ヒトリゴト partIII
 Moritty





2003年10月30日(木)

秋は美しい季節だ。美しい季節の中にいると、すさんだ気持ちに平穏が訪れる。実りの秋。芸術の秋。食欲の秋。スポーツの秋。読書の秋。秋を装飾する慣用句が非常に多いことを考えると、秋は様々なことに適していることになる。人生80年とすれば、40代〜50代がまさしく秋になるので、実は一番美しく、多くのものが実るときなのかもしれない。果実は熟し、子供達に栄養と微笑みを与える。そして、熟れて地上に落ちた果実は新しい命を誕生させる。



「いま」という時

2003年10月24日(金)

「アノネ
 時は金なり
 なんていうけれどね
 時はいのちだよ

『いま』という
 この時は
 自分の一生の中の
 一しゅんだから
 ね」

相田みつを 「時」



シンクロニシティ

2003年10月17日(金)

「共時性」と日本語では言うそうだ。一見無関係な、心の出来事と外界の出来事が一致(シンクロナイズ)することを言い、ユングは普遍的概念である因果律を補うものとしてシンクロニシティと定義付けたのだ。

週末から香港に出張なので、外貨を買っておこうと思い、昼休みに銀行に行った。銀行に向かう途中で、大学時代のことをぼんやり考えながら歩いていた。というのも、週末に部屋を少し片付けていたら大学のESS時代に仲間や先輩からメッセージを書いてもらったノートが出てきた。ESSでは、ディスカッションをやっていたのだけど、ノートに書かれている言葉はみんな「パッションが足りない」「自信をもって発言しろ」「恥ずかしがってちゃだめだ」といったアドバイスばかりだった。そのことを思い出して、未だに全然変わってないなぁ…、とほほ。なんて考えていたら、銀行でESSの先輩にばったり会ったのだ。そのとき、私はESSのことを考えていたので、違和感もなく「あ、こんにちは」とか言ってしまったけど、考えてみれば十年近く会っていない。先輩は驚いていた。

因果律とは、原因と結果の法則のことだけど、この世の中には因果律だけでは説明のつかないことがある。例えば、「虫の知らせ」とか「予知夢」などだ。でも、科学的な説明がつかないから、単なる偶然、というひとことで済ませてしまうけれど、それは認識可能なデータ不足なだけであって、そこに何らかの法則があると考えてみても良いのではないか。人の心には、目には見えないけれどとてつもないパワーが潜んでいるのではないか、と思った一日だった。



頑張るということ

2003年10月08日(水)

今日の夕陽はとてもきれいだった。オフィスのビルの西側の窓からは、ちょうど秩父や奥多摩の山並みが見え、その黒い山並みと茜色に染まった雲と、陽光を受けて光る高層ビルのコントラストが見事で、暫くの間見とれてしまった。年とともに映画や音楽、日々の生活の中での感受性は衰えてきているのに、自然に対する感受性(というか渇望)は高まってきた気がする。これもやはり年を取ったからなのか、それとも都会に長く住んでいるからなのか。

私は良く頑張りすぎだといわれる。多分そうなのだけど、実は、「頑張っている人」はあまり好きではない。というのも「頑張る」という言葉からは、何か息苦しい感じがして、「私、頑張ってます!」という雰囲気をかもし出す人と一緒にいると、何となく疲れてしまう。もし、私もそんな風に周囲の人を疲れさせているとしたらちょっと嫌だと思う。ただ、矛盾するかもしれないけれど、頑張らない人も好きではない。「どうせ頑張ったって同じだよ。」と斜に構えている人を見ると、なんてつまらないんだろうと思ってしまう。

でも、考えてもショウガナイ。私は私ができるようにしか出来ないのだから。(でも、やっぱり頑張ろうとしちゃうんだろうなー。)

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