2005年09月16日(金)
みんなの魔女宅講座


もう、何回も見て、あらすじも何もかも覚えてしまった「魔女の宅急便」ですが、
この日も堂々と、再びテレビ放送ですよ、皆様(笑)。
いやはや、よくよく考えながら見ていると、なかなか奥の深い作品だったりして、
この物語の主人公キキの声が、あの名探偵コナンと一緒・・・・なぁんて考え始めた日にゃ、
どんな声色で青山氏との新婚生活を送っているのか非常に気になるところでもあったり(爆)。

「今日はコナンでいてくれ。」

「今日はキキで頼む。」

などという、注文とか飛ぶのかなぁ・・・・(爆笑)という妄想をし始めた日にゃ、退屈しません、マジで。


さて。どうでもいいあたくしの妄想はさておき、本題です。
この「魔女の宅急便」にこめられた、隠れたメッセージみたいなものを探りたいのですが。
いや、ホントに色んな描写分析、人物に投影された性格分析があちこちにゴロゴロしている中、
あえてこういうのをやってみたいと思ったのも、きっと、体内掃除も終盤にさしかかってるからかも。


この物語は、1人の少女・・・・魔女が13歳にして独立して、孤独や困難に苛まれながらも、
ニッコリ笑って「元気です♪」と言っちゃえる、そんな物語である。

キキは、兎角、自分の身なりであるとか、魔女のしきたりを嫌ってみたり等々、
当初はとてもじゃないが、「魔女」というくくりでも、「少女」というくくりでもかなり未発達に見える。
そうだなぁ・・・・今の13歳たちはもう少し大人びていて、考えることもやることなすことも
大人の一歩手前といった印象を受ける。
物語でも触れているように、キキの独立に向けた出発は、平均よりうんと遅いものであるのだ。

さて、ここからがあたくしの持論になってくるわけなんだけど(笑)。
満月の夜に、少女がひとり立ちする・・・・物凄く意味深である。
あたくしが思うに、コレは普通の少女たちがある年齢に達すると迎える「初潮」を意味しているのでは、
そんなふうに思った。
キキは、誰にも言わずに、急に思いついたように、出発の日を決めてしまう。
今まで生まれ育った村(町)を出て行くのに、見送りも何もいらないという。
そんな大切な日だからこそ、母親は必死に間に合うようにと、あれこれ身支度や最低限の知識を
彼女に伝授しようとするが「何とかなるわ♪」みたいなスタンスで、キキは大急ぎで
その時を迎えようとするのである。
親たちは心配で心配でたまらない。まだ子供だと思っていても、彼女はもう13歳。
遅すぎるということはないが、如何せん、思いつきで世の中を渡っていくには非常に幼すぎる。
しかし、いつかは彼女を独立させねばならないから、きちんと「魔女」のしきたりに則って送り出すのだが。
女性の皆さんは、身に覚えがあるのではなかろうか?
初潮を迎えたことを、あまり周囲に悟られたくないというか、平均よりも遅ければ尚、恥ずかしいというか。
できれば、済し崩しに最初からあったものとして、そのまま世間に認めてもらえたらラクだろうな・・・・
そういう気持ちが、心のいずこかに多少の違いはあれどもあったんじゃないかということ。
キキが見送りを嫌がったのは、そういう節目で「失敗」してしまうのを見られたくないから。
ここに集約されると思う。
しかしキキは、周囲の心配を他所に、とにかく旅立ってしまう。
旅立ってしまえば何とかなる・・・・そういうふうに思っておきたいのだ。
不安とか、恐怖とか、そういうものもあるんだけど、好奇心の方が旺盛。
それにしてもこの黒い服が気に入らない・・・・彼女は旅立ったのはいいけれど、本格的にまだ子供なのだ。
だから、強風に煽られていきなり大木に激突して見ている人たちをハラハラさせようと、
木綿の下着が顕になっても、羞恥心にかまけていられない。もうとにかく必死なのだ。

