東京の片隅から
目次|きのう|あした
子どもの強い要望でイモリを飼い始めた。 最初はウーパールーパーのことばかり言っていて、夏休みの自由研究もウーパールーパーでやったのでてっきりそれを飼いたいのかと思っていたのだけど、本命はイモリだったらしい。 増えると困るのでオス2匹。 名前はイモくんとモリくんになった。(安直・・・) 水の中でのんびりしているイモくん、陸が大好きで隙あらば脱走を試みるモリくん。既に個性の違いが見られる。 こういうのに興味を持つなら中学受験した方が彼女のためになると思ったんだけど、何度説明しても気が乗らないようなので、諦めた。
職場の自己評価の季節がやってきた。意味がないとは思わないが、事務方にとっては非常にやりにくい。営業や製造のように数値化できるものがあるわけではない。いいよ勝手に評価してよ、と思うのだが、そうもいかないのである。これを書くことに頭を悩ませる時間があったら、他の仕事をしたい。
冬のオリンピックの選手選考の話題が出てくるようになってきた。 早すぎないかと思いつつも、でももうそんな時期か、とも思う。 一年延期されたせいで夏から冬への期間が短い。でもそういえば昔は夏と冬同じ年に開催していたんだよな。まさに「オリンピックイヤー」だったわけだ。 それを考えると、話題が途切れないように夏と冬を違う年でやるこのは、商売として上手いやり方なんだろう。
今の家に引っ越したときに買い換えたテレビが壊れたので買い直した。 今度のテレビのリモコンにはアナログ/デジタルの切り替えボタンがない。新しいなぁ(笑) しかし去年から冷蔵庫やら洗濯機やら、買った時期はまちまちだけどなぜか立て続けに寿命が来てる。 エアコンあたりもそろそろ覚悟しないといけないかもしれない。
最近、季節変わり時期の歌番組も、どの局も大体同じメンバーだなと思う。 今売れている人を呼ぶ+事務所やレーベルが売り出したい新人を押し込む、という構図なんだろうけど、どれを見ても同じとなると、最初の1つだけ見てあとはスルーするかたち。最近はそれも通り越して最初の1つも見なくなった。 自分が好きな人はもうベテランに入ったので呼ばれないし、最近はミュージックステーションも企画コーナーが長くて生歌が減った。一番バラエティに富んでいるのがNHKの「うたコン」というのがなんとも。 もっと局毎に違っていてもいいと思うんだけどね。大人の事情とやらがあるんだろうな、と思う。
3歳くらいの子どもを連れたお母さんとエレベーターで一緒になる。 子どもが私が同乗するのに気づき、母親に「まっくちょうだい」と言う。 まだマスクしなくてもいい年頃だけど、大人用のマスク(当然ぶかぶか)を耳にかけてご機嫌だった。 マスクをするのはちょっとお兄さん的なイメージがあるのかな。 それにしても人混みでマスクをするというのが小さい子にとっても常識になった、ということにこの数年の長さを感じる。物心ついたときにはもうみんなマスクをしていたもんなぁ。
令和というのは良くも悪くも昭和の残滓を一掃する時代になるんじゃないか、と考えている。でもそれでいのだ。あの理不尽な空気は、私たちが墓場へ持って行く。そうしなければならないと思う。
今年はあまりいい生栗を見かけず、今年の秋は栗ご飯は見送りかと思っていたら、実家近くのスーパーマーケットで発見。いろいろ下準備が面倒くさくて売れないから、仕入れないか、仕入れてもちょっとだけなんだろうなぁ。父の実家のほうはそういうマメな人がまだいるのあろう。栗ご飯にして、少し実家へも持って行く。父は餅米は胸焼けするらしいので、ちょっとだけではある。
いつも猫がいる場所で、今日もいつもどおり猫が溶けている
中島みゆきの「悪女」がふとしたときに頭の中を流れるときがある。 今とずいぶん違うな、というのは「土曜でなけりゃ映画も早い ホテルのロビーもいつまでもいられるわけじゃない」というところか。 そう、平日は映画はだいたい19時が最終だった。いまはレイトショーもあるし、漫画喫茶もあるし、夜を明かす手段には困らない。 コロナで飲食店こそ早じまいするようになったが、チェーンのカフェなら夜も開いている。女性一人で入っていてもどうこう言われる時代じゃない。 普遍的な歌だけど、そういうところでふっと時代を感じることがある。
