今日で夏も終わり。 昨日も言ったように、今年の夏にはうんざりした。 ただ暑いだけで、まったく風情というものを感じなかったのだ。 こういうことは生涯二度目である。
一度目は、今から27年前、昭和55年(1980年)の夏だった。 その年は今年と全く逆で、冷夏だった。 梅雨明けしてから一週間だけ夏らしい日があったが、その後は夏空を分厚い雲に奪われてしまい、まったく気温が上がらなかったのだ。 その年社会に出たぼくは、その時期エアコンを売っていた。 エアコンは気候に左右される商品である。 暑くないと売れない。 それゆえに、空を眺めては恨めしく思っていたわけだ。
さて、今年風情を感じなかった原因の一つに、彼の国からはき出される公害がある。 いつも臭かった。 そのニオイを灼熱の太陽が焦がす。 だから、なおさら臭くなる。 その臭さが、夏独特のニオイを隠してしまう。 だから、風情を感じないのだ。 来年はもっといい夏にしたい、というかしてほしいものだ。
ここ2,3日、雨が降ったおかげで、だいぶ涼しくなった。 夏が終わるのは嫌なので、本来ならこういうことは書かない。 そういうぼくが、こんなことを書くくらいだから、今年の暑さにはほとほとうんざりしているのだ。 昼間はまったくクーラーを入れないし、おまけにウォーキングまでやっているので、すごく汗をかく。 シャツやパンツは当然だが、ズボンも雨に濡れたようにビッショリになっている。
さて、そのウォーキング、毎日真昼時に、帽子もかぶらずに外を歩いているわけだが、よくそれで熱中症にかからないものだと、我ながら感心している。 きっと日陰を選って歩くようにしているのがいいのだろう。 日なたが無茶苦茶暑いから、その分日陰が涼しく感じる。 さらに水分を適度に摂っているから、のどが渇くこともない。
他に考えられることは、風を意識して歩くことくらいか。 最初はそう感じなかったのだが、ある時から、風が吹きつけるたびに「風が気持ちいい」と口に出して言うようにした。 それからだ、俄然風が涼しく感じるようになったのは。 それ以来、暑さでだんだん歩くのに嫌気が差してきても、それを口にすることで、元気が蘇るようになったのだ。 これも、言葉の魔法なのだろう。
日曜日、嫁ブーの実家の夕食に呼ばれた。 行ってみると例の干物の姪がいた。 すでに食事は始まっていて、姪はポイポイと口の中におかずを放り込んでいた。 姪と会うのは4月以来だ。 あの頃は長袖を着ていたせいで、そこまで太っては見えなかったのだが、今回はタンクトップである。 充分に脂がのった、たくましい肩が、露わになっていた。
食事が終わった後、きつかったのか、ジーンズからジャージに履きかえていた。 「あー、楽になった」と言いながら、ソファに横たわった。 「Nちゃんは、小学生の時から何も変わってないのう」とぼくが言うと、姪は「えっ、そうかねえ?」と言う。 「小学生の頃も、食事の後ジャージにはきかえて、『あー、楽になった』と言いよったやん」 「言ってないよー」 「いや言った。で、いつ行っても、今みたいに家でゴロゴロしとった」 「起きとったよう」 「学校から帰っては寝、塾から帰っては寝、部屋は散らかしっぱなしやし」 「‥‥」
それでも姪は、ソファから起き上がろうとせず、ゴロゴロしていた。 「よし、今度ジャージ買ってやろう」 「えっ?」 「ゴロゴロするのに必要やろ」 「…うん」 「アディダスとデサント、どっちがいい?」 「どっちでもいいよ」 「三本線でいいやろ」 「お任せします」 ということで、今、アディダスの三本線ジャージを探している。
土曜日、笑笑で飲みごとがあった。 この店に行くのは初めてだったのだが、店の雰囲気も悪くなかったし、食べ物もまあまあだった。 何よりもよかったのは酒類で、飲み放題のビールは、ぼくの好きな一番搾りだった。 さらによかったのが酎ライムで、これがおいしくて、何杯でもいけるのだ。 よく憶えてないが、ビールをジョッキ3杯、酎ライムは10杯以上は飲んだと思う。
普段ならこれだけ飲めば、二次では飲まないようにしているのだが、その日は違った。 どんどん入るのだ。 スナックに行ってウィスキー水割りを3杯、最後にラーメン屋でビール大ビンを一本を飲んだが、まったく無理なく飲めた。 もちろん翌日の二日酔いは覚悟しておいた。 ところが、今回はそれもなかったのだ。
毎日のウォーキングがよかったのか、タバコをやめたのがよかったのか、はたまた毎日飲んでいるビタミンCがよかったのかは知らないが、この歳になってこれだけ酒が飲めるとは思ってなかった。 しかもおいしく飲めるなんて、まるで夢のような気分だった。 その日は、そこから新しい人生が始まるような気さえしたものだ。
24日の日記に、中学生の頃に尊敬していたのは東郷平八郎で、部屋の壁に日の丸を貼りつけ、その横に東郷元帥の写真を額に入れて、いつも拝んでいたと書いた。 で、高校に入ってから、その日の丸や額が、吉田拓郎やボブ・ディランのポスターに替わったわけだが、べつに拓郎やディランが尊敬する人というわけではなかった。
そういう人たちの反戦歌を聴いたり歌ったりしながらも、尊敬するのは、相変わらず東郷元帥だった。 その証拠に、高1の夏休みに東京に行った際、明治神宮を参拝したあと、ちゃんと東郷神社にお参りしている。 東郷神社というのはこちら福岡にもあって、日本海海戦の戦場が一望できる山の上に建っているが、ここにも一度お参りしている。 歴史を知れば知るだけ、あの戦いがどれだけ重要なものだったのかがわかってきた。 それでさらに尊敬の度合いが強くなったわけだ。
中学の頃だったが、クラスで尊敬する人というのが話題になったことがある。 それでぼくは、東郷平八郎の名前をあげた。 他の人も、それぞれに尊敬する人をあげていた。 ところが、中に「何で親を尊敬しないんだ?」と意見する人がいた。
