ヒトリゴト partIII
 Moritty



台風4号

2003年05月31日(土)

今日は季節はずれの台風で、恐ろしい程の雨だった。明け方から降り始めた雨だったが、お昼近くには近くの川が氾濫して道路はふくらはぎほどの深さの川と化した。伯母の法事でお寺に出かけていたのだが、水はけの悪いらしい裏庭は水深15センチほどの湖になっていた。万が一床上浸水なんてなったら大変困るのだけれど、小さい頃、台風が来ると何故かワクワクしてしたことをちょっと思い出した。昔は小学校が休みになるってことが嬉しかったのだろうけど、今はそういったインセンティブはない。もしかして、それが小さな非日常だからかもしれない。

台風は熱帯低気圧に変わり夕方には雨は上がった。台風の名残の強風がうなるように吹き荒れていた。きっと明日あたりは湘南の海にサーファーがたくさん出没するのだろう。



なんか、疲れた。

2003年05月27日(火)

最近、もうどうでもいいやモードになっているかもしれない。別に何があったわけでもないのだけど、考えることが少々面倒になっていて、日記も書けないでいた。(言い訳)

そういえば、昨日の地震は結構大きかったな。窓がミシミシ音をたてたので、割れるかもと思い、あせって机の下にもぐってしまった。オフィスにはテレビもラジオもないため情報もなく、自分一人きりだったのでとても不安になってしまった。近々大地震があるかもしれないといわれているが、死んでも会社で死にたくはない。

そういえば、暫く日記を書かないうちにドメ男が会社を辞めることが公表された。一応6月末付けで自主退職ということで落ち着いた。やった!正義は勝つのだね!と一瞬喜んだわけだれど、一方で一時的とは言え仕事と責任は増える一方(もちろん給料は変わらず)で、何となくやるせない気分になってしまった。短い人生なんだから、自分のために生きなければいけない。仕事はたとえお金のためだとしても、自分のためであるべきだと思う。

そういえば、明朝、この前の国際会議でのレセプションの様子がNHKのニュースで紹介されることになった。15秒だけって言っていたから期待はしていなけれど、取り上げられるということは何らかの意味で評価されたということだから、やっぱり嬉しい。そしてまた、頑張ろうって思える。仕事は自分のためであるべきだけど、自己満足じゃだめなんだと思う。当たり前だけど。

そういえば、「酔生夢死」という生き方もいいかもって最近思う。人生を無駄にするって意味だけれども、「酔っ払いながら生きて夢を見ながら死ぬ」。なんか、いい。



今年初めての・・・

2003年05月19日(月)

風邪を引いてしまった。発熱していないのでSARSではないと思うのだけど、扁桃腺が腫れてかったるい。でも、胃腸は元気で味はしないけどちゃんと食べれるからすぐ回復するだろう。栄養と休養が一番の薬だから・・・Zzzz



人間不信

2003年05月13日(火)

大袈裟かもしれないけれど、人に騙されることが度重なると人間不信になってしまう。騙すよりはいいと人は言うけれど、騙されるのってやっぱり辛い。右の頬を打たれたら左の頬を??とんでもない、人間的に未熟な私はそんな風に思えなくて、どっちかって言うとハムラビ法典的に考えてしまう…。

先週、私が抱えているあるプロジェクトについてヒアリングをしたいと、某中央銀行出向の高梁さん(仮名)という人がオフィスにやってきた。彼らも似たようなプロジェクトをやっているらしく、先行してスタートしている我々のプロジェクトに興味を持ったのでいろいろ教えてほしいと言われたのでお会いすることにした。高梁氏曰く「おたくのプロジェクトとうちのはバッティングしないので、ぜひ協力しながらやっていきたい。こちらも情報提供するのでぜひおたくも情報を提供してくれないか」ということだったので、先行している我々のプロジェクトの詳細を教えてあげたのだ。彼らは某中央銀行の沿革団体で非営利だし、高梁さん自身も品が良いと言われている某中央銀行出向者だしそんなえげつないことはしないと高を括っていたのが悪かった。彼は、実にえげつなかった。

今日、某都市銀行の人と話をしていたら、そのプロジェクトの話題になり、「そういえば昨日高梁って言う人が来て、XXXX(うちの組織)のプロジェクトは全然ダメだしどうせ上手くいかないだろうから、ぜひうちのプロジェクトに参加してください、なんて暴言吐いていましたよ。また会いたいって言っていたから、今度来たら首絞めときましょうか?」なんて言うのだ。ショックで言葉がなかったが、とりあえず「首、絞めといてください…」とだけ言っておいた。

しかし、よくよく考えてみれば、単に私が甘かったんだな。サラリーマンの男性社会というのは実にえげつないものだということをすっかり忘れていた。ここにいたら性格がどんどん悪くなってしまいそう。ぐすん。



ほのぼの伊豆旅行

2003年05月12日(月)

母と従姉の今日子さんと伊豆の弓ヶ浜に行った。とりあえず母の病気が回復してきているので、病気平癒祝いと御世話になった今日子さんへのお礼旅行という名目だったのだけど、私自身かなり楽しんでしまった。

