桜桃日記 ami
目次過去未来

2004年01月31日(土) ほにゃららは、忘れた頃にやってくる。


清志郎様のライブと筋肉痛の余韻(!?)に浸っていたら、
やつが来ることを、すっかり忘れていました。
本物を見た時は正直、血の気が引きましたよ。
でも、腹をくくりました。
もう、諦めました。
いいですよ、いいですよ。
どうせ、みんな、私が悪いのよ。

ああ、そうさ。カード決済にした私が悪いのさ(泣)

ああ、そういえば11月にパソコンがぶっ壊れた時に、
娘に「私のお年玉預金を取り崩して」とかなんとか言われちゃって
甘い母はボーナス払いで、もう1台購入したんだっけ。
なんて、娘のせいにしているけれど、本当は母も完全に禁断症状が出ていて、
修理完了まで待てなかったんだけれども・・。

そして、イベンダーの年会費も今月引き落としでした。
なのに、中島美嘉のライブチケットを2枚取ってしまいました。
それの送料、消費税。
おまけに、娘がヤフオクで取りたいものが有るからと、
「ぷれみあむ」だかなんだか会員(かなりあやふや、自信無さげ)にもなって・・。

それなのに、ああそれなのに、娘のPCに最初からインストールされていた
アンチウイルスソフトの無料使用期限が昨日で切れました。
ということで、私が使っているソフトのシリアルナンバーを追加購入しました。
その代金も何故か「カード決済のみ」

もう、痴呆が進んでいる母は、本当にきちんとカード管理をしておかないと
請求書が来てから

がび〜〜ん!! (:.;゜;▽;゜;.:)アハ…♪
となるのでありんす(汗)

そして、預金通帳を記帳してまた、びっくり。
娘の私立中学の3学期分の学費が引き落とされていました。

みなさんも、くれぐれも痴呆にはご注意ください。
私はちょっと、頭の断面写真を撮ったほうがいいかも・・いやこれ、まじな話。







2004年01月30日(金) 記憶から削除したい話。


人間を半世紀近くやっていると、時にとてつもなく恥ずかしい経験をするものだ。
できれば、記憶から削除したい。
けれど、そんな暗い過去(!?)ほど、いつまで経っても脳裏に焼きついて離れない。皮肉なものだ。



お友達から聞いた話。
お友達同士で、ラーメン屋さんに行った時のこと。

「タン麺」と「ちゃんぽん麺」を注文しようとして、間違えて

タンポン麺くださ〜い!

とやってしまったそうだ。
一瞬、店内にはシーンと妙な静けさが訪れたらしい・・。
その後、必死で「あっ、取り消します。間違えました!!」とやっても後の祭り。
オーダーした品をゆっくり味わうゆとりも無く、そそくさと平らげて大急ぎでその店から退散したとのことである。



でも、私はもっと恥ずかしい話がある。
友達と学校帰り、いや正しくは経理事務の職業訓練校帰り。
当時、花も恥らう(!?)23歳。私の一生の中で一番美しかった(?)頃。
話に花が咲いていた。
何の話かは全く覚えていないのだが、とにかく楽しかった。
だが、まずいことに、私はその時、腸の具合が少し悪かった。
下腹部の芯で、ゴロゴロいっているのが自分でも分かった。
がしかし、そこはうら若き乙女。
一生懸命、ガスを我慢していた。
まさか、お友達の前で放屁するわけにはいかない。
もう1度繰り返す。
今はその名残さえ薄れているが、その頃私は結構可愛いかった(自称)
そんなお年頃のお嬢さん(!?)が人前で放屁など出来るはずも無く
顔で笑いながら、体は一生懸命ガスと戦っていた。
なんとか放屁をこらえていた。

が、しかし、時期は突然訪れた。
友達が面白いことを言った一瞬、私の緊張がほぐれた。と同時に









ばっほ〜〜〜ん!!





ああ、今思えば我慢せずに小出しにしておけば、
あんな爆音にはならなかったのに・・。
今更ながら、悔いが残る。

時は残酷だ。
やり直したいと思ってもやり直しは利かないのでR。






2004年01月29日(木) 悲しい色やね・・。


私が日参している日記才人のzakiさんが紹介してくれたサイト
ゆめごこちに思わず母娘で涙してしまった。

悲しい、悲しすぎる・・。
日記で検査入院を告げてからわずか2ヶ月で、
愛する夫と息子を残しこの世を去ったサイトの主。
その、サイトを自然消滅させないように、
主が病魔に負けたことをHP上で告げ、
そのサイトをそのまま残しているご主人。

人間、死と隣合わせなのだ。
年齢、性別に関係なく、いつお迎えが来るか分からないのだ。

プローフィールによると、
そのサイトの主は『綺麗好き』だったらしい。
ところが、この私はどうだ。
部屋はぐちゃぐちゃ。
読みかけの本が何冊も本棚に戻さないまま出しっぱなし。
さっき取り込んだ洗濯物も畳まないまま、
このPCに向かっている。
平均余命までは、しっかり生きるつもりで、
毎日、のんびり、だらだらすごしている。
もし、お買い物に出たまま、そのまま交通事故死した日にゃ、
部屋の汚さが気になって、死んでも死に切れ無い。
こんな話を読んだ後くらい
もっと規律正しい生活をすれば良いと思うのだけれど、
悲しいかな、この母娘、お話はお話、実生活はまた別なのでR。


そして
涙で腫らした目をした私達母娘は、互いに約束を交わした。
もし、私たちが死んでもお互いのサイトには一切、手を加えないでおこう。」と


そう、母娘とも同じ考えだったのだ。
何があっても、たとえ誤字脱字が有ったとしても
自分が死んだとしても
自分の聖地には絶対に踏み込んで欲しくない、手を加えて欲しくないのだ。


なので、

もし、この日記が何ヶ月も更新されない時は、私が死んだと思ってください(涙







2004年01月28日(水) 腰砕けの放心状態。


ああ、夢心地・・・。
生きてて良かった・・。
あかん、まだ、ドキドキしてる。
興奮冷めやらず。
今夜は、すぐには眠れそうもありません。
そう、待ちに待った忌野清志郎様のライブに行って参りました。
想像以上に素晴らしかったです。
いやぁ〜 最近はまっていたBUMP OF CHICKENのライブとは、また違った良さ。

