東京の片隅から
目次きのうあした


2005年06月30日(木) 迷う

病院帰りに本屋に寄る。ずっと買おうか迷っていた着物ムック「七緒」がvol.1〜3まで揃っていたのでつい衝動買い。当分着物を着る機会はないのだが。マダム系のお高い着物雑誌と若い娘のこてこてアンティーク着物雑誌との中間をいく印象。あえてジャンルわけすると30歳前後負け犬系かも(笑)。

会社は復帰してもいいかと思ったのだが、先が読めないし、結局育児休暇を取らせてもらうことにした。せめてその間に自分のレベルを落とさないようにがんばらないと。
中国語の教室をネットで検索するも、ネットだとよくわからない。日中友好会館とか今度覗いてみよう。
何をしたらいいかよくわかっていない自分が居る。


2005年06月29日(水) 毎度おなじみの

一日家にいると選挙カーの声があちこちから聞こえてくる。いまいるところは区域が狭いのでしじゅうどこからか声が聞こえてくる状態。
でも「○○党の△△です、よろしくおねがいします」だけ連呼されても、「毎度おなじみのちり紙交換です(最近来ないなぁ)」とか「い〜しやき〜いも〜」とか「ご家庭の不要品を引き取ります」とかと同じにしか聞こえない。あれ喋っている人はむなしくないんだろうか。


2005年06月28日(火) ねがいごと

病院に行く。
七夕が近いのでロビーに笹が飾ってあり、子供や親の願い事を書いた短冊がつるしてある。願い事がせつない。「ぼくのじんぞうがげんきになりますように」とか「あるける(ようになりたい)」とか、ひらがな習いたてのたどたどしい、時には鏡文字で書いてある。親の願いも「手術がうまくいきますように」とか。でも自分も短冊を渡されたら同じようなことを書くのだろう。だから余計せつない。

子供の状況はこのところ同じ。あと一歩で足踏みだが、本人は機嫌がいいらしい。アレルギー対応ミルクで栄養再開したとのこと。とにかく栄養をつけるのが先だ。
このところNICUでも子供の入れ替わりがあったらしい。私の行く部屋でも2人がクベース(保育器)を卒業、あと一人も卒業間近。そこへ1人新入りが入ってきた。やはり小さい子供。うちの子供はヌシになりそう。


2005年06月27日(月) リハビリ状態

ぼちぼち家のことをやっている。今日は洗濯と床掃除と梅を漬ける準備。

午後、昼寝してから、夕方買い物へ出かける。鰹が半身で500円だった。

プチトマトの苗を買ったつもりだったのだが、入院している間にベランダの屋根に届くほどに。「プチ」というのは実のサイズのことで草丈のことではないのだが、何となく釈然としない。水を撒くと枝葉そのものがトマト臭い。


2005年06月26日(日) 帰宅

病院に行ってから自宅へ帰ってきた。
久しぶりの自宅はやはりとんでもないことになっていた。
しばらく掃除の日々が続きそうだ。


2005年06月25日(土) 暑すぎて脳味噌溶けてます

ライヴを見にカレッタ汐留に行ってきた。ライヴは素晴らしかったが、暑かった。やっているほうはもっと大変だったであろう。お疲れ様でした。それにしてもなぜあんなに汐留には人がたくさんいるのか。ぐるっと一周してみたが、どこが面白いのかはわからなかった。

祖母と母と私、女3世代茶飲み話。引きこもりになれるのは家族がご飯を作ってくれるから、という話。一人暮らしだったら収入がなくなったら引きこもりしたくてもできない。そもそもこの3人は引きこもりしろと言われても性格的にできないであろう。

