君が北国に行くのなら 風が強く吹きつのる国境の町に 一人の女性を訪ねてほしい 彼女はかつて、ぼくの恋人だった人なんだ
もし吹雪の中を行くのなら 夏の遠ざかった町で 彼女が寒い思いをしていないか それを見てきてほしい
長い髪はそのままにしてあるんだろうか 今でも胸の辺りまで伸ばしているんだろうか 教えてほしい ぼくの知っている彼女かどうか
ぼくのことを忘れないでいてくれているんだろうか いつもぼくは彼女のことを祈っている 星もない闇夜の中で 照りつける日差しの中で
だから君が北国に行くのなら 風が強く吹きつのる国境の町に 一人の女性を訪ねてほしい 彼女はかつて、ぼくの恋人だった人なんだ
(ボブ・ディラン『北国の少女』)
いつだったか、店内のBGMにいつもビートルズがかかっているのでもう飽きた、と書いたことがある。 現在、それがどうなっているのか。 ぼくが勝手にチャンネルをいじくって、毎日クラシカル・ロックがかかるようにした。 まあ、これで、時折ビートルズはかかるものの、60〜70年代の洋楽が中心にかかるようになった。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、クリーム、イエス、ザ・バンド…、ぼくが小学校高学年から高校にかけて聞いていた音楽が、毎日ガンガン鳴っているのだ。 おかげで、職場での精神状態は上々である。
会社の裏手に土手がある。 その土手に一本のハゼの木が生えている。 さして大きな木ではない。 ずいぶん前からそこに生えていたのだが、ごく最近までぼくはその存在を意識したことはなかった。
意識しだしたのはこの秋からだった。 Kさんという方が、「ああ、あのハゼの木も色づきだしたね」と言った時、初めてそのハゼの木の存在を意識した。 「そうだった。ハゼも紅葉するんだった。 小学生の頃、裏のハゲ山に一本のハゼの木が生えていたが、そのハゼも秋になると紅葉していた」 そんな記憶が、Kさんの言葉とともに思い出された。 それ以来、ぼくは会社裏のハゼの木を意識するようになった。
確かKさんがハゼのことを口にしたのは11月の頭だった。 徐々に紅くなり始めていったが、「さあこれから」という時に気温が上がった。 そのせいなのか、紅葉はなかなか進まず、今日現在半分程度しか紅葉してない。 このまま紅葉が進むのか、それとも紅葉のまま散ってしまうのか。 この先もこのハゼの木から目が離せない。
ところで、小学生の頃、よく「ハゼ負け」をしたと言っては、白い薬を肌に塗りまくっている子を何人か見かけた。 不思議なことに、ハゼ負けするのはいつも同じ子なのだ。 「そんなにしょっちゅうハゼ負けするくらいなら、ハゼの木に近づかなければいいのに」、とぼくは思っていた。
ずっと後に、当時みんなが「ハゼ負け」と言っていたのは、実はハゼ負けではなくアトピーだということをある人から聞いた。 そういえば、当時ハゼ負けする子の肌は、今でいうアトピーの肌質だった。
その頃、『アトピー』という言葉が一般的ではなかった。 そこで、大人たちは子供の「なぜ、あの人の肌にブツブツがあるのか?」という質問に答えるため、わかりやすく「ハゼ負け」と言っていたのかもしれない。 とはいえ、その頃、その大人たちでさえも『アトピー』という言葉を知らなかったはずだから、本気で『ハゼ負け』と思っていたのかもしれないが。
何ともよく寝た一日だった。 起きていたのが、午前9時〜11時と午後8時〜12時までの6時間だったから、寝ていたのは18時間ということになる。 途中何度も目が覚めた。 そのたびに起きようとは思ったのだが、若干風邪気味だったため、何もやる気が起きなかった。
こんなに寝たのは何年ぶりだろうか。 おそらくここ十年はなかったような気がする。 おかげで腰が痛い。 なるべく腰に負担をかけないように横を向いて寝ていたのだが、それでも腰に重い痛みが走っている。 運動やってもだめ。横になって休めてもだめ。整体してもだめ。 もう、腰は一生治らないのかもしれない。
そういえば、朝昼と何も食べていない。 寝ている時、何度か空腹感に襲われた。 が、それでも食べなかった。 さすがに夜は食べることにした。 夜はカレーだった。 ぼくはカレーに目がないので、ついつい無茶食いしてしまった。 それがいけなかった。 胃が荒れたのだ。 何かもたれるような感じで、それが長い時間続いたのだ。 以前よく寝ていた頃もよくこういうことがあった。 そのため、その頃は夜を少なめにしていた。 だが、何せ久しぶりの寝だめである。 そういうこともすっかり忘れていた。 次に寝だめする時のために、「夜食は控えめに」ということを忘れないでおこう。
ところでこの日記だが、例のごとく翌朝書いている。 あれだけ寝たのだから、朝はすっきりしているのかと言えば、そうではない。 やはり眠たいのだ。 疲れをとるために疲れを作ったわけだから、それもしかたないか。
休みの前の日は、食事の後に突然何も考えられないようになり、そのまま眠ってしまう。 途中目が覚めるのだが、「ああ、明日は休みか」でまた寝てしまう。 きっとぼくの潜在意識が、このサイトを始めてからずっと続いている、寝不足による疲れを取り除こうとしているのだろう。
その潜在意識に甘えて、今日はここで終わることにしよう。
最近またマンガを読み始めた。 主に読んでいるのは、数年前に揃えた手塚治虫ものである。 もちろん数年前に買った時も、これらのマンガは読んでいる。 ところが、久しぶりに読んだせいなのか、歳のせいなのかは知らないが、ほとんどの作品の内容を忘れてしまっているのだ。
そういえば、前に読んだ岡崎二郎のマンガに、こういう話が載っていた。 《ある日、銀河宇宙線の量が急激に増加し始め、高エネルギー粒子の雨が、大気や磁気のバリアーを貫き、大地に降り注いだ。 そのため、ほとんどの生物があっという間に絶滅した。
主人公は放射能の嵐を避けるため、たった一人でシェルターの中で暮らしている。 書庫には何千冊もの本がある。 その本で残りの人生を慰めていくはずだった。
ところが、空調のパッキンが腐食していたため、その書庫は放射能に汚染されてしまった。 もちろん、主人公は書庫に入ることが出来ない。
手元には一冊のSFの『ショートショート』という本があるだけだ。 数ヶ月間、主人公はパソコンのゲームをやって過ごした。 『ショートショート』は最後の楽しみとして読まずにおいた。 主人公はゲームにも飽き、だんだんやけになってきた。
ある日、主人公はついに爆発した。 部屋の中で暴れ出したのだ。 ところが、そのせいで床に落ちたウィスキーのボトルにつまずき、主人公は頭を打ってしまった。
主人公が気がつくと、事態はひどくなっていた。 数時間前のことを覚えていないのだ。 どうやら、脳の中の海馬を傷つけたらしい。 ここを傷つけると、昔の記憶には何の影響も与えないが、短期の記憶に関しては右から左に抜けていくという。
