東京にいた頃、下宿の近くに戸塚第二小学校というのがあった。 所在地は新宿区高田馬場なのに、何で戸塚などという横浜の地名が付いているのだろうかと、そこに住んでいる時は不思議に思っていたものだ。
その理由を知ったのは、東京を離れてからのことだった。 古い小説を読んでいて、その地名を目にしたのだ。 それを読んでいくうちに、ぼくが住んでいたあたりは、かつて戸塚と呼ばれていた地区だったというのがわかったわけである。
そういえば、これも後で知ったことだが、そのへんを管轄している警察署は戸塚警察署という名前だったらしい。 そこに住んでいる頃は、高田馬場署とか早稲田署という名の警察署、もしくは新宿警察署が管轄している思っていたので、それを知った時はちょっと意外な気がしたものだ。 まあ、管轄の警察署を知らないということは、悪いことではない。 そういうところにお世話にならなかった証拠になるからだ。
ウォーキング中に道を聞かれた。 「すいませんが、○○町3丁目はどの辺りになりますか?」 「○○町3丁目?」 「ええ」 「○○町3丁目じゃわからんなあ…」 「あ、地元の方じゃないんですか?」 「いや、地元は地元なんやけど。○○町3丁目と言われるとちょっとわからんのですよ。通称名とかわかりませんか?」 「ああ、それはわかりませんねえ」 ということで、教えることが出来なかった。 もし、その人が通称名で言ってくれたら、きっとわかっていただろう。 というより、逆にぼくが地元の者でなかったほうがわかっていたかもしれない。
ぼくが通った小学校は、大字○○という地区がそのまま校区になっていた。 だから、地区懇談会や地区対抗リレーでの地区分けは、すべて通称名ごとにやっていた。 それで、このへんの地理を憶えたわけだ。 その後区画整理が行われた際に、大字表記がなくなり、いくつかの町に分けられた。 ところが、普段の生活では通称名ですむので、なかなか○○町×丁目を使う機会がない。 そのため、いつまでたっても○○町×丁目の場所を憶えられないのだ。 今日、その通称名の知識というのが、まったく役に立たない知識だというのを知った。
30年前の冬に、ぼくはデパートでアルバイトをしていた。 商品センターでお歳暮を地区別に振り分ける仕事だった。 生まれ育った場所なので、特に地名や地理を覚える必要もなく、比較的楽な仕事ではあった。 とはいえ、時にはわからない地名を書いた伝票が回ってきて、困ったこともある。 しかし、大概は区画整理前の地名であったり、バス停などにある地名だったので、古い地図を調べたり、誰か知っている人がいたりして解決していた。
ところが、一回だけ、誰に聞いてもわからない地名に遭遇したことがある。 『八幡西区大字蒲原』 こんな地名は聞いたことがない。 古い地図にも載ってないし、『蒲原』というバス停もない。 年配のチーフに聞いても、「そういう地名は聞いたことがない」と言う。 しかも、悪いことに届け先の電話番号を書いてない。 おそらく住所を間違えているのだろうと思い、送り主に尋ねることにした。
「この届け先は、大字蒲原でいいんですか?」 「ええ、いいですよ」 「八幡西区ですか?」 「はい、そうですよ」 「すいませんが、地図調べてるんですけど、こういう地名が見あたらないんですよねえ」 「でも、郵便物はそれで届くよ」 「どの辺になるんですか?」 「いや、死んだ親の知り合いなもんで、自分も知らんのよね」 「電話番号はわかりませんか?」 「わからん」 「そうですか…」 「郵便局に聞いてみてよ」 「わかりました。そうします」
郵便局にはチーフが電話してくれた。 「おい、わかったぞ」 「どこでした?」 「今の青山」 「青山ですか」 「それ、かなり昔の住所らしいぞ」 「いつ頃のですか?」 「郵便局の人の話では、戦前とか言いよったけど」 「戦前ですか。じゃあわかるわけないですよね」 「わしゃ知らんかったぞ」
青山は高級住宅地で、ぼくもいつかは家を建てたいと思っていたところだが、その旧地名から察するに、昔は湿地で蒲がたくさん生えていたのだろう。
上の話は、今朝急に思い出した話である。 何で今頃、こんな昔話を思い出したのかと考えていたのだが、どうやら坂井泉水の死と関係がありそうだ。 坂井泉水の本名は、蒲池幸子というらしい。 「蒲池、蒲池、そういえば…」となったのだと思う。
2007年05月28日(月) |
延期になったといっても… |
昨日小学校は、いくつかの演目をした後に中止を決めたそうだ。 実際には1時間もやったのだろうか? 詳しいことはわからないが、そのいくつかの演目のおかげで今日は代休、どこに行っても小学生だらけだった。 運動会は明日以降に行われるようだ。 とはいえ延期したといっても、運動会は、雨の降らない日、つまり光化学スモッグが起きやすい日にしかやれないのだ。 これから気温が高くなり、これまで以上に起きやすいと言うし、このへんはどう考えているのだろう?