「親がいなかったら、生まれてこなかったわけでしょ?親を尊敬せんで誰を尊敬するんね?」 「あんたの言い方だと、親以外尊敬したらいけんということになるやん。それなら最初から尊敬する人などという言葉なんかいらんやろ」 「だから親を尊敬しとけばいいやん」 「それじゃノーベル賞は取れんやろ」 「何で?」 「親を尊敬するということは、親を目標にするということやん」 「親を尊敬してもノーベル賞は取れるよ」 「ふーん、じゃああんたの親はノーベル賞を取るくらい偉い人なんやね。立派、立派」 その後、「お前は素行が悪い」「おまえの方が悪い」と互いのけなしあいになってしまい、わけのわからないまま議論は終わってしまった。
今だったら「価値観の違い」という言葉一つで片付くのだが、当時は誰もそういう言い回しを知らなかった。 というか、まだ個性だの価値観だのいう時代ではなかったのだ。
昨日宮若市を通過している時にふと思ったのだが、夏というと小学生の頃、それも夏休みの思い出が圧倒的に多い。 もちろん中学や高校の頃にも夏休みはあったのだが、さほど思い出は残っていない。
何でそういうことを思ったのかというと、ぼくは小学3年生の夏休みに一度、中学2年生の夏休みに一度、その宮若市(旧若宮町)を訪れている。 小学生の頃は、子供会のキャンプで千石峡という渓谷に行ったのだが、その時のことは今でも鮮明に憶えている。 で、中学生の頃は、歴史の勉強で竹原古墳という装飾古墳に行ったのだが、その時のことは、というかそこに行ったことさえ、長い間忘れていたのだ。
そういえば、海やプールに行ったことだって、夏休みに見たアニメだって、小学生の頃の記憶の方が鮮明である。 夏になると、少年のような気持ちになるのは、きっとそのせいだろう。
いつものようにオナカ君とチャンポンを食べに行った。 今日は直方市のドライブインで食べた。 その帰り、飯塚から宮若を経由して帰ったのだが、そこで意外な音を聞いた。 ミンミンゼミの声である。 前にも書いたがもうこのへんには生息していないと思っていたのに、いるところにはいるのだ。 ただ、それを聞いたのは山間部だけだった。 山を下りた時には、こちらと同じようにアブラゼミやツクツクボウシの声しか聞こえなかった。
何で北九州にミンミンゼミがいなくなったのかということを、車中オナカ君と話していたのだが、「おれたちが若い頃にミンミンセミを採り過ぎたせいじゃないか」ということになった。 つまり、セミといえばミンミンゼミだったから、そればかり選って採ってしまい、平野部では絶滅してしまった。 一方、アブラゼミやクマゼミは、当時箸にも棒にもかからなかったから、今でも残っている。 ということにしておいて、この話は終わった。 そういうわけで、とりあえず来年の夏まではこの説で行こうと思っている。
ぼくが中学生の頃に尊敬していたのは、東郷平八郎だった。 部屋の壁に日の丸を貼りつけ、その横に東郷元帥の写真を額に入れて、いつも拝んでいたものだ。 しかし、それも中学時代までで、高校に入り音楽を始めてからは、日の丸も東郷元帥も外してしまい、代わりに吉田拓郎やボブ・ディランのポスターを貼っていた。
社会に出てからは、さすがにポスターは貼らなくなり、また額に戻った。 だが、その時額に入れていたのは、東郷元帥の写真ではない。 竹久夢二の美人画であり、水墨画であり、般若心経であった。 仕事が殺伐としていたので、心を落ち着けるものを飾っていたわけだ。
その後しばらく何も貼ってなかったが、新聞屋さんからホークスのカレンダーをもらうようになってからは、それを貼るようになった。 けっこう大きなカレンダーだったので、見栄えもよかった。
ところが最近その新聞屋さんは、ホークスのカレンダーをくれなくなった。 というか、ソフトバンクに変わってから、手に入らなくなったのだろう。 いちおう年末にはカレンダーを持ってくるのだが、それは便所の壁に貼るような小さな風景カレンダーだ。
しかたなく現在は、防災情報マップなんかを貼っている。 地図は白黒もので色気がなく、さらに壁と同色ときているので全然見栄えがしない。 やはり色気のあるポスターを貼ったほうがいいか。 とはいえ、今さら拓郎のポスターなんかは貼りたくないし、もう売ってもないだろう。 そういえば、前にキャンディーズのCDセットを買った時に、プレミアムでポスターがついていたような気がする。 あれを探し出して、貼っておこうかな。
ネットでいろいろな会員の登録をしているが、その都度悲しく思うことがある。 それは生年月日の欄だ。 今は直接書き入れるヤツよりも、プルダウンで選ばせるのが多くなっている。 それはいいのだが、そこをクリックした時に、最初に出てくるのがいつも1970年以降なのだ。 そのため1957年生まれのぼくは、年を遡らなければならない。 そうやるだけでも、何か自分たちの時代が終わったような気にさせられてしまう。
中には1900年からスタートするヤツもある。 これで年を入れる時には、年を進めて行けばいいのだから、「おお、まだ若い」という気になり、何か気分がよくなって、どんどん登録しましょうという気にもなるものだ。 こういう生年月日一つ入れさせるのにも、気遣いが必要ということである。
いつもウォーキングしている時に、こいつだけは撮っておきたいと思う被写体が二つある。 その一つが時々見かけるこの鳥だ。 ぼくが見かけた時、いつもこの鳥は川の中の魚を狙っている。 猫と同じように、ジッと構えているのだ。 隙あらば魚を拾い上げるのだろう。
ただこの鳥は猫のように間抜けではない。 猫は獲物を狙う時は無防備になることが多い。 そこを狙われ人間に抱きかかえられ、嬉しくもない猫かわいがりをされるわけだ。 しかし、この鳥は違う。 獲物を狙っている最中にも、周囲に神経を払っている。 ぼくのとの距離がかなりあっても、ぼくが写真を撮ろうと立ち止まった瞬間に、もう逃げる準備をしているのだ。 携帯を向けると同時に逃げたり、遠のいたりする。
おかげで、いつもいい写真が撮れないでいた。 とにかく色が周囲と同化しているし、ズーム機能に限界があるので小さくしか写らない。 今日の写真はたまたまである。 目一杯ズームインしたせいで画像が汚くなったものの、周囲の色と区別がつき、この大きさの画像が撮れたわけだから、ぼくとしては満足している。