ところが、それが幸いした。 それから、主人公は毎日『ショートショート』を読むようになった。 主人公の頭は、うまい具合に『ショートショート』の三話目の話を読み終える頃に、最初のストーリーを完全に忘れているのだ。》
「毎日、新鮮なストーリーを読むことの出来る私は、大変幸せだ…」というオチで、このマンガは終わっている。 手塚マンガを数年ぶりに読んでいるぼくにも、そういう新鮮な感覚がある。 最近物忘れがひどくなったということもあるし、もしかしたら、知らない間に海馬を傷つけたのかもしれない。
今日も天気予報が外れた。 昨日の天気予報では「晴」だったが、朝から曇天、昼からは雨が降り出す始末だった。
今日、ぼくは家族と、福岡の小京都と言われている秋月に紅葉を見に行く予定にしていた。 天気予報を信じて、それなりの準備をしていた。 ところがいつまでたっても晴れない。 一時は断念しようかとも思った。 しかし、前回も雨で流している。 今日を逃したら、今年の紅葉は見られないままで終わってしまうだろう。 ということで、今日は強行して出かけることにした。
まあ、雨とは言ってもパラつく程度だったので、さして車の運転には影響はなかった。 特に渋滞もなかったので、比較的快適なドライブだったと言える。 ただ、運転出来るのがぼく一人しかいない、という気の重さはあったが。
さて、昼の12時半に家を出て、着いたのは2時半だった。 高速を使っていれば、もう少し早く着いたかもしれない。 が、行き先は県内なので、高速を使うほどのことはないと思い、一般道で行くことにした。
秋月につくと、それまでの曇天や小雨が嘘だったかのように晴れ上がった。 少し雲はかかっていたが、ほとんど快晴と言っていい状態である。 気温のほうだが、秋月は山あいにあるため、風は冷たかったが、日差しの強さが手伝って、あまり寒さは感じなかった。 秋月城趾を散策するには、もってこいの気候だったと言える。
秋月には何度か行っているので、別段感動するような場所はなかった。 また、お目当ての紅葉も、所々色づいてはいるものの、目を奪われるといった風景にはお目にかかれなかった。 「ちょっと遅かったか。この程度なら、家の窓から見える紅葉のほうがまだましだ。わざわざやってくるまでのことはなかった」と少し後悔した。
ところが、この後悔を打ち消すものが現れた。 日照庵というお寺で飼っている猫である。 ぼくは今までいろいろな猫に接してきたが、いつも迷惑がられてばかりいた。 ところが、日照庵の猫はそうではなかった。 ぼくを歓迎してくれたのだ。 その猫たちは、檻の中に飼われていた。 アメリカンショートヘアとペルシャとシャムの3匹である。 ぼくの姿を見つけると、その猫たちは嬉しそうに「ミャーオ」と言いながら、ぼくを手招きして呼んだのだ。 近寄っていくと、檻の網に体をすりつけて喜ぶ。 猫大好き人間のぼくには、このしぐさが可愛くてたまらなかった。 抱くことが出来ないので、網から指を差し出すと、猫たちは首をこすりつけた。 3匹が3匹とも同じしぐさなのだ。 おそらくこの猫たちは、この寺に奉ってある虚空蔵菩薩の化身なのだろう。 おかげで、ぼくの心も癒やされたのだ。
秋月には2時間ほど滞在した。 垂裕神社と、例の日照庵に行ってから、腹が減ったので名物の「くずきり」を食べた。 モチモチしてはいたが、空腹を満たすだけの量はなかった。 このままだと家まで持たないと思い、甘酒を注文しようとした。 が、糖尿恐怖症のため思い直し、漬け物を食べることにした。
店を出ると、辺りは薄暗くなっていた。 5時が近くなっている。 あまり遅くなると困るので、「今日はここまで」ということになった。 その後、また2時間かけて家に戻った。
「宿題をやることはやったんですけど、持ってくるのを忘れました」 小学生の頃、よくこの言い訳を使ったものだ。 家まで歩いて20分近くかかるので、先生も「家に帰って持ってこい」などとは言わなかった。 いつも「じゃあ、明日持ってくるように」と言われたが、持って行ったためしはない。 翌日、先生からの追求もなかったから、おそらく忘れていたのだろう。
ところで、今日の日記である。 日記に関しては、「書くことは書いたのですが…」なんて言い訳はきかないだろう。 正直に「書けませんでした」と言うしかない。
今朝はパターンを変えて、日記を書く前に風呂に入ることにした。 で、今は風呂から上がってきたばかりだ。 今日は長めに入っていたから、体が充分に温もっている。 そのため、今は素っ裸である。 だが、この格好のままでいたら、風邪を引いてしまうだろう。 日記に集中したあげく、体が冷え切ってしまった、という経験はよくある。 特に、今朝のような寒い朝だと体が冷えるまでにそう時間はかからないだろう。 早めに服を着なくては。
そうは言っても、なかなか服を着るタイミングが難しい。 いい文章が浮かんだ時に席を立つと、後で確実に後悔してしまう。 着替えている時に、その文章を忘れまいとして頭の中で反復してても、何かの拍子で忘れてしまうからだ。
そういえば、昔作曲をしていた時もそうだった。 楽譜を書くことなんか出来なかったし、当時は携帯用のテレコなんてなかったし、浮かんだ曲はずっと頭の中で繰り返していたものだ。 まあ、学校帰りならともかくも、行きがけなんかに曲が浮かんだ時は最悪だった。 あれで何曲損をしただろうか。
とにもかくにも、この日記を早く仕上げて、会社に行かなくてはならない。 焦る…。
……………
と、ここまで書いて時間切れだった。 家に帰ってきてから、何か書き足そうと思ったが、別にこれでもいいやと思い、このまま更新することにする。
で、実際に書いている本日(24日)の分はどうするか? また明日書くことにする。
久しぶりに新聞でほほえましい記事を見た。 地元で起こった珍事である。 てっきりローカルニュースだと思っていたら、毎日新聞の関西版あたりにも載っていたというから、おそらく全国版にも載っていたのかもしれない。
いちおうこの珍事を紹介しておくと−
【昨日、福岡県椎田町にある椎田中学体育館の落成式に、数学者の秋山仁氏の講演を予定していた。 ところが実際に来たのは、同じ秋山でも、野球評論家の秋山幸二氏だった。
昨年の2月に秋山仁氏の講演を聴いた校長が感動し、「ぜひ落成式に」と今年の5月、県に仲介を頼んだ。 ところが、県が紹介したのが、運悪く地元放送局スポーツ部の宣伝部長だった。 宣伝部長にしたら、秋山といえばもちろん野球の秋山である。
校長「秋山(仁)先生の講演をお願いします」 宣伝部長「はい、秋山(幸二)先生ですね。了解しました」 おそらくこういうやりとりがあったのだろう。
その後、学校側は秋山仁氏の講演に向けて準備をし、宣伝部長は秋山幸二氏の講演に向けて準備をした。 当日、体育館に「講師 秋山仁」と大書された垂れ幕が下がり、挨拶した町長も「秋山先生のお話をよく聞くように」と生徒を諭していた。 秋山先生の乗った車が到着した。 学校側は最敬礼で秋山先生を出迎えた。 車のドアが開き顔を上げると、そこには秋山仁ではなく秋山幸二がいた。 一瞬誰もが目を疑っただろう。
