頑張る40代!plus

2005年02月28日(月) 古い体質ねえ

ぼくは経済のことなどまったくわからない。
さらに株式などと言われると、ちんぷんかんぷんだ。
それゆえ、新聞も経済欄は飛ばしているし、テレビの経済ニュースなどは見ないことにしている。
たまに見ることはあっても、それはソニーなんかが新製品を発表した時くらいだ。

さて、ここ最近フジテレビとライブドアの闘いを、ニュースなどでやっている。
もちろん、そこには株の専門用語が頻繁に出てくるから、おそらくその内容の半分はわかってないと思う。
だが、それでもぼくはそのニュースを興味を持って見ている。
それは、残りの半分がケンカだからだ。
このケンカは、先に手を出したのがライブドアで、その勢いに乗って突っ走った。
一方のフジは、それを食い止めるべく反撃に出た。
それが気に入らんとライブドアが文句を言っている。
という話である。

普通、こういう場合は、先に手を出したほうに批判が、手を出されたほうに同情が集まるものだ。
その同情というのが、どれだけ大きな力となるかは、先の大戦(太平洋戦争)を見てもわかる。
先の大戦では、アメリカはいろいろと手を尽くして、後者の側に回ろうとした。
そう、国内及び世界の世論を味方に付けるためだ。
そしてそれは、見事に成功した。
前者となった日本は、そのせいで全世界を敵に回すことになる。
戦後もそのことが大きく響いた。
アメリカが行った原爆投下や都市部への無差別空爆といった、本当の意味での戦争犯罪に言及することもできず、さらに悪いことに、日本に負けていた国からも、いわれのない罪を押しつけられる結果となってしまったのだ。
なぜそうなったかというと、すべては先に手を出したからである。

ところが、今回の問題は、おかしな現象が起きている。
もちろん、先に手を出したライブドアは当然批判を受けることになったが、なぜか後者であるフジのほうも、古い体質だとか、やり方が汚いだとか言われて批判を受けているのだ。

今夕のニュースでは、ライブドアの支持率が62%となっていた。
いつものように街頭インタビューもやっていたが、支持率を裏付けるかのように堀江支持の声のほうを多く紹介していた。
ところが、その理由というのが、堀江支持派に圧倒的に多い意見である「同世代だから」「古い体質からの脱却」だった。
しかし、そこには「だから、どうなんだ」という意見が一つもないのだ。
コメンテーターがいちおうその意見をフォローしていたのだが、それはあくまでもコメンテーターの意見に過ぎない。

ぼくはこれを見ていて、6,70年代に世の中を騒がした学生たちを思い出した。
彼らもまた「体制崩壊」だの「革命」だの口走って、「古い体質からの脱却」を訴えていたのだ。
ぼくが東京にいる頃も、その残党が残っていて、よく駅前でハンドメガホン片手に、演説をぶっていたものだ。
しかし、その演説に足を止める人など一人もいなかった。
なぜなら、彼らの言うことは、政治への不満、もっと広く言えば、大人への不満だったからである。
そういう不平不満をダラダラ並べるだけで、「だからどうなんだ」という主張は皆無だった。
そのため、何の説得力もなく、ただうるさいだけの存在になってしまっていたのだ。

面白いことに、今の体制の主流になっているのは、あの頃「古い体質からの脱却」を訴えていた学生たちの世代なのだ。
その体制を崩壊させるというのだから、それはそれ以前の体制に戻すということになるのではないだろうか。
そうであれば、かなり古い体質になってしまう。

ところで、今回のケンカだが、「古い体質」だと批難するライブドアは、どうしてその古い体質の上に乗っかかろうとするのだろう。
そんなに古い体質が嫌なのなら、自分たちで独自の新しい体質を作り出せばいいのだ。
それなら誰も文句は言わない。
「よくやっている」と言って、世間も拍手を送るだろう。
優秀な頭脳の持ち主ばかりなのに、どうしてそうしないのか。
もしかして、彼らは古い体質に甘えているのかなあ。



2005年02月27日(日) あなたがほしい(下)

それから1時間ほどが過ぎた。
三人の会話が途絶えた。
しばらく沈黙が続いたあとに、一人が「ママ、今日は歌わせて」と言った。
ぼくたちが振り向くと、それは時々見かける女性だった。
ママはその女性にマイクを渡した。

三人は代わる代わる歌った。
そして、何曲か目に高橋真梨子の『for you・・・』が入った。
マイクを取ったのは、地味女だった。

歌はかなりうまかった。
周りも「うまい、うまい」と歓声を送っていた。
それで気分をよくしたのか、だんだん歌声は大きくなっていった。
ところが、歌っていくうちにだんだん怪しくなってきたのだ。
大きくなった歌声が、かすかに震えてきた。
そしてサビ、そう「あなたがほしい」のところにさしかかった時だった。
急に彼女の声が止まり、うつむいて「ああ…」と声を上げて泣き出したのだ。
それを見て、それまで歓声を上げていた人たちの声も止まった。
あたりはシーンとなった

もう歌えない。
演奏だけが空しく鳴り響いている。
二人は、彼女の背中をさすりながら、「ね、悪いことは言わないから…、もう忘れなさい」などと言っている。
地味女は、そのつど「うん、うん」とうなずいていた。
不倫女は彼女だったのだ。
見た目ではわからないものである。
彼女が泣いている間、すでにBGM化してしまった『for you・・・』が、ずっと流れていた。

その彼女がその後どうなったのかは知らない。
もしかしたら、その後もその相手と縁が切れず、今なおズルズルとした関係が続いているのかもしれない。
いや、一度不倫の癖がついた身だから、他の相手を見つけたのかもしれない。
しかし、そのことをママさんに聞くことはなかった。
なぜなら、次にその店に行った時には、ぼくはもうそのことを忘れていたからだ。
その後、そのことを思い出すこともなく、今に至ったわけである。
そのことを尋ねようとしても、もう店はなくなってしまっているから、どうしようもない。
ま、ぼくにとっては、どうでもいいことだから、別に知る必要もないのだが。

ところで、あの地味女は不倫相手の前でも、『for you・・・』を歌っていたのだろうか。
もしそうだったとしたら、相手の男はどういう反応をしただろうか。
寛容に受け止めただろうか?
それとも、引いてしまっただろうか?
ぼくがもしその男だったとしたら、どうだろう。
「あなーたがほしい」なんて、目の前でやられるわけだからねえ…。
きっと引いてしまうだろうなあ。
さらに目配せでもされた日には、怖くなって逃げ出すにちがいない。
だいたい「ほしい」などという言葉は、日本人にはそぐわないのだ。
人は物じゃないのだから。



2005年02月26日(土) あなたがほしい(上)

何かの拍子に、今までまったく忘れていた、どうでもいいようなことを思い出すことがある。
今朝、いつものように、会社に行くなりトイレに駆け込んだ。
その時、トイレのドアの閉まる「ギー」という音を聴いて、ある歌を思い出した。
高橋真梨子の『for you・・・』である。
「お、このフレーズ、『あなたがほしい…』に似とるわい」と思ったわけである。
思い出したことというのは、その『for you・・・』にまつわる話だった。

前の会社にいた頃、ぼくは月曜日になると、いつも行きつけのスナックに飲みに行っていた。
なぜ月曜日かというと、翌日の火曜日が休みだったからだ。
そこで弾き語りをしたり、ママさんや他のお客さんとおしゃべりをしたりして楽しんでいた。

ある日、いつものように他のお客さんと談笑している時だった。
バタッとドアの開く音がした。
見ると女性客が三人立っていた。
どの人も、ぼくよりは確実に10歳以上年が上だった。
当時ぼくは30代の前半だったから、その人たちは40代だったのだろう。
三人のうち一人は、時々見かける顔だったが、あとの二人は初めて見る顔だった。

三人は店の中を見回すと、「今日はやめとこうか」と言って店を出て行った。
それを見てママさんは、三人を追いかけていった。
10分ほどして、ママさんは三人を連れて戻ってきた。
「今日のお客さんは、心許せる人たちばかりだから、心配せんでいいよ。さあお入り」
そう言って、ママさんはカウンターの隅に席を設けた。

ぼくたちは、三人を気にせずに、また談笑を始めた。
一方の三人はというと、ぼくたちに聴かれまいとして、小声で話をしている。
ぼくは「三人とも暗い顔をして、いったい何を話しているんだろう」と思ったが、盗み聞きするのも悪いと思って、なるべくそちらに意識を持っていかないように心がけていた。
ところが、席が近かったせいもあり、聴くつもりがなくても、時折その会話が聞こえてくる。
「・・・、だから、・・・、ご主人・・・、まずいやろ?」
「でも、・・・、本当に、・・・、諦めきれない」
「いや、・・・、間違って、・・よ」
と、延々この調子だった。

その会話の断片を繋いでみると、どうも三人のうちの一人が不倫しているらしい。
あとの二人は、相談に乗っているようだ。
『いったい誰が不倫してるんだろう?』
と、ぼくは横目で三人を見た。
時々見かける人は、相談に乗っているようだから、あとの二人のうちの一人がそうなのだろう。
その二人のうち一人は、どこでもいるような主婦だった。
服装も地味で、『この人は、まずないだろう』というようなタイプだった。
もう一人は、遊び慣れしたような感じのする人で、服装なんかもけっこう派手だった。
ということで、ぼくは『不倫女は、きっとあの派手女だろう』と思っていた。



2005年02月24日(木) 亀渕昭信のオールナイトニッポン

昨日、テレビにカメが出ていた。
現ニッポン放送社長の亀渕昭信のことである。
声は幾度となく聴いたことがあるし、写真も何度か見たことがあるのだが、動画を見たのはこれが初めてである。
昨日はだいぶお疲れのようだった。
まあ、連日、食うか食われるかの闘いをやっているわけだから、疲れているのも仕方のないことだろうが…。

しかし、ぼくらのカメも年を取ったなあ。
ぼくが『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いていたのが、今から35年も前のことだから、それもしかたないといえばしかたない。
その分ぼくも年を取ったわけだから。

そういえば、ぼくは一度だけ、カメのオールナイトニッポンにリクエストはがきを出したことがある。
中学1年の冬のことだった。
確かクライマックスの『花嫁』をリクエストしたと思うが、その時書いたコメントが、今の日記のように長くなったのを憶えている。
何を書いたかというと、その年の秋に来た、教育実習の先生のことだった。
その先生は近くの大学に通う、玉城さんという沖縄出身の女性だった。
普通、教育実習は出身校でやることが多いが、その先生が母校でやらず、大学の近くにある中学を選んだ理由は、きっとその当時の沖縄がアメリカだったためだろう。