さらに言えることは、この光化学スモッグは、環境に対して無関心な国が引き起こしているから、ここ数年なくならないだろうということだ。 ということは、来年以降は光化学スモッグの少ない時期にやるとか、この時期にやらなければならないのであれば、屋内グラウンドを使用するとかしないと、また今回のように晴れているのに中止とかいうことになりかねないだろう。
今日はぼくがウォーキングをしているコース内にある5つの小学校、すべて運動会である。 朝7時、一番近くにある小学校から「ドン、ドン」という花火の音が聞こえた。 予定通りに運動会が行われるという合図だ。 このやり方は、ぼくが小学生の頃から変わっていない。
運動会が行われるということは、ウォーキングの途中に見ることが出来る。 卒業以来、母校の運動会は一度も見に行ったことがない。 これまで日曜日が休みだったことがないし、特に興味がなかったからだ。 しかし、久しぶりに運動会の音楽を聴くというのも悪くない。 あの手の音楽がけっこう好きだったんですよ。
さて、昼前になった。 いつものようにウォーキングに出かけた。 ところがである。 小学校が見えるところまで来たのだが、まったく音楽が聞こえないのだ。 最初はもう昼休みに入ったのかと思っていた。 だが、そうではなかった。 運動場に人がいない。
テントは張っているし、客席にブルーシートも敷いてある。 だけど人がいない。 そういえば、今日は光化学スモッグ注意報が出ていた。 ということは、全員昼食を学校の中でとっているのか。 そう思って、帰りにまた寄ることにした。
ところが、1時過ぎに行った時も、運動場には誰もいなかった。 「花火も鳴っていたし、まさか中止ということはないよなあ」 中止なら、小学校の車が「今日の運動会は中止になりました」と言って回るはずだ。 ぼくが小学生の頃、一度だけそういうことがあった。 その時は小雨で、運動会が出来るか出来ないか微妙な天候だったのだ。 結局その日は中止になり、翌々日に延期になった。 しかし、今日は雨は降ってなかったし、まさか光化学スモッグとか黄砂の影響で中止になるとは考えられない。 なぜなら、公害がひどかったぼくたちの時代でも、そういうことはなかったことだからだ。
だが、原因はそれだった。 今日市内で運動会を予定していた小学校の数は85校、すべて中止になったそうだ。
腹痛できつい。 明日は運動会を見に行こうと思っているので、今日は早めに寝ることにする。 そういえば、明日は海軍記念日か。 わが連合艦隊がバルチック艦隊を撃破した日だ。 「天候晴朗」であってほしい。
最近よく見る夢の一つに、閉店セール初日の夢がある。 「泣いても笑っても、このセールで最後だ」 などと言いながらも、なぜかウキウキしている夢なのだ。 出てくるメンバーはいつも同じで、昨年3月までいっしょに働いていた人たちだ。 特に未練は残ってないはずなのに、その夢を見ると、今でも現実にその状況が続いているような気がして、何か心が癒される気がする。
もう一つよく見る夢に、走れない夢がある。 誰かに追いかけられている夢で、途中までは走っているのだが、走っていると意識すると突然足が動かなくなるのだ。 ジタバタするが走れない。 追っ手はすぐそこまできている。 無理して足を動かす。 そこで目が覚めるのだ。 布団上でもジタバタしていたのか、えらくシーツが乱れている。 息も荒く、動悸もしている。
夢は心理状態を表すと言うが、上の二つの夢は、いったいぼくのどんな心理状態を表しているのだろうか? 特に知りたいとは思わないが、よく見る夢なので、気になるところではある。
以前、『恋人坂』の話を聞いたことがある。 隣の区にある高校に二つの坂があるらしく、その一つが距離は短いけど急勾配の坂で、もう一つが勾配はゆるやかだけど距離の長い坂らしい。 少しでも長く一緒に歩きたいカップルが、距離の長い坂を選ぶので、いつしかそこを『恋人坂』と呼ぶようになったという。 ちなみに急勾配のほうは『地獄坂』と呼ぶらしい。