職場の近所に保育園があるので、通勤中に登園・降園中の親子連れに良く出会う。そのせいか、子どもの「落とし物」がときどき落ちている。靴下、靴、ジャンパー、ハンドタオル等々。この前は自転車用ヘルメットだった。現場が工事現場の前だったらしく、作業員の人がカラーコーンにかぶせてよく見えるようにしてくれ、工事終了後は植え込みの上に置いてある。目立つ色だ。ヘルメットなんて安くないものだし、それを全然探しに来ないってどういうことだろう、金持ちだな(笑)と思っている。
電車で隣に座った男性、とてもタバコ臭い。 最近は喫煙率も下がってるし電子たばこの人も増えたからそこまで強烈なヤニ臭を放つ人はなかなかいない。路上喫煙条例も施行されたから、吸い殻が道に落ちていることも少ない。 まだたばこ吸ってる人がいるんだ、という感想。もう何を着ても、着なくても、身体にたばこの匂いが染みついてるんだろうなぁ。
街で見かけた女性。大きいチェック模様のスカート。ああ秋だねぇ、と思ったのだが、脇で柄が全く合っていないことに気づく。ずれちゃったとかそういうレベルじゃなく、もう最初から合わせる気がないレベル。チェックの格子が小さければ気づかないんだけど、大きい上にコントラストの強い色柄だったので、嫌が応にも目立つ。 自分で作ったのならむしろ柄合わせに気を遣うだろう。どこかのファストファッションブランドなんだろうけど、服の作り手としての矜恃はないのか。ただ布を縫って形にすればいいと思ってるんだろうなぁ。
学校からの連絡。 9月の保護者会は中止。秋の運動会は形を変えて開催、学習発表会も何らかの形で実施、延期された移動教室は日程短縮で今のところ決行する方向。いずれも今後の感染状況で変更の可能性はあり。
気象庁の長期予報を見てラニーニャ現象の動向と学校の行事予定を睨みながら今シーズンのスキー場の宿泊予約をする。例年通りの風景。
オリンピックパラリンピックの後はSDGSらしい。学校でやたらSDGSについて勉強が始まったらしく、パンフレットをもらってきた。変わり身早いなぁおい。 いろいろ勉強した結果、最近我が家の小学生は「地球にとって一番優しいのは人間が絶滅することではないだろうか」と言い出した(笑)。 うん、お母さんも君と同じくらいの年の頃はそう考えていたよ。
手紙を書くとき出すとき、相手や季節によって封筒や便箋の色柄を選んだり、切手を選んだりするのが結構楽しい、と会社で言ったら、私より女子力が高そうな(少なくとも外見は私よりうんと女子力が高い)総務のお姉さん方に「それはない」と言われた。そういうのは少女趣味と言うよりもヲタク傾向に昨今は分類されるらしい。
石川宗生「半分世界」読了。 気分がもやもやしているので、そういうときはSFを読んでもっともやもやするに限る。 翻訳SFっぽい文体。中南米っぽい不条理で暴力的な不思議な感覚。後味が何だかもやもやする。読み終わった後もざらざらした感覚が残る。
北野勇作「100文字SF」読了。 ツイッターで発表したものをまとめたもの。既発表分はもっと大量にあるらしく、その中から厳選したもののようだ。 たかが100文字、されど100文字。さすがにショートショートほどの起承転結はないけど、ちゃんとストーリーになっている。 何度も出てくるモチーフがあったりして、作者の人がこのモチーフの原風景の何かに引っかかるんだろうなとにやりとさせられたりする。
ツイッターの140文字って、言いたいことを言い切るのには微妙な文字数で、脊髄反射で呟くなら140文字でも十分なんだけど、筋道立てて述べるには足りない。連続ツイートという手段もあるけど、句読点の位置、助詞助動詞の置き方等々、結構吟味するときもある。 この100文字も練りに練った100文字なんだろうなぁ。
人は自分が見てきたものしか見えない。 前々からうすうす思っていたけど、人によって「サブカル」の定義が違いすぎないか。
子ども向けのSNS教室ですら「あなたのその発言は家のドアに貼って社会のみんなに見せても大丈夫ですか?」と教えているのに、肝心の大人がそれを全然理解していない、ということをこの夏強く感じている。 匿名だからだろうという話もあるが、どこかの国で実名制にしても何も変わらなかったらしいので、結局その人の品性の問題。
