決戦前夜 |
明日はいよいよ元職場と決着をつける日だ。
向こうから「助成金が下りたので支払いの話をしたい」という連絡があったんだから、今更「払えない」なんて返答が返ってくるわけがないので、とりあえず確定かな。
はー、長かった。ほぼ一年かかったねぇ。 私もやめたばかりの頃はとてもヤツらに顔を合わせられる精神状態じゃ無かったので、それも長引いた原因のひとつではあったけれど。
でも、結局旦那に任せてた間は何一つ進展せず、私が自分で動いたとたんに進展したって言うのが笑えるね。
簡単に一年を振り返ってみる。
2001年12月: バイトとして働いていた職場(障害福祉NPO法人)で正社員に登用される。 社会保険加入のため、国民保険の加入を待てと言われ、これ以降保険証無し。 結局社会保険にも入れなかった。
2002年6月: イビリとも言える扱いに耐えられず、無断欠勤→退社。 (まかないを作ってもまずいまずいと言われ、介護の他に事務雑用全てこなしていたのに「仕事が出来ない」と言われ、場合によっては他の二人のヘルパーより安い給料しか貰えないこともあったり、「結婚してるんだから今の給料でも貰いすぎてるくらいだ」とまで言われ・・・キリがないな(笑))
〜2002年7月: 実家に一ヶ月帰省、療養。
2002年8月〜: 毎月基本給の半分しか貰っておらず、残りの半分は、給料明細上は 「会社に貸している」という扱いになっているので、 それを返して貰うことに。 労働基準監督署へ行く。たいして取り合ってもらえず。
〜2003年2月: 旦那にやりとりをまかせるが全く進展無し。 再び労働基準監督署へ。 今度は割と話を聞いてくれて、法人側に勧告みたいなのを送ってくれたらしい。 法人側の言い分は、 ・「お前が急にやめたから助成金が下りなくなって被害を被った」 →規定人数ギリギリしか雇っていなかった雇用主に非があるっつーの。 ・「だから貸付金は払えない」 →助成金がおりるまで待ちますよ? ・「お前が急にやめたから理事長が倒れた。訴えられても知らないぞ」 →・・・ハァ?倒れたのは自分の体調管理がなってないからでしょうが。 ・「貸付金は支払わなくてもいいという書類に印鑑押してある。でも助成金が下りたら払うつもり」 →何言ってる不明。その書類が実在するなら払わなくてもいいんじゃないの?(笑) ・その他意味不明な文章を送りつけてきたりして、ネタに困らなかった。 ・電話でやりとりしていた主任ヘルパーが、近所の子供に「バカ」と呼ばれて親しまれていた(笑)
〜2003年4月: 今まで電話で担当していた主任ヘルパーが、今更になって 「私は何もわからないので役員と話をしてくれ」といい出す。 最初から言えよ。
〜2003年5月: 法人側から「助成金が下りたので支払いの話をしたい」という連絡が入る。 役員と話せと言われていたので、私がいた頃の理事長(今はもうおりているらしいが、一応役員ではあるので)に直接電話。 「私はわからない、事務所に聞いてくれ」 ・・・結局わかる人間は誰なんですかと小一時間(略 とりあえず、書類上「会計」の役職にいる人間に電話。 日程を定める。 結局、話し合いの場には役員は一人もいないことになる。なんじゃそりゃ。 いくら役員が全員障害当事者だからって、都合良く話し合いの日に体調崩すなんてなぁ。 雨が降りそうだから行けない?具合が悪いから行けない? 現理事長は、事務所の隣の部屋に住んでるのに、それでも来れない? だったら仕事なんかしてないで入院でもして療養してください。
というわけで、明日を迎えるのです。 久しぶりに眠れない夜になった。
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2003年05月15日(木)
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