米米CLUBがファン投票でベストアルバムを出すとか。いまさら?
石井竜也の仕事がうまくいってないのかしらん。


2005年06月24日(金) 空梅雨

真夏日だった。梅雨はどこへ行ったんだろう。
迷ったが、今日は病院に行かなかった。昨日まーさんからもらったメールでは一昨日までと変わりないようだったし、ということはあと一息の状態がまだ続いているということで、なんだかちょっと気が進まなかった。行かないと決めるとやはり様子が気になるのだが。
暇なので、招待券をもらった美術展へ行ってみた。平日の昼間なのでおばちゃんとおじいちゃんばっかりだ。見たのは油絵だったが、自分の好みが変わってきているのを感じた。学生時代だったらもっと熱心に見ただろうが、今はもっとパンチのある絵が見たい。


2005年06月23日(木) 寄席に行く

大学時代の友人が上京した。会ってお茶でもと思ったのだが、寄席に行ってみたいと言う。「タイガー&ドラゴン」の影響らしい。自分でも興味はあったものの寄席の敷居は一人ではまたぎにくい。そんなわけで流行に便乗してみることにした。
新宿末広亭に行ったらなんと立ち見である。入ったらちょうど昼の部の主任(トリ)柳家花緑の真っ最中。ちょっと得した気分。
終わってから人が入れ替わる間に右桟敷席に自分たちの席を確保。末広亭は昼の部夜の部と分かれてはいても入れ替え制ではないので、通しで見る人もいるようだ。
買い込んだお弁当を噺と噺の合間に食べつつ、17時から21時まで4時間。飽きるかと思ったけど、人それぞれの雰囲気があって、合間に漫才や手品も入るし、あっという間だった。
主任の小三治、枕から噺に入るときの空気の切り替わりがほかの噺家とぜんぜん違う。始まりも終わりもさりげなくてあっけない。普段テレビでコテコテな「お笑い」ばかり眼にするので、ものすごく新鮮。

ところで、立ち見が出るほど盛況だったわけは、31日まで小沢正一が出ているかららしい。申し訳ないが、そんなに集客力のある人だとは思わなかった。知らないって怖い。

でも面白かった。「寄席ってライヴハウスなんだなぁ」と思った。今度は一人でも行ってしまうかもしれない。


2005年06月22日(水) たまごかけご飯

母が「土佐ジロー」なる鶏の卵をもらってきた。
仰々しいことにボール紙の箱に入っている。「開けるとおがくずかなんかの中に埋まってるんじゃないか」と冗談を言いながら開けたら、本当にクッション材(木製、鉋屑のような感じ)の中に埋まっていて、1個ずつ仕切りが入っていた。
普通のたまごより一回り小さい。せっかくのいいたまごなので、とたまごかけご飯にして食べた。黄身が濃いのはもちろん、白身も普通の白玉より濃い気がした。でも気のせいかも。それにしても、たまごかけご飯自体食べるのは何年ぶりかなぁ。


2005年06月21日(火) ショーマストゴーオン

突然だが、新宿センチュリーハイアットホテルのホテルバイキングに行った。
センチュリーハイアットにはショーを見ながらバイキングを食べられるナイトラウンジというものがあるのだが(今月末で閉店)、そのチケットをもらったのである。
センチュリーハイアットはいいホテルだ。もちろん泊まったことはない。なぜいいホテルというかというと、宿泊客でないものがリムジンバスの予約に行っても嫌がらないからだ。実家から成田空港に行く場合、新宿新都心からリムジンに乗るのが一番楽なのだが、その場合、最も近いホテル、センチュリーハイアットとヒルトンのどちらかから乗り降りする。ヒルトンは宿泊客でないものが利用するのを嫌う。予約も受け付けてくれない。センチュリーハイアットは嫌がらないのである。腹の中ではどう思っているかわからないが、とりあえずにこやかに対応してくれる。地元民にとってはとてもありがたい。そういう意味でポイントが高いのであった。

