東京の片隅から
目次|きのう|あした
ストレスがアルコール摂取に向かう傾向。良くない。昨日開封した日本酒の四合瓶と夏前から飲んでいる梅酒のパックが空いたら、しばらく禁酒しよう。
ストレス源はもっぱら家族。結婚して出産しておいてどうかと思うんだけど、やはり自分は結婚・出産に向いていないのだと思う。他人との同居が苦しい。
スケートカナダを見る。 先週のアメリカと打って変わって衣装がデコラティブ。そういや羽生とトゥクタミシェワがシンプルで来るはずがなかった。
Eテレ「クラシカロイド」を見ている。最初はクラシック音楽系のアニメかと思ったら性別変更?している人はいるし魔法少女よろしく変身するしロボットが出てくるし餃子を焼いているし、かなりカオスなアニメであった。モーツァルトの小学生男子感はよく出ていると思う。
ところで、最近文豪やら画家やら実在の人物をモチーフにした(と言うか名前をそのまま流用した)キャラクターで全然別物のアニメやゲームやマンガが多いのだが、大丈夫なんですかね。そもそもそれを言ったら時代小説なんかはすべてアウトなんだけど。 西洋古典あたりだと子孫がもういなかったり古すぎて時効だったりすると思うのだけど、近代日本の文豪あたりだと本人の存命中を知る孫あたりがまだ生きていたりするわけで、そういうところ、ちゃんと根回ししているのかちょっと心配になった。
2016年10月28日(金) |
志村ふくみ・鈴木其一・速水御舟 |
今日も懲りずに美術館のハシゴ。 朝イチで世田谷美術館の志村ふくみ展へ後期展示を見に行ってきた。この前はガラガラだったのだけど、今日は会期末だったからか、それなりに混雑。 着物のマダムも2〜3人来ていて、みんな地味目の紬・絣なのが面白かった。 しかし何度見ても作品のパワーがすごい。軽く流すつもりがかなりやられた。
そのあと、サントリー美術館の鈴木其一展。こちらはかなり混んでた。と言っても鳥獣戯画や伊藤若冲を経験しているとどんな美術展もガラガラに感じる(爆) 場所柄?外国人観光客もちらほら。 いかにも琳派な豪華な屏風もあるんだけど、シンプルな水墨画もあって、画題と作品の幅が広いなぁと。そこらへんは富裕層から注文を受けて制作する琳派ならではなのかもしれない。 で、こっちにも着物のマダムがいたのだけど、こっちは染めの着物なのが面白かった。染めの縞という洒落た選択は江戸琳派にあわせたのかも。 ところでサントリー美術館って、当日券買うと全展覧会共通チケットなのね。ピクチャーチケットが良かったなぁ。そういうところちょっとケチ臭いなぁ・・・美術館持ってるのに美術が好きな人の気持ちがわからないんだろうなぁ・・・とチケット取っとく派の自分は思うのであった。いや前売り買えばいいんだけどさ、行けるかどうかギリギリまでわからないし前売り券を売っている場所を通勤途中に通らないのよ。
で、勢い余ってそのまま広尾の山種美術館まで30分くらい歩いて速水御舟展。 兜町時代の山種で見た記憶があって、帰宅してからチケットスクラップを見たら1994年らしい。(直近の単独展は行かなかった模様)とは言ってもあちこちで見るからあまり久しぶりな感じもない。 植物画や静物画はこちらが絶望するほどの美しさ、写実なのだけど、それに比べると人物や動物はちょっと愛嬌があるというか微妙というか(笑)、得手不得手があったのかな、と素人目にも感じる。 江戸琳派を見てきたあとに彼の屏風絵を見ると、やはり琳派の影響というか、敢えて琳派風に描いたんだろうなぁと思われて、でも琳派そのものではないのだな、と言うのも感じられて面白かった。
週刊誌でレコード大賞買収の見出しが出ていたが、正直なところ、何を今更である。 あれはそもそも金で買うものなんじゃないですかね。もともと音楽番組というかテレビ番組そのものが本人の実力じゃなくて事務所の実力で出演が決まる世界なんじゃないですかね。ファンも知ってて応援するのが大前提なんじゃなかったんですかね。
ところで、この報道が出ても、年末にテレビで放送するんですかね。
「○○くんのお母さんはクセモノ感がある」とまーさんに言ったら、「おまえがいうか」と返ってきた。解せぬ。
