ヒトリゴト partIII
 Moritty



悪夢?

2003年01月30日(木)

朝、いつものように目が覚めたらおばあさんになっていた、という夢を見た。

いつものように目が覚めて、身体を起こそうとしたら、錆びたブリキのように身体がぎしぎし言う。なかなか上半身が起き上がらず、でも遅刻してはいけないので、やっとの思いで起き上がるのだけど、今度は腰が持ち上がらない。ふと、気付くと手の甲がしみだらけでかさかさしている。あれ、と思ってベッド脇の鏡を覗き込むと、そこには白髪で皺だらけのおばあさんが映っていた。それが自分だとわかった瞬間、思わず悲鳴を上げてしまった。そして、その悲鳴で眼が覚めた。

まるで三流ホラー映画みたいだけど、本当にリアルな夢だった。目が覚めたら虫になっていた、とかなら小説になりそうだけど、おばあさんじゃ面白くもなんともない。おばあさんになるのが怖いわけではないけれど、それには段階というものがある。明日、突然なったらやっぱり困る。だって、まだその前にやりたいことがあるのだから。

もしかして、誕生日が近いせいかもしれない。それで何かあせりのようなものがあるのだろうか。もちろん、誰も、永遠に成長しつづけるわけではないけれど、ただやみくもに年を重ねていくだけの人生というのはちょっと寂しい。もっともっと、強くやさしく賢く美しい人になりたい。(思うだけじゃだめだよん。もっと具体的な目標持ったほうがいいね、やっぱり。と、心の声)



ツバル

2003年01月28日(火)

現在、Moritty's Journalは、友人の阿倍君(仮名)が働くITビジネスコンサルタント会社のサーバーを借りている。でも、レンタルサーバーのサービスがあってそれを正式に借りているわけではないので、タダだし使えるサーバー容量も無制限。阿倍君には本当に大感謝なのだ。唯一のリスクは、彼がより良いステータスを求めて会社を辞めてしまった場合だが、それはそのときに考えようと思う。

とにかく、今はとても助かっている。おまけに、Moritty's Journalへのアクセスの国別分類なんかも見せてもらっている。日本語しかないページなので、当然7割近くは"Japan"なのだけど、ふと見ると"Tuvalu"という名前が入っていた。"Tuvalu"?「トゥバル」? 映画のタイトルにあったような…。でも、あまり聞いたことのない名前だ。恥ずかしいけど、やっぱりわからない。観念して英和辞典で調べてみると、

Tuvalu:【国名】ツバル

とあった。国別分類の話だから当然なのだけど、やはり国名だった。さらに、インターネットの検索サイトで「ツバル」を調べてみたら、関連ページが7,100件も出てきた。ツバルは、オーストラリアの北東、フィジーの北に浮かぶ9つの珊瑚島からなる小さな国で、国土たった26平方キロメートル。世界で4番目に小さい国だ。1978年にイギリスから独立した立憲君主国。高地でもたった海抜4メートルしかないため、現在、地球温暖化による海面上昇の被害が出てきていて、いずれは消えてなくなってしまうだろう、と書かれてあった。そんな国からアクセスが?珊瑚の島だから農業もできず、輸出できるものは切手とコブラとバナナくらいでとても貧しい国みたいだし。…恐らく、偶然Hitしてしまったページですぐに閉じられてしまったのだと思うけれど、ツバルがとても近い国のような気がした。インターネットってスゴイ。

神さまの国 ツバル
ぼくらはそこに すんでいる
金も銀も なーんにもないが
ぼくらはちっとも 気にしない

あなたは やさしく あたたかい
あけぼの近く よせ波ひびく
浜辺にあなたの 声をきく
あなたをたたえる 声をきく
あなたをたたえる 声をきく
(ツバル国名誉総領事館のホームページより)

真っ青な空と海と無邪気に笑う子供たちの写真を見ていたら、ちょっと、行ってみたくなった。



ストレス性かも。

2003年01月27日(月)

偏頭痛と吐き気はまだあったけど、今日は休めない日だったので会社に行った。大丈夫だと思ったけど、やっぱり辛い。バリウム飲んだせいかな?
違う、ストレス性のものだ、きっと。