ところで、こういう場合、どういうタイミングで食事をするのだろうか。フラメンコを見ながら食事をするのは、案外難しい。ショーの合間はいいのだが、食べている間に始まってしまった場合、後ろのほうなので黙々と食べていたが、どうにもフォークのやり場に困る。
フラメンコを見たまーさんの感想は、「もし奥さんがフラメンコをやっていて、夫婦喧嘩のときにあのステップで踊りだしたらとりあえず逃げると思う」と言うものであった。私でも逃げると思う。


2005年06月20日(月) 一ヶ月検診

朝から病院へ。自分の産後一ヶ月検診である。
結局胎児発育遅延の原因は分からなかった。先生がチラッと見ていた胎盤の所見には絨毛の発育が云々と見えたので、いろいろちょっとずつ調子の悪いところが積み重なってそうなったのかもしれない。が、一番大きな原因はストレスだと思っている。初めての妊娠、予想外のHTLV-1(ATL(成人T細胞性白血病)やHAM(HTLV-1関連脊髄障害)を起こす可能性のあるウイルス)陽性反応のショック、職場の環境変化、等、本人は短期間で受け入れたつもりでも、無理があったのかもしれない。ライヴに行っていたのもいけなかったかも(汗)
肝心のHTLV-1再検査だが、再検査でも数値はボーダー。半年後の再検査を薦められる。
健太は昨日と変化なし。ただし、クベースの位置が2つ奥に移動していた。先週隣のクベース2つがコットになっていたので、調子の良かった子供が軽症のコーナーに移動したようだ。これまで点滴だったのをアレルギー対応ミルクで再開するとのこと。どうも私が牛乳を飲むとそれが母乳に移行してアレルギーが出ると先生は推測している様子。何でもいいから栄養が入ることに意義がある。


2005年06月19日(日) 休みのスケジュール

今日も病院へ。健太の肺炎はあと一歩というところで足踏み。鎮痛剤で眠っているのであまり触らずに退散。

まーさんに「育休の間スケジュールを決めて何かやったほうがいいよ」と言われる。その辺は自覚している。確かに子供が手元にいるわけでなし、NICUに毎日通うのもなんか違うし(毎日通ったら確実に良くなるといわれれば通うがそういうものでもない)、ただ自宅に戻ってもだらだらするだけである。
家に戻ってから本棚をあさって中国語の単語帳(でる単みたいなやつ)を発掘。あとはNHKでも聴いて耳慣らしをするか。


2005年06月18日(土) 「お父さんは僕を許してくださるだろうか」

家で留守番。
元・自室で蔵書を漁る。
宮沢賢治全集など引っ張り出して読んでみる。
久し振りに読んだ「銀河鉄道の夜」はものすごくヘヴィな小説であった。
カンパネルラが言う題名の一言が重い。彼は祭りの晩、川に落ちて行方不明になる。父親より先に自分が死んでしまうことに対する一言。
同級生ザネリが主人公ジョヴァンニよりも印象に残るのも、意外であった。
ジョヴァンニをからかう言葉の裏にある気持ちや、カンパネルラが川に落ちる原因を作ってしまったことをこれから一生背負っていかなければならないザネリの気持ち、そういうところが気になる。
いろいろ考えてしまった。

思春期に読んだときは全然別のところを見ていた。読み方が変わったのは自分が年を取ったからなのか、母親になったせいなのか。


2005年06月17日(金) きょうだいとは

ワイドショーの話題は花田家兄弟喧嘩一色である。
見ていて思ったのは「きょうだい、特に同性の場合は同じ道に進むべきではない」ということであった。
親も周囲もつい比較するし、本人同士も過剰にライバル視するようになるし、どうしてもというなら専門を違える。そうでもしないと、同じ道に進んでもいいことなんてない。
うちは女3人だが、きょうだいの仲が良くなったのって、大学で専攻がばらばらになってから(文学部、法学部、農学部)だもんなぁ。ほかの二人がどうとらえているかは分からないけど、それまではやはりライバル心があった。
花田くんたちには誰もそういうことは言わなかったんだろうか。それとも言えなかったんだろうか。そうだとしたら、今回の騒動は周囲にも責任があると思う。