教頭は真っ青な顔をして「大変なことになりました」と校長に耳打ちしたという。 校長は事態がつかめないまま控室に走り、秋山幸二氏に謝罪し、代打講演を依頼した。
一番驚いたのは、秋山仁氏の登場を待つ生徒達だった。 おそらく、大半の生徒は「数学者の話なんかつまらん」と思っていただろう。 社会人であるぼくでもそう思う。 ところが、壇上に立ったのは昨年までダイエーホークスにいたスター選手。 生徒達は驚くと共に、大歓声で出迎えた。 講演後の質疑応答も、「小久保問題」などで大いに盛り上がったという。 校長は「大失態のはずが、結果は大ホームランでした」と胸をなで下ろしたという。】
ケガの功名的な事件である。 校長以外は、実に有意義な時間を過ごしたことだろう。 生徒達にとっては、一生の思い出になるかもしれない。 実にうらやましい話である。
ぼくの行っている床屋にはトイレがない。 床屋とそこの先生の家とは繋がっているので、いよいよトイレに行きたくなった時は、先生の家のトイレを借りることは出来る。 しかし、そこに行くためにはいったん外に出て、先生の家の玄関から入らなくてはならない。 他人の家に入る。 これがぼくは苦手なのだ。
ぼくは営業関係の仕事に就いているため、他人の家に上がり込むこともたまにはある。 基本的には嫌なのだが、その時はこれも仕事と割り切っている。 しかし、仕事でもないのに他人の家に上がり込むのというのは苦痛以外の何物でもない。 親しい人の家、いや親戚の家に上がり込むのでさえ嫌である。 もしどうしてもそういった家に行かなければならない場合は、なるべく玄関先で用事を済ませることにしているのだ。
しかも床屋の場合、髪を切っている途中に行くこともあるわけだ。 運が悪ければ、ヘンテコリンな髪型になっていることもあるかもしれない。 そういう髪型の時、外に出るのは悲惨である。 床屋の前の通りは、わりと人通りの多いところだから、誰に見られるかもわからない。
と、そういった諸事情があるために、床屋に行く時は、必ずトイレをすませてから家を出るようにしている。 また、途中でトイレに行きたくなっても我慢することにしている。
さて、今朝のこと。 顔を洗ってから、いつものようにトイレに入った。 ところが、である。 昨晩の体の冷えは治まり、鼻水も止まっていたのだが、その冷えの影響か、少し腹が痛くなっていた。 そのため、下痢といったほどではないが少し便が軟らかい。 終わった後も腹の痛みが治まらない。 そこでもう一度トイレに駆け込んだ。 軟らかい便が、また出てきた。 そこでしばらく座っていると、何とか腹の痛みも治まってきた。 これで床屋に行ける。と、ぼくは家を出た。
床屋は家から歩いて5分のところにある。 ところが、今日はあいにく冷たい風が吹いていた。 ぼくは嫌な予感がした。 そのとたん、また腹が痛くなった。 冷たい風が腹を襲ったのだ。 しかし、もう引き返せない。 しかたなくぼくは、床屋への道を急いだ。
床屋のイスに座ってからしばらくの間、ぼくは腹の上に手を当て腹の痛みに耐えていた。 すると手の温もりがよかったのか、見る見る腹の痛みが治まっていった。 「よかった」と思った。 が、甘かった。 今度は小便がしたくなった。 こればかりは、手を当てようがどうしようが治しようがない。
「すいません。トイレ」と言えば天国である。 が、ぼくは前に記したように、こういう場合は我慢するようにしている。 そこで地獄が始まった。
まず「小便にとらわれず、他のことを考えよう」と思ったが、こういう時に限って、小便以外のことが考えられない。 「小便という言葉を、頭の中から消そう」と努力してもだめだった。 それどころか、忘れていた、小便にまつわる過去のことを思い出す始末だ。
中学生の頃、特急バスに乗って山口県の秋吉台に行ったことがある。 その時、バスの中で急に小便がしたくなったのだ。 貸し切りバスなら、言えばそれなりのところに停まってくれるだろうが、いかんせん特急とはいえ路線バスである。 しかたなく我慢を決め込んだ。 脂汗をかきながら必死に耐えた2時間だった。 それ以来「もうこんな思いはしたくない」と思ったものである。
が、今またそういう思いをしている。 「人間とは何と成長しない生物なんだ。ああ、ションベンしたい…」 苦闘1時間半だった。 ようやく終わった。 ぼくは床屋を出ると、急ぎ足で家に向かった。
ところが、家に着くと、それまであんなにしたかったのに、まったくしたいとは思わない。 いちおうトイレには入ったが、出る量も少しである。 これはどうしたことだろう。 もしかしたら、ぼくは床屋で緊張していたのかもしれない。
空腹を避けようと、目一杯飯を食ったのが間違いの元だった。 腹はパンパンになり、しばらく動けなかった。 何とか治まって、パソコンの前に座ったのだが、またもや超満腹感が腹の中を漂った。
とにかくこの状況を打開しなければならない。 「胃薬胃薬」と一人で大騒ぎしていた。 ところが、買い置きしていた胃薬が見当たらない。 家の中はもちろん、ベランダ倉庫の中まで探したが見当たらない。 もう午後11時を過ぎている。 この時間、もうどこのドラッグストアも開いてない。 コンビニに行けば液キャベくらいは置いているだろうが、そこまで歩いて行く気にもならない。 というわけで、もう一度横になることにした。
・・・と、気がつけばもう午前4時である。 腹具合は治まったものの、体が冷え切ってしまい、起きあがると鼻水がタラタラと垂れだすしまつだった。 翌朝は床屋に行かなければならないのに、この状態ではまた行けなくなってしまう。
実は、先週の金曜日に床屋に行くつもりだったのだが、先日お話ししたとおり、鼻毛を抜いた跡が化膿し、えらの下のリンパが腫れ上がったために、床屋に行けなかった。 うんざりするほど前髪が伸びているので、一刻も早く床屋に行きたかったのに。
ということで、何とか鼻のほうも治ったようなので、明日床屋に行くつもりにしていたのだ。 しかし、鼻水を垂らして床屋に行くのも気が引ける。 「これは何とかしなければ」と思い、ぼくは胃薬を探す時見つけていた葛根湯を飲み、布団の中に潜り込んだ。
朝、どうやら鼻水は治まっていた。 これで何とか床屋に行ける。
朝起きて、パソコンを開き、スポーツ新聞のサイトを見、前日の日記を書き、風呂に入り、それから出勤している。 どうしても日記を書く時間が少なくなってしまうため、中途半端な日記に仕上がってしまう。 かといって「日記を書いていたので遅刻しました」なんて言い訳にもならない。 さて、この状況をどう妥協しようか? それが今の懸案事項である。
