東京の片隅から
目次|きのう|あした
朝からあちこちへ振込み、日常の買い物、中国語学校の口座変更(平日の昼間は通えなくなったので夜に変更)エトセトラ、あれこれ動く。 帰宅して衣替え。夏物から冬物に替えるとタンスの容量が足らない(苦笑)服は増えてないんだけどなぁ。その前に手持ちのスカートが入るようにしなければ・・・。古い服もそろそろ処分しようかな。
阪神って本当に強くなったんだなぁ(笑)以前だったらホームで巨人戦でM1、その状況でプレッシャー負けするよね。
一日家で洗濯と掃除。仕事に復帰したらそれどころではないからのんびりしている暇はない。というか、のんびりしないほうが精神的にはいいのかも。 買い貯めておいたCDを聴く。山崎まさよしのベスト盤2枚、ミスチルの新譜。
午後、斎場へ。身内だけで済ませる。通夜も告別式もなし。お経は上げてもらった。 骨もほとんど残らない。一番小さい骨壺でもすかすか。ジャムの瓶でもたぶん余裕だろう。
坊さんが入る、ということは、坊さんに限らないけど、故人を知らない第三者があの場にいることが一番重要なんじゃないか、と思った。
なんだかぽっかりなにかが欠けたような感じ。でも今日は昨日ほど苦しくはない。
朝、近所の葬儀屋へ。こどもの葬式はほとんど経験がないが(そういう意味では病院の近所で頼んだ方が良かったかもしれない)、きちんと話を聞いて、アドバイスをくれる。そのまま手配を依頼する。 午後、こどもを迎えに行く。やれることはすべてやったのだ、と自分を納得させようとするが、それでも何かほかに手はなかったのか、と思う。混乱している。 こどもを斎場まで送っていった後、有楽町の無印良品へ。こどもの洋服やおもちゃを買いそろえる。今自分たちにできることをしなければならない。チャンスは今日だけ。
泣いたので頭が重く、胃が痛い。
朝、病院へ。良くない。蘇生剤を投与するも、効果は一時的。心拍数も呼吸も血圧もどんどん下がっていく。治療終了を決断する。 13:35、死亡。生後135日。2240g。 今日は病院で預かってもらう。 双方の両親に電話。帰宅後、今後のことについて話し合う。
江戸東京博物館の特別展「美しき日本−大正・昭和の旅」のチケットをもらったので見に行く。途中で携帯電話が鳴る。病院からだ。急いで病院へ。あまり具合は良くない。いったん帰宅。
一日中家でうだうだ。 昨日までは佐島に釣りに行こうと思っていたのだが、台風が近づいてきているので中止にする。さっき釣り船屋のHPを見たら船は出たらしい。 代わりに洗濯して昼間から風呂に入って国勢調査を記入して一日が終わった。
今日は朝ちゃんと起きて映画を見に行った。昨日敗退した「チャーリーとチョコレート工場」へ。初回だからさすがに座れたが、終わって場内が明るくなったらかなり座席が埋まっていて驚いた。まーさんの感想は「全体的に間延びしていてもっとテンポがあった方が良かった」だそうだ。まぁ、ティム・バートンだし、彼なりのこだわりの世界を感じる雰囲気映画だからね。原作があるから普段のバートンのブラックな感じは薄かったと思う。 昼食を「アカシア」で摂る。いつも頼むのはロールキャベツシチュー。次はほかの物を頼もう、といつも思うのだが、店に入るといつも同じ物を頼んでいる(苦笑)。頼むとすぐに出てくるしボリュームも程良いし値段も安いし私はわりと好きなのだが、ゆっくりしたい人、相席がいやな人には駄目かもしれない。 午後、病院へ。目の検査。とりあえず前回までの治療で急激な進行はいまのところ治まっている。が、いつ再発するかはわからない。しばらく慎重な治療が進む。 夜、結婚して初めてコロッケを作った。普段は冷凍食品をあげるだけですませている。久しぶりのコロッケは、鍋の中で爆発してしまった。がっくり。勘がすっかり鈍っているらしい。
午後から新宿へ。いろいろ買い物をして、さあ映画を見ようと思ったら、「今からですとお立ち見です」と言われてしまい、やむなく撤収。今日はレディースデイだし、見ようと思ったのは興行収入1位の「チャーリーとチョコレート工場」だし、当たり前といえばそれまでなのだが、やはりがっくり。何しに新宿に行ったのかよくわからない。
