東京の片隅から
目次|きのう|あした
なんとか年度末に辿り着いた。まだあとで何かあるかもしれないけど、一段落。
子どもが朝ドラのダメ親父とウルフルズのご機嫌なヴォーカルがつながらなくて頭が???になっている。
懐かしのダイヤル黒電話を目にしたが、子どもはかけ方がわからなかった。そうだよな、おばあちゃんちで見たみたいな子も今どきほとんどいないだろう。公共施設などではまだピンクの電話を見かけることもあるけど、ほとんど使わない。そもそも自分でも最後にダイヤルを回したのはいつだっただろうか。実家を出てから触っていないかもしれない。子どもが小学校で「公衆電話のかけ方」のプリントをもらってきたときもなかなかの衝撃だったのだが、緑の電話だって今はボタン式だ。 星新一が過去のショートショートに手を入れ続けていたという話を見たことがある。電話で言えば「ダイヤルを回す」だと通じなくなってきたので「電話をかける」という表現に直す、そんな感じ。時代性を排除して寄り普遍的な話にする意図があったのだろう。 そのうち「たばこに火をつける」とか「キーを回して車のエンジンをかける」とかも死語ならぬ死表現になるんだろうなぁ。うちの軽自動車はまだハンドルを回して窓を開けるけど。
入場無料券をもらったので、キッザニアに行ってきた。 要するに子ども向け職業体験テーマパークなんだけど、ごっこ遊びや社会科見学としてよくできているな ぁという感じ。内容は全体的に低学年向けである。紙幣のようなチケットがあり、チケットを払って参加するタイプとお仕事報酬としてチケットがもらえるものとがある。人気があるのはチケットを払って何かを作るタイプのもの。使い切れなかったチケットは内部の「銀行」で預金もできる。 建物内部の構造が複雑で目当てのブースまで迷ったり、人気があるものはすぐ整理券がなくなってしまってなかなかとれない。そして、あまり先の時間まで整理券がとれないようなシステムになっている。これは何度も来ることになるわけだ・・・。 飲食系のブースが人気だったのだが、なぜだろうと考えたら、作ったものをおやつや食事代わりにできるからなのであった。なるほど。 子どもはピザ屋は家でやったことがあるから、ハンバーガーショップは具を乗せるだけだから興味なし、ベーカリーのクロワッサン作りは参加した。クロワッサンは家で作れるのかと聞かれたので、世の中には冷凍生地があるはずで、それを入手すれば作れるはず(パイシートでもできないことはないが)と答える。 子どもが妙に興味を示したのはヤマト急便。いつも見ているからだろうか。
なんだかんだいいつつも時間ギリギリまで滞在。 ずっと屋内で、時々空の色が変わったりするのがお台場のヴィーナスフォートを思い出させる。そういう情報過多気味の閉鎖空間はなかなかしんどかった。
子どもがキューブのキャラメルを牛乳に溶かすとキャラメル・ラテになるのか試してみていた。 キャラメルを数個コップに入れ、少しのお湯を足して電子レンジへ。だいたい溶けた後牛乳を足してさらにレンジへ。 できあがったものは色こそキャラメル・ラテだったが、味は「薄い」とのこと。カフェのキャラメル・ラテはどのくらいシロップが入ってるんだろうか。カロリーは考えちゃいけない。
学校は春休みに入った。普段なら旅行の荷物を抱えたりディズニーランド帰りの人を見て「お休み」を実感するのだが、このご時世出かける親子連れも少ないので、あまり実感がない。春期講習に行く子どもと遭遇するのが唯一の実感みたいな感じ。
日常に追われて、なかなか日記まで手が回らない。ものを考える時間がないのである。メモを書いていても、後でこれが何のメモだったか忘れてしまう始末。 週記や月記くらいに頻度を落としてまとめて書いた方がいいだろうか。
