2002年05月27日(月) |
FIFAワールドカップと映画 |
2002年FIFAワールドカップ開幕がいよいよ間近に迫ってきた。断っておくが僕は全くサッカーに興味がない。例えワールドカップで日本が対戦していようが、観る気も毛頭ない。大体米国、キューバ、台湾など野球が盛んな国はサッカーに対して国民の関心がない。野茂、イチロー、佐々木などの大活躍で、日本の野球は十分大リーグに太刀打ちできることが証明された。これでサッカーまで世界の一流国に仲間入りしようなんて、虫が良すぎないか?
しかしながら、少林足球は非常に愉しみにしている。え?分かんないって?6/1から公開される映画「少林サッカー」のことだ。とにかくお馬鹿な作品らしいが香港のアカデミー賞と称される「香港電影金像奨」で7部門を受賞したというから侮れない。少林寺拳法の技を使ってサッカーで勝とうなどという、ぶっ飛んだ発想がなんとも香港映画らしくてナイスである。公開時期も非常にタイムリーで、これは映画宣伝部の戦略を誉めてあげたい。大ヒットは間違いないだろう。
ところで現在各テレビ局のニュースで、ワールドカップの話題が取り上げられる際に必ず流れてくる音楽が「2002 FIFAワールドカップTM公式アンセム」である。シンセサイザーや合唱をあしらった、あの荘重な曲だ。これを初めて聴いた瞬間、「あ、これは紛れもなくあのヴァンゲリス・サウンドだ!」と直感した。ヴァンゲリスはギリシャ出身のシンセサイザー奏者・作曲家である。彼の名を世界的に広めたのは映画「炎のランナー」で、その格調高いシンセサイザー音楽で彼はアカデミー作曲賞を受賞した。「炎のランナー」はオリンピックにその青春をかける陸上選手の物語であったが、想えばこの頃からヴァンゲリスはスポーツの音楽に縁があった訳だ。
その後ヴァンゲリスは日本映画「南極物語」に音楽を書いたりするのだが、僕は最も愛するのは「ブレードランナー」の音楽である。近未来的な響きを持ち、聴く者の不安感をかき立てずにはおかない、そのスタイリッシュで斬新な音楽に痺れた。映画が公開された1982年当時に出たレコード・アルバムは真のサウンドトラックではなく、New American Orchestraによって演奏された、サウンドトラックの(下手くそな)オーケストラ風アレンジといったものであった。結局ヴァンゲリス自身の演奏による公式サウンドトラック発売は1994年まで待たねばならなかったのだが、その時既にカルト映画の代表格というべき存在になっていた「ブレードランナー」のマニア達が狂喜乱舞したことは言うまでもあるまい。「ブレードランナー」のエンド・タイトル曲は昭和60年頃、マツダのRX−7のCMのBGMとして使用され(New American Orchestra版)、最近ではトヨタ自動車 WINDOMのCMでもこの曲が流れた(ヴァンゲリス版)。それだけ疾走感があって格好いい曲なのだ。 ヴァンゲリスが音楽を担当した映画を僕が最後に観たのがリドリー・スコット監督の「1942 コロンブス」である。これが1992年の作品だから今回実に10年ぶりの邂逅となった。久しぶりではあるが、これこそ正真正銘のヴァンゲリス・サウンド。魅力の褪せない彼の大活躍に心からの拍手を送りたい。
クリック→FIFA公式サイトでヴァンゲリス作曲のアンセムを視聴しよう!