熱海から湯河原、箱根へ抜ける。空はすっかり曇り空で、山道を上がっていくとさらに霧が出てきてしまった。せっかくだからロープウェイに乗って大涌谷で温泉卵を食べる。周りは中国語やハングル。確かに火山は少ないから珍しいかもなぁ。別府でもそうだったし。 ススキ野原を抜けて小田原に出、病院に寄って帰った。 子供の主担当の先生は9月一杯で転勤になるそうだ。
朝、車で出発。特に混雑もなく、沼津に10時過ぎ到着。富久屋を覗くと、午後なら何本かありますよ、とのこと。予約してまた来ることとする。 そのまま国道1号を走る。天気がいい。海はきれいだが、富士山が見えないのが少し残念。清水で東海大学の水族館を見学し、メカ魚を見る。エスパルスの練習場が近くにあるのだが、見物客がたかっていた。「人工芝なので禁煙」という張り紙が当たり前のことなのだが微妙。天然芝でも禁煙が当たり前だろうが。 エスパルスドリームプラザ内のすし横町で回転寿司を食す。ネタが大きくて美味しいのだが、シメサバがなかったのがちょっと残念。 その後また沼津へ戻り、無事ロールケーキをゲット。店内ロールケーキだらけなのだが、これが全部予約分。どんなんだ。 柿田川についた頃にはすっかり日も傾いてきてしまい、一番の目当てが一番滞在時間が短いという事態に(笑)。柿田川は水底から水がどんどん湧いている。砂が巻き上がっていて、ずっと見ていると吸い込まれそう。水際まで降りられなかったのが残念だが、降りられないからあの水質が保たれているのだと納得する。三島にはほかにも池があったのだが、時間がなかった。今度ゆっくり来よう。っていつ来られるんだろうか。 宿に着いたのは夕食ぎりぎり。花火は屋上から見た。古いホテルらしいが、最近改装したらしく、部屋もお風呂もきれいで清潔。こんなに広くなくてもいいや、っていうくらい広い。鳥人間コンテストを見ながら寝てしまった。
朝、Sさんから電話。「昨日釣った魚、持っていくから」そうだった。昨日は釣り部の日だったのだ。まーさんは行かなかったが、天気もいいし、よく釣れたらしい。そのお裾分け。アジ(ノドグロ?)9匹とハナダイ5匹をもらう。 うれしいんだけど、ちょっと困った。明日あさってと近場をうろうろしようか、なんて話をしていて、伊豆くらいの距離だったら万が一病院から電話があってもすぐ戻れるし、ということで、旅行の予定を入れていたのだ(爆)。アジは今日食べない分は開いて干物にし、ハナダイはワタだけ出して冷凍庫へ。あとで鯛飯にでもすればいい。 夕方、病院へ行って、子供の顔を見る。とりあえず安息香酸ナトリウムが効いているよう。アンモニア値が200まで下がってきた。ミルクを中断すると体内のほかの場所から無理矢理栄養を持ってこようとする場合があって、その場合にもアンモニア値が上がる場合があるそうで、ミルクはなるべく中断しないでいくそうだ。ステロイドも効いていて、腹部の腫れがちょっと引いている。本人は手をぶんぶん振り回してなにやら自己主張していたが、チューブが入っているので声は聞こえないのであった。聞こえたらすごかろう・・・。
明日あさってと清水、沼津、熱海とぶらぶらしてきます。 まーさんの目的:東海大学海洋学部のメカ魚、柿田川湧水(←水があれば必ず覗き込む習性あり) 私の目的:なんとなくぶらぶら&なんか美味しいもの食べたい&できれば温泉 というわけで、清水でメカ魚見て寿司食べてあわよくば沼津の富久屋でロールケーキを買って熱海で温泉入ってきます。なんか花火もあるそうで、お宿がちょっと高くなってましたが、1泊だし。
久しぶりに牛肉を食べた。我が家ではほとんど牛肉を食べない。挽肉(合い挽き)は豚肉onlyより安いから買っているので、そういう意味では食べているといえなくもないのだが、ブロックとしては食べていない。理由は単純。鶏や豚の方が美味しいと思うからだ。 しかし今日は魚屋に心そそられるものがなかったのだ。鰹は昨日おとといと食べたし、サンマや鰺や鯖もパンチに欠けた。スーパーに行ってみたが、あまり気が乗らず、いっそ普段食べないものを食べようとノリで選んでみた。 食べた感想は、「これで来年まで食べなくてすむな・・・」だった。食べれば美味しいと思うのだが、私にとってはやはりしょっちゅう食べる味ではないようだ。
