ヒトリゴト partIII
 Moritty



またまた金融のお話

2008年01月22日(火)



連日のように下がる株価に少し感覚がマヒしてしまいがちだけど、連銀が大幅利下げをして少し落ち着いたようだ。日銀は金利を据え置いたが、利下げに踏み切らなかったことを非難するような声も聞かれた。果たして利下げするべきだったのか、私は必ずしも賛同しないのだが、相当なプレッシャーに耐えた上での決定であったと思う。私の履歴書のグリーンスパンさんも、金利政策ではものすごい圧力を米政権から受けていたと書いている。

こんな胃に穴があくようなポジションである日銀総裁だが、3月19日に任期が切れる福井さんの後継者が話題になっている。一番有力なのは武藤副総裁だが、元官僚ということで反対する声も強いようだ。その背景にあるのは、金融政策は政府から独立すべきとの考え方。1987年、同じ経歴(大蔵事務次官→日銀副総裁→総裁)をたどった澄田さんが、ブラックマンデー後、消費税導入を控えていたために利上げに踏み切れず、その結果バブルを膨らませてしまった、ということが苦い思い出として語られている。確かに、財政政策と金融政策は切り離して考えるべき点もあり、より中立的な立場で金融政策を考る必要がある。それに、今後5年間の総裁任期期間中に消費税率の引き上げが予想されるが、この状況は澄田総裁時代と重なるところがあり、武藤さんに対して躊躇してしまうのもわからなくない。一方で、今の日本の財政状態は危機的状況にあり、財政と金融は併せて考えることも必要ではないかとも思う。

いずれにしても、危機的状況にある日本の金融を救うという意味で、日銀総裁は非常に重要なポストである。その上、サブプライム問題、日本株の問題、政局の問題等、対処すべき問題が山積みの今、相当タフな人でなければ務まらないだろう。求められる素養はいろいろとあるのだと思うが、日本の将来を中長期的な視野で考え、迅速な決断ができる人であってほしいと思う。



日本のゆくえ(つづき)

2008年01月15日(火)



最近「日本の翳り」について書かれている記事を多く目にする。株価やGDPや経済成長率などの数字にも顕著に表れているので反論の余地はあまりない。そして、金融業界では、世界の市場における東京市場の地盤沈下は明白だ。金融庁はなんとかして東京市場をアジアの金融センターにしようと必死なのはわかるのだけど、何をしていいか分からず慌てふためいているだけのように見える。もう手遅れのような気もするが、何もしないよりましなのかもしれない。東京市場の存在感が低下してしまっている理由はグローバル化の遅れが深く関係しているが、そもそもなぜグローバル化がこれほどまでに遅れてしまったのか。

一ヶ月以上前になるが、イギリスの経済紙"The Economist" の中折に日本の特集記事 Going Hybrid が掲載されていた。なかなか読む時間がなかったのだが、やっと読むことができた。5つの記事に分かれていてかなりの分量なのだけど、そんなには難しい英語ではないし、ネットで読めるので時間があったら読んでみる価値はあると思う。

Going Hybrid
Message in a bottle of sauce
Still work to be done
Not invented here
No country is an island
JapAnglo-Saxon capitalism

データも豊富だしかなり踏み込んだ内容でおもしろかった。記憶に新しいブルドックソース事件は、日本の限られたグローバル化のチャンスをつぶしてしまった。"Message in a bottle of sauce"では、ブルドックソース事件を例にあげて、日本の企業統治 (コーポレートガバナンス) が株主の方を向いておらず、言わずもがな、その結果ROE が欧米企業に比べて低いことを指摘している。また、昨年解禁された三角合併についても、こういった企業文化を考えると、その活用の可能性は疑問視される。

日本の法制度は、その柔軟性から、きわめて自由度が高くて「ゆるい」と言われている。しかし、法律を読む限りその行為が違法(または合法)とは読みにくいのに、法廷での判決は違法(合法)となったりする。ブルドック事件が良い例だ。一般の反応としては、みんなが大好きなブルドックソースが欧米のヘッジファンドなんかの餌食にならないで良かったね、といったものが多かったように思うが、TOBを仕掛けたスティールパートナーズにしてみれば、法律に則ったことを行ったのになぜ最後に裁判で負けなければいけなったのか理解に苦しんだであろう。そして、欧米勢の日本に対する投資意欲は一気に冷めた。この判決は、日本を守ったように見えて、実は貴重なグローバル化の機会をつぶしてしまったのだと思う。

日本は一体何を目指しているのか。日本は、海外に対する開放主義と極めて厳格な孤立主義の間をさまよってきた歴史がある。その不安定さが昨今のグローバル化への対応に表れているのではないか。記事では、このままでは日本はスイスのような国になる危険がある、と警告(?)を発している("Japan risks ending up like Switzerland.")。日本はアメリカ型の資本主義を目指してきたが、アメリカにはなりきれておらず、中途半端な資本主義国になっている。もっとアメリカよりの資本主義を目指さなければ、スイス、つまり、快適でぬるま湯のような、でも世界の動きとは無関係な("comfortable and complacent, but irrelevant")国になってしまう可能性がある、と記事は指摘する。