夜に日記を書ければ問題ないのだが、最近は食事の後ちょっと横になっていると、そのまま眠っていることが多い。 気がつけば2時3時である。 もはや何もする気が起きない。
仮に食事の後無理してパソコンに向かったとしよう。 やはり眠ってしまうだろう。 イスに座って寝るのだから、当然体に無理がかかり、節々が痛くなるだけ損をする。 まあ、眠い目をこすりながらパソコンに向かっても、何を書いているのかわからなくなってしまう。
ということで、食事後すぐに眠るという習慣を何とかするか、もしくは他の時間帯に日記を書くかしないと、今の状況は打開出来ないということになる。 とはいえ焦ったってしかたない。 そのうちいい方法が見つかるだろう。
さて、風呂に入ってきますか。
なぜか晩飯後に腹が減る。 以前は酒と肴だけで充分だった。 ところが最近は、それ以外にご飯を2杯食べている。 それでも腹が減るのだ。
食べてからちょうど1時間後にピークとなる。 この空腹に耐えきれなくなり、つい間食をしてしまうのだが、それでも空腹は収まらない。 食欲のない時は「病気か?」などと聞かれるが、食欲旺盛の時は何と聞かれるのだろう。 これもまた「病気か?」なのだろうか。
しかたなくコンビニに走り、パンとコーヒー牛乳を買ってきた。 何とか収まったものの、またしばらくすると腹が減ってくるんだろうなあ。
ぼくが小学生の頃、八幡製鉄創業の日である11月18日は学校が休みだった。 その日を中日とした3日間、八幡製鉄所が主体となって起業祭という祭を行っていた。 目玉は何と言っても八幡製鉄所の工場見学で、当時は一般の人が工場を見学することが出来なかったから、この工場見学は貴重であった。 学校が休みだったのは、この工場見学をさせるという意図があったのかも知れない。
街はというと、普通の祭と変らない縁日風景。 メインステージに有名な歌手が来て歌い、サーカスやモーターショーといったイベントが祭を盛り上げていた。 そこに多くの市民が集まっていた。
さて、その頃は何故か寒かった。 ぼくは毎年行っていたのだが、いつも雪が降っていたような記憶がある。 いや、正しくは雪が降らない時もあった。 が、かなり厚着をして起業祭に行っていたものだ。
これはぼくだけの記憶ではなく、多くの人がそういう記憶を持っている。 「昔、起業祭は雪が降っとったもんね」 今でも、よく聞く言葉である。 それだけ昔は寒かった。 また、それだけ今は暖かいということだ。 これも地球温暖化のせいなのだろうか。
ところで、現在この祭は11月3日前後に行われている。 祭の名前も『八幡製鉄起業祭』から『まつり起業祭』と変わり、主催者も民間の手に移った。 文化の日を利用しているので、起業祭単独で学校が休みになることもなくなった。 おまけに寒くもなくなった。 今夜、ぼくは半袖を着てコンビニに行ったのだが、それでも寒くはなかった。
11月3日の小久保事件勃発以来、ぼくはホークス情報No.1の地元紙『西スポ』や、連日高塚球団社長を糾弾し続けた『スポニチ』などのスポーツ新聞、その件について書かれている週刊誌などを読みあさった。 毎週やっている、地元のスポーツワイドショーを見て、もっと詳しい情報を得ようともした。 また、公式掲示板や2ちゃんねるなどを見ることもあった。 そうやって、ぼくなりに小久保事件の真相を追求したきた。 しかし、結局わからなかった。 もちろん、その事件の大まかな流れだけはわかったのだが、そこにある人間関係や感情といったものが、「たぶんこういったことであろう」という憶測でしか見えてこなかった。
何故ぼくがこの問題に対して、これほど興味を見せるのかというと、もちろんそこに、球団のことは何でも知っておきたいというファン心理が働いているのは否めない。 しかし、それ以上に重要だったのは、昨年までの選手会長だった小久保が球団社長に噛みつき、その結果、疎まれて他球団に流出されたという記事を最初に読んだからだった。 かつてトップに言いたいことを言って左遷の憂き目に遭ったことのあるぼくにとって、この問題は他人事には思えなかったのだ。 その時小久保はどういう発言をし、どういう行動に出たのか。 また球団社長はそういう小久保に対し、どういう態度で接していたのか。 そのへんを一番知りたかった。
そういうおり、その小久保事件に対して、ついに選手会が立ち上がった。 選手会長松中の一連の発言の中に、「社長は真相を説明しろ」という要求があり、これで少しは真相が見えてくると期待した。 ところが、当初はV旅行ボイコット発言をするなど威勢がよかった松中も、昨日のトップとの話し合いで、急にトーンダウンしてしまった。 このため、海千山千のトップのほうが一枚も二枚も役者が上だった、という印象を与える結果になってしまった。 現場音痴のトップが君臨する企業に対して、現場がどこまでメスを入れていくか、ぼくには実に興味のあることだったのだが、残念でならない。
しかし、この小久保事件ではっきりしたことがある。 それは、ぼくたちホークスファンは、あくまでもホークスという球団及びそこにいる監督や選手のファンであって、(株)福岡ダイエーホークスという会社のファンではないということだ。 会社側は、このへんをはき違えている。 だから看板選手を無償でトレードするといった、不透明なことを平気でやるのだ。 しかし、こういうことばかりやっていると、今にしっぺ返しを喰らうことになる。 現に「ダイエーは速やかに球団売却を!」「高塚球団社長の辞職要求」といったネット署名が始まっている。 一部でダイエー不買運動も始まっているという。 また、「来季はドームに行かない」という人も増えている。 草の根運動も、いつかは大きな力になるというのを会社側は覚えておいたほうがいいだろう。
昨日、夕方風呂に入ったのだが、その時頭を洗い、そのまま乾かさずに外に出た。 おかげで少し風邪気味である。 昨夜のどが痛かったのも、きっとそのせいだろう。
朝起きたら、頭の中央付近に卵大の頭痛の種があった。 「やっぱり風邪か。しかも今日は頭痛か」 そう思うと気が重くなった。 案の定、夕方には頭が割れるように痛かった。
そういう時に限って、電話がよくかかる。 問い合わせが主だったので救われたが、これがクレームならたまらなかっただろう。
そういえば、この間鼻毛を抜いたと言ったが、そのせいだろうか、鼻の中が炎症を起こしている。 首のリンパが腫れているのもきっとそのせいだろう。
ということで、今日は微熱、頭痛、鼻痛と、さんざんな一日だった。 こういう日は早く寝るに限る。
はい、おやすみなさい。
2003年11月14日(金) |
『LET IT BE...NAKED』 |
昨日、会社の帰りにCDショップに行って、ビートルズの最新(?)アルバム『LET IT BE...NAKED』を買った。 昔から、フィル・スペクターが手を加えていないオリジナル音源を聴きたいと思っていた。 ようやくその希望が、このアルバムによって叶えられわけだ。
