東京の片隅から
目次|きのう|あした
2005年05月31日(火) |
ジェットコースター的展開の5月 |
もう5月も終わり。いろいろなことがありすぎた。 連休があって、連休明けに母親学級に行って(そのころはこんな展開になるなんて思わなかった)、病院に行って、そのまま入院。あれよあれよという間に出産して退院して、いまこうしている。会社なんて3日しか行ってないし!(爆)都知事よりましか。
今日は健太の健康保険&乳児医療の手続き。今月中に手続きしないと自費診療で恐ろしい額の請求書が来てしまうのだが、何とか間に合ってよかった。ついでに?顔を見ていく。消化機能が働きだしたらしく、腹はすっかりへこんでいた。貧血対策の輸血をしたり抗生物質をまだ投与中だったりいろいろあるが、母乳の量も増やしていくらしい。とにかく担当の先生(野茂似)自身がほっとしていたように見える。やっとスタートラインに立ったのかもしれない。
近所を散歩しようと思ったら雨だったので一日家でうだうだしていた。そういえばユニコーンでそんな歌あったなぁ。
病院に行く。 健太の腹は昨日よりもさらにへこんでいたのだが、炎症反応値が上がってしまい、抗生物質を投与するらしい。一進一退。本人はひたすら寝ていた。触っても起きないので起こさないでおく。
1週間ぶりに家に行ったら、すごいことになっていた。洗濯物(洗濯済み)が寝室に散乱している。とりあえず畳んでたんすにしまい、冷蔵庫の中身をチェック&補充してしばらく生活できるように常備菜を追加。
毎日出かけても体に返ってくるダメージが少なくなったように思う。だからといってほいほい出かけるとまた疲れたりするのだが。 リビングデザインセンターOZONE(実家ではガスタンクの跡地、というのが一番通用する)でやっている布関連の展示会を見に行きたい。近所なんだけど、坂の上だから歩いていかれるかがまだ不安。平日の昼間にぶらぶら行ってみるか。
2005年05月28日(土) |
わりと安定している(母子とも) |
昼前に病院へ。健太の腹は少しへこんだ。本人の機嫌がよさそうなのでとりあえず今のところはそれなりなのだろうと思う。冷凍母乳を与えているが消化できているようなので今日から少し量を増やすとのこと。いい方向に向かえばよいが。来週か再来週に眼の検査をするとのこと。何もないことを祈る。 帰りに街道沿いの花屋で芍薬と向日葵を買って帰る。どちらも10本で600円くらい。この花屋は市場で半端もの(B級品含む)を仕入れるのか、ものはあったりなかったりするものの、とにかく安い。薔薇が100本5000円とか、そういう値段。半分を仏壇に供えて、残りを家のあちこちに飾る。 気が向いたので、向日葵の絵を描いてみた。本当に久し振りなので、感覚を忘れている。どこにポイントを置いたらよいか、よく分からない。何枚かスケッチしたら、なんとなく思い出してきたが、相変わらず下手だった。気分転換にはいいと思う。 絵を描きながらテレビをつけていたらミュージックフェアに藤井フミヤとクリスタル・ケイが出演していた。この番組では代表曲+新曲、という組み合わせが多いので期待して見ていたら、やはり藤井フミヤは「さまよう果実」を。作詞は作家の石田衣良氏、作曲はDaily-Echoの奥野さん。テロップに「作曲:奥野利幸(Daily-Echo)と出たのが嬉しかったりするのであった。
実家暮らしを始めてもうすぐ1週間。久し振りの実家は微妙に変化していたり私が失念していることがあったりして見慣れないものもちらほら。例えば座卓がいつの間にかテーブルに変化していたり(父が脚を付け替えたらしい)テレビが液晶になっていたり。 でも、未だに慣れないのが、「トイレットペーパーがいつの間にかダブルになっていたこと」。家でも会社でもシングルだから、どうしてもいつもの習慣で引き出すと倍のボリュームになってしまうわけで・・・。 しばらくトイレで手元を見てしまう日々が続きそうである。
