とりあえず、一つ片付いた。 |
私が高校生の時にこの世を去った父が残してくれていた財産である家を、親戚に譲ることになった。 私はこのとおり実家から遠く離れてしまったので、ろくに管理も出来ない上に、家が立っている土地の下には昔の炭鉱の坑道の後があるらしく、いつ地盤が沈下するかも分からない状態で売りに出すことも出来なかった。 だから、親戚がそこに住み、変わりに管理をしてくれるというので、ありがたい話ではあったんだけど…
母親は父の死後まもなく新しい恋人を作ったのだが、それをネタにまわりの親戚どもからつまはじきにされ、なかば追い出されるように家を出た。 私は母を新しい恋人に任せ、上京。 しかしその相手もバツイチで、5人の子供を抱えていて、その上その子供らはあきれるほどタチの悪い奴らで。
あとに残ったのは、金に意地汚い親戚どもの醜態だけだった。
親戚の前に顔を出せば「金、金、金」。 もううんざり。 私立の中学高校に通ってたおかげで、私の学費やなんやで父の残した金など使い果たしたというのに、「まだあるんだろう」。
そんな奴らに家を渡したくない。 妙な意地が働いて、期限ギリギリまで権利移譲の書類をに印を押すことをためらった。 ふだんは連絡一つよこさない親戚も、ここ最近頻繁に電話やFAXをよこしてきた。 そんな彼らに腹も立った。 でも、むざむざ父の家を朽ち果てさせたくはない。 だから、印を押して書類を送った。 自分に一番腹が立った。
母から聞いた話。 家の譲渡が決まった時、譲渡する親戚(母の妹)と話をした時、 「ここはもう姉さんの家じゃないんだからね。姉さんは姉さんで、アパートを借りるなり何なりしてよね。」 とか言われたらしい。 挙句の果てに実家のすぐ近くに住んでいた父の姉(母の義母なのだが…)は、 「この家にあるものはすべて処分する」 と。
父に買ってもらったピアノも、父の愛用していたギターも、おそらくは、質にでも入れられるか捨てられるんだろう。
悔しい。悔しすぎる。 姉妹の絆も、家族の絆も、親類の絆も、何もかも、 私にとっては何の意味もなさない。
書類をポストに投函した時、私は多分、絆への信用も一緒に捨ててしまった。
疲れました。
|
2002年12月04日(水)
|
|