ま、よくある話である。 ぼくが高校生の時には、そういう話は聞いたことがなかったから、きっと後年つけられた名前だろうが、その話を聞いた時、その高校もえらく開けてきたなあと思ったものだった。 あの頃は、どちらかというとお堅い学校という印象だったのだ。
ところで、こと恋愛に関しては、ぼくの通った高校のほうが有名だった。 何せ他校の学生から、『恋愛高校』と名付けられていたくらいの学校である。 それなのに、なぜかそういう『恋人坂』などという洒落た名前の場所はなかった。 おそらくは、通学路すべてが恋人だらけで、別に場所を特定する必要がなかったのではないだろうか。
そのせいで、よく近隣の住民からクレームが入っていた。 「手を繋いで歩いていた」だとか、「イチャイチャしながら歩いていた」だとかは日常茶飯事だった。 高校2年の頃だったが、学年集会の時に、 「おまえたちの中に、バス停でキスしよった奴がおる」 と、学年主任が興奮して言っていたことがある。 近くの住民から通報があったらしい。 しかし、さすが恋愛高校、そんなことを言っても、誰も反省しない。 みな「そんなこと、どうでもいいやないか」という反応で、似たようなことは次から次に起きていた。
さて、ぼくが高校の時には『恋人坂』のような、粋な場所はなかったわけだが、後年意外なことを知った。 就職先に高校の先輩がいたのだが、その人が、 「図書館の裏側に庭があったやろ。あそこ『秘密の花園』と呼ばれてたんよね」と教えてくれた。 何でも、そこでカップルが寝ころんで愛を語っていたという。 図書館の裏は、少し生温い感じの庭になっていたが、実は艶めかしい場所だったわけか。
しかし、あちらは『恋人坂』で、こちらは『秘密の花園』か。 誇らしいというべきか、恥ずかしいというべきか、複雑な心境である。
はしかが流行っているという。 ニュースでは、そのせいで早稲田大学が休校になったと言っていた。 そのニュースを見てさっそく嫁ブーは、早大に通っている姪に電話をかけた。 が、出ない。 なかなか出ないので、いったん切った。 「まさか感染したんかもねー」となどと言っていると、向こうから電話がかかってきた。 学校が休みになったので、街をうろうろしていたらしい。 で、予防接種を受けたのかと聞くと、受けてないという。 話を聞くと、姪やその周りの学生たちは、どうも学校が予防接種してくれるのを待っているようだ。
テレビでは今日もはしかのことをやっていた。 はしかの検査で病院に行った、ある早大の学生へのインタビューを流していたのだが、その学生は検査とか予防接種とかで三千円かかったと言っていた。 そしてこのセリフだ。 「3千円あると、三日生活出来るんですよね」
いくらはしかが流行っているとはいえ、自分が伝染したり、身近に感染した人がいるわけではないから、彼にはピンと来なかったのだろう。 そんなことよりも、彼には今日の生活のほうが大切なのだ。 おそらく姪やその周りの人たちも同じ気持ちなのだと思う。
夕方、嫁ブーと近くのコンビニに歩いて行っている時だった。 後ろを歩いていた嫁ブーが突然、 「しんちゃん!」 と大きな声を上げた。 振り向くと、嫁ブーはぼくの横で信号待ちしていた車を指さした。 車を見てみると、その中で、ぼくに手を振っている人がいた。 白髪頭でメガネをかけた人だった。 必死に手を振るので、ぼくもそれに釣られて手を振って、笑顔で返した。 それからすぐに信号がかわり、車は発進した。
店に入ってから、ぼくは嫁ブーに聞いた。 「おい、あれ誰か?」 「誰って?」 「さっきの車の人」 「えっ、知らんの?」 「知らん」 「一瞬やったけ、顔がよくわからんかったんやないと?」 「いや、どう考えても知っとる顔やない」 「じゃあ、知らん人に手を振ったわけ?」 「おう。反射的にそうした。じっくり見る暇なかったしの」 「あの車に見覚えないと?」 「ない」
さて、誰だったのだろう?