午後、仕事の手が空いた父に車で病院に送ってもらう。 健太は気のせいか少し大きくなったようだ。顔立ちがはっきりしてきた。まだ内臓が完成していないせいか、消化機能が弱く、便秘で腹がぱつぱつで苦しそう。それ以外はおおむね(この状況の中では)良好、とのこと。少し母乳も与えているらしい。 とにかく顔を見てほっとした。
入院中ずっとテレビを見ていたので、退院してからはあまり見なくなった。ラジオも聴かないし、CDやカセットテープを聴くこともない。実家のピアノを久し振りに触ろうかとも思ったのだが、ふたを開けたもののなんだか弾く気にならなくて、また閉じてしまった。 まだ(精神的に)疲れているのだろう。眠れるようになったのをいいことに、一日眠って過ごす。それでも胸が張るから、3〜4時間ごとには起きてしまうのだが。
一日家でのんびりする。 夜、病院に行ったまーさんから電話。健太は15g増えたそうだ。話を聞いているうちに涙が出てきた。最近とにかく涙もろい。今の状況をいつか笑って話せるようになればいいと思う。
夜明けに暑くて目が覚めた。暑いと思ったのは錯覚で、胸が張ってそこだけ汗だく。慌てて搾乳する。
昼間、歩いて10分ほどのドラッグストアへ行ってみた。通販で注文した搾乳器が1週間ほどかかりそうなので、とりあえず小さい哺乳瓶と電子レンジ消毒用の消毒袋を買う。 たかだか往復20分なのだが、夜には筋肉痛になった。社会復帰にはまだまだだ。
とりあえず私だけ退院。 義父が健太を見に来た。会ってびっくり、ギプス姿である。どうも洗車の最中に転んで左手を骨折したらしい。義母は風邪のためまた別の機会に、とのこと。一緒にNICUに入る。私は小さい子供しか見ていないのでそんなものだと思っていたが、義父は健太の姿にかなりショックを受けたようだ。昨日のしゃっくりで消耗したのか健太はおとなしく、だから余計に話しづらかった。 いったん家に帰って家の中の片付けと実家暮らしのための荷物をまとめる。最低限のことだけするつもりがあれこれ始めてしまい、てきめんに疲れが出る。
退院のための診察。経過は順調で退院許可が出る。ついでに1ヶ月検診の日程も決める。
健太を見に行くと目を開けていた。前よりもやや大きく見開くようになっている。しかししゃっくりが止まらなくなってしまい、だんだん手足をばたばたさせて機嫌が悪くなる。しゃっくりで死ぬものではないが(一応酸素供給はされているし)かなり消耗しそう。また、栄養チューブが気になるようで、しきりに舌で触るようになった。しかし便通がないのでミルクは中断したとのこと。いろいろなところが未完成なのかもしれない。炎症反応が0.3まで下がった。0.2以下が陰性だからあともう少しである。ほっとする。とりあえず一週間生き延びた。少し光が見えたような気がした。
手術から一週間たった。 先生が来診のときにbonding(母子結びつき)について話をする。事情が事情なので普通の人よりも時間がかかるだろう、とのこと。数週間かかると見ておいたほうがいいらしい。確かに、入院と言われてから怒涛のように日が過ぎて(だから逆に妙に冷静だった)、やっと今頃我に返ったような気がする。これからゆっくりと自分の中で消化しなければならない。幸い、時間だけはたっぷりとある。 会社関係のもろもろの手続きはまーさんがさっさとしてくれたのだが(同じ会社にいるとこういうときに便利だ)、役所関係もこの日午前休を取ったまーさんが手続きしてくれた。あとは養育医療の申請だけ。保健所から書類をもらってきたので、受付経由で病院側にもらう書類を申請する。それを揃えて役所に申請し、医療証をもらえれば、自己負担分も補助がおりることとなる。NICUにかかる費用は半端ではない。
