(原作の読み応えには感銘した。嗚呼、この落差!)、あれを「模倣犯」は上回ったかも。森田氏が「の・ようなもの」「家族ゲーム」「それから」などの傑作を撮った頃、新進気鋭の21世紀を担う有望な監督だと僕は大いに注目していたのが、この目を覆いたくなるような凋落ぶり。情けない。
ただ今後期待したいのは、映画「模倣犯」はスマッシュ・ヒットしている様だから、これから他の宮部みゆき原作小説の映画化が加速されて念願のあの名作「火車」映画化のプロジェクトが動き出すと嬉しいな。しかしねぇ、実はこの「火車」映画化を狙っているのが崔洋一だったりする…。既にシナリオも完成しているようだ。崔洋一との共同脚本は「月はどっちに出ている」の鄭義信氏で、この人はまもなく公開される桐野夏生原作の「OUT」映画版も執筆している。こちらの監督は「愛を乞うひと」「ターン」の平山秀幸さんだから大いに期待しているが、崔洋一版「火車」だけは勘弁して欲しい。
僕は今回あえて原作を読まずに映画に臨んだのだが、「原作はきっと映画と違って面白いんだろうなぁ。」と観ながら痛切に感じた。この感覚も映画「マークスの山」を観ていた時と全く同じ。つまり映画の内容が支離滅裂で破綻しているので、評判の良い原作だけに相当の改変をしているのだろうと如実に感じてしまうのだ(脚本も森田芳光が執筆)。伏線は沢山張られているが、結局その大半が放置されたまま最後までなんの説明もない(例えばピースが咳をしていた理由とか)。もう無茶苦茶である。これがかつて「ウホッホ探検隊」という名シナリオを書いた人の仕事なのだろうか!?宮部みゆきファンがいろいろな掲示板で暴動を起こさんばかりにこの映画に怒り狂っているが、当然だろう。原作者自身も週刊誌における監督との対談の中で、最後のピースの末路と彼の手紙についての大幅な改変に、疑問を投げ掛けていた。
それからインターネットを映画に登場させて、時代の最先端を装っているものの、結局それが物語になんら噛み合ってこない。つまり森田監督のネットに対する知識が浅過ぎるのだ(ちなみにこの映画はYAHOO!JAPANが出資している)。森田作品にはパソコン通信をテーマにした「(ハル)」という佳作があったが、森田氏の知識ってパソ通時代から少しも進歩してないんじゃないだろうか?
ちなみにこの「模倣犯」はハイビジョンカメラで撮影されたものをフイルムに変換するというキネコ(キネスコープ・レコーダ)方式を採っているが、それが効果を上げているとは想えない。特に野外撮影に於ける空の色がいただけない。美しい青空が表現できず大変汚い映像になっているのだ。ハイビジョン映像はスクリーンよりブラウン管の方が奇麗に映るに決まっている。一体これを映画館で見る意義は果たしてあるのだろうか?
さあ、ここからネタばれタイムだ!内容を知りたくない人は決して読まないように。
(念のため改行)
なんといっても酷いのが主人公ピースの言っていることとその行動が不一致で完全に自己矛盾を起こしていること。 「僕はデジタル人間。無臭だ。」 とピースは得意げに自称する。しかし殺人のネット・ライブを宣言しながら結局それはフェイクに過ぎず、車のブレーキに細工したり、一体全体どこがデジタルなんじゃい!半世紀以上前の犯罪手口じゃないか。最後にあれだけ馬鹿にしていた豆腐屋の親爺に自分の子供を託すという行動意図も不可解としか言いようがない。説得力が欠如している。おまえ、骨の髄までアナログじゃないか!無臭どころかプンプン臭うんだよ!それにこの最後の手紙、時系列で考えるとテレビで遺族たちと対決する前に書いたことになる。あれだけ自分の犯罪に酔い痴れていた癖になんで手紙では、自分の非を認めて弱腰なんだ!?