さっそく聴きながら帰ったのだが、「これが本当に34年前に録音されたものなのだろうか?」と驚いた。 それほどの音が良いのだ。 これは、以前レーザーディスクで映画『HELP』を見た時の、映像の美しさへの驚きと同じものがあった。
今日は多くのラジオ番組でこのCDを取り上げていた。 中には、全曲流す番組さえあった。 その番組で言っていたが、このCDを発売するのに先だって試聴会が行われたのだそうだが、その模様を何とNHKがニュースで流していたという。 普通のミュージシャンが、CDを発表してもニュースで流れることは決してない。 これもビートルズならでは、ということなのだろう。
しかし、このCD、昨日買っておいて本当によかった。 これもラジオで言っていたが、もうどこのCDショップでも売り切れになっているそうだ。
夕方、友人のオナカ君がやってきて、いつものように馬鹿話をしていった。 その話の中で出てきたのが、先月の同窓会で出た「同窓会に女子を呼ぼう」という話だった。 ぼくが「あれから、あの話はどうなったんか?」と聞くと、オナカ君は「おれが知るか。言い出しっぺに聞け」と言う。
ということで、ぼくたちは言い出しっぺのR君に電話をかけた。 R君は開口一番「何の話?」と言った。 完全に忘れていたようだ。 そこでオナカ君とぼくは、あの時R君がそういう発言をしたことを本人に思い出させ、次回の女子参加工作をしぶしぶ約束させた。
電話が終った後、ぼくはオナカ君に聞いた。 「女子ち言うたって、居所知っとるのN子しかおらんやろ」 「おう」 「じゃあ、一人しか来んということか」 「心配せんでも、他の女子にN子が声をかけるやろ」 「でもよ、おれたちの歳からすれば、まともに結婚した奴の子供はもう大学か高校やろ。そういう奴が来るとは考えられん。来るのは独身者かバツイチやないんか?」 「おれたちもあんまり変らんやないか」 「しかし、今からやったら女子集めるのに時間がかかるかもしれんのう。何なら、その前にぜんぜん知らん主婦グループとコンパでもしてみようか?」 「それもいいのう」 「その時、『そちらはどういう集まりですか?』と聞かれたら、『独身とバツイチと中途半端な妻帯者の集まりで〜す』と答えないけんのう」
ぼくたちの飲み会メンバーというのは、もちろん高校の同級生である。 しかし、そのメンバーの中に、世間一般でいうまともな家庭を持っている者は一人もいない。 メンバーは、何故か独身かバツイチか半独身的な中途半端な妻帯者のどれかに当てはまるのだ。 ちなみに、中途半端な妻帯者というのは、ぼくとオナカ君のことである。
そろそろ年末になる。 忘年会などの予定も入っているが、ぼくは何を置いても女子との同窓会を優先するつもりである。 そういうことなので、幹事さんには早めの同窓会準備をお願いしたい。(おれは幹事せんぞ!)
朝、駐車場でエンジンをかけていた時だった。 すぐ近くで「キーッ、ガシャ!!」という音が聞こえた。 車から降りて見に行くと、駐車場出口の前でワゴン車が軽自動車に追突していた。 そう大した事故ではなく、軽の後ろのバンパーが軽くへこんでいるくらいで、修理代10万円前後といったところだろう。 そのおかげで、駐車場の出口は塞がれてしまい、ぼくは車を動かすことが出来なくなった。 おまけに道は渋滞してしまった。 車の中で待っていてもしかたがないので、事故の成り行きを見ようと、ぼくは車を降りた。
ぼくが見に行った時には、すでにワゴン車を運転していた作業服の男が外に出ていた。 ところが、軽の運転手がなかなか出てこない。 ワゴン男が相手の損傷を確認している時、軽男は腰を屈め、足を引きずるようにして出てきた。 いかにも追突のショックでそうなったかのようである。 しかし、車の損傷から見ても、体に影響を与えるほどの事故ではない。
「どうなるものか」と二人の様子を見ていたが、名刺を渡したり、お互いの車を見ているばかりだった。 そうこうしているうちに警察がやってきた。 そのとたんに、軽男の腰がまっすぐに伸びたのだ。 そして警察の質問にハキハキと答えている。 いったいあの事故後の姿は何だったのだろう。
警察はとりあえず車を移動させた。 おかげで、前の道の渋滞は解消され、ようやくぼくも車を動かすことが出来た。 しかし、会社には10分遅刻してしまった。
先月の末だったが、早々と灯油を買いに行った。 いつ寒さが来てもいいようにと思ってのことだ。 ところが、先週までけっこう暖かい日が続いたせいで、まだ灯油缶を一度も開けていない。 しかも、肝心のストーブがベランダ倉庫で眠ったままである。 何日か前から、出そうと思っていたのだが、何となく面倒で後日送りになっていたのだ。
さて、今日は天気がよければ、家族総出で紅葉を見に行こうと思っていた。 しかし、今にも降り出しそうな空を見て、行くことを断念した。 しかたなく、今日は一日家でゴロゴロすることにした。
昼頃だったろうか。 雨が降り出してから、急に家の中が冷え込んできた。 特に足元が冷えてたまらない。 「そろそろストーブを出すか」 ぼくは、いよいよ冬支度の決心をした。
ところが、決心した時間帯が悪かった。 ちょうど横殴りの雨が、窓を激しく叩きつけている時だったのだ。 窓を開けることも出来ない。 「しかたない。雨が小降りになってから出すか」 そう思ったのが運の尽きだった。 その後決心が薄れてしまい、今日のストーブ出しは、また後日送りになってしまった。
ということで、ストーブは今日も倉庫の中に眠ったままである。 いつになったら、我が家は冬支度が出来るのだろうか。
何気なく鼻の下を触っていたら、一本の鼻毛が指に触れた。 「後で切ろう」と思い、鼻の中に押し入れおいた。 ところがすぐに下に降りて来た。 何度かこの作業を繰り返してみたが、埒が明かない。 その都度、鼻毛は反発するようにお目見えする。 そこでついに「今ここで切ってしまおう」と思いたった。 ところが、運悪く身近にハサミが見当たらない。
たかだか一本のことだから、切ることが出来ないのなら抜けばいいじゃかと思うだろう。 が、ぼくの場合「抜く」という行為が問題なのだ。 元々鼻の中の皮膚が強いほうではないぼくは、過去に鼻毛を抜いて炎症を起こたことが何度もある。 そのため、気になる鼻毛があっても、いつもその記憶が蘇り、抜くことを躊躇してしまうのだ。
とはいうものの、このしつこい鼻毛だけは退治しないと気が済まない。 そこで、恐怖心を振り払って抜くことにした。 幸い周りには誰もいない。 鼻からはみ出した鼻毛を指で摘み、一気に引き抜いた。 「!!!」 引き抜いた鼻毛を見て、ぼくは驚いてしまった。 どう見ても3センチはある。 しかも白毛。 こんなに長い鼻毛を見るのは、初めてのことだ。 「今日まで、この鼻毛はどこをどう這い回っていたのだろう」 自ずとそういう疑問が沸いてきた。 何せぼくは、毎朝鼻毛をチェックしているのだから。