傷口を止めていたホッチキスのような金具を抜く。昔怪我のあと糸を抜いたときのなんともいえない気持ち悪さを思い出してびくびくしていたのだが、あっけなく終わった。拍子抜けする。 搾乳は最終回の分から保存OKのサインが出た。ほっとする。栄養開始と言われたので体もほっとしたのかもしれない。 同室の人たちと世間話以外で初めて話らしい話をする。この病院で出産する人はほとんどが母か子に何らかのリスクを抱えている。妊娠中毒症だったり、早産だったり、先天性疾患だったり。しんどいのは私だけではない。短時間話をしただけだったが、ずいぶん気が楽になった。
出産後初めての体重測定。3kg減っていた。妊娠前から出産までは+3kgだったから、計算上は元に戻ったことになる。体型がどうなっているかはまだ謎である。傷口も怖くて見ていない(苦笑)。 搾乳は継続しているものの、まだ血乳が出る。一時期の「これは母乳ではなくて血そのもの」という状況ではなくなったが、それでもまだ冷凍保存するレベルではない。焦ってもどうにもなるものではないのだが、やはり落ち着かない。 NICUから連絡をもらい、健太の状況を担当の医師より聞く。急に呼ばれたので一瞬血の気が引いたが、単に担当医師の手が空いたからだったらしい。びっくりした。黄疸の光線療法は継続、便通があったので栄養開始OK、とのこと。冷凍母乳でいく話を伝える。呼吸器まかせでなく、自分で呼吸もし始めているようだ。指しゃぶりの動作、あくび・のびもしている。本来まだエコーを通して見るような動作を実際目の当たりにするのは不思議な感じ。
薄皮をはぐように、という表現がぴったりとするような回復。前日までつらかった動きが今日はなんともない。少しずつ体調は戻ってきている。入院・手術そのものが初めてなのであらゆることが初体験。おそるおそる動いている。
健太は光線療法継続。便通のためビフィズス菌を投与。 最初見たときは鳥の雛みたいだと思っていたのだが、だんだん人間らしくなってきた。
HTLV-1について医師より説明。先生は四国の病院にいたらしく、具体例等挙げてわかりやすく説明してくれる。(HTLV-1キャリアは西日本方面に比較的多い)とりあえず健太入院中は冷凍母乳でいきましょう、とのこと。承諾する。
傷口を保護するためのガーゼを止めているテープが肌に合わない。かゆい。
私の体調はだんだん元に戻ってきた。ただ、動くと傷口に引きつれるような痛みがあるので、寝返りも打ちづらい。万年睡眠不足気味。昼寝をする。二足歩行はできるが、へっぴり腰なので、背中が筋肉痛。歩く姿はワイドショーでやっている立ち上がるレッサーパンダといい勝負である。
健太は炎症反応が次第に下がってきた。だがまだまだ高い。あまり触らず様子見。
熱はだんだん下がってきているが、まだ上下がある。 午後、麻酔と点滴を抜いてから胃の調子が良くなってきているが、まだ様子を見ながら食事。 頭を洗ってもらう。すっきりした。入院前に髪の毛を切っておいて良かったと思う。虫の知らせでもあったのだろうか、パジャマも買ってあったし、そういう妙な符号がちょっと気味悪い。 搾乳を開始。血乳が出る。出はいいらしい。看護師さんはしばらく搾乳を続ければ入れ替わるでしょう、との判断。
子供を見に行く。輸血をしていた。黄疸があったらしく、光線療法をしている。
まーさんと二人で名前をいろいろ考えた。女の子だったらつけたい名前があったのだが、男となると女子校育ちの私はてんで思い浮かばない。とにかくこういう状況だし、無事に育つことが何より重要。「健太」と名づける。本当は「健太郎」にしようと思ったのだが、テストで名前を書くときに恨まれそうだったので(笑)一字減らした。 ずいぶん早かったですね、と言われたが、早く名前をつけなければ子供が死んでしまいそうな気がした。名前のないまま終わらせてしまうのは絶対に避けたかったし、名前をつけることでパワーが与えられるのではないか、と思った。妊娠中は「ちびさん」と読んでいたので小さいままだったのかもしれない。