大船から踊り子号に乗り、2時間半ほどで下田に着く。そこから20分ほどバスに乗ると弓ヶ浜だ。ここまで来ると辺りの景色は全くの田舎になり、遠くへ来たもんだなやと思う。海が目の前の旅館だったので、郷愁を誘う波の音が静かに聞こえてきて、永六輔の歌がBGMに流れてきそうな雰囲気だった。

帰りは西伊豆に周り、バスと船を駆使して帰ってきた。これが結構良くて、下田方面に行くときはぜひお勧めしたい。
例えば、行きはスーパービュー踊り子号で車窓の海を眺めつつ直接向かい、翌日下田から東京に帰るときにお勧めのプラン:
①下田→松崎(路線バスで50分)
②松崎観光:長八美術館、なまこ壁通り、中瀬邸見学(徒歩で1時間半程)
③松崎港→堂ヶ島(フェリーで10分)
④堂ヶ島洞窟めぐり遊覧船乗船:海蝕洞くつの天窓洞は圧巻。洞窟中央の天井が丸く抜け落ちて天窓となり、そこから差し込む光で海面の色が神秘的に変化。行ったことないけれど、カプリ島の「青の洞窟」を連想した。また、海面をトビウオがたくさん飛んでいてその飛距離に感動。優に500mは飛んでいるのではないだろうか。しかし、いったい彼らは何故に飛ぶのだろうか。(乗船時間20分)
⑤堂ヶ島で昼食:漁師の奥さんがやっている地元食堂で刺身定食とビールで一杯(1時間半)
⑥堂ヶ島→沼津港(フェリーで90分)
⑦沼津港→三島駅(バスで30分)
⑧三島→東京(「こだま」で56分)

明日からの日常を思うとユウウツだけど、やはり非日常は日常を継続するためには必要ナリ。



HOT HOT HOT

2003年05月08日(木)

生まれてから一番と思われるほど辛いマーボ豆腐を食べた。辛いものはどちらかと言えば、と言うかかなり好きだけど、山椒が恐ろしく利いていて口内が麻痺してしまった。でも、まるでカッパえびせんのように箸が止まらずに食べ続けてしまう。そういえば、私は辛いものを食べると何故かお腹に湿疹ができるのだけど、今のところ大丈夫みたい。でも、しょうがないか。おいしいものの代償としてお腹の湿疹くらい安いかもね。(花より団子)

それでも食べきれず、ドギーバッグで持って帰ってしまった。暫くはマーボ飯が続く予感。



リニューアルねぇ。

2003年05月07日(水)

なんだか暑かったな、今日は。久しぶりに暑いという感覚を思い出した。夜が更けてきてやっと涼しくなって、夜風が気持ちよかった。雲が北東にとても早く動いていて、爪のようなとても細い三日月が出ていて、とてもとても歩きたい気分になったので、二駅歩いて家に帰った。

そういえば最近すっかりHPの本体の更新を怠っている。仕事のほうも少し落ち着いたので、時間が全くないわけではないのに、気持ちが乗らないのだ。サーバーを貸してくれている阿倍君が予想通り転職して、一瞬「もうだめか」と思ったけれどプロ意識の強い阿倍君は、きちんと新しいサーバーの手配をしてくれた。さすが。せっかく制限なしのサーバーを使わせてもらっているのだから、もっと充実したホームページにしたいと思うのだけど、うーん・・・。もう少し落ち着いたら心機一転でリニューアルしようかな。ついでに人生もリニューアルしちゃおかな。(深い意味はないけど・・・)




大掃除

2003年05月05日(月)

今年は飛び石だったせいか所謂「ゴールデン・ウィーク」という感じはしなかったけど、逆にゆっくり出来たのでよかったと思う。

連休最後の今日は、実家の自分の部屋の大掃除をした。小さい頃から引越しを経験していなかったのでとにかく古いものまでが残っている。古くて懐かしい写真や書き物を見つけるとついつい見たり読んだりしてしまって作業が中断される。ちょっとした走り書きなどでも、自分で書いたはずなのに、今その環境(そのメモを書いた過去の自分が置かれた環境)にないためか、それは別の人間が書いているようで面白い。不思議と全く記憶になかったりすることもあり、当時の自分の気持ちを推察して楽しんでみたりする。

今日発見したのは、学生時代にノートに走り書きした日記風の文章だった。それは、マタイの福音書5章とルカの福音書6章から有名な「山上の説教」からの引用で、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。(中略)自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(中略)赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」という一節が延々とノートに書き写してあった。どうもかなり落ち込んでいたようでその前後に重い内容の散文が書かれていたのだが、その理由に記憶がないのでとても気になってしまった。不思議なもので、嫌な記憶というのは楽しい記憶に比べて忘れ去るのが早い。それは多くの辛酸を嘗めながら生きていかなければいけない人間に神様が与え賜うた治療薬なのだと思うけど、それによって「昔は良かった」と美化された過去を懐かしんで前に進めなくなるのはその薬の副作用なのかもしれない。私も昔の写真を眺めながら「ああ、あの頃はよかった」と老人くさく感慨にふけりつつも、そんな走り書きを見つけるといつの時代も「現在」が一番大変なのだよと長老のように悟るのであった。

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