本当は「甲乙つけがたい」と言いたいところですが、
正直私の中では、BUMPの藤君ごめんなさいです。
今まで私、若い男にしか興味が無いと思っていました。
けど、今日気付きました。
清志郎様だけは別格でした。
藤君の倍以上の年齢、生誕半世紀を越えた
1951年生まれの清志郎様の方が絶対に体力あるよ。
午後7時10分開演。
なんと、ほとんど休憩無しの9時50分まで走りっぱなしのシャウトしまくり。
ギターにウクレレにドラムにキーボード、ほら貝まで演奏(!?)しました。
さすが、アーチスト暦35周年。
盛り上げ方、トークがBUMPよりも1枚も2枚も上手でした。
年齢層も幅広く、下は小学生から、
上は清志郎様よりどう見ても年上の髪の薄い方々まで。
そんな、おじさんおばさんたちも
今日は年を忘れて、拳を突き上げ、ジャンプをしていました。
そして清志郎様の唄う、とろけそうなラブソング。
ああ、もうどうにでもして!
完全な腰砕けの放心状態
どこまでもあなたについて行きます。
今の私をこんな気持ちにしてくれるのはあなただけです(笑)


筑紫哲也さんの応援メッセージにありました。

年の割りに若い、なんて話しでなく、
永遠の青年、いや少年という感じ。
イウ゛・モンタンというフランスを代表する歌手(俳優)が
還暦を迎えた時、「本当に若くなるには長い道のりが要る」
という諺が好きだと言っていた。
この世に生きる者は、どこまで「子ども心」を保てるかが
勝負だと私は思っている。
その点清志郎さんはいい線行ってる。羨ましい。
その線、どこまでも走ってね。


自転車に野球に、体を鍛えてる清志郎様。
私が中学生の頃、見たRCサクセションの清志郎様は、
とっても自信無さげな、ひ弱そうなお兄ちゃんでした。

長い年月を経て、りっぱに大人に成長した姿を見て
こちらまで勇気が、元気が沸いて来ます。

あの姿を見たら、まだまだこちらも、老け込んじゃいられません。

サンキュー ベイビー! キヨシロー!!

あなただけです。
生誕半世紀を過ぎたオヤジが、
頼む、最後に一発やらせてくれ!って
シャウトしても、全然いやらしく聞こえないのは。

普通のオヤジが言ったらもう下品でこの上ないことばも
さわやかにさえ聞こえるのは何故!?
もう、あなたなら、一発どころか、何発でもご自由にシャウトしてください(笑)


そして、こんな母に文句も言わず、ライブに行くことをOKしてくれる
我が娘ツバサ(HN)ちゃん、ありがとう(^з^)-☆Chu!!

清志郎様が描かれたKINGのふくろうTシャツも買ってきました。
明日もお仕事頑張ります(*^^)v





2004年01月27日(火) 自己中増殖中





今日のニュースで、自己破産する人が急増していると聞きました。
中高年は、急なリストラ等で、住宅ローン返済や生活費のため、
主婦は、パチンコ、パチスロをするためにサラ金に手を出し
返済不能になるケースが多い。
若年層は自己破産をいとも簡単にしてしまう傾向があるとのことでした。



そういう人たち、
少なくとも遊興費のためにサラ金に手を出し返せなくなった人たちは、
サラ金を責める前に

自己破産=借金の踏み倒し

ということを再認識して欲しいと思う私です。
もちろん、たとえ生活のためとはいえ、「借りた金を返さない」ということは
踏み倒しに他ならないとは思いますが・・。

とにかく、無責任で、自己中心的な人がどんどん増殖中な気がしてなりません。






2004年01月24日(土) 結婚するきっかけ・とある高校教師の場合


この話は、私が高校生時代の英語担当教師から直接聞いた話ですので、ほぼ、ノンフィクションです。

その先生の名前は平野(仮名)、通称「ビースト(野獣)」、どこからどう見ても、もてない男代表のような容姿。
その中でも一番目に付くのが、異様に出た前歯、いわゆる出っ歯だった。
そのせいで、英語の教員であるにも関わらず私達生徒は彼の「TH」の発音を聞いたことが無い。
英語ど素人の私達生徒が聞いても、それはひどい発音だった。
ッス イッズ ア ペン
ット イズ ア ブック
まるでこんな感じのカタカナを聞いているようだった。

そんな、彼が職員室で同僚と賭けをした。
職員室切っての夏火鉢(誰も手を出さない)A子先生を、どちらが先にお茶に誘えるか。
賭けの勝者は敗者に酒をおごる約束で、男の勝負は始まった。

そのA子先生は職員室でも有名な、いくら誘ってもOKしない堅物女。
もちろん容姿も服装も色気もそっけもない女版ビーストだった。

で、じゃんけんをして勝ったビーストの同僚が先にA子誘ったが噂通り、きっぱり断られた。
周りは、そんなA子先生のことを『お高くとまるほどの玉でも無いくせに』などと陰口を叩いた。