2002年05月20日(月) |
<E.T.>の想い出 |
「E.T.」20周年記念版を観た。懐かしかった。そしてこの映画と出会った20年前のこと、そしてそれから現在に至るまでの事どもが走馬灯のように脳裏にに蘇り、胸の内から熱いものが込み上げてきた。
この映画が公開された年、僕は高校生で郷里岡山にいた。試写会に葉書で応募するも落選、しかし同級生が当選していたのでそれを100円で譲り受けた。学校の授業が終わって自転車で映画館に馳せ参じ、ワクワクして観た。映画が公開されてからも何度か観に行って、都合映画館で六回ほど観ただろうか。だから今回久しぶりに再見して細かいカット割、カメラワークまで鮮明に覚えていたので我ながら驚いた。
この映画の素晴らしさは、ストーリーや特撮だけにあるのではなく、スピルバーグの卓越した演出力に負うところが大きい。例えば映画の後半までカメラは母親以外大人の上半身を撮ろうとはしない。これはスピルバーグが愛するディズニー映画や「トムとジェリー」などのアニメーション映画では至極当たり前の手法なのだが、子供(やE.T.)の目線で捉える世界観を劇映画に持ち込んだのはおそらくこの映画が最初だろう。またそれが、腰に沢山の鍵をぶら下げてカシャカシャ鳴らす男の不気味な存在感をいやが上にでも高める効果にも寄与しているのである。さらにスモークを焚き(チンダル現象により)多数の光の筋を交差させる演出が随所に見られ、極めて印象的。人物をカメラが捉える際、ロング・ショット、バスト・ショット、クローズ・アップとパッパッパとテンポよく切り替わる、いわゆる<3段ズーム>もエモーショナルな効果をあげている。
E.T.とエリオット少年が自転車で月を横切る場面はこの作品を象徴する名場面であり、スピルバーグの映画会社アンブリン・エンターテイメントのロゴマークにもなった。後で知ったことなのだがこの映画史に残るファンタジックなシーンはディズニーの「ピーターパン」へのオマージュであった。「ピーターパン」にはフック船長の海賊船が月を横切る場面があるのである。だから「E.T.」本編にも母親が娘に「ピーターパン」の一節を朗読する場面があるのだろう。
「E.T.」が公開された当時はまだCDが登場しておらず、サントラもLPだった。この映画を気に入ったマイケル・ジャクソンがナレーターを務める本編を(台詞・効果音付きで)ダイジェストでまとめたレコードも発売された。この頃スピルバーグはマイケルを主演に「ピーターパン」のミュージカル映画化を企画し、ジョン・ウイリアムズは数曲作曲したという。しかし結局それは実現せず、後にスピルバーグはおじさんになったピーターパンを主人公に映画「フック」を撮る。ジョン・ウイリアムズはミュージカル「ピーターパン」の為に書いた曲を「フック」に流用したそうだ。
劇中、エリオット少年がE.T.にスター・ウォーズのキャラクター人形を紹介する場面がある。また、ハロウィンの日にヨーダが登場し、親近感を抱いたE.T.が近づこうとするほほ笑ましい場面もある(ここでウイリアムズはちゃんとヨーダのテーマを挿入する)。おそらくこれに対する返礼なのだろう、「スター・ウォーズ エピソードI」ではアミダラ姫がバローラム最高議長の不信任案を提出する元老院の場面でE.T.が特別出演している。スピルバーグとルーカスの厚い友情を伺わせるエピソードと言えるだろう。
「E.T.」は映画が公開された年、米アカデミー賞で作品賞・監督賞でノミネートされるも、立派な題材ではあるが映画的魅力に欠ける愚鈍な「ガンジー」に敗れることとなる。ある映画評論家は「アカデミー会員はオスカーとノーベル平和賞を取り違えているのではないか?」と書いた。どちらが真の傑作であったのかは歴史が証明している。スピルバーグはこの後、「シンドラーのリスト」と「プライベート・ライアン」でアカデミー監督賞を受賞するのだが、僕は「E.T.」でこそ彼に受賞してほしかった。日本ではベルナルド・ベルトリッチの「1900年」を抑えて、「E.T.」が見事キネマ旬報の(評論家選出、読者選出共に)ベスト・ワンに輝いた。
しかし、この頃のドリュー・バリモアは可愛かったなあ。特にあの叫びっぷり!こんなおしゃまな少女が後にドラッグに溺れたり、2度の離婚を繰り返すなどと、いったい誰が想像しただろう?