そんなキキを、サポートし、常に助言に回っているのが黒猫のジジである。
ボーダーレスなジェンダーなのは、彼女がまだ「女性」ではないから。
男でも女でもない、そしてもはや人間の形さえしていない「彼」は彼女が世間を渡っていく中で
大きな指針になるわけなんだけど、そういった象徴的サポーターに対しても、
キキはまだ子供だから、その大切さを上手に把握できない。仕方のないことだ。
初潮を迎える前の少女たちにとって、例えば兄弟であるとか父親であるとか、
一番身近にいるけれど、「異性」として見てこなかった存在というのは、ウェイトが希薄になりがちなのだ。
彼らの意見は、いちいち尤もでしかも正しいのだけど、微妙な年頃としては
自分で道を決め、自分の意見で以って生きてみたい・・・・だから反抗もしたい・・・・
13歳の心理としては、実に細やかでリアルな描写をしていると思う。


さて。大きな街に辿りついたキキは、いきなりカルチャーショックというか、
とにかく大きな壁にぶち当たる。
初めての「社会」の中で、仕事をしていかなければならないのだけど、その仕事も見つからないし、
身を寄せる場所もない。
それもそうだ。
彼女は飛ぶことしか能がなくて、他の魔女たちがきちんと習得しているはずの魔法をほとんど知らない。
たまたま知り合ったパン屋のおかみさん(オソノ)に見込まれたのは、ただの奇跡である。
普通の少女に置き換えて言うならば、学校にいる理解のある保健室の先生みたいなものだろう。
いきなりの環境や体の変化、それに伴う不安や恐怖を中立な立場できちんと理解してくれる、
第三者というのは、独立を志した少女の周囲には必ずひとりくらいはいる。
しかし、誰しもが必ずそういった人に出会えるわけではない。
運命に委ねられた故の「奇跡」としておくのが無難であろう。

仕事を始めたキキは、それでもまだまだ幼さを隠しきれない。
同じ年頃の少女たちがおしゃれをしていたり、ウィンドに飾られた美しい洋服や靴を見て、
自分の黒い洋服を恨む。
「制服」という型に押し込められて窮屈な思いをしている駆け出しの中学生みたいなものだ。
まだ、その社会の中で適応できてなくて、目に見えるもの全てがキラキラ輝いて見えてしまい、
地味な格好をしているだけの自分が、急に惨めに感じてしまう。
空を飛べるだけではダメなのか・・・・そんなふうに自己嫌悪にも陥る。
空を飛べることは、魔女にとっては必須かもしれないが、普通の人間にとっては特別なはずなのに、
自分に見向きもしてくれない街の人々の中で、キキは物凄く自尊心を傷つけられてしまうのだ。
他の人にはない能力を確かに持っているのに、誰も認めてくれない・・・・
これはこの年頃の少女が誰しも感じる、独特の「孤独」のような気がする。
本当にすごい能力を持っているか否かは別として、可能性からして認めてもらえないと、不満を抱くし、
不安になる。
況してや、大人への第一歩を歩みだしたばかりの不安定な心理状態では
こういうブレにも拍車がかかるというもの。魔女も普通の少女とそう変わらない。