ところで、もう一つの被写体は何かというと、カメである。 同じ川にいるのだが、昨日と一昨日、二日続けて見た。 それで写真を撮ってみたのだが、上記の通り携帯のズーム機能のせいで、小さなゴミが浮かんでいるようにしか見えないのだ。 ある人にこの写真を送ってみたのだが、「カメムシですか?」という返事が来た。 それで、また撮り直しということになったわけだが、あいにく今日は見つからなかった。
まあ、この携帯だから、よほど近寄って撮らないと、満足がいく大きさにはならないだろう。 とはいえ、近寄るには川の中に入っていかないとだめだし…。 やはり高性能のズーム機能を持つ携帯が出るまで待つか。 しかし、その頃にはもうカメはいなくなっているかもしれん。
昨日に引き続き、今日も修理屋さんが来てくれた。 ぼくの車はけっこう大きいので、昨日つけた中古のバッテリーでは充分ではないらしい。 で、車に合ったバッテリーと取り替えたのだ。
取り替えたあとに、9月に予定している車検の話をしていたのだが、その時、ぼくはエアコンが故障しているので、出来たらこれだけでも直せないか聞いてみた。 すると修理屋さんは、エアコンのスイッチを入れたり切ったりして調べていた。
「ああ、2年前と同じ症状やね」 「ええ、あれからずっとこの状態なんですよ」 「これじゃあ昼間なんか乗れんねえ。この車、どのくらい走っとるんかねえ?」 「15万キロくらいだったと思いますけど」 「15万キロか、替えた方がいいかもしれんねえ。エンジン音もおかしいし」 「新車にですか?」 「いや、新車を買うまでの繋ぎとして、車検代くらいで買える中古」 「あるんですか?」 「メーカーにこだわらんかったらあると思うけど」 「メーカーは別にかまわんですよ」
ということで、中古車を探してもらうことにした。 でも車検代程度で、ちゃんとした車なんかあるんかなあ。 前に2万円の車を見たことがあるが、それは酷いものだった。 ま、それよりはいいだろうが。
夜、嫁ブーを迎えに行き、その帰りに家の近くのコンビニに寄った。 そこでいつものようにアイスクリームを買って、車に乗り込んでエンジンをかけた。 ところがである。 普段なら「ブルルルン、ガーガー」と若干荒れ気味の音を立てながらかかるエンジンが、なぜか「シュルルル…、シュルルル…」と情けない音がする。 おまけにそのあとの音が続かない。 つまりエンジンがかからないのだ。
そこから家まで歩いて2分、そこでこのまま車を置いて帰ろうかと思ったが、そういうわけにもいかない。 そこでかかりつけの修理屋さんに連絡してみた。 「ああ、バッテリーやね。前に換えたのが4年前やったけ、もう寿命やろうね。ちょっと待っとって、すぐ行くけ」 もう10時を過ぎていたが、修理屋さんはすぐに来てくれた。
「ちょうど中古のヤツ積んどったけよかった。JAF呼んだら、おそらく新品と換えるはずだから、1万円以上取られるところやったね」 交換は5分もかからなかった。 「いくらですか?」と聞くと、 「いや、次の車検の時にいっしょに精算させてもらうけ」 ということで、今日はタダで終わった。
いざという時に、こういう人を知っていると、本当に助かる。
一昨日2個、昨日2個、今日3個。 これは何の数かというと、一日に食べたアイスクリームの数である。 いちおうコンビニのアイスクリームのコーナーで買ったから、アイスクリームということにしているが、厳密に言えばかき氷だ。 普通のアイスだと体が冷えてくれないが、かき氷だと、食べたあとに体が冷えて気持ちいい。 とくに口の周りが冷たくなるので、そこを触るもの心地よく感じる。
しかし、これだけアイスを食べると、糖や中性脂肪が心配になってくる。 ただでさえ、今ははち切れそうな腹をしているのだ。 これにアイスの糖分や脂肪が加わるわけだから、秋には凄い腹になっていることだろう。 想像したくない。
この夏、まだ花火を見ていなかった。 7月に行われる洞海湾の花火大会は、黒崎祇園に行っていたので見ることが出来なかった。 「わっしょい百万夏まつり」の最終日に行われる花火大会は、小倉の市役所近辺でやるので、遠すぎて見えない。 門司港でやる海峡花火大会も、遠すぎて見えない。 たまに「ドドーン」と音は聞こえるのだが、肝心の花火が見えなかった。 ということで、嫁ブーと二人で、「今年は花火が見れん」と言って嘆いていた。
ところが今日、その鬱憤を晴らすかのように、家の中から2ヶ所の花火を見ることが出来た。 風呂に入っていると、嫁ブーが、 「ちょっと風呂から出来て」と言う。 何かと思って風呂から出てみると、わりと近くで花火が上がっていた。 位置からすると、若松競艇場の方向だから、おそらくそこで上げていたのだろう。 「ドドーン」と何発も上がっていた。 「おお、ようやく見れたの」 そう言ってぼくたちは、しばし花火に見とれていた。
その後、食事時に、今度は逆の方向に花火が見えた。 花火はけっこう大きいが、音が聞こえないので、おそらく遠方でやっているのだろう。 あとで調べてみたら、遠賀町だった。 こちらの方は、競艇場の余興などではなく、花火がメインになっているので、わりと長い時間上がっていた。 しかし、やはり音を聞きながら、この図を見たかった。
さて、ここに来てようやく花火を見ることが出来たわけだが、おそらくこれが、この夏最初で最後の花火だろう。 来週、芦屋の花火大会があるが、山が邪魔して、ここからは見ることが出来ない。 しかも、その日は飲み会だから、会場に行くことも出来ない。 ま、一晩に二つの花火大会を見ることが出来たのだから、良しということにしておくか。
郵便局の小冊子がポストに入っていた。 それに載っていた、民営化後の4事業会社の名前を見て唖然とした。 『郵便事業株式会社』 『株式会社ゆうちょ銀行』 『株式会社かんぽ生命保険』 『郵便局株式会社』 何なのだろう、この社名は。 安易というか、思慮がないというか、お役所仕事というか…。 もっと気の利いた名前は思いつかなかったのだろうか?