さて、次はいよいよビーストの出番。
「A子先生、良かったら帰りにお茶でもどうですか?」
すると、意外なことに、いとも簡単にOKが出て、かえってビースト拍子抜け。

次の日、ビースト先生が、しっかり同僚の先生からお酒をご馳走になったのは言うまでも無い。
だが、話はそこで終わらなかった。

そんな、賭けをしたことさえ、忘れ去っていたある朝、ビーストが職員室の自分の引き出しを開けたら、見知らぬ物体が入っていた。ビーストは思わず声を張り上げた。




だれだぁ〜。人の引き出しに物を入れとるのは

間違っとるぞ〜。これ、俺の机だぞ〜。




そう叫びながら、引き出しに入っていた物を、高々と掲げたのだが、とうとう誰も名乗りをあげなかったらしい。
そこで、気付けよ。ビースト。
さすが、もてない男代表。




授業も終わって、帰宅時間になったら、A子先生が小走りにビーストに駆け寄り、真っ赤に頬を染めながらに耳打ちした。




先生、それ、私からのバレンタインのプレゼント。
手編みのマフラーです。(*ё_ё*)きゅん・・



ビーストがしまったΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

と思っても後の祭り。
後は真綿で首を絞められるがごとく、トントン拍子で結婚が決まったと言うことです。

いや〜めでたし、めでたし(:.;゜;▽;゜;.:)アハ…♪





皆さんも選んで人を誘いましょうね。
それが、人生の選択になるかも知れないのですから・・。



あの時生まれた、「七江」ちゃんも今じゃ、三十路になってるんだね。
早いなぁ、年を取るのは・・。
そうそう、あのビースト夫妻、姓名判断で、「平野」に合う画数、
上が2文字で下が6文字と聞き、2文字は「七」か「八」、6文字は「江」って全く意味無く画数だけで「七江」を選んだらしいですよ。
いや〜、そこまで画数にこだわらなくても意味を考えて方がいいんじゃないかと思うのは、他人のおせっかいでしょうか・・。


何はともあれ、

「割れ鍋に、綴じ蓋」あれ、表現がちょっと悪いですね。
「たて喰う虫も好き好き」これでもない、
「適材、適所」・・ちょっと違う。

「類は、友を呼ぶ」これで、どう?(*^^)v






2004年01月23日(金) 結婚のきっかけ


今日職場で、とあるおっちゃんが
「なんだぁ、いかんがや。今度のバレンタイン土曜日だがや。チョコもらえんがや。」
なんて、騒いでおりました。
心配しなくても、飲み屋の姉ちゃん以外、誰からも届かないと思いますけど・・。


いや、待てよ。誰にもあげないつもりだったけど、今度のバレンタインデーに、嘱託職員のおじいちゃんにだけは、チョコあげようかな?
いつも、小さな小部屋から手招きしてお饅頭をくれるおじいちゃん。
年は、62歳なんだけど、見掛けヨボヨボの80歳、骨皮筋衛門(ほねかわすじえもん)

電車やバスに乗ると、自分より明らかに年の上の人から
「おじいさん、ここ座りぁあ」って、いつも席を譲ってもらえるんだとか。
もっと、必殺技が有って、誰も気付かない時は、「あれ、あれ」って優先席の前でちょっとよろけて見せるのだとか。
そうすると、どんな人でも「ああ、おじいさん、気が付かなくてごめんね。さあさ、お座りください」って席を譲ってもらえるらしい。

そんな、おじいとお饅頭を食べながら世間話をするのが私は大好き〜☆
今期で嘱託も終わりらしいから、記念にチョコをあげようかな?考えておこう。


そんなバレンタインのことを考えていたら
30年前、まだうら若き高校生だった頃のことを思い出しました。

英語の先生、ニックネームは「ビースト」
そう、その頃、英語の授業で「美女と野獣」を習っていて、その「野獣」から命名されておりました。
当時、赴任7年目と言っていたので、おそらく30ちょい前位の年齢だったんだと思います。

高校生の私達からすると、ひどいオッサンに見えていましたが、今考えると結構若かったんですね。

その先生はひどく歯が出ていて、上の前歯四本が、たぶん歯茎から40度の角度くらい飛び出していて、1年365日絶対に上唇と下唇の中に歯が格納される日は無いんじゃないかと思われる容姿の先生でした。

髪はきっちり7、3分けのポマードべったり。

服は年中代わり映えのしない、もしかして1着を着潰しているんじゃないのかと思われるほど、垢抜けない普通のねずみ色のスーツに黒ぶちの牛乳瓶底めがね。

笑う時は、その歯を隠すために必ず口元に教科書を当てて隠す。

ああ、今思い出すだけで背筋が寒くなる、それはそれは、どこから、どう見ても、いくらそこが女子高だとしても、なにがあっても、もてるはずの無い、ニックネーム通りの先生でした。


そんな先生に関する一大ニュースが駆け巡りました。
どこから、どう見てももてない男代表のその先生になんと女児が誕生したんだとか

その一報を聞いた私達女子生徒は「おめでとう」を言う前に

気持ち悪り〜〜い!

と口々に叫んでいました。

いや〜、若気のいたりは、失礼なことでも思ったことはなんでも平気ですぐ口にできるんですね。怖い、怖い。

で、その後、その先生は、授業もそっちのけで、皆で寄ってたかっての質問攻めに合いました。


なんだか、長くなりそうなので、続きはまた明日、書きます。
お楽しみに・・。






2004年01月22日(木) 才媛の心配


お仕事帰りにちょっとドラッグストアに寄っただけで、5,345円も買っちゃいました。

無くなりかけると、何から何まで一辺に無くなっちゃうんですよね。
特に紙製品は生活必需品。
絶対に買わないわけにはいきません。
いくら、ウォシュレットがあっても、乾燥機能がついていても、
やっぱり仕上げは「紙」でないと気が済まない私です(^^ゞ

本当は生理用品も買いたかったのだけれど、
これ以上買うと、いつかのように自転車のハンドルに荷物が挟まって
大転倒しかねないので、今回の購入は先送りとなりました。

なぜか、うちは母娘で生理日が近いんです。
そうすると、生理用品もあっという間に無くなってしまうんです。
だから、早め、早めに準備しておかないと後で困ってしまいますからね。
早速、明日には買って来ましょう。


こんな、生理用品のことを書いていたら、今から20年ほど前の私がOLだった頃の話を思い出しました。

その頃は、まだ、今のように「夜型」のナプキンの改良が進んでいなくて、
お昼休みに、女子社員同士で、どうやって後漏れを防ぐか自己防衛策を話し合っていました。

ある人は、生理用のショーツの上にガードルを着用して漏れを防いでいました。

また、ある人はナプキンの2枚重ねで、後漏れと戦っていました。

そして、ある人が「やっぱり、タンポンとナプキンを両方使えば、夜でも絶対に安全よ!」といった時です。

御年、三十路の独身姐さんが、突然ポツリとつぶやきました。

「私は、駄目。だって、私まだ、処女だもん・・。」

盛り上がっていたその場が、急に「北極状態」になったのは言うまでもありません。
三十路まで、処女を守り続けているというのにもびっくりだけど、

まさか、本気でタンポンで処女を喪失すると思っているんじゃ・・


国立京都大学文学部フランス語学科卒業の才媛は、発想が凡人とはちょっと異なるみたいで(^_^;)