でも、熱はないし、夕食はお粥を食べれたので少しいいみたい。とりあえず、早めに寝ることにしよう。



精神と肉体についての短い考察

2003年01月26日(日)

今日母が退院した。別に今日でなくても良かったのだけど、「大安」だからという理由で結構無理やりお願いしたら、先生は苦笑いしながらも快諾してくれた。

病気というのは、普通身体の病のことを言うのだけど、「気の病」と書く通り、精神的なものの影響力はかなりあると思う。毎冬、私は必ずと言っていいほど2、3回は風邪をひくのだが、今年は一度もひいていない。母が病気だから、自分は絶対に風邪なんてひいてられないという意識のためだと思う。「火事場の馬鹿力」というが、人間は危機に直面すると、脳内にアドレナリンやドーパミンなどの抗ストレスホルモンが分泌されて、やる気がつくり出され、脳や体が活性化するそうだ。その結果、自己免疫力が高まって風邪もひかなくなる。それに、いつもは到底出来ないようなハードスケジュールだって難なくこなせてしまうのだ。

朝、母を病院に迎えに行くと、子供のような明るい顔をして待っていた。当たり前だけど、退院することが本当に嬉しいのだと思った。その喜びのためか、病気がどこかに飛んで行ってしまったようだ。そんな元気そうな母の様子をみて安心したためか、急に自分が具合悪くなり、微熱と吐き気で一日寝込むはめになってしまった。図らずも「病は気から」を実践しているのであった…。



Thank God, It's Friday...!

2003年01月24日(金)

と本気で思った。お正月休みや祭日などが続き、身体がなまってしまって5日連続で働くことにまだなれていないのかもしれない。その上寝不足もあって、午前中は仕事がはかどらず、予定していた半分も出来なかった。夕方になってからやっと調子が出てきて、何とか予定分だけは終えることが出来た。

疲れていても、不思議なもので金曜日は夕方以降どんどん元気になる。少し遅い時間になってしまったが、学生時代の友人と久しぶりに外で食事をした。今週はずっとテンション低めであまり調子は良くなかったが、やはりおいしいものを食べると元気になる。それに、アルコールは気持ちをリラックスさせてくれる。「ななは」というそのお店で、『百年の孤独』という焼酎を飲んだのだけど、これがとてもおいしかった。麦焼酎なのにウイスキーのような琥珀色で、とてもまろやかで香り豊か。名前は聞いたことがあったけど、飲んだことはもちろんなかった。

家に帰って、『百年の孤独』について調べてみたら、なかなか手に入らない幻の銘酒だそうだ。名前はガルシア=マルケスの小説の題名からとったもので、皇太子もご愛飲されているとか。そんなに希少価値のものだったら、もっと味わって飲めば良かった!と、レア物に弱い私は思ってしまった。



バリウムについて

2003年01月23日(木)

今日は定期健診の日。少し憂鬱だったけど、定期健診は大事なので頑張って早起きして病院に行った。憂鬱の一番の原因は胃部レントゲン。実は胃カメラは結構好きなのだけど、あのバリウムだけはどうも好きになれない。絶対身体に良くないに決まっているのに、なんであんなもの飲まなければいけないのだろう。

心電図、採血、聴覚など一通り検査が終わって、とうとう胃部レントゲンの番になった。嫌だなと思っていると、看護婦さんに紙を一枚渡された。そこには『レントゲン撮影をする前に飲んでいただくバリウムは、10年前は濃度130%のものを300ml飲まなければいけませんでしたが、技術の発達により、今では濃度200%のものを180ml飲むだけで良くなりました。』なんてことが書いてあった。それは、なんだか「ほーら、すごいだろう」と威張っているようでもあり、「こんなに頑張ってるんだから、文句は言わせませんぜ」と脅迫しているようでもあり、少しむっとしてしまった。

名前を呼ばれ、部屋に入ると炭酸顆粒を小さなカップに入った少量のバリウムで飲まされた。胃カメラのときは水で飲ませてもらったのに、と少々反抗的になりながらも、まな板の鯉だから文句は言えない。そして、渡されたバリウムは自慢するだけあって、確かに量が少なかった。何年か前にレントゲン検査をやったときは、「グランデ」だったのに、今回は「ショート」程になっていた。そして、「一気に飲んでください」と言われたのにげっぶがでそうで苦しみながら飲んでいたら、「あ、残していいですよ」なんて言ってくれた。前は、一滴も残さずグランデサイズを飲まされていたことを考えると、驚くべき技術の進歩である。少し、自慢する気持ちがわかった。