で、これから郵便貯金のCMは、「ボーナスはゆう銀で…」というふうになるのだろうか。 かんぽのCMは、「かん生のおばちゃん、自転車で…」となるのか。 ふーん。
昨日、ドラマ『ホタルノヒカリ』を見ていて思ったことだが、主人公はうちの姪によく似ている。 いや、顔が似ているというわけではない。 家にいる時の行動がそっくりなのだ。 つまり『干物女』だということだ。 とにかく家の中では、いつもゴロゴロしている。
姪が小学生だった頃、ぼくたち夫婦は、よく姪の家に遊びに行っていた。 その時点で、早くもゴロゴロしていた。 夕方頃に行くことが多かったのだが、すでに学校から帰ってきていた姪は、いつも寝ていた。 食事時にボーッとした顔をして起き出してきて、ぼくたちを見つけると、「あ、来とったんね」と感動もなく言う。 そして食事のあとはまた寝るという、食っちゃ寝の生活をしていたのだ。 食べるものは肉ばかり、そのせいでかなり太っていた。 出たがりの妹とは対照的で、どこかに遊びに行こうと誘っても、「わたし行かんよ。家で寝とくけ」と言って、布団の中に潜り込んでいた。
中学、高校、大学でもこの性格は治らなかった。 他の人が恋愛に命を賭けている頃、この人はそういうことに脇目もふらず、布団の中で寝ていた。 部屋着はもちろんジャージ。 「これ楽やもん」と好んで着ていた。
社会人となった今でも、基本的に干物女だから、家にいる時はやはりゴロゴロしているらしい。 だが、少し色気づいたのか、たまに飲みに出かけているようになったという。 ところが飲みに行くメンバーはいつも決まっていて、高校の同級生らしい。 同性ばかりらしいが、合コン目的などではなく、ただの同級会。 つまり思い出話発散会だ。 ということで、今もって姪には彼氏がいない。
「みんみんみんみん、せみがなく もくもくもくもく、くもがわく もうすぐたのしいなつやすみ」 ぼくが小学校1年の夏休み前に、国語で習った文章だ。 戦後に入ってからは国定教科書ではなくなったので、その教科書会社で掲載している文章が違うと思う。
他に、この時期に習ったもので憶えているのは、「小さい白いニワトリ」くらいだ。 「小さい白いニワトリ」というのは、ブタ、ネコ、イヌとニワトリの出てくる物語で、ある時パンを作ろうという話になった。 ところが、「ブタはいやだと言いました。ネコもいやだと言いました。イヌもいやだと言いました」と誰も自分が作るとは言わない。 しかたなくニワトリは、ひとりでパンを作った。 さて、パンができた。 で、ニワトリはみんなに聞いた。 「このパン、誰がたべますか?」 すると、「ブタは食べると言いました。ネコも食べると言いました。イヌも食べると言いました」とみんな食べると言う。 それを聞いた「小さい白いニワトリは、このあと何と言ったでしょう」。 そこでこの物語は終わっていた。 記憶が曖昧なので、一字一句は間違っているかもしれないが、あらすじはこれでよかったと思う。
先生はみんなに尋ねた。 「ニワトリは、いったい何と言ったんでしょうね?」 指された生徒のほとんどが、 「『あんたたちにはやらん』と言った」と答えていた。 「『あんたたちは誰も手伝おうとしなかったくせに』とか文句を言いながらも、ニワトリはみんなに分けた」と言う生徒も中にはいた。
で、先生の言った答は何だったのか、それが今となっては思い出せない。 が、確かニワトリは文句一つ言わずに、気持ちよくパンをみんなに分けたのではなかっただろうか。 そういうのが、あの頃の一般的な教育だったし、おそらくそれが正しいと思う。
さて、これが今なら、どういう答が正しいとなるのだろう?