2005年06月16日(木) 食事のパターン

子供は小康状態。おとといよりはだいぶ良くなったように見えた。

病院帰りにカフェ(ドトールのようなセルフタイプの店)に寄った。紅茶を飲みながらデニッシュを齧っていると、隣のテーブルに女性が。年は私よりは若いくらい。
手にデニッシュを載せた皿だけを持っているので、てっきり連れがいて飲み物のトレイをあとから運んでくるのかと思っていたら、座るとそのまま食べ始めた。単に飲み物を頼まなかった人だったらしい。
デニッシュというさくさくして口の中にまとわりつく食べ物を、飲み物なしで食べられる・・・というより、飲み物なしで食事をするのにびっくり。
私はよくむせるので何か液体がないと食事できない。

いろいろな人がいるものだ。


2005年06月15日(水) 雨が降ります雨が降る

一日雨。家でじっとしている。
買ってきた本を読んだり家の本棚をあさったり。恩田睦を2冊、澤地久枝を読了。大野晋は途中で寝てしまった。柱時計のコチコチいう音と雨漏りの音は妙に眠りに誘う。昔は気になって眠れなかったものだが、自分もずいぶん図太くなったということか。そういえば子供の頃は天井の羽目板の木目も気になって眠れなかった。あとペイズリー柄とか(笑)。

夕方、まーさんから携帯メール。健太はどうも肺炎らしい。見に行ったが寝ているだけだった、とのこと。だからといってしばらく病院に行かなくてもいいというものでもないので、明日はたぶん病院に行くと思う。
大学時代の友人からも携帯メール。来週東京に来るのでお茶しないか、という話。どうも寄席に行きたいらしい。タイガー&ドラゴンの影響か。新宿で用事がある日があるそうなので、末広亭の夜の部でも、と返事を返す。ホームページを見たら、昼の部のほうが小朝正蔵いっ平花緑とテレビ的にメジャーな面子、夜は小三治。渋い。母が興味を示したので別の日に一緒に行くことになるかも。


2005年06月14日(火) 山あり谷あり

午後から病院へ行く。
処置中とのことでしばらく待たされ、やっとNICUに入れたと思ったら子供は調子悪そう。右肺に水が溜まる肺炎のような症状が出ているとのことで、抗生剤の投与・貧血対策の輸血をするらしい。点滴の管等も感染症の原因になりうるので、新しいものに交換したとか。栄養も母乳でなくアレルギー用ミルクになるかもしれないし、まだまだ今後もいろいろありそう。

今週号のAERA(表紙:サッカーA代表)。
電車の吊り広告で気になった「男子校はオタクを育てる」みたいな記事。異性の目がないことのメリット・デメリットなどを挙げているのだが、読んだ感想を。
・・・女子校でも同じです。
あ、でも、「女子高」と「女子校」は別物ですから。よりオタク度の高いのは「中高一貫女子校」だと思う。だって私も含めて友人どもみんな立派なオタクですから。オタクであることと社会性があることは両立できると思うのだが、雑誌の記事とかの扱いだといっしょくたにされているような気がする。
ただ、まーさんが言うには(彼は工業高校=男子校卒)、高校1年のときに先生に「お前らこのまま卒業しても女には縁がなくなるぞ、自分から捕まえに行かないと捕まらないから心しておけ」と釘を刺されたそうだ。それはうちの会社を見てると良く分かるよ(苦笑)。