しかし、事後は前と変わらず大変で、今でもちょっとおなかが痛い。今日は夜中の12時から電話会議があるのだけど、大事な会議なのでトイレになんか行っていられないのだ。どうしよう、心配で胃が痛くなってきた・・・。



やっと一週間。

2003年01月22日(水)

まずい、また口論してしまった。どうも上司とはウマが合わない。「君はなんて頑固なんだ」とあきれられたが、納得のいかないものはしょうがない。だから、上司を説得しようとしてしまった。彼は、議論の内容というより、そんな私の態度にムカついたようだ。プライドって難しい。人間関係って難しい。

折角上り調子だったのに、また下りだ。

ところで日記をつけ始めて一週間がたった。いつも三日坊主の割には良く続いたと思う。これからも何とか続けられそうな気がしてきたので、そろそろホームページにアップしよう。



すこしだけ、こだわりを捨てた。

2003年01月21日(火)

無罣礙故(むけいげこ)。無有恐怖(むうくふ)。心にこだわりがなければ、何も恐れるものはない。嫌なことから逃げよう、逃げようと思う心が、逆に人の心に恐怖を起こすのだ。こだわりの心を捨てれば、おのずと恐怖はなくなる。(般若心経の教えより)

引き続き、ローテンションではあったけど、底は打った気がする。少しだけ前向きな気分になってきた。今朝、以前同僚だったO君がオフィスにやってきた。2月にニューヨーク出張に行くための事前ヒアリングをしたいという。彼は一緒に働いていた当時からちゃっかり者で、多分優秀なのだと思うけど、自分では働かずにいつも上手く人にやらせていたので、「O常務」と影で疎まれ、恐れられていた。会社も変わり、私もやっとO常務から離れられたと思っていたのに、彼はまたちゃっかりと頼みごとをしにきたのだった。別に、今は受ける義務は全くないのだし、そもそも彼のためになぜ私が忙しい時間を割かなければならないのかと思ったので、断ろうと思って言い出すタイミングを見計らっていた。しかし、朝ごはんを食べたばかりなのか、O君の口元についたごはんつぶのかけらを見ていたら、なんだかどうでも良くなってしまって引き受けてしまった。

まあ、大した事ではないし、過去にこだわってもしょうがないから、一肌脱いでやろうじゃないか。(本当に大したことないんだけれど)
彼にしてやられたので、本当は悔しくてもいいはずなんだけど、なんだかすっきりした気分だった。別に、O君に恐怖を感じていたわけではないが(いや、感じてたかも)、これが、『無罣礙故。無有恐怖。』ということか。



数学ね…

2003年01月20日(月)

昨日に引き続きちょっと鬱だったので、またくよくよ考えてしまった。今の仕事をしていてたまに悩まされるのが数式だ。大抵は影を潜めているのだが、突然目の前に現れて「これくらいわかるよね、バカじゃなきゃ。」と人を小ばかにしたような態度をとる(ような気がする)。今日もそんな風に目の前に現れた。

高校時代、数学は嫌いな科目ではなかったのだけれど、当時世界史に異常なほど興味を持ってしまった私は、数学の勉強を怠ってしまった。そもそも、数学は難しいと思っていなかったから、勉強なんてする必要もないと思っていた。でも、(当然ながら)自分が思うほど私の頭は良くなくて、段々とわからなくなり、次第に「数学なんて生きていくのに必要ないからわからなくたっていいもーん。」と思うようになってしまった。

だいたい、私は「数学は苦手だから」とか「文系だから」とか思って理解しようと努力すらしていないフシもある。ちょっと難しい数式が出てくると飛ばしてしまい、結論だけ見て感覚的にわかった気になり、それで済ませようとしてしまう。でも、やっぱり感覚的じゃだめなんだ。本質的にわかっていないから、応用が全く利かない。数学は語学と同じなんだから理解できないはずはない、と数学者の誰かは言ったが、確かに、数式(数学語)をきちんと日本語に翻訳して、理解する努力をすればわからないはずはないのだろう。でも、その努力ができない。努力をするのすらかったるいと思ってしまうのだ。結局、今日もまた飛ばしてしまった。