勢いで決めてしまった宅配の仕事も何とか軌道に乗り始め、仕事もぼちぼち来るようになり、
彼女にも「責任」や「社会性」が芽生え始める。同時に「プライド」も。
そして、その三要素はまだまだバランスが悪い。
「責任」や「プライド」が本心をベールで包んでしまい、せっかく友好的に声をかけてくれる少年に対し、
素直になれない。
・・・・これが本格的な初恋かもしれないのに、彼女はそれどころではないのだ。
仕事を一人前にこなすことの方が大切なのである・・・・今の彼女にとっては。
オソノさんが気を利かせてくれても、彼女はトンボの誘いのパーティに行けない。
壊れたオーブンの代わりに、薪をくべた竃で自分も一所懸命になって手伝い作ったパイ。
それをにわか雨に祟られながら、必死で届けたにもかかわらず、受取人はそっけない。
加えて、着飾って楽しそうな受取人と、真っ黒な衣裳のキキの間に大きな隔たりが出来る。
せっかく生業を見つけたと思っていたところへ、初めての挫折・・・・そして、大きな喪失感。
急げば間に合う、トンボの誘いのパーティにも、彼女は「こんな格好では・・・・」という理由をつけて
結局、行かないのである。
本当は違う。
淘汰された自分のみすぼらしい姿を、パーティなどという華やかな場所で曝け出すのが
どうしても耐えられなかったのである。彼女は体裁を繕うために、それを服のせいにした。
心なしか、あの大きな赤いリボンも、雨に濡れてしょんぼりとしてしまっている。
普通の少女たちもそうなんじゃないだろうか・・・・?
少女に限らず、大人たちだって、「責任」や「プライド」の中で揉みくちゃにされて淘汰されたら、
誰にも会いたくないし、況してや華やかな場所に出向く気が起きない。


さてさて。
この雨がいけなかったのか、心がポッキリと折れてしまったのがいけなかったのか、
キキは風邪をひいてしまい、寝込んでしまうことになる。
そして、この風邪が治った途端に、ジジの言葉がわからなくなってしまい、飛べなくなってしまう。

スランプです!!

ジジの言葉がわからなくなってしまったのは、コレはただ単に魔法が通用しなくなったとか
そういう問題ではなく、ジジの興味がキキではなく他に向いたことの方が大きそうだ。
彼も結局は「オス猫」で、時期がくれば恋をする。
キキから完全に独立して、彼は彼なりに、この街での新しい生活を見出してしまったのだ。
いつまでもキキべったりというわけにもいかない。
しかし、この出来事は、今まで本能の領域で意思の疎通をしていたと思い込んでいたキキを
更に混乱させる。飛べないし、頼りのジジの言葉がわからなくなって、完全に「孤立」してしまうからだ。
パン屋の店番をしているだけの冴えない自分・・・・役に立っているのかどうかも不安。
13歳に降り掛かるにしては、ちょっと大きめの苦難である。

例えば・・・・。
運動部に所属していた人なんかはわかるだろうか?
恐らく、コレは自分に最初から身についていた「感覚」でその感覚どおりにやったら、
他の人たちよりも巧く出来て、先生や同輩からもそれなりに認められて、褒められるようにもなった。
その「感覚」さえ研ぎ澄ましていけば、もっと巧くなるに違いない・・・・練習も一所懸命にサボらずやる。
如何せん、苦しいけれど楽しいし、手ごたえもあるから、1日1日に張り合いもある。
それがある日突然、その「感覚」がわからなくなってしまう。
同じようにやっているつもりでも、周囲の反応が違う。何より自分が手ごたえを感じられない。
俗に言う、「スランプ」ですね。
物語には、キキよりも年上と思われる絵描きのお姉さんが登場し、あれこれと指南してくれますが、
自分が他の人よりも秀でていることで均衡を保っていた部分がポッキリと折れてしまって、
よくわかんなくなってしまう・・・・なんていうのは、日常的にままあることではある。
いずれ、自分で何とか解決の糸口を見つけ出して、何とかしていかなければならないのだが、
初めてのスランプというのは、少女に限らず、万人にとってちょっとした人生の「苦渋」である。


本編で、キキは母の教えを絵描きのお姉さんにこんなふうに語っている。

「血で飛ぶんだって・・・・。」

多分、キキ自身、この言葉の意味をこの時まで全くわかってなかったと思う。
恐らく「血」というものが何なのかさえ、理解していなかったと思う。
魔女とはいえ、初潮くらいは来るだろう(苦笑)。そうでなかったら出来のいいっぽいキキの母親は
キキを産めなかったわけだし(笑)。
それを教える前に、キキは飛び出していってしまったわけだから、さぞかし不安だったことだろうと思う。
「血」という言葉に興味を示した絵描きのお姉さんはこう答える。