2004年01月21日(水) 丸い卵も切りようで四角


うちは今年、町内会の役員をしている。
その関係で、ごみのチェックもする。
最近、うちの住んでいる市では、ごみの分別が厳しくて、8種類に分別しなければならない。
缶は青い籠、ビンはオレンジの籠に直接投入し、残りはすべて透明の袋で、文字の色で種類を分けるのだ。
可燃ごみは、赤色
プラスチック、紙容器包装、ペットボトルは、青色
不燃ごみは、緑色
そして、粗大ごみは、有料ステッカーを貼るという風に決められている。
これを、間違えると、ごみは収集してもらえず、積み残しとなるのだ。

また、今週もチェックをしていると、袋の色を間違えている人がいる。

「あなた、その袋の色、間違ってますよ。プラスチックは『青い袋』ですよ」
と、まだこちらが言い終えないうちに

そんなこと、私に言われても知りません!

母に言ってください!


といきなりの爆音で怒鳴り返されてしまった。

見たところ、20代半ば位の、どうみても成人のお嬢さんだ。

百歩譲って、こちらがいきなり怒鳴り叱ったのなら、その答えも有りかも知れない。
が、しかし、私が普通に「袋の色が間違っていますよ」と指摘しただけで
いきなりのMAX音量で怒鳴り返して来るとは、一体どうゆう神経なんだろう。

明らかに、間違ってるよ。その口の聞き方。
そういう時は、
「ああ、そうなんですか。じゃ、これから気をつけます」
「教えて下さってありがとうございます」
て、答えるんだろが・・。

なんで、私がわざわざ「母」のところまで行って「間違ってます」って言わなきゃならないんだ。馬鹿め。

私も、頭に来たから
「そのごみ、持ち帰ってお母さんに袋が間違ってるって伝えなさい!」
って言ってやりました。

このまま、おとなしくしていたら、永遠にそいつになめられますからね。
そしたら、そいつ大人の癖にぷ〜って、ふぐの様に膨れたまま一言の謝罪も無く走り去って行きました。

なんだかなぁ・・。
口の聞き方を知らない人が多すぎる。
成人式のあの一部の人の荒れ方を見ても、やっぱりどこかおかしいよ、最近の日本。


でも、もっとおかしな人もいたっけな。

「申し訳ございませんが、お車の移動をお願いできませんか」と言ったら、
いきなり顔面めがけてキーを投げつけてきた、おばはんがいたよ。


いや〜、ほんと、私が仕事中で良かったね。
さもなくば、おばはんのおでこに、キーが突き刺さるところだったよ。

丸い卵も切りようで四角
物も言いようで角が立つ


もう少し、人の気持ちを考えてから
口を聞いたり、行動した方がいいんとちゃう?




2004年01月20日(火) テレビっ子


実は、私はテレビの公開放送に行くのが大好きです。
極近で、生でタレントが見られるし、運がよければ直接話も出来ます。

何より、私テレビっ子世代(古!!)で、テレビ大好き人間です。
生まれて間もない頃は、確か、家にはラジオしか無かったんじゃないかと思います。
物心付いた頃に家に有ったのは、4本の脚が付いて、ゴブラン織りのカバーの掛かったモノクロ放送のテレビジョン。

当時、テレビはとても有り難い代物で、当然のごとく一家に1台しかなく、チャンネル権は一家の家長、父親に有りました。
我が家では、「漫画を見ると馬鹿になる」という父親の一方的な見解で、一家揃って正座して、柳家金語楼対ターキーさん(水の江滝子)のジェスチャーなど、ほとんどNHKの番組を見ていたような記憶があります。

なので、今、テレビの自分の好きなチャンネルを好きなだけ見られる時代が来たというのは、私にとっては夢のような生活なのです。


そんな、私の気持ちを知ってか知らでか、カメラも私の方にやって来ます。
数年前、マンションの敷地内を歩いていたら、いきなり、カメラさん、照明さん、音声さんとインタビュアーに取り囲まれて、
「奥さん、住宅ローンの金利、下がりましたよね。悔しいでしょう?」
と、やられたので、
「いえ、でも、うちは銀行で安い金利のものと借り換えをしましたから」うんぬんのやり取りをしました。
そうしたら、1週間後のこの地方の情報番組の中で私のことを
「なかには、こんな賢い主婦もいます。」と紹介していて、自分では、ごく当たり前のことをしているつもりだったので、かえってちょっと、こっ恥ずかしくなったことがあります。


また、ある時は、近所の保育園に中継車が来るというので、野次馬で行ってインタビューを受けたせいで、そこの園児の竹馬シーン2分がカットになってしまいました。
後から、園児の母親から白い目を向けられたのは言うまでもありません(^_^;)



それにしても、やっぱり公開録画は良いですねぇ。
タレントさんに、極近で、じかに会えますもん。

今まで行ったことがあるのは、全部ローカル局の番組ばっかり。

東海テレビの「ぴーかんTV」で磯野貴理子さんとDONDOCODONを見て、貴理ちゃんが画面で見るより数倍美人で小柄なことと、山口の太さ、平畠の余りの華の無さに驚きました。

中京TVの「PS愛してる」では、上沼恵美子さんの、NG無しの頭の回転の速いトークにしびれ、これはまだ磯野貴理子は足元にも及ばないことと、高田純次の今一なトークを確信しました。


何度か行った公開放送のなかでも1番たくさんタレントと話せたのは、以前CBCで、今田耕司、東野幸治が司会を務めていた「名古屋が最高」と「太郎と花子」という番組。
当時まだ全然メジャーで無かった雨上がり決死隊の宮迫や蛍原130Rのホンコンや板尾がレギュラー出演し、その他にも、よしもとのタレント山崎邦正や間寛平と週代わりで、安西ひろこ、松崎しげるなどがゲストで出ていて、そんなよしもとの当時のB級タレントやちょっと落ち目のもしくは売り出し中のタレントと間近でゲームやクイズをするたわいもない番組でした。