ぼくは、その頃はおしゃべり人間だった。
授業中も落ち着きがなく、よく突拍子にないことを発言していたものだ。
先生の初めての実習授業でも、「先生、屋良主席はお元気ですか?」などと訳のわからない質問をしたのだった。
突然、授業に関係のない「屋良主席」が出てきたせいか、先生は当惑していた。
が、「お元気ですよ」とサラッと流していた。
実習は2週間ほどだった。
先生と親しくなるにつれ、けっこうプライベートな話などをしていたような記憶がある。
先生が沖縄に戻った時に手紙をもらったのだが、「おしゃべり好きのしんた君と記憶しているけど…」で始まり、最後は「屋良主席からもよろしくとのことでした」で締めくくられていた。

リクエストはがきは、その手紙をもらった時に書いたものだった。
先生の初めての授業から最後の授業までをダラダラと書き、最後にお決まりの「先生には幸せになってほしい」という文章で終えたのだった。
そのダラダラ文で、はがきのスペースほとんどを費やしてしまった。
そのため、肝心のリクエストを書くスペースがなくなってしまった。
そこで、ダラダラ文の下のわずかな余白に、「クライマックスの『花嫁』かけろ」と小さな字で書いたのだった。
で、そのリクエストカードが読まれたのかというと、定かではない。
そのリクエストカードを出してから、必死にラジオにかじりついていたのだが、いつも途中で眠ってしまったために、確認できなかったのだ。

そうそう、先日『時間ですよ昭和元年』を見ていると書いたが、あのドラマにカメの妹、亀渕友香が出ている。
亀渕友香といえば、ゴスペルの第一人者。
兄妹共にご活躍なわけだ。

昨日の記者会見を聞いて思ったのだが、オールナイトニッポンで活躍していた頃のカメと比べると、声に張りを感じなかった。
まあ、フリートークではなく、公式の記者会見だったから、ああいうしゃべりをせざるを得なかったのだろう。
しかし、「これからもフジサンケイグループの一員としてやっていきたい」と言った時のカメは、あの頃を彷彿とさせる声に戻っていた。
ああ、もう一度『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いてみたいなあ。



2005年02月23日(水) 当分の間、人と話したくない

昨日は歯医者の日だった。
治療が終わり、家に帰ってから、いつものように鏡を見た。
そして、口を「ニッ」としたとたんに固まってしまった。
鏡の向こうのぼくは、まるで別人だった。
いや、別に顔が変わったわけではない。
口を閉じていれば、同じ人である。
だが、口を開けた時のぼくが、ぼくでないのだ。

普通、前歯は『UU』になっている。
ところが、鏡の向こうの人の前歯は『UV』になっていた。
あ然としてしまった。
昨日は治療にけっこう時間をかけて歯を削っていたが、こういう歯を作っていたのだ。
しかし、前歯の形一つで、こうも人相が変わって見えるものなのか
生まれて初めて見る間抜け顔である。

「こうなったら腹を決めよう!」
と思ったものの、やはり人と話す時に気にしてしまう。
まあ、話す時は気をつけておけばいい。
が、話に熱が入ってくると、前歯が見えてしまうようだ。
今日、キンちゃんというパートさんと話していると、突然「ねえ、しんちゃん、『ニッ』てしてみて」と言われたのだ。
気をつけていたつもりなのに、やはりばれてしまう。
それと笑う時。
これはもう、どうしようもない。
前歯を出さないと笑えないからである。
だから、今日はなるべく人と会話をするまいと、一人売場の隅のほうで、機械をいじっていた。

さて、「人と話せない」「笑えない」となると、面白くないだろうと思われるかもしれないが、そうでもない。
こうなったらこうなったで、楽しみもある。
実は、一度でいいから、こういう歯を体験したかったのだ。
決して負け惜しみで言っているのではない。
前に、本で「歯に隙間が出来ると、音痴になる」と書いていたのを読んだことがある。
歯に隙間が出来ると、その隙間から息が漏れて、音程が外れるらしい。
それを読んだ時、ぼくは「本当か?」と疑ってしまった。
どうかやって、それを確かめたかったのだが、それを読んだのは健康な前歯の時だったので確かめるわけもいかない。
何かいい方法はないものかと考えていた。
が、歯を抜く以外に方法はない。
そのため半分諦めていたわけだが、今回、『UV』歯になることで、ようやくそのチャンスに恵まれたわけだ。
さっそく、帰りの車の中で、大声で歌ってみた。
ところが、息が漏れることもないし、音程を外すこともない。
声もいつもの声である。
あの本は、誰を基準にして言っていたのだろうか。
もしかしたら、元々音痴の人が、「歯が抜けたけねえ」などと言い訳をしていたのかもしれない。

まあ、こういう遊びが出来るとはいえ、歯がないとやはり不便である。
第一、物が噛めない。
『V』歯の先っぽの部分が欠けそうで、どうしても噛むことを躊躇してしまうのだ。
それでも、柔らかいものなら何とかなるのだが、堅いものになるとそうもいかない。
今日の晩飯、無神経な嫁ブーは、ぼくの歯のことなどお構いなしに、堅いものを出してくれた。
ぼくが「おまえ、意地が悪いのう」と言うと、「えっ、何が?」と聞く。
そこで、ぼくは「ニッ」としてやった。
嫁ブーは涙を流して笑いながら、「ああそうやった。ごめんごめん」と言った。
が、緊張感が欠如しているから、明日もまた、堅い物を作るだろう。
そうなると、またぼくは「ニッ」としなければならない。

現在、母も同じ歯医者に通っているのだが、母の場合、前歯が入るまでに1週間かかったという。
ということは、あと5日も『UV』で生きていかなければならないのか…。



2005年02月22日(火) 世間は狭い(下)

家に帰ってから、ぼくはさっそく母に聞いてみた。
「Nさんち知っとう?」
「Nさん?ああ、前の会社におった人やろ。あの人再婚して、今Sという姓になっとるけど」
「その人、娘がおったやろ?」
「○江ちゃんやろ?」
「うん」
「Nさんと私、私仲良かったんよ。あんたもあったことあるよ、Nさんにも○江ちゃんにも。そうそう、あんたよく○江ちゃんと遊びよったやん」
「・・・・、知らん」
「そうよねえ。昔の話やけ。で、それがどうしたと?」
「Mさんのね」
「うん」
「嫁さんの名前、○江と言うんよ」
「ええっ?もしかして、あの○江ちゃん?」
「うん」
「そういえばあんた、Mさんの結婚の時、行ったんやったねえ。その時わからんかったと?」
「わかるわけないやん。顔も覚えてないし。新婦の母のところにNさんと書いてたわけでもないし。いや、仮にNとなっていたとしてもわからんかったやろうね」
「そんなもんかねえ」
そんなもんである。
それがもとで、母とNさんとの親交が再び始まった。

ぼくとしては、こうなることを予想して、Mさんとつき合っていたわけではない。
が、世間は狭いと言ったらいいのか、実に不思議な縁である。


【その2】
さらにこういう例もある。
この日記に何度か登場している、友人のオナカ君のことである。
彼とは高校時代に知り合った。
1年の時は隣のクラスだった。
まあ、顔見知り程度の存在だった。
2年の時に同じクラスになり、その頃から現在まで、ずっと飲み友だちでいる。
まあ、彼とはそういう縁だったのだろう。

ところが、縁はそれだけではなかった。
オナカ君は、仲間内では誰よりも早く結婚した。
奥さんは、ぼくたちと同じ高校出身で2級下である。
だが、オナカ君と奥さんは、高校時代に知り合ったのではない。
仕事上で知り合ったのだという。
オナカ君は奥さんの実家のそばに新居を構えた。
その奥さんの実家というのが、うちの嫁ブーの実家の近くである。

ある日、ぼくが嫁ブーの実家に行っていると、なぜかそこでオナカ妻の実家の話題が出た。
近くとは言っても、けっこう距離が離れている。
「何の話だろう?」と聞き耳を立てていたのだが、そこで意外な事実を知った。
何と、嫁ブーの父親とオナカ妻の母親が親戚関係にあるというのだ。
であれば、当然オナカ妻と嫁ブーは、親戚同士ということになる。
ということは、オナカ君とぼくは、戸籍上親戚関係にあるということだ。
何と不思議な縁だろう。

ということで、ぼくとオナカ君は今、深い関係にある。



2005年02月21日(月) 世間は狭い(上)

【その1】
ぼくが小学校に上がる前のことだが、母の働く会社にNさんという女性がいた。
その方も母と同じく、ご主人を会社で失っていた。
同じ境遇だったせいか、母と気が合い、家族ぐるみのつき合いをしていた。
そのNさんには二人の娘さんがいた。
母の話では、ぼくはよく彼女たちと遊んでいたらしいのだが、古い話なのでよくは憶えていない。
もちろん、名前もそうである。
ただ憶えていたのは、母の友だちにNさんという姓の人がいたということだけだった。

その後Nさんは会社を辞めたらしい。
再婚したのだ。
それに伴って姓も変わったわけだが、その後母からその人の話を聞くことはなくなった。

十数年後、ぼくは高校卒業と同時に長い浪人時代に陥り、そのまま成人した。
その浪人時代の最後の年に、ぼくは長崎屋でアルバイトをするのだが、その時知り合った人にMさんという方がいる。
ちゃらんぽらんな性格で、仕事もろくにしないような人だが、なぜかぼくとはウマが合った。
その後、お互い違う道を歩き出したが、今なおその親交は続いている。

さて、その長崎屋を辞めてから数年後、Mさんは○江さんという女性と結婚した。
○江さんはぼくよりも二つ年下だった。
もちろん、披露宴にぼくは呼ばれた。
Mさんの交流の幅が広かったせいか、披露宴は大いに盛り上がった。
最後の両親への花束贈呈の時に、Sさんのご両親が大泣きしていたのが印象的だった。

Mさんが結婚して以降、ぼくはたびたびMさんの新婚家庭を襲った。
ある時は酒を持って邪魔しに行ったり、ある時は人生相談に行ったり、またある時は商品を売り込みに行った。
飲みに行くこともちょくちょくあった。
そういうことがあって、ぼくは奥さんのほうとも仲良くなった。