本棚の整理をしていて、萩尾望都全集を並べて「もう全集という形態は流行らないのだろうな」と思う。 萩尾望都全集は1期と2期があって、私が大学に入ったとき、入学祝いのお金で中野のまんだらけでセット買いした。 あの頃は他にも山岸凉子や竹宮恵子などの全集も刊行されていた記憶がある。 でも、これは出版社と著者が専属契約を結んでいて、一社で完結できていた時代の話。 今はどの作家もいろいろな雑誌・出版社に描くし、全集を出して売る・買うほどの熱意が出版社にも読者にもないのだろうし、全集そのものが時代遅れのシステムなのかもしれない。 でも吉野朔実の全集は出版して欲しいなぁと・・・超初期作以外たぶん全部持ってるけど。
ところでKindleが「マンガバージョン」なるものを日本で発売したらしいが、単に容量が大きいだけらしい。いや、需要があるのは紙の本のように二つ折りで左右に画面があるスタイルだと思うよ? 少年漫画特有の両面見開き一コマのアクションシーンとか、やっぱり電子媒体でも見開きで見たいじゃないですか。 その分重くなってもいいんじゃないのかなぁ。電子書籍って、持ち歩けることよりも、家の中での収納場所を減らせるという所に最大のメリットがあると思うんだよね。特にジャンプ系のマンガは際限なく続くから収納場所に困るし。
フィギュアスケートのシーズンが始まって、グランプリシリーズ第一戦スケートアメリカ。 男子・女子とも、まだシーズン初めてエンジンが温まっていないのか、転倒や細かなミスが続出する、何となく低調な試合だった。 それでも男子は4回転複数が当たり前だし、安全策をとるよりも一か八かで4回転を跳んで基礎点を稼ぐという方向性なのかなぁと。 女子は男子ほどの技術革新はない。結果的に取りこぼしが少ない選手が勝った印象。 衣装はシンプル化。北米大会だからなのか、歌詞入りの曲が許可されてオペラやバレエの曲の使用が減ったからなのか。女子に一時多かった肌色の多い衣装(もちろん肌色の布で覆われてはいるんだけど)も減って、素材もチュールからレースに流行が移った印象。
この前の鳥取の地震で、投入堂周辺にもだいぶ被害が出たらしい。大山も火山だし三朝にせよ羽合にせよ玉造にせよあの辺は温泉だらけ。要するに地震がいつあってもおかしくないのだが、今回の被害はかなり大きいらしい。 あの拝観道(登山道というかもはや崖。鎖場とかある)にも損傷があるとのこと。当分入山は難しそう。 これから寒くなるから入山者は減るだろうけど、それでも投入堂と一連の建造物は必見。 今後なんとか無事に拝観できるルートが維持できるといいなと思う。
沖縄での機動隊員による差別語問題。 20代の彼らは「差別語だと知らなかった」と釈明している。 あの言葉は死語と化して久しい。普段の生活ではまず目にしない、使わない言葉だ。とっさに出てくる言葉ではない。 そんなことばが普通に口から出るということ。 それは、彼の家庭、両親、先生、職場での上司、同僚が、日常的にその言葉を使っているということだ。 彼の年代では既に死語であっても、その上の年代は死語になった過程を知っているわけで、それにもかかわらず普通に使っている、そういう人間が彼の周囲では一般的である、そのことも問題なのではないか、と思う。 特に彼の所属が大阪府であったこと。沖縄出身者や朝鮮半島出身者が多い地域であるにもかかわらず、そういう人間が普通に育ち、言葉遣いをたしなめる大人も周囲にいない、言っていい言葉と口に出してはいけない言葉があることを文脈から感じ取れない、リミッターが掛からず口から出てしまう、そこに問題の根深さを感じる。
2016年10月21日(金) |
現実は小説より奇なり |
気がついたら、ウォシャウスキー兄弟が、ウォシャウスキー姉妹になっていた。
史上最低の討論会だったかもしれないが、ひょっとしたら「ロスノフスキ家の娘」がいよいよ現実になるのかもしれない、と考えるとなかなか感慨深い。
土曜日にチケット販売がサーバーパンクで?大混乱になった東京国際映画祭。 販売トラブルに該当者を対象とした再販売が今日の昼からだったのだが、案の定、またトラブったらしい。 手数料ケチって自前で不十分なシステム構築して自爆するより、素直に販売委託すればいいのに。 もういっそ「角川映画祭」に名前を変えたらどうだろうか。 「国際映画祭」の名前が泣くよ?
