今日もフォークリフトのことを書く。 そういうことなので、『ヒロミちゃんがやってきた』はお休みです。
今日は暇があればフォークリフトに乗っていた。 あまりやるとこの機械の癖がつくから、なるべくならやらないほうがいい、とある人から言われた。 が、せめて左手でのハンドル操作だけはちゃんとやっておかないと、肝心の試験の時に思わず右手で操作してしまうかもしれない。 ということで、そういう意見を振り切って、ぼくはフォークリフトの特訓をすることにした。
車の場合、ハンドルは目で切ると言われているが、フォークリフトも同じである。 つまり、見ている方向に進めばいいのである。 その際、手の仕事というのは、目の方向に進むように操作すればいいわけだ。 ただ違うことは、フォークリフトのハンドルは遊びがないということだ。 車の場合は、多少手がぶれても体制に影響はない。 ところが、フォークリフトの場合は、これが大きく影響する。 右手で操作する場合はそうでもなかったのだが、左手は力がないせいか、すぐにぶれてしまうのだ。 そのため、微妙に蛇行運転になってしまう。 しかも、左手に意識が集中するせいで、前のほうがおろそかになり、何度か壁にぶつかりそうになった。 元来が乗り物音痴だから、こういうのに弱いのだ。
しかし、何回かやっているうちに、だんだんコツをつかんできた。 ものは考えようで、やっているうちに、「何だ、ギターと同じじゃないか」と思うようになってきたのだ。 ギターで弾き語りする場合、左手でコードを押さえるのだが、初めての歌でも、歌に集中していくうちに、だんだん左手のことは忘れて行く。 が、ちゃんとコードは間違えずに押さえている。 そう思うと気が楽になってきた。 そのおかげで、ちゃんと蛇行せずに前に進むことが出来るようになった。
さて、あとはリフトである。 フォーク(つめ)の部分が、パレットに触れずにちゃんと入るかどうかである。 これだけで大きな減点になるので、今日は何度も繰り返した。 しかし、店のパレットは隙間が狭いのだ。 そのために、何度もパレットを削ってしまった。 ようやくすんなり入るようになっても、今度は出しが待っている。 これもパレットに触れるとだめなのだ。 これも何度も繰り返しやった。
何とか形になったところで、最初から一通りの運転をやってみた。 左手運転は何とか出来た。 ところがリフトのところで、ポカをやってしまった。 うまく目測がつかずに、パレットに乗った商品を突き刺してしまったのだ。 「あらららら…」 しかし、ものは考えようである。 「でも、まあいいや。これも仕事の一環なんだから」と思うことで、気が楽になった。
さあ、明日は本番である。
シリーズ『ヒロミちゃんがやってきた』はお休みです。
さて、今日はフォークリフトの実技講習があった。 昼からだったのだが、遅れてはいけないと思い、今日の午前中に予約していた歯医者はキャンセルした。
ぼくはこの講習の日が嫌で嫌でたまらなかった。 というのは、着慣れない作業着を着て、脚には脚絆を巻き、安全靴を履き、さらにヘルメットをかぶらなくてはならないからだ。 こういう装備をするのは、生まれて初めてのことなのだ。 どうも、そういう格好をしている自分がイメージできない。
いちおう、昨日安全靴に足をとおし、脚絆を巻いてはみたものの、何かピンとこない。 安全靴は借り物だから、どうも足にしっくりこない。 というより、少し小さいのだ。 そのため、指が締めつけられるように痛い。 が、安全靴はあくまでも靴である。 少し痛いのを我慢すれば何とかなるだろう。
一方の脚絆は、どうやって装着するのかさえわからない始末だ。 うちの店の人に聞いてみたのだが、全員が「そんなのしたことない」ということだった。 ネットで調べようかとも思ったが、そういうことを調べるのも面倒だ。 結局『その辺の人に聞くか』という考えにいたり、脚絆のことはそれ以上考えないことにした。
ぼくが一番悩んだのは、ヘルメットだった。 店で使っているヘルメットを借りていくことにしたのだが、あいにくヘルメットは一つしかない。 そのヘルメットは店長がよく使っているものだ。 昨日、ヘルメットを借りてかぶろうとした時、それまで思いもよらなかったことに気づいた。 それは、ちょうど頭が当たる部分に、店長の整髪料がべっとりと付いていたのだ。 触ってみると、ぬるっとする。 『こんなのかぶれんわい』と思ってはみたものの、ヘルメットはそれ一つしかない。 『しかたない、家に帰ってから洗おう』と思い、それを使うことにした。 しかし、床屋に行ったときもそうだが、整髪料の臭いというのは、洗ってもなかなか取れるものではない。 しかもぼくは整髪料をつけないので、結構長く臭いが残るのだ。 ということは、ぼくはしばらく店長の臭いと過ごさなければならない。 案の定だった。 家に帰って何度も何度も洗ったにもかかわらず、講習中はずっと店長の臭いがしていた。
さて、本題の講習の方だが、もう散々だった。 三度練習したのだが、最初の二度は脱輪してしまった。 コースの道幅が狭かったということもあるが、教官がいちいち文句を言うのだ。 「ほーら、脱輪したやろうが。おまえは失格ぞ」とか、「そんな運転したら落ちるぞ」とか、熱血漢先生は、容赦なく罵声を浴びせる。 それがプレッシャーになってしまったわけだ。
しかし、原因はそれだけではない。 店にあるフォークリフトと、試験用のフォークリフトは、ギアとサイドブレーキの位置が違うのだ。 店にあるヤツはどちらも左についている。 ところが、試験用は右についているのだ。 つまり、突然外車に乗せられたようなものだ。 しかも、これまでの練習ではずっと右手でハンドルを切っていたのだが、試験では左手でやらないと減点になるというのだ。
ということで、明日は左手ハンドルの猛特訓をしなければならない。 明後日が本番である。
2005年06月28日(火) |
ヒロミちゃんがやってきた(その5) |
ヒロミと嫁ブーは、11時からエステの無料体験に行くことになっていた。 8時半を過ぎてようやく嫁ブーが起きてきた。 しばらくヒロミの独演会を聞いていたのだが、腹が減ってしかたない。 そこで、11時まで少し時間があるので、ファミレスにモーニングでも食べに行こうということになった。
さっそく準備に取りかかったわけだが、その最中ぼくはその日のスケジュールを考えていた。 そういえば、前にヒロミと約束した場所がいくつかあった。 『汐入の里』、『パン工房高須』、『貴黄卵生産直売農場』、『おとぎの杜(スーパー銭湯)』などである。 どこもうちから近いのだが、ここに書いているすべてをエステから帰って行くとなると、途中食事もしなければならないので、かなり遅くなる。 そこで、モーニングはやめて、先に『汐入の里』と『パン工房高須』に行くことにした。
そのどちらも、直接行くと10分ほどでついてしまうのだが、『汐入の里』を経由して、もしくは『パン工房高須』を経由して、もう一方の場所に行くとなると、ちょっと時間がかかる。 つまり、ちょっとしたドライブが出来るということだ。 その道は海水浴場に面した海岸線で、ぼくの好きなドライブコースの一つでもある。
二人の賛同を得て、さっそくぼくたちは車に乗り込んだ。 せっかくドライブするのだから、ラジオよりもCDを聞いた方が気分も出てくる。 ということで、ぼくは家から持ってきたCDをかけた。 当初は海岸線を走るのだからサザンでもと思ったのだが、それではあまりに普通すぎて面白くない。 そこで、天地真理や浅田美代子の歌の入ったCDを持ってきた。
ヒロミは歌にかけては通である。 そのCDに入っている曲はほとんど知っているようで、かかった曲すべてを口ずさんでいた。 これは知らないだろうと思ってかけた、谷口世津や西真澄の歌もちゃんと歌っていた。
そういえば以前、何かの歌番組にリリーズが出ていたことがある。 それを見ていたヒロミから、「『好きよキャプテン』歌うよ」というメールが届いた。 ぼくたちもその番組を見ていたのだが、リリーズが出てから10秒ほどしてのメールの到着だった。 ぼくと嫁ブーは顔を見合わせて、その反応の素早さに驚いたのだった。 そういうヒロミにとって、30年ほど前の歌ぐらい、屁でもないのだろう。
2005年06月27日(月) |
ヒロミちゃんがやってきた(その4) |
そういえば、その日の前日、ヒロミは差し歯が取れたそうである。 しかし、歯医者には行ってないと言っていた。 どうしたのかというと、瞬間接着剤でつけたのだという。 つける時には、差し歯をよく洗ってドライヤーで乾かす。 一方、土台になっている歯は、きれいに磨いた後に、ティッシュで水分を取り除く。 そうしないとつかないそうである。 ヒロミはそういったことを、身振り手振りを添えて説明していた。 ぼくが「そんなことしたら、よくないんやないんか?」と聞くと、ヒロミは「前もそうした後に歯医者に行ったんよ。そしたらねえ、先生に叱られた」と言っていた。
そういう話が終わった後、ヒロミは嫁ブーの美顔器を取り出して遊びだした。 ぼくはというと、一度はパソコンに向かったものの、疲れと久々のビールで眠たくなってしまい、そのままその部屋で横になった。
翌朝、ぼくは誰よりも早く起き、パソコンに向かった。 日記の構想がまとまらないまま、無為に時間をつぶしていた。 そういう時にヒロミが起きてきた。 ヒロミはぼくを見つけると言った。 「しんたさん、私が目を覚まして伸びをした時、手に当たるものがあったんよ。何かと思ってそれを手に取ってみたら、楳図かずお怖いマンガやん。何であんなところに楳図かずおがあるんかねえ。私、楳図かずおの怖いマンガ、そーとー(とても)好きなんよ」
ヒロミは、ぼくたち夫婦がそれで寝ると腰が痛くなるという理由で使わなくなった、ダブルベッドで寝ていた。 そういえば、ぼくは昨年、休みの日にそこで楳図かずおを読んだ記憶がある。 あまり行かない部屋なので、楳図かずおがそこにあるというのも忘れていたのだ。 それをヒロミが見つけてきたわけである。
「ねえ、他に楳図かずおの怖い本ないと?」 「いや、あったと思うけど」 ぼくはさっそく本棚を探してみた。 そこに2,3冊、楳図かずおはあった。 他にコンビニで買った怪談もののマンガを取り出して、ヒロミに手渡した。
その後ヒロミは、リビングで大人しくそれらの本を見ていた。 ところが、ぼくがトイレに行こうとして部屋を出てみると、ヒロミがいない。 おそらくベッドに戻って寝ているのだろうと思っていた。 トイレから戻って、ふとリビング横の和室に目をやると、大口を開けて寝ている嫁ブー横に寄り添うようにして、ヒロミが寝っ転がっていた。 「いつの間にここに来たんか?」 「だって、ボリが気持ちよさそうに寝とるんやもん」 そう言いながらもヒロミは、楳図かずおの怖いマンガを読んでいた。 結局、その日は外に出かけた時以外は、テレビを見ながら居眠りしながらも、ヒロミは楳図かずおの怖い本を読んでいたのだった。