ぼくが小学生の頃は平和教育なんてなかったから、学校に行くのは8月1日、11日、21日の登校日だけだった。 まあ登校日と言っても、絶対行かなければならないというものではなかった。 いつもクラス全員が揃っていることはなかったように憶えている。 登校日以外に学校に行ったのは、プールのある日くらいだ。 これは授業ではなく、「プールを開放するから、来て遊んでもいいよ」という日だった。
1年生の時だったと思うが、最初の登校日である8月1日に、先生が黒板に山の画を描いた。 そして、山の中腹の所に印を付けて、 「夏休みを山登りに例えると、今日はこの地点になります」と言った。 11日は、山頂に人が立って万歳している画を描いた。 「今日はここですね」 そう、8月11日は、夏休みのほぼ真ん中になる。
8月11日というと、盆前で気分はウキウキして、残り3週間ゆっくり寝ることが出来て、まだまだ宿題が気にならない、という先生の描いた画のように万歳できる日だった。 だが、そこからお盆まではあっという間で、そのお盆もあっという間に終わってしまう。
お盆が過ぎると、もう夏休みのイベントは何も残ってない。 こちらの海水浴は、クラゲが出るせいで、お盆以降は賑わわない。だから行っても面白くない。 なぜかプールも人が少なくなっているし、そのせいか水が冷たく感じる。
台風も盆過ぎに来ることが多かった。 残り少ない夏休みを、暴風雨が奪ってしまうことに、いつも怒りを感じていたものだ。 それが過ぎると、朝晩が寒く感じるようになり、日も急に短くなったように感じる。
21日の登校日を過ぎると、もう夏休みは10日を切ってしまう。 それまで毎日遊んでいた友だちが、急に外に出なくなる。 みんな宿題に追われているのだ。 唯一の楽しみであるテレビも、夏休み向け番組から、徐々に通常の番組に戻っていく。 「あーあ、夏が終わった」 あの頃は、お盆過ぎが一年で一番寂しい季節だった。
ここ数日、町が臭い。 昼間は消毒液のようなニオイ、夜は何かが焦げているようなニオイがするのだ。 これはぼくが住む地区だけではない。 毎日広範囲に歩いているが、どこに行ってもこのニオイがする。 おそらく工場のニオイだと思うのだが、ぼくの記憶では、今までこんなニオイがしたことはなかった。 ということは新たなニオイということになるが、最近このへんに新しく出来た工場なんてない。 いったいどこから臭ってくるのだろう。
しかし、ニオイの発生源がこのへんであれば、住民の訴えとかで何とかなる。 だが、これが中国製だとすると、ちょっと困る。 環境に気を配らない人たちだから、抗議なんかしても、おそらくは知らん顔だろう。 ということは、この先何十年も嗅ぎ続けねばならないということだ。 いくら人間が環境に順応できる生き物だとしても、こんなニオイには馴れたくない。
オロナミンCを初めて飲んだのは、小学校6年の時だった。 当時、巨人の星のスポンサーが大塚製薬で、いつも大村崑がオロナミンC片手に「おいしいとメガネが落ちるんですよ」と言っていた。 あれを見るたびに、一度飲んでみたいものだと思っていた。 だが、値段が高かった。 確か100円近くしていたと思うが、一日の小遣いが10円20円程度の小学生には到底買える代物ではなかった。 そこで、せめて気分だけでもと、容器が似ているベビーコーラを飲んでいたのだった。
その年の秋のこと、母の会社のバスハイクがあり、ぼくはそれについて行った。 会社の人たちが持ってきたクーラーボックスには、ビールやジュースがたくさん入っていた。 ぼくはその中にオロナミンCが入っているのを見つけた。 一人のおじさんが、 「しんた君は何を飲みたいね?」と聞くので、 ぼくはすかさず、 「オロナミンC」と答えた。 ようやくぼくは、念願のオロナミンCを飲むことが出来たのだ。
初めて飲むオロナミンCは、少し酸味がかって、甘かった。 こういう味を味わうのは生まれて初めてで、それまでに飲んだどのジュースよりもおいしく感じたものだった。
それから十数年経ち、ぼくは毎日のようにオロナミンCを飲むようになった。 ところが、小学生の頃に味わった感動が感じられない。 全然味が違うのだ。 これまですっと、量産するようになったので、味も変わったのだろうくらいに思っていた。 しかし、そうではなかった。 そのことに気がついたのは今日である。
今日、およそ1年ぶりにオロナミンCを口にした。 何の気なしに飲んでいたのだが、飲んでいくうちに真顔になった。 小学生の頃に味わった味に戻っていたのだ。 しかしおかしい。 味が変わったなんて聞いたことがない。
思い当たることがある。 前に飲んだのは、タバコを吸っていた頃だ。 ぼくは、オロナミンCをいつもタバコの友として飲んでいた。 ということは、タバコの味がミックスされてオロナミンCを飲んでいたわけだ。 だから、成人後は昔のオロナミンCの味がしなかったのだ。 そういうわけで、いよいよ禁煙がやめられなくなった。
先月の30日、車を運転しているときに、ヒロミから電話がかかった。 住所を教えてくれと言う。 「何で?」と聞くと、 「いつもお世話になっとるけ…」お中元をくれるのだと言う。 そこで住所を教えたのだが、 「ねえ、ボリ(嫁ブーのこと)の名前、ユキエってどういう字やったかねえ?」と、また馬鹿なことを聞いてきた。 何度も言っているが、ヒロミと嫁ブーは高校時代からの付き合いだ。 ということは、30年くらい付き合っていることになる。 それなのに、ヒロミは嫁ブーの名前を知らないのだ。 「ユキエじゃない。ユキ」 「あ、そうやったかねえ」 「そう」 「じゃあ、宛名はしんたさんにしとくね」 というわけで、今月の3日にそのお中元が届いた。