悪夢ほどではないが嫌な夢を見て飛び起きること数日。いろいろ疲れているらしい。今週か来週か、一日休みを取って切り替えよう。 休みを取っても、結局美術館のハシゴで走りまわるのだけど、心のリセットにはなる。
金木犀の香りが街に漂う。季節は先月だったはず、と思ったが、よく見ると確かに咲いている。二度咲きか。花の数が少ないので9月よりは淡い匂い。
子どもが一輪車の練習をしたいというので、貸し出してくれる公園まで出かける。 良い天気で、公園には子どもが溢れている。 普段はすぐ借りられる一輪車も今日は貸し出し中で、少し待つ。 1時間ほど練習。
上空を自衛隊のヘリコプターの編隊が飛んでいく。漠然とした不安に駆られるのは、あの轟音のせいか。
羽根布団を出した。一日干して、カバーを掛ける。
アゲハたちは、今日も5匹。と思っていたら6匹だった。
保育園生活最後の運動会。写真撮影係も頼まれたので、応援もそこそこにひたすら写真を撮る。連写モードで撮ったので撮影枚数が怖い。
東京国際映画祭のチケットが今日から発売だったのだが、子どもの運動会に出ている間に「クーリンチェ少年殺人事件」デジタルリマスター版は完売したらしい。もっともチケット販売自体ぐだぐだで阿鼻叫喚だったとのこと。 映画は来年角川シネマで公開らしいので、一般公開を待とう。四半世紀ぶりの公開。前回(日本最終上映)のときは有楽町再開発前のシネ・ラ・セットで、かつ、フィルムが途中で中断するという状況だったのだが、デジタル化されたので今度こそちゃんと見られるか。問題は40を超えた自分に4時間の映画を見る体力気力が残っているかだ。
日が落ちるのが早くなった。 帰宅するとすっかり夜。 洗濯物を取り込んでいると、かすかな物音。 ぷち。ぷち。ぷち。ぷち。ぷち。 アゲハの幼虫が蜜柑の葉を食べる音だ。 蜜柑の葉は分厚いので、噛み切るときに強い音が出るのだろう。ツマグロヒョウモンたちがスミレの葉を食べているときにはもっと軽やかな音がする。 洗濯物を取り込みながら、ぷち、ぷち、ぷち、ぷち、という規則正しい音を聞く。
ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞で、ホフディランにお祝いメッセージが来ているという話。当然彼らのファンなら確信犯な訳で、ちょっと可笑しい。 いや、ホフもいいバンドですよ。これに便乗してでも知名度が上がるといいなと思うのは、マイナーアーティストファンを長く続けている人間の性か。
運動会の過去データを見返していて、ここ5年ほど同じ服で参加していることに気づいた。 無印良品のボーダーTシャツとデニムの組み合わせ。デニムは代替わりしているが、デニムであることには変わりない。ううむ。 だって、休みの日に着る長袖のカットソーまたはTシャツ、これともう1着しかないんだよ。(ちなみにもう1着も無印良品で、これももう15年は着ている。)だから3連休になると詰む。 さすがに買い足そうと思ってもう何年も探してはいるけど、なぜかハードルが高く、巡り会えない。なぜだ。私は普通の服が着たいだけだ。薄地過ぎず生地に適度な厚みがあって、洗濯に耐える、この際綿100%じゃなくてもいい。それだけのことなのに。
2016年10月11日(火) |
午前3時のレッド・マーキー |
ブンブンサテライツ・川島さんの訃報を聞く。初夏にブンブンサテライツの活動終了宣言を聞いたときから覚悟はしていた。