その公開録画に出かけた時に、私たち観客も紅白戦に分かれて「ある無し」クイズに参加しました。
今田耕司が「下着泥棒にあった事のある人」と聞いたので、客席にいた私は馬鹿正直に手を挙げて
「洗濯物を干していたら、娘のかわいいヒラヒラのレースのパンツはそのままで、私のでっかいかぼちゃパンツだけ盗まれちゃったんですよぉ〜」
と話し、その後、その話が受けて、
今「そうなんや、下着泥棒は、おばちゃんのパンツが好きなんや」
東「そういえば、うちのおかんのパンツも盗まれたわ」
などと、話がどんどん弾んでいきました。

が、しかし、そのOAを見て血の気が引きました。
私がWコージとペラペラ話したせいで、正規のクイズに出てた子のシーンが丸々カットになっていたからです。
その子が友達中に「今度TVに出るから見てね」って宣伝してて、
OA見たら、もう、もうびっくりですよね。
綺麗さっぱり、自分の姿が抹殺されているのですから。

テレビの世界は厳しいですね。

そして、感じたこと。
今田耕司は、子供に優しい良いお兄ちゃんだったけど、東野幸治はいけずなオヤジでした。
あれから、テレビで二人を見るたびに、あの時優しかった今田といけずだった東野という風に見てしまいます。
直接会った時のイメージは強烈で、後々まで残りますね。
タレントの皆さん、ご注意あれ!







2004年01月19日(月) 最近の子は、何故すぐにキレるのか。


今日は、いつもより少しだけ真面目なお話。

昨日の日記で『ゲーム脳』のことを少し書いたんだけど、
最近の子って昔の子より、すぐにキレる子が多いみたい。

その理由は、
「テレビがいけない」とか
「テレビゲームがいけない」とか
色々言われているけれど

私なりに、ひとつ思い当たることがある。

それは、最近の学校が、給食を残して良いこと。
そのせいで、給食後には本当にたくさんの残飯がごみとして出るのだとか・・。



私が小学生の頃の学校の先生って、すごく横暴だった。
いや、先生の中には横暴な人も何人かいた。

水泳の時間に水に顔をつけるのを怖がっている子は、先生に無理やり顔を水に沈められたり、跳び箱が飛べなかったら飛べるようになるまで、居残りさせられたりした。

そういうのって、正直「やりすぎじゃないのかな」って思ったこともある。

だけど、給食を無理やり食べさせられたことで、私達は知らず知らずのうちに我慢することを覚えたんじゃないのかな。


正直、昔の給食ってひどくまずかった。
それは、当時は牛乳ではなく、「脱脂粉乳」というこの世のものとは思えないほどひどい飲み物がセットだったせいもあると思う。

思い出してみると、好きなメニューは最初からパックされたスパゲッティミートソースくらいだった。

キャベツの千切りが全然「千」じゃなくて、「棒」か「角材」みたいで、しかもそのキャベツの上でイモムシが動いていることがあった。

ラッキーな日は、豚汁やカレーライスの豚さんが、大きな白い脂身の固まりで、ブタさんの産毛付きということも有った。

が、当時の担任は、決して、給食を残すことを許してくれなかった。
私は、結構諦めが早かったので、嫌いなおかずの時でも、我慢して飲み込むようにしてたいらげた。
だけど、なかには結構しぶとい子もいて、給食の時間が過ぎて昼休みの時間になって、先生に怒鳴られても、ぶん殴られても決して食べない子もいた。
それはそれで、なかなか根性の要ることだった。
なかには、給食が嫌で登校拒否(不登校)になる子もいたくらいだ。

けど、大人になってから考えると、あの、「給食」という当時の子供にとっては「拷問」に近いイベントを耐え抜いてきたからこそ、今の私達に「我慢する」という心が生まれたんじゃないかと思う。

毎日、美味しいものばかり食べていては美味しいものの有り難味も薄れる。
毎日、好きなものだけ食べるような生活を送っていると、少しのことが我慢できないキレ安い子が育つ。と思うのは、余りに極論だろうか・・。


そういえば、小さいころ何度も親から言われたっけ。

「戦争中は、食べるものが無くて、芋の茎も食べたもんだ。食べ物があるだけありがたいと思え。嫌なら、食べるな。」

その時は、「別に、高価な物が食べたい訳じゃない。もっと、口に合うものを作って欲しい。」と思ったものだが、我慢して食べることも時には必要なのかも知れない。

自分が年を取った今になって感じることだ。





2004年01月18日(日) 観察力


別れた夫がまたうちに来た。
近くのレンタルビデオショップに来たんだとか。
今週の土日はサービスデーでビデオ1本100円でレンタルできるらしい。
早速、甘い父親は、一人10本限りなのに、娘の会員証と合わせて16本も借りてやったとのこと。
お陰で、娘はず〜っとビデオを見っぱなし。
ネットのニュースで読んだけど、アメリカの学者の調査によると、1日中テレビばっかり見てる子は切れやすくなるとか。
テレビゲームや携帯もやりすぎるとゲーム脳になるらしい・・。
あんまり、甘やかしてもらっちゃ困るなぁ・・。
未来ある私立中学生を・・。

で、オッサンの顔をふと見たら、なんと口元に大きな青あざができていた。

「どうしたの?」って聞いたら、嬉しそうに
「気が付いたのは、お前が初めてだ」ですって。

聞けば、車を運転中に若い兄ちゃんにからまれて、殴り合いの喧嘩をしたんだとか・・。
ああ、それは相手が刃物を持って無くって良かったね。って、そういう問題じゃないだろう!?
いい年こいて何やってるんだ。相変わらず、血の気の多いやつだなぁ。
困ったもんだ。

それで、その怪我のことを、同居している元義母さまや元妹は何にも言わなかったのかと尋ねたら、
「奴ら、俺が怪我をしたことに全然気付いて無い」とのこと。


「何でかな?」って思ったら
ヤツの買い物袋を見て納得しました。

元お義母さま、私には日々散々偉そうなことを言っておきながら
全然息子に食事を作ってなくって、同じ屋根の下に住みながら顔もなかなか合わさないんだとか・・。

どうりで、しょっちゅう、うちに来る筈だわ。

それにしても、もう他人なのに、ヤツの怪我にいち早く気付いてしまった自分がちょっと悔しかったりして・・。





2004年01月17日(土) 私が髪を染める訳。


私は、髪をカラーリングしています。
なぜかというと「自毛です」って、いちいち説明するのが面倒だから(^_^;)

私、本当はカラーリングするの嫌いなんですよね。
髪が痛むから。

でも、でもですね。
カラーリングして日が経って、色を付けた部分を全部カットし真っ黒な髪に戻った途端、

白髪染めしたばっかり?