近所の公園の整備が終わって、芝生広場が開放されている。
最初は何も制限がなかった。 コロナ禍での休校期間にサッカースクールが子どもを集め始めたのと中高生のサッカー部が「自主練」でサッカーし始めたので「ボール蹴り禁止」になった。 その次はロングリードでの犬の散歩と放し飼いが禁止になった。
サッカーは普段こどもたちが何人かで楽しくパス回ししたり幼児が親とボール蹴りするくらいだったら問題にならない。スクールが公園を占拠するのは、グラウンドを正規の方法で借りてない「ただ乗り」だし、そしてスクールの送り迎えの親が公園周囲で路駐するのも問題。駐車場で待たないのは駐車料金をケチっているからか。そして中高生のサッカー部のボールが他の人に当たったら単純に危ないし、集まるのが感染の危険性を増すので部活中止しているのにわざわざ学校のユニホームを着て集まることが頭悪い。学校に通報されたら一発アウトだ。 犬のロングリードはそもそも危ないので全国的に禁止して欲しいし、放し飼いしたいなら同じ公園内にドッグランがあるのでそっちへ行けばいい。狂犬病予防接種証明を提示して公園事務所で会員証を作る必要はあるけど登録料は無料だし、ドッグランは24時間開いてる。
自分たちのことしか考えないからかえって禁止事項が増えて自分の首を絞めてるんじゃないだろうか。
次のターゲットはスケートボードかな。今も幹線道路に近いゾーンで夜練習している学生はいる。今みたいに住宅地から遠いところでただ乗っているだけならたぶん見逃されるけど、あれこれ持ち込んでゴミの片付けをしないとか、住宅地に近い側で騒音をたてて滑り始めたり縁石や手すりを壊すようになると禁止されるだろうなぁ。
今年度最初で最後の保護者会。私はPTA関連で学校をうろうろしていたので担任の先生とは接点があったが、そうでもなければたぶん全然顔を合わせなかったんだろうなぁと思う。先生の話しぶりから、年度末で異動かな、という雰囲気。 4月にクラス替えがあるので、今日は来年度の役員決めはなし。日程が変更されたこと、役員決めがないことから出席者も少なく、あっさり終了した。 最後に先生にご挨拶でも、と思ったが、話のある親御さんが他にもいるようなので黙礼だけで辞去する。
なんだかこのところ競馬関連の単語がツイッタートレンドによく上がってるなぁと思っていたのだが、どうもスマホゲームの影響らしい。 牝馬も牡馬もみんな「娘」になってしまうのが解せないのだが、競馬ゲームの主な顧客が男性である以上、擬人化する場合は女性型のほうが受けがいいのだろう。 しかしよく権利関係クリアしたなぁと感心。個人蔵もあるとはいえ基本は団体所蔵が多い日本刀や現存していないものも多い艦船とは違い、基本的には個人所有で、競走馬は生き物だ。
コロナ2度目の春。桜が咲いても気持ちが浮き立たない。 普段3月〜4月初めだけ使う木蓮柄?のストールがあるのだが、今年はここまで出すのを忘れていた。そのくらいいろいろなことに鈍くなっている。 実家に顔を出すので引っ張り出して巻いてみる。
2021年03月20日(土) |
「霧のむこうに住みたい」 |
須賀敦子「霧のむこうに住みたい」読了。 生前あちこちに書いたエッセイを集めたもの。 弱者へのまなざしが暖かくも冷静。 四半世紀前に行ったイタリアの風景を思い出しながら読む。 しかし途中で頭の中の風景がアンゲロプロスになってしまい、脳内の私から「国が違う」と突っ込む。
今日のシラスにはタツノオトシゴがいた。 スマホで撮影した後子どもが食べたが「ごそごそしていた」とのこと。まぁそうだよね。 撮影した画像は先生に見せるのだと言うので印刷して持たせた。学校で自慢したらしい。