車椅子テニスの国枝選手のスポンサー報奨金の件。 いつの大会だったか、その会社が支援している健常者テニスと国枝選手が同時優勝したときがあった。そのとき、国枝選手の報奨金が健常者の選手の半額だったと報道されて以来ずっともやもやしていた。実績的には同じかむしろ上なのに、障害者だから半額でいいよね、的な匂いを感じていた。今回同額で素直に良かったなぁと思える。
子どもの移動教室は延期になった。どうなることやら。やる場合でも、年度後半に学校を詰め込むわけで、当初予定の2泊3日とはいかないだろうが、なんとかなにがしかのかたちでできるといいなぁと思う。昨年度は日帰りで行ったらしい。宿泊予定の施設に入ったものの、施設見学だけだったらしく、それはむしろ残念感を増すだけなのではないかと思うのだが(苦笑)せめてもの、という先生の心遣いではある。
1週間延長された夏休みが明け、今日から小学校はオンライン授業。 初日なので使い方のチュートリアルと夏休みの報告など、ホームルームだけで様子見。 テレワーク前に朝礼を横で見ていたがなかなかのカオスっぷりで、高学年ですらこれなんだから低学年はもっと難しいだろうなぁと・・・。 親が付いていないとログインもままならないだろうし、低学年だったら登校を選ぶな・・・。先生は大変だ・・・。
たまには何もしない日があってもいいのだけど(そしてそれを宣言すれば許容される家族ではあるけれど)、でも結局のところ、「今日は何もしない日」であって「誰かが代わりにやってくれる日」ではないので、結局のところ翌日以降にしわ寄せが来るだけなのであった。
朝ドラ主人公の彼氏?のお医者さん、スペック的にも人間的にも申し分ない人なんだけど、あれはドラマだからいいんで、リアルだと大変だったな・・・とかつてあんな感じの人とつきあったことがある人間がつぶやいてみる。 いい人なんだけど、どこか踏み込めなくて、こっちが気を遣いすぎて一緒にいても心が安まらなかった・・・。向こうからの好意を感じるだけに余計しんどかった・・・。
このところわりと見る時間が多くて、いろいろ考えさせられることもあったので、しばらく朝ドラの話題を続けます。
「おかえりモネ」のアンチコメントで主人公を「コネ」と揶揄する人がいる。そういうひとは妹ミチに肩入れしている。いましがらみから抜け出せない人にとってはミチが「わたし」であり、モネは「理想」であるとともにそうあれないが故の憎悪の対象になるのだろうと思う。 しかし、よく考えよう。 ミチも、勤務先は水産試験場という地方公務員である。地方公務員は民間以上に採用にコネというかツテがきく世界だ。自分の就職活動の時に「内部に関係者がいる場合はその名前を書く」欄があったりしたな・・・。高校の成績が良かったのは大前提だが、採用側から言えば、サラリーマンの子どもより「永浦水産のお孫さん」の方を採用するのは自明の理で、本人が意識していないところでバックボーンが有利に働いた可能性はゼロじゃない。というかむしろ筆記試験突破者リストに地元養殖業者の孫がいたら真っ先に採用するよね。 それを考えるとミチの「おねえちゃんはずるい」はちょっと的外れだ。
幼なじみたちの集合場面。 社会人組、地元組、学生組でそれぞれ顔立ち雰囲気が異なっていて、役者さんたちは若いのにみんな上手だなぁと思う。 りょーちんみーちゃんの「大人になっていない感」が際立つ感じが上手い。 働いてるんだけど親と一緒にいるから「子ども」の顔をしている。学生組とはまた違う雰囲気。この雰囲気の違いで、それぞれの立場意見のずれが際立つ。
テレワークの日のお昼休みなど、飛び飛びにしか朝ドラを見ていないのだが、主人公の妹「みーちゃん」がいつも主人公とその幼なじみのグループに混ざっているのが気になる。 いくら主人公の幼なじみが好きだからと言って、いつも当然のように一緒に混ざっているのはあまり理解できない。の近いきょうだいがいる者の実感として、常に弟妹が金魚の糞のようにくっついてくるのって兄姉の立場ではあまり楽しくないと思うんだけど、それ以上に「そばにいる」ことが重要なのか。モネも友だちも許容しているのが心が広いと思う。島という小さなコミュニティだからこそなのだろうか。 でも、いつも一緒にいても結局のところ仲間ではなく「おみそ」なんだよなぁ。 彼女に同学年の友達はいないのだろうか。こういう子こそ、地元に残るんじゃなくて、敢えて一度「外」に出ないといけないんじゃないだろうかと思う。
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