2005年06月26日(日) |
ヒロミちゃんがやってきた(その3) |
嫁ブーの会社に着く頃、タイミングよく嫁ブーから仕事が終わったと連絡があった。 嫁ブーを乗せたあと、車を置きに帰ることにした。 居酒屋に行くためである。 ところが、家の駐車場に着いた時、時間はもう10時を回っていた。 「おい、居酒屋のオーダーストップは何時か?」 「普通の店は10時半やないと」 「10時半か。じゃあ、もう店に入れんのう」 「ああ、そうやねえ」 「どうしようか、腹減ったしのう…。あっ、おまえ『dug』に電話してみ。もしかしたら、今からでも食べさせてくれるかもしれん」 「あ、そうか。dugがあったねえ」 dugというのは、ぼくたちの行きつけの喫茶店で、地元では焼きカレーで有名なところである(※dugに関しては、2001年2月4日の日記に書いているので、そちらをご参照下さい)
さっそく嫁ブーはdugに電話を入れた。 「もしもし、ゆきですが、今からいいですか?」 「焼きカレーでいいと?」 「それで充分です」 ということで、居酒屋での酒盛りは急遽中止になり、ぼくたちはそのまま車でdugに向かった。
dugでのヒロミは、いつもと違って大人しかった。 マスターとぼくたち夫婦の会話を、薄ら笑いを浮かべて聞いていただけだった。 マスターの前で何かおかしなことを言ってくれることを期待していたのだが、肩すかしを食らってしまった。
しかし、その日はそれで終わらなかった。 家に帰ってから、ヒロミはその本領を発揮したのだ。 dugでビールも飲めなかったぼくたちは、近くのコンビニに行ってビールを買い、家で酒盛りを始めた。
ヒロミはそこでずっとガンの話をしていた。 父親をガンで亡くしているので、自分もそうなるのではないかと心配しているようなのだ。 話の中で、ヒロミは二度ガン検診を受けたと言っていた。 一度は肺あたりが痛くなって、「これはガンかもしれない」と思い、医学書を買い込んだと言う。 それを見ていると、どうも自分がガンのように思えてきた。 そこで、医者に駆け込んで、こういう症状なので検査して欲しいと言った。 医者は笑って「ガンじゃないですよ」と言ったが、ヒロミは強く「検査してください」と頼み込んだ。 医者は渋々検査をしたという。 「検査の結果は、どうやったんか?」とぼくが聞くと、ヒロミはその結果が気に入らなかったのか、怒った顔をして「なーんともなかったけね」と言った。
もう一度は胃に違和感を感じ、「これはガンかもしれない」と思い、前に買った医学書を読んだ。 そして、また医者に行った。 その時も医者は笑って受け付けようとしなかった。 そこでヒロミは、医学書に書いていた症状を全部言って、無理矢理検査をさせたらしい。 しかし結果は、「なーんともなかったけね」である。
2005年06月25日(土) |
ヒロミちゃんがやってきた(その2) |
ぼくは車にヒロミを乗せると、さっそく嫁ブーの会社へと向かった。 一般道を通って行くことも考えたが、ヒロミ宅に到着したのが大幅に遅れたため、都市高速を利用することにした。
ところで、ぼくは、ヒロミを車に乗せるのは初めてである。 ヒロミ宅に行く途中で、『いくら10数年前に同じ職場で馬鹿をやっていた仲とはいえ、こういう隔離された場所で二人っきりになったら、お互いに躊躇して言葉も弾まないんじゃないか』などと心配していた。 が、そういう心配はまったく無用で、ぼくたちは相変わらず、普通に馬鹿やっているのだった。 それにしても、車の中のヒロミは、よくしゃべる。 いっしょに働いていた頃の話題から、町内会の話題まで、次から次に出てくるのだ。
さて、そのヒロミの一連の話に嫁ブーのことが出てきた。 前にも言ったが、ヒロミは嫁ブーのことを『ボリ』と呼んでいる。 「前に沖縄におったボリのお姉さんに、そーとー(かなり)良くしてもらったけね」 「そうか」 「そういえば、ボリのお兄さんの子がおったやろ?」 「おう」 「どうしよると?」 「去年、自衛隊に入ったぞ」 「ふーん。ねえ、ボリは二人兄弟よねえ?」 「えっ…?」
たった今、お姉さんとお兄さんの話が出てきたばかりである。 それだけでも三人兄弟じゃないか。 「違う。六人兄弟」 「えっ、6人もおると?」 「おう。男3人と女3人たい」 ヒロミは嫁ブーと高校から就職までずっといっしょで、実家に何度も遊びに行っているくせに、今さら何を言っているのだろう。 しかし、それこそが『愉快な隣人ヒロミ』のヒロミたる由縁である。
そういえば、その時に思い出したことがある。 先月ヒロミの家に行った時のことだが、ヒロミが嫁ブーに娘のビデオをダビングしてくれと頼んでいた。 嫁ブーが「じゃあ、テープ貸して」と言うと、ヒロミは「今ここにないけ、後で送るね」と言い、嫁ブーに住所を聞いていた。 今月に入って、ようやくそのテープが送られてきたのだが、その封筒を見て、ぼくたち夫婦は目が点になった。 住所は嫁ブーが教えたとおり、正しく書かれていた。 問題は宛名にあった。 苗字はちゃんと結婚後のものになっていた。 が、名前が違うのだ。 嫁ブーは『由紀』という名前なのに、宛名は『由記』となっていた。 それだけなら、「きっと字を間違ったんだろう」で片付けただろうが、ヒロミはそれで終わらないのだ。 なんと、その『由記』の下に、ご丁寧にも『子』を付けていたのだ。 つまり、宛名が『しろげ由記子』になっていたのだ。
「おい、おまえは高校まで『由記子』という名前やったんか?」 「違うよぅ」 「ということは、おまえとヒロミは、友だちじゃなかったんか?」 「友だちやったよ」 「じゃあ、何で友だちの名前を間違えるんか?」 「それは…。ああ、あの人、私のこと『ボリ』としか呼んだことがないけ、きっと下の名前まで知らんかったんやろう」 いや、きっとヒロミは、嫁ブーの旧姓も知らないだろう。 苗字はぼくと同じだから、ちゃんと書けたのだと思う。
嫁ブーが言うことにも一理ある。 ぼくも、昔から、ヒロミが嫁ブーのことを呼ぶ時は、「ボリ」以外の名前で呼んでいることを聞いたことがない。 だが、いくらニックネームで呼び慣れているとはいえ、普通の人なら名前もちゃんと覚えているだろう。 いったい、ヒロミは嫁ブーのことを、どうインプットしているのだろうか。 まあ、このへんが、いかにもヒロミらしいと言える。
2005年06月24日(金) |
ヒロミちゃんがやってきた(その1) |
昨日の日記の更新は遅れに遅れて、今日の夕方になってしまった。 その理由は、昨日の夜からヒロミがうちに遊びに来ていたためである。
昨日の夜は、仕事が終わってから、門司までヒロミを迎えに行ってき、その足で嫁ブーを迎えに行き、家にいったん戻ってから、居酒屋に行く予定にしていた。
ところが、最初からつまずいてしまった。 そのヒロミの家である。 先月行っているので、まだその付近のイメージが残っていたし、番地もしっかりと覚えていた。 そのため、地図などを確認せずに行った。 それが間違いだったのだ。
その付近には予定通りより早く、8時40分頃に着いた。 「ちょっと早く着きすぎたかなあ」と思いながら、ぼくは記憶をたどってヒロミの家まで行こうとした。 ところがである。 その場所がわからなくなっていた。 小学校の近くというのは覚えていたが、同じような道、同じような家がいくつもある。 点滅信号から入るのは知っていたが、そこには点滅信号がいくつもあるのだ。 しかも、その点滅信号から曲がって、何番目の道に家があるのかがわからない。 番地を確認してみたが、夜なのでそれがまったく見えない。 車を降りて一軒一軒当たる方法もあったが、道が狭い割に、車の行き来が多いところなので、車を停めるわけもいかない。 結局、同じところをグルグルグルグル回ることになってしまった。
たぶんこの辺だったと思うところは、一方通行になっていて進入が出来ない。 さらに、一方通行が故に、Uターンが出来ない。 そこで、いったん幹線まで戻って、もう一度記憶をたどりながら、行ってみた。 が、先ほどと同じ場所に出る。 こんなことを繰り返しているうちに、時間は9時20分になっていた。 携帯で地図を確認したものの、細かい道までは載っていない。
こういう時は、先方に電話して道を聞けばいいのだが、それをやるとカッコ悪い気がしたので、最後の手段に残していた。 が、こうなっては、カッコ悪いなどと言っている暇はない。 歩道に乗り上げて車を停め、そこからヒロミに電話した。 ぼくが電話すると、ヒロミは待ってましたというようにすぐに出た。 「しんたさん?」 「おう。今○○というところにおるんやけど、ここからどう行ったらいいんか?」 「えっ、道忘れたと?」 「覚えとるつもりやったんやけど、同じような道とか家があって、わからんようになった」 「すぐに電話すればよかったのに」 「‥‥」 「そこからずっと坂道を上って、点滅信号を左に曲がったらいいんよ」 「点滅信号はいくつもあるぞ。どの点滅信号で曲がったらいいんか?」 「2つ目」 「ああ、2つ目か。そこを左折してどう行ったらいいんか?」 「すぐに右に曲がる」 「左折してすぐに右折か」 「うん」 「わかった、すぐに行く」
そこからヒロミの家までは、1分もかからなかった。 そこは、先ほど何度も通った道だった。 「やっぱりこの道でよかったんか」と思っていると、ヒロミがやってきた。
前々から、仕事で履いている靴が、何ヶ所かほころんでいるのが気になっていた。 梅雨時期にこんな靴履いていたら、雨が降った時、水が染みてくるだろう。 そこで昨日、うちの店で売っている靴を買うことにした。 うちは専門店ではないので、ブランド品はあまり置いてないのだが、仕事履きになるような安い靴はけっこう揃っている。 安いとはいえデザインもそこそこいいものがある。 ぼくはいつも、その中でも比較的高値の靴を選んでいる。 安い靴だと長持ちしないのだ。 いくつかの候補を選び、履いてみた。 その中に一つだけ目を引く靴があった。 アメリカ製で、履いてみるとゆったりとしていい感じだった。 さっそくそれを買うことにした。
