ヒトリゴト partIII
 Moritty



Blackout

2003年08月15日(金)

ニューヨークの停電のため、ニューヨークにある会社のサーバーがダウンしてしまい一日仕事にならなかった。改めてインターネット無くして仕事にならないことを思い知る。

メールがつながらないと、仕事が増えなくて嬉しいのだけれど、同時にちょっと寂しい。IT依存症かなぁ。



夏休み

2003年08月11日(月)

気が付いたらもう8月になっていた。世間は夏休みである。予定ではHPを全面改定するはずだったのだけど、時間がないという理由で何も手をつけていない。それどころか日記はサボりまくっている始末。やはり飽き易い性格なのかなぁ。

お盆ウィークに入って、比較的忙しさは和らいでいるものの、やはりやらなければいけないことは後を絶たない。時間が足りない。時間は作るものなんだろうけど、優先順位の問題なのか、少し余裕が出来たと思うとやることが容赦なく沸いてくる。でも、そんなとき、とてつもない焦燥感に襲われることがある。そして、人間が一番考えてはいけないことを考えてしまう。こんなことを繰り返している私は何のために生きているのだろうか?

ところで、お盆(盂蘭盆会・うらぼんえ)のいわれは、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音読みしたもので、 「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味だ。なんでも、お釈迦様の弟子の目連尊者という人が、亡き母が今天上界でどうしているかを神通力を使って調べたところ、天上界にはおらずに餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいることを知った。 あれほどやさしかった母が何故天国ではなくて餓鬼道に落ちたかとお釈迦様に尋ねたところ、目連をかわいがるあまりに他人に施すこともなく目連のために他人から物を取るばかりだったためだということがわかった。自分のために餓鬼道で苦しむ母をどうしたら救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言った。「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。これが、お盆供養(施餓鬼)の始まりだそうだ。

そして、目連尊者がお釈迦様の教えの通りにしたところ、母親は極楽往生がとげられ、目連は歓喜の踊りを踊り、これが「盆踊り」の始まりだということだ。

ふと、自分も餓鬼道に落ちるかもしんない、と思った。そんな風に思う私って、何のために生きているんだろうね・・・。

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