今朝、嫁ブーを会社に送っている途中、嫁ブーが突然変なことを言いだした。 「本屋で本買って帰り」 「あ?」 「これから銀行に行くんやろ?」 「おう」 「だから、その帰りに本屋に寄って本買ったらいいよ」 「何で本買わないけんとか?」 「朝刊に載っとる占いなんやけど、11月生まれは『外出のついでに書店回り。開運につながる書物を発見』になっとるんよ」 「なんか、西日本新聞の占いか。あれ当たらんけのう」 そう言ってぼくは、関心のない風をよそおった。
しかし、本音のところは違った。 それを聞いたとたん、気持ちは本屋に向いていたのだ。 「それが開運につながるなら、多少高くても買おう」と思っていた。
さて、銀行での用事を終え、さっそく本屋に行った。 開運につながるくらいの本なのだから、無理に探さなくても、その前に立ったら、きっと動けなくなるはずだ。 と、店内をウロウロしたのだが、なかなか「これはっ!」と唸るような本が見つからない。 とりあえず何冊かピックアップしてみた。 ところが、再度目を通してみると、そこまで興味が持てない。
結局買った本は『日・中・韓 新三国志』の文庫版だった。 2年前に文庫化された本だが、こういうのが本当に開運につながるのだろうか? とりあえず今日は、神棚に上げている。
2007年05月20日(日) |
ローカルネタで申し訳ありません |
流行語ではないのだが、昔KBCラジオで、 「知らない町に行って、知らない人と出会う。だけど、みんな知ってるKBCラジオ、みんな聴いてるKBCラジオ〜♪」 という歌が流れていた。 いつもオールナイトニッポンを聴いている時に流れていたのだが、この後に「オールナイトのKBCラジオです」と続いていた。
ちょうどKBCラジオの出力が50kWになり、KBCラジオがけっこう遠くの地域まで聞こえるようになった頃のことだ。 それ以降、こちらの深夜放送に、関西や関東からハガキが届いたりするようになった。 北海道あたりからも届いていたのではないだろうか。
しかしあの歌、現在の 「聴いてる? ケービースィーレディオ〜♪」 よりもずっとよかった。 もう一度やってくれんかなあ。
朝からこの歌が頭の中で鳴っている。 「ビバーヤング、パヤパヤ、ビバヤング!」 これを見てピンとくる人は、おそらく40代半ばから50代前半の人だろう。 これは何かというと、オールナイトニッポンのCM明けに、例の「オールナイート、ニッポーン〜♪」と交互にしつこくかかっていた短い歌(何というのだろう?)である。
初めてこれを聞いた時、『ビバ』の意味がわからなかった。 まだ家庭用のパソコンなどなかった時代であるから、調べものは辞書が頼りである。 当時はまだ外来語辞典や流行語辞典などなかったため、こういった外来語は国語辞典で調べるのが常だった。 しかし「ビバ」はイタリア語で、その頃にようやく流行したような言葉だったから、載ってはいない。 そこで、友だちに教えてもらうことになる。
当時はそういう流行語とかにやたら詳しい、流行語博士のような奴がいたものだ。 ようやくその言葉が世間に広がり始める頃、博士はすでにそういう言葉を知っていたのだ。 パソコンはもちろん、今ほど情報誌も溢れてはいなかった時代、彼らはどうやってそういう情報を得ていたのだろうか? そういえば小学生の頃、大橋巨泉の「ハッパフミフミ」の意味を、まことしやかに答えている奴もいた。 しかし、あれは特に意味のない言葉だったと思うのだが…。 きっと彼は特別な情報網を持っていたのだろう。
さて、その博士の一人に、ぼくは『ビバ』の意味を教えてもらうことになるのだが、学生時代、けっこうこういうことが多かったような気がする。 そういえば、『ダサい』『ヤバい』『ノンポリ』『マジ』『白ける』なども、流行語博士に教えてもらった言葉だった。
3月から放置していた髪の毛を切りに行った。 相変わらず髪の量は多いのだが、なぜか地肌が透けて見えることがある。 最初はいよいよ禿げてきたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。 髪が白くなったことで地肌の色が浮き上がってしまい、こういうことになるようだ。
そのため、最近は床屋に行くと、以前のように「短くして下さい」などとは言わなくなった。 もちろん、短くすると地肌が透けて見えて困るからだ。 では何と言っているのかというと、「あまり短くせんで下さい」である。
ということで、今日も「あまり短くせんで下さい」と言ってきた。 しかし、仕上がってみると、けっこう短くなっていた。 『これでまた、2,3週間、髪が気になるなあ…』 と落胆していると、床屋の姉ちゃんが「どこを切ったかわかりませんねえ」などと言う。 もしかして、切る前のぼくの髪を覚えてなかったのだろうか? はっきりわかる短さだし、髪のふくらみもなくなっているではないか。