って、1日に何度も聞かれて、
その度に、
「ううん、これ自毛よ。」って説明するとかえって

またまた、見栄張っちゃってぇ〜

なんて言われるのが面倒なんで、最初から茶色く染めて置くんですよ。

そうしたら、茶色の髪がだんだん伸び、黒髪が出てきて白髪染めじゃないって分かる訳じゃないですか。

いちいち、茶色の髪を生え際だけ黒く染める人はいないでしょうからね・・。

普通にユニ●ロの服を着ていても

いい年して、若作りしちゃってぇ〜

って、よく言われるんですけど、皆と同じ服を着ていてなんで
若作り
って、言われちゃうんだろ?

なんだか、いるだけで人から(特におばちゃん連中から)「なんだ、かんだ」言われやすいみたいですわ、私。

ああ、面倒・・。


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<今日の姫>
私が「世の中、ホステス好きの男っているみたいね」と言ったら
「ああ、郵便受けに良く入ってる『裸の女の人』ね」だってさ。

うちの姫、中2は
「ホステス」と「風俗」を、今日の今日まで、同じだと思っていたらしい・・。

相変わらず、可愛いやっちゃ(^_^;)




2004年01月16日(金) 20年目の逆襲 (トイレの思い出 パート2)


昨日の日記で、学校のトイレのが苦手な話を書いた。
そうしたら、またひとつ嫌いな理由を思い出した。

それは、小学年生の時だった。
その当時はもう校舎が新館だったので、憧れの水洗便所だった。
が、しかし、そこには一つ大きな問題が有った。
それは、クラスメイト。

『斉●恒夫』、又の名を、エッチ博士

そいつは、小学3年生にして既に変態小僧だった。

毎日、女子便所に出没しては実況中継をするのでR。

人がほっと気を緩めて用を足していると急にトイレの扉の向うから声がする。

ああ、今まさにオシッコが出ている最中です。
出てます。出てます。まだまだ、止まりません!!


こっちも、一旦用を足し始めたら男の子のように途中で止めることもできず、穴が有ったら入りたいぐらい恥ずかしい思いをしながら、完全放出を果たすのであった。

しかも、当時の学校の先生って「喧嘩両成敗」みたいなところがあって、加害者だけでなく、被害者のこちらにまでゲンコツを食らわせそうだったので、告げ口もできなかった。

そんな風で、やっぱり学校のトイレは大嫌いだった。


けど、そんな私にも20年ぶりに仕返しをするチャンスが巡ってきた。
私が、久しぶりに実家でくつろいでいたら、ヤツは突然姿を現した。

簡易保険の勧誘に郵便局から参りました。だとさ
あいつは私のことすっかり忘れてるみたいだったけど、私は忘れてない。
小学校時代のおトイレを一生懸命我慢したうらみが一瞬にしてよみがえってきた。

「ごめんなさい。うち、もう日●生命にた〜っぷり支払ってるので結構です!」

べろべろべ〜〜ぇ(メ`∀´)ヶ 

絶対に加入してやんないもんね!
小学生時代のトイレの恨み、20年目にして晴らしてあげました(*^^)v


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別れた夫の甥っ子の借金総額が判明した。
なんと元金総額330万円。
月々手取り収入20万円の内、返済総額が15万円だそうな。
今、同棲していて、離別した妻子には慰謝料、養育費を一銭も支払っていないらしいけれど、まず5万円じゃ、自分達の家賃すら払えないでしょう。
何を考えてるんだか、いや、別れた夫同様、何も考えていないからこそなせる技。
もう、わたしゃ、知らないもんね ε-( ̄ヘ ̄)┌




2004年01月15日(木) トイレの思い出


うちの娘、中学2年生は学校の調理実習が嫌だという。
聞けば、食器がべとべとして汚いから嫌だとか。
そういえば、私も嫌いだったなぁ。
食器もだけど、調理器具全般が、洗い方が足らないのか、べとべとギトギト。
誰が食べたか分からない食器というのも何だか不潔そうで嫌だった。
「もしかしたら、この食器は前回あの洟垂れ小僧が使った食器かも」と思っただけで食欲が無くなった。
できれば、作るだけ作って食べずに調理実習を終えたかった。
だから、娘が嫌がるのも良く分かる。


そして、お食事中の方、これから先はちょっと読まない方がいいかも(^_^;)













ここからは、学校のトイレの話。
娘は学校のトイレが苦手だという。
汚いので、なるだけ学校では用を足さないようにして自宅に持ち帰るようにしているらしい。
なので、学校で1度も用を足さない日の方が多いのだとか・・。
よくそれで膀胱炎にならないもんだ。

実は、何を隠そう、私も小学生の時から学校のお便所が大の苦手だったのだ。
私の小学校低学年の頃は、まだ水洗ではなく、ポットン便所だった。
おまけに、女子便所まで「大」用と「小」用に別れていた。
「大」の方は完全個室のポットン便所だったが、「小」の方は、下の部分が傾斜の付いた溝になっていて、その溝が「小」用便器一列全部繋がっているお便所だった。
問題なのは、その「小」用の方。