自己嫌悪。

2003年01月19日(日)

今日は寒かった。天気が悪かったせいか、少々鬱気味だったのかもしれない。入院している母が週末外泊許可がでて実家に戻っていたのだが、寒さと低気圧のせいか手術の傷が痛み、気分も随分悪かったようで、一日中横になっていた。そんな母が心配なのもあって、私も一日外に出ずに過ごした。

私は幸運にも、今まで大きな病気や怪我をしたことがない。だから、絶えられないほど痛いとか苦しいという経験をしたことがなく、とても痛そうで辛い顔をする母に対して、どうしてあげたらいいかがわからない。だから、すごく困った顔をしてしまう。母は、きっとすごく困った顔をする私を見て、すごく困っているのだろう、と思うと何だか情けなくなってくる。思う気持ちはあるのに、うまく伝えられない。伝わらない気持ちなんて、あっても意味がないじゃないか。

どうしようもない無力感に襲われる。



Lunatic

2003年01月18日(土)

夜、庭に出て空を見たら、満月だった。まるで昼間のように明るく、樹木がくっきりと濃い影を落としていた。

満月の夜と言えば狼男の物語を思い出すが、他にも満月は人を狂わせるという話をいくつか聞いたことがある。英語のLunatic(狂気の)の語源はラテン語のLuna(月)で、それだって月が狂気を呼ぶと考えられていたからだ。驚いたことにイギリスでは、その昔、犯罪が行われたのが満月の夜だった場合、その犯罪者の罪は軽減されるという法律があったそうだ。アメリカでは満月の夜の犯罪率が特に高いということが統計的に証明されている。そんなことまで聞くと、ただのおとぎ話ではなく、本当に満月からは狂気を起こす物質とか波動とか何かが発せられていると思わずにはいられない。確かに、まん丸い月をじっと見ていると不思議な気持ちになる。段々地面がふにゃふにゃになって、夢を見ているような気分になってきた。これが「Lunatic」になるってこと?庭でそんなことを考えていたら、急に恐くなってきたので部屋に戻った。

満月が人を狂わせるという科学的根拠は何も示されていないけど、地球と月の引力の関係で、人間の体内、特に脳内の圧力かなんかに影響して、脳がゆがんで頭がおかしくなるのかも知れない。

…今夜は戸締りを確認してから寝よう。




強く激しく美しく・・・

2003年01月17日(金)

今朝のニュースで深作欣二監督の告別式の様子を流していた。最期まで映画を撮ることに命をかけていた。壮絶な人生だったと参列者は語っていた。映画好きな私だけれど、深作作品は殆ど観ておらず、思い出すのは草刈正雄の「復活の日」と「蒲田行進曲」ぐらいだが、どちらも印象に残っている映画だ。もちろん、早すぎる死だったのだけれど、最期の最期まで好きな映画を撮ることが出来、そして愛する家族に看取られながら逝くことができた監督は、幸せだと思った。

朝そんなことを考えていたせいか、なんだか無性に映画が観たくなって、仕事をほっぽって映画を観に行くことにした。初めは、会社の近くの名画座で「この素晴らしき世界」と「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」の二本立てを観ようと思ったが立ち観だったので、シャンテ・シネで上映中の「シャーロット・グレイ」を観る事にした。あまり期待していなかったのだが、思ったよりも良かった。ナチス占領下のフランスで反政府レジスタンスの諜報員として働くイギリス人女性シャーロット・グレイ(ケイト・ブランシェット)が主人公だが、悲劇的戦争映画というよりは、一人の女性の激しい生き様を描いた人間ドラマだった。シャーロット・グレイの強く熱く激しい生き様はとにかくカッコよかったし、でもしとやかで美しかった。(舞台がフランスなのに英語を喋っていたのでちょっと混乱したけど・・・)