生で見たのは2回だったと思う。確かフジの深夜のレッド・マーキーと、ロックインジャパンのレイクステージ。 もともと妹がファンで音源は聴いていたが、生で見た彼らはとにかく音も姿も格好いいとしか言いようがなくて、圧倒された。どちらのステージでも、あっという間に嵐のような音の渦に飲み込まれて、気づいたらステージが終わっていて呆然とする、そんな感じ。
中野さんの静かな呟きを見ながら、もう新曲は聴けないのだな、と思う。そこはかとない寂寥感。
今年はそんな話が多い気がする。
天候が思わしくなかった紺連休、最終日だけ晴れる。朝から洗濯三昧。さすが晴れの特異日である。
舎人公園でイヴェントがあったので、朝イチで出かける。 普段なら業者の飲食ブースが出店しているのだが、今回はそれもほとんどなくこじんまりとしている。連休中あちこちでイヴェントがあるから難しいのか。境川部屋が「優勝記念セール」と銘打って普段より割引しているのが微笑ましい。 警視庁騎馬警察による乗馬体験があって、去年は抽選に外れたのだが、今年は先着順だったので、無事整理券を入手。1分程度だったが子どもは念願の白馬に乗れてご機嫌。 親子連れが少なめだったのは運動会順延組が少なからずいたのだろうと推測。
昼には飽きたので帰宅。午後は本棚の整理。
前回の東京オリンピックの開会式の日だからか、関連番組をやっている。4年後に東京でまた開催されるのだけど、本当に必要なのかな、という懐疑的な気持ちは、まだ拭えない。
土砂降りの中、まーさんと子どもは地域センターのお祭りへ行き、私はファミレスで卒園アルバムの打合せ。 メールで進捗状況をみんなに連絡しているつもりだったが、意外と伝わっていないことが判明。もうちょっとちゃんと連絡せねば。 個人ページのことは、実際に案を見てもらって原寸大でOKという話になったので、作業用のページと説明用の資料を作る作業に入ることになる。そろそろエンジンを掛けねば。
打合せが終わって店を出たら、雨が上がっていた。まーさんと子どもと合流し、久しぶりにマクドナルドで昼食。セットでサイドメニューを選べるようになっていたのを知らず、3人ともうっかりポテトを選んでしまい、トレイの上にポテトの山ができる。今度から考えよう。
本棚補強用の木片が余ったので子どもとアクリル絵の具で色塗り。 木目に沿って淡々と縞模様を塗り、反対側の面には節から同心円状に輪を塗ってみた。 完成形を見たまーさんが「奥さんの暗黒面を見た」と言う。 えええ何も考えてないけど(困惑) 自分の中ではごく自然な配色・デザインだったのだが(混色が面倒くさかったので若干派手ではある)、普通の人はこういう色塗りはしないのだろうか。
今年に入って伝えられた「クーリンチェ(牯嶺街)少年殺人事件」のまさかのデジタルリマスター。版権の行方が曰く付きになっていた映画、どこをどうやって版権をクリアしたのか。その謎は謎のまま、東京フィルメックスで上映、来年には一般上映されるらしい。 1回きりの上映は11/3。休日か・・・。上映時間の長さを考えるといたしかたないのだけど、休日に家を空けるのはなかなかハードルが高い。でも見たいな・・・相談してみよう・・・。
新しい本棚は文庫本に特化しているらしく、スクラップブックや音楽雑誌の入るスペースがない。 これを機に処分するかと思い本棚の脇に積み始めたのだが、だんだん気が滅入ってきた。 これは捨てると鬱的になるパターンだと気づき、何とか捨てない方法を模索中。