購入後、すぐに今まで履いていた靴を捨て、新しい靴に履き替えた。 いい感じの靴というのは、履いていて実に気持ちがいい。 しばらくその気持ちよさに酔いしれていた。 ところが、1時間経ち2時間経つうちに、だんだん靴が重く感じるようになった。 「おかしいなあ、さっきはこんなじゃなかったのに」 ひもの具合が悪いのかと思い、ひもを何度か調整してみた。 が、相変わらず靴が重い。 そのうち、だんだん足の甲が痛くなってきた。 すでにその頃には頭も痛くなっていた。 もう最悪の状態である。 頭はしかたないにしろ、せめて足だけは何とかしたい。 「古い靴に履き替えよう」 そう思ったぼくは、ゴミ捨て場に、先ほど捨てた古い靴を探しに行った。 ところが、もう遅かった。 すでにゴミは処理された後で、結局そのまま、足痛に耐えることになった。
さて、昨日さんざんな目にあったので、今日は家にあった靴を履いていった。 しかし、その靴も長いこと履いてないので、足になじまないのだ。 どこか窮屈さを感じる。 我慢していれば慣れるだろうとは思ったが、2日続けて足にとらわれるのもいやである。 そこで、「しかたない。もう1足買うか」ということになった。 幸い靴売場には、昨日捨てたものと同じ靴が売っていた。 古くなったので捨てたものの、履きやすさは最高だった。 迷うことなく、ぼくはその靴を買うことにした。
その後、ぼくは足の苦痛から解放された。 夕方、履き物の取引先の人がやってきた。 「昨日はさんざんな目にあったよ」 「どうしたんですか?」 「いやね…」と、ぼくは昨日のことをその人に話した。 「で、どれ選んだんですか?」 「これ」 「えっ、これを選んだんですか?」 「うん」 「これは、登山とかに履く靴じゃないですか」 「えーっ!そんなこと書いてないやん」 「書いてはいませんけど、裏見てください」 見てみると、靴の裏がスパイクのようになっている。
「重かったでしょ?」 「うん」 「ゆっくり歩くのならともかく、こういうのを仕事なんかで履いていると、頭が痛くなったりしますよ」 「頭が痛くなる?」 「ええ、腰から首にかけて負担がかかるんですよ」 「昨日、確かに頭痛がしたけど…」 「でしょう。これが原因ですよ」 「いや、昨日のはクーラー病やったけど」 「じゃあ、ダブルできたんですよ」
それで、昨日はいつまでたっても頭痛が治らなかったのか。 いつまでたっても治らないので、一時は、くも膜下出血にでもなったんじゃないか心配したほどだ。 ま、二日続けて靴を買うという、馬鹿なことをしたものの、頭痛の原因がわかって、ホッとした次第である。
【ただいま午前1時33分】 昼間から頭が痛い。 ズキズキ、ズキズキ痛むのだ。 何もしない時はどうと言うことはないのだが、首を振ったりすると、頭の中に虫歯があるようでとても痛い。 理由はわかっている。 クーラー病である。
今日は朝から、会社のエアコンの温度が少し低めに設定してあったのだ。 最初はそれほどでもなかったが、時間が経つにつれ腕などが冷えてきた。 「こりゃいかん」 毎年のことなので、腕が冷えるとどうなるかということは、熟知している。 つまり、その時点で、昼からの頭痛を予想していた、ということである。
案の定、昼頃から頭に違和感を感じ、それがだんだん痛みに変わってきた。 こういう時の対策として、ぼくは外に出て日に当たることが多い。 体が冷えているなら、温めれてやれ、ということだ。 ほとんどの場合はこれで治る。 ところが、今日はあいにくの曇り空で、日は照ってなかった。 そのため冷えは、いつまでたっても取れない。 しかたなく店内に戻ると、また体が冷える。 そういったことを繰り返していくうちに、本格的に痛くなってきた。
いったん痛みが定着すると、もうだめである。 家に帰って酒を飲むか、風呂に入るか、もしくは寝るかしないと治らない。 ところが、今日の痛みはしつこくて、すでに酒は飲んだのだが、痛みは去ろうとはしない。 かといって、この日記が終わるまで、風呂も入らなければ、寝ることもしない。 ということで、ただいま午前1時33分、まだ頭痛と闘い続けている。
【ただいま午前6時58分】 いつまでも頭痛が治らないので、日記を途中でやめ、寝ることにした。 横になって以降の記憶がないから、きっとすぐに眠ったのだろう。 途中、一度トイレで目が覚めたが、その時もまだ頭は痛かった。 が、起きている時ほどではなかった。 目が覚めたのは、6時半だった。 起きてからすぐに首を上下左右に、恐る恐る動かしてみると、すでに頭痛は治っていた。
これから暑くなるにつれ、こういったクーラー病に陥る機会が増えてくる。 我が家は6階で窓を開ければ涼しいので、エアコンを入れることはほとんどない。 問題は会社である。 エアコンがだめだという個人的な理由で、そのスイッチを消すわけにはいかない。 かといって、厚着をするわけにもいかない。 なぜなら、まったくエアコンの効いてない、というより外より暑い倉庫に行くことが多いからだ。 その都度、脱いだり着たりするのも面倒だし…。 何かいい方法を考えなきゃならん。
【1】 午前中に歯医者に行った後、なぜかやる気が失せてしまって、今日予定したことを何もしなかった。 予定していたことというのは、会社に行ってフォークリフトの練習をすることと、銀行に行くことと、楽器屋回りである。 昨日の日記にも書いたが、次の休みにはヒロミが遊びに来るので、そういうことが一切出来ない。 その次の休みの日はフォークリフトの講習があるし、そのまた次の休みの日はフォークリフトの実技試験である。 まあ、講習や試験の日にフォークリフトの練習はしなくていい。 また楽器屋は急いで行く必要もない。
問題は銀行である。 4つの銀行を回らなくてはならないのだ。 繁華街に出さえすれば、短時間ですべての銀行を回ることが出来るのだが、その短時間がとれない。 しかたない。 急ぐ銀行だけでも、インターネットバンキングを利用するか。 若干の手数料を取られるが、繁華街に出たら駐車料金を取られるし、つい無駄な出費をしてしまうから、案外この方が安くあがるのかもしれない。
【2】 現在ぼくは、3つの銀行でインターネットバンキングの登録をしている。 しかし、利用したことがあるのは、給与振込先にしているメインバンク1行だけである。 他は何かの折に利用しようと思って登録したのだが、いまだその「何かの折」がない。 ぼくはお金をやりくりする才能を持ち合わせてないので、今後も「何かの折」というのはないだろう。 きっとぼくは、メインバンクだけで事足りる人間なのだろう。 そのくせ、多くの銀行の口座を作りたがる。 その点はブログといっしょで、ここでも、確固とした信念を持ち合わせてない人間というのが露わになる。
【3】 そのブログだが、そろそろ一つにまとめたいと思っている。 だいたい、あまり人も来ないのに、欲張ってたくさん持っているのが間違いなのだ。 この間5つのブログをやめたのだが、現在日記をつけているブログは、それでも4つある。 それらのブログがすべて盛況なわけではない。 メインのブログと携帯用に使っているブログは、そこそこ来てくれているのだが、他の2つはさっぱりである。 あるところなんかは日に数人しかこない。 かく言うぼくも、そこは更新するだけで、見てはいない。 まあ、そこは常連さんが来るという理由から残しておいたのだが、そろそろ限界が来ている。
何が限界なのかというと、更新である。 最近は朝更新することが多くなったが、出勤前に4つも更新するために、何度か遅刻しそうになったことがある。 他のブログは、携帯から更新だけではなく編集も出来たりするから、別にパソコンでなくても、会社に行ってから携帯ですればいい。 だが、そこはそれが出来ないときている。 人は来ない、不便だ、ということになると、もうやめるしかない。
ただ、気がかりなことはある。 数人ではあるが、毎日来てくれている人たちのことである。 おそらくそこが見やすいから来てくれているのだと思うが、それをいきなり「やめました」では、納得してくれないだろう。 そこで、とりあえず7月までは何とか続けて、それ以降は更新日記、つまり「日記を更新しました」というお知らせブログに使おうと考えている。
いや、ぼくが基本通りにその日の日記をその日に書けば、こういうことをせずにすむのだが、何せ生まれつきの怠け者だから、致し方ないところではある。 exblogに足を運んでくれている皆様、誠に申し訳ありませんが、8月からはそうさせていただきますので、よろしくお願い致します。
2005年06月20日(月) |
歯医者通い、9ヶ月目突入が決定的になる |
さて、明日も歯医者に行かなければならない。 先日、先生が「樹脂でかぶしているところが変色しているので、金属のものと替えましょう」ということで、型を取った。 明日は、それが出来上がっているので、それを付けて終わりである。 しかし、それでも歯医者通いは終わらない。 先月の26日に書いた歯が、まだ治ってないのだ。
その日記を読んだ知人が「しんたさん、もしかしてその歯は根本まで掘ってるんじゃないですか?」と言ってきた。 「そうやけど」 「じゃあ、長引きますよ」 「えっ、そうなん」 「ええ、歯が痛くなったり、歯茎が腫れたりを繰り返すんですよ」 「じゃあ、まだ痛みは続くと」 「と思いますよ。ある程度時間がたってから痛みは治まるんですが、それでも歯ブラシが当たったりすると響くんですよ」 「ああ、それはあるねえ」 「で、そういうのがなくなっても、さらに安定するまで様子を見るんです。それから銀冠をかぶせるための処置をする」 「そこまで、どのくらい時間がかかるんかねえ?」 「だいたい1ヶ月ですけど、長い人で2ヶ月かかる人もいます」 「最低1ヶ月か…」
知人の言うとおりだった。 あの日記を書いてから数日後に、いったん痛みは治まった。 が、歯茎が腫れてしまった。 しばらく腫れは引かなかった。 それが治まった頃、また痛みがぶり返す。 ようやく、そういうことから解放されたと思っていたら、今度は歯ブラシが触れると、痛くはないのだが響くようになった。
その間の治療といえば、薬を替えるぐらいなものだ。 時間にして10分程度で終わる。 それだけの治療の日が2,3度あった。 そこで先生も悪いと思ったのか、先日、治療できそうな歯を探し出し、そこを治療したのだ。 しかし、その歯の治療も明日終わる。 歯ブラシで響く状態が続いているので、それが治まるまで、また10分治療が続くのだろう。
次の休みは、ヒロミが遊びに来ることになっている。 来週の休みは、フォークリフトの講習と試験でつぶれる。 そのため歯医者には行けない。 ということで、5月終了を予定していた歯の治療は、2ヶ月延びることが決定的になってしまった。 もう、いいかげん飽きてきた。
最近こっそりとプレイヤーズ王国に、歌を公開している。 こっそりというのは、以前は公開するたびに宣伝をかねて日記でお知らせをしていたのだが、ここ数回はそれをやっていない、ということだ。