そしてまた月日は流れ、ぼくは11年勤めた会社を辞め、新しい就職先に勤めるようになった。
新しい就職先は、奇しくも母が勤めていた会社が前身の会社だった。
つまり、ぼくは巡り巡って母と同じ仕事をしているわけだ。
Mさんから「おまえの就職祝いしてやるけ」と言われて、ある焼鳥屋に行った。
Mさんは奥さんと同伴で来ていた。
奥さんが「しんちゃん、どこに就職したと?」と聞いた。
「ああ、○○よ」
「ええっ、○○?うちの母もそこにいたんやけど」
「いつ頃?」
「まだ、あの会社の前身の頃の話やけどね」
「ふーん、うちのお袋もそこに勤めよったんよ」
「何店で?」
「××店」
「あっ?うちの母もそこよ」
「旧姓はSやったかねえ?」
「うん。でも、うちの母、再婚したけねえ。前はNと言ってたんよ」
「Nさん…。何か聞いたことあるねえ」
「そう?」
「うん。帰ってお袋に聞いておこう」
「案外知り合いかもね」



2005年02月20日(日) 人生のヤマ

前の会社にKさんという方がいた。
変わり種の面白い人だった。
ある時期、そのKさんが、手当たり次第に保険に入りだしたことがあった。
誰もが、「Kさん、保険なんかに興味を持ってなかったのに、何でまた…」と言っていたものだった。

それから数ヶ月たったある日のこと。
Kさんが救急車で、病院に運ばれたという連絡が入った。
何でも、Kさんが家で出かける準備をしている時に、突然倒れたというのだ。
その後、再び連絡が入って、過労という診断だったらしく、一週間ほどで退院できるということだった。

それから数日後。
Kさんは、「せっかく入院したんだから、ついでに持病の検査もしてもらったら?」という家族の言葉に促され、検査をしてもらうことにした。
ところが、その持病の部分に癌腫が見つかったのだ。
さっそく手術を受けることになり、当然入院期間は延長となり、退院したのは、それから3週間後だった。

Kさんが入院していた時に、ある人が言った。
「あいつ、前に手当たり次第に保険に入っていたけど、何か虫の知らせのようなものがあったんかも知れんのう」
そうだった。
Kさんが、その数ヶ月前に多くの保険に入っていたことを、誰もがすっかり忘れていたのだ。
退院後、Kさんに多額の保険金が入ってきたことは、言うまでもない。
Kさんはその保険金で、家のローンを完済させたということだった。
あれから十数年たつが、癌の再発などもなく、Kさんは今も元気である。

さて、Kさんはどうして多くの保険の契約をする気になったのだろうか?
退院してから何年か後に、その『虫の知らせ』について、Kさん本人に尋ねたことがある。
「うーん。自分でもよくわからんっちゃ。なぜか、あの時そういう気分になってね」ということだった。

ところで、こういう場合、虫の知らせというのが妥当なのだろうか。
『虫の知らせ』
この言葉を辞書で調べてみると、
「何の根拠もないのに、よくない出来事が起こりそうだと心に感ずること」(goo辞書より)
、とある。
まあ、仮にKさんが死んでいたら、そう言ってもいいだろうが、その後のKさんは、多額の保険金が入ってくるし、健康にもなったわけだ。
だから、別によくない出来事ではないだろう。

では、こういう時、どう言ったら適切なのだろうか?
『先見の明があった』というのが妥当なのか?
いや、それなら、急に入りたい気分になる以前から、保険に入っていただろう。
考えてみると、これは学生時代によく聞いた、「この問題が出るような気がして勉強したら、ズバリ出とった」というのによく似ている。
そう、『試験のヤマ』が当たったというやつである。
つまり、Kさんは『人生のヤマ』を当てたわけだ。
何となくうらやましく思う。
ぼくは、どんな小さな『人生のヤマ』も、当てたことがないのだから。



2005年02月19日(土) 時間ですよ

ぼくが真剣にテレビを見るのは午後10時頃、つまり晩飯時だけである。
とはいえ、その時間帯やっている番組を見ているわけではない。
まあ、面白い番組でもやっていれば別だが、なかなかそういう番組に巡り会えないので、そのほとんどをビデオに頼っている。
で、どんな番組を見ているかというと、
日曜日:『たかじんのそこまで言って委員会』
月曜日:『−』
火曜日:『救命病棟24時』
水曜日:『時間ですよ 昭和元年』
木曜日:『H2』
金曜日:『−』
土曜日:『−』
である。
『−』のところは、定まってないということだ。
これを見てもらったらわかるとおり、楽しみにしている番組は、一週間にたった三つしかない。
内容は討論番組が一つ、ドラマが二つである。
そのドラマのうち、『救命病棟24時』は現行でやっているものだが、もう一つの『時間ですよ 昭和元年』は、スカパー!から録画したものである。

『時間ですよ 昭和元年』と言われても、知らない人がいるだろう。
このドラマは、昭和49年10月16日午後9時にスタートしている。
この日は高校の修学旅行の4日目で、ぼくたちは金沢にいたのだが、一世を風靡した、あの『寺内貫太郎』の後釜のドラマだったので、どんなドラマが始まるのかと興味を持って見たのを憶えている。
内容は、一連の『時間ですよ』シリーズを継承するものだったが、時代設定が昭和初期というのが、実に斬新だった。
オープニングテーマがラグタイムだったのも、ロック全盛の当時としては新鮮で、ある意味時代を先取りしていたといえるだろう。
出演は、森光子、荒井注、悠木千帆(まだ樹木希林ではなかった)、浅田美代子、千昌夫、池波志乃、細川俊之、安田道代などであった。
特記すべきは、このドラマから国民的な大ヒット曲が生まれたということである。
その歌とは、さくらと一郎の『昭和枯れススキ』である。
この歌がかかる時に細川俊之と安田道代が出ていたが、細川はともかく安田道代はこの歌のイメージにピッタリくるものがあった。

話は戻るが、テレビ番組をこれだけしか見ないというのも寂しいものである。
そこで、『−』の部分をなくそうと思い、他の番組をあたってみた。
もちろん、地上波は見切りをつけているので、スカパー!からである。
で、何とか見つかった。
これは毎日やっているので、『−』の日や休みの時などに見ることが出来る。
その番組とは、『時間ですよ』である。
これは浅田美代子のデビュー作のほうで、あの『赤い風船』はここから生まれている。

しかし、昔のドラマに頼らなければ、今を楽しめないというのも考えものである。
『H2』なんかは、もう少し期待していたんだけど…。



2005年02月18日(金) 雨水

【雨水】
今日は雨水。
なるほど、ここ数日ずっと雨だ。
季節は暦通りに動いている。

さて、今日が休みということで、昨日は日記を途中でやめて寝てしまった。
朝は普通どおりに起きた。
今日は嫁ブーが仕事だったのだ。
しかも早番ときている。
そのため普段より早く家を出た。
雨の朝、こういう日の運転は、あまり好きではない。
来てもない車が、来ているような錯覚に陥るのだ。
おかげで、駐車場から出る時に、何度もタイミングを逸してしまった。

幹線に出ると、前の車が携帯片手に運転している。
フラフラしながら走っているので、抜くことも出来ない。
その車、警察署の前を通る時だけ、手から携帯を外し、通り過ぎたあと、再び携帯を手にした。
思わず、ぼくと嫁ブーは口をそろえて、「違法やないか!」と叫んでいた。
酒気帯びだけでなく、こういう奴らも30万円の罰金を取ってもらいたいものである。

【歯医者の日】
嫁ブーを会社に送ったあと、家に帰って風呂に入った。
昨日は風呂にも入ってないのだ。
休みの日は時間もたっぷりあるので、わざわざ朝から風呂に入らなくてもいいのだが、昨日の夜から頭が痒くてならなかった。
それに、休みの日にはお約束の歯医者が待っている。
汚い口の中を見られているのだから、せめて外見だけでもきれいにしておかないと、失礼だろう。

歯医者には、珍しく予約の時間通りに行った。
いつも遅れていくので、予約外の人が先に治療していたり、時間の関係で治療を早く切り上げられたりする。
そのたびに治療が遅れるのも馬鹿らしいので、今日は間に合うように行ったのだ。

さて、現在歯がどうなっているのかというと、相変わらず前歯の治療をしている。
そう、先月末からずっと同じ歯の治療をやっているわけだ。
なぜ長引いているのかといえば、歯を磨くときに違和感を感じるからである。
歯医者に行くと、「前歯の具合はどうですか?」と聞かれる。
そこで「歯を磨くと違和感を感じる」と答える。
すると先生は「もう良くなってるんですけどねえ…」と不思議そうに言う。
「でも、何か違うんです」とぼくが言うと、先生はちょっと考えてから「じゃあ、もう一回様子を見ましょう」と言う。
先月末から、ずっとこの問答をやっている。
そのために治療が先に進まないのだ。

しかし、考えてみたら、違和感を感じるのは当たり前だった。
治療が終わると、その部分にミルキーのような樹脂をつけるのだが、それが横の歯にも被さっているのだ。
そのため、治療中の歯を磨くと横の歯に響く。
それが違和感だったわけだ。
そこで今日は、「もう大丈夫です」と言った。
そのおかげで、前歯の治療も何とか目処が付いた。
次回に型を取り、その次の回にその歯の治療は終わるらしい。

【春の選抜高校野球】
歯医者から戻ってみると、嫁ブー宛に封筒が届いていた。
彼女の出身高校からだった。
その高校名の横に『甲子園出場後援会』と書いてある。
そうだった。
今度の春の選抜に、嫁ブーの出身校が出るんだった。
ということは、寄付を言ってきているのだろう。
そこで疑問がわいてきた。
「こういう場合、寄付額はいったいいくらなんだろうか?」
恥ずかしながら、ぼくの出身校は、これまで一度も甲子園に行ったことがないので、それがわからない。
おそらく、永遠にわからせてはくれないだろう。

そこで、嫁ブーが帰ってから、中身を見せてもらうことにした。
そこには、『第七十七回 選抜高等学校野球大会出場 募金趣意書』と書かれた書類と振込用紙が入っていた。
書類を見ると、寄付はA,Bの二種類があり、Aが一口3000円、Bが一口5000円になっている。
なるほど、これが相場なのか。
ところで、このA,Bの違いは、いったい何だろう。
趣意書には、その違いについて何も書いてないのだ。
こういう場合、「一口3000円から」と書くのが普通である。
神社の寄付などもそうなっているのだから。
案外、Bには応援Tシャツが送ってくるのかもしれない。
それを嫁ブーに言うと、「そんな恥ずかしいものいらん」と言っていた。



2005年02月17日(木) コーヒーの効能

今朝のニュースで、コーヒーが肝臓癌の予防に効くと言っていた。
何でも、毎日コーヒーを飲んでいる人は、飲まない人と比べると、肝臓癌になる確率が半分だというのだ。
ということは、ぼくは毎日確実に一杯飲んでいるから、肝臓癌にはかかりにくいだろう。
その上、毎日緑茶を飲んで胃癌になる確率も低いのだ。
きっと内臓の状態は万全なはずである。