2005年06月13日(月) わくわく

共同通信6/11の記事より
【ロンドン11日共同】11日付の英紙インディペンデントは、ドイツからチェコ、スロバキア、オーストリアなど欧州の広い範囲で、紀元前4800年から4600年にかけて築かれたとみられる神殿跡などが発掘されたと報じた。
 事実とすれば、エジプトのピラミッドや英国南部にある巨石遺跡群ストーンヘンジよりも2000年以上前に建造されていたことになり、同紙は欧州の石器時代の歴史を書き換えることになると指摘した。
 発掘を主導したのはドイツ・ザクセン州の考古学者らで、これまでに欧州各地で150以上の神殿跡を特定した。神殿は円形に木や土を積み上げた原始的な構造で、柵などで囲われていた。

なんかマスターキートンみたいでどきどきしますな。あのマンガで主人公の恩師はドナウ川文明を探してるんじゃなかったっけ。
歴史の教科書とかも一世代違うと書いてあることはぜんぜん違う。私たちが知っていることはものごとの本当に端っこに過ぎないのだ。


2005年06月12日(日) 1箇月

病院で身体測定。身長、頭囲、胸囲を計る。看護士さんから写真と1箇月の成長記録を記入したカードをもらう。カードをもらうのは幼稚園のとき以来かもしれない(笑)
やっと一と月、もう一と月。


2005年06月11日(土) 不確かな記憶

祖母と母とお茶の時間。
そういえば、と思い出し、訊いてみた。
「うちの前の通り、木遣りが通ったことなかったっけ?」
自分の記憶の中では幼稚園〜小学校低学年、商店街の通りに面した2階の窓から「木遣り」の列を見た記憶があった。法被鉢巻地下足袋の職人さんたちが白い綱か布で何かを引いてゆっくりと謡いながら歩いていく。法被は黒か紺か灰色に白の格子柄かなんかだったような気がする。実家の近所は職人町だからありえない話ではないのだが、あまりにも記憶がおぼろげで、見た、と言えるほどの自信がない。

二人の話を総合して出た結論は、
・近所の目立て屋さん(大工道具の刃を研ぐ仕事)のお葬式で木遣りを見たことはあるはず
・ただしうちの前は通っていない
・うちの前の通りはお祭りのときに神輿が通るルートだから2階から神輿や山車を見た記憶はあるだろう

どうも2つの記憶をひとつにして憶えていたらしい。思い違いだったが、まったくの空想でなくてよかった。
時々記憶のフラッシュバックがある。思い出せるのも今のうちだ。再開発が進んで町の姿がすっかり代わってしまったら今まで思い出せたものも思い出せなくなってしまう。


2005年06月10日(金)

結局昨日は夕食を食べてそのまま寝てしまった。

いつものように病院に行く。様子を見るために母乳を一時停止してみているとのこと。大事ではないようだ。健太は私が先生と話をしているときは眼を開けていたそうだが、話が終わってから呼びかけても眼を開けない。寝たふりか。先生の声は毎日聞いているが、私の声は時々しか聞かないので、看護婦さんの一人だと思われているのかもしれない。

父の依頼で五角形の箸をインターネットで調べる。テレビで見たのだという。今使っている箸が気に入らなくなってきたらしい。調べたらあっさり出てきた。東京の大黒屋という店だ。仕事で近くにいったらついでに買ってくるつもりのようなので、住所等メモして渡す。
父の箸というと、我が家では「黒くて重くて硬い箸」である。祖父もそうだった。水に沈むような重い箸はちょっと怖い父の象徴である。子供の頃は食事のときにちゃぶだいで隣に座らされ、箸使いやマナーが悪いと箸の根元で頭を小突かれる、そんな食事風景であった。もちろん好き嫌いなど言おうものなら有無を言わせず冬でもはだしで表にほっぽりだされる。私の中では日常の風景だったのだが、大人になってからいろいろな人に聞いてみると、どうも一般的にはそうではないらしく、かなり退かれる。だからといって怒られた記憶ばかりではなく、ちょこちょこと街中へ連れて行ってもらった記憶もある。いつから父の箸が怖くなくなったんだろうなぁ、と思う。