熱が続き、アイスノンを取り替えてもらう。麻酔は効いているものの、ちゃんとした話ができる状態ではなく、手術当日よりもかえって病人っぽい。眠りが浅く、変な夢を見る。この日の夢は川原亜矢子と富永愛(モデルさんです)が実はやくざの跡取り姉妹で後継者レースをしている、という夢。なんなんだいったい。 午前中からとりあえず起き上がる練習。1時間ほどかかってやっと足で立ち上がるが、歩くのは到底無理。それでも早いほうらしい。 昼から食事、といっても重湯とかコンソメスープとか野菜ジュースとか。久し振りの味のあるものがおいしい。しかし胃が受け付けず、後で吐く。胃のむかつきは麻酔薬の副作用らしい。 午後、車椅子でNICUへ連れて行ってもらう。子供の目がちょっとだけ開いている。見えてはいないようだ。触らせてもらうと、反応もする。生きていることにほっとするが、これからが大変。ガーゼにくるまれた臍の緒を貰った。 夜も変な夢を見る。一人でトイレに行かなければならないのだが、これがなかなか大変。起き上がる→立つ→点滴のスタンドを引っ張ってトイレへ→用を足す→戻る、この一連の動作がとにかく時間がかかる。結局切れ切れにしか眠れなかった。
日付が変わってから水も口にできない。(口をすすぐくらいは可能) 朝から栄養点滴を2本打つ。手術の順番は3番目、私はただ待つだけ。 昼前に順番が来て、手術室に運ばれる。極力余計なことは考えないようにする。痛み止めの注射のあと麻酔、そのまま手術。酸素マスクで喉が渇く。 12:02出産。陣痛も何もないのでいわゆる「出産」という意識はない。腹が軽くなった感触だけある。 子供は406g、男児。 仮死状態だったが、酸素吸入で蘇生。NICUに行く前に保育器の中の子供を見せてもらう。とにかく小さい。変なたとえだが、500mlのペットボトルと同じくらい。 とりあえず無事であったことに涙がこぼれる。 まーさんと実家の両親は医師から説明を聞いたらしい。 12:45手術終了。しばらく経過観察し、病室に戻される。 一日熱で朦朧とし、アイスノンを貰う。後で見たら誰かの小樽土産の保冷材らしく「OTARU」と運河の写真が印刷してあった。いいんだろうか。
点滴のせいか変な夢を見た。一度も行ったことないような茅葺き屋根の農家に母と家のジムニーで乗り付ける。周りには庭が広がっている。そこは母の実家なのだという。(実際には母は思いっきり都会っ子である)空気を入れ替えるのだといって、雨戸を開け放していると、近所の小学生が社会科見学だといってぞろぞろやってくるので、家の案内をする。案内した玄関口は、「春の玄関」なのだという。どうやらほかにも夏秋冬と玄関があるらしい。
朝食の途中で良くないことを考えてしまい、ちょっと泣く。カーテンがあってよかった。
朝食後、2度目のステロイド注射と胎児の心音モニター。その後、担当の先生からNICUの保育器を1つ空けてもらったので明日の昼手術になることを聞かされる。まーさんと実家に連絡。個人的に気になっていたHTLV-1はスクリーニングではプラスで、他の検査法で再検査中とのこと。もし陽性でも未熟児の場合は与える場合があるという話を受け、同意する。 午後、麻酔科医が来診。手術と麻酔についての説明を受ける。下半身麻酔になるとのこと。 その後、手術に備えていろいろの準備をする。