現在のところ、『しろげしんた』で1曲追加し、他に『皆岡伸太』で3曲を上げている。 そして今回、『くろげしんた』で1曲上げることにした。 どうして名前を変えているのかというと、一つのIDにつき曲の登録は20MBまでという制約がある。 そのため、それ以上の曲を上げる場合は、他のIDを取らなければならないのだ。
まあ、そういうことは、別にぼくだけがやっているわけではなく、ある人は自分の名前の下に1号2号などと付けている人もいれば、名前の下に「○○編」などと付けている人もいる。 当初はぼくも、今までのIDを『しろげしんた1号』に替えて、新しいIDを『しろげしんた2号』にしようと思っていた。 しかし、人まねはいやである。 ということで、『皆岡』や『くろげ』の名前を使うことにしたのだ。
さて、IDを3つ取ったのはいいのだが、そろそろ歌の方がネタ切れになってきている。 いや、歌がないわけではない。 録音している歌、つまりソースがないのだ。 おそらく『皆岡』は、以前『しろげ』で登録して、その後没になった歌で埋まってしまうだろう。 しかし、『くろげ』のほうは、新たに録音しないと埋まらないだろう。 そこで、録音してみようかという気になり、昨日久しぶりにギターを手にした。 ところが、かなり腕が落ちているのだ。 これではとうてい録音など出来やしない。 ということで、また指を腫らして練習しなければならなくなった。
ところで、ギターを弾いている時に思ったのだが、今使っているギターはどうも音の厚みに欠ける。 バンドの1パートとしてのギターならそれでいいのだろうけど、一人でやっているものだから、演奏はギターがすべてになってくる。 そうなると、当然音の厚みが必要になってくる。 『月夜待』の時は、そこを多重録音でごまかした。 が、ぼくの場合、ギター1本を基本にやってきたから、いつまでもそんなごまかしでやれるわけがない。
そこで、もう1本、音の厚みのあるギターが欲しくなってきた。 そういえば、以前もそんなことを感じて、マーチンに手を出したのだった。 4年前の日記に書いているように、そのマーチンは、ある楽器屋から盗られたような格好になってしまい、すでに手元にはない。 ということで、その後は今使っているギター1本しか残っていないのだ。
今買うとしたら、やはりKヤイリ製がいいか。 ぼくが今使っているギターはタカミネ製だが、それを選ぶ時、最後まで迷った機種がKヤイリのものだった。 その時、「今回はタカミネにして、次に買う時Kヤイリを選ぼう」と思ったのだった。 しかし、次に買ったのもタカミネだった。 その次もタカミネで、その次がマーチンだった。 どうしてそうなったのかというと、次に買う時、仕入先の関係でKヤイリが手に入らなくなったからだ。 しかし、今はネットを利用すれば、好きな機種を選べる時代である。 すでにKヤイリのサイトで、何機種かをピックアップした。 あとは、どこかの楽器屋で試し弾きをして選ぶだけである。 車もあきらめたことだし、いよいよその「次に買う時」が近づいたのだ。
ところで、今乗っている車は、今年で9年になる。 買ってから3年間ほどは、けっこうハードに乗り回したものだった。 通勤だけだと、3年で走行距離は3万キロもいかないだろう。 が、この車は3年ですでに8万キロを走っていた。
そのツケが回ってきたのか、上のブレーキのみならず、いろいろなところに支障が出てきている。 特に気になるのが、燃費である。 3年ほど前までは、燃費は12,3キロを超えていた。 ところが、ある時を境に、極端に燃費が落ちたのだ。 一時は、半分の6キロ台にまで落ちた。 原因を調べてみると、どうもガソリンが悪いようだ。 そこで、今入れているスタンドで入れることにした。 それで何とか8キロ台まで持ち直していたのだが、それでも最良時に比べると4,5キロは落ちている。
4,5キロ、この差は大きい。 なぜなら、前は月2回ですんでいたガソリン補給が、今は月3回になっているのだから。 1回補給するごとに、ガソリン代を5千円払わなければならない。 ということは、毎月5千円のオーバーである。 これを年間になおすと6万円、今の車をあと5年乗るとすると30万円になる。 その間に、今年を入れて車検が3回。 一回あたり、おそらく15万円はかかるだろう。 ということは3回で45万円。 それ以外に、今回のような予定外の修理も何度か入るだろう。 その額を10万円と見積もるとして、すべて合計すると85万円になる。 85万円というと、そこそこ質のいい中古車が買える額である。 いや、高望みさえしなければ、新車の買える額である。 これは考えてみる価値がある。
そこで、その修理屋さんに、何か出物はないか調べてもらうことにした。 希望は中古車でも新車でもない。 新古車である。 「ワゴン系でいいのがあったら、すぐに教えてください。車検代に貯めていたお金があるし、後は会社か銀行でローンを組みますから」 ということで、すでに新しい車を手にした気分になっていた。
ところがである。 ぼくはあることに気がついた。 仮に新車を買ったとして、5年間だと2回車検を受けなければならない。 これを見落としていたのだ。 ということは、30万円マイナスになるから、差し引き55万円である。 「55万円かあ…。これじゃあ、買えんよなあ」 そう思うと、それまでのうきうきした気分が、一気に萎えてしまった。 「一つの車に20年以上乗っている人もいることだし…」と思うことで自分を納得させ、今回は我慢することにした。
さて、我慢したら我慢したで、ぼくの物欲は他のものへと移っていく。 明日は、その話をすることにします。
先日、会社に行く途中に、車のブレーキを踏んだ時、ブレーキが「キーキー」と鳴いたあとに、「ブーン」という鈍い音が聞こえた。 「キーキー」音は以前からあったが、そのあとの「ブーン」音は初めてである。 最初は別に気にはならなかったのだが、だんだんその音が大きくなっているように思えてきた。 虫歯と同じで、このままで放っておいたら、後日大変なことになるかもしれない。 そう思ったぼくは、会社に着いてから、さっそく知り合いの修理屋さんに電話をかけてみた。 「ブレーキがおかしいみたいなんですけど」 「どういう状態?」 ぼくは、上記のことを説明し、「明日か明後日でいいですから、来てもらえませんか?」と言った。 「いや、ブレーキやけ、すぐにでも修理せないけん。今日行きますから」 「そうですか、じゃあ、お願いします」 ということで、2時間後に、修理屋さんはやってきた。
「ああ、ブレーキパッドが薄くなっとるねえ」 「8月まで、何とか持ちませんかねえ」 「まあ、この状態やったら今日明日でどうかなるわけじゃないけど、何せブレーキやけねえ。出来るだけ早くやったほうがいいよ」
ぼくが修理を渋ったのにはわけがある。 今、急に「はい、修理です」と言われても、お金がないのだ。 なぜ8月まで持たないかと言ったのかというと、実は8月に車検を受けなければならないのだ。 それはあらかじめわかっていたことだから、そのための貯金をしている。 その貯金はちょうど8月に満期になる。 だから、その時まで延ばしたかったわけだ。 それと、車検と絡めれば、修理代も少しは安くあがるだろうと思った、ということもある。 だが、「早めにやったほうがいい」と言うなら仕方がない。 ぼくは渋々ブレーキパッドの取り替えに応じた。 「せっかく修理するんやけ、スモールランプとブレーキランプを替えとって下さい。あとオイル交換もお願いします」
ということで、ぼくは日にちを指定して、修理屋さんに会社まで車を取りに来てもらった。 数時間後、車は戻ってきた。 「もう大丈夫と思うけ」 と、修理屋さんは、今回の修理内容を細かく説明した。 しかし、車のことに疎いぼくは、何を言っているのかがわからなかった。
ぼくの関心事は、ただ一点だった。 「で、いくらかかったんですか?」 「1万5千円」 「1万…、5千円…」 安くしてくれたし、車の修理代としては、このくらいは普通だろうとは思う。 とは思うが、払うとなるとこの額はきつい。 しかも給料前である。 『これがあれば、ステレオ購入の頭金になる』 そう思いながら、ぼくは渋々お金を払ったのだった。
ぼくの家にはオーディオコンポがない。 昔風に言えば、ステレオがないのだ。 いや、厳密に言えばあるのだが、7,8年ほど前に壊れて、そのままになっている。 そのため、CDはカーステレオかパソコンで聴いている。 カーステレオはともかく、パソコンで聴くCDなんて味気ないものである。 モニターに内蔵されたスピーカーで聴くと音は悪い。 そこでヘッドホンを使っているのだが、ある程度以上の音域になると、音が割れてしまう。
例えば、『歌のおにいさん』で公開している歌は、編集の際にヘッドホンを通してしか聴いてないので、実際どういう音が出ているのかがわからない。 かといって、いちいちCDに焼き付けて、カーステレオで試聴する気も起こらない。 ということで、音が割れるところがあっても、「この歌はこういうもんだ」とか、「ステレオで聴けば、ちゃんとした音になっている」などとと決めつけて、そのまま上げることにしている。 もし、『歌のおにいさん』を聴いて、「何かこれ、音が悪いやん」と思っても、上のような理由があるので、勘弁してください。 しかし、ステレオがほしいなあ。
ところで、ぼくのような音楽好きな人間の家に、ステレオがないのも珍しい。 幼い頃、初めて買ったレコードである『スーダラ節』を聴いたのは電気蓄音機だった。 小4の時に買った『ヘイジュード』も、小5の時に買った一連のタイガースのレコードも、小6のの時に買った『嘆きのボイン』も、すべて電蓄で聴いたものだ。 中2の時に買った『木枯し紋次郎』の主題歌も、同じく電蓄で聴いた。 高校に入ってからは、吉田拓郎やボブ・ディランのレコードを買い漁るようになったのだが、その時も電蓄で聴いた。 そう、ぼくの家には、ぼくが就職するまで、電蓄しかなかったのだ。
友人たちの家には、けっこういいステレオが揃っていた。 その友人たちの家に遊びに行くたびに、指をくわえてステレオを眺めていたものだ。 「おい、このステレオ、いくらするん?」 「全部で40万円くらいやったねえ」 40万円である。 高校生の身分で買える代物ではない。 そして、「働きだしたら、絶対にいいステレオを揃えてやる」と思っていたのだった。
ということで、初給料で買ったものはステレオだった。 しかし、ステレオと言っても、手取り10万円そこそこしかない身分だったから、40万円もするような機種が買えるはずもない。 そのため、買ったものはラジカセに毛の生えたようなものだった。 いや、実際ラジカセだったのかもしれない。 なぜなら、レコードプレーヤーが付いてなかったからだ。 レコードプレーヤーを買い足したのは、それから1年後のことだった。