演出チームを辞任した「広告の神様」とやらが手がけたお仕事一覧を見てみたが、ゼロから作り上げた仕事というより既存のネタに乗っかったものが多くて、二次創作は得意だけどオリジナルが書けない同人屋みたいな感じだった。
自分も覚えがあるが、二次創作がどんなに面白くても、やはり元のキャラクターなり設定なりの強さがあってこそだから、自分の実力じゃない。二次創作をやるとゼロから創作する人のすごさを実感する。
今回の演出チームの騒動の一件は、「新しいものを生み出せる人」への妬み嫉みもあるんだろうなぁ。
オリンピックの開会式・閉会式チームが急に変わったことによるドタバタ。 1年延期になったのにチームの契約は延長しないらしい。 スケジュールの都合もあるのだろうけど、あれか、成果物だけできれば後はブレーンは用済みか。手柄をちゃっかりかすめ取るつもりだったのか。 しかしこういうのは「人」について動くものだから当然上手くいくわけなく、プランも振り出しに。おまけに週刊誌に当初プランのリーク記事が出る騒ぎになり、あげくに女性芸人の体型を揶揄するコメントが出て責任者の辞任騒ぎになってしまった。 人の外見に対してあれこれいうのはセクハラだしパワハラだしそれ以前に下品で失礼だと、彼は親に教わらなかったのか。言いたくない言葉だが「お里が知れる」。 「昔はよくあったけど問題にならなかった」いや昔から問題になってたよ。嫌な思いをしていた人は多いのに「ネタにされるうちが花」とか言ってうやむやにしていたじゃん。 これに限らず、テレビで男女問わず芸人さんの外見を揶揄したりするシーンは見ていて嫌になる。 コントのようにきっちり「場」があるなら演出かもしれないと思うけど、ロケ先などで素だか芸だかわからない状況の場合は、自分からネタにしている場合でも見ていて痛々しい。もうそういう時代じゃないんだよ、と思う。
私の担当業務も佳境。年度末の締め切りから逆算すると今週中がピークらしい。そのあとは少なくなるが、逆に無茶なねじ込みがでるときもあるとのこと。やめて。 今のところ、在宅の日はPC作業をまとめてやって、出社の日は印刷や紙の確認作業をやる、という方式にしている。業務内容上、どうしてもペーパーレスにはならないので、これは仕方ない。 社内はテレワークすら出来ない部署もある。そしてそこはうちの業務と直結しているので、こちらがテレワークしているのは面白くなかろうと思う。テレワークできるだけ有り難い。
卒業式帰りらしい学生を見かける季節だが、例年よりもうんと少ない。高校はともかく、大学は大規模な式を開催しないのかもしれない。やってもリモートとか。卒業証書をバラバラにもらいに行くだけとなると袴姿にはなかなかならないだろう。 学部学科ごとの小規模なものでいいから、区切りとしての「卒業式」は開催できるといいだろうなと思う。
コロナで旅行がままならないからか、スーパーマーケットやコンビニで地方銘菓や駅弁を目にすることが増えた。あとちょっといいお菓子。せめてもの旅行気分なのだろうけど、有名なものはそれで売れるけど、小さいところはなかなか厳しいだろうな、と思う。こういうところにもじわじわ影響が出るんだろうな。 コロナが終わるころには団塊世代も後期高齢者だ。コロナ前のように旅行に出歩く人も減ってくるだろう。お土産屋さんとか製造業者とかごっそり減ってしまうんだろうなと思う。
