2007年03月31日(土)
地域性豊かな「分かれ方」 本編


そうそう。どうやって「分かれ」てたか。


「グーとチョキ」で分かれるところまでは一緒なのに、掛け声が違うというだけで
遊びが水入りになってしまい、グダグダになることも稀ではなかったものの
巧くいくこともちゃんとあったのだ。
メンバーの中に、強引なまでにきちんと全員を仕切ってくれるような子がいると
こういう問題は一気に解決したものである。


しかし・・・・。


この掛け声というのは、本当に「文化」だなぁと思わせる。
所謂、「こども文化」。
子供の社会の中で育まれた、こういう1つの「ルール」みたいな文化というのは、
ちゃんと調べていくと結構面白いものである。
たかがじゃんけんの掛け声だけれども、同じ掛け声を発する者同士に自然と仲間意識が生まれるのも
「ルール」の共有がそうさせるのかもしれない。


大学時代。
もう体も心もいい大人だというのに、実習のアップの時などには本気で鬼ごっこやら缶けりやらをやった
愛すべきケダモノ仲間(苦笑)たちと一緒だった頃、上記のじゃんけんに関して
常々考えさせられたものである。
なぜなら、全国各地から単身上京してきて、それぞれの文化でもって幼少期を過ごし、
誰一人として小学校がかぶっていないようなメンバーが集まって、「けいどろ」をやろうってんだから
その時点で少々無理があるような(笑)。
だけど全国的にこの遊びのルールは同じだったようで、進行には特に問題がなかった。
しかし、最初のハードルとして、やっぱり泥棒方と警察方に分かれる儀式がある。
みんなが知っている遊びのはずなのに、ここで全く共通見解が見出せないということに、
当初はメンバー全員が困惑したものだ。

グーとパーで分かれるのが主流の地域からすると、なぜそこにチョキが出てくるのかわからない。

裏表派の人にとっては、グーが出てくるのさえ理解不能。

初めてここで「地域性」が存在することにぶち当たり・・・・

いつしか「けいどろ」はどうでもよくなって、それぞれの地域はどうだったかという話題に花が咲く。


冗談みたいだけれど、最初のうちはこんなものだった。


しかし、いつしかここまでバラバラの文化が交じり合っていても、誰かが統率してくれると
何とかなっていくもので、グーチョキで分かれていたうちらも
仕切ってくれる子が「グーとパー」でと言えば、きちんとそれに順応していけるものだった。


こういうこども文化には温度がある。
あのじゃんけんの掛け声だって、別に何でもいいんだし、もっと言えばなくても別に困らないのだ。
ただ。
そういうのを全部なくして合理化してしまうと、色んなことが味気なくなってしまう気がする。
普通の大人たちは、ある程度の年齢を迎えると、こういうじゃんけんとは無縁のものになっていくけれど
あたくしは、たまたま成人してからもお気楽な仲間たちと一緒にいたので、
いい年して鬼ごっこやかくれんぼなんかもやっていたので、
そんなことをやりつつ、子供時代に身につけたこういうこども文化について考える機会も多かった。


ある時。
このチーム分けじゃんけんの効率を上げ、合理化するために、
大人数の時はいつでもまず2人組になって普通のじゃんけんをし、
勝ち方負け方で2チームを作るという方法ばかりに遭遇することがあった。
「けいどろ」をやる時だけじゃなくて、さまざまな作業を分担する時なんかにも。
おそらく、これが大人としての通常のやり方で、手っ取り早く、便利な方法なのかもしれない。
大人は、じゃんけん一つにそれほど楽しみを見出さなくてもいいスタイルになってしまっているからだ。
ただ、こういうのって確かに合理的には違いないけれどちょっと寂しいよなと思ったりした。
甘んじてこの味気ないじゃんけんに参加しつつ、子供の頃にやったような
「グーとチョキ」や上京してから初めて知った「グーとパー」「裏表」が
この先もなくなってほしくないなぁ・・・・そんなことを思っていた。


そんなことを強く思ってから、およそ10年ほど経つわけですが・・・・。
あたくしの心配は杞憂だったようで(笑)、今現在、どこの地方をのぞいても
それぞれの地域性にのっとったやり方で、このじゃんけんは脈々と息づいている模様。
そういうじゃんけんをしていた子供も、やがては大人になっていくわけですが、
各地方に根付いているこれらこども文化が、きちんと継承されていってほしいと
個人的に強く願ってやまない。

↑興味深い部分です。

個人的に、素敵な分かれ方を探してます^^
赴き深い方法をご存知の方はご一報くださいませ♪

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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