ところで、このコーヒーと緑茶、どちらもカフェインが入っているために利尿作用がある。
それはそれでいいことなのだが、困ることもある。
朝、出がけにコーヒーを飲んでいるせいで、会社に着く前に尿意を催してくるのだ。
普通は我慢できるのだが、渋滞などしていたら大変である。
現にそういうことがあった。

その日、高速で事故があったとかで不通になり、車はみな幹線に流れてきた。
そのために、幹線が大渋滞になったのだ。
ちょっと走ると、すぐに停まる。
しばらくすると動き出すが、また停まる。
この時、「朝礼に間に合うだろうか」という焦りが、頭の中を占めている。
ところが、それからしばらくして、その焦りが「トイレに行きたい」という思いに変わってしまった。
そう、利尿作用が始まったのだ。
ちょっとした振動が応えてくる。
こういう時は気にしないように、他のことを考えることにしている。
だがほとんどの場合、車が振動するたびに、それは打ち消される。

何とか朝礼の時間ギリギリで、たどり着いた。
が、すぐにトイレに行くわけはいかなかった。
朝礼が始まってしまったのだ。
しかたなく朝礼に出た。
ところが、そういう時に限って、いやに朝礼が長い。
その日は棚卸しについての注意事項を言っていたのだが、まったく頭に入らなかった。
「トイレに行きたい!」という思いが頭を占めていたからだ。
朝つまずくと、その日はろくなことがないものである。
案の定、この日、朝礼時に言っていた注意事項の件でミスを犯してしまい、何度も注意を受けたのだった。

まだある。
ぼくはだいたい夜中に日記を書く。
その際、眠気覚ましのためにコーヒーやお茶を飲むことが多い。
先日、日記を書くのが長引いてしまったことがある。
もちろんその時も、コーヒーを3杯ほど飲んでいた。
床に就いたのは午前3時を過ぎていた。
ところが、なかなか寝付かれないのだ。
そう、カフェインのせいで眠れなくなったのだ。
しかも、ようやく寝付いたかと思うと、今度はトイレで目が覚める。
そう、カフェインのせいで利尿作用が現れたのだ。
トイレに行って戻ってくると、また眠れない。
こういうことを三度ばかり繰り返したのち、ようやく眠りに就いたのだが、その時はすでに5時を回っていた。
もちろん、朝起きてからコーヒーを飲んで出たので、またもや車の中でトイレに行きたくなったのは言うまでもない。



2005年02月16日(水) 漢字のこと(下)

【漢字を発明したのは日本人?】
10年ほど前に、『漢字を発明したのは日本人だった!』という本が話題になったことがある。
何でも、甲骨文字を作ったのが日本人の先祖で、その当時は彼らが大陸を支配していたというものだった。
甲骨文字は、漢字のもとになった文字だと言われているが、漢字ではその甲骨文字を解釈できないのだそうだ。
ところが、それを日本の神代文字で読むと、ちゃんと文章になるのだという。
だから漢字を発明したのは日本人である、といった内容の本だった。

そこには面白いことが書かれていた。
中国春秋戦国の頃に『斉』という国があった。
これを旧字で書くと『齊』となるが、この文字をばらして、神代文字で読んでみると『いづも』と読めるらしい。
『いづも』、そう『出雲』である。
斉と出雲は歴代の王の数も一致するし、同じような国譲りの話もあるという。
決して斉の歴史を、日本の出雲が真似たのではない。
なぜなら、その当時の斉つまり出雲は、大陸から日本列島にかけて広域な範囲を支配していたからで、同じ歴史を記録しているのだという。
ということで、日本神話にある出雲の国譲りの話は、すなわち中国の斉で起こったことで、どこに譲ったのかというと、始皇帝で有名なあの『秦』の国であったというのだ。

ま、興味のある人は読んで見て下さい。


【神代文字】
神代文字と言われても、ピンとこない人がいるかもしれない。
これは漢字が我が国に伝わって来る以前に使われていた、我が国独自の文字で、トヨクニ文字、アヒルクサ文字、ホツマ文字など数種の文字がある。
ちなみに、カタカナのもとになったのは漢字ではなく、実はこの神代文字だと言われている。

まあ、この神代文字のことは、その筋の本がいくつも出ているので、詳しく説明するのは避けることにする。


【開】
先の『漢字を発明したのは日本人だった!』ではないが、漢字を見ていると、時々「はて、こういうものが中国にあったのか?」「これは日本の文化ではないのか?」という文字にお目にかかることがある。
その代表が『開』という文字である。
『開』、漢字源の解字では『門のかんぬきを両手ではずして、門をあけるさま、または「門+幵(平等に並んだ姿)」で、とびらを左右平等にひらくことを示す』となっている。

ちょっと待ってほしい。
この解釈は、どうもこじつけのような気がしてならない。
門の中にあるのは、平等に並んだ姿となっている。
その並んだものは扉だといっているが、扉が平等に並んでいるのなら、それは閉じているということになりはしないだろうか。
閉じているものを、どうして開くと読ませるのだろう。

ぼくに言わせれば、門の中にあるのは、平等に並んだ姿でも何でもない。
日本人なら誰でもわかることだが、あれは鳥居である。
門というのは、すなわち神社の入り口に配置された、狛犬や旗のたぐいである。
そこを通り過ぎると鳥居がある。
そこから先は、神域である。
つまり『開』というのは、神域の開示を表した文字なのである。

神代文字で解釈する方法もあるだろうが、神代文字を知らないぼくたち素人には敷居が高すぎる。
こういう身近なところから、「漢字を作ったのは日本人だ!」という証明が出来ないものだろうか?
もしそれが出来たとしたら、日本の、いわゆる謎の古代史も開示されると思うのだが。



2005年02月15日(火) 漢字のこと(上)

【新字と旧字】
現在、正しい漢字(旧字)を使用している国は、台湾だけらしい。
日本は戦後、新字体や簡化字が使われるようになり、旧字は人名や参考程度でしか使われてはいない。
また、本家の中国も同じく簡化字を使うようになっているし、半島にいたっては、まったく漢字を使わなくなっているようだ。

確かに漢字は難しいし、書くのが面倒である。
比較的簡単になった現代の漢字でさえそうなのだから、画数が多くなる旧字はなおさらである。
例えば渡辺の『辺』という字があるが、これは今でこそ簡単だが、旧字だと『邊』や『邉』となる。
同じように『浜』は『濱』、『桜』は『櫻』、『尽』は『盡』、『斎』は『齋』である。
旧字で姓名を書いている人には申し訳ないが、一般の人にとってこのような漢字は読めたとしても、書く気にはならない。

とはいえ、旧字でないと伝わらない文字というのもある。
例えば『ともしび』という字。
新字だと「灯」となり『火』に『丁』と書くが、なぜこれが『ともしび』となるのかがわからない。
『丁』には停めるという意味があるらしいが、火を停めては『ともしび』とはならないだろう。
ところが旧字だと『燈』であるから、火が登ることになり、意味はわかる。
医者の『医』も旧字で書くと『醫』となり、いかにも面倒な漢字になる。
が、こうでなければ意味はわからないらしい。


【漢字とのつき合い】
漢字を覚えるのは大変である。
興味がある人にとっては独自の覚えかたがあるのかもしれないが、興味がない者にとっては書いて覚えるしか方法がない。
これが嫌なのだ。

小学生の頃、よく「二百字帳を漢字で埋めてこい」という宿題が出ていた。
この宿題、若干なりとも解く楽しさがある算数などと違って、ただ黙々と書くという地味な作業だった。
そこには当然、持続力とか耐久力とかいったものが要求される。
そのため、集中力のないぼくにとって、これほど辛い宿題はなかったわけだ。
高学年になるにしたがって、漢字の画数も増え、より時間がかかるようになっていき、その苦痛に耐えかねて、それまでやらないことのなかった宿題を、ついにやらなくなったのだった。

教育漢字中心の小学校でさえこの調子だったのだ。
当用漢字が頻繁に出てくる中学高校の漢字には、対抗出来るはずもなかった。
ところが、そういうぼくが、今はいちおう漢字に強い人となっている。
なぜそういう人になったのかというと、姓名判断に興味を持ったからだ。
姓名判断は、画数で運勢や性格を判断する占いである。
そのため、嫌でも漢字に取り組まなければならない。
姓名判断本の巻末には漢字早見表が載っているので、それを見て画数を割り出せばいいのだが、いつもいつも早見表を持ち歩いているわけではない。
ということで、書いて画数を割り出すことになる。
そのおかげで、自然に漢字を覚えたわけだ。



2005年02月14日(月) 珍客2

夕方、暇だったので店内をブラブラしていると、カウンターの中でアルバイトの女の子が下を向いているのが見えた。
「またあいつは寝やがって。起こしてやろう」と思い、そこに行ってみると、別に寝ていたわけではなかった。
下を向いて何かやっていたのだ。
ちょうど机の影になっていたので、何をやっているのかはわからなかった。
そこで、背後から回り込んで見てみると、彼女はリボンを手に持って一生懸命ゆらゆらと揺らしている。
リボンの先は、彼女の足下にあった段ボール箱の中に続いていた。
「おまえ、何しよるんか?」
「あ、しんたさん。かわいいですよ」
「え、何かおるんか?」
「うん、箱の中見て」
箱の中を覗いてみると、何とそこには一匹のブタ猫が入っていた。
「どうしたんか、これ」
「迷い猫なんですよ。店内をウロウロしていたんで、捕まえて箱の中に入れたんです」

なるほど、箱に『迷い猫』と書いてある。
しかし、猫が迷うはずはない。
迷っていると思うのは、人間の浅はかな考えでしかないのだ。
猫は、ただ散歩していただけで、偶然店の中に入ってきただけの話である。
「よく捕まえたのう。逃げんかったか?」
「大人しいんですよ。人慣れしてるみたいだし。首輪してるから、きっと飼い猫ですよ。」
「しかし、そんな箱やったら、出れるやろう?」
「それが出ないんですよ。一度箱から身を乗り出したけど、出てきませんでした」

で、彼女が何をやっていたのかというと、リボンを猫じゃらしにして遊んでいたわけだ。
猫は手を伸ばして一応リボンに反応していたが、実際はリボンが目障りだったので、取り上げようとしていただけだろう。
それを見ているうちにぼくは、前々から猫にしてみたかったことがあったのを思い出した。