結局「デジタル、デジタル」と念仏のように唱えている森田芳光監督自身は所詮、時代についていけない完全アナログおじさんだったということに過ぎないのだ。最近茶髪にしたらしいが単に若い世代に媚びているとしか見えず、みっともないだけだ。ピースのCG処理による自爆場面も、人間性を排しあくまでピースの「デジタル人間」ぶりをアピールしたかったのだろうが、その演出意図が空転し、まさに茶番である。映画館のあちこちから苦笑が漏れ聞こえていたことは言うまでもない。
そうそう、山崎努をホテルに誘い出して手紙を豆腐屋に投函する手法にも笑った。だったら誘い出す必要ないじゃん!最初から深夜にポストに入れれば済むことだろう。結局ピースのすることなすこと矛盾だらけ。
それにしても被害者の古川鞠子は 「私を殺してもいいから、私が何処へいこうとしていたかだけは爺ちゃんに言わないで」 とピースに懇願していたが、結局あれは何のための伏線だったのだろう?ま、まさか最後に登場する赤ちゃんは鞠子とピースの間に出来た子供だとでも言いたいのか!?・・・引きつった笑いしか出てこない。はぁ・・・(溜め息)。
追記:同じ宮部みゆき原作でも映画「クロスファイア」(金子修介監督)は見応えがあり、秀作だと想う。矢田亜希子が可愛いし。
2002年06月14日(金) |
今年のトニー賞とブロードウェイの現在 |
これは前項からの続きである。前項をお読みになりたい方は下の[ <過去 ]ボタンをクリックして下さい。
ブロードウェイ・ミュージカルは1980年代、ロンドンのウエスト・エンドからやってきた英国産ミュージカルに席巻された。ロイド=ウェバー作曲の「CATS」、「オペラ座の怪人」や、あるいは「レ・ミゼラブル」、「ミス・サイゴン」といったスペクタクル・ミュージカル群がその代表であった。しかしその後、ウェバー作品にヒットがなくなり、ロンドン産ミュージカルは失速していった。では1990年代以降、ブロードウェイ産作品は復調したかというとどうも心許ない。近年のトニー賞受賞作を見ても、「ジェローム・ロビンス・ブロードウェイ」や「フォッシー」は過去の名作からのハイライトの寄せ集めに過ぎないし、「ライオンキング」は元々、ディズニーのアニメーション。昨年トニー賞を総なめにした「プロデューサーズ」や今年の作品賞受賞作「モダン・ミリー」は過去の有名映画を元に、それを舞台用に脚色し新曲を加えたという構成なのである。「42ND STREET」だってそうだ。どうも僕に言わせるとオリジナリティが欠如しているとしか想えないのである。
確かに有名な映画やアニメを素材にすれば知名度は抜群だから集客力が期待できるし、製作費用が膨大に膨れ上がっているブロードウェイの現状では失敗は許されない。リスクを冒さず、確実な道を製作者たちが取りたがるのもよく理解できる。しかし、である。そんな映画などからの「借り物」を舞台にかけて、貴方達は舞台人としての誇りはないのか?と問いたい。もっと舞台ならではのオリジナリティのある作品で勝負して欲しい。今の低迷するブロードウェイの実情から考えると、三谷幸喜さん作の大傑作ミュージカル「オケピ!」なら十分本場でも太刀打ちできるだろう。後は英訳してプロデューサーを探すだけだ。三谷さんがトニー賞授賞式で受賞スピーチをする日も決して遠くはないと確信する今日この頃である。
今年のトニー賞受賞作の中では「モダン・ミリー」には全く食指が動かないが、リバイバル賞を受賞したスティーブン・ソンドハイム作詞作曲の「イントゥ・ザ・ウッズ」は是非観てみたい。これは初演の舞台がDVDで発売されており、僕の手元にもある。グリム童話を元にした大変ファンタジックで楽しいミュージカルである。 桐生操著『本当は恐ろしいグリム童話』がベストセラーになったことだし、そろそろ日本での上演も機が熟した頃じゃないだろうか?
それにしても結局今年のトニー賞でひとつも受賞できなかった「マンマ・ミーア!」、日本でもこの12月から劇団四季が上演することが決っているのだが、この中身が薄くてノリだけが勝負のミュージカル、果たして日本の観客に受け入れられ、ヒットするのだろうか?甚だ疑問である。だって今更アバ(ABBA)ですよ!?
2002年06月10日(月) |
ブロードウェイへの旅とミュージカル |
たまには映画から離れてミュージカルの話でもしよう。先日行われた演劇界最大の祭典トニー賞授賞式の模様をBSで観たのだが、その感想を書く前に昨年のニューヨークへの旅の記憶から語らねばなるまい。
僕が生まれて初めてニューヨークの地を踏んだのが昨年の8月下旬の事である。同時多発テロが勃発したのがその2週間後のことだった。後に崩壊した世界貿易センターを眺めながら「デザインがシンプルすぎてセンスに欠ける。ただ超高層ビルというだけの理由でNYのシンボルになっているなんて、しょーもないないなぁ。」などと悪態をついていた。でもしっかり世界貿易センタービルをバックに写真を撮ってもらうことは忘れなかった(笑)。実はこのビルの最上階には有名なフレンチ・レストランがあって、旅行前に日本からディナーの予約をしていた。しかしその当日、旅の疲れからか高熱が出て食欲もなく、泣く泣くホテルからキャンセルの電話を入れたのであった。今にして想えばあの時、無理をしてでも往っておくべきだった、もう二度と訪れる事は出来ないのだからと後悔することしきりである。
ニューヨークに滞在したのは6日間、その間にミュージカルを6作品観た。なかなかハードなスケジュールだったが、でもちゃんと観光客らしく自由の女神やメトロポリタン美術館も訪れた。勿論映画「キング・コング」「めぐり逢い」「めぐり逢えたら」の舞台になったエンパイア・ステート・ビルにも登った(さすがにニューヨーク近代美術館MOMAに往く時間は作れなかったが)。観たミュージカル作品は「プロデューサーズ」「42ND STREET」「オペラ座の怪人」「キャバレー」「ザ・ミュージック・マン」「アイーダ」である。実は40年以上というミュージカル史上最長のロングラン記録を誇るオフ・ブロードウェイ作品「ファンタスティックス」も観たかったのだが、次回NYを訪れたときでも遅くはないだろうと見送ってしまった。しかし、あろうことかなんと同時多発テロのあおりを受けて2002年に閉幕してしまったのである!!これもショックだった。しかし、後悔先に立たず。悔しい。
今回の旅で一番感銘を受けたのが「42ND STREET」。群舞による激しいタップが迫力満点で圧倒された。1930年代の名作映画「42番街」を元にした作品である。これを、作品の舞台となった実際の42丁目の劇場で観るという事がまた、格別の体験であった。
「オペラ座の怪人」は日本やロンドンでも観ているのだが、キャストはブロードウェイ版が一番充実していて新鮮な感動を覚えた。
「プロデューサーズ」は同名の爆笑コメディ映画(アカデミー脚本賞受賞)を原作に、その映画の脚本監督を担当したメル・ブルックスが舞台用に脚色し直し、さらに全て自分自身で新曲の作曲もしたという作品で、昨年のトニー賞で12部門を総なめにした。史上最多受賞である。これをネイサン・レイン(映画「バード・ゲージ」)やマシュー・ブロデリック(映画「フェリスはある朝突然に」、ハリウッド版「ゴジラ」)などといったオリジナル・キャストで観ることが出来たのも嬉しかった。このふたりは現在既に降板しており、主要なキャストは代わっている。凄い人気でチケットもなかなか入手できない状況が続いているから、オリジナル・キャストでこの作品を観ることが出来た日本人は少ないんじゃないかな?