2005年06月09日(木) ダメダメ

とにかく眠い。
朝7時起床。普段なら夜中も3時間おきに眼が覚めてしまい搾乳するのだが朝まで爆睡。
朝食後、二度寝。
気づいたら、昼。
昼食後、昼寝。
気づいたら、16時。
お茶の時間の後はさすがに起きている。でも眠い。

このままでは、夕食後、本格的夜寝に突入しそうな気配。
大丈夫なんだろうか、自分。


2005年06月08日(水) 牛乳禁止令が出た

午後、母と病院へ。
健太は500gを超えた。生まれたときが406gだから1ヶ月ほどで25%増である。普通の子に比べるとまだまだだが、とりあえずほっとする。
ただ、好酸球という値が増えたとのこと。一時的な場合もあるし、ミルクアレルギーの可能性もある。とりあえず母乳に成分が移るのを防ぐために牛乳は飲まないでください、と言われた。ヨーグルトやチーズはかまわないそうだ。仕方ないので豆乳を買って帰る(笑)。
しかしダメだと言われると飲みたくなるのはなぜだろう(爆)。

夜、ワールドカップ予選をテレビで見る。生命や生活の不安を感じずに競技できる国は幸せなのだと思う。


2005年06月07日(火) 熊谷守一

午後から熊谷守一美術館へ行く。開館20周年記念展をやっているのをこの前NHKで見たのだが、その効果かどうか、小さい美術館(ギャラリーといったほうがふさわしいかもしれない)は大盛況であった。館主の熊谷榧(かや)さんによる解説がついているのだが、それがTVで見た話しぶりそのままだったのが愉快。感情に流されていない愛がある。
ぶらぶらとそのまま池袋まで歩いて、山手線で帰ってきた。


2005年06月06日(月) 欲望

昼前にどこかにぶらぶらと出かけよう、と思い立ち、どこに出かけようかと考えていたのだが、考えるくらいなら子供の顔を見に行けよ、とセルフ突っ込み。病院に母乳を届けに行く。保育器の中で寝ていても伸びをしたりびくっとしたり、起きたら起きたで大騒動、落ち着きのなさは両親譲り、将来が容易に想像できる(苦笑)。

久し振りにコーヒーが飲みたかったのだが、時間があまりなかったのでそのまま帰宅。もう半月くらい飲んでいない。正確にはコーヒーが飲みたいのではなく、コーヒー牛乳orカフェオレが飲みたいのかもしれないが。今度時間のあるときに飲んでこよう。本当は外でお茶したいだけかも。

今一番したいことは何かと訊かれたら、「風呂につかりたい」と答える。毎日シャワーは浴びているのだが、湯船につかるのは1箇月検診まで禁止されていて、それがなによりつらい。何がつらいかというと、肩こりが治らないのである。毎日搾乳するのは実はかなり肩がこる。でも冬でなくて良かった、と自分をなだめる。

夕食は昨日もらった鯛を昆布締めし、押し寿司にした。


2005年06月05日(日)

まーさんとお義父さんと3人で病院へ。健太の様子を見てお義父さんは一安心した模様。そりゃそうだ、前回(2週間前)はトリガラというかスズメ焼きみたいだったもんなぁ。今は少なくとも人間に見える。
帰りにお昼ごはんを買おうとして(まーさんの実家では「なんかご飯を買って帰る」イコール「寿司を買う」である)魚屋を覗く。安い。個人的にはイナダ250円、に激しく惹かれるものがあったのだが(笑)どうも気が大きくなったらしいお義父さんはいきなり鯛を買って持たせてくれた。尾頭付きで50cmはありそうな大物、しかも2700円ときたら明らかにお買い得なのだが、サイズがサイズなので、実家に持っていっても大騒動であった。こんどなんかもって行かなきゃなぁ。