そこでバイトの子に、「ここは歯磨き粉はないかのう?」と聞いてみた。
「ああ、ありますよ。そこの引き出しの中」
引き出しを開けてみると、試供品と書いた歯磨き粉が入っていた。
ぼくはさっそくそれを取り出し、ふたを開けて猫の鼻の先に持っていった。
何かを鼻の先に持っていくと、鼻をヒクヒクさせながら近づけてくるのは、きっと猫の習性なのだろう。
案の定、この猫も習性通りに鼻を近づけてきた。
その瞬間、猫は嫌な顔をして目を閉じた。
一度歯磨き粉を鼻先から外し、もう一度鼻先に持っていくと、また同じように鼻をヒクヒクさせながら近づけてきた。
結果はやはり同じで、嫌な顔をして目を閉じた。
3度目は引っかからないだろうと試してみると、やはり猫は習性通りに鼻をヒクヒクさせて近づけ、嫌な顔をして目を閉じた。
バカである。

閉店後、バイトの子に、「おまえ、この猫どうするんか?持って帰るんか?」と聞いてみると、「持って帰るわけないじゃないですか」と言う。
「なら、逃がすんか?」
「いちおう逃がすけど、ちゃんと家に帰れますかねえ?」
「アホか。ここまで歩いてきたんやけ、ちゃんと歩いて帰れるわい」
「そうですかねえ…?」
「表から逃がすと、また入ってくるやろうけ、裏から逃がせよ」
ぼくがそう言うと、バイトの子は猫を箱の中から取り出した。
ところが、猫はそれが気に入らなかったのか、バイトの子にパンチを入れた。
「おまえ、猫から叩かれよるやないか」
「何で叩くんかねえ?」
「抱き方が悪いんやないんか」
それを聞いて彼女は、猫を抱き変えてみた。
ところが、猫はそれも気に入らなかったのか、再び彼女にパンチを入れた。
「おまえ、猫になめられとるんやないか」
「そんなことはない」
そう言って、彼女は猫を箱の中に戻そうとした。
「あ、ちょっと待て」
「えっ?」
「店に来た記念に写真撮っとくけ」
ぼくは、そう言って携帯電話を取り出し、シャッターを切った。



外に出すと、猫はすぐにどこかへ行ってしまった。
バイトの子は、まだ「大丈夫かねえ」と言って心配していた。
大丈夫に決まっとるわい。



2005年02月13日(日) 頭痛

昨日、ひどい頭痛に見舞われた。
朝は何ともなかったのだが、昼頃から徐々に頭が痛くなり始めた。
普通、頭痛がする時には、それなりの原因があるものだ。
例えば、部屋の中の空気が悪い時。
冬時期はストーブなどを焚くから、空気が濁っている。
それなりに換気をしてないと、頭が痛くなってくる。
昔は火鉢などで暖を取っていたために、しょっちゅう頭が痛くなっていたものだ。
そういえば、冬でなくても、休みの日なんかに終日寝ていることがあるが、そういう時、換気をしなければ、やはり頭は痛くなる。

最近では、部屋の中が必要以上に暑い時にも、頭が痛くなってくる。
これはのぼせによるものだ。
温もった枕の上に頭を置いたりした場合も、確実に痛くなる。
枕といえば、たまに頭にフィットしないことがある。
そういう時は、朝起きた時に首筋や背筋が疲れていることが多いが、それがもとで頭が痛くなることもある。
それと、二度寝も頭痛の種となることがある。
起きるタイミングを間違えた時だが、これはけっこう応える。
あと考えられるのは、酒のせいであったり、風邪のせいであったり、である。

ところが、今回の頭痛は、その原因がつかめなくて困った。
確かに職場の空気は悪いが、それなりに広く、さらに自動ドアが頻繁に開閉しているので、換気の心配はない。
では、職場が暑かったのかというと、そうではなかった。
暖房は入っていたが、えらく寒かった。
しかし、それは寒気とは違っていた。
また、首の疲れがあったわけでもなく、二度寝したわけでもない。
原因がつかめさえすれば、何とか対処のしようがあるのだが、今回はそれが出来なかった。

そのため、頭痛は時間を追うごとに酷くなり、夕方そのピークを迎えた。
それまでは首を振ったり、刺激を与えた時に痛かっただけだが、その頃には何もしなくても疼くようになっていた。
頭が脈打ちだし、脳全体が真っ赤に腫れているような感触がある。
しかも、それに伴って目が痛くなり出した。
といっても、別に目が悪くなったわけではない。
頭の痛みが目に伝わり、目を開けているのが辛くなったのだ。
しかたなく、接客している時以外は目を閉じていた。
それがよかったのか、帰る時には、目の痛みはなくなっていた。

家に帰ってから嫁ブーを迎えに行くまでの時間、ぼくはこたつに入って寝ることにした。
こたつの電源を入れて、温もった頃だった。
ぼくは、太もものところが、えらく冷えているのに気がついた。
きっと店内や外が寒かったせいで、そういうことがわからなかったのだろう。
とにかく、こたつに入っていると、その冷えが薄れていくのがわかる。
それがやけに気持ちいいのだ。

そして20分ほどたった頃、完全に冷えは取れた。
ちょうどその時、嫁ブーから仕事が終わったという連絡が入った。
そこで、こたつから這い出して立ち上がった。
ところが、今まであった頭痛が嘘のように消えていたのだ。
その後も頭痛がぶり返すこともなく、無事日記も書き終え、安眠することが出来たのだった。

しかし、足の冷えから来る頭痛を体験したのは初めてのことである。
40歳を過ぎてから、初めて体験することは多いが、それが一回限りで終わったためしがない。
その後何度も続くのだ。
そのいい例が、四十肩であり、五十肩である。
そういうことなので、今後も足の冷えから来る頭痛も続くだろう。
それゆえに、冬場は足を冷やさない工夫をしなければならない。
足の冷えを防ぐものといえば、やはりズボン下になるのだろうか。
・・・。
ズボン下か…。
男の美学に関わるなあ…。



2005年02月12日(土) 福岡大虐殺

『南京事件「証拠写真」を検証する』という本を読んでいる。
けっこう話題になっている本で、新聞や週刊誌などにも取り上げられていた。
南京事件に関しては、多くの日本人が「嘘くさい」という認識を持っているが、今回のこの本は、その嘘くさい根拠になっている証拠写真なるものをすべて検証したもので、その結果「くさい」が取れて、はっきり「嘘」ということになった。

この証拠写真なるもの、北朝鮮から死亡の証拠として持ち帰った、横田めぐみさんの『遺骨』に似ている。
こちらも調べたら、やはり『嘘』だったわけだ。

しかし、検証は不可能とされた『遺骨』の検証が出来るのに、どうしてより検証の簡単な、『写真』の検証が出来なかったのだろうか。
それはきっと、戦後に米中韓朝あたりから、さんざん戦前の行為に対する文句を言われ続けてきたために、いつしか日本人の頭の中に「日本人=悪」という図式が出来上がったせいだろう。
それに呼応して、ある時期、「戦前戦中、日本人は悪いことをした」と言いさえすれば善人と思われる、風潮が我が国には確かにあった。
そういう風潮の中、ひと言でも「南京事件はおかしいぞ」と言えば、危険な思想の持ち主と捉えられ、右翼のレッテルを貼られたことは想像に難くない。
それゆえに、南京事件という腫れ物に触れないできたのだと思う。

さて、この本を読んで、思ったことがある。
南京大虐殺は嘘だという本が、ここ数年かなり出ている。
そこには、そう主張するだけの証拠もちゃんと書かれている。
南京大虐殺はあったという立場の本にある、いいかげんな証拠(つまり、今回検証され、嘘と判明した写真)と比べると大違いだ。
おそらく、そういう本を読んだら、誰しも南京大虐殺は嘘だと思うことだろう。
しかし、これを読んでも、それを受け付けない人たちがいるのだ。
それは、誰あろう中国人である。
彼らは、タイムマシンでその時代、その現場に連れて行て見せても、南京大虐殺は嘘だということを受け付けないだろう。
そういうお国柄だからだ。

しかし、彼らが受け付けないと言って、こちらのほうはムキになる必要はない。
それならそれでいいのだ。
それと同じことを、こちらもやってやればいいのだから。

例えば、今回判決の出た、中国人による福岡の親子4人殺害事件。
それを、数千人程度の「戦死者」を「虐殺」されたと言い張り、それもその数20万人と偽って発表した中国人のように、
「中国政府が派遣した兵士が、福岡で一般市民4万人を殺害した」
と世界中に向けて発表すればいい。
当然、中国政府は文句を言ってくるだろう。
しかし、それに取り合わず、今度は、
「その際、彼らは強姦・略奪・放火、要するに極悪非道の行為に興じ、街はさながら生き地獄の様相であった」
と発表するのだ。
もちろん、これに関しても中国政府はクレームをつけるだろうから、それに対して今度は、虐殺した数を「10万人」につり上げるのだ。

そして最終的に、「120万人虐殺」まで持っていく。
「事件前の福岡の人口は120万人だった。その虐殺の後も120万人いたじゃないか。それはおかしいだろう」
そう言ってきたら、
「別におかしくない。それを言うなら、南京は大虐殺の後に、人口が5万人増えているじゃないか。そちらのほうがおかしいだろう」
とやり返してやれ。
彼らに言わせれば「嘘も百回言えば本当になる」らしいから、『福岡大虐殺』は、いつしか既成事実となるだろう。
謝罪と補償を要求する。



2005年02月11日(金) この痛みをどうにかしなければ(下)

ところが、秋頃から、その痛みを感じなくなった。
いくつかの動きをやってみたのだが、それでも痛みは走らない。
そのため、これでようやく治ったかと思ったものだった。
しかし、そうではなかった。
ごく最近、そのことがわかったのだ。

先日のこと。
家に帰ってテレビをつけると、たまたまテレビでその五十肩の特集をやっていた。
そこで五十肩予防に有効な腕回しなんかをやっていた。
「そういえば、最近は肩の痛みを感じない。そろそろ一年たつから、もう治ったのかもしれん」
そう思って、その腕回しをやってみることにした。
その腕回し運動とは、腕を折り曲げ、手を肩に当てた状態で回す運動なのだが、まずその腕曲げでつまずいてしまった。
腕を曲げると、急に肩に痛みが走ったのだ。
そのため、腕が充分に曲がらない。
それでも我慢して腕を曲げたのだが、今度は手が肩につかない。
しかたなく、中途半端に腕を曲げた状態で腕回しをした。
肩がゴキゴキ鳴り、そのつど痛く、円運動のはずが直線運動になってしまった。

愕然とした。
治ったと思ったのは、勘違いだったのだ。
きっと歯に痛みを奪われていたせいで、肩の痛みに意識が行かなかったのだろう。
それに加えて、その間は、痛みのポジションを刺激するような動きをしなかったのだと思う。