「キャバレー」は、かつて映画「青い珊瑚礁」や「エンドレス・ラブ」で一世を風靡したブルック・シールズがヒロインを演じていた。最近スクリーンではとんと見かけないが、テレビの方で頑張っているそうである。パフォーマンスに関しては唄はたいして上手くなく、背が高いという印象だけしか残らなかった。まあ、「昔の名前で出ています」といったところか(^^;。彼女がアイドルだったころ人気があった他の若手映画女優といえば、「ラ・ブーム」のソフィー・マルソー、「リトル・ロマンス」のダイアン・レイン、「初体験/リッジモント・ハイ」(何とこの脚本は「あの頃ペニー・レインと」「バニラ・スカイ」のキャメロン・クロウが担当しているのである!)や「グレムリン」のフィービー・ケイツ、そして「フェノミナ」「ラビリンス」のジェニファー・コネリーなどが思い出される。懐かしいなあ。ちなみに僕は古典的正統派美少女、ジェニファー派であった(笑)。彼女は今年「ビューティフル・マインド」で見事にアカデミー助演女優賞を射止めた。美少女から大人の女優に脱皮するのはなかなか容易なことではない。それは他のアイドルの末路を見れば明らかであろう。
(このブロードウェイの話題は後日、続きを書きます。)
少林足球、すなわち今、巷で話題沸騰の香港映画「少林サッカー」を観てきた。
シネマ・コンプレックスに着いて知ったのだが今日は映画初日の土曜日、さらに6/1なので映画の日。入場料が一律1000円で、非常に混み合っていて参った。場内は中学生・高校生の男の子連れが多かったのが特徴的だった。このあたりが日本に於けるサッカー熱の中心なのだろう。逆に女の子達なんか殆どいない。彼女達にはサッカーも少林寺拳法も興味の対象外なのだろう。
さて、映画は徹頭徹尾しょーもないことこの上ない(^^;。ノリとしてはジャッキー・チェンの映画に近い感じか。しかし、その馬鹿馬鹿しさが、いかにも香港産らしくてほほ笑ましく、結構笑えるエンターテイメントに仕上がっており心地よいのだ。ちなみに脚本・監督・主演の周星馳(チャウ・シンチー)はブルース・リーのファンクラブの名誉会長を務めるほどに、ブルースを崇拝しているそうだ。
CGによる特撮やワイヤーアクションの派手な効果は「そんな技、あるかい!」と突っ込み所満載なのだが、迫力があってその無茶苦茶さが面白い。僕はアカデミー外国語映画賞を受賞した「グリーン・デスティニー」を連想した。あちらは非常にまじめにつくられた映画であったが、やはり奇想天外なワイヤーアクションの場面で映画館から笑いが起こっていた。「少林足球」の話に戻るが、人物の背後や目の中で炎が燃えるという演出も、まぁ非常にベタなギャグなのだが案外可笑しかった。それにしてもみんな演技が大げさだなぁ。テンション高いよ。竹中直人が嫌いな人にはこの映画は最後まで堪えられまい(笑)。
ヒロインのヴィッキー・チャオは凄い美人で中国のトップ・アイドルらしいのだが、最初から最後まで(3変化あるのだが)酷いメーク・アップをされて、なんだかまるで虐待されているようで気の毒だった。ファンはあれじゃあ、嘆くだろう。その一貫したかたくなな演出方針も・・・潔くて称賛に値する(^^;。それにしてもこんな悲惨な役を快く引き受けたヴィッキー・チャオ、貴女は偉い!
少林足球。一言で言うならお馬鹿な映画である。しかし馬鹿だからといって、決して侮る事なかれ。
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