なぜ、ぼくがそれほどまでして鼻毛を気にしているのかといえば、鼻毛でその人のイメージがガラッと変ることもあるからだ。 高校時代、他のクラスに美人と噂されている人がいた。 その噂を聞いて、ぼくもそのクラスに見に行ったことがある。 確かに顔立ちがよく、美人と噂されるのも頷けた。 ある日のこと。 廊下でその子とすれ違ったことがある。 その時、ぼくはその子の鼻から一本の鼻毛が出ているのに気がついた。 その人がきれいだっただけに、ぼくはかなりのショックを受けてしまった。 それ以来、ぼくはその子をきれいだとは思わなくなった。 そういう経緯があるため、ぼくは鼻毛を気にするのだ。
しかし、この鼻毛はどこをどう這い回っていたのだろう。 最近よくくしゃみが出るが、案外この鼻毛が原因だったのかもしれない。 ということは、鼻のかなり上の方に潜り込んで、粘膜を刺激していたわけか。
「さて、この鼻毛をどうしようか」 「こういう記念物のような鼻毛にお目にかかるのは、今回が最初で最後かもしれん」 「保存しておこうかなあ」 そんなことを考えている時、電話がかかった。 受話器を取った瞬間だった。 指で摘んでいた鼻毛は、床に落ちてしまった。 電話が終わった後で探してみたが、何せ床と同系色の白毛である。どこに行ったのかわからない。 しばらく探していたが、ふと「何と馬鹿らしいことをやっているんだろう」と思い、やめることにした。
2003年11月10日、今日は妙に鼻毛が気になる一日だった。
昨日は誕生日だったのだが、当の本人がそのことを忘れていた。 人からメールをもらって、初めてそのことに気がづく始末だった。 ぼくは、元々誕生日というのもに特別な感情を持ってはいない。 最近は一つ年を重ねたということさえ意味を持たないと思っている。 これも歳からくるものなのだろうか。
しかし、この1年はあっという間に過ぎた。 この1年の日記を読み返してみると、実にいろいろなことを書いている。 ところが、今となってはそれを書いたことすら忘れてしまっている。 若い頃の1年というのは、それはそれは長く感じる。 歳をとるにつれ、だんだん1年が短く感じられるようになってくる。 それは物忘れの度合いと正比例しているのだ。 つまり「あっという間」というのは、忘却の度合いだということにある。 歳をとれば、月日の経つのが早く感じるのももっともなことである。 とはいえ、一日の時間が、妙に長く感じるのはなぜなのだろうか。 たいがい一日の出来事も忘れているとは思うのだが。
我々サラリーマンの世界では、家を建てたりマンションを購入したりした後で、何故か転勤になることが多い。 今ぼくが勤めている会社は、市外に支店などを持ってないのでそういうことはないのだが、前の会社は全国に展開していたのではよくそんなことがあった。
ぼくがまだ前の会社にいた頃、一人の課長がいた。 その課長は広島出身だったのだが、定年まで後5年を切った頃に、北九州に骨を埋めようと決心し、小倉にある高級住宅地に家を建てた。 ところが、その1年後、広島転勤を言い渡され、泣く泣く家を手放したそうだ。
また、ぼくの同期で、結婚してまもなくマンションを購入した男がいたが、その男も、前出の課長と同じく、1年後に関東に飛ばされている。
某社営業マンの話。 その人は、東京本社で華々しい活躍をしていた。 ところが、彼は本社勤務をあまり喜んでいなかった。 彼は何故か福岡支店行きを強く希望していた。 東京で何年か勤めた後、念願かなって福岡に赴任することが出来た。 喜んだ彼は、赴任すると、さっそく高級マンションを購入した。 ところが翌年、再び東京本社行きの辞令を受けたという。
以上のようなことは、我々サラリーマンだけのことかと思っていたが、そういうことがスポーツ界でもあることを、今回の小久保の事件で知った。 昨日も言ったとおり、彼は一軒家を1ヶ月前に買ったばかりだった。 工藤の時も、マンションを購入した直後のことだった。 そういえば、それ以前にも同じことがあった。 後に阪神に行った佐々木誠だ。 彼は福岡市内に家を建築している最中に、西武秋山との交換トレードとなった。
家を購入すると、転勤の憂き目にあう。 これはいったいどういうことなのだろうか。 偶然にそうなったのだろうか。 それにしてはかなり多くの人が、そういう目に遭っている。
もしかしたら、日本には土地や家を持つと、妬む神がいるのかもしれない。 現在の日本人は、そのほとんどが征服民の子孫である。 征服民、つまり土地に対してどん欲な民のことだ。 土地に対してどん欲ということは、他人が土地を持つことに対して妬みを持っていたということだ。 日本人は、昔から先祖を神として崇めているから、そういう他人の土地に妬みを持っている先祖が神になっている、というわけだ。 もしかしたら、そういう神が会社などで人事権を持つ人に取り憑いているのかもしれない。 ということは、人事権を持つ人は、霊などに取り憑かれやすい凡庸な人はではだめで、人格や霊格が伴っている人が好ましいということになる。 ところが、なかなかそういう格の高い人が人事に携わることはない。 人事に携わる人というのは、大方がめつく凡庸な人が多い。 こういう人こそ、妬みの神の格好の獲物である。 だから、我々下っ端は、泣きを見ることになるのだろう。
2003年11月07日(金) |
小久保事件、地元紙より |
実は、今日は別の話題で行こうかと思ったのだが、地元紙の西日本新聞や西スポに興味深い話が載っていたので、これはぜひ書いておこうと思い、今日も小久保事件の続きを書くことにした。。
西日本新聞によると、小久保選手はわずか1ヶ月前に福岡市内に一軒家を購入していたという。 それだけ福岡に愛着があったという証拠である。 そういう選手が好きこのんで、巨人に行くことを希望するだろうか。 まあ、不動産収入を得ようと思っていたのなら別であるが、年収が2億もあるプロ野球選手が、そういう田舎のじいさんばあさんがやっている小遣い稼ぎのようなことをするとは考えられない。 やはり彼は、常々言っていたとおり生涯ホークスを貫きたかったのだろう。 ということは、やはり球団社長の高塚氏と小久保選手との確執にあったと考えるのが自然ということになる。
西スポによると、ダイエーの球団社長高塚氏は、部下に自分のことを「将軍さま」と呼ばせているほどの、かなりワンマンな人物ということだ。 5日の日記に、彼は試合中選手にサインをねだったり、自分の女を試合後のベンチに連れてきたりしたと書いたが、そのほかにもいろいろと常識外のことをやっているらしい。 勝った試合の後に選手や関係者がハイタッチをやっているが、そのハイタッチにチームとはまったく関係のない彼の知人を参加させたこともあるという。 また、今日ラジオで言っていたが、ホークスの試合前のグラウンドには、かなり多くの人が集まっているらしい。 マスコミやその筋の人はもちろんだが、それ以外の人がかなり多くいるというのだ。 実は、それも高塚氏の知人だという。 そういう人たちが練習の妨げになるということは、言うまでもないだろう。