初めてちゃんとしたステレオを買ったのは、それからなおも時を経た、今から10年ほど前のことだった。 ソニー製の立派な作りのヤツで、音もまあまあだった。 ところが、それは2年も持たなかった フロントパネルにある液晶画面がつかなくなってしまったのだ。 そのため、今どんな作業をしているだとか、CDの何曲目を聴いているだとかがわからない。 まあ、聴けないこともなかったので、そのまま使っていたが、だんだん音すらも出てこなくなった。 その後、小振りのステレオを買ったのだが、すぐに人に売ってしまった。 で、今はというと、冒頭に書いたとおりで、壊れたステレオが部屋の一角を占めている。 きっとぼくは、ステレオに縁のない人間だったのだろう。
夜、日記のネタが何も思い浮かばない時、ぼくは気分転換にいつもコンビニに行っている。 特に何を買おうと思っていっているわけではないが、気に入ったものがあれば、買っている。 ぼくにとってコンビニというのは、まさに駄菓子屋感覚なのだ。
昨年の今頃は、よくアイスクリームを買っていた。 ところが、そのアイスクリームが、後日悲劇を生むこととなった。 中性脂肪が標準値より高くなってしまったのだ。 別に再検査はしなかったものの、後日生活習慣病のフォローアップ検診を受けなければならなくなった。
このフォローアップ検診というのがいやな検診で、休みを利用して行かなくてはならない。 今年の3月に、その検診に行ってきたのだが、その日は午前中床屋に行ったので、午後から行かなくてはならなくなった。 そのために、その日の休みは台無しになったのだ。
検査も中性脂肪だけに絞って検診すればいいものを、痛くもない腹を探るようなことをやる。 どうして血圧まで測らなければならないのだろう。 おかげで、何度も測りなおし、時間を食ってしまった。
さて、その結果だが、アイスクリームを控えていたおかげで、どうにか中性脂肪値は標準内に収まった。 ところがである。 それまではコンビニに行ったらアイスクリームを買っておけばよかったのだが、それを食べることが出来ない。 そこで、ぼくは2年前にやめたはずのビールに手を出したのだ。 それが災いした。 今度は尿酸値が増えていたのだ。 このままビールを飲み続けると、次の健康診断で、確実に引っかかる。
そこでまた、コンビニで買うものを変えた。 何を食べても引っかかるのなら、食後は何も食べない方がいい。 ということで、次に選んだのは食べ物ではなかった。 それは本である。 コンビニに行くと、昔のコミックが、週刊誌のような紙を使ってリバイバルしているのをよく見かける。 それらはたいがい300円程度で売っているのだ。 それらの本を総称して、何と呼ぶのかは知らない。 『コンビニコミック』とでも呼ぶのだろうか?
このコミック、2,3年ほど前もよく買っていた。 その頃は『熱笑!花沢高校』だとか『魔太郎がくる』だとか、買うものが決まっていた。 ところが最近は手当たり次第である。 特にこの時期は、稲川淳二ものや桜金造ものなどの怖い話が出ていたら、ためらわずに買ってしまう。 それをコンビニに行くたびにやるものだから、何冊かダブっている。
こういった本をいつ読んでいるのかというと、たいがいトイレの時である。 トイレに入っている時間が、一話読むのにちょうどいい長さなのだ。 そういえばこの間買った本に、マンガでない本が混じっていた。 タイトルでマンガと判断して買ったのだが、開けてみると活字のオンパレードだったのだ。 マンガだとトイレで読めるだが、活字本は時間がかかるためトイレで読むのは適していない。 ではどこで読むのかというと、風呂である。 しかし、風呂で読むのは、長風呂した時だけだから、なかなか読み進まない。 しかも、活字本はまだ読んでないものが多い。 そのため、その本を読むのは、おそらく来年になるだろう。
今日もネタ詰まりのために、コンビニに行った。 ということで、今日もコンビニコミックを買った。 『稲川淳二のすご〜く怖い話SP』である。
だからですなあ、首相が靖国の参拝をやめたりすると、罰が当たるわけですよ。 中曽根さんが参拝をやめて以降、景気はガタ落ちしたでしょうが。 おかしな犯罪が増えたでしょうが。 いわゆる近隣諸国が、ガタガタぬかすようになったでしょうが。 これが時代の流れとでも思っているんでしょうかねえ。 何でそこに、神様の意志を感じないんでしょうかねえ。
そうですなあ、つい100年くらい前までは、この国は神の国だったんですよ。 人々は神を敬って生活していたんですよ。 家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、武運長久…、こういったものを信じて、人々は暮らしていたんですよ。 生まれたら神に報告し、長じるごとに神に守ってもらい、成人すれば神に感謝し、結婚を報告し、厄を祓い、そして死んだら今度は自分が神になり子孫を守るんですよ。 それは決して洗脳されたんじゃなく、日本人が古くから持っている宗教観なんですよ。 だからこそ、神を否定する仏教が入ってきても、人々は神を捨てなかったんですよ。
さて、戦争が始まった。 多くの人が戦地に赴いたわけですが、彼らは中国や韓国の言いなりになる国にしようと思って行ったわけではないんですよ。 日本という国の繁栄を信じて戦地に赴いたんですよ。 もしもの時は、靖国の神となってこの国を守ろうと思ったんですよ。 そして、それを信じて散っていったんですよ。 戦争が終わり、復興の頃は、靖国の神々は実によく国を守ってくれたもんです。 その頃の国の代表は当然のごとく靖国に詣っていたんですよ。 ところが、突然何もやらなくなった。 神々はそれを不敬と感じたわけです。 怒った靖国の神々は、不況や治安悪化という形で罰を与えたわけなんです。 経済だとか、社会だとか、小難しいことを並べる前に、どうして国を守る神々を敬うことをしないんですか。 少しでも畏敬の念が見てとれたとしたら、神々は悪くはしないでしょうよ。 きっと以前の活気ある日本が蘇るでしょうよ。
昨今はこれまでにないほど、靖国で騒いでますなあ。 それも、神々を敬うべき日本人が騒いでいるんだから、始末に負えないですよ。 ええ、こんなことばかりやっていると、また神々は罰を当てるでしょうよ。 その罰の矛先が、中国や韓国だったとしたらどうしますか。 それこそ近隣諸国に迷惑がかかるでしょうが。
2005年06月13日(月) |
フォークリフトの練習 |
今日、先日行われたフォークリフトの学科テストの結果が出た。 何とか合格できたようで、いよいよ次のステップである実技講習に進む。 これは24時間の講習を受けなければならないのだが、ぼくの場合、3ヶ月以上の経験があるということで、そのうちの20時間が免除される。 で、差し引き4時間は、その講習後にある試験のコースを覚えるために受けなければならないのである。
ところでぼくは、3ヶ月以上の経験があるとはいえ、チンタラチンタラやってきたので、それを主な仕事としている人と比べると、かなり下手である。 そのため、その埋め合わせをすべく、先週から倉庫の前で、毎日1時間の練習をしている。 そのおかげで、ある程度はうまくなった、と思う。
ところが、ここで問題が起きた。 倉庫の前というと、大型のトラックが数台駐められるだけの広さがあるのだが、試験ではかなり狭いところでやらされると聞いたのだ。 ある程度動かせるようになったとしても、これでは心許ない。
そこで、何かいい方法はないものかと考えていたところ、実にいい方法を考えついた。 それは社員が車を駐めている場所で練習することである。 そこは駐車場ではない。 店の裏側が土手になっているのだが、店と土手の間に若干のスペースがある。 みなそのスペースを利用して、縦列で車を駐めている。 そのスペースの幅は、車がようやく離合できる程度しかない。 ということで、練習するにはもってこいなのだ。 社員の車のすぐそばで練習する場合、車に当てて傷を入れると大変である。 当然慎重にやらないとならない。 そのために緊張が伴うものだが、その緊張感がまたいい。 試験ではもちろん緊張するだろうから、その緊張も体験できる。 つまり、この練習法だと、技術と精神面を鍛えられるということだ。
実技講習はともかく、その後にある実技試験は7月1日だから、あと2週間少々しかない。 今の練習法で、自由自在にフォークリフトを扱えるようになれば、試験も楽々とパスすると思う。 ということで、残り2週間、社員の車に傷を付けないように、頑張ります。
2005年06月12日(日) |
神様にいらんことをすると、罰が当たるぞ! |
【1】 終戦後、進駐軍が羽田空港拡張のため、そこにあった神社を移転させようとした。 ところが、ご神体は無事移転できたのだが、鳥居だけはできなかった。 鳥居を動かそうとすると、事故が起きるのだ。 そのため、鳥居だけはそこに残すことになったという。 きっと神様の怒りに触れたのだろう。
ぼくが通った高校のグラウンドの隅に、大きな磐がある。 そのため、グラウンドをいっぱいに使うことができなかった。 その磐は、猿田彦を祀ってあるのだという。 グラウンドを作る時にそれを退けようとしたらしいのだが、羽田と同じく事故が起きたという。 それで、そこに残してあるのだと、先輩が言っていた。
同じく隣の区のある場所に、なぜか道路を塞いでいる祠がある。 取り除けば道はまっすぐになるのに、その祠のせいで、そこだけ道はロータリーのようになっている。 地元の人に、「どうして、あんなところに祠があるんか?どこかに移転させればいいのに」と言うと、「昔、あの祠を退けようとして、バチが当たった人がいるらしく、それで退けられないんよ」と言っていた。 ぼくの住む区にも、道の真ん中にしめ縄をした樹木があるところがある。 当然、道はその樹木をよけるように作られている。 そこも、先の話と同じような言い伝えがある。
こういう話を信じない人にとっては、「偶然そうなっただけ」だとか、「馬鹿らしい。迷信じゃないか」ということになるのだろうが、実際にそういう人たちの言う「偶然」や「迷信」を根拠に人が動いているのだ。 これを否定することは出来ないだろう。