午後、中国語学校へ。日記に書いて退路を断つ宣言後、ちゃんと行動してます。今日は授業見学。久しぶりの中国語に頭真っ白、背中は冷や汗だらだら。途中から完全お客様状態。でもかといって「もう二度と行くか」ではなく「また行こうかな」と思ったのは教室のアットホームな雰囲気からだろう。大丈夫。語学は苦手だけど、嫌いではない。たぶん。 でも6070のじいちゃんばあちゃんがばりばり予習して電子辞書片手に授業参加している。脱帽。 「卒業してから『学生時代もっと勉強しておけば良かった』と思うんだよ」といろいろな人に言われるが、本当にそう思う。4年間もとって出席率だけは良かったくせに、あまり勉強しなかった。ちょっとでも取り返せたらいいかなと思う。
夕方から病院へ。子供の眼科検診。連休明けにまた検査して、治療。アンモニア値が上昇したので安息香酸ナトリウムという内服薬を使用したい旨伝えられる。承諾。子供に関しては、わからないことだらけだ。超未熟児についてはそもそものサンプル数が少ないんだろうし、体調も予測と違う方向に変化する。医者の予想以上に生命力は強いらしく、それに賭けている。目を開きっぱなしの診察・治療の後でも「おなかがすいたからごはんくれ」と主張するのはちょっと心強い。
着物が気になってつい見てしまった「女系家族」(笑)、最終回後半の三姉妹の語りは余分ですな。もっとざっくり切って捨てるような終わり方でも良かったんじゃないかと思う。後味悪いけど(笑)。 本来原作では昭和30年代後半の大阪船場の太物(木綿)問屋。女系家族で婿養子をとるって、子供の資質に関係なく家業を存続させるには非常に有効だと思うのだが、一族のみで経営していくのは現状もう無理だよね。堤家の例もあるし。ただ、関西弁のえげつなさとか、昭和40年代から着物関連産業のどんどん斜陽になっていく行く末とか、そういう「空気」が現代の東京に翻案したことで薄まってしまったのが微妙。あーでも本当に関西弁でやったら怖すぎて見られないかも(爆)
エレベータの中で同じマンションの住民と顔を合わせる。 「暑いですね」「うんざりですね」というのが合い言葉。 そんな言葉を交わせるのもあとちょっと。 空はもう高い。風も強い。
朝から気が重い。ジムに行く気もあまり起きなかったのだが、こういうときは行って体を動かした方がいい。プールはやめてジムだけで軽く体を動かす。
辺見庸「もの食う人々」読了。以前から読もう読もうと思っていて手つかずだったのだが、病院最寄り駅のブックオフで文庫版を発見、購入。切り口がおもしろい。著者の私的な面が強く出ているので、好き嫌いはあるかもしれない。自分は何度も読むだろうと思う。
夜、まーさんが病院に行ってくれた。子供は元気だったそうだ。とりあえず治療が続けられるのは安心要素。
午後、まーさんと待ち合わせて病院に行く。子供の治療に関する説明である。未熟児網膜症を発症していて、その治療が必要になっている。何もしなければほぼ失明するし、治療してもどこまで治癒するかはわからない。検査と治療に耐えられる体力もまだ疑問。しかし、時間の猶予はない。承諾書にサインする。 1時間待つ。とりあえずこの日できる治療はしたとのこと。まだ何日かおきに眼球にレーザー光を撃っていかなければならない。体力も耐えられそうなので、治療の継続をお願いする。 今後1〜2箇月がヤマだ。神様はいないと思いつつ、祈る。
2005年09月11日(日) |
アウトドア・インドア |