ところが、こういう常識外のことを平気でする「将軍さま」に、抗議するような部下は一人もいない。 そこで、腹に据えかねた当時の選手会長小久保が抗議した。 そういう小久保の態度を、高塚氏は快く思っていなかった。 その仕打ちが、昨年の減俸であり、オープン戦の小久保のケガを公傷扱いにしなかった態度である。
では、オーナーはどうなのかというと、これがまた情けない。 自分の地位をダイエー本社から守ってくれた経緯もあって、完全に高塚氏に首根っこを押さえられた状態にあるというのだ。 高塚氏から「私と小久保のどちらを選ぶんだ」と究極の選択を迫られたオーナーは、結局自分の保身を選んだ。 その結果が小久保無償トレードである。
小久保事件の2日後、社員総会を開いたらしいのだが、その席上でオーナーは「小久保が巨人に行ったのは本人の希望。私がかなえてやった。それなのに感謝の言葉もない」とのたまったという。 オーナーの言動はテープに録られ、高塚氏にチェックされているというから、本心で言ったのではないのかもしれないが、こういうオーナーの言葉は、逐次選手の耳にも入っていく。 ただでさえ、小久保事件で動揺しているのに、こんなことを言ったとなると、ますます球団と選手の溝が深まっていくばかりだ。 昨日、オーナーはホークスの宮崎キャンプを視察に行ったらしい。 選手・スタッフは誰一人挨拶をしなかったという。 また、本日オーナーは、選手に小久保事件の説明をした。 だが、みな顔をこわばらせたままだったという。
このままでは西鉄ライオンズの二の舞である。 昔、福岡に史上最強軍団と謳われた「西鉄ライオンズ」という球団があった。 しかし、黒い霧事件をきっかけに球団は移転してしまった。 今、福岡に史上最強軍団と謳われようとしている「福岡ダイエーホークス」という球団がある。 しかし、「将軍さま」と呼ばれるワンマン社長と、無力なオーナーによって葬られようとしている。
明日と明後日、博多駅でオーナーと球団社長の解任を求める署名活動が行われるらしい。
あいかわらず小久保事件のことを考えている。 ぼくがなぜこの事件を気にするのかといえば、このことが引き金になって、主力選手が放出されるのを恐れるからである。
かつてこの福岡には、今や伝説となっている西鉄ライオンズというプロ野球チームがあった。 昭和30年代には、ダイエーの前身である南海や巨人と数々の名勝負を繰り返してきた。 そのチームが弱くなり、あげくに所沢移転という悪夢にまで発展したそもそもの原因が、昭和44年に起きた「黒い霧事件」である。 翌年、当時のエースであった池永を始め、与田や田中といった主力選手が球界を追放され、その責任を取って中西監督が球団を去った。
その後を受けて稲尾が監督を務めたが、主力選手を抜かれた痛手は大きく、加藤初や東尾といういい選手が育ったものの、チームはずっと低迷が続いた。 挙げ句の果てに球団は身売りとなった。 「太平洋クラブ」とか「クラウンライター」とかいう馴染みのない名前の企業が買い取ったものの長続きせず、昭和53年西武にすべてを持って行かれてしまった。 池永選手らの永久追放から西武身売りまで、わずか8年である。
ぼくたち九州人は、そういう悪夢のような経験をしてきている。 そのため、主力選手がいなくなると、プロ野球チームがなくなるのではないかという不安に怯えてしまうのだ。 先日地元の福岡銀行が、ダイエーの福岡事業支援を前向き検討すると表明したが、その条件の一番目に「球団が福岡に存続し続ける」をあげた。 もちろんプロ球団があるとないでは、経済効果がまったく違ってくるから、福銀は球団存続を条件に出したのだろうが、そこには「ああいう辛い思いを二度としたくない」という気持ちが少しは働いているのだと思う。
ぼくのような無力なファンは、ホークスのために何もやってあげることが出来ない。 せめて、福岡銀行に「頑張ってくれ」と祈るだけである。 あの悪夢を再び繰り返さないためにも…。
2003年11月05日(水) |
続・小久保、無償トレード |
小久保の件は今日もわからなかった。 今日FA宣言した村松が、「球団はまちがってない」とか「ファンに誤解されている」などという発言をしたらしいが、この発言の意味するところは何なのだろうか。 謎は深まるばかりである。
今年のストーブリーグは、近鉄のタフィ・ローズや阪神の下柳の移籍など、例年になく話題満載である。 そういう話題に押されて、小久保のこともいつしか風化してしまうことだろう。 だが、今回の事件を曖昧なままで終わらせてはならない。 昨日1000件近い苦情の電話が球団に寄せられたそうだが、ファンは真相を明らかにするまで、球団を追求すべきである。
さて、小久保の件はわからなかったと言ったのだが、その他の部分でわかったこともある。 それは、ダイエーの球団社長である高塚氏のことだ。 彼は現場でかなり非常識なことをやっているというのだ。 例えば、試合中選手にサインをねだったり、女性同伴でベンチに入ったりしたことがあったという。 工藤(現巨人)に、「君の登板の日にはお客が少ない」と言ったのも彼だったし、小久保に「グッズの売上げが少ない」と言ったのも彼である。
また、iモードの球団公式サイトである『ホークスTOWN』では、ちゃっかり自著の宣伝までしている。 普通、ファンを対象としたサイトに、野球とはまったく関係のない雇われ社長の著書なんかは紹介しないだろう。 確かにいろいろな企業の再建に参加し成功させた人なのだろうが、そういう自慢話は自分のサイトか経済界のサイトででもすればいい。 純粋に野球が好きなファンには、まったく関係のない話である。
今回の騒動によって、再び読売オーナーの球界私物化が取りざたされた形になったが、この高塚氏の球団私物化も明らかになったようだ。
2003年11月04日(火) |
小久保、無償トレード |
11月3日午前10時過ぎ、テレビでニュース速報が流れた。 そこにあったのは、「ダイエーホークス小久保裕紀選手、巨人にトレード」という文字だった。
それから30分の間に、ホークスファンの同志から5件のメールと1件の電話が入った。 ぼくとしては、ニュース速報のテロップしか見ていなかったので、何ともコメントのしようがなかった。
まだ、昼のニュースまでには30分以上の時間がある。 何とかして情報がつかめないかと思ったぼくは、iモードの新聞サイトを開いてみた。 だが、新聞サイトは「小久保トレード」の速報は見ることができるのだが、詳細を見るためには有料登録をしなければならない。 しかたなく、そこを諦めて、地元の放送局のサイトを調べてみた。 しかし、そこに書いてあったのは速報だけで、詳細はなかった。