こういうことはどうして起きるのだろう。 それは、そういったものがあるところが、然るべき場所だったからだと、ぼくは思う。 神社や祠というのは、日本全国いたる所に存在する。 しかし、それは意味なくそこに建っているのではない。 それなりに由縁があるものだ。 まあ、何でその地域にそういうものがあるかなんて、調べるのも大変である。 また、それを取り除こうとすると、どうしてそういった災いが襲いかかるのかというのも、今の科学ではわからない。 然るべきところにあるものだから、そっとしておくのが然るべきことなのだろう。
【2】 ところで、古い神社というのは例外なく、「ある法則に基づいて建てられている」ということを、かつてある本で読んだことがある。 その法則とはどんなものかというと、地形の高い所(山や丘陵だけでなく、森の一番高い木のこともある)と高い所を結ぶ線上にあるということである。 その線上のことを、その本では『イヤシロチ(弥盛地)』と呼んでいた。 そういう場所は決まってマイナスイオンが発生するのだという。 神社に行くとすがすがしく感じるのは、そういう土地だからだそうだ。 そういった場所は神社に適しているだけではなく、農作物もよく育つらしい。 農作物がよく育つということは、神に祝福されている土地ということである。 つまり、『イヤシロチ』というのは、神の宿る場所だということになる。
だからこそ、昔の人は神を宿らせようとして、つまり豊作を願うために、『高み』をたくさん造っていったのだろう。 それが日本各地に残っている人工造山ということになる。 人工造山といえば、エジプトのピラミッドもそうであるが、あれもそういった理由、農作物の育成のために造られたのではないか、とぼくは思っている。 信仰のためだとかお墓だとか言われているが、要はやせた土地を肥やすがために造られた、いわば古代のマイナスイオン発生機だということだ。 ちなみに、「ピラミッドは日本人の祖先が造った」と密かに語り継がれているという。
2005年06月11日(土) |
『白紙に戻そう日中友好』他 |
【白紙に戻そう日中友好】 聖徳太子、菅原道真、北条時宗、足利義満、豊臣秀吉…。 思いつくまま、過去支那の国と関わり合った人を羅列してみた。 ちょっと説明を加えれば、 対等な関係を保とうとした聖徳太子。 遣唐使を白紙に戻した菅原道真。 彼の国からの使いの者の首を斬った北条時宗。 日本国王という名に甘んじ、利を上げた足利義満。 中国の皇帝の座につこうとした豊臣秀吉。 と、なるだろうか。
さて、この人たちの中で、今の日本の政治家にぜひ必要だと思っている人がいる。 それは菅原道真である。 遣唐使を廃止したように、彼に日中友好なるものを、やめさせてもらいたいからだ。 つまり「白紙に戻そう日中友好」をやってもらいたいのだ。 かの国は今もなお、ありとあらゆる嘘を並べて、日本を恫喝する。 そんな国と友好を培う必要なんてない。
【遣唐使】 さて、その遣唐使だが、「海外情勢や中国の先進的な技術や仏教の収集を目的とした」(ウィキペディアより)と言われている。 が、実のところどうだったのだろうか? まあ、海外情勢や仏教の収集というのは、わからないでもないが、「先進的な技術の収集」というのはどうだったのだろうか。 明治以降の歴史を見ると、技術を教えているのはいつも日本のほうである。 歴史は繰り返すというが、このたとえ通りなら、以前も日本は技術を支那に教えていたことになる。 そこで、遣唐使というのは日本人が技術を教える代償としての、海外情勢や仏教の収集ではなかったのかと、ぼくは思っている。 今の粗悪な『MIDE IN CHAINA』を見るにつけ、中国から技術を教えてもらっていたとはとうてい思えないのだ。
【中国はいつも日本を見ている】 なぜ中国はいちいち日本に文句をつけてくるのだろうか。 きっとそれは、日本が気になってしょうがないからだと思う。 なぜなら、日本は日が昇る方向に位置するからだ。 つまり『日出ずる国』なのである。 『日没する国』である中国はそれがうらやましくて、妬ましくてならないのだ。 だから、いちいち文句をつけてくるのだと思う。 たとえ靖国に参拝しなくなろうとも、いわゆる南京大虐殺の決着がつこうとも、この先も、中国は日本に文句をつけてくるだろう。 なぜなら、先に言ったとおり、中国は日本をうらやましく妬ましく思っているからだ。 つまり『日出ずる国』だからである。 しかし、こればかりはどうしようもない。 地球が逆さになる以外に、これを打開する方法はないのだからだ。 では、『日出ずる国』である日本は、我が国をうらやましく妬ましく思っている国である中国にどう対応したらいいのか。 知らん顔をしているのが一番である。 いちいち取り合うから、奴らは頭に乗るのだ。 無視、これしかないだろう。
2005年06月10日(金) |
ただいま格闘中(後) |
リカバリは思ったよりも早く終わった。 ところが、音が出ないのだ。 何をやっても、「プッ」という人をなめた機械音しか出てこないのだ。 試しにメディアプレイヤーを起ち上げてみたが、「サウンドディバスがない」との表示が出てきた。 ここからディバスマネージャーとの闘いが始まった。 ぼくが使っているパソコンは、元々それに付いていた、というより内蔵されていたセットアップソフトを不注意から削除してしまったのだ。 そのため、OSは市販のヤツを利用せざるをえない。 もし、そのソフトがあったとしたら、何時間もかけて、ディバスマネージャーと闘う必要はなかったのだ。
ところで、音の方はほどなく出るようになった。 メーカーのサイトに、修復ソフトがあったのだ。 しかし、今ひとつ解決してないものがある。 『SMバスコントローラー』というヤツだ。 これが何をするものなのか、素人のぼくにはまったくわからない。 ちゃんとパソコンは動いているし、音も出るようになったから、別に気にしなくてもいいのかもしれない。 だけど、ディバスマネージャーに「?」マークが付いているものだから、気味が悪い。 解決法を検索してみたのだが、これという解決法が見つからない。 「こういうソフトを入れたらいい」とかいう記事があって、それを実行してみるのだが、「?」は消えない。
いいかげん頭にきたぼくは、それを無視して、アプリケーションをインストールすることにした。 これはダウンロードフォルダを、システムドライブとは違うドライブに入れていたので、リカバリの難を逃れたのである。 しかし、そこにあるのほとんどのファイルは、1年前に入れた時のままで、更新時には保存せず開いていたので上書きされてない。 そのため、いちおうは使えるものの、古いバージョンのものばかりだ。 いちいちそれをいったんインストールして、作者のサイトに行き、新しいバージョンをダウンロード、さらにそれをインストールする、という手間のかかる仕事をやらなければならない。
この作業をいっぺんにやると、かなり時間がかかってしまう。 そのため、今日はタブブラウザやメールソフトといった必要最低限のものだけにとどめておいた。 メールはアプリと同じく、ほかのドライブに保存していたので、リカバリの難を逃れたから、ソフトさえインストールすれば、面倒な設定もせずに元に戻すことができる。
ほかのドライブに保存していたものといえば、ホームページの各ファイルや、音楽データがある。 パソコンを仕事に使っているわけではないので、データといってもこんなものだけである。 そういうものをちゃんと見たり編集したりできるソフトさえあれば、事足りる。 ということでそれは明日以降、徐々に入れていこうと思う。 『SMバスコントローラー』は、そのあとだ。
2005年06月09日(木) |
ただいま格闘中(前) |
明日が休みなので、今日の日記を書き上げてから寝ようと思っていた。 ところが、例のフォークリフトのことで疲れていたのか、パソコンを前にして不覚にも眠ってしまった。 何度か目が覚めたのだが、こうなると体がいうことを聞かない。 最後に時間を確認したのは、午前2時頃だった。 ぼくは「もうだめだ」と思い、パソコンをスタンバイにして、そのまま布団に直行した。 もし、ここで書いていれば、おそらくこんなことにはならなかったと思う。
こんなこととは何かというと、朝起きてパソコンを起ち上げようとしたのだが、あと一歩で開くところまできて、止まってしまうのだ。 最初は、ちょっと長引いているだけだと思っていたのだが、それにしては遅い。 10分たっても、20分たっても開かないのだ。 おかしいなと思い、もう一度スイッチを入れ直してみた。 しかし、同じなのである。 この作業を、ぼくは20回くらい繰り返したが、パソコンは全く開こうとしない。
ものの本で、その解決法を調べてみたのだが、そういう事例がないのか、まったく書いてない。 そうこうしているうちに、最初の画面さえ出てこなくなった。 セーフモードでも起ち上がらない。 XPの回復コンソールで修復してもだめ。 メーカーに電話をかけたのだが、つながらない。 こうなれば、残っている道はリカバリしかない。 ということで、約一年ぶりにリカバリすることにした。
とにかく開かないものだから、データの保存も何もあったものではない。 Cドライブに入れているデータ、例えば写真だとかは、すべて消えることになる。 これまでインストールしたソフトも、すべて消えてしまう。 なぜこうなる前にバックアップをとっておかなかったのか、と思われる方もいると思う。 いや、ちゃんとバックアップはとっていたのだ。 が、肝心のバックアップのソフトがネックになって、セーフモードで開かなかったのだ。 リカバリ後に、そのソフトをインストールすれば、もしかしたら、リカバリ以前の状態に復旧するかもしれない。 だけど、セーフモードが使えないソフトなんかもういらない。 日記の原稿や、メールはちゃんと別のドライブに保管しているから、あとはいるソフトだけをインストールすればすむ話だ。
2005年06月08日(水) |
乗り物の運転なんて大嫌いだ!4 |
フォークリフト免許取得のための大まかな説明が終わり、講義が始まる9時までしばらく時間が空いた。 トイレに行ったあと講義室に戻り、受講票と筆記用具などを机の上に出していた。 すべて出し終えて、周りを見回してみると、どうも様子が違う。 何が違うのかというと、みんなテキストを持っているのだ。 そこで、ぼくの席の後ろに同じ会社の人がいたので、そのことを聞いてみた。 彼も、ちゃんとテキストを持ってきていたのだ。 「テキスト、どうしたんですか?」 「ああ、これ?うちの店にあったの持ってきたんよ。しんた君は持ってきてないと?」 「うちにはなかったですよ」 「そうね」 「でも、そのテキスト、他の人と表紙の色が違いますよねえ」 「うん。これはちょっと古いんかもしれん」 「でも、あるだけいいじゃないですか。どうしたら、テキストが手にはいるんですかねえ?」 「さあ?」