ジョン・ウイリアムズは本作の音楽でアカデミー作曲賞を受賞。彼がボストン・ポップス・オーケストラを率いて来日したとき、僕は大学生になっていた。高校時代のブラスバンド部の親友と大阪までそのコンサートを聴きに往った。「E.T.」の音楽が終わった後、その友人が僕の肩をたたいてこう言った。 「隣に座っていた若い女の子が、音楽を聴きながら感極まって涙を流していたよ。」と。 僕らはその日、音楽の持つ偉大なる力について大いに語り合った。この時のコンサートでは、当時まだ映画は公開前だった「ジュラシック・パーク」の音楽もお披露目された。恐らくあれが世界初演だったのではなかろうか?
その友人は30歳の夏、新婚旅行から帰ってきて直ぐに急性骨髄性白血病を発症し、あっという間に亡くなった。アトランタでオリンピックがあった年のことである。トランペットの輝かしいソロのあるそのオリッピック・ファンファーレを作曲したのがジョン・ウイリアムズで、僕はトランペット吹きだった病床の友人にそのCDを送った。
これがこの20年間のささやかな物語である。
2002年05月12日(日) |
<なごり雪>大分で大ヒット!と<千と千尋>DVD特典ってどうよ?の巻 |
報道によると大林宣彦監督が大分県臼杵市で撮った新作「なごり雪」が、全国に先駆けて公開されている大分県で大ヒットしているらしい。映画館は連日満員で、連休中は立ち見客、通路に座って観ている人たちが沢山いたそうだ。映画公開六日目にして観客動員数が一万人を超え、これは大分県内では「千と千尋の神隠し」に匹敵する大記録とのこと。臼杵市長も既に三回「なごり雪」を鑑賞され、号泣されたという。「なごり雪」公式サイトの掲示板に寄せられた大分県民のメッセージを読んでいるだけで胸に熱いものが込み上げてくる。これだけ地元の人々から愛され、その旅立ちを祝福される映画というのは非常に幸福であるとしみじみ想う。願わくば大分のこの熱気が全国各地へと飛び火していきますよう。それこそが従来の大都市一辺倒の文化的在り方からから、地方復権への第一歩となるであろうから。 クリック!「なごり雪」公式サイトクリック! 臼杵市長のメッセージクリック!大分合同新聞の記事より ところで5/10より「千と千尋」のDVD予約受付が始まった。しかし笑ったのが先着特典が<ハクのおにぎりフィギュア>だって(^^;。もしかして悪い冗談?宮崎駿監督が実際ににぎったおにぎりの形を再現したものだそうだ。こんなの欲しい人いるの??どうせなら湯婆婆のフィギュアとかハクのフィギュアとかの方が価値があると想うのだけれど・・・ところが5/11の時点で予約が殺到して先着特典が終了している店が殆どのようだ。通常版が4700円なのに対し一万枚限定のスペシャル・エディション(おにぎりフィギュアも勿論付いている)が15000円というのも高いなあ(ちなみに「ハリー・ポッターと賢者の石 」DVDスペシャルBOXは9800円である)。 しかし、こちらも色々インターネット・ショップを調べたが軒並み完売の様である(^^;。恐るべし、千と千尋。それにしても貴方は<おにぎりフィギュア>、欲しいですか(^^;?