テレビではまるでぼくを慰めるかのように、「無理しないでこれをや続けてやっていると、次第によくなりますよ」などと、のんきなことを言っていた。
しかし、ぼくはすぐに治らなければ嫌なのだ。
ということで、歯医者が終わったら、整体院とか整骨院とかいった診療所に通おうと思ったのだった。

で、どの診療所に行くかを、いろいろな人に聞いたり、ネットで調べたりした結果、いいところがいくつか見つかった。
すべてに行くわけにはいかないから、まず保険の効く整骨院に行くことにする。
幸い、家の近くに整骨院が出来ることになっているのだ。
3月頃の開業ということだ。
ちょうどその頃歯医者が終わる予定だから、都合がいい。

そこでだめなら、今通っている歯医者の近くに、評判のいい整体院があるので、そこに行こうと思っている。
スポーツ整体の権威らしい。
案外、肩なんか一発で治るかもしれない。
が、こればかりは行ってみないとわからない。
それでもだめなら、ちょっと遠くなるが、郊外にいい整体院があると聞いているので、そこを訪ねて行くことにする。

とにかく自分の体が思うように動かないと、仕事に差し支えが出てくるのだ。
販売業とはいうものの、実質は過酷な肉体労働なのだから。



2005年02月10日(木) この痛みをどうにかしなければ(上)

ここ数ヶ月、歯のほうに気を取られて、他の箇所に痛みがあることを忘れていた。
いや、その箇所に痛みを覚えないので、痛みは治ったと思っていた。
痛みがなくなるのは結構なことで、これで歯さえ治ったら万全で、痛みがないというだけで、将来に明るい希望が見えてくるから不思議なものである。
ところが、その箇所は治ったわけではなかったのだった。

その問題の箇所のひとつは、腰である。
高校時代、ひょんなことから腰を痛め、それが完治しないままに、激しい運動をしていた。
さらにその後、わざわざ腰をいじめるような職業に就いたのだった。
そう、ぼくにとって、腰は爆弾なのである。
そのため、ストレッチをやったり、温めたり、マッサージしたりと、腰のケアには余念がない。
おかげで、ここまで何とか深刻な状況からは免れている。
が、何をやってもだめな時はだめで、それほど腰に負担がかかるようなことをやってなくても、突然痛くなることがあるのだ。
だいたいそれは、半年に一度やってくる。

ここ最近では、昨年の3月にそれがやってきた。
その時は、尻から腰にかけて、ファンヒーターの風を当てて、何時間も温めていた。
それで何とか痛みは治まった。
その後、以前にも増して入念にケアをやったおかげで、ここ半年は来てない。
それで、何とか腰痛地獄からは逃れられたと思ったものだ。
しかし、それは勘違いだった。
その証拠に、足がしびれたり、ひざの裏が痛かったりと、腰痛から来る諸症状が最近出始めたのだ。
腰痛が出なかったのは、きっと歯に痛みを奪われていたからだと思っている。

もうひとつは肩である。
肩の痛みについては昨年の日記で何度も紹介しているが、いわゆる五十肩で、肩を上げると痛みが走るのだ。
最初にそれに気がついたときは、ショックだった。
四十肩には何度かなったことがあるが、だいたい1週間くらいで痛みは治まっていた。
が、今回はいつまでたってもその痛みが取れないのだ。
いや、肩がまったく上がらないといった表だった症状は、いつものように1週間くらいで消えたのだが、ある特定の動きをすると鋭い痛みが走るのだ。
その特定の動きというのは、いつも同じ動きなのではない。
痛みのポジションがそのつど変わるから、昨日痛かったところが今日は大丈夫で、逆に痛くなかったところが今日痛くなっているということになる。
それゆえに難儀したものだ。



2005年02月09日(水) 2月8日の日記(下)

その灯油を安く買おうと、毎年価格の安い店を探すことにしているのだが、いつも買っているところは、先にも言ったように今年は200円も値上がりしている。
それでも安いと思っていたのだが、上には上がある。
そこよりも60円も安いところがあったのだ。
おそらく、そこが北九州一安いだろうということである。
ちなみに価格は、18リットル794円(税込み)である。
そこで今日は、いつも買っている店よりはちょっと遠くになるが、その794円のスタンドに買いに行くことにした。

スタンドに着くと、多い多い。
そこは灯油だけでなくガソリンも安いため、灯油の客とガソリンの客が入り乱れてスタンド内は大渋滞しており、入りきれない車が公道に列を作っていた。
しかしいつものことなのだろう。
スタンドの人は要領よくお客を裁いている。
そのため、それほど待たされずにすんだ。

家に戻ったぼくは、一息ついてから歯医者に行った。
歯医者には歩いて行ったのだが、その途中に異様な光景を見た。
灯油を買って帰る時、対向車線が工事中で渋滞していた。
ぼくが歯医者に行く時も、その渋滞は続いていた。
そくはその渋滞している道路を渡り、家の前にある銀行に行って、お金をおろした。
そして、再び道路に出てみると、あれだけあった車がない。
「もう工事が終わったのか」と思いながら前を見てみると、一台のトラックが止まったままになっている。
そして、その後ろには車がズラーッと並んでいる。
300メートルほど先がカーブになっていて、ぼくのいる位置からだとその後ろは見えないが、そこまでは確実に車が並んでいる。
おそらく、その後ろも車は並んでいることだろう。

で、その先頭になっている車だが、故障でもしたのだろうか?
だが、車を見てみると、運転手はちゃんと乗っている。
何をやっているんだろうと思いながら、ぼくはその車の横を通り過ぎた。
しばらく歩いてから、うしろを振り向いてみた。
が、まだその車は動いていない。
しびれを切らした後続車が、ガンガン、クラクションを鳴らし出した。
だが、その運転手はそれに動じることがないのか、車は相変わらず動かなかった。

ぼくが、前述のカーブのところまで来た時も、まだ車の列は動かないままだった。
その時、ふとぼくはあることに思い当たった。
それは、「故障しているのなら、最低ハザードランプはつけるよなあ。そうしないと、後続車に迷惑がかかるし…」である。
ということで、ぼくは先ほどの運転手の状況を、もう一度思い出してみた。
「そういえば、運転手は下を向いていたよなあ。確か、目をつぶっていたような。…えっ、もしかして過労死?だとすると、大変だ!」
なぜそう思ったかというと、数ヶ月前に知り合いの身内が亡くなったのだが、その死因が過労死だったからだ。
その人は、トラックの中で死んでいたという。

そこでぼくは、引き返そうと思った。
ところが、ぼくがそう思って、体を来た方向に向けた時に、車が流れ出したのだ。
先頭のトラックも、もう先ほどの位置には見えなかった。
動くということは、故障してないということだ。
ということは、寝ていたのか?
いや、誰かがもしかして過労死している運転手を助手席に移し、交通の邪魔にならないところに運んだことも考えられる。
ということで、歯医者が終わってから検証してみることにしようと思った。

歯医者が終わると、さっそく先ほどの場所まで戻った。
その辺にトラックはないかと探してみたのだが、見あたらない。
ということは、やはり運転手は寝ていたのか。
先頭のトラックが止まっていた位置からそのカーブ地点まで、歩いて3分ほどだから、運転手はその間ずっと寝ていたことになる。
いや、その前から寝ていたわけだから、5分以上は寝ていただろう。
普通、渋滞していると、イライラするものである。
ところが、その運転手は、そういう状況でもイライラすることなく、逆にリラックスしてしまったのだ。
しかもその間、あれだけのクラクションの嵐を受けても、目を覚ますことがなかったのだから、大した根性者である。

さて、運転手は寝ていたと結論づけたぼくは、家に帰り、しばらくパソコンをいじった後に寝ることにした。
しかし、ぼくは根性ものではないから、電話が鳴ると目を覚まし、メールが届くと目を覚ましていたのだった。



2005年02月08日(火) 2月8日の日記(上)

一日中、降ったりやんだりの天気だった。
せっかくの休みなのに、こういう天気だとがっかりする。
そういう日は外に出ないで、家でダラダラ過ごすのが、ぼくの一般的な過ごし方になるのだが、今日はあいにく嫁ブーが仕事である。
そのため、朝は会社まで送って行かなければならないし、夜は迎えに行かなければならない。
それだけではない。
例のごとく、歯医者にも行かなければならない。
さらに今日は、昨日切れた灯油も買いに行かなければならないのだ。

ところで、昨日はほとんど寝てない。
早く寝るつもりでいたのだが、パソコンをゴソゴソやっていたら、朝が来てしまったのだ。
嫁ブーを送って行くまで少し寝ようかと思ったのだが、風呂に入らないとどうも気持ち悪い。
ということで、結局風呂のほうを選んだ。

いつものように、本を持って風呂に入ったのだが、体が温まってくると、だんだん眠気がさしてきた。
本を開いてはいるものの、ちょっと目を閉じると、すぐに意識が遠のいてしまう。
うちの風呂には時計がついているのだが、目を閉じてから開けるまでの時間は、およそ12分だった。
ずっとその繰り返しをやっていたせいで、本など読む暇はなかった。
結局風呂には2時間入っていた。

さて、風呂から上がってからしばらくして、嫁ブーを送って行った。
いったん家に戻ろうかとも考えたが、帰ってしまうとまた家を出るのが億劫になる。
そこで、そのまま灯油を買いに行った。

ところで、今年は灯油が高い。
例年買いに行っている安い店も、今年は200円ほど値上がりしている。
そのため、今年は灯油代を浮かそうと思い、フィルムヒーターなるものを買い込んだ。
フィルムヒーターとは今シーズン出てきた電気暖房で、エアコンのように部屋を暖めることが出来る。
しかも、価格はエアコンよりもずっと安いから、うちの店ではけっこう売れている商品だ。
こういう重宝な暖房であるが、ただ一つ難点がある。
まあ、この商品だけでなく、どの電気暖房でも言えることなのだが、とにかく電気代が高くつく。
ぼくのうちは夫婦共稼ぎで、ほとんど家にいることはないから、そこそこ電気代も安い。
ところが、このフィルムヒーターを入れてから、その電気代が倍になってしまったのだ。
先月の電気代請求書を見て、あ然としたぼくは、それ以来フィルムヒーターの節約を心がけることにした。
そうなると、頼りになるのは、やはり灯油である。
値上がりしたと言っても、やはり灯油が一番安いのだから。



2005年02月07日(月) 間抜けな話

最近、会社に出かける前の行動がルーズになっている。
それほど時間に余裕がないにもかかわらず、パソコンの前でのんびりしていたり、トイレの中でマンガを読んだり、風呂に入ったりと、まさかこれから会社に出かけるとは思えないような行動を取っているのだ。
そのため、家を出るのが、普段より5分程度遅れてしまう。