朝まじめに起きる。せっかくだから、とスーパーの朝市に出かけるが、目当てのミネラルウォーターは売り切れ。ついでに何店か廻ってこまごまと購入。ついでに選挙に行く。衆議院の小選挙区と比例代表と最高裁の信任投票。比例代表のだけ縦二つ折りの折り目が最初からついていた。まーさんは気づかなかったらしい。 午後はパソコンの立ち上げ。Mac 10.4 Tigerとその他諸々のソフトをインストール。なんだかんだで夜までかかってしまった。途中、外では雷雨。外が白く見えるほど雨が降った。 safaliとmacメールをちょっと立ち上げたが、まだなじめない。このままカスタマイズして使うか、それともIEやOEをダウンロードするか、考え中。
いつもどおり病院へ。 起きているが、機嫌が悪い。痰が詰まっていて、なかなか取れないらしい。先生も加わって、気管の洗浄。少し楽になればいいのだが。 主担当の先生が居なかったので、昨日あったはずのカンファレンスの結果は聞けず。私ひとりだと聞き漏らすことも多いので、出来れば二人で居るときに聞きたかったのだが、仕方ない。月曜日にまた眼の検査をするとのこと。
今日は私が体調不良。とにかく眠い。NICUは気温湿度とも一定なので、子供を見ながら自分も寝てしまいそうになる。
選挙は最終日だが、選挙カーは見なかった。まだ誰に投票するかは決めていない。鉛筆を持つその瞬間まで迷うのだろうと思う。
日中学院の公開講座に出席した。 初心者経験者半々ぐらいの中、いきなり発音練習から。2時間の授業の中かなりのスピードで進行した。実際にはもうちょっとゆっくり進行するらしい。久しぶりの発音練習、かなり忘れている。 講座終了後、先生に相談。大学時代4年間履修していたとはいえ10年ブランクがあること、最低3ヶ月最高6ヶ月しか通えないことを伝えたら、会話中心の講座がいいのではないかという話になった。来週見学できるだろうか。
カタログギフトの商品選びに迷っている。 もともとは去年まーさんの従姉妹の結婚式でお義母さんが貰ってきたものだ。(私たちは出席していない。)この前顔を出したときに「選ぶの面倒臭いからあげる」と言われて貰ってきた。 食品から食器から日用品から、いろいろ並んではいるのだが、どれも今ひとつピンとこない。狭い家、これ以上何かあっても・・・と思うとかなり微妙。 でもそろそろ式から1年経つし、何かに決めなきゃなぁ。 個人的には、例え使わない食器でも、「もの」であった方がいいと思う。消えものなら言うことなし(笑)。でもそれは私の友人達のセンスが信頼できるからだ。実際には帰りの荷物が軽いのはありがたいのだろう。
どうもダウナー。 今週初めて泳ぐ。クロールのみで700m。泳法を混ぜて泳ぐよりも距離が稼げるし、時間もかからない。息継ぎ無しでどこまで泳げるかもやってみたが、せいぜい半分くらいが限界だった。 風が強い。プールの端で外に目をやると雲が流れていく。しばらくぼんやり眺める。
日中学院の無料講座に申し込んできた。様子を見て、10月からの講座に申し込むつもり。最大半年しか通えないが、出来る限りはやってみる。
すっかり有名になった高知県早明浦ダム(ATOK14で一発変換で出た)だが、今日の台風で満杯になったらしい。 台風が凄いのか、それともダムが小さいのか。
2005年09月05日(月) |
シカクイ頭をマルクする? |
最近夏の特番だか流行だか知らないが、芸能人が出るクイズ番組がやたら放送されている。それもミニ知識系の。何と例えればいいのかわからないが、とにかく「トリビア」ほど役立たずではないがうっかり披露すると「嫌みな奴」とすれすれになるようなものである。 自然系ドキュメンタリーとかそういうものがない限り、無難なのでそういうものを夫婦してみているのだが、どうも二人とも「覚えても成績向上には決して結びつかないようなミニ知識」を頭に入れるのだけは得意らしく、既にテレビの前は早押し大会。 最初は「なぜそれがわからないんだ」とバカ回答に突っ込みを入れつつ見ていたのだが、最近はなんだか見ていてむかついてきたのでまた見なくなってきた。 しかしなぜ最近そういう番組が湧いてきたのか。芸能人が答えられないのを嗤うためか。しかし一般人の正答率はどのくらいなのか。そもそもなぜ「最近」増えたのか。わからないことだらけであるが、一つ言えるのは「無難」だからであろう。
