| 一人相撲 |
日頃から思うことをつらつらと書いてみる。かなり愚痴。
自分語りな日記なので、そういうのが嫌いな人は読まないが吉。
自分が目指しているものを、すでに持っている人間が沢山いる場にいると、まるで自分が何も出来ない人間であるかのような錯覚を覚えてしまう。 素人ですら、そういう人たちの話にちゃんとついていってるし、意見も言ったりしてるけど、自分は何も言えないような状況になると尚更。
目の前に「デキる人間」が複数いて、それぞれの持論を展開し、皆で和気藹々とやっているのを見ると、モチベーションの低下というのが本当に激しい。
まるで自分が否定されているかのような錯覚に陥ったりする。 みんな自分が嫌いなんじゃないかとさえ思ってしまう。
でも結局、彼らは別にバカにしてるとか嫌ってるわけではなく、ただ「眼中に無い・気にしてない」ってだけであって、それに対し私が勝手に一人相撲してるだけ。
ただみんなが集まって、井戸端会議というか、コミュニケーションノートというか、そういう議論や雑談を楽しんでいるだけであって。 もしその話についていけないのであれば、その会話に参加しなければいいし、もっと言うなればその場から離れてしまえばいいだけの事。
そうは言っても離れられない自分がいる。 そこにいなければ自分の事をみんな忘れてしまうんじゃないか、とか それはただ、逃げているだけなんじゃないか、とか そもそも自分はここにいれるだけの資格がないんじゃないか、とか 考え出すとどんどん下へ下へと考えが降下していく。
別にどこかのコミュニティに属するのに資格などいるはずもない、自分がいたければいればいいし、いたくなければ去ればいい。 ただそれだけの事なんだけども。
自分では頑張っているつもりでも、ふと上を見上げると、遥か彼方に彼らがいる。 どんなにどんなに頑張っても、絶対にそこへはたどり着けないという錯覚に陥る。 辛い。どうしようもなく辛い。
かといって、高みにいる人間に自分の気持ちを吐露したところで、それはただそのコミュニティの和を乱すことにしかならない。 私が逆の立場なら、今まで普通に接してきた人間が、突然私に対してそういう心情を吐露してきたとしたら、 「そんなのそっちの勝手な被害妄想じゃん。私達は別に何もしてないし、何も思っちゃいない。普通にしてるだけなのに」 と思うだろうし。
だから、特定の分野で劣等感や疎外感を感じるのであれば、彼らとは違う分野へ進めばいい。 ただ、それは逃げに他ならない上に、逆に誰とも話題を共有できなくなってしまう事になる。
結局のところ、こんな事を気にしているのは自分だけだ、一人相撲してるだけだと、他の誰でもなく自分が一番わかってる事。
だから、直接言う事はしない。否、できようはずもない。 でも、言いたい。だけど言えない。 このジレンマが、一番辛いのかもしれない。 だからせめて、どこかで吐き出しておかないと、ずっと溜まっていってしまう。
結局ここで吐き出してしまうと、もしかしたら本人達に読まれてしまうかもしれない。 別にそれでもかまわないとは思う。
特定のコミュニティを指して言ってるわけじゃなく、私自身が常に自分と一人相撲してしまう性質を持っているために、おそらくどのコミュニティに属したとしても、同じように感じるだろうから。
そういう意味で、「コミュニティ」というのは、多分性に合ってないんだと思う。 どこかのコミュニティに属して、そのコミュニティの空気を守りながら付き合っていくっていうのが出来ない人間なんだろうな、と。 つまり、協調性が無い、というか(笑)
コミュニティで集まるより、ダチの集まりでいる方が気楽だし楽しい。 個として付き合うほうが、何も遠慮することなく対等に話が出来る。
しかし、一方で、コミュニティの一部に属していたいという願望も少なからずある。
でも多分、「その他大勢のうちの一人」としてカウントされる事がイヤなんだろうな、私。 別に常に目立っていたいとか、話の中心にいなければ気がすまないというわけではないけれど、「無視される」とか「無関心」というのが非常に苦痛に思えてしまうらしい。