扉を開けると、何故か「小」用なのに時々固形物が鎮座しているのだ。
そりゃ、そうだろう。
まだ、年端もいかぬ小学校低学年。
想像するに、最初は「小」のつもりでお便所に入って、扉を閉めたものの、しゃがんだ途端もよおして、でも「出物腫れ物ところ嫌わず」じゃないけれど、一旦、出始めたものが、おそらく途中で止められなかったんじゃないかと・・・。
けど、そんなこととは露知らず、「小」用のお便所の扉を開けたこちらは
思わずΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーンとなるのである。


その他にも学校のお便所ときたら、きちんと便器に収められない人がいて、便器の後ろに「大」がとぐろを巻いていたり、便器の横に「小」が飛び出していたりと汚くて汚くて良い思い出が全然無いのである。


なので、娘が家までお持ち帰りする気持ちも痛いほど分かる母なのであった。
ああ、感性が全く一緒。DNAが呼んでいる・・。





2004年01月14日(水) 異性からのプレゼント


前々から仕事中に声を掛けてくる男性がいた。
年の頃はどうだろう。
おじさんに見えるけれど、案外私より少し年下かも・・。
残念ながら私の好みとは正反対のチビでデブでハゲな小柄でふくよかで髪の薄いそのお方は、
「あなた、うちはどちら?」
「子供さんはみえるの?」
「年はおいくつ?」

な〜んて、聞いてきた。

仕事中だし、全然好みでもないので、いつも適当に
「家は、あっちの方です」
「はい、子供は山ほどいます。」
「もう、いい年です。」

などと答えていた。

そしたら、今日その男性が突然私に君へ贈り物を買ってきました。
と言って来た。

一瞬戸惑ったけれど、差し出されたのが東急●ンズの小さな紙袋だったので、「まぁ、いっか」といただいてしまった。
「中を見ていいですか」と開封したら






















中身は、なんと懐中電灯だったΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

一応、社交辞令でお礼を言ってその場を去ったが後が大変。
もう、笑いが込み上げて来て、込み上げて来て我慢するのが大変だった。
角を曲がってから、ずっと私は怪しいおばさんごとく、へらへらしていたに違いない。



しかし、なんで君の為に買ってきたプレゼントが懐中電灯なんだろう?
もしかして、細かい字が苦手そうに見えたんだろうか。
帰宅した今も謎のままだ・・。






2004年01月13日(火) おせっかいなおかん


エンピツ日記仲間さんにに教えてもらったキャラミル研究所というサイトで自分のコミュニケーションタイプのウラとオモテをチェックしてみました。

教えてもらってすぐチェックした時と今日とではオモテゲノムつまり、心の開き方、社交性が、SLOWから、COOLに変化していました。
どちらにしても余り社交的では無い様子。

今日の「COOL」は
ヒトはヒトカモメはカモメ
割り切り型のコミュニケーション

口下手の内向性気質な私は・・ずばりこんな感じでしょう・・。

そして、ウラゲノムつまり発想、考え方の癖も前回と少し変化していました。
が、全く代わっていなかったのがおかん係発想でした。
マザーつまり、

おせっかい!!

思わず、今日の出来事で納得してしまいました。

1週間ほど前から、自宅近所に放置自転車があったので、最寄の警察に連絡をしたのです。
思えば、私のこの「おせっかい」を別れた夫からよく非難されていましたっけ。
元夫は「放って置けば、誰かやる。関わるな。」という考え方。
反対に私は「今自分が気付いたから、自分でやる。」と言う考え方。
そのため、いつもぶつかっていました。

夜中の2時に他人様の車が車上狙いに合っているのを目撃し、私は即110番しました。結局警察が来たのが3時過ぎで、現場検証に立ち会う羽目になり徹夜。
あとから、散々当時の夫に叱られました。
「お前が余計な電話をするからいかんのだ!」

放置自転車、放置バイクの連絡は日常茶飯事で、その他にも、信号機が倒れているからとか、迷子が赤信号の横断歩道の真ん中で泣いているからとかでしょっちゅう近所の警察署に連絡をしています。

でも、よく考えてみると、今日の放置自転車のことは、私以外でも毎日通る人皆が見ていたので、どう少なく見積もっても延べ1000人は見ていたはず。
なのに、結局私以外は誰も連絡していなかったんです。
放置自転車、放置バイクにしても今回は1週間道に放置してあったのですが、1ヶ月放置してあっても誰も連絡しません。
結婚している時は散々「おせっかいばばあ」って亭主にけなされていたので、自分でも少しは「おせっかいっていけないことなのかなぁ?」と不安でしたが、自分ひとりになってみて確信しました。
誰も連絡しないんだったら、私ひとりくらいおせっかいなおかんも必要じゃないか、ってね。

ちなみに、今まで色々連絡してもお礼一つ言わない人もいましたが、今日初めてお饅頭を頂いちゃいました。

いや〜〜、かえって照れちゃいますよね。
趣味のおせっかいで連絡しただけなのに。

ああ、離婚して、良かった。
これで、これから文句言われず思う存分「おせっかい」が続けられるわ。

もっとも、私の中では全然「おせっかい」だなんて気持ちはありませんがね。
別れた夫から見ると「いらぬおせっかい」かもしれませんが
私にとって、これはりっぱな親切です。
別れた今、自信を持って言えます(*´▽`*)エヘ





2004年01月06日(火) 3学期


いよいよ明日から3学期。
冬休みの間中母娘べったりの生活を送ってきた私にとって、なんと無常な出来事でしょう(そんなに、大袈裟なもんでもないか・・)
ああそれにしても一昨年の今頃はお受験最後の追い込みで大変でした。
お正月にはホテルに泊り込んでの合宿もありました。
土日も休み無しで塾がありました。
親は金を、娘は頭と神経を使いました。
そして、念願の第一志望校合格・・・。

でも、でもですね、実際私立中学に入学した感想・・。
そんな、入学金、寄付金、そして、公立中学の10倍の学納金を支払う価値無いかも・・。

正直、私立の先生って、公立より教え方が上手なのかしらと期待していたんですが、なんだか塾の先生の方が教え方が上手だったりして・・(^_^;)