そういう話をしているうちに、1時間目の先生がやってきた。 先生は簡単に講義の概要を説明したあと、さっそく講義に移った。 「じゃあ、241ページを開けて」 やはりテキストがいるらしい。 どうしようかと思ったが、もうどうしようもない。 先生のいうことを、漏らさず筆記するしかない。 こういう場合、要点だけ書けばいいものであるが、学生時代から真面目に授業を聞かない癖がついているため、先生の言うことを要点だけ抜粋するという芸当が出来ない。 とにかくぼくは書きまくった。 1時間目の講義が終わってノートを見てみると、何と5ページも書いているではないか。 こういうことは、生まれて初めてのことだった。
さて、1時間目の講義が終わったあと、ぼくは教官のもとに行き、「すいません。テキストどうしたらもらえるんでしょうか?」と尋ねた。 「えっ、テキスト持ってないんかね?」 「はい」 「ちゃんと会社に配布しとったんやけどねえ」 「もらってないです」 「もらってない?」 「はい」 「会社はどこかね?」 「○社ですけど」 「担当は?」 「総務の×さんです」 「×さんか。何でテキストを渡さんかったんかねえ」 「さあ?初めて担当したと言っていたから、忘れたんじゃないですか」 「ああ、初めての担当か。それならありうるなあ。しかし、あんたの会社はもう一人いたんやないんかねえ?」 「はい、いますけど」 「その人は持ってきたんかね?」 「ええ、持ってきてるのは持ってきてるんですけど、古いテキストなんです」 「古いテキストじゃだめやろ。法も改正になっとるし」 「そうですか」 「じゃあ、テキスト2冊渡しておくから」 「すいません」 「しかしあんた、テキストなしで、よく1時間目の講義がわかったねえ」 「ええ、必死でノートとりました」 「まあ、しっかり勉強してください」
ということで、その日と翌日の二日間、ぼくは寝る間を惜しんで、そのテキストと取っ組み合いをしたのだった。 こういうことをやるのは、実に、高校1年の時に受けた追試の勉強以来のことだ。 で、試験はどうなったかというと、現在結果待ちである。 まあ、問題は簡単だったので、おそらく合格はするだろう。 それはいいとして、問題は次に待っている実技である。 これが一番嫌なのだ。 憂鬱である。
2005年06月07日(火) |
乗り物の運転なんて大嫌いだ!3 |
現地(研修所)まで来たのは、集合時間の6分前だった。 「間に合った」と思ったのもつかの間、運悪く駐車場が空いてない。 路上に駐めるわけもいかないので、どこか駐めるところはないものかと、そのへんをグルグル探し回った。 研修所から少し離れた場所に、それはあった。 ぼくはさっそくそこに車を駐めた。 時計を見ると8時27分になっていた。 「あと3分か、こうなったら走るしかない」 と、ぼくは上り坂の道を必死に走っていった。
その途中でのことだった。 走った勢いで、胸のポケットに入れていた携帯電話がこぼれ落ちてしまったのだ。 そう、先週の金曜日に買ったばかりのヤツだ。 拾ってみると、カメラのレンズ周りと電池カバーのところに傷が入っている。 「あーあ」 と、ぼくは大声を張り上げた。 しかし、嘆いている暇はない。 さっさと走らなければ間に合わない。 ようやく、研修所前に着いたのだが、最後の難関があった。 研修所の玄関までは階段になっているのだ。 階段は30段ほどある。 「これを登るんか…」 とにかく、何年かぶりに走ったので、すでに息は上がり、足はふらついている。 とはいえ、登らないと間に合わない。 ダッシュモードで、ぼくは階段を駆け登った。
館内に入ると時間は8時30分になっていた。 ぼくが時間を確認したのと同時に、「キンコンカーンコーン」とチャイムが鳴り響きだした。 受付に「すいません。フォークリフトの講習どこですか?」と尋ねると、「3階です。正面の階段を上がっていってください」という。 また階段である。 またもやダッシュで館内の階段を駆け登り、ようやく講義室についた。 講義室の中に入ると、幸いまだ教官は来てなかった。 「間に合ったわい」 そう思ったとたん、急に気分が悪くなった。 さらに動悸はするわ、咳き込むわ、腹は痛いわで、これから講習を受けられるような体調ではない。 しかし、いくら気分が悪くとも、ここにいなければ失格になってしまう。
そうやって、気分の悪さと闘っているところに、教官が登場した。 教官は講義室に入るなり、「えーと、しろげさんはおるね?」と言った。 ぼくは「はい」と言って手をあげた。 「ああ、間に合ったんやね。今日は渋滞がひどいらしい。他にも何人か渋滞に巻き込まれた人がおってねえ。しかし、よく間に合ったねえ」 いつもなら、ここで「裏技を使いましたから」とか言うのだが、何せ気分が最悪なので、そんな言葉が出てこない。 ぼくは黙って頷いていた。
2005年06月06日(月) |
乗り物の運転なんて大嫌いだ!2 |
今日と明日で、フォークリフトの講習と学科試験を受けなければならない。 朝8時半に現地に集合ということで、今日はいつもより1時間半早い7時半に家を出た。 家から講習を受ける場所までは、車で30分もかからない。 が、渋滞の時間帯と重なるため、集合時間の1時間前に家を出たというわけだ。 とにかく、もし遅刻したりすれば、受験資格を失うという規約があるものだから、確実な時間を選んだということになる。 いくら何でも、1時間もあれば時間内に着くだろう。
さて、家から1キロばかりは順調に行った。 しかし、案の定、その先から渋滞していた。 「やっぱり、早く出て正解だった」 と思ったのもつかの間、この時間帯の渋滞は半端じゃない。 まったく進まないのだ。 渋滞に巻き込まれてから10分たっても、まだ300メートルも進まない状態だった。 ここで不安がよぎった。 「この状態で、ちゃんと時間内に着くのだろうか?」 20分後、車線を変えたのがよかったのか、500メートル進んだ。 国道に出さえすれば何とかなるのだが、そこまではまだ1キロある。
8時になった。 しかし、国道まではまだ500メートルを残している。 国道に出るまでよりも、国道から現地までの距離のほうが長いのだ。 ここでぼくは観念した。 先方に遅れる旨の電話をかけたのだ。 「もしもし、今日フォークリフトの講習を受けるものですが、渋滞に巻き込まれて、車が前に進まないんです。どうしたらいいでしょうか?」 「今、どのへんですか?」 「国道に出る手前なんですけど…」 「受験番号と名前を言って下さい」 「○番、しろげしんたです」 「はい、わかりました。急がなくていいから、落ち着いて運転してきてください」
これで何とか救われた。 しかし、せっかく早起きして、家を早く出たのに、時間内に間に合わないとはシャクである。 そこで、どうかやって時間に間に合わないものかと考えてみた。 「国道を避けて、市道で行ってみるかなあ…。でも、渋滞している時は国道以外を通っても同じことだし…。都市高速に行っても時間の無駄だ。うーん、どうしよう…。‥‥。あっ、あの方法があった」 そんなことを考えているうちに、ようやく国道に出た。 時間は8時10分になっていた。
国道に入ってから、さっそくぼくは『あの方法』を実行した。 国道は片道3車線なのだが、その左車線は9時までバスレーンになっている。 そこを通ったのである。 早い早い。 途中、信号待ちはあったものの、普段の半分の時間でそこを通り過ぎたのだった。
2005年06月05日(日) |
乗り物の運転なんて大嫌いだ! |
昔から乗り物は苦手である。 いや、乗り物に乗ることが嫌いなわけではない。 運転するのが苦手なのだ。 エッセイにも書いているとおり、自転車に乗れるようになるまでに結構時間がかかったものだったし、乗れるようになってからも、運転はいっこうにうまくならなかった。
ぼくが通った小学校は、登下校だけは徒歩が原則だったが、それ以外は自転車で行ってもよかった。 それ以外というのは、例えば夏休みに学校のプールを利用する時とか、学校に置き忘れた物を取りに時などである。 学校までけっこう距離があったから、自転車がなければ不便である。 ところが、小学6年の夏休み前になって、突然学校が「これから学校に自転車で来る場合は免許を必要とする」と言いだしたのだ。
で、その免許証はどうやってもらうのかというと、自動車の運転免許と同じように、実技テストを受け、それに合格しなければならない。 とはいえ実技テストは簡単で、ほとんどの者が合格した。 が、ぼくは二度受けて、二度とも落ちてしまったのだ。 最初は停まってはならないところで足を着いてしまって不合格となり、二度目はこけた。 毎日自転車に乗っていたくせに、技術が向上していなかったのだ。 結局やる気をなくしたぼくは、その後のテストを受けることなく、卒業まで自転車で学校に行くことは出来なかった。
中学・高校、さらに社会に出ても自転車の腕は上がらなかった。 中学時代は電柱にぶつかったり、 一度、会社から自転車で家に帰ったことがあるのだが、その時もこけたのだった。
以上のような経緯があったため、いつしか、ぼくは乗り物に向いてないのだと思うようになった。 そのため、自動車の運転免許も自分から取りに行こうとはしなかった。 免許を取ったのは、30代になってからだった。 なぜ取ったのかというと、会社命令で取らざるを得なくなったためである。 自動車学校には、いつも嫌々行っていたものだった。 教官からも「あんたやる気ないねえ」と、さんざん嫌みを言われていた。
さて、どうしてこんな話をしたのかというと、先日、またしても会社から「運転免許を取りに行け」という命令が下ったからだ。 今度は何の運転免許かというと、フォークリフトである。 うちの店には、わりと大きな倉庫があるため、そのにの積み下ろしにはどうしてもフォークリフトが必要になる。 フォークリフトというのは、実に簡単な乗り物である。 だが、ぼくはあえてそれに乗ろうとしなかった。 どうしてかというと、これまでのぼくの履歴が、ぼくを乗り物から遠ざけるからである。
そんなぼくに白羽の矢が立ったのは、男子従業員の中でぼくが一番若いからである。 そう、うちの店は年寄りばかりしかいないのだ。 フォークリフトを扱うところは、最低でも二人の免許所有者が必要だということで、その一人に、ぼくが祭り上げられたというわけである。 よりによって乗り物嫌いのぼくが、何でこんな免許を取らなければならないのだろう。
