もしかしたら気付いた方もおられるかもしれませんが、TOPの絵を一枚増やしました。 3日間くらいかかっておれが描き上げたのですが。 今までで一番時間がかかった作品といえます。 昨日までで大体のディテールができていました。 では今日は何をやっていたかというと。
ひたすら尻を描いていました。
尻の色塗りオンリーです。 ただ、尻。 描けども描けども尻。 ああ、無限に続くのか尻世界。 尻を描いては保存し、保存しては見比べ。 パソコンのディスプレイ上に3枚の尻が並んでいる情景を見て、さすがにどうかと思いましたが、おれはがんばりました。 そして今みなさんのお手元によりよい尻をお届けする事ができるのです。 よかったら更新ボタンを連打して、苦労の結晶の尻を見てみてください。
でも、いまいちプリプリ感に欠け、気に入っていないので、まだ尻の日々が続くやも。 明日は一段とよい尻でありますように。
今日は少し過去の話を。
大学生の時、履修届という書類を出す必要がありました。 この履修届というものが何物かわからない人も多数でしょうので、説明させていただきます。 そもそも大学とは例えば高校などと違って、履修する教科を比較的自由に決められるという特徴があります。 そして教科を履修して出席し、担当の先生からのカリキュラム終了との認定が単位であるわけです。 学生は各々自分の興味のある教科、卒業までに必修である教科、時間の都合、単位の取得状況などに応じて自分の時間割を編集するわけです。 そうして自分の時間割をつくりあげて、「この教科を受講します」という意志表示であるとともに手続きである書類が履修届というわけです。 この履修届は原則的に学年度の最初に提出することになります。
さて、この日おれは大学におもむきました。 この日は履修届を提出するという大切な日で、それ以外には特に大学に用事はなかったとも言えます。 大学について友人と談笑などし、履修届受付の時間になりました。 おれは前日まで練りに練った時間割の結晶である履修届をおもむろにかばんから取り出し、さあ提出しようとしました。 その時、前方で他の学生の履修届を受理している年配の教授の声が聞こえたのです。 「あ、君ハンコないからダメだよ。今日中5時までに押して再提出ね」 「え〜、ダメっすか?」 「ダメ、帰って押してきなさい。今日中よ」
ハンコ? おれは自分の履修届をしげしげとながめました。 氏名記入欄のとなりに「印」と捺印欄が鎮座ましましております。 そしておれのそこは当然のように空欄でした。 「やばい!」 その後のその学生と教授のやり取りを見ていると、どうも本気で受けつけてくれないようです。 学生はすごすごと退散して家に捺印のため帰ったようでした。 非常にまずい事態になりました。 「教授、これはバカには見えないハンコなのです。あなたにはこれが見えませんか?」 と言っても相手してくれそうもありません。 かといって、おれは通学のために電車を利用していて、道のりは遠く、それは片道最短でも1時間というものでした。 超最短往復2時間、しかも電車待ち(都合のいい時間の都合のいい電車があることはほとんどない)や駅から家までの道のりのことも考えると、現実的には4時間は固いところです。 そして5時までは4時間なんてとっくに切っている時間帯。 うまくいって3時間で何とかできたとしても、無理でした。 だってもう2時過ぎ。 あわわわわ。どうしよう。 しかし、実はここで他にも狼狽していた友人がいました。 「おれもハンコ押し忘れた〜!」 不幸を共有する人物というのはとてもありがたいものです。 内心なぜかほくそえみながら「どうする?どうする?」とおれはたずねました。 「どうしようどうしよう。赤鉛筆でハンコっぽく書いても無理かなあ」 教授がいくらボンクラであっても、さすがにそれくらいの細工は見破るでしょう。 しかし友人は「あっ、そうだ。売店でハンコ買ってこよう」と名案を思いついたのでした。 そしてそそくさと教室を後にする友人。 大学には売店が各所にあり、その中のひとつにハンコが売っている所があることをおれは思い出しました。 しかし、それに気付いたとしてもおれには絶望的だったのです。 この文を読んでいる人のほとんどが御存知であるから公表しますが、おれの本名の姓は「原岡」といいます。 そしてこれは珍しい部類の姓にあたります。 というのも電話帳で同じ姓の人は数えるほどしかありませんし、文具屋さんなどでこの姓のハンコを見た事がありません。 おれが売店にハンコを求めにいっても事態がどうなるものであろうか! しかし、他に選択肢もない今、一縷の希望をつなげるしかないのでした。
