赤い靴の女の子のお話ですが。根本的に間違ったまま、日記に書いてしまいましたよ( ̄∇ ̄;)歌を勘違いするより、ハイパーなことをやってしまったよ(爆)。この少女が実在するっていうのは、横浜を訪れた時に既に知っていたのだけれど、その少女の背景についてはまだまだ何も知らないままだったから、「いいじいさん」だの「偉人」さんだの果ては「ひいじいさん」だの「キリンさん」だのの諸説紛々に呑まれて、誰といっちゃったかの論争になるという、全く論点無視の楽しみ方しか出来なかったんですが、ちょこっと調べたら、「ヘヴィなバッドエンド!!」ということが判明し、少しのけぞってしまいました。検証(1) さらわれているわけではない。親子同意の下。横浜住民からは今更何を・・・・と思われることを覚悟の上で、一応書いていきます(苦笑)。赤い靴の女の子は「岩崎きみ」ちゃんといい、静岡県生まれなんだそうです。それこそ諸説紛々ありますが、きみは私生児だったため、その母かよは全財産を擲って、北海道に入植するんです。きみが2歳の頃の話。ここで生活を立て直そうとするのですが、全財産をかけての入植だったため、うまくいかず、あえなくきみは、養女に出されることに。この頃、きみはまだわずか3歳。アメリカ人宣教師(牧師さん)・ヒエット夫妻にきみは託されるわけなのですが、ヒエット夫妻も、帰国の時期が迫っており、国内での養育が困難となったため、渡航・・・・と、こういう流れだったのです。検証(2) 行っちゃった? いや、行ってないよ? 母親も知らなかった事情。そんなわけで、きみもヒエット夫妻と一緒にアメリカに渡ることになるのですが、事態は急変!!何ときみは、当時はまだまだ不治の病であった結核にかかってしまい、夫妻は泣く泣く鳥居坂にある孤児院にきみを残して、そのまま帰国の途に着きます。この頃はまだ船旅でしたからね。長い旅に、きみの体力が持たないんじゃないかと留意して、日本に残していったわけです。検証(3) 「きみちゃん、ごめんね」・・・・きみとの別離から半世紀。きみの亡骸は、青山の共同墓地にあるとか、六本木鳥居坂教会の共同墓地にあるとか、こちらも諸説紛々なのですが、彼女はいつ潰えるともわからない命とともに、ずっと日本で過ごし、明治44年、当時の麻布十番にあった鳥居坂教会でわずか9歳でその短い生涯を閉じることとなりました。北海道へ入植し、生活苦からなかなか脱せなかった母親のかよ。生きるのに必死で、娘のきみはヒエット夫妻とアメリカで幸せに暮らしていると思っていたのでしょう。それでも、我が子に対する思慕は有り余り、しかし消息を辿るのを控えていたのでしょう。きみの死を知らぬまま、きみとの別れからおよそ半世紀たった昭和23年。「きみちゃん、ごめんね。」の言葉を最後に、64歳で他界したという。情報が変に錯綜しない時代背景、このようなことも珍しくはなかったことと思いますが、娘の幸せを願い、断腸の思いで手放したわずか6年後に、その娘が絶命しているとは知らず、母親はずっと、娘に詫びながら生きてきたということになる。離れ離れの間は、大きな戦争がいくつもあって、どこかで絶命している可能性もあるにはあったけれど、ヒエット夫妻とアメリカに行っていれば、自分が死ぬ頃にもまだ生きている可能性のほうが高かったのに。・・・・と、後にこの物語が実話として何かの雑誌に載せられたことで、人々の感銘の対象になり、後年、彼女たちのふるさとである、静岡の富士見村・日本平の山頂に母子の像が建てられ、そして横浜の山下公園には、孤独な少女の像が今でも残っている・・・・とこういう流れだったんだそうです。歌の作詞は、野口雨城というあまりにも有名な人ですが、もしこの童謡が世に出なかったら、この実話も埋没し、「いいじいさん」も「ひいじいさん」も「キリンさん」も登場しないまま、赤い靴の女の子は横浜の波止場から船に乗って、行っちゃってたかもしれないんですよね・・・・めくるめく人生の荒波。昨日の話ではありませんが、「ひょっとしたら、『異人さん』はいい人とは限らないんじゃないか?』という、大人になってからのあたくしの見解は間違いで、寧ろ、『偉人さん』のままで良かった気がします(苦笑)。親子が引き裂かれた事情は、紛いなりにも生活苦で、どうしようもない状況というのも明かとなり、少女は、売り渡されたんじゃないか・・・・?みたいな憶測も飛びましたが、ちゃんとした身元の、ちゃんとした人、人々に教えを伝え歩く聖職者の元へと預けられたので「偉人さん」でもあながち間違いではないと、書いてて思いました。さらわれたわけではなく、寧ろ、生活を守って互いに幸せになるために選んだ、最後の方法。それなのに、渡航も叶わず、今では抗生物質で簡単に治るはずの病気で亡くなった少女・きみ。自分らで創りあげたバッドエンドよりも、更にバッドだったので、何となくしんみりしてしまいました。ちなみに最初に母親とともに入植した北海道には、母親のみの像があるんだそうです。