今日は阪神淡路大震災があった日。8年前のこの日、6,433名の命が、殆ど一瞬の間に消滅した。亡くなった人のその時の気持ちを想像するのは難しいけれど、きっと「なぜ?」と思ったのではないか。私は健康だし、割と安全運転だから死なんて無縁と思っている。きっと、震災で亡くなった方もそんな風だったと思う。先日、人の寿命がわかる能力があるといった霊能者がテレビに出ていたが、寿命なんて神様にしかわからないはずだ。この世に生命を受けたものの使命は、死ぬまで生きること。それは人間であろうが、蝿であろうが、鯨であろうがおんなじだ。明日か10年後か50年後か知らないが、死ぬ時までただ一生懸命生きていくしかないのだ。何のために、なんて考えずにただ一生懸命。でも、何兆分の一か何京分の一かの確率で人間に生まれてしまったからには、せめて、深作監督のように死ぬ直前までしていたいと思うほど好きなこと見つけて、シャーロット・グレイのように強く、激しく、でもしとやかに美しく生きていきたいと思う。(…言うは易し、だけどね)



満員電車で思ったこと。

2003年01月16日(木)

今朝の電車は一段と混んでいた。毎朝駅員さんがドアごとに「押し要員」としてスタンバイしているのだが、今日は押しても押してもドアが閉まらずに3人の駅員さんが集まって朝から思いっきり力仕事をしてやっと閉まった。中にいた私は肋骨が折れそうでとても苦しかったし、ポマードくさいおじさんにぴったり身体がくっついて不快だった。でも、もしそのおじさんが知り合いだったらもっと心地悪いだろうなとふと思った。

知り合いじゃないほうがいやじゃないっていうのも不思議だけど、そういうことって良くある。例えば、露天風呂で入浴中に覗かれたとき。知らないおじさんに覗かれたら、それはもちろん不快なんだけど、知っているおじさんに覗かれるよりはましだ。それから、例えばスクランブル交差点でみっともなく転んだとき。知らない人にくすくす笑われるのはもちろん恥ずかしいけれど、たまたま知人に見つかったりしたらもっと恥ずかしい。

日記を公開するということもそうなのかもしれない。読む人が知らない人だと考えると、何を書いても恥ずかしくないのだけれど、知っている人も読むと思うからちょっとためらってしまう。多分、カッコつけているだけなのかもしれない。あんな顔して実はこんなクダラナイことを考えている人間だとばれてしまうのが嫌なだけなのかもしれない。自分はそんなちっちゃな人間なのだ。



初日。やる気満々。

2003年01月15日(水)

今年は年初に日記を書こうと決意したのに、既に15日も経った今になって書き始めている。日記を公開することについてはやっぱり抵抗があるのだけど、書きたいことだけ書けばいいや、と思ったら気にするほどのことでもない気がしてきた。(でも、一体何のためにやるのかな?読みたい人などいるのかな?などと考えてしまうと、今この瞬間はまだ公開に踏み切れていないのだけど…)

年が明けて気がつけば既に15日。とても多忙な日々が続いている。自分の事など考える時間もなく、周りに流されてばかりでちょっと自己嫌悪。日記を書くと決めたひとつの理由は、もう少し自分自身に注意を払おうと思ったからなのに。

今日はずっと朝から外出で忙しかったが、ちょうどお昼に打合わせと打合わせとの間がぽっかり開いたので、一緒にいた先輩と丸ビルでランチをした。おのぼりさんの私にとっては始めての丸ビルの高層階レストランでの食事だった。天気が良かったのも手伝って、そのレストランからの眺めはすばらしかった。陰影が妙にはっきりしたわた雲と新宿の高層ビル群、その後ろには奥多摩の山々、そして遠くには日本アルプスが聳えているのだが、空気がとても澄んでいたためか遠近感があまり実感できず、まるで絵のように幻想的なものだった。もちろん、料理はおいしかったけれど、そんな景色を眺めつつ食事をしたことで気分が和んだ。

夜はニューヨーク、ロンドン、シンガポールオフィスの同僚と定例電話会議。もういまさら遅いけど、英語をもっと勉強しておけばよかったと後悔する。いつもいつも後悔する。ていうか、今からでも勉強すればいいのか。そう言えばドラマで草彅君が言っていた。もう1年しかないからって何もしない人は、5年あっても10年あっても何もしないって。そう、その通りだね。目的を達成する為に必要なのは、時間の長さじゃないのだ、やる気なのだ。

今、やっと会議から開放されたので、お風呂に入って寝ることにしよう。明日はまた辛いお仕事だし。

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