教室を出、10分ほども歩くと売店につきました。 印鑑を陳列されている台を回してみます。くるくる。 は・・・浜田・・・原・・・原田・・・。
やっぱりありません。 絶体絶命。 このまま履修届を不提出という事になると、この1年なにも教科に出席できません。 いや、出席する事はおそらく可能ですが単位はもらえません。 そしてこの年の取得単位が0ということになると、卒業のために来年は殺人的なスケジュールになることが明白であり、下手をすると留年ということも考えられます。 留年。 その忌むべき単語がおれの脳裏をよぎりました。 一瞬の後、悪魔が取り付いたとしか思えない名案が浮かんだのです。 おれは売店で「原田」のハンコを買いました。 まったく余計な出費ですが、背に腹はかえられぬ。 教室に戻り、友人に朱肉を借りておもむろに捺印します。 おれの氏名欄に捺印されたその印はまごうことなき「原田」 このとき姓とハンコが一致しないという奇妙な事実が寂寥を感じさせましたが、すぐおれは気を取り直しました。
姓の後半部分を指でぐしぐしっ・・・と。「原※」 これでよし。 提出だ。
「はい、先生」 「うむ、よし」 ええんかい。
2002年05月20日(月) |
事件は会議室で起こってるんじゃないらしい。 |
本日付けのテレビ欄、午後9時より。
「米沢牛しゃぶしゃぶ食べ放題殺人事件」
あ〜もう。 殺されろ殺されろ。
「ねぇねぇ!あなた!あなた!!ちょっと来てよ!!」 「あ〜ん、どうした?」 「良太が!良太が!」 「うん?良太がどうした?」 「良太が、勃っちしたの〜〜!」 「本当か真由美!すごいぞ良太ー!」 「まだ、つかまり勃ちだけど」
「ナースのお仕事」のBGMがことごとく癇に障る。 特にあのポッポッペコッポッポッペコッポッポッペコッペッってやつ。 わからんか?そうか、まぁいい。
(爆)というカッコつき文字がある。 パーソナルコンプーターを使ってこの文章を読んでいるようなハイテクサイコ野郎な諸君は勿論目にしたことがあるであろうし、大体の意味も察しておろう。 おれもインターネットに慣れ親しんでいくらか経つ。 当然この(爆)の意味も分かっている。 前にも書いたが「バクテリア大発生!」であるうそです。 正味なところ、起源は「爆弾発言」であるか「爆笑」であろう。 そして現在会話の中でこの(爆)を使うとすれば、それはほぼ前者の意味である。 賢明な諸兄には周知であったろうか。 「爆笑」の意味で使われる方もおられるが、これは実に稀であって、いざ使われると違和感を覚えることもしばしばある。
しかし、ここで今一度注意を喚起されたい。 おれはあまりこの(爆)を好まず、あまり使うことはない。 ちなみに(笑)はまだ使う。文章中に使うことはまずないが。 しかるにこの(爆)。本当に「爆弾発言」の意味で使われておろうか? あまりに安易に使用されてはいないか?
あまつさえ日記およびテキストサイト乱立の昨今、他人の文章を目にする機会は格段に増えた。 顧みればおれがサイトを立ち上げた当時は今や大御所である侍魂すらも未だ無い時代、テキストサイト黎明期であった。 先人たちは文章を工夫し、演出し、いかに面白く見せるか、わかりやすく読ませるか、笑いに結びつけるかという事に苦心してきた。 その姿勢はは多数のネットサーファー(網波乗り)たちを魅了し、そして彼らもまた先人たちの後に続き、現在のテキストサイトというWEBサイトの一つの雛型を作り上げることになったのだ。 しかし、乱立しすぎた。 文章のノウハウはおろか、他人に読まれるのだということを忘れ、独り善がりなチャット言葉で文章を綴るサイト管理人たち。 その文章には(爆)や(笑)や(汗)、多種多様のチャット独自の文法とあって然るべきカッコ付き文字が散乱しているではないか。 もはやそれのみで文章がかけそうなありさまである。
(4月)(23日)(笑) (俺)(今日)(走)(汗)(ぉぃ)
このような中で(爆)すなわち爆弾発言は、爆弾と呼ぶにはあまりに弱々しすぎる爆弾ではないのか? ひとたび(爆)と称するからには見るだけで背筋を汗が伝い、頬が硬直するほどの戦慄を与えねば、爆弾発言の名に恥じるであろう。 畏怖と恐怖と戦慄とを与えてこその爆弾である。 国民よ立ち上がれ。 今こそ(爆)を正しく使用せよ。
とまぁ、今回いささか堅苦しく書いてみましたがどうですか? あぁ、そうそう今日は隣の家に住んでいる幸子を無理矢理犯しました。 ちょっと抵抗しましたけれど、2、3発殴りつけたらおとなしくなりましたよ。 涙を流している姿がなかなか風情があってよかったです。(爆)
2002年05月09日(木) |
あなたは何型ですか。 |