で、いつその試験を受けるかというと、実は明日からである。 朝8時半に現地に集合ということだ。 まあ、明日は講義だけなので、別段何ともないのだが、問題は明後日である。 筆記試験があるというのだ。 実技試験は、それが終わってから何週間か後にある。 もちろん、筆記試験に合格しなければならない。 自動車と違って、『ズバリ』なんかないだろうから、いったいどんな試験が出るのかわからない。 しかも、それを乗り切ったとしても、次には実技試験が待っているのだ。 憂鬱である。
2005年06月04日(土) |
携帯がおかしい(後) |
翌朝、会社に着いてから、ぼくはさっそくドコモショップに連絡を取った。 まず携帯でかけてみたのだが、前日と同じ状況だった。 「(バリバリ)はい、ドコモショップ○○店です」 「もしもし」 「(バリバリ)もしもし」 「もしもし」 「(バリバリ)もしもーし」 「聞こえますか?」 「(バリバリ)もしもし」 「聞こえませんか?」 「(バリバリ)ガチャッ。ツーツー」 「‥‥」
「こりゃだめだ」 修理価格を聞く前に買い換えを決心し、改めて会社の電話から電話をかけ、買換価格を聞いた。 「3日の日に新機種が出るんですが、その価格でいいですか?」 「いくらですか?」 「まだはっきりしていないんですが、3万円は超えると思います」 「3万…」 いかにカード払いとはいえ、3万円は痛い。 7月に住宅ローン、8月に車検があるので、ボーナスは遣えない。 かといって、いつもギリギリでやっている月給で賄えるはずがない。 『やっぱり修理にするか』と思っていると、ドコモの人が「ポイントは貯まってませんか?」と言った。
ポイント、そうかその手があった。 さっそくポイントを調べてみると、2万点近く貯まっている。 ドコモの人にそのことを伝えると、「ああ、それなら1万円台で買えますねえ」と言った。 ということで、その翌々日、つまり昨日新しい携帯を買いに行った。
さて、その時知ったのだが、ドコモカードで月の携帯使用料を払うことにより、ポイントが倍増されるらしい。 さらに、そのカードを買い物に使っても、ポイントが加算されるという。 ぼくは、ガソリンからタバコまで、カードが使えるところでは、ほとんどカードを利用している。 なぜカードを利用しているかというと、ポイントを貯めるためだ。 そのポイントを貯めると、プロバイダ代が浮くのである。 現在主に使っているカードが出た頃のプロバイダ代は、けっこう高かった。 そのため、かなり得した気分になっていたものだ。 ところが、最近はプロバイダ代が安くなってしまったために、それほどメリットを感じなくなってきた。
携帯電話に関しては逆である。 昔はただでもらったり、何千円単位で買えていたものが、今では1万円出しても買えなくなっている。 それを再び無料でもらえるようになるとしたら…。 当然ぼくは、そちらのほうにメリットを感じる。
メリットを感じなくなったものをいつまでも使い続けるより、メリットを感じるものに替えたほうがいいに決まっている。 ということで、ぼくはこのカードに入ることにした。 これで、もし1年後に今回買った携帯が壊れても、悩まずにすむだろう。 さっさとポイントをはたいて、最新機種に替えればいいのだ。 これまでのカード利用額からすると、最新機種に替えてもお釣りがくる計算になる。 来年が楽しみである。
2005年06月03日(金) |
携帯がおかしい(前) |
2週間ほど前から携帯電話の調子が悪い。 メールの送受信やインターネットの閲覧には何ら支障はないのだが、通話がだめなのだ。
その2週間前、通話中に突然「バリバリ」という雑音が入った。 ぼくの携帯に電話がかかってくるのは、ほとんどが仕事中で、しかも社屋内にいることが多い。 その時もいつものように社屋内にいた。 しかし、その時は、すぐに故障だとは思わなかった。 会社のある地域は、今でこそ電波の入りはよくなってはいるが、つい半年ぐらい前までは、あまり入りのいい地域ではなかった。 長いことそれに慣らされてきたので、最初に雑音が入った時は「また入りが悪くなった」くらいにしか思わなかったのだ。
ところが、それは社屋内だけのことではなかった。 どこでかけても雑音が入るのだ。 だんだん「これはおかしい」と思うようになり、最終的に、それは確信に変わっていった。
今週の火曜日のことだった。 例の長谷観音に行った日である。 家に帰ってから、近くのイオンに買い物に行った。 嫁ブーとイオンに行った時は、よほどのことがない限り、ぼくはジャスコのほうには行かない。 食品関係に興味がないからだ。 そのためジャスコに行くのは嫁ブーだけで、その間ぼくは専門店街をブラブラしている。 嫁ブーとは買い物が終わってから合流するようにしているのだが、あらかじめ時間や待ち合わせ場所を決めていないため、「買い物が終わったら携帯電話で連絡しろ」と言っている。
その日は、30分ほどして、嫁ブーから連絡が入った。 ぼくは本屋にいた。 「もしもし」 「(バリバリ)もしもし」 「もしもし」 「(バリバリ)もしもし」 「聞こえるかー?」 「(バリバリ)もしもし」 店内だから電波の入りが悪いのかと思い、他の場所に移動した。 「もしもし」 「(バリバリ)もしもし」 「もしもーし」 「(バリバリ)あ、買い物終わったよ」 「そうか」 「(バリバリ)今、どこにおると?」 「本屋」 「(バリバリ)えっ、どこ?」 「本屋っち言いよるやろが」 「(バリバリ)もしもーし」 「本屋におるっ!」 「(バリバリ)ああ、本屋ね。わかった。そちらに行きます」
しばらくして、嫁ブーが本屋に来た。 「おい、聞こえんかったとか?」 「うん。聞こえにくかった」 「ここも電波の状態が悪いんかのう?」 「でも、さっき会社の人から電話が入ったんやけど、その時には全然入らんかったよ」 「その人携帯でかけたんか?」 「うん」 「おかしいのう」 「一度、ドコモで見てもらったほうがいいんやないと?」 「そうやのう。でも、修理になったらのう…。保証期間過ぎとるし」 「修理せないけんようやったら、買い直したらいいやん」 「買い直すと簡単に言うけどのう、今の携帯、特にFOMAは高いんぞ」 「それはわかっとるよ。でも、必要やろ」 「そりゃ必要やけど」 「そればら、買い直さないけんやろうも」 「じゃあ、おまえが金出すか?」 「‥‥。あ、カード使えばいいやん」 「ああ、その手があったか」 ということで、翌日ドコモショップにとりあえず電話して、修理しないと直らないものかということと、買換価格がどのくらいするものなのかということを聞いてみることにした。
2005年06月02日(木) |
信じなくても、否定はするべきではない |
先日、取引先の人と「ほたる狩りの季節やね」という話をした。 いろいろとほたる狩りスポットを上げていたのだが、一番ほたるが多いと言われる場所の名を言った時だった。 急に取引先氏が変なことを言いだしたのだ。 「ああ、あそこですか。あそこはあまり行かんほうがいいですよ」 「どうして?」 「いや、霊感の強い人から、あそこは霊の通り道という話を聞いたことがあるんです」 「えっ、そうなん。前に行ったけど、何も感じんかったけど…」 「ぼくやしんたさんが感じんだけで、霊感のある人にはちゃんと感じるらしいんですよ」 「へえ」 ぼくは、こういう話を聞いた時、「そんなの嘘だ」とか「霊なんかおるはずないやん」などと否定はしない。 感じる人がいる以上、それは本当のことだと思っているのだ。
例えば、井戸には水神様が宿ると言われている。 そのため、井戸を掘る時や井戸を塞ぐ時には、お祓いが必要となるらしい。 それを怠ると、災いが降りかかるということなのだ。 これまで井戸と直接関わりを持ったことのないぼくにとっては、ピンとこない話である。 とはいうものの、それを否定するつもりは毛頭ない。 昔からの言い伝えというのは、それなりに根拠のあることである。 だからそのことに対して、「自分が体験していない」という単純な根拠だけで、頭から否定するのは馬鹿なことだと思う。 「そういうこともあるんだ」くらいで、とどめておいたほうが無難である。
ところで、その水神様だが、先日嫁ブーから興味深い話を聞いた。 嫁ブーの母方の実家には、二つの井戸があったらしい。 そのうち一つの井戸を塞いだ時は、ちゃんと言い伝え通りに空気穴を開け、さらに神主を呼んで丁重にお祓いしたという。 そのせいか、その時には何事も起きなかったそうだ。 ところが、もう一つの井戸を使わなくなった時は、最初の井戸のように空気穴を開けたり、お祓いをしたりせず、ただ蓋をしていただけだそうだ。 まあ、蓋をしただけの時は何もなかったのだが、そこに何か物を置いた時に、不思議なことが起こったという。 それはそこに住む人にではなく、嫁に行った娘とか親戚の人に降りかかった。 嫁ブーの母親、つまり義母が、ある時えらく夢見が悪いことが続いた。 おかしいなと思って実家に電話してみると、何事もないという返事だった。 何事もないのに変な夢を見るはずがない。 そこで、義母は「あんた、まさか井戸のところ変なことしてないやろね?」と聞いてみた。 すると、蓋の上に荷物を置いているという。 さっそくそれを除けさせた。 案の定それが原因だったらしく、それ以降義母は変な夢を見ることがなくなったという。
別の時、義母の姉にも同じようなことが起きたという。 その時は夢見が悪いのではなく、両膝が痛みだし歩けなくなったらしい。 病院で見せても、何の異常もない。 そこで、義母と同じように実家に電話してみると、その時も井戸の蓋の上に何か置いていたという。 それを除けさせると、ひざの痛みは嘘のように引いていったらしい。
こういうことも信じない人には、ただの偶然と思えるのかもしれない。 しかし、先にも言ったように、自分が信じないからといって、それを否定するのは馬鹿である。 そういう体験をした人がいる以上、それは事実なのだから。
昨日長谷観音の食堂に行った時に、左のような写真を撮った。 食堂の裏が田んぼになっているのだ。 食事中、カエルの鳴き声が聞こえて、実にのどかだった。 少し前までは、ぼくの家の近くにも、こんな田んぼがあった。 しかし、気がつけばそのへん一帯は宅地に変わり、こういう田んぼを見るためには、車を走らせて市外に行かなければならない。
そういえば、昔は田んぼがある場所を、単に『田舎』と呼んでいた。 高校に入った頃、小学校の周りに田んぼがあるという理由だけで、ぼくは『田舎者』呼ばわりをされていたものだ。 だけど、そのことについてぼくは反論できなかった。 なぜなら、ぼくも『田んぼ』=『田舎』と思っていたからだ。 しかし、「これはおかしい」と最近思うようになった。 考えてみると、田んぼというのは米の生産工場なのである。 そこには先人の叡智が集結し、様々なハイテク技術が駆使されている。 そこを『田舎』と呼ぶのは、あまりにも失礼だろう。
|