まぁ、要するに最初からできる子ばっかり集めて、その子達に合わせて高度な内容をどんどん教え込むから大学受験もストレートで合格する確立が高いみたいですね。

ちょっと、がっかりかも・・。


でも、私立中学で1番がっかりなのは、給食の無いこと(^^ゞ


もう、毎日大変なんですよ。
お弁当のメニューを考えるのも、作るのも。
その点、公立は良いですよ。
「スクールランチ」ですもん。
選べるんですよ、自分達の好きなおかずを・・。
ほっかほかの暖かいご飯やお味噌汁、スープがいただけるんですよ。
それも超廉価で・・・。
怠け者の私にぴったり(^^♪


お財布も体もぽっかぽかのいいこと尽くめ。
なんだか、夫選びも学校選びも失敗の予感・・・o( _ _ )o ショボーン



今日で、離婚してちょうど3ヶ月。
大して変化ないなぁ・・。





2004年01月05日(月) ぬいぐるみタワー


私がお仕事から帰ってきたら、リビングが何やら騒がしい。
覗いてみたら、中学生の娘が一生懸命ぬいぐるみを積み上げている最中だった。
昔、流行ったっけ・・
親亀の背中に小亀を乗せて〜♪

何度か挑戦しては失敗し、キャーキャー悲鳴を上げていたのだった。
成功した途端
「ママ、ママこれ見てぇ〜♪」
お前は幼稚園児か(^_^;)


それを見た私が思わず「ちょっとイヤラシくな〜い?」



と言ったら
「どこが?」と真顔で返されてしまった。
あんまり、まともに聞き返されてもねぇ・・(^^ゞ

うちの姫、中学2年生の割には「幼い」と思うことが良くある。

今日も、「お父さん、よくうちに来るよね。」
「これじゃ、結婚してる時と全然変わんないね。」
って言うから
「そんなことないよ、夜の相手しなくていいんだよ。」
って言ったら、鳩が豆鉄砲くらったように口をパカンと開け、
小首をかしげて、「ママの言っとる意味が分からん」
「ねぇ、どういう意味?」って真顔で聞き返してくるし・・・。



トレーナーを着る時に、お胸でつかえてウンウンうなるほど巨乳なのに、
なんでこんなに中身が幼いんだろ?

私なんか、服が下腹部で止まることは有っても、お胸で止まることは
タブラン(これ分かる人、かなりお年かも)なのにね(:.;゜;▽;゜;.:)アハ…♪








2004年01月04日(日) 貧乏性


昨日もまた懲りずに、近所のゲーセンで娘とふたりポップンに興じていたら、タイムサービスでお菓子を配り始めました。
勿論、私たち母娘はポップンの列を一旦外れて、お菓子の列に並びました。
うまい棒、キャベツ村、棒カステラ、コロコロムーチョだのが袋に入っておりました。
けど、この母娘のハートを掴んだのはその外に貼ってあった
   
「かけうどん無料券」

別に普通に食べてもここのかけうどん中で200円なんで、
そんなに大騒ぎするほどのものでもないのに、「ただ」と聞くと
急に目の色が変わってしまう私たち母娘です。

てな、わけで小腹も減ってきたので
そろそろ無料券を持って出かけたいと思います。

しこたま、ポップンをやった後、
かけうどんの無料券を持ってきた美人母娘がいたら
きっとそれは私たちかも(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!


<後記>
行ってきたら、恐ろしいほど閑古鳥が鳴いていた。
ちょっと、名古屋人の口には合わないのかも・・。
そういえば、この場所にあったファミレスも潰れたのよね。
風水上、食べ物商売に向かないんだろうか、ここは・・。






2004年01月02日(金) 内孫と外孫


実家に里帰りして、両親が娘にお年玉をくれました。
貰っておいて文句を言うのも何なんですが、やっぱりちょっと、納得いきません。
私は二人兄弟で下に弟がいます。
弟の子供も女の子ひとり。
なので、孫は合計女の子ふたりです。
年は、うちの娘が13歳の中学2年生。
弟の娘が7歳で小学1年生。
なのに、何故かお年玉は、うちの中2の娘に2万円。
弟の小1の娘には3万円。
同じ孫なのに年長者のうちの娘の方が金額が少ないんです。

で、その理由は


外孫だから


もう、なんだか呆れてものが言えません。

弟だって、両親と同居している訳でもなく、今までのうちのように親に毎月仕送りをしている訳でもなく、家業(サラリーマン)を継いでいる訳でも無いのに、何が内孫なもんか。

おまけに自分たちの体調が悪い時には、すぐに実の娘を呼びつけて、嫁には何も甘えられないくせに、全く調子の良いジジババです(^_^;)

で、二言目には「息子には墓を守ってもらわにゃならんから」って、
まだ墓ひとつ建っていないのに何をかいわんや。
大体、内孫に買ってやった高価な服を趣味に合わないからと1度も着せてもらえないジジババが何をこいとるんかしらん。
こんな私でも、姑に服を買ってもらった時には、わざわざその服を娘に着せて「これおばあさんに買ってもらった服です」って顔を見せに連れて行ったものですがね・・。

ということで、頂くものだけいただいたら、とっとと帰ってきました。
長居は無用。
あんなとこに長い間いたら、可愛い娘の性格が歪みそうで怖いです。

どうですか、みなさんのご両親。
やっぱり、「内と外」差別しますか?
もし私なら、内外関係なく年齢に応じてお年玉を上げますがね・・。
色々な意味でわが両親は反面教師。

たとえ血の繋がった親子でも価値観、考え方が全く違います。






2004年01月01日(木) 今年は春から縁起が良い!?


新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年のお正月、春から縁起が良かったようです。
お雑煮は相変わらず私の苦手な麹味噌仕立て。
具も私の苦手な里芋入りのどろどろしたやつ。

でも、やっぱり、究極だったのは、お雑煮に入ってるお餅が

砂糖餅だったこと。

不気味な味でちょっと、食べられたもんじゃありませんでした・・。


やっぱり、私は昆布でだしを取った澄まし汁仕立てに、
焼餅、かまぼこ、三つ葉、ゆずの皮、といったお雑煮が好き。
なんで血が繋がった親子なのにこんなに好みが違うんだろ?

それにしても、お餅くらいちゃんと確認して買ってきてよね。
お母様(^_^;)







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