血液型になにかとこだわる人々がいます。 あの人はO型であるからあれこれ。A型の人であるからあれこれ。やれB型こそどうだ。 おれの周りの仲の良い友人にもたくさんいます。 そしてなぜかB型は異常にきらわれています。 おれはどうもこの血液型別性格判断が好きになれんのです。 というか、嫌悪すら感じてしまうのですが。
仲の良い友人と話していると、不意に聞かれます。 「ところであなた血液型は?」 「Oである」と答えると、「よかった。自分はAB型の人とはまったく気が合わないのであるよ。もしそうだったらどうしようかと思った」とおっしゃるのです。 それはおかしいのではないか? じゃあなんだ、今まで仲良くしてきたけれど、おれがAB型であったならば手のひらをひるがえして、「あぁ、そう・・・AB型・・・あいたたた。おなかが痛い。死ぬほどに痛い。今すぐ帰る。二度と合うこともあるまい」などという事になるのであろうか。 ましてや、「私はA型の人と結婚したいなぁ」などとおっしゃる輩もおられ、(しかもかなりの数存在します)何を好んで自ら選択肢を6割も減らすのか、と思わずにはいられません。 加えて、おれの彼女などは自分の血液型を知らない人であり、(ときどきいませんか?自分の血液型を知らぬと豪語する人。知らないくせに偉そうだったりします)しかしそのくせ「自分はO型である」と疑ってやまぬのです。 待ってくれ、じゃあおれがバイクでにわかに交通事故に遭って、瀕死の渋滞に陥ったときに君はおれに輸血をしてくれるとか申し出るかもしれないけれど、しかしO型の血液に他の血液を混ぜると危ないんだッ!もし違ったらどうする。 ところでおれはバイクなど乗れませんでした。
とまぁ、などというようなことをおれが机を叩きながら主張すると、大体の人はこう言ったりします。 「信じるのも信じないのも個人の自由ではないか。信じたくなければそうするがいい。だが当たるものだ」 それはそうかもしれない、しかし、こういう事象はどうだろう。 「あの人XX型なんですって」 「えー、うそー。いい人と思ったんだけど」 こういう話になったら自由がどうのとかいってはいかんのではないか? 十分に罪悪である。 実際困っている人もいるのだから、いい加減やめたらどうかと思うのだけれども。
ああ、そうそう。HPの「プロフィール」などのコンテンツで、血液型を公開していない人は、まずB型ですよ。
ビデオを返すついでに、本を買いに行きました。 ビビビデオはエロビデオじゃないですよ。 「ソードフィッシュ」ですよ、信じてください。
さて、ショッピングセンターの本屋で雑誌を立ち読みしていると、アナウンスが流れました。 ほら、よくあるでしょう?迷子のアナウンス。 対象が大人の方の場合次のようになります。 「どこそこからお越しの○○様、○○様。お連れ様がお待ちです。どこそこにおいで下さいませ」 といったアナウンスです。
おれは雑誌を立ち読みしていました。 アナウンスが流れたとたん、本屋さんにいた全ての人の表情が変わったのを覚えています。 声に出した人もいます。
ピンポンパンポーン・・・。
「どこそこからお越しのしもねた様、しもねた様。お連れ様がお待ちです・・・」
待てぃ。
それは誓って本名か。
アナウンス嬢に仕事でシモネタと言わせたのは筆舌に尽くしがたい快挙であります。 さぞ彼女は無念に打ち震えながらアナウンスを成し遂げたことでしょう。 しもねたよ。あぁ、下根田よ。(多分こんな字であろう) おまえだけは迷子になってはいけなかったのだよ。 お前は見なかったであろう。本屋でファッション雑誌を見開く若い女性の嘲笑を。 お前は目の当たりにしなかったであろう。女子高生二人組の「ネタを見つけた!明日クラス中に話す。絶対。誓って!」ばりの顔を。
下根田よ。友人にお前は言われたことがあるのではないか? 「シモネタはやめろよー」 会社の上司や、学校の先生に言われたのならば、なお辛い思いをしたであろう。 「シモネタはやめなさい!」 まだ5月ですが、もうクビですか?
合コンで初めて会った女子に言われたことはないだろうか。 「シモネタ嫌〜い」 うっ。しかし、お前みたいな不細工はもともと好みではないのだ。 向かいのあの子の心がつかめればそれでいいのだ。と、思っていたあの子が。 「私もシモネタ苦手・・・」
「ってかさぁ〜、なんかシモネタばっかじゃん?」 思わず回りを見渡したか?下根田よ。
しかし、こうシモネタシモネタ繰り返し書いていると、なにかフランスかどこかの名前のように聞こえてくるから不思議である。 ボンソワール、ムッシュシモネタ。
大丈夫だ、気にするんじゃない。 勃ち上がれ、シモネタ。(4回連続)
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