さらに、嫁ブーが先に家を出た時なんかは、自分で戸締まりまでしなければならない。
「ファンヒーターは消したか?」
「コーヒーメーカーのスイッチは切ったか?」
「タバコの後始末はしたか?」
「ガスの元栓は閉めたか?」
「照明は切ったか?」
「トイレの電気は?」
鍵をちゃんとかけたか?
等々、面倒なチェックが待っている。
そのせいで、家を出るのがさらに5分遅れてしまう。
つまり嫁ブーが早出の時は、普段より10分遅く出ることになるのだ。

今朝もこの流れで、嫁ブーが早出だったため、10分遅れコースだった。
普段は会社の朝礼の10分前に着くように出ているので、10分遅れてもギリギリ間に合う。
が、今日はあいにくの雨だった。
少しの渋滞は覚悟しなければならない。
そういう時、ある人からメールが届いた。
開いてみると、そこにはショッキングなことが書いてあった。
それは、『3号線渋滞』である。
ただでさえギリギリの時間に家を出ているのに、幹線が渋滞となると、確実に遅刻してしまう。

そこで、ぼくは決断した。
「都市高速で行こう」
10日ほど前に幹線の渋滞に引っかかったために、途中で道を引き返し、都市高速に乗りに行ったことがあった。
その時は、幹線を走った分だけ時間がかかったので、普段より15分遅れの計算になった。
しかし、さすがに高速は早く、ギリギリだったが朝礼に間に合った。
それを考えると、今日はその時よりも時間的には早いから、余裕で間に合うだろうと思ったのだ。
インターまでの道は、渋滞もなくスムーズに行くことが出来た。
あとは高速に乗るだけである。
高速に乗ってしまえば、会社まで10分もかからないから、5分前には着くことになるのだ。
その時のぼくは、まさに余裕の固まりであった。

ところが、料金所で高速代を払い、本線に出ようとした時だった。
そこまで順調に流れていた車が次々と止まっていった。
本線が渋滞していて入れないのだ。
何があったんだろうと本線のほうを見てみると、合流地点の先100メートルくらいのところで、何とトラックが横を向いて止まっているではないか。
工事でもやっているのかと思った。
が、どうも違うらしい。
サイレンの音が聞こえてきたのだ。
事故である。
すでに料金所を過ぎているので、引き返すことも出来ない。
会社に遅れると電話をしようと思ったが、警察が出ているので、携帯電話をかけるわけにもいかない。
「しかたない。諦めよう」と腹をくくった。

ところが不幸中の幸いか、トラックは追い越し車線を塞いでいるだけだったので、ほどなく1車線は通れようになった。
おかげで、非常にノロノロながらも、何とか車は進みだした。
事故現場を過ぎると、あとは普通どおりに走れ、会社には1,2分遅れた程度で着くことが出来た。
さらに幸いなことに、今日は朝礼がなかった。
そこでぼくは、何食わぬ顔で仕事に就いたのだった。

あとでわかったことだが、3号線の渋滞は、高速から迂回してきた車が、3号線になだれ込んできたのが原因ということだった。
その原因を作ったのが、あの事故だったわけである。
つまり、ぼくは3号線の渋滞を避けるために、わざわざその渋滞の原因を作った高速に乗りに行ったことになる。
間抜けな話である。



2005年02月06日(日) 歯に神経質になっている(下)

ここまで二つの候補が上がっている。
ひとつはガムである。
虫歯にならないと言われている、キシリトール入りのガムを噛むのだ。
ガムなら、食べかすまで取り除いてくれるから、言うことはない。
しかし、問題がなくはない。
それは、客商売をやっているがゆえに、仕事中には噛めないということだ。
しかも出費がかさむ。
ただでさえ、タバコの量を減らして、小遣いを増やそうと思っているのだ。
ここでガムなんか買ったら、タバコを減らす意味がなくなってしまうではないか。
もうひとつ言わせてもらうなら、タバコと違い、ガムは自動販売機で売ってないので、どうしてもスーパーやコンビニまで足を運ばなければならない。
それが面倒だ。
ということで、ガムは却下。

もう一つの候補、それはお茶である。
若い頃、ぼくは何のためにお茶を飲むのかが、よくわからなかった。
食物の喉の通りをよくする潤滑油、もしくはご飯やおかずに合う清涼飲料水、そのくらいの認識しか持ってなかったのだ。
ところがある時期から、お茶にはカテキンというものが入っていて、これが実に体にいいということが言われ出した。
その時からぼくは、お茶を梅干しや納豆と同じく、健康食品の一つに数えるようになった。
そういう一種の薬膳のような食事を、われわれ日本人は伝統的にやってきたことも、それでわかったのだった。
で、カテキンのどこがそんなにいいのか?
それは何と言っても、殺菌効果である。
お茶でのうがいは下手なうがい薬より効果がある、というのは、今や世間の常識になっているくらいだ。

風邪菌をやっつけることが出来るほどの力を持つカテキンだから、虫歯菌なんかはチョロいものだろう。
ということで、このお茶を利用しない手はない。
さらにお茶は、そのへんのうがい薬のようにえぐくなく、仮にそのまま飲み込んでも害もないという利点もある。
食後、お茶でクチュクチュやって、あとはゴックンと飲み込んでもかまわないということだ。
見た目は悪いだろうが、やっている本人からすれば、ただお茶を飲んでいるに過ぎないわけだ。
これなら、ぼくにだって一生続けることが出来る。

もしかしたら、食事の時にお茶を飲むというのは、元々そういう意味があったのかもしれない。
であれば、お茶はモンダミンだったということになる。
きっと歯磨き粉などの出現により、そういうことが忘れられてしまったのだろう。
昔の人は、直感的にお茶の効用を知っていたのだ。
だからこそ、ぼくのような継続性のない人間にも、意識せずに継続出来るようにと、食事の友としたのかもしれない。

ところで、もしその当時にモンダミンがあったとしたら、先人たちはそれを食事の友として利用しただろうか?
きっと、誰もそう思わないだろう。
しかし、納豆を食卓に乗せた先人である。
きっと何らかの方法をとって、食卓に乗せたに違いない。
もしそうなっていたら、われわれ子孫は、今頃、お茶漬けならぬモンダミン漬けを食べていたことだろう。
…何か気持ち悪い。
というより、そんなもの食えるか!

ともあれ、モンダミンに飽きた後は、お茶で歯の健康を保とうと思っている。



2005年02月05日(土) 歯に神経質になっている(上)

歯医者に行きだしてから、ぼくは歯に関して非常に神経質になっている。
まず、爪楊枝を活用するようになった。
歯の隙間に食べかすが詰まっていても、これまでは気にしなかった。
だが、ある人から、それが虫歯の一番の原因だと聞いて、必死に食べかすを取るようになった。
なるほど、歯間の食べかすを取ると気持ちいい。
歯ぐきにもいい刺激になる。
しかし、慣れないせいか、爪楊枝の先にはいつも血が付いている。

さらに、以前はまったくやってなかった就寝前の歯磨きをするようになった。
休みの日には朝も磨かなかったこともあるくらいだから、ぼくにとっては画期的なことだ。
それに加えて、最近は食後にモンダミンでお口クチュクチュやっている。
おかげで口の中は、いつも高原のような爽やかさである。
こういうことを続けていけば、今後歯医者にお世話になることはないだろう。

しかし、そう予定通りに事が運ばないのが人生である。
確かに歯磨きやお口クチュクチュは、それほど時間がかかるものではない。
だから、今のところは苦になっていないのだ。
しかし、ぼくの場合、こういうことを続けていくうちに、「今日一日ぐらい歯を磨かなくても大丈夫だ」とか、「別に虫歯になるようなものは食べてないから、お口クチュクチュしなくてもいいか」ということになってくるのはわかっている。
そして、いつの間にか、何もやらないほうを継続するようになっている。
気がつくと、またもや歯は虫に侵されてしまう。
だけど、面倒だからと、歯医者に行くことをしない。
あげくに、痛みが走るようになり、結局歯医者に行かざるをえなくなる。
歯医者に行けば、いつものように「よくこんなになるまで、放っておきましたねえ」と責められる。
返す言葉を持たないぼくは、歯医者から主導権を奪われることになる。
主導権を奪われた身は惨めである。
勝ち誇った歯医者は、その後、ぼくの口の中を好き勝手にいじり回すようになる。
結局、そこで後悔したぼくは、再び夜の歯磨きを始め、食後のお口クチュクチュを始める。
そして、『こういうことを続けていけば、今後歯医者にお世話になることはないだろう』と考えるようになる。

これでの人生を振り返ると、だいたいこんなことの繰り返しをやってきた。
だから、将来もきっとこんなことをやるだろう。
しかし、こう言うことばかり繰り返していては、今に総入れ歯になってしまう。
ということで、自分の性格や行動パターンに合った、いい虫歯対策方法を探すことにした。



2005年02月04日(金)

 『星』

 最近は星がよく見える
 生まれた時から
 あまり星を見たことがなかったのだが
 最近は本当に星がよく見える
 空がきれいになったのも確かだが
 どうやら
 星を気にする歳になったらしい
 本当に星がよく見える

立春、少しばかり重荷の取れた気分である。
まだまだ寒い日は続くだろうが、これからは確実に暖かくなっていく。
これから3月にかけて、そう梅の花がほころぶ頃が、ぼくの一番好きな季節である。
もちろん夏も好きなのだが、この季節には劣っている。
何が劣っているのかというと、星である。
この時期は空気が澄んでいるせいか、星がくっきりと見えるのだ。
残念ながら、夏はそれがない。

数年前、阿蘇や九重によくドライブに行っていた。
ある日、黒川温泉に行った帰りに阿蘇方面から旧やまなみハイウェイを通って大分方面に向かっていた。
九重を登り、牧ノ戸峠の手前あたりまできた時、えらく星がきれいなのに気がついた。
一つ一つの星が画に描いたようなフラットなものではなく、立体感があふれて生き生きしているのだ。
そこで、その牧ノ戸峠にあるドライブインの前でいったん車を停め、しばらくの間、星を眺めていた。
数分がたち、「さて戻ろうか」と思った時だった。
中天から北に向けて、一筋の光がサッと走っていったのだ。
流れ星である。
ぼくは何度も流れ星を見たことがあるが、この時の流れ星ほどきれいなものはなかった。
それが、ちょうどこの時期だった。