いよいよMac 9をあきらめる。ヨドバシカメラでMac 10.4 Tigerと、代替ソフトが高いので乗り換えを迷っていたHP作成ソフトはIDforWebLiFEを購入。でもインストールはまた今度。とりあえず今のパソコンの中身を整理しなければ。
爪を囓る癖が再発。指は逆剥けだらけだ。ジムで泳ぐようになって指先がふやけがちというのもあるが、それはいいわけに過ぎないと自分で思う。意志が弱いだけだ。かといって病院に行くためマニキュアを塗るのも気が引ける。結局堂々巡り。一番効果があるのは「お呼ばれ」があることかも(苦笑)
病院に行く。子供は夜中ずっと起きていたらしい。そのせいか眠りっぱなし。看護師さんがエアチューブで鼻水を吸ったときだけ強制的に起こされる。手足がぶるぶるして口がへの字になり涙が出てそれでも苦しくて目が開いてしまう。端から見ているとかなり可笑しい。処置が済んだら楽になったのかまた爆睡。血圧を測るために入れていた針を抜いて、尿カテーテルも外れ、少し見た目がすっきりした。月曜日に体重測定をするそうだ。
土日のNICUは面会客で一杯だ。今いる部屋は比較的普段でも他のお母さんと顔を合わせることが多いが、そもそも他の病院から転院指示が出てこの病院にいる人が多い。特にNICUにいる子供の場合はそうだ。だからあまり知り合いもなく目が合えば会釈するくらい。そんな空気の中看護師さん達は今日もパワフルに子供の世話をしている。ただ医療的な世話をするだけでなく、仕切り用のビニールカーテンや顔に貼るシールにアンパンマンを書いたり、通りすがりの時でも話しかけてくれている。その心遣いに感謝。
ジムに1週間(といってもウィークデイのみ)皆勤。さすがに体が重いかも。 1ヶ月通ったが、体重・サイズに変化はない。負荷が軽すぎるのか。有酸素運動を増やすかなぁ・・・。ただ、スイミングで息が切れにくくなった。それは変化かもしれない。 プールで泳ぐようになって、髪と肌が荒れるようになった。塩素のせいだろうと思う。マメに保湿する。 10月から中国語講座に通おうと思う。ここでこうして書いておいて退路を断つ作戦(爆)。現状、いつまで通えるかはわからないが、ぶらぶらしても煮詰まってしまいそう。タダでさえ引きこもることに違和感を覚えない性格、さすがにヤバイ。 なんにせよ、10年のブランクは長い。体も耳も。
新学期である。街に一斉に学生が溢れている。といっても私は中学受験で私立に行ったため9/5授業開始であった。大体は宿題ラストスパートで四苦八苦していた気がする。 ところで、小学生のころ9/1といったら2学期の始業式と避難訓練であった。始業式が終わり、諸々の連絡事項を伝え、宿題を提出する。 そこへおもむろに避難訓練が始まる。普段は火災なのだが、この日だけは地震である。教室のスピーカーから地震を模したがたがたという音が流れ、机の下に潜り、手荷物を持って校庭に集まる。ここが第一次避難場所で、集団で近所の公園(第二次避難場所)に移動する。今は遊歩道などあるこじゃれた公園になったが(でもホームレスだらけ)私が子供の頃は全部砂利敷き。そこで点呼をとって、親が迎えに来るのを待つのである。もちろん、迎えに来られない子もいる。そういう子はまた学校の校庭まで戻り、そこで解散となるのである。 そういう避難訓練はどこの学校でもやっていると思っていたのだが、そうでもないようだ。とりあえず、実際にそのように行動できるかは不明だが、家族の間で「とりあえず地震で離ればなれになったら学校、学校が危ないときは○○公園のあの広場(いつも避難訓練で使用する広場)へ行って家族を待つ」というコンセンサスが出来ていたのは良かったかもしれない。 今は印刷工場だらけの地域に住んでいる。避難場所はいくつか指定されているが、1カ所は大きな通りを渡らなければならないし、もう1カ所は製本所や印刷工場などのある路地を抜けなければ行かれない。どっちも実際に避難するのは無理であろうという結論になった。とりあえず、近所の学校の校庭が一番良さそうだ。
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