スイスのような国?それって悪くないのではないだろうか。世界情勢から切り離されて世界への影響力が弱まったとしても、快適な暮らしがあるのであればそれはそれでいいではないか、と思ったりもする。それも一つの選択肢だ。問題は国民が必ずしもそれを望んでいるわけではなく、ここで言う「スイスのような国」を目指しているわけではないことなのだと思う。では、一体何を目指しているのか。今の日本にはビジョンがなく(少なくともはっきりわからない)、それが問題なのだ。状況をきちんと把握し、いろいろな選択肢を議論したうえで、日本が、我々が今後何を目指していくのかをきちんと考えるべきだと思う。

日本は、4000年の歴史を持つ中国ですら実現できていない、革命で国を変えることができた国だ(それも2度も)。時代は変わったが、志を持っていればまだ可能性があるのだと信じたい。



日本のゆくえ

2008年01月06日(日)



しばらく更新しないうちにとうとう年が変わってしまった。今年はもう少し頻繁に更新したいと思います。(新年の誓い)

金融業界にいる身として、色々な意味で不安要因の多い2007年であったけれど、2008年も暗雲垂れ込める幕開けだ。

大発会の4日の株式相場は急落した。海外で円相場が急伸、米原油相場が一時1バレル100ドルの大台にまで上昇。そして米企業の業績悪化懸念も加って株価全面安となった。日経平均は616円安で、大発会としては過去最大の下げ幅を記録した。そして、4日のNY時間に発表された12月の米雇用統計が市場予想を大幅に下回っているため、週明けの相場も荒れそうだ。

昨年の東京市場は日経平均の年間騰落率ではマイナス11.1%だった。一方で、世界では株価は上昇した。中国の年間騰落率95.5%、インド45%、ブラジル40.5%、中国本土系企業も多く上場している香港37.1%と新興国が躍進したほか、サブプライム問題の震源地である米国ですら7.1%とプラスの成長だった。日本は一人負けといってもいい。日本には世界有数の優れた技術や製品を提供する企業が多いのに、株価が上がらないのはとても残念な状況である。

誰もが口をそろえて言う株価低迷の理由は、外国人投資家が日本企業の生産性向上、すなわち、小泉元首相が敷いた経済改革路線の行く末に懐疑的であるからだ。小泉路線は、政府の役割を小さくして自助努力による生産性向上を促そうというものだが、現在の日本が抱える借金、高齢化社会、人口の減少、グローバル競争力の低下といった問題に対処するには、この路線以外にないだろう。しかし、同時に、改革の実施は「痛み」を伴う。国民は自ら努力を強いられ、国に守ってもらったり、甘えたりねだったりすることができなくなる。必死で頑張る者と努力を拒む者の間に格差が生じる。そして、努力を拒むもの、改革によって既得権を失うものたちの不満は募り、改革に対する反発は大きくなる。

この状況は、1970年代、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次ぎ、いわゆる「英国病」をわずらっていたイギリスを思い起こさせる。当時のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる公共福祉で世界有数の高福祉国家であったが、1979年に就任したサッチャー首相は、これこそが「英国病」の病巣であると気づき、政府の役割を小さくし、国民に自助努力を強いて市場の活性化を図る「小さな政府」路線を敷いた。そして、規制緩和や福祉制度見直しといった大胆な改革が実施されることとなる。また、戦後国有化された基幹産業の民営化、炭坑の閉鎖、大ロンドン市の解体、福祉制度の圧縮に乗り出した。当然のことであるが、この改革は「痛み」を伴った。金融・財政面の引き締めは、80年代前半に深刻な不況を招き、失業率は80年代中ごろには二桁を超えた。

しかしサッチャー首相は、ひるまなかった。 「これ以外に方法がない」と言い切り、痛みなしでは英国病を治せないことを国民に説いて回り、イギリスは見事なまでの復活を果たした。一方で、日本では、改革に反対するものたちがネガティブ・キャンペーンを張り、小泉改革は格差を生むから悪い、と説いて回った。そして、日本国民は見事に説得され、改革自体に対する疑問や反発が広がった。

格差について言えば、機会の格差はなるべく小さくあるべきであるが、努力を行った結果、生じる格差は必要な格差である。努力をしてそれが報われないことこそが問題であり(「希望格差」)、その格差がなければ、部長職を出世のターゲットとするような無欲無気力な若者ばかりが増えていくことになるだろう。貪欲であることが良いというわけではないが、これでは国は発展し得ない。

政府は、現在日本が置かれている危機的状況をもっと真剣に捉えるべきである。表面的な人気取りや自らの庭先だけをきれいにすることを考えることはやめて、経済改革の正当性、つまりこれが日本国民が、我々子孫が豊かになるための最善策であると、き然として説いて回り、説得する努力をしていくべきなのだと思う。


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