さてその日、ぼくたちはイオンにお返しを買いに行った。 何にしようか迷ったあげく、結局銀座千疋屋のアイスクリームにしておいた。
昨日のこと。 あれから1週間経つが、ヒロミから届いたという連絡が入らない。 「おい、ヒロミから何か言うてきたか?」 「いいや」 「着いたんかのう?」 「さあ?」 「ちょっとイオンに電話して聞いてみ」 嫁ブーはさっそく、イオンに連絡した。
「え、まだなんですか?」 「‥‥‥」 「もう1週間経つんですよ」 「‥‥‥」 「門司です」 「‥‥‥」 「市内で1週間以上かかるんですか?」 「‥‥‥」 「わかりました。明日ですね。よろしくお願いします」
相手の言ったとおり、ヒロミから今日届いたと連絡があった。 しかし、注文して八日もかかるとは思わなかった。 デパートと違って、スーパーは配達慣れしてないのかもしれない。 あと二日ずれ込んでいたら、もうお盆になっていた。 そうなったら、お歳暮が正月に届くのと同じことになってしまう。 それではありがたみもないだろう。 ということで、次回は配達慣れした所に頼むことにしよう。
最近はまっているもののひとつに、かき氷がある。 食堂やレストランで注文するヤツではない。 コンビニとかのアイスクリームコーナーで売っている、ビニール袋に入ったヤツだ(↓)。
店で食べると量が多かったりするので、食べているうちに頭が痛くなったりするが、この手のかき氷は量がちょうどいい。 そのため、その心配がない。 しかし、これだけでは物足りない。 味が単一でバラエティがないのだ。 ということで、いつもこれに練乳をかけて食べている。 つまり『ミルクみつかけ』とか『ミルク金時』とかにしているわけだ。
さて、昨日の夜、これを食べたのだが、それに練乳をかけてから練乳が切れてしまった。 そこで今日買いに行こうと思っていた。 ところが、今日は忙しく、銀行に行ったり、実家に行っていた嫁ブーを連れて帰ったりしなければならなかった。 そのせいで、練乳の件をすっかり忘れてしまった。
結局嫁ブーを連れ帰ったのは夜になった。 風呂から上がり、食事をすませた後、何かを忘れているような気がしてならない。 「何だったろう?」と考えていると、ふとかき氷が食べたくなった。 「あ、練乳」
そこでセブンイレブンに買いに行ったのだが、売り切れていた。 そのとなりのファミマにも置いてなかった。 時間はもう11時を回っていたし、以前ならここで諦めるところだ。 が、今は24時間営業のスーパーがある。 コンビニほど近くはないが、それでも歩いて5分くらいだ。 おかげで、今日も「ミルクみつかけ」を食べることが出来た。
ところで、このスーパー、10時以降に行くのは初めてである。 セキュリティのために、二つある入口を一つ閉鎖していた。 店内はというと、慌ただしい昼間と違って、夜は非常にのんびりしていた。 店員は何人かいたが、普段のように殺気だってはいない。 警備員がレジ近くに張り付いているので、その分お客に神経を遣わなくてすむのだろう。 そのせいか、こちらものんびりした気分で買い物が出来た。 これなら、また利用してもいいと思ったものだった。
何日かに一度、「今日は書きたくない」という気持ちになる。 そういう日は、これといった出来事もないし、ネタもヒントも思いつかない。 つまり書けないから、書きたくなくなるわけだ。 今日がそういう日だったりする。
それはさておき、このへんのセミは、夜中でもよく鳴く。 今は深夜なのだが、まだ「ワシワシ」言っている。 セミは成虫になってから1週間の命しかないと聞くが、その間ずっと「時間が惜しい。寝てなんかおれるか!」と言って、起きているのだろうか。 成虫とはいっても、人間で言えば老人なのだから、充分に疲れると思うのだが。
セミで思い出した。 このへんにはミンミンゼミがいない。 小学生のある時点までは「ミーン、ミンミン」という鳴き声がしていたと記憶しているのだが、それ以降プッツリと途絶えている。 中学3年の夏休みに、山口の秋芳洞に行った時、「ミンミン」という声を久しぶりに聴き、えらく感動したのを憶えている。
田舎の方に行けば聴けるかと思い、郊外に行くたびに耳を凝らしているのだが、郊外にもいない。 この間の日曜日にオナカ君と大分に行った時も、注意していたが、鳴いているのはアブラゼミとクマゼミとヒグラシぐらいで、ミンミンは鳴いてなかった。
オナカ君は「おまえが気がつかんだけで、ちゃんと鳴いとる」と言っていたが、毎年ぼくがこれだけ注意していても聞こえないのだから、やはり鳴いてないのだ。 きっとオナカ君の頭の中は、「夏=ミンミン」という構図が出来上がっているにちがいない。 だからいつも鳴いているように感じるのだろう。
今日も暑い一日だった。 体感的に、この夏一番暑かったように感じたのだが、実際はどうだったのだろう? しかし、暑いとは言っても、先日大分で味わったようなチクチクした痛みではない。 このへんの暑さは、ジワジワとくるのだ。 だから汗もサラッと流れずに、肌にベタベタとまとわりつく。 年を重ねていくうちに、だんだん脂ぎってくるものだが、その上に汗が重なるわけだから、本当にうんざりする。
さらに嫌なものがある。 それはニオイである。 昔はさほどニオイは気にしなかったが、最近は妙にニオイが気になる。 前は汗のニオイなんかを気にしていたのだが、最近は衣服のニオイのほうが気になっている。
昨日嫁ブーとイオンに買い物に行った。 大量に食品を買い込んだのだが、一度では車に運べず、何回か分けて持って行った。 最初に持って行った時、夕立が降り出した。 家を出た時はかんかん照りだったので、当然傘は持ってない。 そのためずぶ濡れになってしまった。