2002年05月08日(水) |
退屈な<アザーズ>より、断然クレヨンしんちゃん。 |
昨年公開され、雑誌「映画秘宝」で見事に年間ベスト・ワンに選出された「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は確かにとてつもない傑作であり、「どうせ子供向けのアニメでしょ。」と食わず嫌いでしたり顔をするオトナたちへ強烈なカウンター・パンチを鮮やかに放った。先日テレビ放送され、このエンピツでも多くの人が取り上げて好評を博したのは記憶に新しい。「オトナ帝国の逆襲」がキネマ旬報のベスト・テンに選出されなかったのは単に投票した映画評論家が無知で、この映画を観ていなかっただけの事に過ぎない。それは、まだ宮崎駿が名を馳せていなかった頃、不朽の名作「ルパン3世 カリオストロの城」がキネ旬で無視されたのと全く同様の現象であり、歴史の過ちは何度でも繰り返されるのである。僕はこの映画を絶賛することに全くやぶさかではないのだが、一方で1970年代を懐古し、あの時代への回帰を希求するそのノスタルジイに、「こんな作品を子どもたち向けに製作しても良いのだろうか?しんちゃんを狂言回しに脇にやって、自分の語りたい世界を自在に描くという方法論は、一寸ずるくないか?」と疑問に想ったのも確かである。
先日5月5日の子どもの日に、小学生たちで満員の映画館でシリーズ最新作「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」を観てきた。いやはや正しく天晴れ!またまた日本映画の名作の出現に快哉を叫びたい。これは「オトナ帝国の逆襲」を超える完成度。今度は本格時代劇である。細部のリアリティに長け、作者のこだわりが真っ直ぐに伝わってきた。スケール感も過不足ない。大人のノスタルジイは今回影をひそめ、ギャグも冴えて子供たちも大いに沸いていた。くっきりとしたヒロインの造型が鮮やかであり、まるで澄んだ青空のような爽やかな雰囲気が物語り全体に満ち溢れている。「カリオストロの城」の名台詞じゃないけれど、"なんて気持ちの良い連中だろう"。最後は不覚にもホロリと泣かされた。練りに練られたプロットの勝利であろう。「裏切り御免」という、黒澤映画「隠し砦の三悪人」からの台詞の引用もあり、大人の観客に対する目配りにも抜かりがない。クレヨンしんちゃんはアドレナリン、もとい、侮れない^^;)。残念なことに上映は5/10までだそうだ。さあ、映画館へ急げ!
一方、同じ日に観た話題作「アザーズ」には期待が大きかっただけに全くもって失望した。おすぎは「サイコ」を超えるスリラーの傑作、なんて絶賛しているがトンデモない。20世紀の偉大な遺産であるヒッチコック作品と比較してこの映画を論じるなんてナンセンスである。天国のヒッチが嘆くよ。それだけの作家性を僕はこの監督に感じない。むしろこの映画はロバート・ワイズ監督のゴシック・ホラーの名作「たたり」の模倣品としか想えない。僕は光と影のコントラストがより鮮やかという点に関しては文句なく「たたり」の方に軍配を上げたい。
(以下ネタバレあり。これからご覧になられる方は読まれないことをお勧めする。)
大体、シックス・センス並みの仕掛けがあると聞いて身構えていたら、何だ、結局アイディアはシックス・センスと全く同じ。だって自分が幽霊になったことに気が付かない主人公の話でしょ?しょーもない。こんな二番煎じ、途中で分かっちゃうよ。思わせ振りに延々と引っ張るほどのネタじゃないだろう。脚本・監督のアルハンドロ・アメナーバルはこのシナリオを「シックス・センス」が公開される前から温めていたと語っているそうだが、そんなみっともない言い訳するなよ。映画作家は完成した作品が全て。それのみで評価されて当然である。作品そのもので勝負しろよ。それに、死者が写っている写真のアイディアはキューブリックの「シャイニング」から拝借しているというのも明らかだし、この映画のどこに独自性があるの?全くもって時間の無駄だった。(「アザーズ」「たたり」「シャイニング」、この三者に共通しているのは<真の主人公は館そのもの>ということである。)
しかし、新進気鋭の世界的映画監督の作品よりも圧倒的にクレヨンしんちゃんの方が見応えがあるのだから、映画って本当に不思議なものだなぁ。しみじみ・・・
