ヒトリゴト partIII
 Moritty



ショコラ

2005年01月31日(月)



高校時代の友人から、ジャン・ポール・エヴァンのチョコレートをいただいた。「チョコレートは元気が出るよ」と言って、忙しい中持って来てくれた。
雑誌などで取り上げられて話題になっていたけれど、食べたことがなかった。実際に食べてみてそのおいしさに感動!まるで宝石のように大切そうに包みにくるまれたチョコレート。新宿伊勢丹のお店はバレンタインの前ということもあって殺人的な混雑だったと思う。その中、行列に並んで買ってきてくれたその気持ちが嬉しい。その行列に並んで、一粒一粒を選んでいるときは、きっと私のことを考えて、私が喜ぶことを考えていてくれたのかと思うと、とても嬉しくて涙がでてしまった。情けないくらい嬉しかった。たぶん、私は今までになくさびしいんだと思った。



簡単だけど、難しいこと。

2005年01月26日(水)



長崎県佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、県教委が県内の小中学生を対象に「死んだ人が生き返ると思いますか」と聞いたところ、「はい」と回答した生徒は小学4年14・7%、小学6年13・1%、中学2年18・5%だったそうだ。長崎の中学2年生は約5人に1人が死んだ人が生き返ると思っているって考えると、かなりの恐怖だ。その理由は、「映画やテレビで生き返るのを見たことがあるから」「ゲームでリセットできるから」。もし、本当にそう信じているのなら、精神的にあまりにも幼稚で驚く。

生きとし生ける物は死んだら二度と生き返らない。だからこそ、その一度きりの人生を、その命を大事にしなければいけない。とても単純なことに思えるけれど、そんなことほど理解するのって難しいのかもしれない。それに、たとえ理解できたとしても、実行するのは難しかったりする。



月命日

2005年01月22日(土)



幸福の最大の敵は後悔である。そう言ったのはトルストイだったと思う。その通りなのだろうけど、母がこの世を去ってひと月経つが、後悔をしなかった日は一日としてなかった。

母は食べることが大好きな人だったが、去年の11月初めのころから食事もすすまなくなり、おまけに酷い便秘に悩まされていてあまり食べていなくなっていた。そんな母だったのだが、その日はとても良く食べた。便秘が治ったわけでもない母があまりにも良く食べるので逆に心配になり、私は「もういいんじゃない?食べすぎじゃない?」と言った。母は「そうだね。お母さん、まるで馬鹿みたいに食べてるねぇ。もう止めよう。」と言って食べるのを止めた。今思い返せば、それが、母の最期の食事だったのだ。その翌日から、意識のレベルが急に下がってしまい、誤飲の危険から口からの食事はできなくなってしまったのだ。母は食べるときはいつも幸せそうな顔をした。あの時の、最期の食事をしている母の顔を思い出すと、なんで思う存分食べさせてあげなかったのかと後悔の念に苛まれる。振り返れば、そんなことばかりだ。母に謝りたいことやお礼を言いたいことはこんなにたくさんあるのに、伝えられない。永遠の別れというのは、そういうものなのだ。



喜びとかなしみ

2005年01月21日(金)



「対岸の彼女」で見事直木賞を受賞した角田光代さん。芥川賞、直木賞などの候補になりながらも、11回落選、12回目での受賞だった。彼女が受賞の知らせを受けたのは、彼女のお母さんの葬儀が終わった四日後だったそうだ。そのときの心情を語る短い手記が読売新聞に載っていた。読みながら、自分の経験と重なって胸が苦しくなった。

角田光代さんは、かなしみと喜びをほとんど同時に体験した。新聞の手記のなかで、彼女はこういっている。「直木賞を受賞するということがどんなことか、私にはまだわからない。母がもういない、ということもおんなじようにわからない。わかることはただひとつ、喜びはかなしみを消去はしないし、かなしみが喜びをおびやかすことはない、ということだ。」そして、このふたつの混じり合うことのない感情、喜びの意味もかなしみの意味も、たぶん、書くことでわかろうとしていくんだと思う、という。

私は物書きではないので、書くことでわかることはできないかもしれないけれども、私もこれから、一生をかけて、よろこびの意味とかなしみの意味を毎日の生活を通してわかっていきたいと思う。死の瞬間までかかってしまうのかもしれないけれど。



もの思い

2005年01月18日(火)



今朝は空気が澄んでいたせいか、雪化粧をした丹沢や秩父の山々が良く見えて、まるで歩いていけそうだった。陽が昇るとともにあれほどはっきりと見えていた山々が霞んで見えなくなってきた。そして、夕陽になると山肌は全く見えなくなってしまったが、黒々としたシルエットがはっきりと見えてくる。変わらない景色なのに、陽の光のせいでこれだけ見え方が違うのだと改めて関心した。これだから真実を見極めるなんてのは難しいわけだぁね。

マドギワな一日でした。





2005年01月16日(日)



人間の命なんて風の一吹きで消えてなくなってしまうようなものだ。人生を語れるほど長い人生を生きてきた訳ではないが、母を看取って、そして津波の被害で亡くなった方々を思うとそんな風に思えてしまう。そんなはかない人生なのだから、どう生きるのもその人の自由だ。しかし、生きていることそのものに意味はあるのだろうか。生きている人が大事、生きていることが大事、というけれど、死んだ人にも魂を揺さぶられることがある。私は小説を読んだり絵画を鑑賞したり音楽を聴いたりすることが好きだけれども、それはその作品の中に命の息吹を感じるからだ。そして、それらを創った人間たちのほとんどはすでにこの世にいない。逆に、生きている人間でもまったく魂を感じない人もいる。だから、「生きている」こと自体にあまり意味は感じない。ただ「生きている」だけでは、その人生を生きているとは言えないと思う。

私は私の人生を生きているのだろうか?

【写真:親子バッタ】



何が残るんだろう

2005年01月13日(木)



こんな詩を見つけた。

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死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない 他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない 他には何も残っていない

『死んだ男の残したものは』 谷川俊太郎

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私が死んだら何が残るんだろう

何を残したいんだろう



母の不在

2005年01月11日(火)



平成16年12月22日、母がどこか遠くに旅立ってしまった。もう、二度と感じることのできない母のぬくもりを思い出すと、身体に四角い穴が開いてしまったような、その穴を冷たい風が吹き抜けるような胸の痛みを感じる。もう、二度と会えない。もう二度と話ができないのだ。でも、母は今病苦から逃られたのだから、良かったと思うべきなのかもしれない。苦娑婆とはよく言ったもので、生きていることの大半は苦しみのような気がする。四つ葉のクローバー程度の、ほんの少しの喜びのためにみんな生きているのかもしれない。悲しいけれど、人間はそんな些細な喜びだけで生きて行くことができてしまういきものなのだ。

両親を看取ってしまうと、未だ子供のいない私は、既にこの世の役目も終わったように思えてしまう。命のリレーなんていうけど、私は途中でバトンを落としてしまったリレー走者みたい。そんな風に考えると、動物の本能として自分はダメなんじゃないかと思ってしまうが、そんなことを考えても得るものはないから考えを切り替えよう。

今日から仕事に復帰した。仕事をするということは憂鬱だけど、私には仕事をすることができる健康な身体がある。与えられた仕事がある。すばらしい友人たちがいる。月並みな慰めかもしれないけれど、失ったものや得られなかったものを数えるより、与えられたものを数えるほうが楽しい。(月並みって、意外と馬鹿にできないんだ)

【写真:病院の窓から見た富士夕景】

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