荷物を運んだ後、しばらく店内にいたので、エアコンの風で乾いてしまったのだが、その過程で妙なニオイがしていた。 例の部屋干しのニオイだ。 乾いたあとは、もうニオイはしなかった。 だが、一度鼻についたニオイの記憶は取れない。 ずっとそのニオイが、ぼくの体にまとわりついているような気がしてならないのだ。
帰る間際、数年ぶりに昔の部下(女子)に会ったのだが、ニオイが気になって、満足に会話も出来なかった。 おそらく彼女は、「何でこの人、よそよそしいんやろか?」と思ったに違いない。 最後に「今度飲みに行こう」と約束したのはいいが、ニオイが気になって連絡先を聞くのを忘れていた。 「今度」は、また数年後に会った時に連絡先を聞いてから、ということになるだろう。
まだ日曜日の話は続く。 英彦山を下りた後、水マニアのオナカ君が、 「他にどこか水の出る場所はないかのう?」と聞いた。 「白川水源」 「どこか?」 「熊本」 「ああ。あそこ熊本でも阿蘇の向こう側やないか」 「おう。南阿蘇やの」 「今から行ける場所やないやろ。近場でないんか?」 「ある」 「どこ?」 「東区の景勝町と戸畑の菅原神社。あと芦屋にも湧き水があるらしいけど、そこは自衛隊の基地の中やけ入れん」 「そうか。じゃあ、景勝町と戸畑に行くか」 ということで、オナカ君は家に帰ろうとしていた車の方向を、急きょ東区・戸畑方面に変えた。
景勝町は新・日本三大夜景の一つである皿倉山の麓にある。 皿倉山にはいくつか水汲み場がある。 そのほとんどが山中にあるのだが、景勝町の水汲み場だけは違っていて、ほとんど平地の幹線道路に面したところにある。 わざわざ山に登る必要がないので、けっこう利用している人が多い。
ぼくたちがそこに着いた時も、何人かの人が水汲み場に集まっていた。 いくら県内とはいえ英彦山は土地が違うので、そこの水を飲むのを遠慮していた。 だが、さすがに景勝町は地元の水という安心感がある。 そこで、堪能するまで飲んだのだった。
さて、もう一つの場所、戸畑の菅原神社は、景勝町から車で10分ほどで着いた。 景勝町の水汲み場は山水ということもあり垂れ流しなのだが、ここは違う。 湧き水ということもあり、蛇口で水を出して汲むようになっている。 さらに、20リットルまでという制限までついていた。
そこの水には歴史がある。 平安の頃、菅原道真公が太宰府に赴任する際、菅公が足を洗ったのがそこの水であったという。 それ故に、菅原神社というらしい。
オナカ君が水を汲んでいる間、ぼくはその菅公の水で育ったであろう、その神社の主の写真を撮っていた。 こいつです↓
(1) 昨日、滝を見た後に山水を汲みに行った。 オナカ君は水マニアで、いつでも持ち帰りが出来るように、いつも車にポリ容器やペットボトルを積んでいる。 どうやら、昨日の小ドライブも、それが目的だったようだ。
行き先は英彦山だった。 そこの水は市販されているくらいだから、かなりの名水だ。 九重町から耶馬溪に戻り、そこから山国町経由で英彦山に登った。 途中、台風のせいで土砂崩れしていると、張り紙がしてあった。 だが、オナカ君はそんなことお構いなしに、どんどん進んでいった。 途中何ヶ所か木が倒れているところはあったものの、通行には支障はなかった。
数十個あるカーブを曲がり、車は無事に目的地の豊前坊(高住神社)に着いた。 夕方の豊前坊はヒグラシの声に包まれていた。 空気がひんやりとして気持ちいい。 水は山頂の方から、チョロチョロと流れてきていた。 少し飲んでみたのだが、冷たくておいしい。 オナカ君は、そのおいしい水をポリ容器3つに入れた。 20リットルの容器が1個、10リットルの容器が2個だったから、計40リットルである。 オナカ君はそれで満足したのだろう、長居せずにすぐに山を下りたのだった。
(2) 修験道のメッカである霊峰英彦山は、福岡県で一番高い山(標高1200メートル)である。 ぼくは、車では何度も行ったことがあるが、歩いて登ったことは二度しかない。 中学2年時の遠足と、高校2年の時に1年時の同級会遠足でだ。 山の中腹にある駐車場から山頂まで、ずっと石段を登って行くのだが、これが山道を歩くよりきつく辛い。 翌日は足がパンパンに張っていたのを憶えている。
そうそう、中学2年時に英彦山に行った時のこと。 行きのバスの中で、友だちが森田健作の『友達よ泣くんじゃない』を歌った。 それがえらく好評で、翌日担任の先生に名指しで褒められたのだ。 先生は他にも歌の上手い奴の名前を何人か上げていたが、ぼくはそれを聞いて、なぜか嫉妬していた。 実は、その時ぼくは歌ってはいない。 歌える歌もなかったし、何よりも緊張して歌えなかったのだ。 歌ってないのだから、ぼくが褒めらることはないのだが、それでもぼくは嫉妬していた。
それからだ、ぼくが歌の練習を始めたのは。 とにかく、3年時の遠足と修学旅行で、「歌の上手い人」と評価されるようになろうと思ったのだ。 それからおよそ1年後、ぼくは遠足の時にあがた森魚の『赤色エレジー』を歌った。 必死に歌のを練習した甲斐あって、みんなの視線を一身に集めた。 ところが、もらった評価は「歌のうまい人」ではなく、「変な人」だった。
上の写真は、大分県九重町にある「龍門の瀧」である。 今日オナカ君と昼飯を食べに行ったのだが、そのついでに足を伸ばして、大分まで行ってきたのだ。 ぼくの住む北九州と九重町、緯度的にどのくらい差があるのかは知らないが、とにかく九重の方が南に位置している分、日差しが強く暑かった。 今日はTシャツを着ていったのだが、日差しはお構いなしにTシャツの下に隠れている肌を、チクチクと刺した。 暑いというよりも、痛いくらいだった。