2002年05月03日(金) |
カウント・ダウン!<エピソードII> +@ |
「スター・ウォーズ/エピソードII クローンの攻撃」の日本公開が7月13日に迫っている。アメリカではいよいよ5月16日からだ。カウント・ダウンは日々刻まれている。そして遂にジョン・ウイリアムズ作曲のサウンド・トラック盤が日本では5月9日に発売される。今回のジャケットは4種類。これは北米版の「ロード・オブ・ザ・リング」のサントラがジャケット違いで6種類出た事への対抗だろう。ちなみに「ロード…」の日本版は1種類しか出なかった筈だ。貴方ならどれを選ぶ?僕は既に心の内で、ジャンゴ・フェットのジャケットに決めている。当然、熱狂的なファンは4種類全部購入することだろう。
4種類のジャケットを見たいならこちらをクリック! 札幌のタワー・レコードで「エピソードII」の輸入盤が視聴できたので、早速聴いてみた。今回の目玉は新しい愛のテーマ(ACROSS THE STARSというタイトルが一時期付いていた)である。しかし残念なことに、これが今ひとつ魅力に乏しいんだなぁ。他にめぼしい新テーマがないのも少々失望した。「エピソードI」の合唱による<運命の闘い>みたいなインパクトの強い曲が欲しかった。「エピソードI」の<アナキンのテーマ>も無調でありながら大変美しい曲で印象に残ったのだが…。ただ今回の「エピソードII」を聴きながら、終曲近くに<ダース・ベーダーのマーチ>が全面的に高鳴るので、「そうか、遂に今回アナキン青年はダーク・サイドに引きずり込まれる運命なんだなあ。」という感慨を覚えた。
「スター・ウォーズ」シリーズは<スペース・オペラ>と呼ばれるが、まさにジョン・ウイリアムズの作曲姿勢はオペラに対するもの、そのものである。ハリウッド映画音楽の創始者、エリック・W・コルンゴルド(「シー・ホーク」「ロビン・フッドの冒険」)は嘗てウイーンで有名なオペラ作曲家であった。しかしユダヤ人であった彼はナチスの台頭を契機にアメリカに亡命し、ワーグナーが楽劇で生み出した<ライト・モティーフ>の手法をハリウッド映画音楽に導入した。それが今日<〜のテーマ>と呼ばれているものである。そしてジョン・ウイリアムズはそのコルンゴルドの正当なる唯一無二の継承者として現在ハリウッドに君臨している。僕は彼の最高傑作は「スター・ウォーズ/エピソードV 帝国の逆襲」だと信じて疑わない。あれは魅力的な新曲が次々と出てきた。<ダース・ベーダーのマーチ><ヨーダのテーマ><ハンとレイア>…。特に愛のテーマに当たる<ハンとレイア>には目眩く官能があり、僕は今回の新テーマよりもはるかに好きである。
まあ、「エピソードII」の音楽については些かマンネリの感も否めないのだが(^^;、ジョン・ウイリアムズにはスピルバーグ監督の新作「マイノリティ・レポート」と「ハリー・ポッター」の2作目の音楽に期待するということで(笑)。
思い起こせばジョン・ウイリアムズの音楽と出会ったのは小学生の時、FMで流れているのを聴いた「スター・ウォーズ/エピソードIV」である。1978年頃のことだ。あの熱く鳴り響く旋律に燃えてから最早四半世紀が経とうとしている。僕もSWシリーズと共に長い旅をしてきたものだなぁ。
追伸:昨日、「キューティ・ブロンド」を観た。他愛もないサクセス・ストーリーなのだが何とも心がウキウキする愛すべき小品。三谷幸喜氏の台本による傑作ミュージカル「オケピ!」に<ポジティブ・シンキング・マン>という底抜けに愉しい曲があるのだが(川平慈英さんが好演)、「キューティ・ブロンド」はそういう何時も前向きな考え方のヒロインを想わず応援したくなる映画である。「アメリ」のキャッチ・コピー、「幸せになる」をそのまま流用したいような雰囲気がある。若い女の子達に絶大な支持があるのも納得がいく。たまにはこういう映画も良い。兎に角リーズ・ウィザースプーンの魅力に尽きる。決してニコール・キッドマンみたいな<絶世の美女>系ではないのだが、何ともその表情豊かな笑顔が魅力的、とってもキュートなのである。彼女が身に着けるファッションも文句なく可愛い。これはまあ、騙されたと想って(^^;観て下さい。上映時間も1時間36分と短いので、お気楽な気持ちで是非。
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