しかし「短くせんで下さい」でここまで切られるなら、次回は言葉を変えて、それを阻止しなければならない。 もちろん床屋に行くのだから、「切らないで下さい」とは言えない。 「少し切って下さい」だと、「短くせんで下さい」とあまり変わりない。 無難なところは、「毛先を揃えるだけにして下さい」だが、それだと散髪代がもったいない。 正直に「地肌が目立たんくらいに切って下さい」と言うことにするか。
2007年05月17日(木) |
もう梅雨入り予想の時期なのか |
この間天気予報を見ていたら、梅雨入りの予想なんかやっていた。 桜の開花予想がついこの間ような気がしていたが、もうあれから2ヶ月経つのか。 何でこんなに時間の経つのが速いのだろうか? 特にその間、あまり印象深い事件などがなかったので、そう思うのかもしれないが、もしかしたら、これは季節と関係あるのかもしれない。 ぼくは冬が長く感じる人間である。 なぜかというと、嫌いな季節だからである 何ごともそうだが、嫌な時間というのはけっこう長く感じるものだし、逆に好きな時間はすぐに去って行くものだ。 きっと嫌な時間である冬のすぐ後が、好きな時間である春なので、特に速く過ぎていくように感じるのだろう。
なぜか腹痛。 何か悪いものを食べたのか、それとも食べ合わせが悪かったのか、そのへんはよくわからないのだが、食後急に空腹感に襲われ、そのうち胃が痛くなった。 こういう場合は梅干しが効くので、すぐに梅干しを食べた。 おかげで胃の痛みはほどなく治った。
だが、痛みがなくなったわけではない。 今度は下腹が痛くなったのだ。 下痢である。 とはいえ、これもほどなく治った。 ただ、腹に違和感は残っている。
こういう時は寝て治すに限る。 寝付きはよかった。 だが、寝汗で目が覚めた。 汗が温いうちはまだ我慢は出来るが、冷めるとこれが痛く感じる。 汗をふきとり、シャツを着替え、「これで眠れる」と安心したのも束の間、今度は意識が腹の違和感に集中する。 それが終わるとまた寝汗。 というわけで、この繰り返しで、一晩中のたうちまわっていた。
昼から車の運転のしどおしで、いささか疲れた。 初めての場所を走ったので神経を遣うし、長時間の運転だったので肉体的にも疲れるし。 家に帰ったのは8時半だったが、服を脱ぐともうだめで、食事もとらずに眠ってしまった。 そのまま一日を終え、気がつくともう翌日になっている。 慌てて起き出し、今この日記を書いているわけだ。
しかし、こういう疲れはいい。 余計なことを考えずに睡眠に陥ることが出来る。 いったん睡眠に陥ったあとは熟睡状態で、これまた余計なことで目を覚ますこともない。 こういう睡眠も久しぶりである。 やはり動物は、ほどよく疲れなければならない、ということだろう。
2007年05月14日(月) |
今日も『Happy!』 |
さて、その『Happy!』を読んでいて思ったのだが、この作者は、この作品で『あしたのジョー』を描きたかったのではないだろうか? 扱っているスポーツがテニスとボクシングという違いもあるし、何かと暗い『あしたのジョー』に比べると、『Happy!』は底抜けに明るい。 だが、どん底から這い上がっていく設定は同じだし、丹下段平を彷彿とさせるコーチがいるし、作品の中には『あしたのジョー』を思わせる場面がいくつかあるし…。 ほぼ同じ世代ということで、ついそう思ってしまう。
もしそうだとしたら、この作者は『あしたのジョー』のあの時代を象徴するような、「まっ白な灰」などという曖昧な終わり方に不満を抱いていたのではないだろうか? だからこそ、この『Happy!』を描いたのだと思う。 つまり、この作品を使って、自分の中の『あしたのジョー』を終わらせたかったということである。
2007年05月13日(日) |
『Happy!』再び |
一年前の今頃というと、会社を辞めようかどうしようかと迷っていた時期だった。 その結論を出すきっかけを作った本がある。 ちょうどその頃読んでいた『Happy!(浦沢直樹著)』というマンガである。 別に何か参考になるようなこと書いていたわけではないのだが、そのマンガを読んでいて、「こんなところで何をやってるんだ、おれはっ!」という気持ちになり、そのまま「辞めます!」まで突っ走っていったのだった。
あの時、何であんな気持ちになったのだろう? それを探るべく、今また『Happy!』を読んでいる。 ブログの更新が遅れたりするのは、そのせいでもある。
昼から雨。 最近は、雨が降ると風が強くなる。 風が強くなると、窓が「ピューピュー」と鳴き出す。 実に物哀しく、気味の悪い音である。 マンションの6階だからだろうか、うちの窓は季節に関係なく、よくこの音が鳴るのだ。 昼間はまだ我慢も出来るが、夜聞くと、胸が締めつけられる思いがする。
そういえば、この音を聞くと、ぼくの頭の中になぜがアニメの『一休さん』が登場する。 理由はわからない。 おそらく『一休さん』のアニメが始まった日、雨風が強かったことと関係しているのではないだろうか?