2007年08月04日(土) |
街は焼き肉のニオイがする |
夕方、友だちから電話があり、飲みごとがあるので小倉まで送ってくれと言う。 土曜日なので、渋滞はないだろうと思いOKした。 予想通り渋滞はなく、小倉に入るまではスイスイ流れた。 ところが、小倉に入り、繁華街の手前まで行った時、渋滞に捕まってしまった。 今日は小倉で祭りをやっていて、メイン道路が通行止めになっていたのだ。
とはいえ、まったく動かないわけではなかった。 ノロノロだがちょっとずつ流れている。 その流れに乗って、繁華街を約30分かかって脱出した。 帰りは行き同様、スイスイ走れた。
さて、前々から言っているが、ぼくの車はエアコンが効かない。 ということで、出発から帰るまで、ずっと窓を開けていた。 スイスイ走っている時は、いい感じに風が入ってくる。 が、渋滞に捕まると、風は入らずに、熱気が入ってくる。 とはいえ窓を閉めるわけにはいかない。 窓を閉めると、さらに暑くなる。
そういうわけで、今日は小倉の繁華街の熱い空気を目一杯吸わせてもらった。 しかし、どうして繁華街というのは焼き肉のニオイがするのだろう? 帰りに戸畑駅前を通った時も、焼き肉のニオイがプンプンしていた。 そんなに焼き肉屋がたくさんあるわけではない。 ということは、きっとそれだけ焼き肉のニオイが強いということだろう。
焼き肉がダメな人には酷なニオイである。 中にはこのニオイを嗅いだだけで、吐き気をもよおす人もいるのだ。 昨今の商店街離れなんかは、こういったニオイも関係あると思う。 街にも消臭剤が必要になってくるなぁ。
台風5号のせいで、昨夜から今朝にかけて、窓が開けられなかった。 雨が叩きつけている窓は当然開けられないし、雨が降り込んでこない窓のほうも、開けるとすごい風が入ってくる。 ということで、我が家は半日閉めきり状態だった。
いかにマンションの6階といえども、この時期は閉めきると暑い。 そのためエアコンを入れることになった。 除湿は洗濯物を乾かすのに何度か使っているが、冷房を使うのは今夏初めてである。 ただ、ぼくたち夫婦は基本的にエアコンがダメなので、あまり温度を下げると体調を崩してしまう。 そこで設定温度を高めにすることにした。
最初は25度にしたが、これが寒い。 1度上げて26度、それでも寒い。 27度でもダメ。 九電が推奨している28度、これでもきつく感じる。 結局29度で収まった。
ところで、昨日の最低温度は25度だったから、窓の外は25度だったわけだ。 一方家の中の設定温度は29度、つまり外気温よりも4度高かったということだ。 閉めきると暑いが、別に熱がこもっているわけではないから、実際内気温は29度よりも低かったのではないだろうか。
こういう場合、29度の設定だとエアコンは作動しないか、送風運転になるかするはずだ。 ところが、エアコンのないトイレから帰ってくると、かなり涼しく感じた。 ということは、温度は下がっていたことになる。
もしかしたら設定温度を内気温より高くしたために、エアコンがふてくされて、わざと温度を下げたのかもしれない。 もしエアコンが口をきけたら、「この暑いのにふざけるな!」と言っていただろう。
すごい雨だ。 すごい風だ。 夜、実家に行く用があったのだが、この雨風なので、なかなか外に出る勇気が沸かない。 しかし、外に出ないと実家に行けないので、「イヤ!」という気持ちを振り払ってドアを開けた。
ところが、開かないではない。 風がドアを押しているのだ。 そこで、体で押すようにしてドアを開けた。 そのとたん、すごい雨がぼくに降りかかった。 おかげで瞬時にびしょ濡れだ。 薄地の甚平なので、冷たさがすぐに肌に伝わる。
実家はすぐ近くだ。 歩いて行っても5分とかからない。 だが、この雨風では歩いて行く気にはならない。 そこで車で行ったわけだが、車に乗る前と車を降りた後に、さんざん雨を浴びてしまった。
車を降りた後、実家まで歩いていると、はいていた草履の中に小石が入った。 チクッとしたので、体を曲げて取ろうとしたが、その瞬間傘の隙間から雨を浴びせられた。 しかも、小石はへばりついて取れない。 チクッも嫌だが、汚い雨を浴びせられるのはまだ嫌だ。 しかたなくそのまま歩いていった。 後で見てみると、小石は足の裏に刺さっており、軽く血がにじんでいた。
台風は毎年のことだが、盆も過ぎてないこの時期に来るのは嫌だ。 夏という季節は結構長く続くが、真夏呼べる時期はそれほど長くはない。 こちらは、その長くない時を楽しんでいるのに、台風なんかで水をささないでほしい。
昨年は家に、スズメ蛾やバッタなどがお目見えしたが、今年は何も来ないので、少し寂しい思いをしていた。 マンションの6階なので、あまり生き物は上がって来ないのはわかっているが、それでも少しは来てもらいたい。 と思っていたら、来ましたな。
窓の向こうから、「ジジ、ジジ」という声が聞こえた。 見るとセミだ。 鳴こうか鳴くまいか、迷っていたようだ。 さっそく携帯を持ってきて2枚写した。 撮った後すぐに見てみると、逆光でセミは真っ黒になっていた。 そこでセミの背中から撮ってやろうと、窓の外に手を伸ばした。 するとセミはそれに気づいて、「ジジ」と言いながら逃げて行った。 結局真っ黒なセミしか撮れなかったわけだが、補正して上の画まで持っていった。 何とか見られるでしょう?
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