コミュニティとなると、どうしても「その他大勢」が存在する時点で、個々のつながりというのはその場では薄くなってしまう。 だから私は、少人数での付き合いが好きなんだろうな、と思う。 広く浅くの付き合いよりも、狭く深い付き合いを求める性質なんだろう。
付き合いをする相手の事をよく知りたいし、自分の事も知って欲しいと思う。 ただ、誰も彼も無差別にそうしたいわけじゃなく、あくまで自分と対等に付き合える人との付き合いではそうありたい、と思う。
そういう意味では、変な言い方をすれば選民思想のようなものが私の中にあるのかもしれない。 ただ、その基準が、「何かに優れている」とか「自分と比べて上か下か」といった権力主義ではなく、あくまで同じ人間として対等に付き合いが出来るか否か、という事。
周りを見渡すと、とある狭い社会でしか通用しない権力らしきものを持った人間を中心に、取り巻きが集まってきているコミュニティというのが結構目に付く。
例をあげると、音ゲーもその傾向が顕著に出ている要素の一つだと思う。
その個人の人間性や価値観じゃなく、あくまで「ゲームが上手い」という名目の下に信者が集まって、それ以外の人間に対して排他的であるというのが特徴。 「SPが低いくせに」とか「DDRも出来ないくせに」という基準で他の人間を判断したり。
結局、狭い世界で勝ち誇るような人間にはなりたくない。 だから、そういう傾向の強い特定のコミュニティに属せないんだろうと思う。
狭い世界でしか通用しない権力や持論を展開して、それによって他人を判断し、排他し、自己満足して悦に浸るなんてみっともない事はしたくない。
思えば、私が専門学校を中退したのも、経済的な理由のほかに、とある講師に対して失望したから、という理由もあったんだっけ。 色彩・デザインを教えてくれていたとある女性講師が、ある日課題を持っていった私に向かってこう言った。
「あー、これ私好きじゃないからやり直し」
確かにプロのデザイナーで、実際に大きな仕事をいくつもこなしている人だから、その人のセンスは一般的に認められたものなんだろう。 でも、センスに「正解」ってないと思うんだ。 デザインや色彩の基礎知識や常識というものは存在したとしても、個々のセンスに正解は無いと思う。
いくらプロでも、自分のセンスで他の人間のセンスをはかることは出来ないはず。 しかも、それが人に教える立場である講師ならなおさらやっちゃいけない。 相手が寸分違わぬデザインセンスを持っているのであれば、それに関して同じセンスではかる事もできよう。
でも、人間の数だけ感性も違うし、センスも違う。似ていることはあったとしても、決して同じではないはず。
センスっていうのは、机に向かってひたすら勉強すれば身につくものでもないし、また勉強して身に付けるべきものでもないと思う。 普段の生活の中で、いかに様々なものに対してアンテナを張り巡らせるかにかかってくると思う。
そういう意味では、個人の「性格」とか「価値観」と同じように考えてもいいんじゃないかな、と思う。 性格や価値観は、勉強して身に付けるもんでもないしね。
創造されたものに対して、ちゃんとした評価を下せるのは、プロでもなく評論家でもなく、それを手にとり、目にする多くの「一般人」、もっと言ってしまえば「素人」だけだと思う。
結局プロが自分のセンスや価値観だけで他人を評価するのって、結局
写実派:「抽象画家の絵って意味不明だよ。単なる子供の落書きじゃん(w」 抽象派:「印象派って中途半端だよねぇ。派手な色使えばいいってもんじゃないっしょ(ワラ」 印象派:「写実的な絵って、単なる模写でしょ?クリエイティブじゃないなぁ(プゲラ」
とか言い合ってるようなもんだよなぁ。
#つまり俺様マンセーな人間にはなりたくないって事
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2004年07月09日(金)
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