「そういうの、嫌いじゃないな。」

彼女は既にスランプを幾度も経験し、そして独立も果たしている。
結婚はまだで、子もいないが、少女たちに一番近いところにいて、この時期を一番わかってくれそうな
頼もしき「先輩」というわけだ。

「嫌いじゃない」という微妙な言葉でキキを受け容れ、そして「魔女」という自分とは違う世界でのことを
まるで当たり前のように理解してしまう・・・・そんな便利な人間が周囲にいてくれたら、
あたくしだって生きやすかっただろうよ・・・・そういうふうに思うんだけど、ドラマや映画と違って
日常生活たるやそうそう甘いものではないので、思い通りに理想の人間は登場しない(笑)。
だがしかし、面白いもんで「そんな巧くはいかないけどさぁ・・・・」と物語を見ているうちに、
自分もそういう人たちに少なからずとも出会ってはいるのである。最もいいタイミングで。
だから、「魔女」というモチーフにもかかわらず、妙に人間臭くて、未成熟な主人公キキが
だんだん愛されるべき存在になっていくのである。このあたりはすごく納得。
「飛べるか」否かの違いだけ・・・・魔女も、魔法がなくても生きていけるのね、なんて思ってしまうのも、
ここらあたりの流れで、悶々としているキキを見ているとそんなふうに普通に思ってしまう。


「血で飛ぶ」意味が何となくわかりかけてきたキキ。しかし、完全には理解しきれていない。
自動的に体内に流れている「血」ではなく、「魔女の血統」という意味での「血」、
そして、女性として独立する、一人前に見てもらうために流さねばならない「血」の意味を、
彼女は、物語が終わるまでに完全に理解しきったとは言えないのだ。

そりゃ、スランプから脱出して飛べるようにはなりますよ。
しかし、物語の主軸、「魔女はその血で飛ぶ」というテーマからはひどく逸脱した、
落ちこぼれの出来損ないには違いないのである。

飛行船から落ちそうになる、淡い恋の相手・トンボの命が懸かっていると知って、キキは
街中でデッキブラシをおじさんから借り受け、「血」を発動させて飛び立つのである。
デッキブラシとの相性の悪さを気合と根性だけで乗り切って、何とかトンボを助け、
一躍、街の人気者になったキキ。
しかし、彼女が脱皮して得たものは、自尊心でも邪魔なプライドでもなく、
「人との交流」・・・・コミュニケーションの方法論だった。
彼女は幼かったが故に、外側に鎧を着込むことでしか相手に近づく方法を思いつかなかったのであるが、
それの他にも、交流の方法があると気付いたのである。
そして、「血」が何であるかなど既にどうでもよくなってしまっているようにも見受けられる。


月経が日常的になった女性のことを考えてみよう。
確かに気分は憂鬱になるし、精神的にも不安定、ヒステリックにもなる。
身体的にも丸みを帯び、きちんとした女性になるための準備が着々と整い始め、
そして月経が来る度に、多少の痛みも伴うのである。
しかし、これがとあるサイクルで整い始めてくると、自動的に子供ではいられなくなる。
肉体的にも精神的にも、ステップアップを余儀なくされるのである。
それは例えば、まだまだ学習がしたいと志望するものであれば、学校という枠組みでの社会的行動、
それを卒業した暁には、本来の社会の中での行動に全て反映されてくる。
健やかな女性というのは、悩み苦しんだ少女時代を上手に活用し、
自分の能力や機知、才能や限界、もっと言うならば「血」に気付き、
そうやって社会の中で適応していく。男性はこれをもっと理性的な段階で捉えている。