朝から病院の定期健診。待ち時間は1時間くらい。 エコーを見た先生が慌てる。どうやら前回の検診から1ヶ月たつのに、胎児が育っていないらしい。急遽転院・入院指示。午後また来るように言われる。 午後までにいったん帰宅して入院準備しようと思ったのだが時間が微妙なこともあり、とりあえずまーさんと実家と会社に電話。この時点ではそんなに深刻な状態とは思わなかった。 15時頃転院先が決まる。どうも自分が思っているよりも深刻な状況で、あちこちに断られたとのこと。どうにか受け入れ先が決まって、救急車で搬送される。(転院先も定員いっぱいなため、さらに受け入れるためには形式的にでも救急患者、という形が必要らしい) 転院先に到着し、内診、血液検査、培養サンプル採取、エコー(超音波)、胎児心音モニターチェック、胸部レントゲンなど検査ラッシュ。 ひと段落した頃まーさんが到着。二人で医療チームから説明を受ける。胎児が約400gでかなり小さいこと、羊水が不足しており(たとえが悪いが真空パック状態)、このままではかなり危険なこと、帝王切開手術が必要だが、今新生児用ICU(NICU)の空きがなく、空きを待ってここで手術するか、空きのある病院に再転院して手術するか、胎児が育つのに賭けるか、の3パターンがあるが実質的には前二者の選択になること、等。 実家から到着した両親とも話し、第1の選択肢に賭けることとした。どっちみち胎児の生存率を上げるためにステロイド注射を打つ必要があり、効くまでに2日かかる、それならばここで待ったほうがいいと思った。 とりあえずそのまま入院手続きを取り、ステロイド注射とウテメリン点滴(おなかの張り止め)を打つ。
久しぶりに(といっても連休の谷間は会社に行ったのだが)出社。仕事の内容は覚えているものの、ミスタッチが多かったりして、やはり休みボケ全開。 とかいってまた明日も休むのだが。
世間のゴールデンウィークは終わったが、母親学級のため一日延長。 午前中家にいたらいきなりドアを叩く音が。マンションの表玄関がオートロックになったとはいえ、新聞屋や知り合いに番号を教えている住民がいるらしく、以前も新聞屋の勧誘にあったので、ノックを無視したら、どうも郵便屋だったらしい。不在票が入っていた。それにしてもブザーがあるのにいきなりノックというのも非常識である。 午後、病院へ。同時期に生まれるはずの人たちの腹が順調に大きくなっているのに自分のはさほどでもないような気がしてちょっと不安を覚える。体重はそれなりに増えているので自分で気づかないだけだと思うが。今度の診察の時に相談するのもアリかもしれない。
病院へ行くときにバス停から川沿いの遊歩道を歩くのだが、羽虫があちこちに湧いていて、帰ったらアブラムシだらけだった。服から払い落としたら、薄い色のシャツに虫の体液がにじんでしまい、小さな染みになってしまい、ちょっと凹む。
やっと晴れたので(曇りだけど)洗濯。その合間にレモンの木のアブラムシ駆除とメダカへの餌やりをする。暖かくなってきたので良く喰う。エビが自己主張しだしたのでイトミミズブロックもやったら、メダカがつつき回して持っていってしまった。沈んだらエビの手に入るだろうと放置。 洗濯の合間にまーさんは秋葉原へmy自転車で買い物に行き、なんだかよくわからない部品を持って帰ってきた。彼の自転車は20年前(高校生の時)30万円で先輩がフレームから組んだものを3万円で譲ってもらったもので(先輩(←ボンらしい)太っ腹だな・・・)、途中ペイントを直し、今年new車輪をタダでゲットしてまだ乗る気らしい。上の荷重はこの20年66%増であるが。 夕方、買い物に行く。スーパーマーケットは子供だらけで危険だが、レジでカーネーションの花束だけ持って並んでいるのは微笑ましい。500円くらいだが、子供の小遣いには安くない額だ。うちは何もしなかったなぁ、と思う。
明け方、地震があった。 いつも起きない時間にふっと目が覚めて、しばらくぼんやりとしていたら、ごとんと何かが落ちたような音。上の人がものでも落としたかな、と思ったら、地震。震度は3だったのだが、直下型ってこういうものかな、と思った。 ところで、どうして夜中の地震って揺れる前に目が覚めるんだろうか。予知能力(笑)?