捨てるというのは自分の心を削るという行為で、自分は本に関してはつくづく断捨離できない人間だと思った。
よくマスコミに出ている断捨離の人たちって趣味とかないんだろうなぁ。潔いと言えばそれまでだけど、何かに本当に打ち込んだことってあるんだろうか。ちょっと不思議。
庭のミカンの木にアゲハの幼虫が付いた。今年の最終組だろう。 ざっと見た感じ、ナミアゲハが3匹、ナガサキアゲハが1匹、クロアゲハが1匹。 結構地色も模様も違うもんだなぁ、と観察しながら思う。 全部もう終齢だから無事蛹化できるといいのだが。 このペースだと蛹で冬越しかな。
バカはやっぱりバカだった。懲りないなぁ。 一度目は倫理面はともかく、いい年した大人同士の話だったけど、今回は未成年絡み。 学校卒業しているとは言え未成年と半同棲、飲酒は、「大人」としてダメでしょ。 まぁ、問題が顕在化している人間と今さらつきあおうと思う女の子も考えなしだと思う。 自分の駆け出しの芸能人生を棒に振ってもいいと思ったのか。 どちらも何も考えてないんだろうなぁ。
ところで彼氏、もういい大人だからどうこう言うのも違うのかもしれないけど、親御さんはどういう育て方をしてきたのかなぁというのは疑問としてある。 あの大学に入るくらいだから学校の成績はそれなりに良かったはずで(地味な大学だけど国立だからね)、九州で長男だったらたぶんちやほや野放しだったのかもなぁ。
アニメ・漫画系の女の子のイラストにおいて、ある種の定型として、足を内股というかO脚に描くパターンがあるのだが、最近急にあの足の描画表現を気持ち悪いと感じるようになった。 理由はまだ自分でもわからない。 これについては「なぜ」「そう」思ったのか、しばらく自分の中で考えることになりそう。
新型インプレッサのCMでドリカムの「LOVE LOVE LOVE」が流れている。 いくつかヴァージョンはあるようだが、一番よく見かけるのは、あの印象的なイントロから「ねぇ どうして」のところでCMが終わってしまうパターン。 最初に見たとき「〜ねぇ どうして」でCMが終わった瞬間、まーさんと二人して「それはこっちの台詞だよ!」「どうしてそこで終わるんだよ!」と突っ込んだのだが、同じ思いの人は他にもいると信じたい。
東日本大震災をきっかけに壊れた本棚を買い換えた。 「きっかけに」というのは変な言い回しなのだが、事実である。 天井までの本棚だったので棚そのものは倒壊しなかったのだが、揺れにより枠板がねじれ、載せた本の重量でビス穴が壊れて棚板が落ち、かろうじて本棚の形を保っていたのがここ1〜2年。 ついに買い換えるに至ったのであった。 昔の図書館や古本屋にあるようなスチール本棚も候補(しかもかなり有力)に挙がっていたのだが、結局はまた合板製の本棚になった。ただし今度はもうちょっと強度がある。 しかし文庫本をメインに想定されているため、手持ちの変なサイズの本(特に美術系)やアルバム、映画パンフレットなどは収納できない。これは別途考える必要がある。 もう絶対読まない本やスクラップはこれを機に処分することも考える。音楽雑誌などもそろそろ見切りをつけるときだろうか。
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