このことがあってからというもの、毎回阿蘇方面にドライブに行くたびに、その道を通ることにした。
が、そういう星には巡り会わなかった。
というより、季節が違うとだめなのである。
春から秋にかけて、空気がよどんでいるせいか、あまり星が見えないのだ。
そこで翌年、再びその星に会うべく、その道を通ったのだが、運悪くその日は曇っていた。
それ以来、ドライブに行くこともなくなったので、そういう星とは出会っていない。

この日記を書きながら、窓から空を眺めてみた。
しかし、ここからだとあまり星は見えない。
やはり、空気のいいところでないとだめなようだ。
そこで、急にドライブがしたくなった。
『別に九重に行かなくても、いなかのほうに行けば、そこそこきれいな星は見れるやろう。うまくいけば、流れ星も見れるかもしれん』と思ったわけだ。
一人で行くのも何だからと思い、テレビを見ながら居眠りしていた嫁ブーを、プチドライブに誘ってみた。
「おい、星見に行くぞ」
「えーっ、今からー?」
「おう」
「もう遅いやん。それに寒いし」
「寒いけこそ、きれいなんやないか」
「また今度にして。眠たい」
そう言って嫁ブーは、布団に潜り込んでしまった。
相変わらず、ロマンのわからん奴である。

ということで、星見は次回行くことにする。



2005年02月03日(木) 節分

【寒波去る】
朝、外に出てみると、息の白さはあいかわらず濃かった
出社時、けっこう着込んで家を出たが、かなり寒く感じた。
車の運転中には、少し雪が降っていた。
ということで、寒波はまだ去ってないのかと思ったものだった。
ところが、会社に着いた頃から晴れ間が広がってきた。
外に出ると、まだ若干の寒さは残っていたが、痛く感じるほどのものではなかった。
昼になるに連れて、体感温度もかなり上昇した。
ようやく寒波も去ったようだ。
そう思うと、ほっとした。
そういえば今日は節分だ。
大寒も今日で終わりなのだ。
明日は立春。
季節は暦通りに動いている。


【風邪が流行っている】
風邪が流行っているという。
うちのパートさんも、先週末から風邪を引いてしい、いまだに休んでいる状態だ。
何でも咳のしすぎで気管支炎になり、それが元で肺炎になりかかっていたそうだ。
今週は寒波到来ということもあって、客の入りも少なく、さほど忙しくはなかった。
そのため、何とか少人数で乗り切ることが出来た。
寒波が去ったこともあり、パートさんは明日から出てくるということで、何とか一安心である。

ところで、この冬ぼくは風邪を引いてない。
ごく最近、鼻水が出たことがあった。
周りに風邪引きが多いので、「ついにうつされたか」思った。
ところが、これは単なる鼻炎だということがわかった。
店と倉庫を行ったり来たりしたせいで、体温の調整がうまくいかず、それで鼻水が出たのだった。

さて、この冬、どうして風邪を引かないのか。
仕事中に、そのことをいろいろと考えていた。
そして、ようやくその答を見いだした。
その答とは、歯医者に通っているということである。

風邪を引けば、当然歯医者に行けなくなる。
歯医者に行けないと、その分歯の治療は長引く。
歯医者通いから早く解放されたいぼくにとって、これは大きな問題である。
だからこそ、ぼくはいつも「絶対に風邪を引くな」と自分に言い聞かせている。
これが好結果に結びついているのだ。

自分に言い聞かせることで、緊張感が生まれ、それなりの対応をするようになった。
まず、家に帰ると必ず手を洗うようにしている。
ラジオで言っていたのだが、手を洗うことは、うがいをするよりも効果があるのだそうだ。
その上でうがいをすれば、効果満点らしい。
さらに鼻の中を洗えば言うことなし、ということだった。
ということで、鼻の中も洗っている。
体が冷えた時には、面倒でも生姜湯を作って飲んでいる。
体を内部から温めるのだ。
知らなかったが、生姜は体を温める効果があるらしい。
また、ちょっとでも寒気を覚えた時は、躊躇せず葛根湯を飲んでいる。
葛根湯は、風邪を引いてしまうとまったく効果がないが、風邪の予防薬としては最強である。
おかげで、気がつけば寒気も吹き飛んでいる。

しかし、こういったことは、風邪の予防としては当たり前のことである。
普段は、こういう当たり前のことが出来ないということだろう。



2005年02月02日(水) 寒波

今季最大と言われている寒波も、今日で3日目である。
こここの寒波の間、ぼくは普段やらない倉庫の整理などをやっている。
倉庫にはもちろん暖房設備などはない。
屋根と壁があるだけで、ほとんど外である。
そのため、さすがに寒い。
だが、そこで長い時間作業をやっていると、だんだん寒さに慣れてくる。
体がいったん慣れると、後は動いた分だけ暑くなる。
最後には上着を脱いだりもしている。
しかし、ちょっとでも暖房の効いた店内に入ると、もうだめである。
すぐに体は、その暖かさになびいてしまう。
そうなると、次に外に出た時にかなり応える。

さて、その倉庫での作業中に、ぼくはこんなことを考えていた。
「この地球上には、年中マイナス数十度の寒さの中にある国もあるが、その国の人がもし日本に来た時、今回の日本の寒さをどう思うのだろうか?
やはり日本人と同じように、寒いと感じるのだろうか?
それとも暖かい、いや暑いと感じるのだろうか?」と。

前にある友人から、こういうことを聞いたことがある。
その友人は大学に在籍していた頃、福岡市内の寮に住んでいた。
その寮に新潟出身の人がいたという。
ある冬の寒い日に、友人がこたつの中で縮こまっていると、その新潟人は「九州は暑い」と言って、半袖一枚になっていたという。

それを聞いた時、ぼくは「なるほど」と思ったのだが、後で考えてみると、どうもしっくりこない。
いくら新潟が福岡より北に位置した豪雪地帯だといっても、同じ日本の中なのである。
寒さの感じ方もさほど変るとは思わない。
であれば、その新潟人は、福岡だからという理由から暑く感じたわけではないだろう。
寒さに対する感覚が、その友人と違っていただけのことなのだ。
もしかしたら、自分が北国育ちであることを自慢したくて、そんな強がりを言ったのかもしれない。

ぼくが東京にいた時、福島喜多方出身の友人がいた。
喜多方は、新潟から山一つ隔てた場所にある。
その友人は、ぼくよりもずっと寒がりだった。
ぼくが寒いと感じる日はもちろん、さほど寒く感じない日でさえ「寒い、寒い」と言っていた。
このことからも、北国育ちだから寒さを感じない、というわけではないことがわかる。

その彼を見て思ったことがある。
それは、寒さに対しての取り組み方が、九州人とは違っていたということだ。
さすがに東北人は、寒さへの対策が充分に出来ている。
九州人は寒ければ、ただジャンバーやコートを羽織るだけで、下半身は無防備な人が多い。
そのため、保温バランスがうまくいかない。
つまり、上半身は温かいが下半身は寒いということになり、全体として寒く感じるのだ。
そのせいで、ぼくのように「冬は苦手」という人が多くなるのだろう。
その点、東北人は下半身部分も、ズボン下をはくなどして、防寒対策を充分にやっている。
そうすることによって、保温バランスをうまく取っているわけだ。
体温がほぼ均一になるから、体に感じる寒さも均一になる。
それで寒さに耐えられるようになるのだろう。

最初の疑問に戻るが、はたして、いつもマイナス数十度の中で生活している人が、今回の日本の寒さに触れた時、「暑い暑い」と言って、半袖と短パンだけで、街を闊歩することが出来るだろうか。
ぜひとも、それを知りたいものである。
しかし、それを確かめるためといって、わざわざ寒いところに赴くことをぼくはしたくない。
なぜなら、ズボン下をはく習慣がないので、保温バランスが取れないからだ。



2005年02月01日(火) 無粋(下)

また競艇のほうは、家の近くだということで、アルバイトをしたことがある。
そこでは、やくざ者とケンカしたり、設備を誤って壊したりと、ろくな思い出がない。
そこを辞める時に、「二度とこんなところに来るか!」と思ったものである。
ということで、それ以来、競艇場には行っていない。
当然、舟券は買ったことがない。

さすがにパチンコだけはやったことがある。
だが、あまり勝った覚えはない。
20代の頃に、電車やバスの時間待ちで時々やっていた。
そのため、勝っている時でも、時間の関係ですぐに止めなければならなかった。
ということで、収支計算してみると、きっとマイナスになるだろう。
ああ、そういえば、東京にいた頃にパチンコ屋で置引きやスリに遭っている。
ということは、負けは確実か。
30代以降は、仕事が終わるのが遅くなったせいもあり、パチンコをすることはなくなった。
もちろん元々興味がないので、休みの日に行くこともない。

ぼくの周りにはパチンコの好きな人が多くいるのだが、よく「昨日は○万円勝った」などと言って自慢している。
おそらく相手は「すごい!」などと褒めてもらいたいのだろうが、興味のないぼくは「ああ、そうですか」と素っ気ないことしか言えない。
もしそこで、「どこで勝ったんですか?」などと目を輝かせて言えば、話も弾むのだが、興味のないことに話を合わせるのも気が進まない。
したがって、その人とは、その程度つき合いでしかなくなる。

誘惑を受けることもある。
「おまえも帰ってから暇やろうが。今はパチンコ屋も遅くまで開いとるんやけ、暇つぶしに行ったらどうか?パチンコの街に住んどるのに、もったいないやないか」
しかし、行かない。
そんな暇があるくらいなら、さっさと日記を書いて、早く寝たほうがいいからだ。

【買う】
何で女遊びすることを、『買う』というのかはわからない。
おそらく赤線の名残なのだろう。
とにかく昔からそういう言い回しになっているので、そう書いておく。
そういえば、ディープ・パープルに、女を買いに行って、そこの娼婦に惚れたという歌がある。
『有名なハードロッカーでも、女を買いに行くのか』と笑ったことがある。
まあ、ここでいう『買う』とは、別に女を買うことを指して言うのではなく、どちらかというと、浮気といった意味合いが強い。

そういう色恋ものというのは、あっさりとは片付かない。
どうしてもズルズルと尾を引くものである。
それがもとで、ストーカー事件に発展したり、訴訟問題に発展したりすることもある。
ぼくは、そんなことに巻き込まれるのはごめんである。

ということで、『買う』だが、ぼくにはそのような気力も、体力も、甲斐性もない。
そんなことに精を出す暇があったら、それこそ、さっさと日記を書いて寝たほうがましである。
しかも、そういうことは秘め事だから、日記のネタには出来ないときている。
つまり『買う』という行為は、日々の生活をすべて日記のネタにしているぼくにとって、自殺行為なのである。


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