ところで、以前マンガの『三丁目の夕日』で知ったのだが、この「ピューピュー」という音、『虎落(もがり)笛』と呼ぶらしい。 そこで、その『虎落笛』というのを調べてみたのだが、冬の季語になっている。 唱歌『たき火』の歌詞も、「北風 ぴいぷう 吹いている〜♪」で、冬を表している。 また、映画やドラマでは、冬の演出にこの音を用いることが多い。 ということで、確かにこの音は冬の音なのだ。
まあ、それはいいとして、もしこの音をこの季節の俳句で表そうとした場合、何という言葉をあてたらいいのだろうか? 『虎落笛』だと、冬なのでダメである。 ということは、『風の音』とか一般的な言葉を使うことになるのか。 だが、それだと「ゴーゴー」という音しか伝わらない。 「ピューピュー」音を鳴り響かせようとすれば、やはり『虎落笛』しかないと思う。
「新緑の 季節を惑わす 虎落笛」
ぼくはよく「節目」という言葉を使うのだが、その「節目」が「節目」であったためしがない。 というか、そういう時には、必ず何か新しいことが始まると、ぼくは思っているのだが、何も起きたことがないのだ。
例えば21世紀が始まる時に、ぼくはその「節目」を感じていた。 何かワクワクして、いいことがそこに待っているような気がしたものだ。 しかし、何のことはなかった。 ただ2000年12月31日が終わり、2001年の1月1日になっただけだった。 いつもと同じように、年越しそばを食べ、テレビを見ていただけだった。
例えば1999年7の月もそうだった。 ノストラダムスの予言通りなら、この世は終わる。 それなら、この世の終わりを見届けてやろうと思っていた。 ところが、いつまでたっても、恐怖の大王なんて降ってこない。 ただの暑い夏にすぎず、ぼくはいつもの夏と同じように、エアコンを売っていただけだった。
入学した日も、新学期も、終業式も、卒業した日も、誕生日も、成人の日も、就職した日も、退職した日も、はたまた結婚した日でさえも、ぼくが「節目」と思っている時には、何も起きなかった。 ただいつもと同じ一日が過ぎていっただけだった。
この先の予定だが、まず50歳になる日を「節目」と思っている。 あと半年である。 心の奥に「この日に、何かが待っている」と、期待している自分がいる。 しかし、これまで経験したとおりで、ただの一日で終わってしまうだろうか?
2007年05月10日(木) |
嫁ブー、背中を痛める |
嫁ブーが背中を痛め、昨日は会社を早退して、今日は休んだ。 ちょっと動いただけでも、背中にズキンと痛みが走るらしい。 嫁ブーは寝相が悪いから、寝ている時にでも背骨が若干ずれたのではないだろうか。 きっと背骨が神経を圧迫しているのだと思う。
もしそうなら、ぼくはよく体験している。 こういう場合、ぼくなら痛みをこらえて背骨の矯正をする。 ちょっとポキッと言わせれば治る場合が多いからだ。 鳴らなければ鳴るまでやる。 そのうちポキッと鳴って、いい具合に背骨がはいってくれる。 あとは筋に痛みが残っているものの、すでにズキンという痛みではなくなっている。 ただの炎症に過ぎないから、二日もすれば治ってしまう。
しかし、嫁ブーはこういうのが出来ないのだ。 前に一度矯正してやったことがある。 その時は、いちおうは良くなったのだが、固定する力が弱いのか、翌日またずれてしまい、痛みはさらにひどくなったらしい。 そういうことがあったので、もう余計なことはしないことにしている。
今回も、いつものように整骨院に行ったようだ。 その整骨院、昨年開院したところなのだが、何かあるたびに嫁ブーは行くので、そこの人たちとすっかり顔なじみになったらしい。 ということは、すでに年寄りの仲間入りをしたということか? まあ、いいや。ゆっくり治してくださいませ。
今日また光化学スモッグ注意報が出た。 しかし、昨日歩いてないので、今日歩かないわけにはいかない。 光化学スモッグ注意報が出るたびに外出をやめれば、そのうち歩けなくなるかもしれない。
今日のニュースで、大気汚染度を色で示した地図を見せながら説明していたが、特に中国大陸の東海岸部分から西日本にかけてかなり濃度が高かった。 市と市民が真剣に公害に取り組み、ようやく空に星が見えるまで回復したというのに、大陸のエゴでまた空が汚れようとしているわけだ。
今日は昼間歩いたのだが、何となく目がしばしばして、景色がはっきりしてなかったようだ。 しかも、光化学スモッグで、のどが痛くなることもあるらしい。 せっかくタバコをやめて、のどの痛みを治そうとしているのに、これでは意味がない。 何となく空気のニオイもおかしく感じるし、早く対策を練ってもらわないと…。
今日は神社へは行ったものの、ウォーキングはしなかった。 何と光化学スモッグ注意報が出たからだ。 先月にも一度出ているが、その時は10年ぶりだと言っていた。
何で今頃になって光化学スモッグなのかというと、どうも中国が原因らしい。 中国は今、高度経済成長のさなかといわれているから、その経済を支える工業地帯は、きっと日本の昭和40年代のような風景なのだろう。 環境などまったく無視で、どんどん突っ走っているに違いない。 ということで、40年ほど前に日本が吹かせていた風が、今は中国から吹いてきているわけだ。
それはそうと、先日あるメールマガジンで読んだのだが、揚子江は今、廃液でドブ川化しているという。 ドブ川かということは、かつての洞海湾のようになっているということだ。 そう考えるだけで、あの時代が蘇ってくる。 星の見えなかった空、何となくざらついていた空気、低気圧が近づくと重苦しく漂っていた工場街の臭気…。 そういえば、煤煙のせいで閉校になった小学校があった。 その辺りは外に洗濯物を干せなかったという。