横浜には少女が1人、北海道には母が1人、そして昭和61年になってやっと2人は故郷で再会できた・・・・なんていう、童謡から派生した動きがつい最近まで活動していたんです。そっちの方がすごいなぁ。。。。↑父親に関してはまたこれ、諸説紛々。。。。この日、買出しに行くのがやっとで、残りの時間はほとんどダウン。ぷよ2が同伴してくれたので、特売の味噌(158円(爆))が2袋買えたよ(笑)。(お1人様1点限り)ホントは映画にいこうと思ってたんだけど、あたくしのせいで敢え無く断念。つか、「電車男」くらい家で見られるまで待てばいいのに(-。-) ぼそっ振り回されすぎだよ・・・・と思いつつ、邦画にしてはキャスティングがツボらしく、加えて、テレビCMで山田孝之が着ている「百式Tシャツ」がぷよ2の中でもんすごく熱いらしく是非とも見たいんだそうだ( ̄∇ ̄;)・・・・あぁ、そうね(笑)。あたくしも、中谷美紀、佐々木蔵之介、木村多江、大杉漣が大好きですから気持ちはわかんなくもないんですけど、劇場まで行くかなぁ・・・・(爆)。どっちかっていうと、この7月から始まるドラマはまぁどっちでもよくて、それよりか映画は面白そうなんだけど、9月に名古屋公演が決まっている舞台版のほうが面白そう♪武田真治主演という、この絶妙かつ危ういキャスティングにそそられる(笑)。7月にはもう、新宿パークタワーホールで始まるんだよねぇ・・・・。いいな。こっちに行きたい。「エルメス」の配役(声のみの出演)は公演初日まで完全封印という、スピルバーグみたいなことまでやってのけて、暑苦しい男たちの、めくるめくドラマが展開されるわけなんだけど話の流れ的には、舞台というメディアが一番ピッタリ来るような気がするのね。「限られた空間」っていうのを一番ひきだせるのは、やっぱりリアルに「限られた空間」である舞台。その昔(94年)、「ONとOFFのセレナーデ」という戯曲が発表された時に、おぉ!!と感動し、一度はこの本をやってみたいと思ったものなんだけど、「電車男 劇場版」は成分的にこれとよく似た興味をそそられる。インターネットの世界っていうのは、顔が見えない匿名性から、戯曲に向いているのかも。ネットもここまで普及したから、「ONとOFF・・・・」の再演を是非望みたい。今ならかなり当たる!アレ(電車男)がガチか!?ネタか!? みたいな論争も以前(今もか)起きていたようで、強行突破するみたいに新潮社が出版しちゃったところから、どうも話が捻じ曲がっているような。何匹どじょうがいるのかわかんないけれど、コレに反論するかのように切り込み角度の違う書籍が「電車男」コーナーと称して、書店の一角を占領するようになって久しい。書籍はともかく、ブーム再来とか言われている「純愛モノ」のカテゴリにこの物語を入れていいのかどうかその賛否が別れているところでもある。あたくしにしてみれば、ガチでもネタでもそれはどっちでもいい。もしもネタならば、それは礼賛する。このご時世、あんな物語は作れといわれてもなかなか作れるものではないから、創った人はすごいと思う。ただ、書籍だ、映画だ、ドラマだ、舞台だと、次々にマルチメディア化されていって、大丈夫なの!?とは思う。日本は、著作・肖像管理がすんごく甘い国だから、危険がいっぱい(夢いっぱい( ̄∇ ̄;))。ジャニー●事務所くらいに徹底させるのがホントなんだけどねぇ。これをドカンと配給し、放映し、上演し・・・・となった後に、考えの甘い日本のネット界に新たな嵐が舞い降りないことを切に願うよ・・・・いや、ホントに。(あ、でも、舞台は見たいかも♪・・・・映画はどっちでもいいや(笑))あたくし、未だに「純愛」の定義がよくわかんないんですが、そんなに国民ウケするんですか?セカチューとかも、どこで泣いていいのかよくわからないままだったんですが、感受性が乏しいんでしょうか・・・・?そうだ!! こういう時こそ、「新解さん」にご協力いただこう♪じゅんあい【純愛】 一身を犠牲にすることをもいとわない、ひたむきな愛情。 (世なれていない男女について言う)大辞林 邪心のない、ひたむきな愛。( ̄∇ ̄;)辞書をひいたら、ますますわけがわからなくなってきた(爆)。邪心=悪い心、よこしまな心というふうなんだけど、それがない恋愛ってそうも面白いか?これに則って言うと、「電車男」も、お相手「エルメス」もそうじゃない気がする。(確かに「電車男」は世なれていない感じはするけれど、邪心はありそう(笑)。)おばさまたちの間で流行っている、韓国ドラマは「純愛♪純愛♪」と銘打って、次々出てくるけど、どの角度から見たら「純愛」なのか、コレでさっぱり理解不能になりました、ハイ。そうか・・・・この意味からいくと、確かにセカチューは「純愛」に違いなさそうだけど(世なれてないし)あれが「面白いか否か」の観点でいくと、また違う気がする。ねぇ、皆様・・・・純愛ってそんなに賛美されるものなの??邪心だらけの女どもに囲まれていた少女時代しか知らないので、あたくしが純愛を理解するにはまだとてつもない道程と時間を必要とするのかもしれない(苦笑)。↑世なれてはいなかったが(爆)