JR福知山線の事故。事故そのもの、そして乗客だった社員がそのまま出社してしまったことは弁解が出来ないと思うのだが、それ以外のボーリング大会やらゴルフコンペやらについて、マスコミが嬉々として叩いているのは、なんか筋違いだと思う。 遊びに行っていたのが社長とか、担当車掌区の人間だったら、それは問題だろう。この場合、尼崎で起きた事故で広島車掌区の人間が自粛しなければならない、もっと言えば事故が起こる前に出発してしまった海外旅行についてまで追求するのは、それは日頃のうっぷんばらしで叩いているだけなのではないか、と思うのだ。もちろん、社内体制や風土の改革は必要だと思うのだが、今回は社内で緊急体制が敷かれていたとはいえ、その対象外だったわけで、それはそれ、としてとらえる必要があるのではないかと思う。 うがった見方をすると、事故の本質から眼を逸らそうという会社の意図があるのではないか、これを機会に福利厚生費を減らそうとしているのではないか、ということも考えられなくもない。(うちの会社もそんな雰囲気があるからなぁ・・・苦笑)
約1年ぶりに美容院へ行く。思い切って段をつけた縦長ボブに。一番長いところでも肩につくかどうか、というくらいまで短くしてもらった。ここまで短くしたのは5年ぶりくらいか?髪の量半減で頭が軽い。 ついでに実家に寄る。みんな相変わらずだが、妹はGWの間も出勤している模様。異動したばかりだからしょうがないのだが、世間に言いたい。言われているほど公務員は気楽ではないのだよ。地方公務員でも日付が変わるまで残業するのが当たり前なのだ。やる気のない奴は全然駄目だけど。
新宿は連休最終日で人出もある。その中で目に留まったのが女性4人組。後ろ姿と荷物から察するに結婚式帰り、だが、その後ろ姿があまりにも同じなのである。髪型こそ巻き髪アップ、ストレート等さまざまだが、揃いも揃って白いジャケット、黒のゲストドレス、黒のヒール。制服ですか?と訊きたくなるくらい「同じ」感じ。本人達はお洒落だと思っていたのだろうけど、完全に裏目に出ているような気が・・・。花嫁友人・同僚って、場のにぎやかしが役割だからカラフルなものを着るといいんだけどなぁ、室内の披露宴会場だと上半身しか見えないから人工光で余計どんよりするんだよなぁ、と思ったりする。
なるものをホームセンターで発見。 綿部分はもとより、軸も真っ黒。 「どれだけ取れたかが一目瞭然」だそうだ。 自分で買うにはどうだろう?と思える代物ではあるが、アイデア商品として、ビンゴなどの景品にすると受けるかもしれない。やる予定はないが。
花の時期になるとテレビで「○日までライトアップが行われます」というニュースが流れるが、無理に夜遅くまで起こされるのが、花にとっていいことなのか、気になる。 わざわざ夜に花を見に行かなくてもいいと思うんだけどなぁ。上野や浅草のように電車で行かれるところならともかく、地方の車でしか行かれないような場所のライトアップというのは見に行く人も車だろうし、ひょっとしてアルコールが入った勢いで行動しているかもしれないし。
先週末からどうも怪しかったのだが、むくみ発生。この前は手の指だけ、それも動かしているうちになんとなく治ったのだが、今日は手ではなく脚がむくむ。まだ足指まで行かないのが不幸中の幸い。膝下から足首までで治まっている。隣の席の人が休みなので、椅子を借りて足を載せてみたり、軽い運動をしてみたり。 むくみにはカリウムがいいとどこかで読んでいたので、野菜とバナナを中心の夕食。昨日買い物でいきなり頭の中にバナナが浮かんだのは腹の中の小さい人の意思かもしれない。 もともと両親の家系とも腎臓が丈夫でなく、私も薬疹とか出たりする体質なので、むくみそのものには慣れているのだが、普段よりも慎重に動かなければならない。
帰宅したら美容院からハガキが来ていた。前回行ったのはいつだっけとカードを見たら去年の5/1。そりゃあハガキも来るはずである。ここまで空くと行きにくいなぁ(苦笑)。
一日洗濯したりスーパーに行ったりテレビを見たり、のんびりした。
FIFAの裁定、このところ厳しく取り扱うのが流れとなってはいるが、思ったよりも北朝鮮に厳しいものになったのが意外と言えば意外。これが日本に有利になるのか不利になるのかは選手次第だろう。 自分たちの正義を主張するあまり周囲が見えなくなっている、というのは戦前の日本を見るようだ。たかがサッカー、されどサッカー。
夕食は鶏手羽元の唐揚げ、水菜とにんじんのサラダ、空豆。空豆は初物。普段鞘付きのまま袋で買うと失敗するので、1鞘10円という特売を利用して自分で選んで買う。とりあえず見立てに間違いはなかったようで、ちゃんと均一サイズのものが出てきた。時間はかかるけど野菜は自分で選べるほうがいいなぁ。
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