2005年06月04日(土) 胃痛

夜中に全身の冷えで眼が覚める。そして胃が猛烈に痛い。貧血か、と思ったがどうしようもないので掛布団を増やして眠る。
朝起きても胃の痛みは消えず、とりあえず食事は摂るもののぼんやりと過ごす。
午後、気分転換+運動のため、OZONEリビングデザインセンターの布関連の展示会を見に行く。ゆっくり歩いて、でもなるべく正しい姿勢で、休み休み。普段なら10分ちょっとの距離を30分ほどかけて歩く。まるきり病み上がりである。メイン展示のサリーそのものは技術も文様も面白かったのだが、本来「衣服」であるものを「布」として展示してあることに違和感がぬぐえず(その印象は前回の着物地のときにもあったのだが)、表面だけ撫でて終わってしまった。ついでにコンランショップを眺めて帰宅。
帰宅してから一眠り。眠ったら胃は少し軽くなった。疲れが出たのだろうと思う。胃痛解消のため、大根おろしをたくさん食べた。


2005年06月03日(金) 1.289

少子化はどうやったら食い止められるか、といういまさらな話が新聞紙上で盛り上がっているが、そもそも「勉強以外は無駄だ、よそ見しないで勉強していれば人生報われる、世の中効率だ」みたいな人たちに育てられてきた人間がいきなり「子供は金銭的にはマイナスだけど人生にはプラス」みたいなこと急に言われても信じられるわけないじゃん、というのが正直な感想である。
もちろん育児にお金がかからないならそのほうがいいし、保育園に確実に入れるなら大歓迎である。そういった金銭面のサポートももちろん必要なのだが、そうでなくてもっと社会が無駄を許容するようになればいいのに、と思う。これからはダンナ一人だけ働いて家族を養う、なんていうのはまず無理だろうし。(例えば、うちの場合、まーさん一人でまーさんの両親と私と子供、合計4人を扶養するのは将来的にはとても困難だと思う)

偉そうなことを言っているが、結局「定時に仕事が終わって帰宅できる(もちろん、残業しなければならないこともあるけれど)」「通勤時間が1時間くらい」が普通になってほしいと思うのだね。

6/8追加。
おぜぜがもらえるに越したことはないのだが、現状の議論はかなり胡散臭い。「あんたらが心配しているのは子供の数が減ることじゃなくて自分の年金だろうが」と言いたくなってしまう。経済問題に浪花節を持ち込むから話がややこしくなるのだ。


2005年06月02日(木) だらだらしてます

実家でだらだら生活。妹の書棚をあさったり。読書傾向がぜんぜん違うのだが、かといって拒否するほどはかけ離れていないわけで、普段読まないミステリーみたいなものを読んでみたりする。
産休・育休中に中国語を再開しようと思っていたのだが、未だ手をつけていない。今度本屋に行ったときに真剣に眺めてみよう。うちの会社の現状だと、中国語がいくらかでもできると、残留に有利そうだ。その前に保育園が見つかるかどうか、見つかっても健太の退院のめどが立っているか、受け入れてもらえるかどうか。そこが問題。


2005年06月01日(水) クールビズ

ずっと私服の学校だったために実感がまるでないが、世間では衣替えである。といってもすっかり温暖化気候不順な昨今、実際の陽気に適当にあわせればいいんじゃないかと思っている。だって厚いのに汗かいて冬服とか着ているの、見るほうが嫌じゃん。
ところで、新聞でノーネクタイノー上着ファッションを「クールビズ」として定着させようという動きが出ているが、うちの会社でもこの時期になるとお役所から「省エネのお願い」と称してエアコン温度設定の遵守と軽装についてのFAXが来るのであった。一応社外の人と会うときには「省エネ設定にしています」みたいなプレートを言い訳代わりにつけることになっている。
で、思うんだけど、ノーネクタイがどうして礼儀を欠くのだろうか。別にしゃきっとした素材なら香港シャツでもいいじゃん、と思ってしまう私には、絶対理解できない奥深い事情があるに違いない。


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