あれから40年、ヘドロだらけだった海や川には、今魚が元気に跳ねている。 その魚をトンビや白鷺が狙っている。 どこにでもある風景であるが、このどこにでもある風景が、かつての八幡にはなかった。 「煤煙」「大気汚染」「ヘドロ」など、昔は小学生の会話に普通に出てきた言葉も、今この辺りではすっかり死語になっている。 「光化学スモッグ」も、そういう言葉の一つだったのだが。
2007年05月07日(月) |
死神に魅入られていた |
5月に入ってから、それまでの寝苦しさが嘘だったかのように、熟睡の毎日を送っている。 寝不足は相変わらずなのだが、これは何かやっているからで、以前のように寝付けないという理由からではない。 なんでそうなったのか。 別に特別なことをやっているわけではない。 寝相をちょっと変えただけだ。
それまでのぼくは、仰向けで寝るのが常だった。 ところが、仰向け寝は枕とのバランスを考えたり、腰の負担を取り除くための工夫をしなければならない。 そういうことを意識せず、というか何も知らずにこれまでやってきた。 そのツケが先月やってきた。 無呼吸症である。
睡眠に入る寸前、体が暖かくなり、何かに包まれるように気持ちよくなってくる。 ところが、それに身を任せていると、だんだん息苦しくなってくるのだ。 気がつくと息をしてないではないか。 というか、呼吸の出来る姿勢をとってない。 どういう姿勢なのかというと、枕の高さのせいで、首を固められあごが胸についている。 つまり、柔道でいう押さえ込みをされている状態にあったわけだ。
そこで姿勢を変えようとするのだが、すでに体は睡眠状態にあるので容易には動かない。 それでも息をしないと死んでしまうので、無理矢理体を動かし、呼吸の出来る状態にする。 これが体力を消耗させるのか、目が覚めてから、けっこう長い時間動悸が止まず、呼吸が乱れていた。 そうなると今度はなかなか眠れない。
こういうことが先月の中旬からずっと続いていた。 そう、寝付けない原因は無呼吸症だったわけだ。 つまり毎日死神と格闘していたということになる。 で、寝不足の原因は、その恐怖と、格闘での疲れからである。
そういう状況の時でも、たまには熟睡することがあった。 それはどういう時かというと、テレビを見ながらごろ寝していた時である。 その時どういう姿勢をとっているかというと、横向きになっている。 「もしかしたら、横向きで寝るといいのかもしれん。押さえ込みを避けるには、横向きになればいいわけだから」と気づいたのが先月末のことだ。 試してみたら、これが効果てきめんだった。 それ以来、死神は遠ざかっている。
朝、目が覚めた時からずっと、頭の中で一つの歌が鳴っている。 昔聴いたシルバーオックスのCMソングだ。 『ひょっこりひょうたん島』を歌った前川陽子が歌っていたと思うが、「元気で行こう テケテケラッタッター 牡牛のマークの シルバーオックス〜♪」という歌詞だ。 小学生の頃、学校から帰ってテレビをつけると、いつもこの歌がかかっていた。
何でこの歌が鳴るのだろう。 別にその時代の夢を見たわけではないのだが…。 しかし、こうしつこく鳴っていると、なぜか原曲が聴きたくなるものだ。
そこでシルバーオックスのサイトを覗いてみたのだが、会社や商品の紹介ばかりで、昔のCM曲があるような気配はない。 次に探したのがCDである。 CM曲を集めたものはいくつか出ているようだが、そこに「シルバーオックス」はなかった。 最後に、どこかのサイトに落ちてはいないかと、いろいろな言葉を入れて検索してみた。 そして「コマーシャルソング シルバーオックス」と入れた時だった。 そこにぼくのブログが出てきたのだ。 どうやら以前もシルバーオックスのことを書いていたようだ。
結局「シルバーオックス」の歌は見つからなかった。 しかし、ケガの功名か、ひとつ面白いものを見つけた。 これもその頃のCM曲で、同じく服地のメーカーである。 とにかく懐かしいです。
http://www.miyuki-hd.co.jp/miyukibrand/miyukitvcm.html
このCM、というより番組、ぼくが生まれた年である昭和32年に始まって、平成に2年に終わっている。 何と33年間もやっていたのだ。 しかし、ぼくが驚いたのはその長さではなかった。 平成まで、『ミユキ野球教室』をやっていたということである。 平成2年といえば、ぼくらの年代からすると、つい最近という感覚だ。 そんな「つい最近」まで、このコマーシャルソングが鳴っていたとは知らなかった。
2007年05月05日(土) |
禁煙生活もうすぐ1ヶ月 |
先月の9日からタバコをやめているから、およそ1ヶ月タバコを吸ってないことになる。 当初は扁桃腺が痛いので、これを早く治したいと思い始めたわけだが、いろいろと禁煙の効用もあった。 痰が絡むせいか、夜中に咳き込んで目を覚ますことがよくあったのだが、今これは完全に治っている。 またしゃべっている時などに、のど元がむず痒くなって、声が安定しないことがあったのだが、これも今は完全に良くなっている。 これに伴ってだろうが、肺活量も少しは増えたような気がする。
社会に出てから昨年までの27年間、ゴールデンウィークにはまともに休みをとったことがなかったせいで、その期間の世間がどうなっているのか知らなかった。 今日、ぼくも嫁ブーも暇だったので、近くのユニクロにシャツわ買いに行ってきたのだが、あまりの人の多さに驚いた。 まあ、そこには平日しか行ったことがないので、その時の感覚でいたから驚きの度合いが強くなったのだろうが、それにしても半端な数ではなかった。 そういえば、この期間中は、普段はあまり人の入ってなさそうな店にも、車が多く駐まっている。 どこに行ってもいっしょだからというので、近場で我慢しているのだろうか?
