今日は立春だった。 まだまだ寒い日が続いているが、毎年この日を迎えると、心の重装備が少し軽減されたような気がする。 もう梅が咲いたという話も聞くし、これからは見るもの聞くもの、すべてが春に向かっていく。
さて、暦には立春だけではなく、立夏、立秋、立冬というのもある。 だが、なぜかぼくは立春という言葉だけにしか喜びを感じない。 夏が好きなぼくだが、立夏という言葉にはあまり反応しないし、まだ真夏の真っ只中にあるのに立秋という言葉を聞くと、なぜか寂しさを感じる。 また、立冬という言葉には痛みさえ覚える。
ところでこの重装備だが、このまま3月まで徐々に軽減されていき、彼岸を迎えたとたんに弾けるように消えていくのだ。 その瞬間、地表に植物の芽が出てくるような躍動感を感じる。 ぼくはこの躍動感を感じたくて、毎年嫌な冬を乗り越えていると言っても過言ではない。 特に今年は飛躍の年だと信じているので、どういう風に弾けるのかと、今からワクワクしている。
多くの人が、干支は正月に変わると思っている。 ぼくの周りはみなそう思っているようだ。 しかしこれは正しくない。 実は、干支は立春に変わるのだ。 なぜそう言い切れるのかというと、暦がそうなっているからだ。 つまり、干支にそういう決まりがあるということになる。
そういうわけで、今日で本当に昨年の干支である丁亥(ひのとい)の年が終わり、明日からようやく今年の干支の戊子(つちのえね)の年が始まるわけだ。
さて、以前どこかで書いたと思うが、丁(ひのと)の年はぼくの歳の下一桁が0になる年で、その年はあまりいいことがなかった。 10歳の年はある事件に巻き込まれたし、20歳の年は引きこもり生活をやっていた。 30歳の年は左遷され、40歳の年も妙な人間関係に苦しんでいた。 ご存知の通り50歳の年は20歳の年と似たり寄ったりで、世間から遠ざかっていた。 四柱推命の大運も、0歳の年が凶となっていたので、その年は悪いと勝手に決めつけていた。
ところが昨年、そういうことを考えるたびに、「本当にその年が良くなかったのか?」と疑問を抱くようになった。 思い起こせば、その年は別に悪いことが重なったわけではない。 ただ悪い印象が強いだけなのだ。 別に金に困ったわけでもなく、大病をしたわけでもない。
そういえば、その年の翌年に、いつもぼくは飛躍している。 それまでとまったく違った生活が、翌年に始まっているのだ。 11歳の年は小学校生活で一番楽しかったし、21歳の年は東京の生活が始まった。 31歳の年に昇格して、41歳の年にマンションを買い新しい生活を始めた。
考えてみると、丁の年は悪い年ではなく、飛躍のための準備の年だったということになる。 つまり丁の年は変革の年なのだ。 このことがわかっただけでも、この一年は悪い年ではなかった。 おかげでこの先の丁の年、60歳70歳80歳を迎える年は、気楽に乗り切ることが出来そうだ。
ということで、明日からぼくは飛躍するのだ。 「福は内、福は内、福は内!」である。
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