さて、この流れの本題、「どうしてキキは飛べなくなったか?」・・・・
そして「なぜ再び飛べるようになったのか?」・・・・コイツの結論であるが、
目で見てわかる範囲内で言うならば、それは「新しい未知の感情」に翻弄された結果である。
所謂「恋」とかいうヤツだけど、「誰それが好き」という短絡的な感情がそうさせたのではない。
自分のことに興味を持っている人についついそっけなくしてしまう、自分の幼稚さ、
好きだということに気付きたくないという反抗心、
相手が他の事(人)に興味を持っているのに対し、短絡的で醜い嫉妬を噴出させることへの自己嫌悪、
もう、様々な感情がごちゃまぜになって、1人の少女に初めて「試練」として襲いかかるのである。

魔女は血で飛ぶものだ・・・・と彼女の母親はそう言っている。
無意識・・・・とは違う次元のものだろうが、要するに、あれこれごちゃごちゃと考え始めるようでは
アカンよ!! と、そう言っている気がする。
直情的とはまた違う、素直でいい感情を常に持っていれば、それが曰く「血」と相俟って
いい感じに飛べる・・・・と、つまるところそういうことではないだろうか。
要するに、「魔女」である前に、「女」を磨け・・・・と彼女の母親はキキに伝えたかったのに、
それを伝え損なったがために、一つのドラマが生まれたといってもいい。
まぁ、少女の初潮は突然にやってくるものだし、用意周到な母親というのもそんなにはいない。
そういう現実と重ね合わせながら物語を眺めると、それはそれでけっこう面白いと思う。


エンドロール。BGMで荒井(松任谷)由実の「やさしさに包まれたなら」が流れる中、
キキは自分が暮らし始めた街で、様々な人たちと様々な会話をするシーンが延々と流れる。
孤独から立ち上がり、これからが本当の出発であることを予感させ、
今までの苦難とは違って、見ている者をホッとさせるシーンばかりが数珠繋ぎに出てくるのであるが、
恐らく、これからも彼女を様々な試練が待ち受けているだろうことは容易に察しがつく。

魔女とはいえ、そんなに簡単に「大人」になれたら、誰も苦労しないからである。

まだ彼女は、昔ながらの無計画性を存分に発揮していくだろうし、
元来、振り幅が極端なヒステリック性質であることも物語を見ていればよくわかる。
自分の外見に極端なこだわりがあるし、その欲求を上手に抑えきれない危うさまで持ち合わせている。
人とのコミュニケーションが上手にとれるようになった・・・・というのは本当の第一段階で、
これから彼女が克服していかなければならない問題は、山積している状態で物語りは終結していく。
ファンタジックで、可愛らしいキャラクター、憎めない主人公、爽やかな物語・・・・のように見えるが、
実は現代社会を生き抜く女性たち全てに宛てられた、大きな大きな「メッセージ」なのである。

化粧や洋服に惑わされるなよ。
己の「血」が何であるかを考えろよ。
周囲に押し流されるなよ。
好きな人には素直でいなさいよ。

究極、宮崎駿の女性論になってしまうけれど(爆)、そこは御安心を。
これの原作は、確か女性が書いたものですから。
だから、極論を連ねても、宮崎氏にあまり矛先が向かないかなぁ・・・・なぁんていう甘っちょろい考えで、
ここまで長文を書いたわけなんですが。

他にも、精神論からこの作品に迫っている文献もあるにはあるし、
果てはキキの心理分析をやってのけた人もいる。いずれも男性。
が、しかし・・・・やはり女性の道を歩みだした時代のことを刻銘に思いだせるのは、
女性しかいない・・・・そんなふうにも思ったわけです。
13歳のキキが15歳になり、20歳になり、やがて本当の大人になった時、
この物語の本来の結論がそこに記されるのでしょう。

↑コメントしづらいっすよ(爆)

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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