PTAの引き継ぎマニュアル作成も佳境。新しいパソコンも届いて、一通りセットアップ。各種アカウントも取得した。普段使うことはないだろうけどグーグルのアカウントを作ったので、グーグルドライブにバックアップも取れる。 学校のLAN環境がまだ整っていないこと、そもそもPTAのパソコンをつないでいいものか学校に確認が取れないので、ウインドウズアップデートの時は家に持ち帰ることを想定手、ノートパソコンに。学校側にできればウインドウズアップデートの時だけでもつなげられれば助かることを伝えた。盗難防止のワイヤーとキーも併せて買った。ワイヤーをつなぐフックの接着に失敗して斜めになってしまったのが悔やまれる・・・。とほほ。
ちょっと前に、駅のコンコースに座り込む男性がいて、具合が悪いのだろうか駅員を呼んだ方がいいだろうかと遠目で思ったのだが、次第に見えてきたのが彼の前に置いてある空き缶。 我が目を疑う。子どもの頃、新宿のガード下で見た風景だった。
彼がそこにいたのはその日だけで、翌日にはもう姿がなかった。何かの罰ゲームであって欲しいと思うが、その日そこにいたのは確かに事実で、ものすごい衝撃を受けた。
今は21世紀だ。日本はそこまで戻ってしまったのか。彼がいた場所を通るたび、今夜は屋根の下で眠れているのだろうかとしばらく思う日々が続いている。
あの日から10年。 あのときは育児休業が終わりかけで、保育園も無事決まって、そろそろ入園準備と職場復帰準備をしなきゃなぁと呑気に構えていた。 あのときからずいぶんいろいろなことがかわってしまったように感じる。
目下一番胃が痛いのは子どもの勉強のこと。考えると夜も眠れなくなる。当人とまーさんがぐうぐう寝ているのが余計腹が立って眠れない。 勉強についてあれこれ言うが、実際に勉強を見ているのは私なので、結局悩んでいるのは私だけなのか。 悩み損と思いつつも、やっぱり胃がいたいものは胃が痛いのである。しばらくご無沙汰だった胃薬とまたすっかり旧交を温めている。 女性の平均寿命は男性よりも長いことになっているが、私の場合は育児ストレスで確実に縮んでいると思う。長生きできる気がしない。学校の勉強に苦労しないだけでずいぶん育児はイージーモードになるんだな、と思う。
子どもが松本隆作詞の歌を聴いて「意味がわからないところがある」と。 そもそも小学生だから語彙力が追いついていないところもあるけど、「星降る夜」的な比喩表現がわからないらしい。 今のところ読んでいるのは子ども向けのお話かライトノベルをぼちぼち、児童文学にやっと手が届き始めたかなというところなので、文学的表現にも慣れていないんだろうなぁと思う。 いろいろな本を〔時には背伸びして〕読むと言葉の引き出しが増える、そうするといろいろな歌の意味もわかるようになるよ、と説明したが、理解できたかどうか。
もう曲を聴くのは配信が主体、歌詞カードを読むなんて子とはよほどコアなファン以外にないだろう。そうなるとマスへのヒットを狙うならより簡単な直接的な言葉になっていくのではないかと思う。今でもアイドルはそういう傾向にある。 そう考えると、松本隆のすごさを感じる。トップアイドルにあの歌詞を歌わせてヒットチャートの上位にいたというのはすごい。
2021年03月08日(月) |
リサイクルできません |
会社のリサイクルボックスに「FAX用紙はリサイクルできないので入れないで下さい」というステッカーが貼ってある。 このリサイクルボックスは入社して程なく導入されたものだからもうかれこれ20年くらいは現役だろうか。ステッカーは当初から貼られている。 今の若い子たちはこの「FAX用紙がリサイクルできない」意味がわかるのだろうか。 要するに感熱紙はリサイクルできない、ということなのだが、FAXが複合機に置き換えられ普通紙で印刷できるようになって久しい。最後に感熱紙のロールを交換したのはいつだ?