お昼のニュースまで、ぼくはトレードについて考えていた。 「トレードということだから、当然巨人から小久保クラスの人材が来るんだろう。いったい、それは誰? ああ、金銭トレードというのもあった。球団は経営難だから、そういうこともあり得るなあ」
そうこうしているうちに、昼のニュースが始まった。 ぼくはTBS系のベストタイムを見たのだが、そのニュースは福留さんの「こんなことがあるんでしょうか」というコメントで始まった。
ニュースでは、ダイエー中内オーナーと小久保選手の記者会見の模様を流していた。 何故かオーナーは涙を流している。 横でしっかりと前を向いている小久保選手とは対照的である。 そのオーナの口から、思いも寄らぬ言葉を聞いた。 「無償で…」
無償ということは「ただ」である。 ただで主力選手を放出出来るほど、ダイエー球団には余裕はないはずだ。 それなのに、何故? まさか、自由契約と同じような措置をとらなければならないほど、小久保選手の怪我の具合が悪いのだろうか? 多くの人が言っているように、多額の裏金が動いたのだろうか? そういうことが、記者会見では一切語られていない。 ただオーナーから語られたのは、トレードでもらえる金銭を、小久保選手にあげてほしいということだけだった。
その後、一日かけて、真相を調べたのだが、まったくわからなかった。 わかったのは、以前から小久保が球団に対し不審かを抱いていたということと、トレードの背景に読売オーナーとダイエーオーナーの間でやりとりがあったということぐらいだ。 王監督は今月2日に小久保から聞いたと言っていた。 ところが、巨人の堀内新監督は前々から知っていたような発言をしている。 まったくもって、わからない。
一部ではダイエー不買運動の声も上がっているらしい。 もう球場に足を運ばないという人もいるらしい。 が、そういうファンよりも何よりも心配なのは、残った選手たちである。 昨年秋山が引退し、今年は小久保のトレード、井口や村松も出ようとしている。 来年は松中や城島の名前も挙がっている。 これで若い選手が動揺しないはずはない。 こういうことが引き金となって、最終的に球団崩壊という事態にまで繋がるかもしれない。 そのような事態にならないためにも、球団側はちゃんと真相を報告すべきである。
2003年11月03日(月) |
キャンディーズ考察 6 |
さて、生まれて初めてアイドル歌手のファンになったぼくは、彼女たちの出ている番組ほとんどを見ることになる。 『見ごろ 食べごろ 笑いごろ』はもちろんのこと、『ドリフの大爆笑』から『TVジョッキー』まで欠かさずに見た。 まあ、浪人中で暇だったから、そういうことも出来たわけだが。
その翌年、ぼくは上京した。 東京へは3月の終わりに行く予定にしていた。 下宿先にもそういう約束になっていた。 しかし、ぼくはわざと上京を遅らせた。 4月4日に行われたキャンディーズの解散コンサートを、テレビで見たかったからである。 別に東京で見てもいいじゃないか、と思う人もいるだろう。 しかし、下宿先にはテレビがなかったのだ。
コンサート最後の嗚咽を聴いて、ぼくは東京に向かった。 東京に出てからしばらくして、ぼくは初めて秋葉原に行った。 ある電気屋が、キャンディーズの解散コンサートをビデオで流していた。 ぼくはその映像をずっと眺めていた。 そしてようやく諦めをつけた。
ぼくにとって、キャンディーズの前にキャンディーズはなく、キャンディーズの後にキャンディーズはない。 その前も、その後も、「ちょっと大人」の「どこにでもいるようなお姉さん」タイプのアイドルにはお目にかかっていないということである。 もしかしたら、それはぼくの20歳前後に起きた、ちょとした奇跡だったのかもしれない。
2003年11月02日(日) |
キャンディーズ考察 5 |
ぼくがこの歌を初めて聴いたのは、一浪して大学受験に臨んだものの、ことごとく失敗した頃だった。 3月の頭だった。 長距離トラックに乗っていた伯父の手伝いで、熊本に行ったことがある。 夜中に家を出、熊本に向かった。 久しぶりに会った伯父と、話が弾んでいたのだが、突然ぼくはしゃべることを忘れてしまった。 その時、ラジオでかかっていた歌に鳥肌が立っていたのだ。 高校1年の時、初めて吉田拓郎の『制服』という歌を聴いた時以来のショックを受けた。
「誰だ、これ?」 声からするとキャンディーズっぽいのだが、電波の関係で誰が歌っているのかがよくわからない。 よくわからないがかっこいい。 まさにこの歌は、この人たちがうたうのにふさわしいような気がした。 ようやく曲が終わり、DJが「キャンディーズの新曲『やさしい悪魔』をお届けしました」と言った。 「やっぱり」 アイドルポップスを歌うアイドルではない、本物のキャンディーズが確立した、とぼくは思った。
その余韻は、何日も続いた。 ぼくの頭の中では、ずっとこの歌が流れていた。 ここからぼくのキャンディーズが始まったと言ってもいい。 実際ぼくがキャンディーズのファンであったのは、この歌から解散までであった。 時間にしてわずか1年。 その1年にキャンディーズは、『暑中お見舞い申し上げます』『アン・ドゥ・トロア』『わな』『微笑みがえし』、『やさしい悪魔』を含めると5曲をシングルとして発表した。 もちろん、これらすべてが「ちょっと大人」という音楽ではない。 『暑中お見舞い申し上げます』と『微笑みがえし』は、アイドルポップスである。 しかし、一度自分たちの音楽を極めた彼女たちは、そういうアイドルポップスでさえ、自分たちの音楽にしていった。 新進のピンクレディーが出てきても、決して焦ることなく、染まることなく、自分たちの音楽を追究していった。
2003年11月01日(土) |
キャンディーズ考察 4 |
いったい、「キャンディーズらしさ」とは何なのだろうか。 キーワードは『普通の女の子』である。 この3人は、際だった容姿をしているわけではない。 また、芸能人的な雰囲気も漂わせない。 本当に、どこにでもいるような普通の女の子だったのだ。 もし、解散時に彼女たちが『普通の女の子』に戻っていたとしても、社会は普通に彼女たちを迎え入れただろう。
当時、彼女たちのファン層は、圧倒的に彼女たちより年下の男性が多かった。 彼らが「普通の女の子」であるキャンディーズに求めたものは、理想のお姉さんだった。 そのお姉さんを、ランに見、スーに見、ミキに見たわけである。 そういう彼らが、キャンディーズに求めたもの、それは「大人」であった。 「大人」と言っても、熟女を求めたわけではない。 手を伸ばせば、すぐに届くような位置にある「大人」である。 そういう「大人」を求めた彼らに、アイドルポップスは物足りなく感じたものだった。
『春一番』が出てから1年が経った時、ついにその欲求を満たしてくれる歌が登場した。 『やさしい悪魔』である。
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