昨日、ドラマ『バンビーノ』を見ていると、先日ぼくがブログに書いた夜の福岡空港が出てきた。 ドラマでは第2ターミナルが映っていたが、ぼくが行ったのは、その先の第1ターミナルだった。 もしこのブログを見た人が、あのドラマを見ていたら、「なるほど」と思ったことだろう。 やたらネオンが多くて、肝心の空港が目立たないのだ。 空港付近に住んでいる人やそのコースに慣れた人ならともかく、ぼくのような初心者には難しい。 ドラマを見て、あの時のハラハラ感が蘇ってきてしまった。
ホークス10連勝ならず。 これで携帯のフォルダ内が空になる。 しかし9連勝後の1敗で、2位に転落するとは…。 何とかいいながらも、今シーズンも西武は強いということだ。
今日は地上波、BS、CSの3局でホークス戦のテレビ中継をやっていた。 なかなか田中が打てないので、イニング毎にチャンネルを変えて見ていた。 だが、それでも流れが変わらないので、最後にはテレビを見ることをやめ、ラジオに切り替えた。
そのラジオを聞いている時のこと、アナウンサーが相手投手、つまり田中を呼ぶ時に、しきりに「マー君こと、田中」と言っていた。 登録名でもないのだから、そういう言い方は一回で充分である。 しかもその「マー君こと、田中」は、地元のチームではなく、相手チームのピッチャーなのだ。 特に今日は田中を打ち崩せなかったので、そういう呼び方が妙に耳に付き、不愉快だった。
ぼくはホークスの携帯サイトの会員に入っている。 ま、そこの会員になっているからといって、別にファンクラブではないわけだから、その特典はかなり制約されたものになっている。 応援歌着うたや着メロ、それに選手の着声などがダウンロードできる程度であるが、ぼくはそういったものに興味があるわけではない。 では、何に興味があってそこの会員になったのかというと、試合速報メールである。 ホークスの試合があるとき、イニング毎に経過を知らせてくるのだ。 こういう便利なものがあるから、毎月300円を払って会員になっているわけだ。
この速報メールだが、以前は勝った試合のメールは、すべて消さずに保存しておいた。 ところが、保存容量の関係で、古いものから消えていってしまう。 そこで、イニング分は消し、試合結果だけ保存しておくことにした。 だが、これだと面倒である。 結局今は、勝ちメールを次の試合まで保存しておいて、次に負ければその日の試合分も含めてすべて削除、勝てばまた次の試合まで保存、というふうにしている。 なぜこういうふうにしたのかというと、験担ぎである。 よく勝ち続けている時に、験を担いで髭を剃らない選手がいるが、それと同じなのだ。 勝ったら、それを保存することで、次の力とする。 負ければ、すべて消すことで、悪い流れをチャラにすることができる。 …というわけだ。
さて、試合のある日には、延長がなければ9イニングの速報メールと試合の結果メール、それに加えて順位メールがくる。 つまり一試合11通のメールが入るわけだ。 で、今、ホークスがどういう状況にあるのかというと、9連勝中である。 ということで、今99通のメールをホークスフォルダに保存しているわけだ。 と思っていたら、この連勝の最初のほうの試合のメールがすでに消えてしまっていた。 おそらく、容量不足で消えてしまったのだろう。 ぼくの携帯に入ってくるメールは、この速報メールを含めて毎日50通近くあるから、これもしかたないか。 しかし、この連勝、いつまで続くのだろうか? けっこう相性のいい楽天戦は明日明後日と、あと2試合残っている。
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