マスク生活で口が隠れているから、爪を囓る癖がどうにかならないかと思っていたのだけど、在宅で水仕事が増えたこと、手洗い消毒の繰り返しでささくれが増殖したことなどで、いくら保湿しても結局手はカサカサだし、爪はすぐ割れる。むしろ事態が悪化したような気がする。
ペパーバーグ「アレックスと私」読了。 ハードカバーででたときに読み損ねてそのままになっていたが、ハヤカワから文庫化された。ノンフィクションシリーズで、「ソロモンの指輪」から始まっている。納得のラインナップ。 「天才ヨウムアレックス」のことはどこかで知っていた。ディスカバリーチャンネルだったかもしれない。 著者とアレックス(とその他のヨウム)の日々がエッセイとして綴られるのだが、根気強い学習実験に脱帽。そして研究費を獲得するため書類を提出し、研究を続けるための場を求めて全米の大学や研究機関を点々とするその境遇に、任期付き研究者の友人たちを思い出して胃が痛くなる。 これまでにないジャンルの研究だと教員の枠がなかったのもあるだろうし、当時の大学はまだ男性社会だから、女性研究者である著者は採用を後回しにされがちだっただろうし、それにあちらはキリスト教世界、人と動物の境界が曖昧になることに対する感情的な忌避感もあっただろう。 本の冒頭にアレックスの生前の写真が何枚も載っているのだが、真面目な顔をしているときと、何か悪いことを考えていそうなときの顔つきが全然違うのが、元インコ飼いとして笑える。鳥は結構感情が顔に出るし、自己主張のある生き物だ。
子どもよ、普通のお母さんは箱一杯に刺繍糸を盛っていたりアンモナイトの化石が引き出しに入っていたりしないし、普通のお父さんは家のデッキでスキー板にホットワックスかけたりしません。
また一つ歳を取った。といってもあまり変わりない日々だ。50になるといろいろ違うのかな。
寺田寅彦「柿の種」読了。 中学受験の日曜テストで「団栗」を読んだのが寺田との出会いだ。それにしても「団栗」は衝撃的だった。問題文を解いた後も何度も暗記するほど読み返し、問題文は後で処分してしまったので作者名を探すのに往生し、そのうちきょうだいが同じ問題を解き始めたので作者名が再確認でき、以来、折に触れ読み返すときがある。 理系の人らしき冷静な嗜好と漱石門下らしい余計なことをぐるぐる考えてしまう感じ(笑)ニヤニヤしながら読む。この人は近くにいると絶対面白いはず・・・。短文の中にちょいちょい顔を出す「お父さん感」が微笑ましいのであった。
義父が東北出身なので、酒を飲むと「東北出身者は虐げられてきた、アテルイも坂上田村麻呂にやられた」などと言い出すのだが、自身も含めて今東北に住んでいるのは、その虐げた側のヤマトの子孫なのではないだろうか、と思いながら聞き流している。本当に昔から住んでいた人たち(アイヌになるのか)から言わせるとまさに「お前が言うな」案件。 義母は義父の食事マナーやこういう語りが嫌いなので夕食はともにしない。(してくれ)
しかしどうしてあの世代の人は「うちの地元は○○の殿様が××から来て云々」とか好きなのだろうか。節でもなければ上の人間が勝手に入れ替わっているだけでこっちには関係のない話だと思うのだが、故郷にそれほど思い入れのない私はわからない。所詮我々は先祖をどこまで辿っても馬の骨ですよ。
子どもの服の好みが、このところ地味な方に傾いている。 暖色系より寒色系、リボンやフリルや大きなプリントは恥ずかしいから却下、膝上丈のスカートやショートパンツも嫌、パンツでもストレッチタイプは苦手、レギンスはもってのほか、等々。保育園の時に動きやすい恰好をさせていたからか。身体にフィットするものが苦手で少しゆるめが好き、かつ、素材感にもいろいろ好みがある、となると、通販だと難しく、実店舗が望ましい。何でもいいよと言いつつ親が買ってくると結局着ないこともあるので、出かけられる距離。 そうなると、身長が伸びたこともあって西松屋はそろそろ卒業、しまむらは近い店舗は小規模で好みのものが見つけにくい、自転車で行かれるショッピングモールに入っている小学生女子向けのファンシーでカラフルな服は「何か違う」。結局、同じショッピングモールに入っているGUユニクロになっちゃうんだよなぁ。無印も悪くないらしいんだけど今ちょうどサイズがないところ。(女性Sなら着られるかも) まぁこういうのはなるようにしかならん。
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